クラウンといえば黒塗りの法人車。
1960年代後半まで、その印象は揺るぎないものでした。
ところが4代目クラウン、通称S60/70系は「白いクラウン」という衝撃的なキャッチコピーとともに登場し、クラウンの客層そのものを塗り替えようとしました。
保守的であることがブランドの根幹だったクラウンが、なぜこのタイミングで攻めに転じたのか。
その背景を読み解くと、1960年代後半の日本の自動車産業が直面していた構造変化が見えてきます。
黒から白へ──商品企画の大転換
1971年に登場した4代目クラウンは、「白いクラウン」のキャッチコピーで世に出ました。当時のクラウンは法人需要が圧倒的で、ボディカラーは黒が常識。タクシーやハイヤー、官公庁の公用車として使われることが多く、個人オーナーが自分の趣味で選ぶクルマという印象は薄かったのです。
トヨタがここで白を打ち出したのは、単なるカラーバリエーションの話ではありません。「クラウンを個人ユーザーのクルマにしたい」という、商品企画の根本的な方向転換でした。日本のモータリゼーションが急速に進み、個人の所得水準が上がっていた時代です。法人需要だけに頼っていては、いずれ成長の天井にぶつかる。その危機感が、クラウンの「脱・黒塗り」を後押ししました。
結果として、この戦略は大きく当たります。白いクラウンは個人オーナー層に刺さり、クラウンのイメージを「偉い人が乗せてもらうクルマ」から「成功した人が自分で選ぶクルマ」へと変えていきました。後のクラウンが個人ユーザー比率を高めていく流れは、この4代目が起点だったといっていいでしょう。
ペリメーターフレームという構造的な決断
商品企画だけでなく、技術面でもS60/70系は大きな転換を遂げています。最も重要なのは、ペリメーターフレームの採用です。従来のはしご型フレームに代わり、車体の外周に沿ってフレームを配置する構造に切り替えました。
ペリメーターフレームの狙いは明快です。フロア面を低くできるため、室内空間が広がる。同時に、フレームとボディの結合点が増えるため、剛性も向上する。乗用車としての快適性を高めつつ、フレーム構造の堅牢さも維持するという、いわば「いいとこ取り」の設計思想です。
当時、日産のセドリック/グロリアはすでにモノコック構造に移行していました。トヨタがあえてフレーム構造を残したのは、クラウンの用途──つまり法人車やタクシーとしての耐久性要求──を無視できなかったからです。ただし、旧来のはしご型のままでは乗用車としての進化に限界がある。ペリメーターフレームは、その両方の要求に応えるための現実的な解でした。
スピンドルシェイプと新しいデザイン言語
4代目クラウンのスタイリングは、スピンドルシェイプと呼ばれる紡錘形のボディラインが特徴です。ウエストラインを絞り、フェンダーを張り出させることで、それまでの箱型セダンとは明確に異なるシルエットを作り出しました。
このデザインには賛否がありました。保守的なクラウンユーザーからすれば、急に派手になったように見えたはずです。しかしトヨタの狙いは、まさにそこにありました。「白いクラウン」のコンセプトと同じく、若い個人オーナーに「欲しい」と思わせるためには、見た目からして変えなければならなかったのです。
また、ハードトップモデルが設定されたのも4代目の大きなトピックです。ピラーレスのスタイリッシュなシルエットは、まさに個人ユーザー向けの商品。セダンとハードトップの二本立てという構成は、以降のクラウンでも長く続く定番のフォーマットになりました。
エンジンラインナップと実用性の幅
パワートレインは、直列6気筒のM型系エンジンが中心でした。2.0リッターのM型、2.3リッターの2M型、そして2.6リッターの4M型といったラインナップが揃えられ、用途に応じた選択肢が用意されています。
特に4M型の2.6リッターSOHCは、当時の国産セダンとしてはかなり余裕のある排気量でした。高速道路網の整備が進んでいた時代、長距離を快適に移動するための動力性能は重要なセールスポイントだったのです。
一方で、タクシー向けにはLPG仕様も設定されるなど、法人需要を切り捨てたわけではありません。個人向けに華やかなイメージを打ち出しつつ、実需もしっかり押さえる。このあたりのバランス感覚は、トヨタらしいと言えます。
3代目の反省と4代目の挑戦
4代目の方向性を理解するには、先代である3代目クラウン(S50系)の経緯を知っておく必要があります。3代目は1967年に登場しましたが、当初の評価は必ずしも高くありませんでした。特にフロントサスペンションの問題が指摘され、マイナーチェンジで大幅な改良を余儀なくされています。
この経験がトヨタに与えた教訓は大きかったはずです。4代目では足回りの設計が見直され、フロントにダブルウィッシュボーン、リアにはトレーリングアーム式の4リンクが採用されました。乗り心地と操縦安定性の両立を、フレーム構造の中でどこまで追求できるか。その回答が、ペリメーターフレームと新しいサスペンション設計の組み合わせだったわけです。
つまり4代目クラウンは、3代目での躓きを踏まえた「リベンジ」の側面も持っていました。商品企画で攻めると同時に、基本性能では確実に前進する。攻守のバランスが取れていたからこそ、4代目は成功を収めることができたのです。
クラウン史における分水嶺
S60/70系クラウンは、クラウンの歴史において明確な分水嶺です。それまでの「保守と格式」から、「個人の豊かさの象徴」へ。この転換がなければ、後の「いつかはクラウン」というキャッチコピーも生まれなかったでしょう。
技術的にも、ペリメーターフレームの導入はクラウンのフレーム構造を延命させる重要な判断でした。モノコック化を選ばなかったことで、クラウンは他の国産高級セダンとは異なる乗り味──重厚で、どっしりとした走り──を長く維持することになります。良くも悪くも、クラウンらしさの骨格がここで固まったのです。
「白いクラウン」という一見キャッチーなだけのフレーズの裏には、商品企画の大転換、構造設計の刷新、先代の反省という三つの重い決断が重なっていました。
4代目クラウンは、クラウンが「国民車の頂点」になるための土台を築いた、地味だけれど決定的に重要な一台です。

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