カテゴリー: Toyota

  • GRヤリスとは

    GRヤリスは、ラリーに出るために作られた市販車です。順番が普通と逆で、売れる車を競技用に仕立てたのではなく、競技のための車を市販しました。

    前日譚が2018年のNCP131、ヴィッツGRMNです。スーパーチャージャーを積んだ1.8Lで、生産はわずか150台。トヨタが本気で走りに振ったコンパクトを作れることを、社内外に示すための一台でした。

    そして2020年のGXPA16、GRヤリス。3ドアの専用ボディ、前後で異なるプラットフォームの組み合わせ、1.6Lの3気筒ターボG16E-GTS型、そしてGR-FOURと名付けられた四輪駆動。ベース車のヤリスと共通する部分はごくわずかで、実質的には別の車です。生産も専用の工場で行われました。

    これが成立した理由は明快で、WRCに出るための車両規則がそれを求めたからです。ただし、規則が求めていたのは台数だけであって、ここまでの中身は必須ではありませんでした。作りすぎたと言っていいでしょう。だからこそ、モータースポーツから離れた層にも売れています。

    GRヤリスの歴史は、大手メーカーが「勝つため」という理由を手にしたときに何が起きるかの記録です。

  • 86とは

    86は、トヨタが「つくらない理由」を捨てて作ったクルマです。

    2000年代のトヨタに、安価な後輪駆動のスポーツカーを作る合理的な理由はありませんでした。販売台数は見込めず、開発費は回収しにくい。それでも2012年にZN6が世に出たのは、社内の意思と、スバルという相手がいたからです。水平対向エンジンは背が低く、低重心という一点で理屈が通る。トヨタは直噴とポート噴射を組み合わせるD-4Sを持ち込み、生産はスバルが担当しました。

    出力は200PS。同時期の速いクルマと比べれば平凡です。狙いは限界の高さではなく、限界の手前で起きることを運転手に見せることでした。細いタイヤと軽い車体は、そのための選択です。

    2021年のZN8、GR86では排気量が2.4Lへ拡大されます。初代で最も指摘された中回転域のトルク不足に正面から答え、車体の剛性も上げました。速くなった一方で、性格そのものは変えていません。

    ZN6からZN8まで、2世代。86の歴史は、採算では説明できないクルマを、大手メーカーがどうやって成立させるかの記録です。

  • トヨタのミッドシップとは

    エンジンを運転席の後ろに積む構成は、レーシングカーの理屈です。それを大衆車メーカーが3世代も市販し続けた例は、そう多くありません。

    1984年のAW11、MR2が最初でした。カローラ系の部品を流用しながら、エンジンを横向きに車体中央へ移すという構成です。専用設計の高価なスポーツカーではなく、量産部品でミッドシップを成立させたことに意味があります。1.6LのDOHC、4A-GE型を積み、後にスーパーチャージャーも加わりました。

    1989年のSW20では、性格が大きく変わります。排気量は2.0Lへ、ターボ仕様の3S-GTE型は最終的に245PSに達しました。車体も大きくなり、本格的なスポーツカーとしての速さを求めた世代です。初期型は限界域の挙動が難しいと言われ、そのたびに改良が重ねられました。トヨタがこの構成を真面目に育てようとしていた証拠です。

    1999年のZZW30、MR-Sで方向が反転します。ターボをやめ、屋根を取り、車重を1トン切りまで削る。速さの数字ではなく、軽さと素直さで運転を楽しませる方向へ振り切りました。シーケンシャルMTという当時としては新しい変速機も選べます。2007年、この系譜は途絶えました。

    AW11からZZW30まで、3世代。トヨタのミッドシップの歴史は、量産メーカーがどこまで趣味の構成に付き合えるかという実験の記録です。

  • ヴェルファイアとは

    ヴェルファイアは、アルファードの影から抜け出すために作られたクルマです。

    始まりは販売チャネルの都合でした。2008年の20系は、アルファードと骨格を共有しながら、別の販売店で売るために顔と内装の性格を変えた兄弟車として登場します。中身が同じなら、選ぶ理由は見た目と雰囲気しかない。だからヴェルファイアは、押し出しの強さと若さで差を付ける方向へ振れました。

    2015年の30系では、その性格がさらに露骨になります。大きなメッキグリルと鋭い眼光は、上品さで勝負するアルファードに対する明確な対抗軸でした。同じ車体でここまで印象を変えられるのかという、意匠設計の実験でもあります。

    2023年の40系で、関係が変わりました。販売チャネルの統合によって「別の店で売るための兄弟車」という前提が消えたのです。それでもヴェルファイアが残ったのは、走りと内外装をアルファードより攻めた方向で仕立てるという役割が見つかったからでしょう。専用のサスペンション設定や上級グレードの構成で、性格の差が中身にも及ぶようになりました。

    20系から40系まで、3世代。ヴェルファイアの歴史は、「同じ車の顔違い」がどうやって独自の存在意義を獲得していくかの記録です。

  • アルファードとは

    アルファードは、日本人が高級車に求めるものが、運転席から後席へ移った証拠です。

    2002年のH10系が出るまで、ミニバンは家族のための実用車でした。広くて便利で、値段はそれなり。そこへトヨタは、大きな押し出しの外観と豪華な内装を持つミニバンを投入します。走りでも運動性能でもなく、車内で過ごす時間の質で高級を名乗る。この売り方が成立するかどうかは、当時まだ分かっていませんでした。

    答えは2008年の20系で出ます。すでに競合が同じ土俵に乗り、高級ミニバンという分類が当たり前になっていました。送迎、法人利用、そして家族での長距離移動。用途が広いぶん、価格が上がっても売れるという構造がここで固まります。

    2015年の30系でその路線は決定的になりました。エグゼクティブラウンジのような上級グレードは、後席の設えだけで高級セダンと張り合います。運転する人ではなく、後ろに座る人のためにお金をかける。日本の高級車の重心が完全に移動したことを示す世代です。

    2023年の40系は、もはやミニバンという枠で語られていません。静粛性、乗り心地、後席の快適性のすべてを、素材と構造から作り直しています。価格帯も従来の高級セダンと重なり、アジア各国では富裕層の定番になりました。

    H10から40系まで、4世代。アルファードの歴史は、「いい車」の基準が運転する楽しさから過ごす快適さへ移っていった、この20年の記録です。

  • ランドクルーザーとは

    ランドクルーザーが70年以上守ってきたのは、「必ず帰ってこられること」の一点です。速さでも豪華さでもなく、行った先から生きて戻れること。この優先順位が、どの世代でも動きません。

    始まりは1951年のBJ/FJ20でした。警察予備隊向けの車両の選定に応えて作られた四駆で、当初はトヨタジープBJという名前です。「ジープ」を名乗れなくなったため、1954年にランドクルーザーへ改称されました。名前のほうが後から付いてきたクルマなのです。

    1955年のFJ25/BJ25では、軍用の匂いを残しながらも民間用途への歩み寄りが始まります。荷台や幌の仕様が整理され、働く車として売れる形になりました。

    世界に広めたのは1960年のFJ40です。頑丈な骨格と単純な機構、そして直せる構造。中東やアフリカ、南米で「壊れない日本車」という評価を作ったのは、この世代でした。信頼性が商品性能として通用することを、トヨタはここで学んでいます。

    1967年のFJ55は、初めて家族を乗せることを想定した4ドアワゴンでした。用途が仕事から生活へ広がり、1980年のBJ60では内装や快適装備が本格的に整えられます。働くクルマが、乗用車として売れるようになった転換点です。

    1989年のFJ80、そして1998年のFZJ100で、その方向は決定的になりました。サスペンションの近代化と大排気量エンジンによって、高速道路でも快適に走る高級SUVへ変わっていきます。2007年のURJ200は、その頂点でした。豪華さも重さも、歴代で最大級です。

    そして2021年のGRJ300。14年ぶりの全面刷新で選ばれたのは、V8をやめてV6ツインターボにし、車体を軽くするという方向でした。豪華さの上乗せをやめ、走破性能と信頼性へ戻す。原点に近い判断です。

    BJからJ300まで。ランドクルーザーの歴史は、「壊れない」という性能が商品としてどこまで通用するかを70年かけて証明し続けた記録です。

  • カローラの走り系とは

    カローラは世界一売れた大衆車ですが、その裏でトヨタは、この名前を使って何度も過激なクルマを出してきました

    最初の一台が1972年のTE27、レビン/トレノです。カローラのボディにDOHCの2T-G型を積み、オーバーフェンダーを付ける。大衆車の外皮を借りたスポーツモデルという商売が、ここで成立しました。1979年のTE71は、その系統の最後のFR直4となります。

    1983年のAE86は、いまさら説明の必要がないでしょう。4A-GEU型の高回転DOHCと軽い車体、そして後輪駆動。当時としては特別なクルマではなく、あくまで「安いスポーツグレード」だったことが、後に伝説になった理由でもあります。

    1984年のAE82、カローラFXでカローラは前輪駆動の走り系を試し、1987年のAE92でレビン/トレノ自体がFF化されました。ここで系譜は分岐します。1991年のAE101、1995年のAE111は技術的にはむしろ進化していましたが、AE86が背負ってしまった物語には勝てませんでした。

    面白いのは、その後もトヨタが諦めなかったことです。2001年のZZT231、ランクス/アレックスは2ZZ-GE型を積み、8500rpmまで回るエンジンをカローラの顔で売りました。2006年のE150、オーリスは名前ごと替えて欧州向けの走りを狙い、2007年のGRE156H、ブレイドマスターにいたってはCセグメントの車体に3.5LのV6を押し込んでいます。

    2018年のNRE210H、カローラスポーツで「普通のカローラ」の水準そのものを引き上げ、2022年のGZEA14H、GRカローラで再び本気の競技用ベース車が戻ってきました。300PSの3気筒ターボと四輪駆動。TE27がやったことを、50年後に同じ名前でやり直したわけです。

    カローラの走り系の歴史は、「いちばん普通のクルマ」だからこそ許された、トヨタの実験の記録です。

  • プリウスとは

    プリウスは、無謀と言われた技術を25年かけて当たり前にしたクルマです。

    1997年のNHW10は、はっきり言って早すぎました。エンジンとモーターを組み合わせて走る量産車など前例がなく、電池の寿命も、コストも、修理体制も、何ひとつ確立していません。それでもトヨタは「21世紀に間に合いました」という言葉とともに市場へ出します。採算は合っていなかったと言われますが、実際に売って走らせない限り、この技術は育たなかったはずです。

    2003年のNHW20で、プリウスは特別なクルマであることをやめます。5ドアハッチバックの実用的な形になり、動力性能も普通のセダンと遜色ない水準に到達しました。北米で受け入れられたのもこの世代からで、ハイブリッドは「変わり者の選択」ではなくなります。

    2009年のZVW30は、その延長で一気に普及しました。価格を抑えたグレードを用意し、燃費の数字が分かりやすく効いた結果、日本の販売台数で長く首位を占め続けます。街のどこを見てもプリウスがいる、という光景はこの世代が作りました。

    そこで新しい問題が生まれます。売れすぎたことで、プリウスは「燃費だけのクルマ」という記号になってしまったのです。2015年のZVW50が造形で強く自己主張したのは、その記号から抜け出そうとした結果でした。評価は割れましたが、意図ははっきりしています。

    2023年のMXWH60は、その課題に別の角度から答えました。空力を優先した低い姿勢と、明確に速くなった動力性能。燃費で選ばれるのではなく、格好とドライブフィールで選ばれるハイブリッドへ性格を移したわけです。

    NHW10からMXWH60まで、5世代。プリウスの歴史は、新しい技術が「特別なもの」から「当たり前」になり、その先で改めて魅力を問われるまでの全過程の記録です。

  • クラウンとは

    クラウンは、日本人にとっての「上がり」が何かを、時代ごとに定義し直してきたクルマです。

    1971年のS60/70系が、その転換点でした。それまで黒塗りの社用車だったクラウンに白いボディを与え、個人で買う高級車という市場を作りにいったのです。「白いクラウン」という呼び方が広まったこと自体が、この判断の成果でした。誰の車かではなく、誰が買うかで高級車を定義し直したわけです。

    1983年のS120系で、そのイメージが完成します。「いつかはクラウン」という一言が、日本人の出世観と車の階級をそのまま結びつけました。買えるようになったら買う。それが目標として機能する時代のクルマです。

    1991年のS140系はバブルの絶頂で企画された世代で、重厚さと装備の充実を極限まで押し進めます。そして、その方向の限界も同時に露呈しました。上質さを足していくやり方は、バブルが弾けた瞬間に説得力を失ったからです。

    だから2003年のS180系、ゼロクラウンは自己否定から始まりました。「ZERO CROWN。すべてを、変えた。」という宣言のとおり、骨格もエンジンも操縦性も刷新し、若い世代に売れる高級車へ組み替えます。それまで積み上げたものを捨てる判断ができたことが、クラウンという商品の強さでした。

    2012年のS210系は、ピンクのクラウンまで用意して話題を取りにいきます。ただ、この頃には高級セダンという形式自体が縮んでいました。「いつかはクラウン」という物語の到達点であると同時に、その物語が通じなくなった時期でもあります。

    2022年のS230系は、その状況に対する答えでした。セダンだけでなくクロスオーバー、スポーツ、エステートと複数の車型を同じ名前で展開する。クラウンは車種名ではなくブランドになったわけです。

    クラウンの型式の並びは、日本の「いい車」の定義が、どこで誰の手に移っていったかの記録そのものです。

  • スープラとは

    スープラは、セリカの派生として生まれ、名前を捨てて独立し、最後は自社だけでは作れなくなったクルマです。

    出発点は1978年のA40/A50、セリカXXでした。セリカのノーズを延ばし、直列6気筒を押し込む。北米で売られていた大排気量のスペシャルティカーに、日本のメーカーが正面から挑むための構成です。1981年のA60ではデザインも中身もセリカから距離を取り、GTカーとしての性格を強めました。

    名前が変わったのは1986年のA70からです。日本でも「スープラ」を名乗り、セリカとの関係を完全に切りました。3.0Lの7M-GTEU型ターボ、電子制御サスペンション、そして重量級のボディ。ポルシェ944やBMWと同じ土俵で戦うグランドツアラーを、トヨタは本気で作ろうとしていました。

    1993年のA80が、その到達点です。2JZ-GTE型の3.0L直6ツインターボは自主規制上限の280PSを掲げながら、素の設計に余裕がありすぎました。強度の高い鋳鉄ブロックのおかげで、後年の改造車が桁違いの出力に耐えてしまう。トヨタが意図したのはあくまで上質なGTでしたが、結果として世界で最も改造されたエンジンの一つになりました。

    そして2002年、日本での生産が終わります。排出ガス規制と、大型GTという商品自体の縮小が理由でした。

    17年後の2019年、A90として復活します。ただし骨格もエンジンもBMWとの共同開発で、直6のB58型はドイツ製です。自社だけでは、直6FRのスポーツカーを成立させられなかった。それでもトヨタは「直列6気筒・後輪駆動・2人乗り」という形式そのものを守ることを選びました。

    A40からA90まで、5世代。スープラの歴史は、直6FRという贅沢な形式が、どれだけ守りにくいものかを示し続けた記録です。