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  • クラウン – S230系(16代目)【「いつかはクラウン」を自ら壊した再定義】

    クラウン – S230系(16代目)【「いつかはクラウン」を自ら壊した再定義】

    クラウンが変わった、という話ではないんです。

    クラウンを「変えなければならなかった」という話です。

    2022年に登場した16代目クラウン、S230系。セダン専用だったはずの車名が、突然4つのボディタイプを持つシリーズへと再編されました。

    これはモデルチェンジではなく、ブランドの再定義です。なぜトヨタはここまで踏み込んだのか。

    その理由を追うと、クラウンという車名が背負ってきた重さと、それが限界に達した瞬間が見えてきます。

    セダンの王様が抱えていた構造的な問題

    クラウンは1955年の初代から数えて67年、日本の高級車市場をほぼ一手に担ってきた車種です。「いつかはクラウン」というフレーズが象徴するように、出世の階段を上った先にある車、という文化的ポジションを長く維持してきました。

    ただ、その構図は2010年代に入って急速に崩れていきます。理由はシンプルで、セダンそのものが売れなくなったからです。国内のセダン市場は縮小の一途で、SUVやミニバンに主役を奪われていました。クラウンの販売台数も、最盛期の年間20万台超から、15代目の末期には年間3万台前後にまで落ち込んでいます。

    しかも、購買層の高齢化も深刻でした。クラウンの平均購入年齢は60代後半に達していたとされ、若い世代がクラウンに憧れるという構図はほぼ消えていました。つまり、「いつかは」と思ってくれる人がいなくなりつつあったわけです。

    トヨタとしては、クラウンという名前を畳むか、意味ごと作り替えるかの二択を迫られていた。そして選んだのは後者でした。

    4つのボディという異例の回答

    2022年7月、トヨタは16代目クラウンを発表しましたが、その中身は衝撃的でした。従来のセダンではなく、クロスオーバー、スポーツ、セダン、エステートという4つのボディタイプを「クラウン」という名のもとに展開するという構成です。しかも最初に市場投入されたのは、セダンではなくクロスオーバーでした。

    これは単に「SUVっぽいクラウンを出した」という話ではありません。車名をモデル名からブランド名に格上げした、という構造転換です。レクサスがそうであるように、「クラウン」という傘の下に複数の車種をぶら下げるという発想に切り替えたわけです。

    豊田章男社長(当時)は発表時に「クラウンはこれからも進化し続ける」と語りましたが、その言葉の裏には、セダンという形式にしがみついていてはクラウンの名前ごと沈む、という危機感があったはずです。

    GA-Kプラットフォームと世界市場への転換

    技術的に見ると、S230系はTNGA世代のGA-Kプラットフォームをベースにしています。これは従来のクラウンが使ってきたFR(後輪駆動)レイアウトからの大きな転換です。GA-KはFF(前輪駆動)ベースのプラットフォームで、カムリやハリアーと基盤を共有しています。

    FRを捨てたことに対して、クラウンらしさが失われるという批判は当然ありました。ただ、トヨタ側の狙いは明確です。クラウンを国内専用車から世界戦略車に変えるためには、グローバルで展開しやすいプラットフォームが必要でした。実際、16代目クラウンは約40の国と地域で販売されており、これは歴代クラウンで初めてのことです。

    パワートレインも時代を反映しています。クロスオーバーには2.5Lハイブリッドと2.4Lターボハイブリッドの2種類が用意され、後者はデュアルブーストハイブリッドと呼ばれる新システムです。2.4Lターボエンジンにモーターを組み合わせ、システム出力は約349psに達します。

    この数字は、先代15代目の3.5LマルチステージハイブリッドV6に匹敵するもので、排気量を下げながら動力性能を維持するという、今の時代に求められるバランスを実現しています。

    クロスオーバーという「最初の一手」の意味

    4つのボディのうち、最初に発売されたクロスオーバーは、全高1,540mm前後という微妙な数値を持っています。SUVと呼ぶには低く、セダンと呼ぶには高い。この中途半端さこそが、実は狙いでした。

    トヨタが目指したのは、セダンの走行安定性とSUVの視界の高さ・乗降性を両立する「新しいカタチ」です。クラウンの既存ユーザーがSUVに流れていた現実を踏まえると、セダンの延長線上にありつつSUV的な使い勝手を持つ車は、理にかなった提案でした。

    デザインも大きく変わりました。リアに向かって流れるファストバックのシルエットは、歴代クラウンのどれとも似ていません。フロントグリルの造形も、威厳よりもスポーティさを前面に出しています。好みは分かれますが、「これまでのクラウンとは違う」と一目で伝えるという役割は果たしています。

    セダン・スポーツ・エステートが埋める領域

    クロスオーバーに続いて展開されたスポーツは、よりSUV色の強いボディを持ち、全高も1,620mm前後に上がっています。ハリアーやRAV4と市場が重なる部分はありますが、クラウンの名を冠することで上質さを差別化する狙いです。

    セダンは2024年に登場しましたが、こちらはFCEV(燃料電池車)とハイブリッドの2本立てという、やや実験的な構成です。従来のクラウンセダンの顧客、つまり法人需要やショーファー用途を意識しつつ、FCEVで環境対応の旗を立てるという二重の役割を担っています。全長5,030mm、ホイールベース3,000mmという堂々たるサイズは、センチュリーとレクサスLSの間を埋める存在です。

    エステートは2024年後半に追加されたワゴンボディで、欧州市場を強く意識した展開です。日本ではワゴン市場が極めて小さいため、国内よりも海外での存在感を期待されたモデルと言えます。

    つまり4つのボディは、それぞれ異なるマーケットと顧客層に向けた「入口」として設計されています。クラウンという名前に複数の入口を設けることで、ブランドの間口を広げるという戦略です。

    賛否の構造と、壊すことの意味

    当然ながら、S230系クラウンへの評価は割れています。FRを捨てたこと、セダン一本の潔さを失ったこと、クロスオーバーという形が中途半端に見えること。長年のクラウンファンからの批判は少なくありません。

    一方で、販売実績を見ると、クロスオーバーは発売直後から好調な受注を記録しました。月販目標3,200台に対して、発売1ヶ月で約2万5,000台を受注したという数字は、少なくとも市場が「新しいクラウン」を拒絶しなかったことを示しています。

    ここで考えるべきは、「変えなかったら何が起きていたか」です。セダン専用のままクラウンを続けていたら、販売台数はさらに落ち込み、いずれモデル廃止に追い込まれていた可能性が高い。実際、マークXやプレミオといったトヨタのセダン群は次々と消えていきました。

    クラウンが生き残るためには、クラウンであることの定義そのものを変える必要があった。S230系は、その決断の産物です。

    68年目の再出発が問いかけるもの

    16代目クラウンは、系譜という観点で見ると異質な存在です。1台の車のモデルチェンジではなく、車名の意味そのものを書き換えた世代だからです。

    ただ、振り返ってみると、クラウンは常に「その時代の日本の高級車とは何か」を体現してきた車種でもあります。初代は国産車で初めてまともに高速走行できるセダンでしたし、8代目はハイソカーブームの頂点を象徴しました。時代に合わせて自らを変えてきたという意味では、S230系の大転換もクラウンらしいと言えなくもありません。

    問題は、この再定義が10年後、20年後に「正しかった」と言えるかどうかです。4つのボディがそれぞれ定着し、クラウンというブランドが世界で通用するようになれば、S230系は英断として語られるでしょう。逆に、どのボディも中途半端に終われば、迷走の始まりとして記憶されるかもしれません。

    ただ、ひとつ確かなことがあります。トヨタは、クラウンを「惰性で続ける」ことを選ばなかった。68年の歴史を持つ看板を、あえて壊して作り直すという判断には、相応の覚悟があったはずです。

    S230系クラウンは、その覚悟の形です。

  • クラウン – S140系【バブルが咲かせた最後の重厚長大】

    クラウン – S140系【バブルが咲かせた最後の重厚長大】

    クラウンという車には「守る」という宿命があります。トヨタの看板であり、日本のセダン文化の象徴であり、法人需要の柱でもある。だからこそ、どの世代でも冒険より安定が優先されてきました。

    ただ、その「守り」がもっとも贅沢な形で表れたのが、1991年に登場した9代目・S140系かもしれません。

    バブル経済はすでにピークを過ぎていました。しかし開発が始まったのはバブルの真っ只中です。つまりS140系は、あの時代の空気をたっぷり吸い込んで設計された最後のクラウンなのです。

    バブル末期という特殊な空気

    S140系が発売されたのは1991年10月。株価の暴落は1990年初頭に始まっていましたが、自動車の開発サイクルを考えれば、企画と設計の大半はバブル絶頂期に行われています。つまり「お金をかけることが正義」だった時代の産物です。

    先代のS130系、通称8代目クラウンは1987年に登場し、いわゆる「いつかはクラウン」のキャッチコピーで知られる世代です。あの時代のトヨタは、セルシオ(初代レクサスLS)の開発と並行してクラウンの格を維持する必要がありました。

    セルシオが「世界基準の高級車」を目指す一方で、クラウンは「日本のお客様のための高級車」であり続けなければならない。この棲み分けが、S140系の性格を決定的に方向づけています。

    セルシオとの距離感が生んだ設計思想

    9代目クラウンを語るうえで、セルシオの存在は避けて通れません。1989年に登場した初代セルシオ(UCF10)は、静粛性・乗り心地・品質感のすべてで世界を驚かせました。当然、クラウンのオーナー層にも「セルシオのほうが上なのか」という意識が生まれます。

    トヨタの回答は明快でした。クラウンはあくまで国内専用の高級車であり、日本の道路事情、日本の駐車場サイズ、日本の顧客の好みに最適化するという方針です。5ナンバーサイズを基本に据えたのも、全幅1,695mmという枠を守り続けたのも、この判断の結果です。

    ただし、ロイヤルサルーンGやマジェスタ系のワイドボディでは3ナンバー化も行われています。ここに「守りながら攻める」というS140系の二面性が見えます。全方位に対応しようとした結果、ラインナップは非常に幅広くなりました。

    マジェスタの誕生という事件

    S140系世代で最大のトピックは、クラウンマジェスタの新設です。型式でいえばJZS149やUZS141など。V8エンジンの1UZ-FEを搭載し、セルシオと同じパワートレインをクラウンのボディに収めるという、ある意味で力技の商品でした。

    なぜマジェスタが必要だったのか。理由はシンプルで、セルシオに流れかけた上顧客を「クラウン」の名のもとに引き留めるためです。クラウンという名前に愛着を持つ層は確実に存在していました。彼らに「セルシオに乗り換えなくても、クラウンで最上級が手に入る」と伝える必要があったのです。

    4.0L V8という心臓を得たマジェスタは、静粛性と滑らかさにおいてロイヤル系とは明確に差別化されていました。ただし車体の基本骨格はクラウンのものであり、セルシオほどの専用設計ではありません。この「クラウンの延長線上にある最上級」というポジションが、マジェスタの強みであり限界でもありました。

    エンジンと足回り——直6への執着

    S140系のエンジンラインナップは多岐にわたりますが、主力はやはり直列6気筒です。2.0Lの1G-FE、2.5Lの1JZ-GE、そしてツインターボの1JZ-GTE。特に1JZ系エンジンはこの世代で本格的にクラウンの主力となり、以後の世代にも受け継がれていきます。

    1JZ-GTEは280馬力を発生するツインターボユニットで、アスリート系に搭載されました。クラウンに280馬力が必要だったのかという議論はありますが、当時は馬力競争の真っ只中です。スカイラインGT-Rが280馬力、スープラが280馬力という時代に、クラウンだけ控えめにするわけにはいかなかったのでしょう。

    足回りはフロントがダブルウィッシュボーン、リアもマルチリンク式を採用しています。先代から引き続き四輪独立懸架を守りつつ、乗り心地の柔らかさを重視したセッティングでした。スポーティさよりも「いなし」の巧さを優先する、いかにもクラウンらしい味付けです。

    豪華装備の洪水と、その意味

    S140系を語るとき、装備の豪華さは外せません。エアサスペンション、電動カーテン、GPSナビゲーション、本木目パネル。今では当たり前になった装備の多くが、この時代のクラウンで普及の足がかりを得ています。

    特にGPSナビゲーションは注目に値します。1990年代初頭のカーナビはまだ高価で珍しい装備でしたが、クラウンはいち早くオプション設定しました。トヨタが「ハイテク装備を最初にクラウンで出す」という慣例を作ったのは、この時代が大きいです。

    ただ、この装備の山が結果的にクラウンの車重を増やし、価格を押し上げたことも事実です。バブル崩壊後の消費マインドの冷え込みの中で、「豪華だが高い」クラウンは次第に苦しい立場に置かれていきます。

    時代の変わり目に立ったクラウン

    S140系の販売期間は1991年から1995年。まさにバブル崩壊の影響が本格化した時期と重なります。法人需要は底堅かったものの、個人ユーザーの購買意欲は確実に落ちていました。

    さらに、この時期はRVブーム——つまりSUVやミニバンへの関心が急速に高まった時代でもあります。「いつかはクラウン」と言っていた層の子ども世代は、もうセダンに憧れていませんでした。クラウン神話の揺らぎが、静かに、しかし確実に始まっていたのです。

    S140系自体が失敗作だったわけではありません。むしろ、与えられた条件の中で最大限の仕事をした世代です。マジェスタという新しい頂点を作り、1JZ系エンジンという名機を定着させ、装備面でも時代の先端を走りました。

    重厚長大の到達点として

    振り返ってみると、S140系は「足し算の設計」が許された最後のクラウンだったように思えます。次の10代目S150系では、時代の要請を受けてより合理的な方向へ舵を切ることになります。

    バブルの残り香の中で、エンジンも装備もラインナップも「全部盛り」で仕上げられた9代目。それは贅沢であると同時に、ある種の無邪気さでもありました。お金をかければいいものができるという信仰が、まだかろうじて成立していた時代の車です。

    クラウンの系譜の中でS140系は、派手な革新よりも「らしさ」の集大成として記憶されるべき世代です。

    守るべきものを全力で守り、盛れるだけ盛った。

    その姿勢が時代遅れになるのは、もう少し先の話です。

  • クラウン – S210系【「いつかはクラウン」の最終形態】

    クラウン – S210系【「いつかはクラウン」の最終形態】

    「いつかはクラウン」という言葉が、まだかろうじて意味を持っていた最後の世代かもしれません。

    2012年に登場した14代目クラウン・S210系は、伝統のFRセダンという形式を守りながら、同時にそのフォーマット自体の限界とも向き合わなければならなかった一台です。

    結果として生まれたのは、保守と革新を両方やろうとした、極めてトヨタらしいクルマでした。

    ピンクのクラウンが意味したこと

    S210系クラウンを語るうえで避けて通れないのが、発売時に大きな話題を呼んだ「ピンクのクラウン」です。正式にはリボーンピンクと呼ばれたこの特別仕様は、2013年の発売直後に期間限定で設定されました。SNSやニュースで一気に拡散され、クラウンという名前を普段クルマに興味のない層にまで届けた。

    ただ、あれは単なる話題づくりではありません。背景にあったのは、クラウンのユーザー層の高齢化という深刻な課題です。先代のS200系(13代目)の時点で、クラウンの購買層の平均年齢は60代後半に達していたとされています。このまま何もしなければ、クラウンは「おじいちゃんのクルマ」として静かに消えていく。その危機感が、あのピンクを生んだわけです。

    豊田章男社長(当時)が「クラウンを壊してもいい」と開発陣に伝えたという話は、当時のメディアでも繰り返し紹介されました。壊すというのは、もちろん物理的にではなく、「クラウンとはこうあるべき」という固定観念のことです。この号令がなければ、S210系はもっとおとなしいクルマになっていたはずです。

    FRセダンとしての正常進化

    とはいえ、ピンクのインパクトばかりが語られるのはもったいない。S210系の本質は、FRセダンとしての完成度を一段引き上げたところにあります。

    プラットフォームは先代S200系から引き続きゼロクラウン(S180系)以来の流れを汲むものですが、ボディ剛性の向上やサスペンションジオメトリーの見直しが徹底されました。特にロイヤル系に採用された2.5Lハイブリッド(2AR-FSE+モーター)は、先代から大幅に制御を改良し、動力性能と燃費のバランスを高い次元で両立させています。JC08モード燃費で23.2km/Lという数値は、このクラスのFRセダンとしては驚異的でした。

    アスリート系には3.5L V6の2GR-FSEも引き続き設定され、こちらはスポーティな走りを求める層に応えています。ただし、時代の主役は明確にハイブリッドへ移っていました。実際、販売の中心はロイヤルハイブリッドとアスリートハイブリッドに集中しています。

    「つながる」への布石

    S210系でもうひとつ見逃せないのが、コネクティッド機能への本格的な踏み込みです。トヨタはこの世代のクラウンに、DCM(車載通信機)を標準搭載しました。これはトヨタの量販車としては先駆的な取り組みです。

    2018年のマイナーチェンジ(実質的に大幅改良を受けた後期型、通称「220系」と混同されがちですが、S210系自体も2015年の改良で通信機能を強化しています)に至る流れの中で、クラウンは「つながるクルマ」の実験台としての役割も担っていました。

    要するに、クラウンはトヨタにとって単なる高級セダンではなく、新技術を最初に載せるショーケースでもあったわけです。これは初代から続くクラウンの伝統でもあります。日本初の純国産乗用車として誕生した初代クラウンの精神は、形を変えてこの世代にも受け継がれていました。

    保守層との綱引き

    ただし、S210系には明確なジレンマもありました。若返りを図りたいという意志と、既存の顧客を手放せないという現実の間で、デザインも商品企画も綱引き状態だったのです。

    エクステリアは、先代よりもワイド感を強調した造形になりました。特にアスリート系のフロントフェイスはかなり押し出しが強く、従来のクラウンユーザーからは賛否が分かれています。一方でロイヤル系は比較的穏やかな顔つきを維持しており、この「二枚看板」戦略自体が、ターゲットの分裂を物語っていました。

    インテリアに目を向けると、質感は確実に向上しています。しかし、レクサスGS(L10系)やドイツ勢のEセグメントと比較すると、素材の選び方や仕立ての思想にやや古さが残る部分もありました。クラウンが「国内専用車」であるがゆえに、グローバル競争の中で磨かれるレクサスとの差が、この世代あたりから目に見えるようになってきたのです。

    「最後のFRクラウン」前夜

    S210系の後を継いだ15代目・S220系(2018年〜)は、「アスリート」「ロイヤル」「マジェスタ」というグレード体系を廃止し、クラウンを一本化するという大改革に踏み切りました。そしてその次の16代目では、ついにクロスオーバーやスポーツといったセダン以外のボディ形態にまで拡張されています。

    つまりS210系は、「ロイヤル」「アスリート」「マジェスタ」という三本柱が揃った最後のクラウンでもあるのです。この体系は、S170系(11代目)でアスリートが登場して以来、長らくクラウンの商品構成の骨格を成してきました。それが終わったという事実は、クラウンの歴史の中でも大きな転換点です。

    マジェスタについても触れておくべきでしょう。S210系のマジェスタは、先代まで独立した車種だったものがクラウンのグレードとして統合された形です。2.5Lハイブリッドではなく3.5Lハイブリッド(2GR-FXE)を搭載し、ホイールベースも延長されています。ショーファー的な使い方にも対応するこのグレードの存在が、S210系クラウンの守備範囲の広さを示していました。

    「日本のセダン」が持っていた意味

    S210系クラウンは、革命的なクルマではありません。むしろ、伝統的なFRセダンという形式の中で、できることをすべてやろうとした集大成に近い存在です。

    ハイブリッドで燃費を稼ぎ、コネクティッドで時代に追いつき、デザインで若返りを図り、それでいてロイヤルの静粛性やマジェスタの格式は手放さない。全方位に気を配った結果、どこかひとつが突き抜けるということはなかったかもしれません。でも、それこそがクラウンというクルマの宿命でもあります。

    日本の道路事情に合わせた5ナンバーサイズから始まり、時代とともに大きくなり、豪華になり、速くなり、そしてついにはセダンという枠すら超えていった。S210系は、その長い物語の中で「セダンとしてのクラウン」が最も成熟した瞬間のひとつとして記憶される一台です。

    派手な一台ではないかもしれない。

    でも、60年以上続いた「日本の高級セダン」という概念が、どこに行き着いたのかを知りたければ、このクルマを見るのがいちばん早いと思います。

  • クラウン – S180系【ゼロクラウンという名の全否定と再構築】

    クラウン – S180系【ゼロクラウンという名の全否定と再構築】

    「過去のクラウンを、全部やめる」

    メーカー自身がそう言い切った車は、そうそうありません。

    2003年に登場した12代目クラウン、型式S180系。通称「ゼロクラウン」。

    このあだ名は、トヨタ自身がキャッチコピーとして打ち出した「ZERO CROWN」に由来します。

    つまりこれは後から付いた愛称ではなく、メーカーが最初から「原点回帰」ではなく「リセット」を宣言した、かなり異例のモデルでした。

    なぜ「ゼロ」にする必要があったのか

    12代目を語るには、まず11代目・S170系の置かれていた状況を知る必要があります。S170系は2000年前後のクラウンですが、当時のクラウンは正直なところ、じわじわと存在感を失いつつありました。

    理由はいくつかあります。まず、ユーザーの高齢化。クラウンの購買層は年々上がり続け、「若い人が欲しがらない車」という印象が定着しつつありました。加えて、輸入車の攻勢。BMWの3シリーズやメルセデスのCクラスが日本市場で確実にシェアを伸ばしていた時代です。

    さらに厄介だったのが、トヨタ自身のラインナップです。セルシオ(レクサスLS)が上にいて、マークIIの系譜が下から突き上げる。クラウンは「高級車だけど最上級ではない」「スポーティでもない」という、どっちつかずのポジションに追い込まれていました。

    要するに、マイナーチェンジの延長線上では、もうどうにもならない。そういう危機感が、「ゼロからやり直す」という判断の背景にあったわけです。

    プラットフォームもエンジンも全部変えた

    ゼロクラウンの「ゼロ」は、言葉だけではありませんでした。実際に、ほぼすべての主要コンポーネントが新設計です。

    まずプラットフォーム。S180系では新世代の「Nプラットフォーム」を採用しています。これはクラウン専用に開発されたもので、先代までのプラットフォームとは設計思想からして別物です。ホイールベースを延長しながらも、車体剛性を大幅に引き上げ、重心を下げる。走りの質を根本から変えようとした設計でした。

    サスペンションも刷新されています。フロントはダブルウィッシュボーン、リアはマルチリンク。先代のストラット式フロントサスから変更したことで、操舵時のフィーリングが明確に変わりました。クラウンといえば「ふわふわした乗り心地」のイメージが根強かったのですが、S180系はそこに明確にメスを入れています。

    エンジンもまったくの新開発です。搭載されたのはGRエンジンシリーズ。2.5Lの4GR-FSE、3.0Lの3GR-FSE、そしてロイヤルサルーン系の上位やアスリート系に積まれた3.0Lの3GR-FSEに加え、後に2GR-FSEという3.5L V6も追加されます。いずれも直噴技術(D-4S)を採用し、先代のJZエンジン系列から完全に世代交代しました。

    特に注目すべきは、直列6気筒からV型6気筒への転換です。クラウンといえば長らく直6が定番でしたが、S180系でV6に統一されました。これはエンジンルームのレイアウト自由度や衝突安全性の確保といった実利的な理由が大きいのですが、「クラウンの直6」に思い入れのあるファンにとっては、まさに象徴的な決別でした。

    アスリートという回答

    S180系を語るうえで外せないのが、「クラウン アスリート」の存在感です。アスリート自体はS150系(10代目)から設定されていましたが、本格的に「走りのクラウン」として市場に刺さったのは、このS180系からだと言っていいでしょう。

    アスリートには専用のサスペンションセッティングが施され、18インチタイヤが標準装備されるグレードもありました。ロイヤル系がショーファードリブン的な快適性を残す一方で、アスリートは「自分で運転して楽しいクラウン」を明確に打ち出しています。

    これは単なるグレード戦略ではなく、クラウンの顧客層を若返らせるための切り札でした。実際、S180系のアスリートは30〜40代のオーナーを相当数取り込むことに成功しています。BMW 3シリーズやメルセデスCクラスに流れていた層を、国産セダンで引き戻す。それがアスリートに課されたミッションであり、S180系はそのミッションを初めて本気で遂行した世代です。

    内装と電子装備の世代交代

    走りだけでなく、室内の設計思想もS180系では大きく変わっています。先代までのクラウンの内装は、良く言えば重厚、悪く言えば古典的でした。木目パネルにベロア生地、いかにも「偉い人の車」という空気感です。

    S180系ではインパネのデザインがモダンになり、メーターまわりにはオプティトロンメーターが採用されました。ナビゲーションシステムもHDDナビが標準的に設定され、当時としてはかなり先進的な情報系装備を備えています。

    地味ですが重要なのが、ステアリングフィールの改善です。電動パワーステアリングの採用により、速度域に応じたアシスト量の変化がより緻密になりました。「クラウンのハンドルは軽すぎて何も伝わらない」という従来の批判に対して、S180系はかなり意識的に応えています。

    弱点がなかったわけではない

    ただし、すべてが絶賛されたわけではありません。直噴エンジンの初期モデルでは、カーボン堆積による不調が報告されるケースがありました。D-4S直噴はトヨタにとっても新しい技術であり、初期ロットにはそれなりの課題があったのは事実です。

    また、「ゼロクラウン」というコンセプト自体に対して、従来のクラウンユーザーからは戸惑いの声もありました。乗り味が引き締まったことを「硬い」と感じる層は確実にいましたし、V6への転換を「クラウンらしさの喪失」と受け取る人もいました。

    つまりS180系は、新しい顧客を獲得する代わりに、旧来のファンの一部を手放すリスクを取ったモデルです。そしてトヨタはそのリスクを承知のうえで踏み切った。その判断の是非は、後の販売実績が証明しています。S180系は登場直後から好調な販売を記録し、クラウンの世代交代を成功させました。

    ゼロクラウンが残したもの

    S180系が系譜上で持つ意味は、非常に大きいです。このモデルで確立された「ロイヤルとアスリートの二本柱」という構造は、後継のS200系(13代目)、S210系(14代目)にもそのまま引き継がれています。

    V6エンジンへの統一、走行性能の本格的な引き上げ、輸入車を意識した商品企画。これらはすべてS180系で方向が定まり、以降のクラウンはその延長線上で進化していきました。2018年に登場した15代目S220系でクラウンが再び大きな転換を迎えるまで、S180系が敷いた路線は約15年間にわたって基本骨格であり続けたことになります。

    「ゼロ」と名乗ることは、過去の蓄積を否定することでもあります。50年近い歴史を持つ車種でそれをやるのは、相当な覚悟がいる。けれどS180系は、その覚悟に見合うだけの中身を伴っていました。だからこそ「ゼロクラウン」という呼び名は、揶揄ではなく敬意をもって語り継がれているのだと思います。

  • 7代目 クラウン – S120系【「いつかはクラウン」が生まれた世代】

    7代目 クラウン – S120系【「いつかはクラウン」が生まれた世代】

    「いつかはクラウン」。日本の自動車CMの歴史において、これほど広く長く記憶されたコピーはそう多くありません。

    このフレーズが生まれたのが、1983年に登場した7代目クラウン、S120系です。

    ただ、この言葉がなぜこの世代で生まれたのかを考えると、単なる広告の話では済まない。

    クラウンという車種が、日本の高級車市場のなかで自分の立ち位置を明確に定義し直した、そういう転換点だったからです。

    バブル前夜、高級車の定義が変わりはじめた時代

    S120系が登場した1983年は、日本経済がまさに上昇気流に乗りはじめた時期にあたります。プラザ合意は1985年ですから、まだ円高・バブルの本番は先。しかし、国内の消費意欲は確実に高まりつつあり、「いい車に乗ること」が社会的なステータスとして強い意味を持っていた時代です。

    この頃、クラウンの競合環境も変わりつつありました。日産はセドリック/グロリアのY30系を同年に投入し、V6エンジンで攻勢をかけています。さらに輸入車の存在感も少しずつ増していた。クラウンは「日本の高級車の代名詞」であり続けるために、ただモデルチェンジするだけでは足りない。もう一段、格を上げる必要があったわけです。

    先代の課題を引き受けた開発

    先代にあたる6代目・S110系は、クラウン史上でもやや評価が割れるモデルでした。4ドアピラードハードトップを新設するなど意欲的な試みはあったものの、デザイン面では保守的すぎるという声と、新しさが足りないという声が入り混じっていた。つまり、クラウンの伝統を守りながらどう新しさを出すかという永遠の課題が、7代目にはより切実に突きつけられていたのです。

    トヨタがこの世代で選んだ方向性は、「品格の再定義」でした。外観は直線基調のシャープなラインで構成されつつも、押し出しの強さと端正さを両立させたデザインに仕上がっています。特に4ドアハードトップは、Bピラーを廃したすっきりとしたサイドビューが当時の高級車像にぴたりとはまり、大きな人気を集めました。

    「ロイヤル」と「アスリート」の原型

    S120系を語るうえで外せないのが、グレード体系の整理です。この世代でロイヤルサルーンというグレード名が確立され、クラウンの最上級仕様としての地位を明確にしました。後に「ロイヤル系」「アスリート系」という二本柱に発展していくクラウンのグレード戦略は、このS120系が出発点と言っていいでしょう。

    つまり、「クラウンとはどういう車か」をグレード名の段階から定義しにいった世代なのです。それまでのクラウンは、上位グレードと下位グレードの差はあっても、キャラクターの方向性は基本的にひとつでした。ロイヤルサルーンという名前を冠することで、「フォーマルで上質な高級車」という軸を言語化した。これは商品企画として非常に大きな一歩です。

    エンジンと技術の見どころ

    パワートレインでは、直列6気筒の1G-GEU型(2.0L、ツインカム24バルブ)が話題を集めました。クラウンにツインカムという組み合わせは、当時としてはかなり攻めた選択です。高級車に走りの性能を持ち込むという発想は、のちのアスリート系に通じる伏線でもあります。

    もちろん、主力はあくまで5M-GEU型の2.8L直6や、後に追加される3.0Lの6M-GEU型です。とくに3.0Lモデルは、排気量による余裕のある走りと静粛性で、「クラウンらしさ」を体現していました。ディーゼルエンジンも設定されており、法人需要やタクシー用途にもしっかり対応するあたりは、クラウンの実用車としての側面を忘れていない証拠です。

    足回りでは、上級グレードにエアサスペンションが採用されました。電子制御で車高や減衰力を調整するこのシステムは、当時の国産車としては先進的な装備です。乗り心地の良さを技術で裏付けるという姿勢が、この世代のクラウンには一貫して感じられます。

    「いつかはクラウン」が刺さった理由

    冒頭で触れた「いつかはクラウン」というコピーに、もう少し踏み込んでおきます。このフレーズが秀逸だったのは、クラウンを「今すぐ買える車」としてではなく、「人生の到達点に置かれるべき車」として位置づけた点です。

    これは裏を返せば、クラウンの顧客層が明確に上の世代であることを認めたうえで、若い層にも「いつかは」と思わせるブランド戦略です。実際にこの時代、30代のサラリーマンがクラウンを新車で買うのは簡単ではなかった。でも「いつかは」と思わせることで、ブランドへの憧れを長期的に醸成する。これは自動車マーケティングとして極めて巧みでした。

    そしてこのコピーが機能したのは、S120系という車自体に「憧れるに足る品格」があったからです。デザイン、装備、乗り味、グレード体系。すべてが「日本のフォーマルセダンの頂点」を自認する水準に仕上がっていたからこそ、あの言葉は空疎なスローガンにならずに済んだのです。

    クラウン史における分水嶺

    S120系は、販売面でも大きな成功を収めました。4ドアハードトップの人気は特に高く、この世代以降、クラウンといえばハードトップという認識が定着していきます。セダンとハードトップの二本立てというボディ構成も、この世代で完全に確立されました。

    後継のS130系(8代目)は、このS120系の路線をさらに洗練させる形で進化しています。つまりS120系は、クラウンが「伝統の高級車」から「戦略的に設計された高級ブランド」へと変わるターニングポイントだった。ロイヤルサルーンの確立、ハードトップ人気の定着、そしてあのキャッチコピー。どれもこの世代で生まれたものです。

    7代目クラウンは、クラウンが「なんとなく偉い車」だった時代を終わらせ、「なぜ偉いのか」を自ら言語化した世代です。

    それは車としての完成度だけでなく、ブランディングという概念を日本の自動車史に持ち込んだという意味でも、記憶されるべきモデルだと思います。

  • クラウン – S60/70系【「白いクラウン」が壊した常識】

    クラウン – S60/70系【「白いクラウン」が壊した常識】

    クラウンといえば黒塗りの法人車。

    1960年代後半まで、その印象は揺るぎないものでした。

    ところが4代目クラウン、通称S60/70系は「白いクラウン」という衝撃的なキャッチコピーとともに登場し、クラウンの客層そのものを塗り替えようとしました。

    保守的であることがブランドの根幹だったクラウンが、なぜこのタイミングで攻めに転じたのか。

    その背景を読み解くと、1960年代後半の日本の自動車産業が直面していた構造変化が見えてきます。

    黒から白へ──商品企画の大転換

    1971年に登場した4代目クラウンは、「白いクラウン」のキャッチコピーで世に出ました。当時のクラウンは法人需要が圧倒的で、ボディカラーは黒が常識。タクシーやハイヤー、官公庁の公用車として使われることが多く、個人オーナーが自分の趣味で選ぶクルマという印象は薄かったのです。

    トヨタがここで白を打ち出したのは、単なるカラーバリエーションの話ではありません。「クラウンを個人ユーザーのクルマにしたい」という、商品企画の根本的な方向転換でした。日本のモータリゼーションが急速に進み、個人の所得水準が上がっていた時代です。法人需要だけに頼っていては、いずれ成長の天井にぶつかる。その危機感が、クラウンの「脱・黒塗り」を後押ししました。

    結果として、この戦略は大きく当たります。白いクラウンは個人オーナー層に刺さり、クラウンのイメージを「偉い人が乗せてもらうクルマ」から「成功した人が自分で選ぶクルマ」へと変えていきました。後のクラウンが個人ユーザー比率を高めていく流れは、この4代目が起点だったといっていいでしょう。

    ペリメーターフレームという構造的な決断

    商品企画だけでなく、技術面でもS60/70系は大きな転換を遂げています。最も重要なのは、ペリメーターフレームの採用です。従来のはしご型フレームに代わり、車体の外周に沿ってフレームを配置する構造に切り替えました。

    ペリメーターフレームの狙いは明快です。フロア面を低くできるため、室内空間が広がる。同時に、フレームとボディの結合点が増えるため、剛性も向上する。乗用車としての快適性を高めつつ、フレーム構造の堅牢さも維持するという、いわば「いいとこ取り」の設計思想です。

    当時、日産のセドリック/グロリアはすでにモノコック構造に移行していました。トヨタがあえてフレーム構造を残したのは、クラウンの用途──つまり法人車やタクシーとしての耐久性要求──を無視できなかったからです。ただし、旧来のはしご型のままでは乗用車としての進化に限界がある。ペリメーターフレームは、その両方の要求に応えるための現実的な解でした。

    スピンドルシェイプと新しいデザイン言語

    4代目クラウンのスタイリングは、スピンドルシェイプと呼ばれる紡錘形のボディラインが特徴です。ウエストラインを絞り、フェンダーを張り出させることで、それまでの箱型セダンとは明確に異なるシルエットを作り出しました。

    このデザインには賛否がありました。保守的なクラウンユーザーからすれば、急に派手になったように見えたはずです。しかしトヨタの狙いは、まさにそこにありました。「白いクラウン」のコンセプトと同じく、若い個人オーナーに「欲しい」と思わせるためには、見た目からして変えなければならなかったのです。

    また、ハードトップモデルが設定されたのも4代目の大きなトピックです。ピラーレスのスタイリッシュなシルエットは、まさに個人ユーザー向けの商品。セダンとハードトップの二本立てという構成は、以降のクラウンでも長く続く定番のフォーマットになりました。

    エンジンラインナップと実用性の幅

    パワートレインは、直列6気筒のM型系エンジンが中心でした。2.0リッターのM型、2.3リッターの2M型、そして2.6リッターの4M型といったラインナップが揃えられ、用途に応じた選択肢が用意されています。

    特に4M型の2.6リッターSOHCは、当時の国産セダンとしてはかなり余裕のある排気量でした。高速道路網の整備が進んでいた時代、長距離を快適に移動するための動力性能は重要なセールスポイントだったのです。

    一方で、タクシー向けにはLPG仕様も設定されるなど、法人需要を切り捨てたわけではありません。個人向けに華やかなイメージを打ち出しつつ、実需もしっかり押さえる。このあたりのバランス感覚は、トヨタらしいと言えます。

    3代目の反省と4代目の挑戦

    4代目の方向性を理解するには、先代である3代目クラウン(S50系)の経緯を知っておく必要があります。3代目は1967年に登場しましたが、当初の評価は必ずしも高くありませんでした。特にフロントサスペンションの問題が指摘され、マイナーチェンジで大幅な改良を余儀なくされています。

    この経験がトヨタに与えた教訓は大きかったはずです。4代目では足回りの設計が見直され、フロントにダブルウィッシュボーン、リアにはトレーリングアーム式の4リンクが採用されました。乗り心地と操縦安定性の両立を、フレーム構造の中でどこまで追求できるか。その回答が、ペリメーターフレームと新しいサスペンション設計の組み合わせだったわけです。

    つまり4代目クラウンは、3代目での躓きを踏まえた「リベンジ」の側面も持っていました。商品企画で攻めると同時に、基本性能では確実に前進する。攻守のバランスが取れていたからこそ、4代目は成功を収めることができたのです。

    クラウン史における分水嶺

    S60/70系クラウンは、クラウンの歴史において明確な分水嶺です。それまでの「保守と格式」から、「個人の豊かさの象徴」へ。この転換がなければ、後の「いつかはクラウン」というキャッチコピーも生まれなかったでしょう。

    技術的にも、ペリメーターフレームの導入はクラウンのフレーム構造を延命させる重要な判断でした。モノコック化を選ばなかったことで、クラウンは他の国産高級セダンとは異なる乗り味──重厚で、どっしりとした走り──を長く維持することになります。良くも悪くも、クラウンらしさの骨格がここで固まったのです。

    「白いクラウン」という一見キャッチーなだけのフレーズの裏には、商品企画の大転換、構造設計の刷新、先代の反省という三つの重い決断が重なっていました。

    4代目クラウンは、クラウンが「国民車の頂点」になるための土台を築いた、地味だけれど決定的に重要な一台です。