ブルーバードという名前に、どんなイメージを持つでしょうか。
技術の日産を支えた大衆車。サファリラリーを走った硬派なセダン。あるいは、いつの間にか存在感が薄くなっていった中型車。
どれも間違いではありません。ただ、その長い歴史の中で「ブルーバードの性格が変わった」と言える瞬間がいくつかあります。
1971年に登場したP610型は、まさにそのひとつです。
510の成功が生んだ「次」への圧力
P610の話をするには、まず先代の510型に触れないわけにはいきません。510ブルーバードは、1967年の登場以来、国内外で高い評価を得ました。とくに北米市場では「ダットサン510」として、コンパクトで軽快なスポーツセダンとして人気を博しています。SSS(スーパースポーツセダン)グレードのイメージも強く、モータースポーツでの活躍もあって、ブルーバード史上もっとも「走り」のイメージが濃い世代だったと言えます。
ところが、成功した車の後継というのは厄介なものです。510の評価が高ければ高いほど、次のモデルには「もっと上」を求める声と「あの良さを守れ」という声が同時に押し寄せます。そして日産が選んだのは、明確に「上」へ向かう道でした。
大型化とL型エンジンという選択
P610型で最も目立つ変化は、ボディの大型化です。全長・全幅ともに先代より一回り大きくなり、室内空間にも明らかな余裕が生まれました。510が持っていたコンパクトさ、凝縮感とは違う方向性です。
エンジンも変わりました。510型の主力だったL13型・L16型に加え、P610ではL18型(1,770cc)が新たに搭載されています。L型エンジンは日産の直列4気筒OHCユニットとして幅広い車種に使われたシリーズですが、排気量を拡大して搭載したことで、ブルーバードの「格」を一段引き上げようとした意図が見えます。
つまり、P610は「より広く、より力強く、より上質に」という方向で企画された車です。1970年代初頭の日本では、マイカーブームが一巡し、ユーザーの目が「次の一台」に向き始めていました。最初の一台としてカローラやサニーを買った層が、次はもう少し上のクラスを求める。その受け皿として、ブルーバードが大きくなるのは自然な流れだったとも言えます。
時代が求めた「高級化」の空気
P610が高級路線に舵を切った背景には、日産社内の事情もあります。当時の日産のラインナップでは、ブルーバードの上にはセドリック/グロリアがありましたが、その間を埋める車種が手薄でした。ローレル(C130系)が同時期にその役割を担い始めていたとはいえ、ブルーバード自体も「少し上」に動くことで、ラインナップ全体の厚みを出す狙いがあったと考えられます。
競合のトヨタを見れば、コロナとマークIIの二段構えで中型車市場をきっちり押さえていました。日産としても、ブルーバードをコロナの真正面だけに置いておくわけにはいかなかったのです。
加えて、1970年代は排出ガス規制の波が押し寄せ始めた時期でもあります。エンジンの出力を絞らざるを得ない状況で、車としての魅力をどこで出すか。走りのキレだけでは勝負しにくくなる時代に、快適性や質感で勝負する方向は、ある意味で合理的な判断でした。
デザインと走りの評価は割れた
P610のエクステリアデザインは、510の端正さとはかなり趣が異なります。丸みを帯びたボディラインに大型のグリル。好き嫌いが分かれるデザインだったのは確かです。510のシャープさを愛したファンからは「太った」「鈍くなった」という声もありました。
走りの面でも、大型化と重量増は隠しようがありません。510のSSSが持っていた軽快なハンドリングを期待した層にとっては、やや物足りなさがあったでしょう。もちろんSSSグレードは引き続き設定されており、L18型エンジンとの組み合わせで動力性能自体は向上しています。ただ、「速さ」と「軽快さ」は別物です。P610は速くなったけれど、軽くはなかった。
一方で、ファミリーユースの観点から見れば、室内の広さや乗り心地の向上は明確な進歩です。後席の居住性、トランク容量、静粛性。こうした実用面での改善は、実際に家族を乗せて走るオーナーには歓迎されました。評価が割れたのは、ブルーバードに何を求めるかによって、見え方がまるで違ったからです。
「U」へ続く高級化の起点
P610の後継として1976年に登場した810型は、さらに高級化を推し進めます。そしてその次の910型(1979年)で「ブルーバードは実用セダンとしての完成度で勝負する車」という路線が定着していきました。つまりP610は、ブルーバードが「走りのセダン」から「上質な中型車」へと軸足を移す、最初の一歩だったわけです。
後年、U12やU13の世代で「ブルーバードらしさとは何か」が繰り返し問われることになりますが、その問いの原点はP610にあると言ってもいいかもしれません。510が作った「走りのブルーバード」像を手放し、別の価値で勝負すると決めた世代。それがP610です。
もちろん、大型化と高級化が「正解だったか」は一概には言えません。ただ、1971年という時代に立ってみれば、日産がその選択をした理由は十分に理解できます。マーケットが上を求め、規制が走りを制限し、競合が隙間を埋めてくる。そのなかで、ブルーバードは「大きくなる」と決めた。P610は、その決断が形になった最初の車です。

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