ブルーバードという名前に、どんなイメージを持つでしょうか。
堅実なファミリーセダン、お父さんのクルマ、あるいは「技術の日産」を支えた屋台骨。どれも間違いではありません。
ただ、1987年に登場した7代目・U12型は、その印象をかなり塗り替えにかかったモデルでした。後に日産の主力ユニットとなるSR20エンジンを初めて積み、スポーツグレードを本気で拡充した一台。
「走り」を語れるブルーバードとして、このクルマはひとつの頂点だったと言えます。
ブルーバードが「走り」に振れた時代背景
1980年代後半の日本は、バブル経済の追い風もあってクルマの高性能化が一気に加速した時期です。ユーザーは実用性だけでなく、走りの質やスポーティさを求めるようになっていました。ミドルクラスセダンでさえ、ただ広くて燃費がいいだけでは戦えない空気がありました。
先代のU11型ブルーバードは、直線基調のシャープなデザインと4WDターボモデルの投入でそれなりに存在感を示していました。ただ、ライバルであるトヨタ・コロナやホンダ・アコードも着々と進化しており、日産としてはブルーバードの商品力をもう一段引き上げる必要があった。U12型は、そうした競争環境のなかで「走り」を明確な武器にしようとした世代です。
SR20エンジンという転換点
U12型を語るうえで外せないのが、SR20型エンジンの初搭載です。SR20DE、つまり2.0リッター直列4気筒DOHCの自然吸気ユニット。このエンジンは後にシルビアやプリメーラなど日産の多くの車種に載ることになる、いわば「日産の90年代を支えた心臓」の原点でした。
それまでのブルーバードに積まれていたCA型エンジンと比べると、SR20DEはレスポンスの鋭さとトルクの厚みが段違いでした。140馬力という数値自体は今の感覚では控えめですが、1.2トン台のボディに載せれば十分に軽快です。高回転まで気持ちよく回り、日常域でもトルクが痩せない。実用エンジンでありながら回す楽しさがある、という絶妙なバランスが持ち味でした。
さらにターボ仕様のSR20DETも用意されています。こちらは最高出力205馬力。1980年代末のミドルセダンとしては相当な数字です。この「ファミリーセダンの顔をして200馬力オーバー」という構図は、当時の日産がブルーバードに何を期待していたかをよく物語っています。
SSSという看板の本気度
ブルーバードのスポーツグレードといえば、SSS(スーパースポーツセダン)の名が欠かせません。この名前自体は1960年代の410型から続く由緒あるもので、ブルーバードの走りの系譜そのものです。U12型では、このSSSがかなり本気の仕立てになっていました。
SSS系グレードには前述のSR20DE/DETが搭載され、足回りも専用セッティングが施されています。フロントにマクファーソンストラット、リアにマルチリンクというサスペンション構成は、当時のこのクラスとしては凝った設計でした。とくにリアのマルチリンクは、コーナリング時の安定性と乗り心地の両立に効いています。
加えて、ビスカスカップリング式のフルタイム4WDモデルも設定されていました。ATTESA(アテーサ)と呼ばれるこのシステムは、後にスカイラインGT-Rで有名になるATTESA E-TSの前身にあたる技術です。ブルーバードのようなミドルセダンで4WDターボという組み合わせは、ラリーフィールドを意識したものでもありました。実際、U12型ブルーバードはオーストラリアやアジアのラリーで実戦投入されています。
デザインとパッケージの割り切り
U12型のエクステリアは、先代U11の直線的なシャープさから一転して、やや丸みを帯びた流線型に変わりました。1980年代後半は空力を意識したデザインが世界的なトレンドで、U12もその流れに乗った形です。Cd値(空気抵抗係数)の低減は、高速巡航時の安定性や燃費にも直結します。
ボディバリエーションは4ドアセダンとハードトップの2本立て。ハードトップはBピラーを持たないスタイルで、見た目のスマートさを重視した仕様です。当時の日産はローレルやセフィーロでもハードトップを展開しており、U12ブルーバードもその流れのなかにありました。
室内は、決して広々というわけではありません。走りを重視した結果、ホイールベースの使い方がやや走行性能寄りになっている印象があります。ファミリーユースだけを考えるなら、同時期のコロナやアコードのほうがゆとりがあったかもしれません。ただ、それはU12が何を優先したかの裏返しでもあります。
評価と限界、そして残したもの
U12型ブルーバードは、走りの面では高い評価を受けました。とくにSR20エンジンの出来は「ブルーバードにはもったいない」とまで言われたほどです。SSSの4WDターボモデルは、当時のスポーツセダンとしてかなり戦闘力の高い一台でした。
一方で、販売面ではやや苦戦した側面もあります。1980年代末から1990年代初頭にかけて、日産は車種を増やしすぎていました。ブルーバードの上にはローレル、横にはスタンザ、下にはパルサーと、似たような価格帯・サイズのクルマがひしめいていた。ユーザーから見ると「どれを選べばいいのか」がわかりにくくなっていたのです。
また、ブルーバードという名前自体が持つ「堅実なセダン」のイメージと、U12が目指した「走りのスポーツセダン」の方向性が、必ずしも噛み合っていなかったという指摘もあります。走りを求める層はシルビアやスカイラインに流れ、実用性を求める層はもっと穏やかなクルマを選ぶ。U12はその間で、少し居場所を見つけにくかった部分があったのかもしれません。
それでも、U12型が残した遺産は大きいものでした。SR20エンジンはここから始まったという事実だけでも、日産の歴史における存在意義は十分です。ATTESA 4WDの技術的蓄積もまた、後のGT-Rへとつながっていきます。
走るブルーバードの、最も濃い一滴
ブルーバードの歴史を振り返ると、世代ごとに「実用重視」と「走り重視」の振り子が揺れてきたことがわかります。U12型は、その振り子がもっとも走り側に振れた世代でした。
後継のU13型は再びデザインや快適性に軸足を移し、U14型を最後にブルーバードの名前はシルフィへと引き継がれていきます。SSSの名を冠して、SR20ターボと4WDを武器にラリーフィールドにまで出ていったセダン。それがU12型ブルーバードという存在でした。
派手な主役ではなかったかもしれません。ただ、日産がミドルセダンで「走り」を本気で追求したらどうなるか、その答えをもっとも純粋に体現したモデルだったと思います。
SR20という名機の産声を聞いたクルマとして、系譜のなかに確かな足跡を残しています。









