投稿者: hodzilla51

  • ルーテシア R.S.とは

    ルノーは、いちばん平凡な小型車に、いちばん危険なものを積む会社です。ルーテシア(本国名クリオ)の高性能版は、その性格が最も分かりやすく出る場所でした。

    1991年のX57系、クリオ 16Sとウィリアムズがその原型です。実用一辺倒のBセグメントに2.0Lの16バルブを積み、足まわりを競技用に仕立て直す。ウィリアムズの名はF1のチーム名から借りたもので、中身もラリーのホモロゲーションを意識した仕様でした。速さの理由が「レースの都合」であるところが、いかにもフランスの小型車です。

    そこから振り切れたのが2001年のBL7X/BH7X、クリオ ルノー・スポールV6です。後席を潰してV6を車体の中央に押し込み、前輪駆動の小型ハッチをミッドシップの後輪駆動へ作り替えてしまいました。合理性はどこにもありません。それでも作ったという事実だけが残っています。

    2006年のRF4C、ルーテシア ルノー・スポーツは、その狂気を一度整理した世代でした。自然吸気2.0Lと6速MT、そして硬すぎない足。何も足していないぶん、運転する人の操作がそのまま結果に出ます。ホットハッチの評価軸で、この世代を基準に挙げる人は少なくありません。

    2013年のRM5Mでは1.6Lターボとデュアルクラッチの EDC が組み合わされ、MTの設定が消えます。速さと日常性という点では明確に進歩しながら、失われたものを惜しむ声も強い世代です。ホットハッチという商品が、時代とどう折り合うかという問題がここに出ています。

    X57からRM5Mまで。ルーテシア R.S.の歴史は、平凡な小型車をどこまで面白くしていいのか、その限界をルノーが試し続けた記録です。

  • ヴァンテージとは

    ヴァンテージは、アストンマーティンが「少しだけ手の届く価格」を覚えたクルマです。

    2005年のV8 Vantageが出るまで、アストンは大きくて高いGTを少数だけ作る会社でした。作れば作るほど台数は限られ、ブランドは細っていきます。そこで用意されたのが、DB9より小さく、安く、そして明確にスポーツカーである一台でした。フォード傘下で整えられた生産体制がなければ、この判断は成立していません。

    ただし安くしただけではありませんでした。フロントミッドにV8を置き、トランスアクスルで前後重量を配分する。骨格はアルミの接着構造。中身は上位モデルと同じ思想で作られています。

    2011年のAM310、ヴァンテージ Sで性格が変わります。出力と足まわりを引き締め、紳士的なGTだったこの車をはっきりと攻撃的にしました。2015年のAM310 GTは初代の集大成で、10年続いた設計の熟成をひとまとめにしています。

    2018年のAM701で、心臓が替わりました。メルセデスAMG製の4.0LツインターボV8です。自社でエンジンを開発し続けることが難しくなった小規模メーカーにとって、これは敗北ではなく延命の選択でした。空力も操縦性も現代の水準へ引き上げられ、ヴァンテージはアストンの中で最も走りに寄った車種としての位置を確立しています。

    2005年から現行まで。ヴァンテージの歴史は、小規模な高級車メーカーが生き残るために何を自前で持ち、何を他社から借りるかを決めていく記録です。

  • アバルト595とは

    アバルトは、他人が作った実用車に毒を盛る会社です。自分でゼロから車を設計するのではなく、大量に売れている安いモデルを選び、それを別の乗り物へ作り替える。カルロ・アバルトが確立したこの商売は、いまも同じ形で続いています。

    素材はフィアット500でした。空冷2気筒をリアに積む、徹底的に安い国民車です。1963年の110D系、595はその排気量を広げ、吸排気と足まわりを仕立て直したモデルでした。同じ車体で、まったく違う乗り物になる。この落差そのものが商品です。

    さらに過激にしたのが595 SSであり、1955年から続く110F系の695/695 SSでした。エンジンフードを少し持ち上げて走る、いわゆる開けたままの冷却対策まで含めて、レースの現場から出てきた解決策がそのまま市販車に乗っています。

    現代版が始まるのは2008年の312141、アバルト500からです。新型フィアット500に1.4Lのターボを積み、専用の足まわりとブレーキを与える。旧作と同じ手口を、そのまま現代の車体で再演したわけです。

    2012年の31214T、アバルト595でその路線が整理されます。グレードごとに出力と装備を積み上げ、レコードモンツァの排気音を筆頭に、「うるさくて速い小さい車」という商品性を明確にしました。2022年の695系では、限定車を重ねながら「500の頂点」を名乗り続けています。

    110Dから31214Tまで。アバルトの歴史は、平凡な実用車ほど面白い素材になるという発想が、60年間通用し続けた記録です。

  • エキシージとは

    ロータスの答えは、いつも軽さでした。エキシージは、その答えを最も極端な形で出し続けたシリーズです。

    土台になったエリーゼは、押し出し材のアルミを接着して作る骨格によって、700kg台という当時としては異常な軽さを実現していました。エンジンを大きくしなくても速い。その理屈を、閉じた屋根と本格的な空力部品で突き詰めたのが2000年のS1、初代エキシージです。

    2004年のS2では、心臓がトヨタ製の2ZZ-GE型に替わります。信頼性と排出ガス規制への適合を、自社開発ではなく調達で解決したわけです。趣味の会社が生き残るための現実的な判断でした。2008年のS2 エキシージ Sではスーパーチャージャーを与え、軽さに過給を掛け合わせています。

    2011年のS3系で車体は一回り大きくなり、快適性も上がりました。ただし方向は変えていません。2012年のエキシージ Sでは3.5LのV6スーパーチャージャーで345PSに達し、1.2トンを切る車重と組み合わせています。パワーウェイトレシオだけで言えば、同時期のスーパーカーと並ぶ領域です。

    2015年以降のSport 350/380/430は、その最終形でした。数字を上げるのではなく、部品を削り、空力を詰め、公道を走れるレーシングカーへ近づけていく。430では車重1トン前後で430PSに到達しています。

    S1からSport 430まで。エキシージの歴史は、「軽くすれば速い」という単純な原理を、最後まで信じ切った会社の記録です。

  • AMG Cクラスとは

    AMG Cクラスの歴史は、V8をどう手に入れ、どう手放したかの歴史です。

    1997年のW202、C43 AMGがその第一歩でした。それまで一台ずつ仕立てていたAMGが、量販価格帯のCクラスに4.3LのV8を積んで正規に売る。特注屋をやめて自動車メーカーの一部になるという宣言が、この一台でした。

    2000年のW203では、スーパーチャージャー付きV6のC32と、自然吸気V8のC55が用意されます。小さな車体に大きなエンジンという構図が、ここで商品として定着しました。

    頂点は2007年のW204、C63 AMGです。自然吸気6.2LのM156型V8を、Cクラスの鼻先に押し込む。効率で言えば正当化できない構成ですが、その咆哮こそが商品でした。規制が厳しくなる直前だからこそ許された世代とも言えます。

    2014年のW205、C63/C63 Sで排気量は4.0Lへ下がり、ツインターボが与えられます。数字の上では速くなり、扱いやすさも上がりました。それでもV8であることは守っています。結果的にこれが、Cクラス AMGにとって最後のV8になりました。

    2022年のW206、C63 S E PERFORMANCEでエンジンは2.0Lの直列4気筒になります。そこに電動ターボと後車軸のモーターを組み合わせ、システム出力は680PS。数字だけを見れば歴代最強です。それでも「AMGがV8を捨てた」という受け止められ方をしたのは、この系譜が積み上げてきたものが出力ではなかったからでしょう。

    W202からW206まで、5世代。AMG Cクラスの歴史は、性能の測り方が出力から効率へ移るとき、ブランドの記号がどう扱われるかを示す記録です。

  • AMG Eクラスとは

    AMG Eクラスの歴史は、社外の改造屋がメルセデスの中枢へ入り込んでいく記録です。

    出発点の1984年W124、通称ハンマーは、ダイムラーの製品ではありません。当時のAMGはあくまで独立した会社で、Eクラスのセダンに5.6LのV8を積み替え、当時のスーパーカーと張り合う速度を出してしまった。真面目な高級車が超えてはいけない線を、外部の人間が勝手に超えたわけです。

    その関係が変わったのが1993年のW124系、E36 AMGでした。メルセデスの正規カタログにAMG仕様が載る。改造車ではなく、保証も販売網も本体と同じ商品になったという意味で、決定的な転換点です。

    1996年のW210、E50 AMGと、1997年のW210/S210、E55 AMGでその体制が固まります。特にE55は工場のラインで組まれるようになり、「速いメルセデス」は特注ではなく量産グレードになりました。

    2003年のW211のE55はスーパーチャージャーで500PSを超え、静けさと暴力を同居させます。2006年には同じW211でE63 AMGが登場し、自然吸気6.2LのM156型へ切り替わりました。この時期のAMGは、加速そのものが商品でした。

    2009年のW212は、その自然吸気V8の到達点であると同時に、途中でツインターボへ移行した世代でもあります。排出ガス規制と燃費規制のもとで、大排気量の自然吸気を続ける道が閉じたのです。

    そして2016年のW213、E63 S 4MATIC+では四輪駆動を全面採用します。後輪駆動でねじ伏せるという美学を、AMGはついに手放しました。代わりに得たのは、600PS超を路面へ確実に伝える能力です。

    ハンマーからW213まで。AMG Eクラスの型式の並びは、一つの改造屋が本体に取り込まれ、やがて本体の性格まで書き換えていく過程の記録です。

  • ホンダの小さなスポーツとは

    ホンダの四輪の原点は、実用車ではなく小さな2人乗りオープンでした。

    1962年のSPORTS 360は、鈴鹿で発表されながら市販されずに終わります。それでもこの車の存在は重要です。二輪メーカーだったホンダが四輪へ出ていくとき、最初に見せたのがトラックでもセダンでもなく、軽自動車枠のスポーツカーだったからです。

    実際に売られたのは1963年のS500でした。531ccの直列4気筒DOHCで44PS、8000rpmまで回るエンジンを、後輪へチェーンで伝える。二輪で培った高回転技術を、そのまま四輪に持ち込んだ構成です。排気量あたりの出力は当時の常識を大きく超えていました。

    続くS600、そしてS800で排気量を広げ、輸出にも本格的に乗り出します。小さくて速い、そして精密に回る。この時期に作られたホンダらしさの定義は、その後も何度も参照されることになります。

    その血が軽自動車の枠へ戻ってきたのが1991年のPP1、ビートでした。エンジンを運転席の後ろへ置くミッドシップで、自然吸気の660ccを8100rpmまで回す。バブル期のホンダだからできた、採算度外視の遊びです。

    そして2015年のJW5、S660。同じくミッドシップの軽オープンで、こちらはターボと6速MTを組み合わせています。速さの絶対値は限られていても、車体が小さいぶん、扱いきれる楽しさは濃い。2022年の生産終了時には、大量の受注が短時間で埋まりました。

    SPORTS 360からS660まで。この系譜は、ホンダという会社がいちばん機嫌のいいときに何を作るのかを示す記録です。

  • ミニ・クーパーSとは

    クーパーSは、外部のレース屋が付けた名前が、そのままブランドになった珍しい例です。

    もとのミニは、スエズ動乱後の燃料事情を受けて作られた徹底的に合理的な小型車でした。横置きエンジンと前輪駆動で室内を最大限に取り、余計なものを一切載せない。速く走ることは、設計目的に含まれていません。

    そこに目を付けたのがジョン・クーパーです。F1のコンストラクターとして成功していた彼は、この小さな箱の重心の低さと機敏さに勝てる要素を見出しました。1961年に登場したMk IのクーパーS系は、970cc、1071cc、1275ccと排気量違いを揃え、モンテカルロ・ラリーで大排気量勢を三度倒します。合理性のために作られた形が、そのまま競技での武器になったわけです。

    1967年のMk IIは、その戦闘力を落とさないための細かな更新でした。1970年のMk IIIでは衝突安全や生産効率への対応が進み、翌1971年にクーパーの名は一度カタログから消えます。ライセンス契約の終了という、実に事務的な理由でした。

    復活は1990年のRover Mini クーパー RSPです。日本を中心に残っていた根強い需要が、限定生産という形で名前を呼び戻しました。旧型のミニがその後10年も生き延びたのは、この判断があったからです。

    2002年のR53から、BMW傘下の新しいMINIが始まります。クーパーSにはスーパーチャージャーが与えられ、過給の効き方まで含めて「元気なミニ」を再現しました。2006年のR56でターボへ移行し、エンジンの開発体制も変わります。2014年のF56では専用プラットフォームで走りの質を一段引き上げました。

    そして2024年のF66。ブランド全体が電動化へ舵を切るなかで、あえてガソリンエンジンのクーパーSを残しています。速さのためというより、この名前が何を意味してきたかを守るための判断でしょう。

    Mk IからF66まで。クーパーSの歴史は、「速く走るために作られていない車」を速くしてしまった人の名前が、60年生き延びた記録です。

  • アルファードとは

    アルファードは、日本人が高級車に求めるものが、運転席から後席へ移った証拠です。

    2002年のH10系が出るまで、ミニバンは家族のための実用車でした。広くて便利で、値段はそれなり。そこへトヨタは、大きな押し出しの外観と豪華な内装を持つミニバンを投入します。走りでも運動性能でもなく、車内で過ごす時間の質で高級を名乗る。この売り方が成立するかどうかは、当時まだ分かっていませんでした。

    答えは2008年の20系で出ます。すでに競合が同じ土俵に乗り、高級ミニバンという分類が当たり前になっていました。送迎、法人利用、そして家族での長距離移動。用途が広いぶん、価格が上がっても売れるという構造がここで固まります。

    2015年の30系でその路線は決定的になりました。エグゼクティブラウンジのような上級グレードは、後席の設えだけで高級セダンと張り合います。運転する人ではなく、後ろに座る人のためにお金をかける。日本の高級車の重心が完全に移動したことを示す世代です。

    2023年の40系は、もはやミニバンという枠で語られていません。静粛性、乗り心地、後席の快適性のすべてを、素材と構造から作り直しています。価格帯も従来の高級セダンと重なり、アジア各国では富裕層の定番になりました。

    H10から40系まで、4世代。アルファードの歴史は、「いい車」の基準が運転する楽しさから過ごす快適さへ移っていった、この20年の記録です。

  • プレリュードとは

    プレリュードは、ホンダが新しい技術を試すのに「色気」という名目を使ったクルマです。

    1978年のSNは、ホンダが初めて「格好で選ばれるクルマ」を狙った一台でした。実用性ではシビックに勝てません。それでも2ドアクーペを出したのは、自社の商品が全部合理性で説明できてしまうことへの危機感だったのでしょう。

    その狙いが完全に当たったのが1982年のAB/BA1です。ボンネットを極端に低く抑えるためにリトラクタブルヘッドライトを採用し、四輪独立懸架と四輪ディスクブレーキを与える。日本で「デートカー」と呼ばれる商品類型は、事実上この世代が作りました。売れた理由は雰囲気ですが、中身は当時のホンダの技術の見本市です。

    1987年のBA4/BA5/BA7では、その性格が露骨になります。世界初の機械式四輪操舵、つまり4WSを市販車に載せたのです。後輪も曲がるという機構を、スポーツカーではなくデートカーで実用化した。ホンダらしい順番の狂い方でした。

    1991年のBA8/BA9はバブル期の全部入りで、H22A型の200PSと大型化した車体を持ちます。ただし時代は変わりつつありました。1996年のBB5/BB6ではATTSという左右輪のトルク配分機構まで用意しますが、クーペ市場そのものが縮み、2001年に生産を終えます。

    そして2025年のBF1。24年ぶりに復活したプレリュードは、e:HEVのハイブリッドを積むクーペです。速さの数字ではなく、走らせたときの気持ちよさをどう作るかという問いに、電動化の側から答えようとしています。名目が「色気」であることは、初代から変わっていません。

    SNからBF1まで。プレリュードの歴史は、ホンダが実験したい技術に、いつも一番おしゃれな服を着せてきた記録です。