1979年6月、セドリックは5代目の430型になりました。
変わったのは、顔つきです。
先代330型の曲面と装飾を、直線的でクリーンな造形へ一気に振り切りました。
たかがデザイン変更、と思うかもしれません。けれどこれは、日産の高級車がどこへ向かおうとしていたかの宣言でした。
430セドリックという出発点
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430型セドリックが登場したのは1979年6月です。先代の330型から数えると、セドリックとしては6代目にあたります。兄弟車のグロリアとともに、日産の上級セダンラインを担う存在でした。
330型の時代、セドリック/グロリアはクラウンとの販売競争で苦戦が続いていました。トヨタのクラウンが着実にモデルチェンジを重ねて「日本の高級車=クラウン」というイメージを固めつつあった時期です。日産としては、430で巻き返しを図る必要がありました。
430型が選んだのは、直線を基調にしたクリーンなスタイルです。先代の豪華絢爛から一転し、ヨーロッパのセダンに近い端正さへ舵を切りました。エンジンはL型直6を中心に、ディーゼルも含む幅広い構成。ボディは4ドアセダンと4ドアハードトップ、そして230型以来となるワゴンが復活し、2ドアハードトップは姿を消しています。
なぜ直線基調へ振り切ったのか
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330型から430型への転換で、セドリックの顔つきは角型を基調としたものへ変わりました。型式が変わっただけでなく、デザインの思想そのものが入れ替わっています。
この時代、角型を基調とした造形は単なるデザイントレンドではありませんでした。1970年代末から80年代初頭にかけて、国産車は一斉に丸みのある造形から直線基調へ移行しています。空力への意識、生産技術の進歩、そして「新しさ」の記号としての直線。理由はいくつも重なっていました。
つまり直線基調への移行は、日産だけの判断ではなく業界全体の流れでもありました。ただ、日産がこのタイミングで振り切ったのには、もうひとつ理由があります。クラウンとの差別化です。
当時のライバルであるトヨタ・クラウン(MS110系)も同時期にマイナーチェンジで角目化しています。つまり両者とも「次の時代の顔」を模索していた。ここで出遅れれば、ショールームでの第一印象で負ける。高級車において顔つきの鮮度は、カタログスペック以上に購買意欲を左右します。
中身でも日本初を2つ積んだ
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デザインばかりが語られがちですが、430型の中身はかなり攻めています。1979年10月、日本初のターボエンジン搭載車(L20ET)と、乗用車として日本初の直列6気筒ディーゼル(LD28型)を同時に追加しました。高級車が省エネと動力性能の両方を求められた時代への、日産なりの回答です。
インテリアでは、上級グレードを中心に装備の充実が図られました。この時代の日産は「ハイソカー」という言葉が生まれる少し前の空気の中で、内装の質感や快適装備で勝負しようとしていた時期です。パワーウインドウやオートエアコンといった装備が、徐々に「あって当たり前」になりつつありました。
その後1981年4月にマイナーチェンジを受け、L28E型は145psから155psへ出力が引き上げられました。基本設計はそのままに、中身を詰めていく形です。
要するに430型は、見た目を刷新しながら、中身では次の時代の技術を先に試していた世代でした。ターボもディーゼルも、ここでの経験が次のY30型へ引き継がれていきます。
70年代と80年代の境界線に立つクルマ
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430型セドリックが走っていた時代を少し引いて見てみます。1979年から1983年にかけて、日本の自動車産業は大きな転換期にありました。
第二次オイルショックの影響で燃費性能への関心が高まり、ターボエンジンの普及が始まろうとしていた時期です。日産自身も、次の世代であるY30型セドリック(1983年登場)では、VG型V6エンジンとターボの組み合わせという新しい武器を投入することになります。
その意味で、430型は「L型直6の最終世代」に近い存在でもあります。日産の直列6気筒エンジンが高級車の主力だった時代の、最後の姿のひとつです。V6への移行が見えていたからこそ、430型にはある種の完成された安定感があります。新しいことを無理にやろうとせず、既存の設計を磨いて仕上げた、職人的な仕事です。
「タクシー」だけでは語れない
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430セドリックというと、どうしてもタクシーや社用車のイメージがつきまといます。実際、法人需要は販売の大きな柱でした。しかし、それだけでこのクルマを片付けるのはもったいない話です。
個人ユーザー向けのブロアムやSGLといった上級グレードは、当時の「いつかはクラウン」に対抗する日産なりの回答でした。特にブロアムの内装は、ベロア調のシート表皮やウッド調パネルなど、「高級感とは何か」を正面から考えた仕様になっています。
また、430はチューニングベースとしても一定の人気がありました。L型エンジンの拡張性の高さは、走り屋たちにとっては大きな魅力です。セダンでありながらスポーティな味付けを楽しむ文化は、この世代のセドリック/グロリアが育てた側面もあります。いわゆる「グラチャン仕様」と呼ばれるカスタムスタイルは、330型から430型にかけてのセドリック/グロリアが中心でした。
430型が残したもの
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430型セドリックは、派手な話題をさらった世代ではありません。けれど、このクルマが果たした役割は小さくないと思います。
直線基調への移行は、日産の高級車デザインが80年代へ舵を切る最初の一歩でした。次のY30型が持つシャープで都会的なデザインは、430型が敷いた路線の延長線上にあります。
そしてもうひとつ。430型は、L型直6エンジンで走る最後の世代のセドリックとして、ひとつの時代の区切りを体現しています。V6ターボの時代が来る前の、直列6気筒の素朴な回り方と、油圧パワステの重めの操舵感。そういった「70年代の日産らしさ」を最後にまとめたクルマだったとも言えます。
派手さはありません。でも、時代の変わり目にきちんと立っていたクルマです。直線的な顔の奥に、80年代への助走が見えます。

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