投稿者: hodzilla51

  • NSXとは

    NSXは、スーパーカーに「毎日乗れること」を持ち込んだクルマです。

    1990年のNA1が登場するまで、この価格帯のミッドシップは、視界が悪く、暑く、壊れやすいのが当たり前でした。ホンダはそこへ、量産車として初めてのオールアルミモノコックと、戦闘機の風防を参考にした前方視界、そしてVTECを備えるC30A型V6を持ち込みます。速さの数字だけならもっと速い車はありました。それでも評価されたのは、性能と実用性を同時に成立させたからです。

    この一台がフェラーリの作り方まで変えたと言われるのは、誇張ではありません。壊れずに毎日乗れるという条件が、スーパーカーの評価軸に加わったのはこの世代からです。

    2016年のNC1は、その思想を現代の技術で組み直しました。V6ツインターボに3基のモーターを組み合わせ、前輪を左右独立したモーターで駆動する。曲がるための駆動力配分を電気で作るという答えは、初代とは正反対の手法でありながら、目的は同じです。誰が乗っても速く、そして扱える。

    NA1からNC1まで、2世代。NSXの歴史は、ホンダが「スーパーカーとはこうあるべきだ」と二度提案した記録です。

  • 124スパイダーとは

    124スパイダーは、イタリアの名前が50年後に日本の車体で戻ってきた例です。

    1966年のAS、フィアット124スポーツスパイダーが出発点でした。量産セダンの124を土台に、ピニンファリーナが デザインと生産の両方を担当したオープン2座。高価な専用設計ではなく、大量に売れている実用車の部品で仕立てるという作り方は、当時のイタリアの得意技です。DOHCエンジンと四輪ディスクブレーキを備え、値段のわりに中身は本格的でした。

    1972年のCSA、124アバルト ラリーはその競技版です。ラリーに出るための最低生産台数を満たすべく作られ、リアサスペンションの独立化やロールバーの追加など、公道向けとは思えない仕立てが入っています。スパイダーが「速い車」として認められたのは、この派生があったからです。

    そして2016年のNF2EK、アバルト124スパイダー。骨格はマツダのロードスター(ND)で、生産も広島です。エンジンは1.4Lのマルチエア ターボで、味付けはアバルトが担当しました。軽量オープンを自前で企画するのが難しくなった時代に、名前と性格だけを持ち込むという選択をしたわけです。

    ASからNF2EKまで。124スパイダーの歴史は、小さなオープンカーという商品を生き残らせるために、誰が何を出し合うかの記録です。

  • ポルシェ ケイマンとは

    ケイマンは、速すぎてはいけないという制約の中で作られてきたクルマです。

    構成だけを見れば、911より有利です。エンジンを前後車軸の間に置くミッドシップは、重量物が車体の中心にあるぶん素直に曲がります。それでもポルシェの序列では、ケイマンは常に911の下に置かれてきました。

    2005年の987は、ボクスターに屋根を載せた派生車として登場します。屋根が付いたぶん剛性が上がり、走りの素性はむしろ良い。それでも出力は911と重ならないように調整されていました。

    2013年の981で、その矛盾がはっきり見えます。自然吸気3.4LのGTSや、レーシングカー由来の部品を与えたGT4は、明らかに上位モデルを脅かす完成度でした。本気を出させてもらえないクルマが、それでも本気を出してしまった世代です。

    2016年の982、718ケイマンでは水平対向4気筒ターボへ切り替わります。効率と出力の面では正しい判断でしたが、6気筒の音を失ったことへの反発は大きく、後に自然吸気6気筒のGTS 4.0とGT4が追加されました。批判を受けて上位互換を出すという、ポルシェらしい後出しです。

    987から982まで、3世代。ケイマンの歴史は、序列を守るために抑えられた車が、それでも速さで越えていってしまう繰り返しの記録です。

  • コペンとは

    コペンは、軽自動車の枠で本気のオープンカーを成立させたクルマです。

    2002年のL880Kが最初でした。電動で開閉する金属屋根、いわゆるアクティブトップを軽自動車に載せる。開けば完全なオープン、閉めればクーペとして静かに走れる。この構成を軽の価格と寸法で成り立たせたこと自体が、ダイハツの技術的な意地です。エンジンは4気筒のJB-DET型ターボで、回して楽しい性格を持っていました。

    2014年のLA400Kでは、まったく違う発明を持ち込みます。骨格を露出させた構造にして、外板を樹脂の着せ替え部品にする。買ったあとで外装のデザインを丸ごと変えられるという発想は、少量生産のスポーツカーが生き残るための答えでもありました。

    2019年のLA400A、コペン GR SPORTはトヨタのGRブランドが仕立てた特別な一台です。ボディの締結を増やして剛性を上げ、専用のサスペンションとステアリングで走りの芯を通す。軽自動車でも、詰めれば詰めるだけ変わるという実例になりました。

    L880KからLA400Aまで。コペンの歴史は、いちばん制約の多い規格で「趣味の車」を作り続けるとどうなるかの記録です。

  • エリーゼとは

    エリーゼは、軽さだけで25年戦ったクルマです。

    1996年のS1が示した答えは、単純ながら誰も実行していないものでした。押し出し材のアルミを接着剤で組み上げる骨格をつくり、車重を700kg台に収める。エンジンは特別なものではなく、ローバー製の1.8Lです。それでも速い。重さが軽ければ、加速も、曲がりも、止まりもすべて有利になるという当たり前の理屈を、量産車で徹底したわけです。

    2000年のS2では、造形と作りが洗練されます。衝突安全や排出ガス規制への対応もあり、途中からはトヨタ製エンジンを積むようになりました。信頼性を外から調達してでも、この構成を続けるという判断です。

    2011年以降のS3は、規制との折り合いをつけながら中身を磨いた最終章でした。快適装備も増え、重量は初期型より増しています。それでも同時代の他のスポーツカーと比べれば、圧倒的に軽い。基準そのものが違うのです。

    そして2021年、エリーゼは生産を終えました。後継はバッテリーを積む時代のクルマになります。皮肉なことに、軽さを最優先する設計思想が最も通用しにくい時代が来たわけです。

    S1からS3まで、3世代。エリーゼの歴史は、「軽さは正義」という主張が、25年間どこまで通用したかの記録です。

  • インテグラとは

    インテグラは、ホンダが「スポーティであること」を量産の土俵に載せるために作ったシリーズです。

    1985年のDA1/DA2が出発点でした。クイントインテグラとして登場したこの世代は、DOHCエンジンとリトラクタブルヘッドライトを備え、実用車の価格帯で走りの体裁を整えています。特別なスポーツカーではなく、普通に買えるスポーティカー。ホンダが得意とする領域が、ここで形になりました。

    1989年のDA5〜DA9で、その完成度が一段上がります。ダブルウィッシュボーンの足まわり、高回転まで気持ちよく回るエンジン、そして4ドアと3ドアを揃えた実用性。のちにタイプRという頂点が成立するのは、この世代で土台が固まっていたからです。

    その後インテグラの名前は一度日本市場から消え、長い空白が続きます。

    復活したのは2024年のDE5、インテグラ タイプSでした。北米ホンダの車種として企画され、中身はシビック タイプRと多くを共有しています。名前が戻ってきた一方で、かつてのインテグラらしさをどこに見るかは議論の分かれるところでしょう。

    DA1からDE5まで。インテグラの歴史は、「速いホンダ」を特別扱いせずに売り続けようとした試みの記録です。

  • メガーヌRSとは

    メガーヌRSは、FFという形式の限界を毎回更新してきたクルマです。

    前輪で駆動と操舵を同時にこなす以上、パワーを上げるほど不利になる。それが常識でした。ルノー・スポールはその常識に、毎世代ちがう手口で殴りかかっています。

    2004年のMF4R2は、いちばん荒っぽい世代でした。2.0Lターボの出力を素のまま前輪へ送り込み、路面の状態がそのままハンドルに返ってくる。乗り手を選ぶかわりに、うまく走らせたときの手応えが濃い一台です。

    2010年のDZF4Rで、その荒さが理屈に置き換わります。前輪の接地を保つための専用の足まわり、いわゆるインディペンデント・ステアリング・アクスルを与え、ニュルブルクリンクのFF最速記録を狙いにいきました。狂犬のままでありながら、話が通じるようになった世代です。

    2017年のBBM5Pは、その到達点でした。後輪も操舵する4CONTROLを組み合わせ、低速では回り込み、高速では安定する。FFの弱点を、駆動ではなく操舵の側から解決しにいったわけです。そしてこの世代を最後に、ルノー・スポールのメガーヌは幕を閉じました。

    MF4R2からBBM5Pまで、3世代。メガーヌRSの歴史は、「FFだから」という言い訳を一度もしなかったメーカーの記録です。

  • トヨタのミッドシップとは

    エンジンを運転席の後ろに積む構成は、レーシングカーの理屈です。それを大衆車メーカーが3世代も市販し続けた例は、そう多くありません。

    1984年のAW11、MR2が最初でした。カローラ系の部品を流用しながら、エンジンを横向きに車体中央へ移すという構成です。専用設計の高価なスポーツカーではなく、量産部品でミッドシップを成立させたことに意味があります。1.6LのDOHC、4A-GE型を積み、後にスーパーチャージャーも加わりました。

    1989年のSW20では、性格が大きく変わります。排気量は2.0Lへ、ターボ仕様の3S-GTE型は最終的に245PSに達しました。車体も大きくなり、本格的なスポーツカーとしての速さを求めた世代です。初期型は限界域の挙動が難しいと言われ、そのたびに改良が重ねられました。トヨタがこの構成を真面目に育てようとしていた証拠です。

    1999年のZZW30、MR-Sで方向が反転します。ターボをやめ、屋根を取り、車重を1トン切りまで削る。速さの数字ではなく、軽さと素直さで運転を楽しませる方向へ振り切りました。シーケンシャルMTという当時としては新しい変速機も選べます。2007年、この系譜は途絶えました。

    AW11からZZW30まで、3世代。トヨタのミッドシップの歴史は、量産メーカーがどこまで趣味の構成に付き合えるかという実験の記録です。

  • ヴェルファイアとは

    ヴェルファイアは、アルファードの影から抜け出すために作られたクルマです。

    始まりは販売チャネルの都合でした。2008年の20系は、アルファードと骨格を共有しながら、別の販売店で売るために顔と内装の性格を変えた兄弟車として登場します。中身が同じなら、選ぶ理由は見た目と雰囲気しかない。だからヴェルファイアは、押し出しの強さと若さで差を付ける方向へ振れました。

    2015年の30系では、その性格がさらに露骨になります。大きなメッキグリルと鋭い眼光は、上品さで勝負するアルファードに対する明確な対抗軸でした。同じ車体でここまで印象を変えられるのかという、意匠設計の実験でもあります。

    2023年の40系で、関係が変わりました。販売チャネルの統合によって「別の店で売るための兄弟車」という前提が消えたのです。それでもヴェルファイアが残ったのは、走りと内外装をアルファードより攻めた方向で仕立てるという役割が見つかったからでしょう。専用のサスペンション設定や上級グレードの構成で、性格の差が中身にも及ぶようになりました。

    20系から40系まで、3世代。ヴェルファイアの歴史は、「同じ車の顔違い」がどうやって独自の存在意義を獲得していくかの記録です。

  • パジェロとは

    パジェロは、四輪駆動車を「我慢して乗るもの」から降ろしたクルマです。

    1982年のL040が出るまで、四駆は乗り心地が硬く、静粛性も期待できない道具でした。三菱自身、ジープのライセンス生産を長く続けてきた会社です。そこへフロント独立懸架を与え、屋根と全長を選べる商品構成にした。悪路性能を落とさずに、普段も乗れる乗用車として成立させたわけです。パリ・ダカール・ラリーでの実績が、その説得力を裏づけました。

    1991年のV20/V40で、パジェロは社会現象になります。RVブームの中心として、一時は国内販売台数でカローラを上回りました。四駆が「流行の乗り物」になった、日本で最初で最後に近い時期です。

    1999年のV60/V70は、その熱狂が引いたあとの世代でした。国内での存在感は薄れましたが、競技と実用の現場では相変わらず強い。街で主役でなくなっても、砂漠では王者のままだったわけです。

    2006年のV80/V90は、そのまま13年間作り続けられました。モデルチェンジをしなかったのではなく、できなかったという側面もあります。日本市場でSUVの主役がクロスオーバーへ移り、本格四駆の商売が細っていったからです。2019年、国内販売は終了しました。

    そして2026年、新型パジェロが戻ってきます。ラダーフレームを採用し、悪路走破性を正面から名乗る構成です。市場が一周した結果、この形式の価値がもう一度認められたということでしょう。

    L040から新型まで。パジェロの歴史は、四駆が道具から流行になり、また道具へ戻っていく40年の記録です。