投稿者: hodzilla51

  • ストーリア X4とは

    ストーリア X4は、競技の規則から逆算して作られた量産車です。

    ラリーやダートトライアルには排気量ごとのクラス分けがあり、その境目のすぐ下に収まる車を作れば、有利に戦えます。1998年のM112Sが積んだエンジンは713cc。ターボやスーパーチャージャーの係数を掛けても、1000cc以下のクラスに収まる数字です。過給機を付けて120PSを出しながら、あえてこの排気量を選んだ理由がここにあります。

    軽自動車を作り続けてきたダイハツにとって、小排気量を高出力で回す技術は本業の延長でした。その蓄積を、規則の隙間へそのまま持ち込んだわけです。

    2006年のM312S、ブーン X4も同じ発想です。排気量は936ccへ広がり、こちらも過給係数を掛けた上でクラスの上限に収まるよう設計されています。133PSという数字は、リッターカーとしては突出していました。

    どちらも台数の出る商品ではありません。それでも作られたのは、競技で結果を出すことがブランドの説得力につながると考えられていたからです。

    M112SからM312Sまで。この系譜は、規則という制約が設計をどこまで尖らせるかの記録です。

  • トゥインゴとは

    トゥインゴは、いちばん安い枠のクルマで遊ぶことを諦めなかったルノーの記録です。

    2007年のNK4M、トゥインゴ ルノー・スポールは、Aセグメントの実用車にRSバッジを付けた一台でした。2.0Lの自然吸気を積み、専用の足まわりで固める。小さくて軽い車体に、素直で高回転型のエンジンという組み合わせは、ホットハッチの原型そのものです。装備は簡素で、そのぶん値段も抑えられていました。

    2016年のAHH4B1、トゥインゴGTでは構成が根本から変わります。エンジンを後ろに積み、後輪を駆動する。原価を抑えながら小回りを効かせるための設計上の判断でしたが、結果として生まれた性格は明らかに面白い方向へ振れました。0.9Lのターボは非力に見えて、車重が軽いので十分に速く感じられます。

    安い車で儲けを出すのは難しく、そこへ趣味性を足すのはさらに難しい。それでもルノーは、この枠で遊ぶことをやめませんでした。

    NK4MからAHH4B1まで。トゥインゴの歴史は、価格の制約こそが設計を面白くするという証拠です。

  • シティターボとは

    シティターボは、実用車に過剰なものを積むというホンダの悪癖が、最もよく出たクルマです。

    1983年のAA、シティターボIIは通称ブルドッグと呼ばれました。もとは背の高い実用的な小型車です。そこへターボと空冷式インタークーラーを与え、フェンダーを膨らませ、足まわりを固める。実用性のために作られた寸法を、走るためだけに作り替えてしまったわけです。

    いま見ると異様なのは、この改造がメーカー自身の手で、正規の商品として行われたことです。バブル前夜の日本には、こういう振り切り方を許す空気がありました。

    その系譜が現代に戻ってきたのが、2026年のSuper-ONEです。軽自動車規格の電気自動車をベースにしながら、ホットハッチとして仕立てる。動力の作り方はまったく違っても、「実用の枠に収まる寸法で、過剰なものを積む」という発想は同じです。

    AAからSuper-ONEまで。この系譜は、ホンダという会社の悪ふざけが本気になる瞬間の記録です。

  • シロッコとは

    シロッコは、ゴルフの部品で作られながら、ゴルフより速いことを求められたクルマです。

    フォルクスワーゲンの主力は常にゴルフでした。実用性でも販売台数でも、そこを超える必要はありません。だからシロッコに与えられた役割は明快で、同じ部品を使って、もっと低く、もっと速く見えることでした。

    1982年の53B GTXは、その考え方が最も素直に出た一台です。1.8Lの16バルブは当時の水準で十分に高回転型で、低い車高とくさび形の造形と噛み合っていました。走りの中身はゴルフGTIと同系統でありながら、乗り込んだときの気分がまるで違う。それが商品性でした。

    長い空白のあと、2009年に1K8として復活します。シロッコRは2.0Lターボで265PSに達し、専用の足まわりを備えました。骨格はゴルフと共有していても、全高を下げ、ホイールベースの使い方を変えることで、別の乗り物として仕立てられています。

    53Bから1K8まで。シロッコの歴史は、同じ部品からどれだけ違う性格を作れるかという、量産メーカーの腕の見せ所の記録です。

  • N-ONEとは

    N-ONEは、売れる軽自動車の作り方から一歩外れたホンダの答えです。

    いまの軽自動車で数が出るのは、背の高いスライドドアの車です。ホンダもN-BOXでその答えを出し、圧倒的な販売台数を得ました。にもかかわらず2012年、JG1/JG2として登場したN-ONEは、背の低い丸目のハッチバックでした。参照したのは1967年のN360です。

    売れ筋から外れた形を選んだのは、Nシリーズを台数だけのブランドにしないためでしょう。実際、走りの素性はよく、ターボ車には手応えのある性格が与えられています。

    2020年のJG3/JG4では、外観がほとんど変わりませんでした。ヘッドライトの形も基本のシルエットも、意図して引き継いでいます。中身は骨格も足まわりも刷新されているにもかかわらず、です。ロングライフデザインを掲げ、見た目を変えないことを価値にした判断でした。

    そしてRSには、軽自動車として希少になった6速MTが残されています。数が出る仕様ではありません。それでも用意するところに、この車の立ち位置がよく出ています。

    JG1からJG3まで、2世代。N-ONEの歴史は、いちばん売れる形が正解とは限らないという主張の記録です。

  • アコード ユーロRとは

    アコード ユーロRは、実用セダンにタイプRの中身を移植した異端児です。

    2000年のCL1は、家族向けの4ドアセダンに、2.2LのH22A型を220PSまで高めて積み込みました。ヘリカルLSD、専用の足まわり、レカロシート、そして5速MTのみという構成。後席もトランクもあるのに、中身は完全にスポーツモデルです。

    なぜこんな車が成立したのかと言えば、当時のホンダに「セダンでも走りで選ばれるはずだ」という信念があったからでしょう。実際、この種のクルマを求める層は確実に存在しました。

    2002年のCL7では、エンジンがK20A型へ替わります。出力は同じく220PS、6速MTを組み合わせ、車体の剛性と快適性も上がりました。結果として、これが日本市場における最後の自然吸気VTECセダンの一つになります。

    以後、この価格帯のセダンは走りではなく快適性と燃費で語られるようになりました。市場が変わったのであって、車が悪かったわけではありません。

    CL1からCL7まで、2世代。アコード ユーロRの歴史は、実用車に本気の走りを入れるという商売が成立した、最後の時期の記録です。

  • FTOとは

    FTOという名前を、三菱は若者に向き合おうとした二つの時代に使いました。

    最初が1970年のA61/A62/A63、ギャランクーペFTOです。当時の日本ではクーペが若者向け商品の中心であり、各社が小型の2ドアを競って出していました。三菱のこの一台も、実用車の部品を使いながら、見た目と価格で若い層に届かせようとしたクルマです。

    そして1994年のDE2A/DE3A。同じFTOの名を持つこの世代は、前輪駆動の2ドアクーペに1.8Lの直4、そして2.0LのV6を積んでいます。上級のGPX/GPRに搭載された6A12型MIVECは200PSに達し、当時のFF車としては突出した高回転型でした。日本カー・オブ・ザ・イヤーも受賞しています。

    それでも記憶に残りにくいのは、この時期の三菱がランサーエボリューションとパジェロという強い商品を抱えていたからでしょう。社内での序列が、そのまま市場での注目度になってしまいました。

    A61からDE2Aまで。FTOの歴史は、いい車を作っても、置かれた場所が悪ければ埋もれるという証拠です。

  • GRヤリスとは

    GRヤリスは、ラリーに出るために作られた市販車です。順番が普通と逆で、売れる車を競技用に仕立てたのではなく、競技のための車を市販しました。

    前日譚が2018年のNCP131、ヴィッツGRMNです。スーパーチャージャーを積んだ1.8Lで、生産はわずか150台。トヨタが本気で走りに振ったコンパクトを作れることを、社内外に示すための一台でした。

    そして2020年のGXPA16、GRヤリス。3ドアの専用ボディ、前後で異なるプラットフォームの組み合わせ、1.6Lの3気筒ターボG16E-GTS型、そしてGR-FOURと名付けられた四輪駆動。ベース車のヤリスと共通する部分はごくわずかで、実質的には別の車です。生産も専用の工場で行われました。

    これが成立した理由は明快で、WRCに出るための車両規則がそれを求めたからです。ただし、規則が求めていたのは台数だけであって、ここまでの中身は必須ではありませんでした。作りすぎたと言っていいでしょう。だからこそ、モータースポーツから離れた層にも売れています。

    GRヤリスの歴史は、大手メーカーが「勝つため」という理由を手にしたときに何が起きるかの記録です。

  • インテグラタイプRとは

    インテグラタイプRは、FFスポーツの頂点を定義したクルマです。

    1995年のDC2は、いま振り返っても異常な仕立てでした。1.8LのB18C型は、吸排気ポートを手作業で磨き上げ、8000rpmを超えて回る。車体側では鋼板の追加による補強、遮音材の削減、専用のヘリカルLSD。量産車の枠内で、これだけの手数を掛けた例はそう多くありません。

    その結果として得られたのは、絶対的な速さというより、前輪駆動でどこまで気持ちよく曲がれるかという到達点でした。以後、FFスポーツはこの車を基準に語られるようになります。

    2001年のDC5は、その続編として難しい立場に置かれました。K20A型は220PSに達し、車体も大きく、装備も現代的になっています。数値だけなら明らかに進歩しているのに、DC2の粗削りな手応えを求める人からは物足りないと言われました。洗練は、この種のクルマでは必ずしも褒め言葉になりません。

    DC2からDC5まで、2世代。インテグラタイプRの歴史は、「速さ」と「気持ちよさ」が同じものではないと教えてくれる記録です。

  • 86とは

    86は、トヨタが「つくらない理由」を捨てて作ったクルマです。

    2000年代のトヨタに、安価な後輪駆動のスポーツカーを作る合理的な理由はありませんでした。販売台数は見込めず、開発費は回収しにくい。それでも2012年にZN6が世に出たのは、社内の意思と、スバルという相手がいたからです。水平対向エンジンは背が低く、低重心という一点で理屈が通る。トヨタは直噴とポート噴射を組み合わせるD-4Sを持ち込み、生産はスバルが担当しました。

    出力は200PS。同時期の速いクルマと比べれば平凡です。狙いは限界の高さではなく、限界の手前で起きることを運転手に見せることでした。細いタイヤと軽い車体は、そのための選択です。

    2021年のZN8、GR86では排気量が2.4Lへ拡大されます。初代で最も指摘された中回転域のトルク不足に正面から答え、車体の剛性も上げました。速くなった一方で、性格そのものは変えていません。

    ZN6からZN8まで、2世代。86の歴史は、採算では説明できないクルマを、大手メーカーがどうやって成立させるかの記録です。