コロナ マークII – X10/X20【コロナの名を借りて、コロナを超えた車】

「コロナ マークII」という名前には、少し不思議な響きがあります。

マークIIといえば後に独立した車格を持つトヨタの看板車種になるわけですが、最初はあくまで「コロナの上級版」として生まれました。コロナの派生モデルでありながら、コロナとは明確に違う世界を目指していた。

この矛盾めいた出自こそが、初代マークIIの面白さです。

コロナでは届かない客層がいた

1968年、トヨタのラインナップにはひとつの隙間がありました。大衆車のコロナと、高級車のクラウン。この二台の間に、ちょうどいい車がなかったのです。

当時の日本は高度経済成長の真っただ中で、所得が上がり続けていました。コロナに乗っている人が「次はもう少しいい車に」と思ったとき、いきなりクラウンは飛躍が大きすぎる。かといってコロナの上級グレードでは、見た目も中身も「結局コロナ」です。

つまり、コロナオーナーの「ちょっと上」を受け止める車が必要だった。日産にはすでにブルーバードの上にローレルを置く構想がありましたし、トヨタとしてもこの中間市場を放置するわけにはいかなかったのです。

コロナの名を借りた別の車

1968年に登場した初代コロナ マークII(T60/70型)は、コロナのプラットフォームをベースにしつつも、ホイールベースを延長し、ボディを大型化したモデルでした。ただ「大きくしただけ」ではありません。内装の質感、遮音性、乗り心地のしつらえが、コロナとは一線を画していました。

エンジンも注目に値します。直列4気筒に加えて、直列6気筒の搭載が用意されたのです。当時、6気筒エンジンは上級車の証でした。コロナには載らない6気筒を積むことで、マークIIは「コロナの延長」ではなく「クラウンに近い品格を持つ中型車」という立ち位置を手に入れています。

ボディバリエーションも豊富でした。セダン、ハードトップ、ワゴン、さらにはバンまで揃え、個人ユーザーだけでなく法人需要にも対応しています。このあたりの手堅さは、いかにもトヨタらしい商品企画です。

1972年のモデルチェンジで確信に変わる

1972年に登場した2代目(X10/X20型)で、マークIIはさらに大きく変わります。型式がT系からX系に切り替わったこと自体が、コロナとの決別を象徴しています。プラットフォームが刷新され、もはやコロナとの共有部分はごくわずかになりました。

このX10/X20型では、ボディデザインが一気に洗練されます。直線基調のシャープなスタイリングは、当時のアメリカ車的な押し出しの強さとは違い、どちらかといえばヨーロピアンな端正さを意識したものでした。「小さなクラウン」ではなく、マークIIとしての独自の美意識が見え始めた世代です。

エンジンラインナップも拡充されました。4気筒の18R型(2.0L)に加え、6気筒のM型エンジンが主力として据えられています。特に4M型(2.6L)の搭載は、マークIIの車格を明確にクラウン寄りへ引き上げるものでした。

ただし、この世代は排出ガス規制の波をもろに受けています。1973年のオイルショック、そしてその後に続く昭和50年・51年規制への対応は、パワーダウンと引き換えの苦しい戦いでした。エンジンの出力が落ち、走りの魅力は一時的に後退しています。それでも販売は堅調だったのは、マークIIが「走り」だけでなく「格」で選ばれる車になっていた証拠でしょう。

ハードトップが切り拓いた新しい価値

この世代でとりわけ重要なのは、ハードトップモデルの存在感です。センターピラーを持たない流麗なシルエットは、セダンとは明らかに違う華やかさを持っていました。

当時、ハードトップはアメリカ車で流行していたスタイルですが、日本の中型車でこれを本格的に展開したのはマークIIが先駆的でした。実用性よりも見栄えを重視するこの選択は、マークIIのユーザー層が「道具としての車」ではなく「自分のステータスを表現する車」を求めていたことを示しています。

後にマークIIが「ハイソカー」ブームの中心に立つことになる素地は、実はこのX10/X20世代のハードトップですでに準備されていたわけです。

コロナとクラウンの間に、第三の柱を立てた

初代から2代目にかけてのマークIIが成し遂げたことは、単に「中間価格帯の車を作った」ということではありません。コロナでもクラウンでもない、独自のキャラクターを持つ車格を確立したことにこそ意味があります。

コロナの名前を冠していた時代から、マークIIは「コロナ以上」を明確に志向していました。そしてX10/X20世代で型式からしてコロナと袂を分かち、6気筒エンジンとハードトップという武器で独自の世界を築いています。

この成功があったからこそ、後にチェイサーやクレスタという姉妹車が生まれ、「マークII三兄弟」としてトヨタの販売を支える大きな柱になっていきます。さらに言えば、1980年代のハイソカーブームでマークIIが主役を張れたのも、この初期の世代で「上質な中型車」という市場を自ら作り出していたからです。

コロナの派生として生まれながら、コロナを超え、やがてコロナとは完全に別の道を歩む。初代と2代目のマークIIは、その分岐点をリアルタイムで体現した世代でした。

名前に「コロナ」がついていた最後の時代だからこそ、この車の野心がよく見えるのです。

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