パジェロ – V80/V90【熱狂のあとを、13年走り続けたパジェロ】

4代目パジェロ V80/V90系(2006年)

2006年、4代目パジェロが登場したとき、かつてのような熱狂はもうありませんでした。

スキー場を埋めたRVブームは遠ざかり、街では軽くて燃費のいいクロスオーバーSUVが選ばれていた。三菱のダカール参戦も、間もなく終わろうとしていました。

それでも4代目は、国内で13年間売られ続けます。

大きく流行を作ることはなかった。しかし、誰かがまだ本物の四駆を必要としているかぎり、カタログから消えなかった。4代目は、拍手のない時代にパジェロが何者だったのかを、いちばんよく表した世代です。

角張った姿へ戻した理由

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4代目の姿には、ひと目で分かる変化がありました。

3代目の大きく膨らんだフェンダーと曲線的な顔をやめ、ボンネットを水平に見せ、フロントグリルを立て、ボディ側面にも直線を戻した。初代や2代目を思わせる、四角いパジェロです。

3代目の丸い姿に戸惑った人へ、三菱はもう一度「これがパジェロだ」と分かる形を差し出しました。背面スペアタイヤも、ツートーンカラーも残っています。

ただし、これは昔へ戻るためのデザインではありませんでした。中身まで2代目のラダーフレームへ戻したわけではなく、3代目で選んだビルトインフレーム・モノコックと4輪独立懸架を継承しています。

見た目は原点へ戻り、骨格は進化を引き返さない。 4代目の立ち位置は、その組み合わせに表れていました。

変わって見えない、7割の再設計

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4代目は、外から見ると3代目の改良型にも見えます。ホイールベースも基本的な車体構成も受け継いだからです。

しかし三菱によれば、見直した構造は約70%。実質的な全面再設計でした。

ビルトインフレーム・モノコックは、スポット溶接の範囲を広げ、カウルトップを高剛性化。高張力鋼板と構造用接着剤も使い、強度を上げながら重量増加を抑えました。サスペンションの取り付け部やリヤまわりの形状にも手を入れ、荒れた路面での動きと舗装路での落ち着きを詰めています。

目指したのは、乗った瞬間に驚かせる新しさではありません。操作に対してクルマが自然に動き、長距離を走っても違和感が残らないことでした。

派手な発明を看板にするのではなく、3代目で大きく変えた構造を、時間をかけて完成させる。4代目のモデルチェンジは、革命というより答え合わせでした。

電子制御と機械式デフロックの共存

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4代目には、スーパーセレクト4WD-IIとASTC(アクティブスタビリティ&トラクションコントロール)が採用されました。

ASTCは、滑りやすいカーブで車体の姿勢を整え、空転したタイヤにブレーキをかけて、接地しているタイヤへ駆動力を残す電子制御です。一方、泥濘地から脱出するときには、左右の後輪を直結する機械式リヤデフロックが強い。

従来、この二つを同時に働かせるのは簡単ではありませんでした。デフを機械的に固定した状態へ電子制御が介入すれば、互いの狙いがぶつかるからです。

4代目はリヤデフロックの作動をASTC側で検知し、協調して制御できるようにしました。電子制御か、昔ながらの機械か。そのどちらかを選ぶのではなく、必要な場面で両方を使う。

それは、モノコックになっても本格四駆であり続けるという、3代目からの考え方をもう一段深めた技術でした。

客が呼び戻した3.2Lディーゼル

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日本仕様の発売時に用意されたのは、V6 3.0LとV6 3.8Lのガソリンエンジンでした。歴代パジェロを支えてきたディーゼルは、国内仕様からいったん姿を消します。

当時の日本では、排出ガスをめぐってディーゼル乗用車への風当たりが強く、各社が設定を縮小していました。しかし重い車体で長距離を走り、雪道や坂道を進み、荷物を積み、ときには何かを牽引するパジェロにとって、低回転から力を出すディーゼルは単なる廉価版ではありませんでした。

復活を求める声を受け、2008年に3.2Lコモンレール式DI-Dが追加されます。2010年には排出ガス性能を高めたクリーンディーゼルへ進化しました。

ブームのころなら、太いタイヤや豪華な装備が欲しい理由になったかもしれません。4代目を待っていた人が求めたのは、自分の使い方に必要なエンジンでした。

流行ではなく用途で選ばれるクルマになった。 ディーゼルの復活は、4代目の客層を象徴しています。

最後の勝利、その先にあった砂漠との別れ

2002年ダカールラリーを走る3代目パジェロ
画像:三菱自動車

4代目の発売から約3か月後、2007年1月のダカールラリーで三菱は7大会連続、通算12回目の総合優勝を果たしました。

優勝車は市販の4代目そのものではなく、競技専用のパジェロエボリューションです。それでも、パジェロという名前が世界で積み重ねてきた強さは、この勝利で頂点に達しました。

その後、三菱は競技車をレーシングランサーへ切り替え、2009年にダカールから撤退します。1983年から続いた挑戦は終わり、砂漠で勝つことが市販車の説得力になった時代も幕を閉じました。

4代目は、パジェロ最後のダカール優勝を見届けた世代です。そして皮肉にも、競技で名前を叫ばれなくなってからの方が、はるかに長く売られました。

主役ではなくなった。その先に残る役割

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2000年代後半のSUV市場で主役になったのは、舗装路での燃費と取り回しに優れたクロスオーバーでした。悪路に行かない人には、大きな副変速機も、リヤデフロックも、頑丈な車体も過剰です。

家族を乗せるならミニバンがあり、街でSUVらしい姿を楽しむなら、もっと軽くて安い選択肢がある。かつて一台で引き受けていた役割は、別々のクルマへ分かれていきました。

だから4代目は、2代目のように誰もが憧れる商品ではありませんでした。

その代わり、雪国で確実に帰ってくること、長い距離を疲れずに走ること、舗装が終わった先まで家族と荷物を運ぶことを求める人には、代わりが少なかった。パジェロが必要な人の数は減っても、必要とされる理由は薄まりませんでした。

ブームの中心から降りたことで、4代目はようやく、記号ではなく道具として愛されるようになったのだと思います。

700台のファイナルエディション

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2019年、三菱は国内向けパジェロの生産終了を発表しました。最後に用意されたファイナルエディションは700台。3.2LクリーンディーゼルのEXCEEDをベースに、リヤデフロック、電動ロングサンルーフ、ルーフレール、本革シートなどを標準装備しました。

国内累計販売は64万台以上。4代目だけでも13年間を走り切りました。日本向けが終わったあとも海外向けは残り、2021年まで生産されています。

華やかな新技術を毎年のように追加したわけでも、大ヒットで延命したわけでもありません。同じ基本設計のまま、必要とする市場へ作り続けた13年でした。

初代は、四駆を我慢して乗る時代を終わらせました。2代目は、四駆を時代の主役にしました。3代目は、主役であり続けるために常識を壊しました。

そして4代目は、主役でなくなっても残りました。

歓声が消え、砂漠からも去り、街から大きな四駆が減っていく。その最後まで、パジェロはパジェロを必要とする人のために、同じ形で待っていたのです。

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