カテゴリー: Mitsubishi

  • FTOとは

    FTOという名前を、三菱は若者に向き合おうとした二つの時代に使いました。

    最初が1970年のA61/A62/A63、ギャランクーペFTOです。当時の日本ではクーペが若者向け商品の中心であり、各社が小型の2ドアを競って出していました。三菱のこの一台も、実用車の部品を使いながら、見た目と価格で若い層に届かせようとしたクルマです。

    そして1994年のDE2A/DE3A。同じFTOの名を持つこの世代は、前輪駆動の2ドアクーペに1.8Lの直4、そして2.0LのV6を積んでいます。上級のGPX/GPRに搭載された6A12型MIVECは200PSに達し、当時のFF車としては突出した高回転型でした。日本カー・オブ・ザ・イヤーも受賞しています。

    それでも記憶に残りにくいのは、この時期の三菱がランサーエボリューションとパジェロという強い商品を抱えていたからでしょう。社内での序列が、そのまま市場での注目度になってしまいました。

    A61からDE2Aまで。FTOの歴史は、いい車を作っても、置かれた場所が悪ければ埋もれるという証拠です。

  • パジェロとは

    パジェロは、四輪駆動車を「我慢して乗るもの」から降ろしたクルマです。

    1982年のL040が出るまで、四駆は乗り心地が硬く、静粛性も期待できない道具でした。三菱自身、ジープのライセンス生産を長く続けてきた会社です。そこへフロント独立懸架を与え、屋根と全長を選べる商品構成にした。悪路性能を落とさずに、普段も乗れる乗用車として成立させたわけです。パリ・ダカール・ラリーでの実績が、その説得力を裏づけました。

    1991年のV20/V40で、パジェロは社会現象になります。RVブームの中心として、一時は国内販売台数でカローラを上回りました。四駆が「流行の乗り物」になった、日本で最初で最後に近い時期です。

    1999年のV60/V70は、その熱狂が引いたあとの世代でした。国内での存在感は薄れましたが、競技と実用の現場では相変わらず強い。街で主役でなくなっても、砂漠では王者のままだったわけです。

    2006年のV80/V90は、そのまま13年間作り続けられました。モデルチェンジをしなかったのではなく、できなかったという側面もあります。日本市場でSUVの主役がクロスオーバーへ移り、本格四駆の商売が細っていったからです。2019年、国内販売は終了しました。

    そして2026年、新型パジェロが戻ってきます。ラダーフレームを採用し、悪路走破性を正面から名乗る構成です。市場が一周した結果、この形式の価値がもう一度認められたということでしょう。

    L040から新型まで。パジェロの歴史は、四駆が道具から流行になり、また道具へ戻っていく40年の記録です。

  • ランサーエボリューションとは

    ランサーエボリューションは、ラリーに勝つためだけに10回作り直されたクルマです。

    始まりは1987年のE38A/E39A、ギャランVR-4でした。2.0Lターボの4G63型とフルタイム4WDという組み合わせで、三菱はWRCに本格参戦します。ただ、ギャランは車体が大きすぎました。同じ中身をもっと小さな箱に移せば速くなる。その発想から生まれたのが、1992年のCD9A、初代ランサーエボリューションです。

    競技に出るには市販台数の条件を満たす必要があります。だから作った。理屈としてはそれだけの、極端に用途の限られたクルマでした。それが即完売します。

    以降、三菱はほぼ毎年のように手を入れました。1994年のCE9AでII、翌年にはIIIへと進み、空力の造形が本格化します。1996年のCN9A、エボIVで登場したのがAYC、つまり左右後輪の駆動力を積極的に振り分けて曲がる機構でした。四駆は曲がりにくいという常識に、三菱は電子制御で殴りかかったわけです。

    1998年のCP9A、エボVでは車体の幅を広げて3ナンバーになり、ブレーキも大径化されます。翌年のVIはラリーでの耐久性に振った熟成版で、2000年のトミ・マキネンエディションがグループA時代の終わりを飾りました。

    2001年のCT9Aはランサーセディアを土台にした新世代です。エボVIIでACD(アクティブセンターデフ)が加わり、VIIIではAYCが強化され、2005年のIXでは4G63にMIVECが組み込まれます。エボIXは、13年使い続けた4G63型の最終形でした。

    2007年のCZ4A、エボXでエンジンがアルミブロックの4B11型へ切り替わります。ツインクラッチのSSTが選べるようになり、駆動系はS-AWCとして統合されました。速さも快適さも、それまでで最高です。

    ただ、三菱はすでにWRCから撤退していました。勝つために作る理由が消えたクルマは、2015年のファイナルエディションをもって生産を終えます。

    E38AからCZ4Aまで、10世代。ランエボの型式の並びは、日本のメーカーが世界のラリーで勝つために何を積み増していったかの記録そのものです。

  • パジェロ – 2026年新型【ラダーフレームへ戻った、三菱4WDの本流】

    パジェロ – 2026年新型【ラダーフレームへ戻った、三菱4WDの本流】

    パジェロが帰ってきます。

    2019年に日本向けの生産を終え、2021年には海外向けも終了。それから5年が経った2026年、三菱自動車は新型パジェロを同年秋に世界初公開すると発表しました。

    歴代パジェロは世界170以上の国と地域で累計325万台以上を販売し、ダカールラリーでは通算12勝。復活だけでも十分に大きな出来事です。

    ただ、新型で本当に面白いのは、名車が帰ってくることだけではありません。

    発表済みの構造と技術を見ると、40年以上の積み重ねを現代の技術でもう一度組み直そうとしていることが分かります。

    その象徴が、ラダーフレームへの回帰です。

    パジェロは、一度ラダーフレームを捨てている

    https://kuruma-dna.com/v60

    初代と2代目のパジェロは、頑丈なラダーフレームの上にボディを載せる、本格クロスカントリー4WDらしい構造を採用していました。

    ところが1999年に登場した3代目で、三菱は従来のラダーフレームをやめ、フレームをボディへ一体化した「ビルトインフレーム・モノコック」へ移行します。

    狙いは軽量化や低重心化だけではありません。オフロード車は舗装路で我慢が必要だという常識を変えようとしていました。

    悪路には強いが、街中や高速道路では疲れるクルマではなく、どこを走っても快適で、それでも本格的な悪路へ入っていけるクルマ。そのために、パジェロの象徴だった骨格を自ら捨てたのです。

    2006年の4代目も、ビルトインフレーム・モノコックと4輪独立懸架を継承しました。歴代パジェロは3代目以降、単純な悪路性能の競争ではなく、本格4WDをどこまで乗用車として成立させられるかを追い続けました。

    27年後、同じ目的のために戻る

    2026年新型パジェロのラダーフレームイメージ
    画像:三菱自動車

    2026年の新型パジェロでは、再びラダーフレームが採用されます。

    ベースは、現行トライトンの強靭なラダーフレーム。ただし、ピックアップトラックの荷台をSUVボディへ置き換えるだけではありません。フレームには改良を施し、キャビンと前後サスペンションもパジェロ専用に開発されます。

    狙っているのは、本格的な悪路走破性を確保しながら、長距離移動でも疲れにくい上質な乗り心地です。

    ラダーフレームへ戻ったからといって、初代や2代目へ単純に戻るわけではない。初期パジェロの頑丈な骨格を取り戻しながら、3代目と4代目が追求した「舗装路でも快適な本格4WD」という思想を残そうとしています。

    構造は過去へ戻っても、目指すクルマは過去へ戻らない。

    新型パジェロの系譜上の面白さは、ここにあります。

    土台は、約20年ぶりに作り直した新しい骨格

    https://kuruma-dna.com/grj300

    新型が使うトライトン由来のフレームも、古い設計をそのまま流用したものではありません。

    現行トライトンの開発時、三菱はピックアップトラック用ラダーフレームを約20年ぶりにゼロから刷新しました。従来型の改良だけでは、将来求められる衝突安全性や剛性を確保できないと判断したためです。高強度・軽量鋼板を増やし、強さと重量の両立も図っています。

    つまり新型パジェロは昔ながらの構造へ回帰しながら、現在の安全基準と使用環境を前提に作られた骨格を使います。

    パジェロがいなかった5年間にも、三菱は次のパジェロに必要な土台を、トライトンという別の名前で作り続けていたのです。

    スーパーセレクトの思想に、S-AWCを重ねる

    https://kuruma-dna.com/cz4a

    パジェロの系譜では、4WDシステムも進化を続けてきました。

    1991年の2代目が採用したスーパーセレクト4WDは、2WD、センターデフ式フルタイム4WD、直結4WDを使い分け、舗装路での扱いやすさと悪路での強さを一つのシステムへ収めました。

    それ以降のパジェロにとって4WDは、単に四輪へ力を送る仕組みではありません。路面に応じて駆動力をどう使えば、誰もが意図した通り走れるのか。そこまで含めた技術になりました。

    新型には、その歴代の思想へ現在の統合制御を重ねるS-AWCが採用されます。

    S-AWCは駆動力と制動力を統合的に制御し、操縦性、安定性、走破性を高める技術です。ラダーフレームへ電子制御を組み合わせ、扱いやすい本格4WDを目指します。

    3連メーターは、飾りではない

    2026年新型パジェロのマルチメーターイメージ
    画像:三菱自動車

    新型には、歴代パジェロのダッシュボード中央に並んだ3連メーターをオマージュした「マルチメーター」も採用されます。

    表示するのは、高度、方位、外気温、車体の前後左右の傾き、左右のトルク配分。昔の形だけを懐かしく再現したのではなく、現在の車両制御と結びつく情報へ作り直しています。

    普段の街中では、ほとんど見ない情報かもしれません。

    けれど、普段は使わない情報まで用意すること自体、行き先を限定しないパジェロらしさでした。急勾配や岩場では、車体の姿勢と駆動力の行き先を自分で確かめられます。

    3連メーターは意匠としてではなく、冒険のための機能として戻ってきます。

    砂漠から東南アジアへ移った鍛錬の場

    https://kuruma-dna.com/e38a

    パジェロは1983年にダカールラリーへ初参戦し、2001年から2007年の7連覇を含む通算12回の総合優勝を記録しました。

    現在、パジェロ自身はラリーを走っていません。それでも三菱は、モータースポーツで市販車を鍛える方法をやめませんでした。

    トライトンを投入するアジアクロスカントリーラリーでは、2022年と2025年に総合優勝。そこで得た技術的な情報をトライトンだけでなく、新型パジェロにも生かしていると三菱は明言しています。

    競技の舞台はアフリカの砂漠から、急勾配、密林、泥濘が続く東南アジアへ変わりました。車名もパジェロからトライトンへ変わりました。

    それでも、壊れた原因を突き止め、直し、もう一度走らせ、その知見を市販車へ戻す。パジェロがいなかった期間にも、その作り方は途切れていません。

    復活を可能にした、三菱の現在地

    2026年新型パジェロのティザーイメージ
    画像:三菱自動車

    今回の復活には、三菱自動車の経営戦略も関係しています。

    三菱は2026年の新中長期ビジョンで、開発資源をASEAN商品群とオフロード商品群へ集中させる方針を示しました。新型パジェロを「三菱自動車らしさを体現する商品」と位置づけ、将来はシリーズ展開も図ります。

    現在の三菱にはトライトンの新しい骨格とS-AWCがあり、本格オフロード車を必要とする市場も残っています。

    懐かしい名前だから復活させるのではない。三菱がもう一度オフロードを自分たちの強みとして押し出すとき、その頂点に置ける名前がパジェロだったのでしょう。

    過去に戻るための復活ではない

    https://kuruma-dna.com/l040

    新型パジェロは、一つの世代を再現するクルマではありません。

    ラダーフレームは初代と2代目から。舗装路の快適性を諦めない思想は3代目と4代目から。四輪制御には現在のS-AWCが入り、3連メーターはデジタルのマルチメーターへ置き換わります。モータースポーツで鍛える開発方法も、トライトンを経由してつながりました。

    パワートレインや詳細な寸法、グレード構成など、まだ発表されていない部分は残っています。

    それでも、新型が目指すものはすでに見えています。

    パジェロが歴代モデルで追い続けたのは、単純な悪路走破性ではありません。本格4WDとして厳しい道を走れることと、乗用車として長距離を快適に移動できることを、一台の中でどう両立するか。その答えを探し続けたクルマでした。

    3代目では、そのためにラダーフレームを捨てました。

    そして新型では、同じ目的を実現するために、もう一度ラダーフレームを使います。

    骨格は27年前へ戻っても、パジェロが目指しているものは、一度も後ろを向いていません。

  • パジェロ – V80/V90【熱狂のあとを、13年走り続けたパジェロ】

    パジェロ – V80/V90【熱狂のあとを、13年走り続けたパジェロ】

    2006年、4代目パジェロが登場したとき、かつてのような熱狂はもうありませんでした。

    スキー場を埋めたRVブームは遠ざかり、街では軽くて燃費のいいクロスオーバーSUVが選ばれていた。三菱のダカール参戦も、間もなく終わろうとしていました。

    それでも4代目は、国内で13年間売られ続けます。

    大きく流行を作ることはなかった。しかし、誰かがまだ本物の四駆を必要としているかぎり、カタログから消えなかった。4代目は、拍手のない時代にパジェロが何者だったのかを、いちばんよく表した世代です。

    角張った姿へ戻した理由

    https://kuruma-dna.com/jb64

    4代目の姿には、ひと目で分かる変化がありました。

    3代目の大きく膨らんだフェンダーと曲線的な顔をやめ、ボンネットを水平に見せ、フロントグリルを立て、ボディ側面にも直線を戻した。初代や2代目を思わせる、四角いパジェロです。

    3代目の丸い姿に戸惑った人へ、三菱はもう一度「これがパジェロだ」と分かる形を差し出しました。背面スペアタイヤも、ツートーンカラーも残っています。

    ただし、これは昔へ戻るためのデザインではありませんでした。中身まで2代目のラダーフレームへ戻したわけではなく、3代目で選んだビルトインフレーム・モノコックと4輪独立懸架を継承しています。

    見た目は原点へ戻り、骨格は進化を引き返さない。 4代目の立ち位置は、その組み合わせに表れていました。

    変わって見えない、7割の再設計

    https://kuruma-dna.com/grj300

    4代目は、外から見ると3代目の改良型にも見えます。ホイールベースも基本的な車体構成も受け継いだからです。

    しかし三菱によれば、見直した構造は約70%。実質的な全面再設計でした。

    ビルトインフレーム・モノコックは、スポット溶接の範囲を広げ、カウルトップを高剛性化。高張力鋼板と構造用接着剤も使い、強度を上げながら重量増加を抑えました。サスペンションの取り付け部やリヤまわりの形状にも手を入れ、荒れた路面での動きと舗装路での落ち着きを詰めています。

    目指したのは、乗った瞬間に驚かせる新しさではありません。操作に対してクルマが自然に動き、長距離を走っても違和感が残らないことでした。

    派手な発明を看板にするのではなく、3代目で大きく変えた構造を、時間をかけて完成させる。4代目のモデルチェンジは、革命というより答え合わせでした。

    電子制御と機械式デフロックの共存

    https://kuruma-dna.com/cz4a

    4代目には、スーパーセレクト4WD-IIとASTC(アクティブスタビリティ&トラクションコントロール)が採用されました。

    ASTCは、滑りやすいカーブで車体の姿勢を整え、空転したタイヤにブレーキをかけて、接地しているタイヤへ駆動力を残す電子制御です。一方、泥濘地から脱出するときには、左右の後輪を直結する機械式リヤデフロックが強い。

    従来、この二つを同時に働かせるのは簡単ではありませんでした。デフを機械的に固定した状態へ電子制御が介入すれば、互いの狙いがぶつかるからです。

    4代目はリヤデフロックの作動をASTC側で検知し、協調して制御できるようにしました。電子制御か、昔ながらの機械か。そのどちらかを選ぶのではなく、必要な場面で両方を使う。

    それは、モノコックになっても本格四駆であり続けるという、3代目からの考え方をもう一段深めた技術でした。

    客が呼び戻した3.2Lディーゼル

    https://kuruma-dna.com/fzj100

    日本仕様の発売時に用意されたのは、V6 3.0LとV6 3.8Lのガソリンエンジンでした。歴代パジェロを支えてきたディーゼルは、国内仕様からいったん姿を消します。

    当時の日本では、排出ガスをめぐってディーゼル乗用車への風当たりが強く、各社が設定を縮小していました。しかし重い車体で長距離を走り、雪道や坂道を進み、荷物を積み、ときには何かを牽引するパジェロにとって、低回転から力を出すディーゼルは単なる廉価版ではありませんでした。

    復活を求める声を受け、2008年に3.2Lコモンレール式DI-Dが追加されます。2010年には排出ガス性能を高めたクリーンディーゼルへ進化しました。

    ブームのころなら、太いタイヤや豪華な装備が欲しい理由になったかもしれません。4代目を待っていた人が求めたのは、自分の使い方に必要なエンジンでした。

    流行ではなく用途で選ばれるクルマになった。 ディーゼルの復活は、4代目の客層を象徴しています。

    最後の勝利、その先にあった砂漠との別れ

    2002年ダカールラリーを走る3代目パジェロ
    画像:三菱自動車

    4代目の発売から約3か月後、2007年1月のダカールラリーで三菱は7大会連続、通算12回目の総合優勝を果たしました。

    優勝車は市販の4代目そのものではなく、競技専用のパジェロエボリューションです。それでも、パジェロという名前が世界で積み重ねてきた強さは、この勝利で頂点に達しました。

    その後、三菱は競技車をレーシングランサーへ切り替え、2009年にダカールから撤退します。1983年から続いた挑戦は終わり、砂漠で勝つことが市販車の説得力になった時代も幕を閉じました。

    4代目は、パジェロ最後のダカール優勝を見届けた世代です。そして皮肉にも、競技で名前を叫ばれなくなってからの方が、はるかに長く売られました。

    主役ではなくなった。その先に残る役割

    https://kuruma-dna.com/jb23

    2000年代後半のSUV市場で主役になったのは、舗装路での燃費と取り回しに優れたクロスオーバーでした。悪路に行かない人には、大きな副変速機も、リヤデフロックも、頑丈な車体も過剰です。

    家族を乗せるならミニバンがあり、街でSUVらしい姿を楽しむなら、もっと軽くて安い選択肢がある。かつて一台で引き受けていた役割は、別々のクルマへ分かれていきました。

    だから4代目は、2代目のように誰もが憧れる商品ではありませんでした。

    その代わり、雪国で確実に帰ってくること、長い距離を疲れずに走ること、舗装が終わった先まで家族と荷物を運ぶことを求める人には、代わりが少なかった。パジェロが必要な人の数は減っても、必要とされる理由は薄まりませんでした。

    ブームの中心から降りたことで、4代目はようやく、記号ではなく道具として愛されるようになったのだと思います。

    700台のファイナルエディション

    https://kuruma-dna.com/pajero-2026

    2019年、三菱は国内向けパジェロの生産終了を発表しました。最後に用意されたファイナルエディションは700台。3.2LクリーンディーゼルのEXCEEDをベースに、リヤデフロック、電動ロングサンルーフ、ルーフレール、本革シートなどを標準装備しました。

    国内累計販売は64万台以上。4代目だけでも13年間を走り切りました。日本向けが終わったあとも海外向けは残り、2021年まで生産されています。

    華やかな新技術を毎年のように追加したわけでも、大ヒットで延命したわけでもありません。同じ基本設計のまま、必要とする市場へ作り続けた13年でした。

    初代は、四駆を我慢して乗る時代を終わらせました。2代目は、四駆を時代の主役にしました。3代目は、主役であり続けるために常識を壊しました。

    そして4代目は、主役でなくなっても残りました。

    歓声が消え、砂漠からも去り、街から大きな四駆が減っていく。その最後まで、パジェロはパジェロを必要とする人のために、同じ形で待っていたのです。

  • パジェロ – V60/V70【街の主役を降りても、砂漠では王者だった】

    パジェロ – V60/V70【街の主役を降りても、砂漠では王者だった】

    1999年、パジェロはパジェロであるための骨格を、自分から捨てました。

    初代から2代目まで守ってきた、ボディと別体のラダーフレームをやめたのです。

    それは、丸くなったデザインよりも、豪華になった内装よりも大きな変化でした。本格四駆は頑丈なフレームを持つものだと信じられていた時代に、「その常識こそが次の弱点になる」と三菱は判断しました。

    2代目が完成させたのは、誰でも扱える四駆です。3代目に求められたのは、四駆であることさえ意識させない走りでした。

    「モノコックにするか」で、会社が割れた

    https://kuruma-dna.com/xj-cherokee

    3代目パジェロの開発で、最大の論点はエンジンでも装備でもなく、車体構造でした。開発陣の議論は、会社が二つに割れるほど激しかったといいます。

    ラダーフレームは、悪路で車体に強い力がかかっても耐えやすく、ダメージを受けたときに現地で修理しやすい。ウインチの取り付けや過酷な使い方まで考えれば、守りたい理由は十分にありました。

    一方で、フレームとボディが別であるかぎり、軽量化と低重心化、剛性、高速域の安定性、衝突安全性をすべて大きく引き上げるには限界があります。日常で乗る人が増えるほど、ラダーフレームの長所より、その制約が見えるようになっていたのです。

    フレームは、消えたのではなく内側に入った

    https://kuruma-dna.com/fzj100

    3代目が選んだのは、ラダー状の補強部材をボディと一体化した「ビルトインフレーム・モノコック」でした。乗用車と同じ構造に安易に寄せたのではなく、フレームの強さをモノコックの中へ持ち込む折衷案です。

    足まわりも4輪独立懸架へ変わりました。フロントはダブルウィッシュボーン、リヤはマルチリンク。タイヤの動きを左右独立で制御できるため、荒れた路面でのストロークを確保しながら、舗装路での安定性を大きく高められました。

    スーパーセレクト4WDも「II」へ進化します。電動アクチュエーターでモードを切り替え、通常時の前後トルク配分を従来の50:50から33:67へ。後輪寄りにすることで、四駆らしい安定感を残しながら、カーブで曲がりやすくしました。

    エンジンはV6 3.5L GDIと、新開発の3.2L直噴ディーゼルターボ。伝統的なクロカンを電子制御の現代的なSUVへ作り直す、ほぼゼロからの再設計でした。

    デザインもその構造変化を隠しませんでした。三菱がモチーフにしたのは、山猫が獲物を狙う瞬間の凝縮感。後付けのオーバーフェンダーで幅を強調した2代目に対し、3代目はボディ自体の面を大きく膨らませました。

    進化は正しかった。しかし、時代の真ん中ではなかった

    https://kuruma-dna.com/jb23

    3代目が登場したころ、日本のRVブームはすでに山を越えていました。1994年のRAV4、1995年のCR-V、1997年のハリアー。乗用車を土台にした軽くて快適なSUVが、悪路に行かない人には十分だと示していました。

    家族用の需要は、オデッセイやステップワゴンなどのミニバンにも流れていきます。7人で移動するなら、背の高い本格四駆ではなく、床が低くて室内が広いクルマを選べるようになったのです。

    そして、2代目の角張ったワイドボディを愛した人から見れば、3代目の丸みを帯びたフェンダーとモノコック化は「パジェロらしさ」を薄めたようにも見えました。

    ライトなSUVを求める人にはまだ本格的すぎ、本格四駆を求める人には乗用車的すぎる。 3代目は、市場の境目に立ったクルマでした。

    発売翌年、クルマではなく会社の信頼が崩れた

    3代目パジェロ V60/V70系(1999年)
    画像:三菱自動車

    3代目パジェロには、商品のできだけでは説明できない不運もありました。

    発売翌年の2000年、三菱自動車がクレーム情報を二重管理し、リコールの届け出をせずに改修を指示していた事実が発覚します。これは3代目パジェロ単独の問題ではありません。しかし買う側から見れば、エンブレムに対する信頼は、すべての車種に共通するものです。

    ちょうど市場がクロカン四駆からクロスオーバーとミニバンへ向かうなか、三菱の信頼問題が重なった。2代目のような社会現象を、3代目が国内で再現することはありませんでした。

    日本でブームが終わっても、世界では道具だった

    https://kuruma-dna.com/grj300

    それでも3代目の改革が失敗ではなかったことは、日本の外を見るとよくわかります。

    高速道路を長時間走り、大きなキャンピングトレーラーを牽引し、その先で未舗装路に入る。オーストラリアのアウトバックや、道路環境の厳しい国では、高速安定性と悪路走破性の両方が装飾ではなく実用でした。

    2代目が日本で愛されたのは、週末を自由にする記号だったからです。3代目が海外で評価されたのは、家族と荷物を必ず目的地まで運ぶ、生活のインフラになれたからです。

    モノコックへの疑いに、ダカールが答えた

    2002年ダカールラリーを走る3代目パジェロ
    画像:三菱自動車

    別体式ラダーフレームをやめれば、本当に過酷な環境で耐えられるのか。その疑問に、三菱はまた砂漠で答えました。

    2001年、ユッタ・クラインシュミットがダカールラリーで女性ドライバー初の総合優勝を達成。2002年には増岡浩が初優勝し、2003年に日本人初の2連覇を果たします。3代目の時代に始まった三菱の連勝は、2007年まで7年連続へ伸びました。

    ラリー車は市販車そのままではありません。それでも、モノコック化と低重心化、4輪独立懸架という方向が、パジェロから強さを奪ったわけではないことは証明されました。むしろ高速で長距離を走る砂漠では、その進化が武器になりました。

    壊したのは、パジェロらしさではなかった

    https://kuruma-dna.com/cz4a

    3代目パジェロは、2代目のように日本の街を支配したクルマではありません。デザインと構造の変化に戸惑った人がいて、国内のブームが終わり、その上に会社の信頼問題まで重なりました。

    しかし、この世代で作ったビルトインフレーム・モノコックと4輪独立懸架は、次の4代目にも基本的に受け継がれます。一度変えた骨格を、三菱は元に戻しませんでした。

    つまり3代目が捨てたのは、パジェロらしさではなく、「パジェロらしさはこの構造でなければならない」という思い込みだったのだと思います。

  • パジェロ – V20/V40【カローラを抜いた四駆】

    パジェロ – V20/V40【カローラを抜いた四駆】

    1992年、日本で月間販売台数1位になったのは、カローラではありませんでした。

    ラダーフレームに大きなボディを載せた、三菱パジェロです。

    年間でも8万3,000台以上を売り、月間販売ではカローラさえ抑えて1位になった。「乗用車のように使える四駆」という初代の提案が、2代目で国民的な商品になった瞬間でした。

    ただし、単にブームの波に乗ったわけではありません。その売れ方には、初代で残った「本格四駆の面倒さ」を技術で消した、2代目なりの理由がありました。

    初代の弱点から、スーパーセレクト4WDは生まれた

    スーパーセレクト4WDを初搭載した2代目パジェロ(1991年)
    画像:三菱自動車

    1991年1月に登場した2代目パジェロの核は、世界初の「スーパーセレクト4WD」でした。

    従来のパートタイム4WDは、悪路で前後輪を直結すると強い反面、そのまま舗装路の急カーブを曲がると、クルマ自身がブレーキをかけたような状態になります。タイトコーナーブレーキング現象です。

    雪道と乾いた舗装路が交互に現れるような場面では、ドライバーが駆動方式を意識し続けなければなりません。初代は快適な四駆でしたが、まだ四駆の知識をドライバーに求めるクルマでした。

    2代目は、2WDの「2H」、センターデフを使う4WDの「4H」、センターデフをロックする「4HLc」、さらに副変速機をローギヤにする「4LLc」を1本のレバーで選べるようにしました。時速100km以下なら走行中に2WDと4WDを切り替えられ、そのすべてのモードにマルチモードABSが対応しました。

    これはメカニズムの多さを誇る装備ではありません。知識がなくても、まず4Hで走ればいい。本格四駆を日用品にするための技術でした。

    「選べる」の意味が、用途から欲望へ変わった

    https://kuruma-dna.com/bj60

    2代目は、メタルトップ、ミッドルーフ、屋根を一段高くしたキックアップルーフ、幌型のJトップと、4つのボディタイプを用意しました。ショートかロングか、ナローかワイドか、ガソリンかディーゼルか、MTかATか。時期によってはグレード数が30を超えました。

    登場時のV6 3.0Lガソリンと2.5Lディーゼルターボに加え、1993年7月にはV6 3.5Lと2.8Lディーゼルターボも追加。ブームの間も、長距離での余裕を増やし続けました。

    初代のバリエーションは、商用から家族用まで、必要な用途をカバーするためのものでした。しかし2代目では、どんな自分に見せたいかまで選べるようになります。

    なかでも時代を象徴したのが、ワイドフェンダーでした。張り出したフェンダー、大きなタイヤ、サイドステップ、ツートンカラー。必要だから大きいのではなく、大きく見えることそのものが価値になっていました。

    1989年の税制改正で、3ナンバー車の自動車税が排気量を中心とする仕組みに改められ、従来の割高感が薄れたことも追い風でした。ワイドボディは、贅沢な見た目と手が届く現実性を同時に持てたのです。

    スキー場からお茶の間まで、パジェロだった

    https://kuruma-dna.com/fj80

    1990年代初頭、スキー板を積んだパジェロは、週末の高速道路や雪山の駐車場にあふれました。バンパーガードにフォグランプ、ルーフラック、背面スペアタイヤ。本当に必要かどうかより、それらが「この週末にどこかへ行く人」の記号になっていました。

    当時のRVは、実用性だけで売れたのではありません。セダンのトランクには入らない道具を積めること、家族や友人と遠くへ行けること、そしてそういう生活をしている人に見えること。実用と自己表現が、ひとつの大きなボディの中で重なっていました。

    その知名度を決定的にしたのが、テレビ番組『東京フレンドパーク』です。最後のダーツの賞品としてパジェロが登場し、観客が「パジェロ! パジェロ!」と連呼する。クルマ好きでなくても、パジェロは「当たったら嬉しい高級品」として毎週のようにお茶の間に届きました。

    自動車の車名が、あそこまで全国の子どもにまで知られた時代は、そう多くありません。

    カローラを抜いたのは、四駆の勝利だけではない

    2代目パジェロ V20/V40系(1991年)
    画像:三菱自動車

    1992年にパジェロが記録した年間8万3,000台以上という販売台数は、現在のSUV市場から見ても大きな数字です。しかも当時、新車販売の中心はまだセダンでした。

    つまりパジェロは、ランドクルーザーやサファリとの四駆対決に勝っただけではありません。ファミリーカーの座をセダンから奪ったのです。

    「乗り心地も積載性も、セダンで足りる」という常識に対し、「休日の可能性が広がる方がいい」という価値観が上回った。いまSUVが日本の乗用車の主流にいることを考えれば、この月間1位は一時的な珍事ではなく、市場が向かう方向を先に見せたのだと思います。

    パジェロが、一台のクルマではなくなった

    パジェロミニ(1994年)
    画像:三菱自動車

    本家の成功は、そのまま新しい家族を生みました。1994年にパジェロミニ、1995年にパジェロジュニア、1996年にチャレンジャー、1998年にパジェロイオ。大きさも価格も異なるクルマが、パジェロの名前と雰囲気を分け合いました。

    この時期の三菱にとって、パジェロは車種である以上にブランドでした。小さいクルマにも、家族向けのクルマにも、「パジェロのような生活」を移植できたからです。

    最後の反論は、市販車ベースの1–4位独占だった

    https://kuruma-dna.com/cp9a-1

    日常に近づき、豪華になり、社会現象になるほど、「もう本格四駆ではない」という疑いは強くなります。

    その反論は、1997年のダカールラリーで出ました。レギュレーション変更によりメーカーのプロトタイプ車が出場できなくなり、三菱は2代目パジェロをベースにしたT2仕様を急造します。結果は篠塚建次郎の日本人初となる総合優勝。三菱車が史上初の総合1–4位独占を果たしました。

    同年9月には、3.5L MIVECエンジンと4輪独立懸架を持つパジェロエボリューションが市販されます。快適な人気車と砂漠で勝つクルマを、最後まで別々の存在にしなかったわけです。

    売れすぎたパジェロが、次に残した難題

    https://kuruma-dna.com/xj-cherokee

    2代目パジェロは、初代が始めた「四駆を日常に持ち込む」という仕事を完成させました。スーパーセレクト4WDが操作の不安を消し、多彩なボディとグレードが買う理由を増やし、ダカールが本物であることを保証した。そして時代が、スキーとアウトドアとテレビでそれを増幅しました。

    一方で、パジェロが市場の真ん中に来たことで、四駆の常識そのものが変わります。ラダーフレームを持つことより、セダンより快適であることを求める人が増えていきました。

    自分が開いた市場に、自分の設計が古く見え始める。この成功者ならではの難題に答えるのが、1999年の3代目です。

  • パジェロ – L040【「我慢して乗る」を終わらせた】

    パジェロ – L040【「我慢して乗る」を終わらせた】

    四輪駆動車というのは、長いあいだ「我慢して乗るもの」でした。

    悪路に強いかわりに、乗り心地は硬く、静粛性は期待できず、高速道路では落ち着かない。そういう乗り物です。三菱に至っては、そのど真ん中にいた会社でした。ウィリス・ジープのライセンス生産を1953年から続け、日本の四駆といえば三菱ジープ、という時代を作ってきたからです。

    その会社が1982年5月に出したパジェロは、同じ悪路性能を持ちながら、まったく違う顔をしていました。

    そして10年も経たないうちに、日本のスキー場の駐車場はこのクルマとその後継で埋まることになります。

    ジープを作り続けた会社が、ジープを作らなかった

    https://kuruma-dna.com/bj-fj20

    初代パジェロが登場した1982年、三菱はすでに30年近くジープを作っていました。四駆の作り方を知らなかったわけではありません。むしろ、知りすぎているくらいでした。

    だからこそ興味深いのは、パジェロがジープの改良版として出てこなかったことです。

    ラダーフレームという骨格は引き継ぎながら、ボディは2ボックスのワゴン。フロントサスペンションは独立懸架。乗用車の使い方を前提にした設計思想が最初から入っています。

    三菱自身も、パジェロを「新世代の4WD」と位置づけて発表しました。ジープの後継ではなく、別のカテゴリーの提案だったわけです。

    実際、この時期に民間向けジープの整理が進んでいたことを踏まえると、パジェロは置き換えでありながら、置き換えではありませんでした。同じ客に同じものを売り直すのではなく、四駆を買わなかった人に売るためのクルマだったからです。

    フロント独立懸架という、賛否のある選択

    https://kuruma-dna.com/fj40

    初代パジェロで最も語られるべきなのは、フロントに独立懸架を採用したことでしょう。

    当時の本格四駆は、前後ともリジッドアクスルが常識でした。左右の車輪が1本の軸でつながっている方が、極端な凹凸でもタイヤを接地させやすく、構造も頑丈だからです。悪路だけを見れば、リジッドの方が有利な場面は確かにあります。

    それでも三菱は独立懸架を選びました。舗装路での乗り心地と直進安定性を、悪路性能と同じ土俵に乗せるためです。

    これは単なる快適装備の話ではありません。四駆をどこで使う乗り物と定義するか、という商品の根本に関わる判断でした。山に入る前後に、何時間も舗装路を走る。その時間を我慢の時間にしない。そう決めた設計です。

    そしてこの判断は、当時のライバルと並べたときに効いてきます。ランドクルーザー60系、日産サファリ、いすゞビッグホーン。どれも本格派でしたが、乗用車としての感触ではパジェロが頭ひとつ抜けていました。

    四駆を選ぶ理由が「悪路に行くから」だけではなくなった瞬間、この差は決定的になります。

    屋根も長さも選ばせた、商品としての幅

    https://kuruma-dna.com/fj55

    初代パジェロがうまかったのは、車体そのものだけではありません。

    デビュー時からメタルトップとキャンバストップを用意し、1983年3月には5ナンバーのワゴンを追加。同年7月にはロングボディを加え、1985年にはオートマチックまで用意しました。

    並べてみると、拡張の方向がはっきりしています。趣味の道具から、家族で使える道具へ。四駆に興味はあるが生活の中で無理なく使いたい、という層をひとつずつ拾いにいった動きです。

    5ナンバー設定は税金と車幅の心配を消し、ATは運転のハードルを下げ、乗用車用ディーゼルは静かで扱いやすい加速をもたらしました。当時の本格四駆でATを選べること自体が、「毎日乗る人」を客として想定している証拠です。

    道具として尖らせるのではなく、間口を広げる方向に手を入れ続けた。ここが初代パジェロの商品設計の芯でした。

    パリ・ダカールが、カタログより雄弁だった

    1985年ダカールラリー参戦車の初代パジェロ
    画像:三菱自動車

    一方で、間口を広げたクルマには必ずこう言われます。軟弱になったのではないか、と。

    その反論を、三菱は言葉ではなく結果で用意しました。パリ・ダカール・ラリーです。

    パジェロは1983年に初参戦し、市販車無改造クラスで優勝します。翌1984年には改造クラスで優勝。そして1985年、ついに総合優勝を獲得しました。

    ここで効いているのは、順番です。最初の勝利が「無改造クラス」だったという事実は、カタログのどんな文章よりも雄弁でした。売っているクルマと戦っているクルマが地続きである、という証明になったからです。

    日本国内でパジェロが「本物」として受け止められた背景には、この時期のダカールが確実にあります。四駆ブームという言葉が広まるより前に、パジェロは実績で説得を済ませていました。

    スキー場の駐車場で、パジェロは記号になった

    https://kuruma-dna.com/bj60

    そして1980年代後半、時代の方がパジェロに追いついてきます。

    バブル景気とスキーブームです。当時はSUVという言葉すら一般的ではなく、この手のクルマはクロスカントリー4WD、あるいはRVと呼ばれていました。週末に雪道を走って遊びに行く。その用途に、四駆はあまりに分かりやすく合致しました。

    面白いのは、買った人の多くが本気の悪路になど行かなかったことです。行き先はスキー場であり、アウトドアであり、多くの場合は舗装された生活道路でした。

    つまり市場が求めたのは、悪路を走る性能そのものではなく、悪路を走れるという事実だったわけです。そしてその需要に応えるには、悪路性能と日常の快適さを同時に持っている必要がありました。初代パジェロが1982年に選んだ設計が、そのまま答えになっていた形です。

    ゴツいシルエットにパリダカの実績が乗り、しかも5ナンバーでATが選べて、雪道で強い。都市に住む人が週末のために買うクルマとして、これほど説明しやすい商品はそう多くありません。

    パジェロは、四駆というジャンルを愛好家の手から解放しました。そして日本の若者にとって、四駆は我慢して乗る道具ではなく、乗っていること自体が態度表明になるクルマへ変わっていきます。

    63万台が、次の世代へ渡したもの

    https://kuruma-dna.com/lj10

    初代パジェロは、最終的に約63万台を売るヒットになりました。三菱の四駆が、専門的な道具から一般的な商品へ移った瞬間です。

    そして1992年、2代目パジェロは月間の国内新車販売台数で1位を獲得します。カローラのような大衆車を、クロカン四駆が抜いたわけです。この異常事態の土壌を耕したのは、間違いなく初代でした。

    この一台が定義したものは、その後もパジェロの背骨として残ります。悪路で本気であること。舗装路で我慢させないこと。用途に合わせて選ばせること。ダカールで証明し続けること。

    三菱ジープを作り続けた会社が、ジープではないものを作った。そこで生まれた「悪路も走れる乗用車」という発想は、いま私たちがSUVと呼んでいるクルマたちの、かなり早い時期の原型だったと言っていいと思います。

  • ランサーエボリューションX(CZ4A)の中古車ガイド【最後のランエボ、覚悟の値段に見合う一台か】

    ランサーエボリューションX(CZ4A)の中古車ガイド【最後のランエボ、覚悟の値段に見合う一台か】

    ランサーエボリューションX、型式CZ4A。三菱が「最後のランエボ」として世に送り出した一台です。2007年の登場から2015年のファイナルエディションまで、約8年にわたって生産されました。4WDターボセダンとして、このクルマに惹かれている人は今もまったく減っていません。

    ただ、中古で買おうとすると現実が見えてきます。相場はすでにかなり高騰しており、走行距離が少ない個体は300万〜400万円台が当たり前。ファイナルエディションに至っては500万円を超えることも珍しくありません。それだけ出して買うクルマだからこそ、「どこが怖くて、どこは安心できるのか」を冷静に知っておく意味があります。

    まず警戒すべきはSST車のミッション問題

    https://kuruma-dna.com/cz4a

    エボXの中古を検討するとき、最初に考えるべきは「5速MT車か、6速ツインクラッチSST車か」という選択です。SSTとは、2つのクラッチを自動制御する6速のオートマチックマニュアルトランスミッションのこと。素早い変速と2ペダルの快適さを両立した先進的な機構ですが、中古で買うとなると話が変わります。

    SST車は経年劣化により、クラッチの滑り、変速時の振動や異音、シフトレンジの切り替え不良といったトラブルが散見されます。

    バルブユニット内部のアルミ製プラグが斜めに噛み込んで割れたり、内部のバネが折れることで油圧がかからなくなり、クラッチが切れなくなるケースも報告されています。さらに、フルードを圧送するオイルポンプのシャフトが焼き付き、SST自体がまったく反応しなくなって走行不能に陥ることもあります。

    問題は修理費です。ディーラーでアッセンブリー交換(ミッションまるごと交換)になると、約130万円という衝撃的な金額になります。専門ショップでの分解修理であれば20万〜75万円程度に抑えられる場合もありますが、いずれにしても軽い出費ではありません。

    SST車を選ぶなら、「いつかSSTの修理費がかかる」ことを織り込んで予算を組むべきです。逆に5速MT車であれば、この最大のリスクをまるごと回避できます。MT車の相場がSST車より高い傾向にあるのは、まさにこの理由です。

    駆動系と補機類に潜む車種固有のトラブル

    ランサーエボリューションX(CZ4A)のリア/サイド
    画像:Elise240SX/CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons

    エボXの走りの核であるS-AWC(スーパー・オール・ホイール・コントロール)。これはACD(アクティブ・センターデフ)とAYC(アクティブ・ヨー・コントロール)を統合制御して、4輪の駆動力と制動力を個別にコントロールする仕組みです。素晴らしい技術ですが、この油圧を生み出すAWCポンプに弱点があります。

    AWCポンプは右リアタイヤの後方、地面に近い位置に取り付けられています。そのため雨水や融雪剤がタイヤに巻き上げられてポンプに付着しやすく、ユニット自体が腐食・錆を起こして機能停止するケースがあります。三菱はこの不具合を認め、保証期間を延長した経緯があります。ただし、保証期間を過ぎた個体では修理費が約20万円かかります。

    AWCポンプが止まると、AYCもACDも機能しなくなります。普通に走れなくなるわけではありませんが、エボXの走りの根幹を失うことになるので、中古購入時には必ずこの部分の状態を確認すべきです。

    発電機であるオルタネーターも注意が必要です。エボXのオルタネーターにはクラッチプーリーという機構が使われており、これ自体がトラブルを起こしやすい部品です。純正新品は高額で、リビルト品でも部品代だけで5万円程度。前期型は特に年数が経っているため、いつ不具合が出てもおかしくない状況です。

    エアコンのコンプレッサーも、リビルト品の在庫が見つからないことがあるという厄介さがあります。壊れたときに「部品がない」という事態は、修理費以上にストレスになります。

    小さいが印象を悪くする不具合たち

    https://kuruma-dna.com/ct9a-4

    走行に直結しない部分でも、エボXには気になるポイントがいくつかあります。まず、ボンネットやフェンダーのエアアウトレット(排熱用の開口部)周辺の塗装剥げ。エンジンの熱を逃がすための構造上、ボンネット表面は熱にさらされやすく、クリア層が浮いたり剥がれたりする個体が少なくありません。同世代の他メーカー車と比べても進行が早いという声があり、屋外保管の個体では特に顕著です。

    ボンネットの塗装がまだら模様になっていたり、ダクト周辺だけ色が抜けていたりすると、クルマ全体の印象が一気に落ちます。塗り直しは可能ですが、ボンネット1枚で数万円の塗装費がかかります。中古車を見に行くときは、ここを最初にチェックしてください。

    ヘッドライトの黄ばみ・くすみも年式相応に進行します。HIDヘッドライトの純正新品は片側で約11万円と高額で、中古部品もほとんど流通していません。磨きやクリア再塗装で対処できるうちに手を打つのが現実的です。

    エアコン吹き出し口のルーバー(風向きを変えるツマミ部分)がもげるという、地味ながら萎える不具合もあります。樹脂の経年劣化で折れるだけなので瞬間接着剤で直せるレベルですが、内装の質感がもともと高くないエボXでは、こういう小さな破損が余計に目につきます。

    内装の質感については、多くのオーナーが「チープ」と評しています。ベースがギャランフォルティスとはいえ、300万円以上の車両価格に対して樹脂パネルの質感やフィッティングは物足りない部分があります。ただ、これは「壊れる」話ではなく「そういう車だ」という話なので、割り切りの範囲です。

    アイドリング時の回転が不安定になる症状も見かけます。スロットルバルブにカーボンが蓄積することが原因で、洗浄で改善するケースがほとんどです。深刻な故障ではありませんが、試乗時にアイドリングの挙動は確認しておきたいところです。

    逆に、ここはかなり強い

    https://kuruma-dna.com/ct9a-2

    弱点ばかり並べましたが、エボXには安心できる部位もしっかりあります。まず、心臓部の4B11エンジン。従来のランエボに搭載されていた鋳鉄ブロックの4G63から、アルミブロックの新設計エンジンに切り替わりました。軽量化と同時に、エンジン本体の基本的な耐久性は非常に高いレベルにあります。

    ノーマル状態で適切にオイル管理されていれば、10万kmを超えても大きなトラブルなく走り続ける個体が多く報告されています。「全く壊れないところが素敵で燃費も優しく走れば12km/L走る」という長期所有者の声もあるほどです。エンジン本体の信頼性は、このクルマの最大の安心材料と言ってよいでしょう。

    5速MT車のミッション自体も堅牢です。SST車のようなデリケートさはなく、クラッチ交換さえ適切に行えば長く使えます。MT車を選ぶ最大のメリットはここにあります。

    足回りの基本設計も優秀です。フロントがマクファーソンストラット式、リアがマルチリンク式で、ビルシュタイン製ダンパーとアイバッハ製スプリングの組み合わせ(ハイパフォーマンスパッケージ装着車)は、街乗りからスポーツ走行まで高い次元でバランスしています。ゴムブッシュ類は経年で劣化しますが、これは消耗品の範囲であり、構造的な弱さではありません。

    ブレンボ製ブレーキも、制動力・耐久性ともに信頼できます。パッドやローターは消耗品として交換が必要ですが、キャリパー本体のトラブルはほとんど聞きません。

    現車確認で見るべきポイント

    https://kuruma-dna.com/ct9a-1

    エボXの中古車を見に行くとき、まず確認すべきはカスタムの内容です。マフラー、エアクリーナー、車高調、ヘッドライトなど、社外品に交換されている個体が非常に多いのがこの車種の特徴です。問題は、それらが車検に対応しているかどうか。マフラーの認証が取れていなかったり、ヘッドライトが保安基準不適合だったりすると、あなたが購入後に車検で困ることになります。

    さらに重要なのが、純正部品が残っているかどうかです。社外パーツに交換した際の純正品が保管されていれば、車検時に戻すことができます。しかし「純正は残っていません」と言われた場合、エボXの純正部品は中古市場でほぼ見つかりません。

    なぜ中古部品が出回らないかというと、廃車になったエボXは海外需要が非常に高く、解体される前に車両ごと輸出されてしまうことが多いためです。結果として、バンパー、ヘッドライト、ドアミラーといった外装部品の中古がほとんど流通しません。ぶつけたら新品部品での修理になり、費用が跳ね上がります。

    ボンネットの塗装状態、ヘッドライトのくすみ具合、エアコンの効き、アイドリングの安定性は必ずチェックしてください。SST車であれば、リバースに入れたときにギヤがスムーズに噛み合うか、走行中の変速ショックや異音がないかを重点的に確認します。

    オイルフィラーキャップを外して内部を覗き、スラッジ(黒い汚れの塊)が溜まっていないかも見ておきたいところです。この手のスポーツカーでも、メンテナンスが雑だった個体は存在します。きれいに乗られていたかどうかは、こうした細部に表れます。

    結局、エボXの中古は買いなのか

    https://kuruma-dna.com/cp9a-1

    結論から言います。5速MT車であれば、弱点を理解したうえで条件付きでかなり買いです。SST車は、ミッション修理の覚悟と予算がある人に限り、検討の価値があります。

    エボXの最大の魅力は、4B11エンジンの信頼性とS-AWCによる圧倒的な走行性能を、セダンという実用的なボディで味わえることです。これは他のどの車種でも代替できません。ランエボという系譜はここで終わっており、後継車は存在しません。つまり、この体験ができるのはこの車だけです。

    ただし、維持にはそれなりの覚悟が要ります。AWCポンプの腐食リスク、SST車のミッション修理費、中古部品の枯渇による板金修理費の高騰。これらは「古いから仕方ない」で片付く話ではなく、この車種に固有の構造的な事情です。

    この車に手を出してよいのは、定期的なメンテナンスに費用をかけることを厭わない人、万一の高額修理に備えた予算的余裕がある人、そしてなにより「最後のランエボ」という存在に本気で価値を感じている人です。

    逆にやめた方がよいのは、「見た目がかっこいいから」だけで飛びつこうとしている人、購入後の維持費を甘く見ている人、そして修理や部品探しに時間と手間をかけることにストレスを感じる人です。

    エボXは、最後の進化を遂げたランエボとして、走りの完成度は間違いなく歴代最高です。

    相場が高いのは、それだけの価値があるからです。ただし、その価値を享受し続けるには、買った後にも相応のコストと愛情が必要になります。

    覚悟を決めて手に入れるなら、きっと裏切らない一台です。

  • 三菱FTO(DE2A/DE3A)の中古車ガイド【V6の快感と、部品供給の現実を天秤にかける】

    三菱FTO(DE2A/DE3A)の中古車ガイド【V6の快感と、部品供給の現実を天秤にかける】

    2リッターV6が7500回転まで回る快感。

    低く構えたクーペボディ。

    1994年のカー・オブ・ザ・イヤー。

    三菱FTOには、スペックだけでは語れない「乗れば分かる」気持ちよさがあります。

    ただ、最終型でも2000年生産。

    すべての個体が四半世紀を超えた今、「好き」だけでは乗り越えられない壁がいくつかあるのも事実です。

    この記事では、FTOを中古で買ううえで本当に警戒すべきことと、逆に安心できることを整理します。

    まず覚悟すべきは「部品供給」の現実

    https://kuruma-dna.com/de2a

    FTOの中古を検討するとき、最初にぶつかるのは故障そのものではなく、壊れたときに直せるかどうかという問題です。フロントバンパー、ヘッドライト、テールランプといった外装部品は、純正新品がほぼ手に入りません。

    エンジン内部のメタルやピストンですら、一部はすでに廃盤が出始めています。

    つまり、事故で外装を損傷した場合、中古部品を探すしかない。その中古部品の流通量も年々減っています。

    修復歴のある個体を避けたいのはどの車でも同じですが、FTOの場合は「ぶつけたら終わり」に近いレベルで避けるべきです。

    ただし、足回りやクラッチ周辺はミラージュやランサー、さらにはランサーエボリューションと基本コンポーネントを共用しているため、流用で対応できる部品がそれなりにあります。

    ここはFTOの隠れた強みで、三菱の他車種オーナーやショップとのつながりがあると、維持のハードルはかなり下がります。

    エンジンは丈夫、ただしオイル漏れとMIVECに注意

    三菱FTO(DE2A/DE3A)のインテリア
    画像:Afterburner33/CC BY-SA 3.0(Wikimedia Commons

    FTOの心臓部であるV6の6A12エンジンは、基本的にはタフなユニットです。20万kmを超えて元気に走っている個体も珍しくありません。同時代のスポーツカーと比べて競技で酷使された個体が少ないこともあり、エンジン内部が致命的に傷んでいるケースは相対的に少ないと言えます。

    ただし、経年で確実に出てくるのがオイル漏れです。ヘッドカバーのガスケット、カムホルダー、タペットパッキンあたりからの滲みは、走行距離を問わずかなりの確率で発生します。V6はバンクが2つあるぶん、漏れの箇所が多い。しかもエンジンルームが狭いため、修理のためにエンジンを降ろす必要が出ることもあり、工賃がかさみやすいのが厄介です。

    200馬力のMIVEC仕様(GPX、GPバージョンRなど)を選ぶなら、可変バルブ機構の状態も確認したいところです。

    高回転でカムが切り替わらない、いわゆる「半ベック」「ナイベック」と呼ばれる症状が出ると、5500回転以上でパワーが出なくなります。

    内部部品の摩耗が原因で、修理にはエンジンの分解が必要です。試乗時に高回転まで回して、明確にパワーの盛り上がりがあるかどうかを確認してください。

    なお、粘度の低いオイル(0Wや5W始まり)を入れるとオイル滲みが出やすくなる傾向が複数のオーナーから報告されています。購入後のオイル選びも少し気を遣うポイントです。

    内装の崩壊と、小さいが印象を悪くする不具合たち

    https://kuruma-dna.com/a61

    FTOの中古車で、見た目の印象を最も悪くしやすいのが内装の劣化です。センターコンソールのエアコン吹き出し口まわりの樹脂は、経年でベタベタと粘着質になり、さらに白く変色します。触ると指に付くレベルで、清掃しても根本的には直りません。

    シフトレバー周辺のパネルも脆く、触っただけで割れるという報告が複数あります。接着剤で補修してある個体も多いですが、見た目はどうしても悪い。

    こうした内装パーツは新品供給が絶望的なので、状態の良い中古部品を見つけるか、自分で塗装・補修する覚悟が要ります。

    エアコンにも注意が必要です。FTOにはエアコンフィルター(花粉フィルター)が装備されていないため、エバポレーターにカビが繁殖しやすく、独特の臭いが出やすい構造です。コンデンサーからのガス漏れやコンプレッサーの故障も報告されており、真夏にエアコンが効かないという状況は十分ありえます。

    パワーウインドウのスイッチやレギュレーターの不具合、集中ドアロックの故障、メーター照明の球切れといった電装系の小トラブルも散見されます。どれも走行には直接影響しませんが、中古車として見たときの「くたびれ感」を強く印象づけるものばかりです。

    サンルーフ付きの個体は、サンルーフ自体の故障リスクも頭に入れておくべきです。動かなくなる事例が複数あり、部品の入手も困難。雨漏りにつながる可能性もあるため、サンルーフ付きを積極的に選ぶ理由がなければ、非装着車のほうが安心です。

    MTとATで、それぞれ違う注意点

    https://kuruma-dna.com/da5

    FTOは当時のスポーツクーペとしては珍しく、AT車の比率が高い車種です。三菱が「INVECS-II」と呼んだスポーツモード付きATは、当時としては先進的な機構でした。ただし、学習制御が誤動作してシフトショックが大きくなる症状が出ることがあります。バッテリー端子を外してリセットすると改善する場合もありますが、ATF(オートマオイル)の交換履歴がない個体は、内部の劣化が進んでいる可能性があります。

    MT車を選ぶ場合は、1速と2速のギア比が大きく離れている点を知っておいてください。2速から1速へのシフトダウンでシンクロ(ギアの回転を合わせる機構)への負担が大きく、摩耗が進んでいる個体ではギア鳴りが出ることがあります。日常の街乗りではあまり気になりませんが、スポーツ走行を考えている人にとっては気になるポイントです。

    逆にここは強い

    https://kuruma-dna.com/s12

    弱点ばかり並べましたが、FTOには安心材料もしっかりあります。

    まず、車体の軽さ。MIVEC仕様のGPXでも車重は約1170kgしかありません。軽いということは、ブレーキやタイヤ、足回りへの負担が少ないということです。同世代のスポーツカーと比べても、消耗品のもちは良い傾向にあります。

    6A12エンジンそのものの基本設計も堅牢です。V6ならではの滑らかな回転フィールは、直4エンジンにありがちな不快な振動やノイズとは無縁。高回転まで気持ちよく回るのに、エンジン本体が壊れるという話はあまり聞きません。オイル管理さえしっかりしていれば、長く付き合えるエンジンです。

    足回りの部品がミラージュやランサーエボリューションと共用できる点は、維持の面で大きな助けになります。ロアアーム、ブッシュ類、クラッチ(エボI〜IIIのものが流用可能)など、FTO専用でなくても対応できる部品が多いのは、マイナー車種としては恵まれた環境です。

    後期型(1997年2月以降のマイナーチェンジ後)では、クロスメンバーにスポット溶接の補強が追加されており、ボディ剛性が若干向上しています。購入時に前期・後期の違いを意識するなら、この点は後期型を選ぶひとつの理由になります。

    現車確認で見るべきポイント

    三菱FTO(DE2A/DE3A)のエンジンルーム
    画像:Aethonatic/CC0(Wikimedia Commons

    エンジンをかけた直後のアイドリングが安定しているかどうかは、最初に確認してください。不安定だったり異音があれば、点火系や吸気系に問題を抱えている可能性があります。

    MIVEC仕様であれば、試乗で5500回転以上まで回す機会をつくり、カムの切り替わりでパワーがしっかり盛り上がるかを体感してください。高回転で頭打ち感があれば、MIVEC機構に不具合がある可能性があります。

    エンジンルームを覗いて、ヘッドカバー周辺やタイミングベルトカバー付近にオイルの滲みがないかを確認します。下回りでは、リアメンバーやフロアパネル、マフラーのタイコ周辺の錆を念入りにチェックしてください。降雪地域で使われていた個体は特に注意が必要です。

    室内では、センターコンソールのベタつきと割れ、パワーウインドウの動作速度(片側だけ遅いなら故障予兆)、エアコンの効き具合、メーター照明の明るさを確認します。ドアロックのリモコン操作も忘れずに。

    パワステホースからのオイル漏れは、ハンドルを左右にいっぱい切ったときに確認しやすくなります。パワステ関連の部品は廃盤になっているものがあるため、漏れが見つかった場合の修理は簡単ではありません。

    結局、FTOは買いなのか

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    正直に言えば、FTOは「誰にでもおすすめできる中古車」ではありません。数多い中古スポーツカーでも維持は難しい側になるでしょう。

    部品供給の問題は年々深刻になっており、壊れた箇所によっては直せない、あるいは直すのに途方もない手間がかかるという現実があります。

    ただ、2リッターV6が自然吸気で7500回転まで回る感覚、1170kgの軽い車体がワインディングで見せる身のこなし、そして今見ても色褪せないクーペスタイル。

    これらは他の車では代替できないものです。インテグラでもセリカでもシルビアでもない、FTOにしかない味があります。

    整備履歴が明確で、オイル漏れの対処がされていて、内装の状態が許容範囲にある個体を見つけられるなら、条件付きで買いです。

    できれば三菱車に強いショップや、FTOの整備経験があるメカニックとのつながりを持ったうえで購入に踏み切るのが理想です。

    逆に、「壊れたらディーラーに持っていけばいい」という感覚の人、修理費の予備予算を持てない人、外装をぶつけるリスクのある環境で使う人には向きません。この車は、好きだからこそ手間をかけられる人のための車です。

    FTOという車は、三菱が本気でスポーツカーを作っていた時代の、最後の輝きのひとつです。流通台数は確実に減っています。

    程度の良い個体に出会えたなら、それは今しかないチャンスかもしれません。

    弱点を理解したうえで手を伸ばすなら、きっと後悔しない1台になるはずです。