カテゴリー: Honda

  • プレリュード(BB6/BB8)の中古車ガイド【弱点を知れば怖くない!ハイソを感じよう】

    プレリュード(BB6/BB8)の中古車ガイド【弱点を知れば怖くない!ハイソを感じよう】

    5代目プレリュード。

    1996年に登場し、2001年に生産を終えた「最後の旧プレリュード」です。

    ワイド&ローのスタイリングに、前後ダブルウイッシュボーンのサスペンション、そしてH22A型VTEC。スペシャリティクーペとしての品格と、ホンダらしい走りの密度が同居した車です。

    ただ、すでに製造から25年以上。中古で手に入れるなら、「どこが怖くて、どこは安心できるのか」を知っておくことが、この車を長く楽しむための大前提になります。

    まず警戒すべきは「見た目の劣化」

    https://kuruma-dna.com/ba8

    5代目プレリュードで最初に目につきやすいのは、塗装のクリア層の剥がれです。

    ボンネットやルーフを中心に、クリアが浮いて白っぽくなっている個体は少なくありません。

    特に濃色系のボディカラーでは顕著で、屋外保管の個体では高確率で発生しています。

    走りには影響しませんが、見た目の印象を一気に落とします。全塗装となると数十万円コースですし、部分補修でも数万円は覚悟が必要です。

    「きれいな個体を選ぶ」のが最善策で、買ってから塗り直すのはコスト的にかなり厳しい選択になります。

    ヘッドライトの黄ばみ・くすみも同様です。

    5代目の縦型ヘッドライトはデザイン上の個性ですが、樹脂レンズの劣化で曇りが進行しやすく、磨いても再発しやすい傾向があります。夜間の視認性にも関わるので、状態は必ず確認してください。

    機構面の弱点を整理する

    プレリュード(BB6/BB8)のエンジンルーム
    画像:Natelee2003/CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)

    この車で最も注意が必要な機構系トラブルは、ラジエターのアッパータンク割れです。

    樹脂製のタンク部分が経年で劣化し、ひび割れから冷却水が漏れるケースが多く報告されています。走行距離が少なくても年数で劣化が進む部位なので、低走行車だからといって安心はできません。

    冷却水漏れはオーバーヒートに直結するため、放置すればエンジンに深刻なダメージを与えます。ラジエター本体の交換は部品さえ手に入れば作業自体は大がかりではありませんが、「気づかず乗り続けていた個体」を掴むと、エンジン側にまでダメージが及んでいる可能性があります。

    次に、エンジンまわりのオイル漏れ。

    ヘッドカバーガスケットやシリンダーヘッドのシール部からのにじみ・漏れは、この年代のH22Aではかなり高い頻度で見られます。

    ディーラー点検で指摘されるケースも多く、にじみ程度であれば即座に走行不能にはなりませんが、放置すると周辺部品への油汚れやゴム類の劣化を早めます。

    ガスケット交換自体は定番の整備ですが、複数箇所から同時に漏れている個体は、これまでのメンテナンス状況に疑問が残ります。

    購入前にエンジンルームの油汚れの程度をしっかり見てください。

    BB6のタイプSに標準装備されるATTS(アクティブ・トルク・トランスファー・システム)は、左右の駆動輪に駆動力を配分する機構です。

    コーナリング性能を高める先進的な仕組みですが、専用のユニットであるため、故障時の修理は簡単ではありません。

    ATTSのオイル漏れや制御不良が出ると、部品の入手性が問題になります。

    中古部品を探すか、専門ショップに頼ることになるため、修理費も読みにくい。タイプSを選ぶなら、ATTS周辺の状態確認は必須です。

    BB8に搭載される4WS(4輪操舵システム)も同様の注意が要ります。

    後輪を電子制御で操舵するこの機構はプレリュードの代名詞ともいえる装備ですが、制御ユニットやセンサーの不具合が出ると警告灯の点灯だけでなく、ハンドリングに違和感が出ることがあります。

    4WSの制御モジュールはトランク側に設置されており、専用ECUとの連携で動作しています。

    万が一壊れた場合、純正部品の新品供給は期待しにくく、対応できるショップも限られます。

    4WS付きのBB8を選ぶなら、この機構の整備履歴があるかどうかが大きな判断材料になります。

    小さいが印象を悪くしやすい不具合

    https://kuruma-dna.com/bf1

    パワーウインドウの動作不良は、この世代のホンダ車全般に見られる傾向ですが、プレリュードでも例外ではありません。レギュレーター(ガラスを上下させる機構)のモーターやワイヤーが劣化し、窓の動きが遅くなったり、途中で止まったりします。

    運転席側が特に使用頻度が高いため先に症状が出やすく、完全に動かなくなると窓が閉まらないまま走ることになります。走行性能には関係ありませんが、雨の日に窓が閉まらないのは相当なストレスです。

    内装では、ダッシュボードやセンターコンソール周辺の樹脂パーツのベタつきが出ている個体があります。90年代後半のホンダ車に使われていたソフトコーティング素材が経年で加水分解を起こし、触るとネチャッとした感触になるものです。

    見た目にも不潔な印象を与えますし、一度始まると進行を止めにくい。アルコールで拭き取る応急処置はできますが、根本的にはパーツ交換か表面の再処理が必要です。内装の状態は写真だけでは分かりにくいので、現車で必ず手で触って確認してください。

    サンルーフ付き車両では、排水経路の詰まりによる雨漏りも見逃せません。プレリュードはオプションでガラスサンルーフが設定されており、装着車は一定数流通しています。

    サンルーフ自体の開閉機構よりも、周囲の排水ドレンにゴミが詰まって室内に水が回るケースが厄介です。

    天井の内張りにシミがある個体は要注意。ルーフからの雨漏りは修理箇所の特定に手間がかかりやすく、放置すると電装系への影響も出ます。サンルーフなし車両を選ぶのも、リスク回避としては合理的な判断です。

    足回りでは、フロントロアアームのブーツ亀裂やリアタイロッドエンドのブーツ劣化が高頻度で指摘されます。ゴム部品の経年劣化としては一般的ですが、プレリュードは前後ダブルウイッシュボーンでアーム類が多いぶん、交換すべきブッシュやブーツの点数も多くなります。

    足回りのリフレッシュを一括でやると、部品代と工賃の合計はそれなりの金額になります。逆に言えば、購入前に足回りのゴム類が交換済みの個体は、それだけで安心材料になります。整備記録があれば必ず確認してください。

    AT車に搭載されるSマチック(ゲート式のセレクター)では、S4ランプの点滅症状が報告されることがあります。

    走行中にSモードの4速が入らなくなり、エンジンを再始動すると復帰するというもので、ATのセンサー系統の不具合が疑われます。頻発するようであれば、AT内部の点検が必要です。

    逆にここは強い

    https://kuruma-dna.com/ab

    H22A型エンジンの基本的な耐久性は高いです。2.2リッターDOHC VTECというスペックから「回して使うエンジン=壊れやすい」と思われがちですが、オイル管理さえしっかりしていれば、10万km超でも本体が致命的に壊れるケースは多くありません。

    VTECの切り替え機構も、この世代では十分に成熟しています。高回転域でのカムの切り替わりがスムーズで、機構的なトラブルの報告は比較的少ない。エンジン本体の信頼性は、この車を中古で買ううえでの大きな安心材料です。

    前後ダブルウイッシュボーンのサスペンション構造も、設計としては非常にしっかりしています。ゴム部品の劣化は避けられませんが、アーム類やナックルといった金属部品の強度は十分で、構造的な弱さはありません。

    ブッシュやダンパーを新品に入れ替えれば、足回りの動きは新車時に近い感触を取り戻せます。リフレッシュのしがいがある足回りだと言えます。

    ボディ剛性も、この車の隠れた美点です。サブフレーム一体型のモノコック構造が採用されており、フロントピラーも二重構造になっています。同年代のホンダ車の中でも、ボディのしっかり感は際立っています。

    経年でヤレが出にくいわけではありませんが、設計段階での剛性の高さが効いているため、きちんとメンテナンスされた個体であれば、25年経っても走りの芯が残っている車に出会えます。

    5速MTの信頼性も高い部類です。シフトフィールは軽快で、ホンダらしいカチッとした操作感があります。クラッチまわりの消耗はもちろんありますが、ミッション本体が壊れるという話はあまり聞きません。MT車を探しているなら、駆動系の信頼性は安心材料のひとつです。

    現車確認で見るべきポイント

    プレリュード(BB6/BB8)のリア/サイド
    画像:SsmIntrigue/CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)

    まず外装。ボンネット、ルーフ、トランクリッドのクリア剥がれを確認してください。特にルーフは見落としやすいので、離れた位置から光の反射で確認するのが有効です。

    エンジンルームを開けたら、ヘッドカバー周辺の油にじみをチェック。乾いた汚れなら過去のにじみの痕跡、湿った汚れなら現在進行形の漏れです。ラジエターのアッパータンク(上部の樹脂部分)にひび割れや白い粉状の析出がないかも見てください。

    室内では、ダッシュボードやスイッチ類を実際に触ること。ベタつきがあるかどうかは手で触らないと分かりません。パワーウインドウは全席、上げ下げの速度と途中の引っかかりを確認します。

    サンルーフ付きなら、天井の内張りにシミや変色がないか。開閉動作だけでなく、閉じた状態でのシール部分の劣化も見てください。

    タイプSならATTSのオイル漏れ、BB8なら4WSの警告灯が点灯していないか。試乗時には、低速での取り回しと中速域でのコーナリングで、ハンドリングに違和感がないかを体感してください。

    足回りは、段差を越えたときの異音やガタに注目します。コトコト、カタカタという音はブッシュやボールジョイントの劣化を示唆しています。整備記録簿があれば、足回りのゴム部品やラジエターの交換履歴があるかどうかを確認してください。

    結局、この車は買いなのか

    https://kuruma-dna.com/sn

    結論から言えば、今回の話を頭に入れて個体を選べるなら、買いです。

    5代目プレリュードは、ホンダがスペシャリティクーペに本気で取り組んだ最後の世代です。H22A VTECの気持ちよさ、前後ダブルウイッシュボーンが生む懐の深い足、そしてワイド&ローのスタイリング。この3つが揃った車は、今の市場ではなかなか見つかりません。

    ただし、塗装の劣化、ラジエターの樹脂割れ、ATTS・4WSの専用機構トラブルなど、「放置されていた個体」を掴むと修理費がかさむリスクはあります。特にATTSや4WSは、壊れてから直すのではなく、壊れていない個体を選ぶのが最善策です。

    この車に手を出してよいのは、購入前の現車確認にしっかり時間をかけられる人。そして、ゴム部品の交換や塗装の手入れといった「旧車を維持する基本コスト」を受け入れられる人です。ホンダ車に強い整備工場や専門ショップとのつながりがあれば、なお心強い。

    逆に、買ってすぐノーメンテで乗りたい人、見た目のきれいさを最優先にする人には向きません。クリア剥がれのない美品は流通台数が限られていますし、見つかっても価格は上がっています。

    5代目プレリュードは、90年代の日本車が持っていた「走りへの真面目さ」が凝縮された車です。新型プレリュードの復活で注目度も上がっていますが、BB6/BB8の持つアナログな走りの質感は、新型とはまったく別の魅力です。

    弱点を知り、状態のよい個体を選び、手をかけて乗る。そういう付き合い方ができるなら、この車はまだまだ十分に応えてくれます。

  • S500【ホンダが四輪メーカーになった日の証明書】

    S500【ホンダが四輪メーカーになった日の証明書】

    ホンダが四輪メーカーになった瞬間を、たった一台で証明したクルマがあります。

    1963年に登場したS500。

    排気量わずか531cc、最高出力44馬力。

    数字だけ見れば小さな存在ですが、このクルマが持っていた意味は、スペックの大小では測れません。

    二輪屋が四輪に乗り込んだ時代

    https://kuruma-dna.com/s600

    1960年代初頭、ホンダはすでに二輪車メーカーとしては世界的な成功を収めていました。マン島TTレースでの勝利、国内販売台数の急拡大。本田宗一郎にとって、次のステージは明確に四輪でした。

    ただ、当時の通産省はホンダの四輪参入に消極的だったとされています。いわゆる「特振法」の問題です。自動車産業を少数の大手メーカーに集約しようとする国の方針と、新規参入したいホンダの意志は真っ向からぶつかりました。本田宗一郎が「私にはクルマを作る権利がある」と反発したエピソードは広く知られています。

    S500は、そうした状況のなかで世に出たクルマです。単なる新車発表ではなく、ホンダという企業が四輪メーカーとして存在する権利を、製品で証明する行為だったわけです。

    二輪の設計思想がそのまま走った

    https://kuruma-dna.com/sports360

    S500の心臓部は、直列4気筒DOHC・531ccエンジン。注目すべきは、最高出力44馬力を8,000rpmで発生するという、当時の四輪としては異常な高回転型ユニットだったことです。リッターあたり約83馬力。この数字は、同時代の量産車としては飛び抜けています。

    なぜこんなエンジンが生まれたのか。答えは単純で、ホンダの設計者たちが二輪レースで培った高回転・高出力の技術をそのまま四輪に持ち込んだからです。4連キャブレター、ローラーチェーン駆動のカムシャフトなど、構成要素のひとつひとつに二輪の血が通っていました。

    もうひとつ、S500を語るうえで外せないのがチェーン駆動の後輪です。一般的な四輪車はプロペラシャフトとデフギアで後輪を駆動しますが、S500はリアにチェーンケースを備え、左右のホイールをそれぞれチェーンで回すという独自の方式を採用しました。これもまた、二輪的な発想の延長線上にあるものです。

    この方式は独立懸架との相性がよく、軽量なオープンスポーツとしてはバネ下重量の軽減にも寄与しました。ただし、構造の複雑さやメンテナンス性の面では課題もあり、後継のS600、S800へと進む過程で通常のリジッドアクスルへ変更されていきます。

    スポーツカーという選択の意味

    https://kuruma-dna.com/pp1

    ホンダが四輪第一号としてスポーツカーを選んだことには、明確な理由があります。本田宗一郎自身が「技術の高さを証明するにはスポーツカーが最適だ」という考えを持っていたとされています。実用車で勝負するのではなく、走りの性能で技術力を見せつける。二輪レースで世界を獲った企業としては、じつに一貫した戦略です。

    同時期にホンダは軽トラックのT360も発表しており、商用車と並行して開発が進んでいました。T360のほうが実際の発売はわずかに早かったとも言われますが、ホンダが「四輪の顔」として世に問うたのは、あくまでS500のほうでした。

    結果として、S500は1963年10月に発売されます。価格は45万9,000円。当時の大卒初任給が約1万6,000円ほどの時代ですから、安い買い物ではありません。しかし、小さなオープン2シーターが8,000回転まで回るエンジンを積んでいるという事実は、自動車好きの心をつかむには十分でした。

    生産台数の少なさが語ること

    https://kuruma-dna.com/jw5

    S500の生産台数は、わずか約1,363台とされています。きわめて少ない数字です。これは、S500がすぐにS600へとバトンを渡したことを意味しています。発売からわずか1年ほどで排気量を606ccに拡大したS600が登場し、S500は短命に終わりました。

    ただ、この短命さをネガティブに捉える必要はありません。S500はある意味で「走るプロトタイプ」に近い存在でした。市販車として世に出しながら、技術を磨き、次のモデルへ反映する。二輪レースで鍛えた「走りながら改良する」というホンダの文化が、そのまま四輪でも機能していたわけです。

    S600、そしてS800へと続くSシリーズの進化を見ると、S500で試みた高回転エンジンとライトウェイトスポーツの方向性がブレずに深化していることがわかります。S500は出発点であると同時に、方向を定めた羅針盤でもあったのです。

    ホンダらしさの原液

    https://kuruma-dna.com/sn

    S500が後のホンダに残したものは何か。それは「エンジンで語るメーカー」というアイデンティティの確立です。高回転・高出力、リッターあたりの馬力で勝負する。この思想は、のちのシビックやインテグラ、S2000に至るまで、ホンダのスポーツモデルに通底するDNAとなりました。

    VTECという可変バルブタイミング機構が1989年に登場したとき、多くの人がその高回転域の伸びに驚きましたが、ホンダにとっては1963年から一貫してやっていたことの延長でしかなかったとも言えます。

    また、S500が示した「実用車ではなくスポーツカーで技術を問う」という姿勢は、NSXやS2000の企画思想にもつながっています。ホンダがスポーツカーを作るとき、そこには必ず「技術の証明」という意志が込められる。その原点がS500です。

    531ccに詰まった企業の意志

    https://kuruma-dna.com/aa-city-turbo

    S500は、速さや性能の絶対値で語るクルマではありません。531ccの小さなエンジンを8,000回転まで回し切るという設計思想そのものに、ホンダという企業の性格がすべて表れています。

    二輪で世界を獲った技術を四輪に注ぎ込み、国の方針にも屈せず、スポーツカーで四輪市場に殴り込んだ。その最初の一撃がS500でした。生産台数はわずか、販売期間も短い。けれど、このクルマがなければ、その後のホンダの四輪史はまったく違うものになっていたはずです。

    S500は、ホンダが四輪メーカーになった日の、最も鮮烈な証明書です。

  • S600 / S800【バイク屋が本気で作った、最初の「ホンダの走り」】

    S600 / S800【バイク屋が本気で作った、最初の「ホンダの走り」】

    ホンダがまだ「バイクメーカー」だった時代に、四輪で最初に世に問うたスポーツカーがあります。

    S600、そしてS800。

    排気量こそ小さいけれど、この2台にはホンダという会社の性格がほとんどすべて詰まっていました。

    高回転型エンジンへの執念、レースで証明するという思想、そして「やるなら上から」という本田宗一郎の意地。

    ホンダの四輪史は、ここから始まっています。

    四輪参入の最前線

    ホンダS600
    画像:TTTNIS/CC0(Wikimedia Commons)

    https://kuruma-dna.com/honda-s500

    1960年代初頭、ホンダはすでに二輪車の世界チャンピオンでした。

    マン島TTレースを制し、世界GPで勝ちまくっていた。けれど本田宗一郎の視線は、もうバイクだけに向いていなかった。

    四輪車を作る。

    それも、軽トラックやファミリーカーではなく、スポーツカーから始める。

    この判断は、冷静に見ればかなり異様です。

    当時の通産省は、自動車メーカーの新規参入を事実上制限しようとしていました。いわゆる「特振法」の動きです。

    ホンダが四輪に乗り出すなら、今しかない。そういうタイミングの問題もあった。ただ、それだけでスポーツカーを選ぶ理由にはなりません。

    本田宗一郎にとって、スポーツカーは「技術の名刺」でした。

    二輪で培った高回転エンジン技術を、もっとも純粋に四輪で表現できるのがスポーツカーだった。

    最初に出すクルマで技術力を見せつけ、ブランドの格を決める。

    この戦略は、後のNSXやS2000にまで一貫して受け継がれることになります。

    S500からS600へ──走りながら完成させた

    https://kuruma-dna.com/sports360

    ホンダ初の市販スポーツカーは、正確にはS500(AS260)です。

    1963年に発売されましたが、生産台数はごくわずかで、実質的にはプロトタイプに近い存在でした。531ccのDOHC4気筒エンジンを積み、最高出力44馬力。リッターあたり80馬力を超えるこの数字は、当時の四輪車としては異次元のものです。

    ただ、S500は耐久性や生産体制に課題を抱えていました。

    ホンダはすぐに排気量を606ccに拡大し、1964年にS600(AS285)を投入します。最高出力は57馬力に向上。レブリミットは8,500rpmを超え、当時の量産車としては考えられない回転域を常用するエンジンでした。

    このエンジンの設計思想は、完全に二輪の延長線上にあります。4連キャブレター、ローラーベアリングを用いたクランクシャフト、そして極端なショートストローク。回して気持ちいいのではなく、回さなければ走らない。そういう性格のエンジンです。

    駆動方式もユニークでした。リアにチェーンドライブを採用し、左右独立のチェーンケースでそれぞれの後輪を駆動する。バイクの技術をそのまま持ち込んだような構造で、四輪の常識から見ればかなり変わっている。ただ、この方式のおかげで独立懸架との相性がよく、軽量な車体と合わせて軽快なハンドリングを実現していました。

    S800──小さなボディに本物の速さ

    https://kuruma-dna.com/pp1

    1966年に登場したS800(AS800)は、排気量を791ccに拡大したモデルです。

    最高出力は70馬力。車重わずか755kgの車体に、リッターあたり88馬力を超えるエンジンを載せたわけですから、動力性能は数字以上に鮮烈でした。最高速度は160km/hに達し、当時の1,500ccクラスに匹敵する速さを持っていた。

    S800の途中からは、リアの駆動方式がチェーンドライブからコンベンショナルなリジッドアクスル+コイルスプリングに変更されています。チェーン駆動はホンダらしい独自技術でしたが、メンテナンス性や耐久性の面で課題があった。ここは現実的な判断です。

    ボディはクーペとオープンの2タイプが用意されました。いずれも全長3,335mm程度のコンパクトな車体で、今の軽自動車よりわずかに大きい程度。この小ささが、ワインディングでの身のこなしを際立たせていました。

    レースでの活躍も見逃せません。S800は鈴鹿サーキットをはじめとする国内レースで数多くのクラス優勝を記録しています。ニュルブルクリンク500kmレースにも参戦し、クラス優勝を果たした。ホンダが「レースで勝つことで技術を証明する」という姿勢を四輪でも貫いた、最初の成功体験です。

    高回転の思想、その功罪

    https://kuruma-dna.com/jw5

    S600/S800のエンジンは、間違いなく当時の世界でも最先端の小排気量ユニットでした。ただ、この「回してナンボ」の性格は、万人向けとは言いがたい。低回転域のトルクは薄く、街乗りで気楽に流すような使い方には向いていませんでした。

    これは欠点というより、設計の優先順位の問題です。ホンダはこの時代、エンジンの絶対性能を最優先にしていた。乗りやすさや実用性は二の次。それが許された時代でもあったし、ホンダが最初に見せるべきものが「速さ」だったという事情もあります。

    内装の質感や装備の充実度は、正直なところトヨタや日産の同時代のクルマに比べると見劣りしました。ホンダはまだ四輪メーカーとしては新参で、生産技術やサプライチェーンの厚みが違った。ただ、それを補って余りあるほど、走りの純度が高かった。そこに惹かれた人が、このクルマを選んだわけです。

    ホンダのDNAはここに刻まれた

    https://kuruma-dna.com/sn

    S600/S800が後のホンダ車に残したものは、具体的な技術よりも思想です。エンジンで勝負する。高回転を恐れない。小さな排気量から最大限のパワーを絞り出す。この考え方は、シビックのCVCCにも、タイプRのVTECにも、S2000のF20Cにも、形を変えて受け継がれていきます。

    そしてもうひとつ。「最初にスポーツカーを作る」という選択そのものが、ホンダのブランド形成に決定的な影響を与えました。ホンダは実用車メーカーとしてではなく、走りの技術を持つメーカーとして四輪の世界に参入した。その原点がSシリーズです。

    S800の生産終了は1970年。排ガス規制の波が押し寄せ、ホンダは軽自動車のN360やシビックへと軸足を移していきます。

    Sシリーズの直接的な後継車が現れるのは、1999年のS2000まで約30年を待たなければなりません。

    けれどその30年間も、ホンダの四輪車にはどこかに「Sの記憶」が残っていました。エンジンを回す喜び、軽さへのこだわり、レースで証明するという姿勢。

    S600とS800は、ホンダが四輪メーカーとして何者であるかを最初に宣言したクルマです。

    あの小さなオープンボディの中に、ホンダの全部が入っていた。

    そう言っても、大げさではないと思います。

  • S660 – JW5【軽自動車枠で本気を出した、最後のミッドシップ】

    S660 – JW5【軽自動車枠で本気を出した、最後のミッドシップ】

    軽自動車でミッドシップ。

    この時点で、だいぶ変なクルマです。しかもそれを2015年に、しかもホンダが本気で市販した。

    S660という車は、冷静に見るほど「なぜこれが世に出たのか」が気になる一台です。

    ビートの後継ではなく、ビートの精神の続き

    https://kuruma-dna.com/pp1

    S660を語るとき、どうしても1991年のビートが引き合いに出されます。

    ホンダが軽自動車枠で作ったミッドシップオープンスポーツ。自然吸気の高回転エンジンを背中に積んだ、あの小さな名車です。

    ただ、S660はビートの直接の後継というよりも、「ビートが証明したこと」を引き継いだクルマと言ったほうが正確です。

    つまり、軽自動車の枠の中にも本気のスポーツカーは成立する、という命題。ビートの生産終了から約20年、ホンダがその命題にもう一度答えを出したのがS660でした。

    26歳の開発責任者が通した企画

    https://kuruma-dna.com/honda-s500

    S660の開発経緯は、ホンダの中でもかなり異例です。2010年に社内公募で行われた新商品企画コンテスト「Nプロジェクト」で、当時26歳だった椋本陵氏が提案したコンセプトが出発点になっています。

    若手が出したアイデアが、そのまま市販車の開発責任者に繋がるという流れ自体が、ホンダらしいと言えばホンダらしい。

    ただ、これを「若い情熱が会社を動かした美談」だけで片づけるのは少し表面的です。

    当時のホンダは、Nシリーズで軽自動車市場に本格的に再参入し、Nボックスが爆発的に売れていた時期。

    軽のプラットフォームやパワートレインの開発資産が社内に蓄積されていたからこそ、ミッドシップスポーツという変化球にもゴーサインが出せた。

    企画の情熱と、タイミングの両方が揃っていたわけです。

    660ccターボをリアミッドに積む意味

    https://kuruma-dna.com/s600

    S660のエンジンは、S07A型の直列3気筒ターボ。

    64馬力という数字は軽自動車の自主規制上限そのもので、数字だけ見ると特別なものではありません。でも、このエンジンをどこに積んだかが決定的に重要です。

    運転席のすぐ後ろ、リアアクスルの手前にエンジンを横置きするミッドシップレイアウト。

    これによって前後重量配分はほぼ45:55。

    軽自動車としては異例の、駆動輪にしっかり荷重が乗る設計です。フロントにエンジンがないぶんノーズは低く、重心も低い。結果として、660ccとは思えないほど回頭性が鋭く、コーナリングの手応えが濃いクルマになっています。

    トランスミッションは6速MTとCVTの2本立て。CVTにはパドルシフトが付き、MTを選ばない層にもスポーツ走行の入口を用意しました。ここにも「間口を広げたい」という企画意図が見えます。

    オープンだが、トランクがない

    https://kuruma-dna.com/sports360

    S660はタルガトップ式のオープンカーです。

    ルーフは手動で脱着するロールトップ方式で、外したルーフはフロントのボンネット内に収納します。ここで気づくのが、このクルマには実質的にトランクがないということ。フロントはルーフ収納用、リアはエンジンが占領している。荷物を積む場所が、ほぼありません。

    これを不便と見るか割り切りと見るかで、このクルマへの評価は分かれます。ただ、ホンダは最初からS660を「日常の足」として設計していません。走ることそのものが目的のクルマに、積載性を求めること自体がずれている。そういう企画判断を、軽自動車という最も実用性が問われるカテゴリで通したことに意味があります。

    足まわりの本気度

    https://kuruma-dna.com/fk2

    S660のサスペンションは前後ともにマクファーソンストラット式。形式だけ見れば一般的ですが、注目すべきはその専用設計の徹底ぶりです。フロントのロアアームはスポーツカー的なワイドトレッドを確保するために新設計され、リアサスもミッドシップレイアウトに合わせて専用のジオメトリが与えられています。

    ボディ剛性にもかなり手が入っています。軽自動車の規格寸法の中で、オープンボディの剛性を確保するのは構造的に難しい。S660ではフロア下にセンタートンネルを通し、サイドシル断面を大きく取ることで、オープンでありながら不快なボディのよじれを抑え込んでいます。

    結果として、街乗りでは「ちょっと硬いかな」と感じる場面もありますが、ワインディングに持ち込むと路面との対話が一気に濃くなる。そういう味付けです。

    限界と、それでも残したもの

    https://kuruma-dna.com/nc1-nsx

    もちろん、S660に弱点がないわけではありません。

    64馬力というパワーは、高速道路の合流や追い越しでは明確に不足します。ミッドシップゆえの室内の狭さ、エンジン音の侵入、前述のトランクレス。

    実用車としてはまったく成立しません。

    価格も軽自動車としては高めで、発売時の車両本体価格は約198万円から。上級グレードのαは約218万円。

    同じ予算でコンパクトカーのスポーツモデルが買える価格帯です。「軽にこの値段を出すのか」という声は、当然ありました。

    それでも、S660は2015年の発売直後からバックオーダーを抱え、ホンダの想定を上回る反響を得ています。

    数字だけでは測れない「運転する楽しさの密度」に、確かに応えたクルマだったということです。

    生産終了という結末

    https://kuruma-dna.com/jg1

    S660は2022年3月をもって生産を終了しました。

    最終モデルとして特別仕様車「Modulo X Version Z」が設定され、即完売。直接的な後継車は発表されていません。

    生産終了の背景には、軽自動車の安全基準・環境規制の強化があります。ミッドシップのオープン2シーターという形式を、今後の規制に適合させながら軽自動車の価格帯に収めるのは現実的に困難だった。これはホンダだけの問題ではなく、ダイハツ・コペンも含めた軽スポーツ全体の構造的な課題です。

    ただ、S660が残した意味は小さくありません。

    このクルマは「軽自動車でもスポーツカーの本質は成立する」というビート以来の命題に、現代の技術と規格で改めて答えを出しました。

    そしてその答えが、規制と市場の変化によって再び封じられた。

    S660は、ある時代にだけ許されたクルマです。

    だからこそ、今振り返る価値がある一台だと思います。

  • SPORTS 360【市販されなかったホンダの原点】

    SPORTS 360【市販されなかったホンダの原点】

    ホンダが初めて世に問うた四輪スポーツカーは、実は市販されていません。

    1962年、まだ二輪メーカーとしてしか認知されていなかったホンダが全日本自動車ショーに出展した小さなオープンカー。

    それがSPORTS 360です。

    型式もつかず、量産もされなかった。

    けれどこの車がなければ、S500もS600もS800も、おそらく存在しなかった。

    ホンダの四輪史を語るなら、ここから始めるのが筋というものです。

    これ、便宜上S660の系譜に入っていますが、実際はもっと広い血統の始祖と言えるようなクルマです。

    二輪屋が四輪を作る、という挑戦

    https://kuruma-dna.com/honda-s500

    1960年代初頭の日本は、通産省(現・経済産業省)が自動車産業の再編を進めようとしていた時代です。

    新規参入を制限する方向の政策が議論されており、二輪メーカーであるホンダが四輪に乗り出すこと自体が、行政との摩擦を伴う決断でした。

    本田宗一郎はそれでも四輪をやると決めていました。

    有名な話ですが、「私が何を作ろうと自由だ」という趣旨の発言を残しています。この言葉は単なる反骨精神ではなく、二輪で培った高回転エンジン技術を四輪に転用できるという技術的な確信に裏打ちされたものでした。

    ただ、いきなり大排気量のセダンで既存メーカーに挑むのは現実的ではありません。ホンダが選んだのは、自分たちの得意領域──小排気量・高回転・高出力──を最大限に活かせる軽自動車規格のスポーツカーという土俵でした。

    356ccで33馬力という異常値

    https://kuruma-dna.com/s600

    SPORTS 360の心臓部は、排気量わずか356ccの直列4気筒DOHCエンジンです。この数字だけ見ても、当時としては相当に異質だったことがわかります。軽自動車に4気筒、しかもDOHC。1960年代初頭の軽自動車といえば、2気筒や空冷の実用エンジンが当たり前の世界です。

    最高出力は33馬力、回転数は8,500rpmに達したとされています。リッターあたり約93馬力。この数字は、二輪レースで鍛えたホンダの高回転エンジン技術がそのまま持ち込まれた結果です。バイクのエンジン屋が四輪を作ると、こうなる。SPORTS 360はその証明のような存在でした。

    車両重量は約380kgと極めて軽量で、最高速度は130km/hを超えたとも言われています。当時の軽自動車としては破格の性能です。ただし、これらのスペックはプロトタイプ段階のものであり、量産仕様として確定した数値ではない点には注意が必要です。

    なぜ市販されなかったのか

    https://kuruma-dna.com/pp1

    全日本自動車ショーで大きな注目を集めたSPORTS 360ですが、結局そのまま市販には至りませんでした。理由として最も有力なのは、開発の過程でエンジン排気量を拡大する判断がなされたことです。

    360ccという軽自動車枠に収めるよりも、排気量を500ccに引き上げたほうが商品として成立する──そう判断されたと考えられています。実際、SPORTS 360の発表からわずか半年ほどで、排気量を531ccに拡大したS500が発表されます。エンジンの基本設計はSPORTS 360から引き継がれており、4気筒DOHC、チェーン駆動という構成は共通です。

    つまりSPORTS 360は、開発途上で「もっといける」と判断された結果、自らが進化形に道を譲った車です。打ち切りというよりは、発展的解消に近い。ホンダの四輪開発が驚くほどのスピードで進んでいたことの証拠でもあります。

    チェーン駆動という選択

    https://kuruma-dna.com/jw5

    SPORTS 360の駆動系には、後輪をチェーンで駆動する方式が採用されていました。これは後のS500にも引き継がれた特徴です。通常の四輪車であればプロペラシャフトとデファレンシャルギアで後輪に動力を伝えますが、ホンダはバイクの技術をそのまま応用するかたちで、チェーンドライブを選びました。

    この方式には、軽量化やレイアウトの自由度といったメリットがある一方で、耐久性やメンテナンス性では従来の駆動方式に劣る面もあります。実際、チェーン駆動が廃止されて一般的なドライブシャフト方式に変わるのは、1966年5月以降のS800からです。S500もS600も、そして初期のS800の一部も、チェーンで後輪を駆動していました。

    ただ、この判断をネガティブに捉えるのはやや短絡的です。ホンダには四輪の量産経験がなかった。二輪で実績のある技術を使って最短距離で四輪を成立させる、という合理的な選択だったとも読めます。完成度よりもスピードと独自性を優先した、スタートアップ的な判断です。

    S500、S600、S800への系譜

    https://kuruma-dna.com/sn

    SPORTS 360が切り拓いた道は、そのままホンダの四輪スポーツカーの系譜へと繋がります。S500は1963年に市販され、ホンダ初の量産四輪車となりました。続くS600は1964年に登場し、国内外で高い評価を獲得。さらにS800へと排気量を拡大しながら、ホンダは「小さくて速いスポーツカーを作るメーカー」というイメージを確立していきます。

    この系譜の起点にあるのがSPORTS 360です。小排気量DOHCエンジン、軽量ボディ、オープン2シーターという構成。ホンダが四輪で何をやりたかったのかは、すべてこの1台に凝縮されていました。

    さらに長い目で見れば、この「高回転・高出力の小排気量エンジンをスポーツカーに載せる」という思想は、ビートやS2000にまで通じるホンダの遺伝子です。SPORTS 360はその最初の発現でした。

    市販されなかった車が持つ意味

    https://kuruma-dna.com/aa-city-turbo

    SPORTS 360は1台も一般ユーザーの手に渡っていません。カタログスペックも量産仕様として確定していない。にもかかわらず、ホンダの四輪史を語るときにこの車の名前が必ず出てくるのは、それが単なるコンセプトカーではなく、実際に走る状態で完成していたプロトタイプだったからです。

    ショーモデルとして飾られただけの張りぼてではなく、エンジンが回り、走行できる実車として存在した。だからこそS500への発展が半年という短期間で実現できた。SPORTS 360は「作りかけの夢」ではなく、「完成した出発点」だったと言えます。

    市販されなかったことで、この車は商品としての評価を受ける機会を永遠に失いました。

    けれどその代わりに、ホンダが四輪メーカーとして歩み始めた瞬間の純粋な意志を、そのまま封じ込めた存在として残り続けています。

    売れたかどうかではなく、何を目指していたかが見える。

    それがSPORTS 360という車の、唯一無二の価値です。

  • BEAT – PP1【軽自動車にミッドシップを積んだ、ホンダの本気の遊び】

    BEAT – PP1【軽自動車にミッドシップを積んだ、ホンダの本気の遊び】

    軽自動車でミッドシップ。

    この言葉だけで、もう普通じゃないことはわかります。

    1991年、ホンダが世に送り出したビート(PP1)は、660ccの自然吸気エンジンをドライバーの背後に置き、フルオープンで走るという、どう考えても「売れ筋を狙った商品」ではありません。

    でも、だからこそ30年以上経った今でも語られ続けている。

    この車には、ホンダという会社がある時期に持っていた「やってみたかったからやった」という空気が、そのまま形になっています。

    バブルが許した「遊びの本気」

    ホンダ・ビート PP1
    画像:Guyon from Richmond, VA, United States of America/CC BY 2.0(Wikimedia Commons)

    https://kuruma-dna.com/jw5

    ビートが登場した1991年5月は、日本経済がバブルの余韻をまだ引きずっていた時期です。

    NSXが1990年に発売され、ホンダの技術的威信は頂点にありました。

    F1では連勝を重ね、社内の士気も高い。そんな時期に、軽自動車の枠でスポーツカーをやろうという企画が通ったこと自体が、時代の空気を物語っています。

    ただ、ビートは単なるバブルの浮かれ仕事ではありません。

    企画の発端は1980年代半ばに遡ります。ホンダ社内で「軽で本格的なオープンスポーツを作れないか」というアイデアが動き始め、若手エンジニアを中心としたチームが開発を担いました。

    当時のホンダには、LPL(ラージ・プロジェクト・リーダー)制と呼ばれる開発責任者制度があり、比較的若い技術者にも大きな裁量が与えられていました。

    この時代のホンダには、もうひとつ重要な背景があります。

    1990年の軽自動車規格改正です。排気量上限が550ccから660ccに引き上げられ、ボディサイズもわずかに拡大されました。

    この新規格への移行が、ビートのようなチャレンジングな企画に現実的な余地を与えたのは間違いありません。

    ミッドシップという選択の必然

    https://kuruma-dna.com/honda-s500

    ビート最大の特徴は、言うまでもなくミッドシップレイアウトです。エンジンを後輪車軸の前方、運転席の背後に横置きで搭載しています。

    軽自動車でこの配置を選ぶのは、コスト的にも設計的にも明らかに不利です。フロントにエンジンを置いたほうが、はるかに簡単に作れます。

    それでもミッドシップを選んだのは、走りの質を本気で追求したからです。

    重量物を車体中央に集めることで、ヨー慣性モーメント——つまり車が向きを変えるときの「もたつき」を小さくできます。軽い車体にこのレイアウトを組み合わせれば、ステアリングを切った瞬間にスッと向きが変わる、軽快な回頭性が得られます。

    ホンダにはアクティやバモスといったミッドシップ(リアエンジン寄りですが)レイアウトの軽商用車の知見がありました。

    まったくのゼロからミッドシップを作ったわけではなく、社内に蓄積された技術があったことも、この選択を後押ししています。ただし、ビートのためにフロアやサスペンションは専用設計されており、商用車の流用で済ませたような安易な作りではありません。

    NAで回して楽しむという哲学

    https://kuruma-dna.com/s600

    同時期のライバルを見ると、スズキ・カプチーノ(1991年)はターボ付き、ダイハツ・コペンはまだ登場前(2002年)。

    ABCトリオと呼ばれたオートザム AZ-1(1992年)もターボでした。軽スポーツの世界では、ターボで馬力を稼ぐのがほぼ常識だった時代です。

    ビートはそこに背を向けました。搭載されたE07Aエンジンは、自然吸気の直列3気筒SOHC 656cc。最高出力は64馬力で、軽自動車の自主規制上限に達しています。

    ただしその64馬力は、8,100rpmという高回転域で絞り出すもの。ホンダ独自のMTREC(Multi Throttle Responsive Engine Control)と呼ばれる3連スロットルシステムを採用し、各気筒に独立したスロットルボディを与えています。

    3連スロットルというのは、要するにアクセル操作に対するエンジンの反応を極限まで鋭くするための仕組みです。

    通常の1スロットルに比べて吸気の応答が速く、右足の動きにエンジンが即座に追従します。これはNSXやタイプRの系譜にも通じる、ホンダの「回して楽しい」という思想そのものです。

    トルクは絶対的に細い。最大トルクは6.1kgf·m/7,000rpmで、日常域では決して力強くはありません。

    でも、それがビートの狙いでもあります。エンジンを高回転まで回し切って走ることが前提の設計であり、低速トルクで楽をさせる車ではないのです。

    回さなければ遅い。回せば気持ちいい。

    この割り切りが、ビートの走りの核心です。

    オープンであることの意味

    https://kuruma-dna.com/sports360

    ビートはフルオープンボディです。ソフトトップの幌を手動で開閉する方式で、電動格納のような豪華さはありません。ただ、このオープン構造は単に「気持ちいいから」だけで選ばれたわけではありません。

    ミッドシップのオープンカーという構成は、エンジン音を直接ドライバーに届けるための装置でもあります。背後で回る3気筒の吸排気音が、幌を開けた瞬間にダイレクトに聞こえてくる。この体験は、屋根のある車では絶対に再現できません。ビートの開発陣が「五感で楽しむ車」を標榜していたことは、各種メディアでのインタビューでも繰り返し語られています。

    車重は760kg。軽自動車としても特別に軽いわけではありませんが、ミッドシップかつオープンという構造を考えれば十分に軽量です。ボディ剛性の確保には相応の苦労があったはずですが、サイドシルを太くするなどの構造的な工夫で対応しています。

    売れたのか、売れなかったのか

    https://kuruma-dna.com/pp1/used

    ビートは1991年5月の発売直後、予想を超える受注を集めました。初年度の販売は好調で、バックオーダーを抱えるほどだったと言われています。ただ、その勢いは長くは続きませんでした。

    バブル崩壊後の景気後退が直撃したこと、そして2シーターのオープン軽スポーツという商品がそもそもニッチであること。この二重の壁に、ビートは直面します。1996年に生産終了となるまでの総生産台数は約33,600台。数字だけ見れば大ヒットとは言えません。

    しかし、この台数を「少ない」と断じるのは少し違います。ビートは最初から大量に売ることを目的とした車ではありません。ホンダが自社のスポーツブランドとしてのアイデンティティを、軽自動車という最も身近なカテゴリーで表現するための車でした。その意味では、33,600台という数字は、むしろ健闘と言えます。

    ビートが残したもの

    https://kuruma-dna.com/ba8

    ビートの直接的な後継車は、長い間存在しませんでした。ホンダが再び軽オープンスポーツを世に出すのは、2015年のS660(JW5)まで待たなければなりません。実に19年のブランクです。

    S660はビートの精神的後継と位置づけられ、ミッドシップレイアウトを踏襲しました。ただしS660はターボエンジンを採用しており、ビートのNA高回転型という哲学はそのまま受け継がれたわけではありません。それでも「軽でミッドシップのオープンスポーツ」という系譜は、ビートなしには存在しなかったものです。

    もうひとつ、ビートが残した遺産があります。それは「軽自動車でも本気のスポーツカーが成立する」という証明です。カプチーノやAZ-1とともに、1990年代初頭の軽スポーツブームを形成したこの3台は、後のコペンやS660に至る道を切り開きました。ビートは、その中でも最も「走りの質」にこだわった一台だったと言っていいでしょう。

    660ccの自然吸気エンジンを8,000回転以上まで回し、ミッドシップの旋回性能を味わい、オープンエアの中でエンジン音を全身に浴びる。ビートが提供したのは、速さではなく「運転している実感」そのものでした。

    それは、数値では測れない価値です。

    だからこそ、PP1は今でも中古市場で根強い人気を保ち続けているのだと思います。

  • S2000 – AP1/AP2 【20世紀のホンダが放った、一代限りの特異点】

    S2000 – AP1/AP2 【20世紀のホンダが放った、一代限りの特異点】

    S2000は1998年のホンダ創立50周年を記念して企画され、1999年に発売されたFR・2シーター・オープンスポーツでした。

    ホンダ自身も、S2000を「50周年を記念して生まれた新世代オープンスポーツ」と位置づけており、しかも1999年の年表では「FRの2シーターオープンスポーツ」として明記しています。

    つまりS2000は、量販の流れの中で自然発生した車種ではなく、節目にホンダが自分たちのスポーツカー観を一気に注ぎ込んだ記念碑的モデルだったわけです。  

    ホンダらしくかなり偏っていた

    ホンダS2000
    画像:Calreyn88/CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)

    https://kuruma-dna.com/ap1/used

    S2000の面白さは、最初からわかりやすく売れるスポーツカーを狙っていないところです。

    軽い、前後重量配分に優れる、オープンである、しかもFR。ホンダはFFの名手という印象が強いのに、50周年記念車でわざわざこのレイアウトを選んできた。

    さらに2024年のホンダ公式デザインインタビューでは、S2000について「シートとステアリングの中心を一直線上に置けた」と振り返られており、ドライバー中心のパッケージに相当こだわって仕上げてきています。

    S2000は、便利さや分かりやすい速さではなく、ドライバーがクルマの中心に座る感覚そのものから作られていました。  

    VTECの名機、F20C

    ホンダS2000
    画像:Calreyn88/CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)

    https://kuruma-dna.com/cl1

    S2000をS2000たらしめている最大の要素は、やはりF20Cです。

    ホンダは1999年、この2.0L直列4気筒DOHC VTECを「自然吸気・量産2リッターとして125PS/Lという新基準」として発表しました。

    9,000rpmまで許容する高回転型で、量産自然吸気エンジンとして当時世界トップ級の比出力を持っています。

    ここがS2000の一番おかしいところで、普通ならオープンスポーツは気持ちよさ重視で少し穏やかにまとめるのに、ホンダはそこへ超高回転型のエンジンを積んできた。

    つまりS2000は、オープンカーとしての快適車ではなく、高回転NAエンジンを中心に全体を組んだスポーツカーだったんです。  

    速さより「回す意味」が前に出ている

    ホンダS2000
    画像:Calreyn88/CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)

    https://kuruma-dna.com/dc5

    F20Cの魅力は、単に数字が高いことじゃありません。

    高回転まできっちり回して初めておいしい領域が出てくるあの性格そのものが、S2000の性格と直結しています。低速トルクで楽をさせる方向ではなく、ドライバーがきちんと使って、回して、つないで気持ちよくなる方向です。

    エンジンがクルマ全体の空気を決めている。だからS2000は、同時代の大排気量FRと比べて絶対的な余裕で勝負するクルマではなく、操る濃さで勝負するスポーツカーになった。

    S2000自体は孤高のモデルですが、この設計思想はどこかで見たことがありますね…

    シャシーもかなり本気仕様

    https://kuruma-dna.com/ep3

    S2000がすごいのはエンジンだけじゃないです。

    ホンダ公式の説明でも、S2000は高剛性オープンボディと洗練されたシャシーを備えた「purest expression of Honda fun-to-drive DNA」とされています。

    さらに2000年には賛否はありますが可変ギアレシオステアリングのVGSまで導入されており、走りの質感や応答性をかなり真面目に詰めていたことはわかります。

    S2000は「50周年記念だから特別なエンジン積みました」で終わるクルマじゃない。ドライバーの操作と車体応答を高い解像度でつなぐために、全部がちゃんと組まれていた、パッケージとして非常に優秀な一台なのです。

    AP1は、S2000の原液だった

    https://kuruma-dna.com/bb5

    初期のAP1は、まさにS2000の原液です。

    2.0LのF20C、9,000rpm級の世界、シャープな応答、そしてどこか緊張感すらあるキャラクター。後年のAP2と比べると、より尖っていて、より「エンジンを使わせる」方向が強い。

    創立50周年記念車として世に出た最初のS2000は、妥協なく高回転自然吸気スポーツの純度を突き詰めた一台だったと見ていいです。

    要するにAP1は、S2000がなぜ今も特別視されるのかを、一番ストレートに語る仕様です。  

    S2000は、尖りっぱなしでは終わらなかった

    https://kuruma-dna.com/pp1

    2005年モデルでは、北米向けに2.2LのF22C1を積む仕様が登場します。

    ホンダ公式スペックでは、排気量は2,157ccへ拡大され、ストロークアップによって中速域の厚みが増しています。一方でレッドゾーンはやや下がります。

    ここがすごくS2000らしくて、単純にマイルド化したのではなく、高回転の魂を残したまま、使える領域を少し現実側へ寄せたんです。

    AP2はS2000を別物にした世代ではなく、孤高のスポーツカーを少しだけ熟成させた世代と見るのが自然です。  

    AP2の意味は、妥協ではなく“深く走れること”だった

    AP2はAP1ほど神格化されてはいませんが、非常に大事なモデルです。

    S2000はもともと純度が高すぎるクルマでした。そこへ2.2L化や細かな熟成を入れることで、ただ尖っただけの存在で終わらせず、より広い速度域と実用域でも気持ちよく走れるスポーツへ寄せていきました。

    これは単に性格を薄めたわけではなく、S2000という素材をもっと深く味わえるようにした改良だったと考えます。

    孤高ではあるけど、孤立はしていない。そこがAP2の良さです。  

    北米のCRで、ホンダは最後にもう一度本気を見せた

    みなさんはS2000 CRという仕様をご存知でしょうか。

    ホンダは北米にて2007年、S2000 CRをClub Racerの名の通り、より高いサーキット性能を狙った仕様として発表しました。

    公式発表では、ボディ剛性の強化、約40kgの軽量化、専用サスペンション、専用フロントスポイラーとリアスポイラー、さらに電動ソフトトップの代わりに着脱式アルミハードトップまで与えられている。

    これはもう、オープンスポーツの派生というより、S2000という素材を限界まで競技寄りに振った最終回答です。

    ホンダが最後に「こいつはまだまだ本気で走れるぞ」と示したのがCRでした。

    すべて「純度」に振り切れている

    https://kuruma-dna.com/na1

    S2000の強みを一言で言えば、

    スポーツカーとしての純度が異常に高いことです。

    FR。2シーター。オープン。高回転NA。

    ショートストロークの官能、回し切る快感。

    そして何よりこれがホンダから出た。

    この組み合わせがもう特殊すぎる。同時代を見渡しても、S2000みたいにホンダがFRの純血スポーツを本気で作るとこうなるをここまで鮮明に見せたクルマはありません。

    だからS2000はスペック比較だけでは測りにくいのです。

    クルマとして、何を気持ちよさの中心に置くかが、異様なまでにはっきりしているんです。  

    孤高のモデル「S2000」

    S2000は一代限りのモデルとなっていますが、この理由は明確です。

    ホンダの他のスポーツカー群とも少し文法が違うからです。

    NSXみたいな技術の旗艦でもない。Type RみたいなFF最前線でもない。ビートみたいな軽スポーツの延長でもない。

    S2000は、記念碑として生まれたFRオープンに、量産自然吸気高回転エンジンの異常な執念を載せたクルマでした。

    しかも後継もほぼ現れなかった。だからS2000は名車の中でも、ホンダが一度だけきれいに置いていった特異点みたいな存在なんだと思います。  

    最後も、やっぱり孤高のままだった

    2009年、ホンダは欧州向けにS2000 Ultimate Editionを発表し、S2000の生産終了を告げました。公式でもこれを「award winning sports car」の最終モデルと表現している。

    つまりS2000は、何かへ受け継がれて薄まるのではなく、最後までS2000のままで終わった。これもまた、このクルマらしいです。

    広げすぎず、媚びすぎず、最後まで独立したまま閉じた。だから今も、S2000だけはちょっと別の温度で語られ続ける。  

    まとめ

    S2000を現実として、孤高のまま生まれ、孤高のまま終わったホンダの純血FRスポーツです。

    便利さでも万能さでもなく、ドライバーが回して、操って、気持ちよくなることを中心に置いていました。

    S2000は何かの系譜に則った車種ではありません。

    しかし、その血統からは確かに、シビックやインテグラ、BeatからNSXまで、ホンダの思想の全てを感じ取ることができるのです。

  • シビックタイプR(EP3)の中古車は買い?【タイプR一族の異端児は、今こそ狙い目かもしれない】

    シビックタイプR(EP3)の中古車は買い?【タイプR一族の異端児は、今こそ狙い目かもしれない】

    歴代シビックタイプRのなかで、EP3はずっと日陰の存在でした。

    同時期のDC5インテグラタイプRに人気を持っていかれ、イギリス生産という出自も「本物のタイプRなのか」という疑念を招きました。

    でも、あの8,000回転まで淀みなく吹け上がるK20Aと、インパネから生えた6速シフトのクイックな操作感は、触れた人にしかわからない中毒性があります。

    そんなEP3に今、惹かれている人がいるとすれば、正直それはかなり筋のいい選択だと思います。

    ただし、この車には「知らずに買うと痛い目を見る」ポイントがいくつか確実にあります。ここから先は、その現実を正直に整理していきます。

    まず警戒すべきは「部品が手に入らない」という現実

    https://kuruma-dna.com/ep3

    EP3を中古で買ううえで、最初に知っておくべきことがあります。それは、壊れたときに直せるかどうかが、他のホンダ車とはまるで違うということです。

    このクルマ、日本国内での販売台数は5,000台に届きません。

    しかもイギリスのスウィンドン工場で生産された逆輸入車です。

    ドア、バンパー、ヘッドライト、フェンダー、ドアミラーといった外装部品の中古品は、市場にほとんど流通していません。タイプRという希少車ゆえに、事故車や廃車が出てもショップが車両ごと引き取ってしまうことが多く、部品単体ではまず見つからないのが実情です。

    とくに注意したいのがリアゲートです。

    ハッチバック特有の大きな一枚パネルで、リアバンパーも薄い設計のため、後ろからの軽い追突でもゲートまでダメージが及びやすい構造になっています。

    ここを壊すと、代替パーツの入手がきわめて困難で、修理費が車両価格に迫ることすらあり得ます。

    新品パーツもメーカーで生産終了になっているものが増えています。

    エアコン関連部品でディーラーに持ち込んでも「部品がないので修理できない」と断られた事例も出ています。

    EP3を買うということは、この部品事情を受け入れるということです。外装にダメージのない個体を選ぶことが、他のどの車種よりも重要になります。

    頻出する不具合と、地味に嫌なトラブル

    シビックタイプR(EP3)のリア/サイド
    画像:Tokumeigakarinoaoshima/CC0(Wikimedia Commons)

    EP3で最も報告が多いトラブルのひとつが、エアコンのコンプレッサーです。

    経年劣化による焼き付きや異音が春から秋にかけて集中的に発生します。コンプレッサーが壊れるとエアコンが完全に効かなくなるだけでなく、ひどい場合にはアイドリング時にエンジンが止まるという症状まで出ます。

    修理にはコンプレッサー本体だけでなく、エキスパンションバルブやコンデンサーの交換、配管の洗浄まで必要になることがあり、費用は10万円を軽く超えます。

    しかもFF車でエンジンルームに余裕がないため、フロントバンパーやラジエターを外さないとコンプレッサーにアクセスできず、工賃もかさみます。

    真夏にエアコンが死ぬのは精神的にも相当きついので、購入前にエアコンの動作確認は必須です。

    次に気をつけたいのが、前期型のオイル消費問題です。

    K20AのR-specエンジンは本来タフなユニットですが、前期型ではサーキット走行レベルの高速コーナリング時にオイルパン内のオイルが偏り、オイルストレーナーがオイルを吸えなくなるという構造的な弱点がありました。

    後期型ではストレーナーの位置変更などの対策が施されていますが、後期型は約1,000台しか売れておらず、流通量がきわめて少ないのが現実です。

    前期型を選ぶ場合は、オイル管理の履歴が特に重要になります。

    できればオイルフィラーキャップを外してエンジン内部を覗き、スラッジ(黒い汚れ)が溜まっていないかを確認してあげてください。距離が少なくても内部が汚れている個体は、オイル交換をサボっていた可能性が高いです。

    補機類では、ベルトのアイドラプーリーとテンショナーのベアリング劣化にも注意が必要です。

    エンジンから「ゴー」という大きな雑音が出始めたら、プーリーのベアリングが焼き付きかけているサインです。放置するとベルト切れに至り、走行不能になります。エンジンをかけたときに異音がないか、耳を澄ませて確認してください。

    SRSエアバッグの警告灯が点灯するという報告も散見されます。

    シート下のコネクターの接触不良が原因であることが多く、コネクターを抜き差しするだけで直る場合もありますが、警告灯が点いたままでは車検に通りません。小さなことですが、中古車としての印象を確実に悪くするポイントです。

    リアのテールランプ内部に結露や浸水が見られるという声もあります。

    走行に直接影響はないものの、見た目の印象が悪く、放置すると電球の接触不良にもつながります。現車確認の際、テールランプの内側が曇っていないかもチェックしておきたいところです。

    逆に、ここはかなり強い

    https://kuruma-dna.com/fl5

    弱点ばかり並べてきましたが、EP3には安心材料もしっかりあります。

    まず、心臓部であるK20Aエンジンそのものは、オイル管理さえまともなら非常にタフです。15万km走ってもエンジン内部がきれいな個体が存在するほどで、ホンダの高回転NAエンジンとしての基本設計の良さは折り紙つきです。

    6速ミッションの信頼性も高い部類に入ります。クロスレシオのギアは入りが良く、シフトフィーリングの評価はオーナーの間でも極めて高いです。

    インパネシフトという独特のレイアウトに抵抗を感じる人もいますが、実際に操作すると「ステアリングから近くてクイック」という利点が体感できます。

    レカロ製バケットシートとMOMO製ステアリングは、タイプR伝統の装備です。ホールド性が高く、長距離でも疲れにくいシートは、20年以上経った今でも十分に機能します。ヘタリが少ない個体であれば、これだけで購入動機になるレベルです。

    意外なところでは、実用性の高さも強みです。

    フラットフロアの採用で後席の足元は広く、リアシートを倒せばタイヤ1セットが積めるほどのラゲッジスペースが確保されています。3ドアハッチバックのタイプRでありながら、4人乗車で荷物を積んで長距離ドライブに出られる実用性は、EK9にはなかった美点です。

    燃費も2リッターのハイオク仕様としては優秀で、街乗りで11〜12km/L程度が期待できます。クロスレシオゆえに低回転で流すと速度が出にくい反面、回さなければ意外と燃料を食わないという性格です。

    現車確認で見るべきポイント

    https://kuruma-dna.com/fk8

    EP3の中古車を見に行くとき、まず確認すべきは外装のダメージの有無です。

    前述のとおり、外装パーツの入手が極端に困難なので、バンパー、フェンダー、リアゲートに補修痕や歪みがないかを入念にチェックしてください。

    修復歴ありの個体は、リアゲート周辺の板金状態を特に注意深く見る必要があります。

    エンジンは、まず冷間時に始動してアイドリングの安定性を確認します。異音がないか、排気に白煙が混じっていないか。オイルフィラーキャップを開けて内部の汚れ具合を見ることも忘れないでください。

    エアコンは実際にオンにして、冷風がしっかり出るか、コンプレッサーから異音がしないかを確認します。エアコンをオンにした状態でアイドリングが不安定にならないかも重要なチェック項目です。

    前期型か後期型かの確認も大切です。外観ではバンパー形状とヘッドライトの意匠が異なります。後期型はイモビライザーが標準装備され、オイル消費の対策も施されています。ただし後期型の流通量は極めて少ないため、前期型を選ぶ場合はオイル管理の履歴をより重視する必要があります。

    社外パーツへの交換状況も見ておきましょう。

    EP3はワンメイクレースが行われていなかったこともあり、ゴリゴリにチューニングされた個体は比較的少ないとされています。

    逆に言えば、ノーマルに近い状態の個体が見つかりやすいのはEP3の利点です。

    マフラー、エアクリーナー、車高調などが交換されている場合は、その理由と整備状態を確認できれば最高です。

    この車に手を出してよい人、やめた方がよい人

    https://kuruma-dna.com/fk2

    EP3が向いているのは、「タイプRの名前やブランドではなく、運転そのものの気持ちよさに価値を感じる人」です。8,000回転まで回るNAエンジンの快感、クイックな6速インパネシフト、軽快なハッチバックの身のこなし。この三拍子が揃ったクルマは、もう新車では手に入りません。

    部品の入手難を理解したうえで、外装をぶつけない自信がある人。あるいは、多少の修理費を覚悟できる人。そういう人にとっては、EK9やFD2よりもはるかに手が届きやすい価格で「本物のタイプR体験」ができる、非常にコスパの高い選択肢です。

    一方で、やめた方がよいのは、「壊れたらすぐディーラーに持ち込んで直してもらいたい」という人です。

    部品の廃番が進んでおり、ディーラーでは対応できないケースが増えています。EP3に強いショップや、リビルト部品のルートを自分で探す覚悟がない人には、正直おすすめしにくいです。

    また、サーキット走行を前提に考えている人も注意が必要です。

    前期型のオイル消費問題に加え、リアサスペンションのストロークが短い設計のため、車高調を入れると乗り心地が極端に悪化しやすいという特性があります。

    ノーマルの足回りで街乗りとワインディングを楽しむ、という使い方が最もEP3の良さを引き出せるスタイルです。

    結局、EP3は買いなのか

    https://kuruma-dna.com/fn2

    結論から言えば、条件付きで買いです。

    EP3は、歴代タイプRのなかで最も過小評価されてきた一台です。EK9のようなカリスマ性もなければ、FD2のような戦闘力もない。

    でも、K20Aの回転フィールとインパネ6速シフトの組み合わせは、運転する楽しさという一点において、他のどのタイプRにも負けていません。

    最大のリスクは部品供給です。外装をぶつけたら終わり、エアコンが壊れたら高額修理。

    この現実を受け入れられるかどうかが、EP3を買うかどうかの分水嶺になります。

    価格面では、EK9やFD2がプレミア化して300万〜400万円超の世界に行ってしまったのに対し、EP3はまだ100万円台から手が届きます。

    高回転NAのVTECを味わえるタイプRとしては、最後の「現実的な価格帯」にいる車です。

    ただ、この価格がいつまで続くかはわかりません。

    現存台数は確実に減っており、再評価の波はすでに始まっています。「いつか乗りたい」ではなく、「今、程度の良い個体があるなら動く」。

    EP3に関しては、そういうタイミングに来ていると言えるでしょう。

    早く買わないと無くなっちゃいますよ…!

  • アフィーラ – VISION-S【量産寸前まで辿り着いた、ソニーとホンダの夢】

    アフィーラ – VISION-S【量産寸前まで辿り着いた、ソニーとホンダの夢】

    家電メーカーがクルマを作る。

    2020年1月、ラスベガスのCES会場でソニーが披露した一台のセダンは、自動車業界の常識に正面から疑問符を投げかけました。

    そして6年後の2026年3月、そのクルマは一台も顧客の手に届くことなく、歴史の中に消えていきます。

    VISION-Sからアフィーラへ。

    この物語は、「クルマとは何か」が揺れ動いた電動時代の、もっとも象徴的な実験のひとつでした。

    CES 2020の衝撃

    CES 2020で公開されたソニー VISION-Sプロトタイプ
    写真:Joseph Zadeh/CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)

    2020年1月、ソニーの吉田憲一郎社長はCESのステージで「モバイルの次に来るメガトレンドはモビリティだ」と宣言しました。

    そしてその場で、完成度の高いEVプロトタイプVISION-Sを公開します。驚いたのは業界関係者だけではありません。

    なぜならテレビとPlayStationの会社が走れるクルマを持ってきたのですから。

    しかもこれは、張りぼてのモックアップではありませんでした。車内外に合計33個のセンサーを配置し、CMOSイメージセンサー13個、レーダー17個、ソリッドステート型LiDAR3個という構成で、レベル2相当の運転支援にも対応していました。

    車体の設計・製造は、トヨタ・スープラの生産でも知られるオーストリアのマグナ・シュタイヤーが担当。ボッシュ、NVIDIA、クアルコムといった名だたるサプライヤーも開発に参画しています。

    つまりVISION-Sは、ソニーが「自分たちの得意技」をクルマという箱に全部載せたらどうなるか、という壮大なデモンストレーションだったわけです。

    立体音響「360 Reality Audio」をシートに内蔵したスピーカーで再生し、ダッシュボード全面にパノラミックスクリーンを展開する。エンターテインメントの会社が考える「移動空間」の提案としては、これ以上ないくらい明快でした。

    「売るつもりはない」から「売りたい」へ

    アフィーラ
    画像:Syced/CC0(Wikimedia Commons)

    ただ、当初ソニーは明確に線を引いていました。開発責任者の川西泉氏は「現時点で製造や販売は考えていない」と繰り返し語っています。VISION-Sはあくまで、ソニーのセンサー技術を自動車メーカーに売り込むためのショーケースだったのです。

    ところが、世間の反応が想定を超えました。「ソニーが自動車メーカーになるのか?」という問いかけが世界中のメディアから殺到します。CES 2020の後、VISION-Sはオーストリアのグラーツに輸送され、さらに東京に戻されて開発が続けられました。明らかに、単なる展示用ではない扱いです。

    そして2022年のCESで、ソニーは大きく舵を切ります。SUVタイプのVISION-S 02を披露するとともに、EV事業の商用化を目指す新会社「ソニーモビリティ」の設立を発表。吉田社長は「移動を再定義できると確信している」と語りました。技術のショーケースだったはずのVISION-Sが、いつの間にか「売り物」に変わろうとしていたのです。

    ホンダとの合弁という選択

    アフィーラ
    画像:Syced/CC0(Wikimedia Commons)

    https://kuruma-dna.com/honda-motor-to-honda

    ソニーがクルマを作りたいと思っても、工場もなければ、量産のノウハウもありません。そこで手を組んだのがホンダでした。2022年3月に基本合意書を締結し、同年6月に合弁会社名を「ソニー・ホンダモビリティ(SHM)」と発表。9月に正式設立されています。

    この座組みは、かなり異色でした。

    ホンダが車体やプラットフォームの開発・生産を担い、ソニーがソフトウェア、エンターテインメント、UI/UXを主導する。いわば水平分業です。SHMの従業員はわずか約400人で、その大半がソフトウェア技術者。会長兼CEOの水野泰秀氏は「工場を持たず、アセットライトな新しい自動車の事業モデルをつくりたい」と語っています。

    エンジンがないEVだからこそ、ハードウェアを外注する分業モデルが成り立つ——。

    そういう仮説のもとに、このプロジェクトは動き出しました。テスラやBYDが垂直統合型で勝ちに行く世界で、真逆のアプローチを選んだことになります。

    アフィーラという名前の意味

    ジャパンモビリティショー2023のAFEELAプロトタイプ
    写真:HumanDX/CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)

    2023年1月のCES 2023で、SHMは新ブランド名「AFEELA(アフィーラ)」を発表し、プロトタイプを初公開しました。名前の由来は、真ん中に「FEEL(感じる)」を置き、コンセプトの頭文字「A」で挟んだもの。クルマと人との「感じ合う関係」を標榜するネーミングです。

    VISION-Sの後継として位置づけられたアフィーラは、Eセグメント相当の5人乗りセダンで、全長4,920mm、全幅1,900mm、全高1,460mm、ホイールベース3,000mm。見た目はVISION-Sの面影を残しつつも、よりシンプルでフラットな面構成に仕上げられていました。良くいえばクリーン、悪くいえば「印象が薄い」。あえてスマートフォン的な無個性さを選んだという話もあります。

    特徴的だったのは、フロントに配置された「メディアバー」と呼ばれる横長のLEDディスプレイ。従来のグリルに代わって、外部への情報発信やコミュニケーションを担う装置です。ソニーが2017年にNTTドコモと共同開発した「New Concept Cart SC-1」の発展形とも言える、この会社らしいアイデアでした。

    中身は「走るPlayStation」

    AFEELA 1プロトタイプのワイドディスプレイ内装
    写真:Banhada/CC BY 4.0(Wikimedia Commons)

    2025年1月のCES 2025で、ついに量産版AFEELA 1が正式発表されます。価格は89,900ドル(約1,420万円)から。グレードは上位の「Signature」と標準の「Origin」の2種類で、カリフォルニア州から先行販売し、2026年中旬に納車開始という計画でした。

    パワートレインは、前後に180kW(約244ps)のモーターを各1基搭載したAWD構成で、システム合計483ps。バッテリー容量は91kWhで、EPA推定航続距離は約300マイル(約483km)。充電はNACS規格を採用し、テスラのスーパーチャージャーネットワークが利用可能です。最大充電出力は150kW。

    ただ、数字だけ見ると正直なところ厳しい立ち位置でした。ほぼ同じバッテリー容量のLucid Air Touringは航続距離653kmを実現しており、電費性能で大きく水をあけられています。充電出力もテスラ・モデルSやLucid Airの250kWに対して150kW止まり。約1,400万円という価格帯で見ると、スペック面での訴求力は弱いと言わざるを得ません。

    では何で勝負するのか。答えはソフトウェアとエンターテインメントです。

    車内外に計40個のセンサーを配置し、Qualcomm Snapdragon Digital ChassisのSoCで最大800TOPSの演算性能を実現。レベル2+相当の先進運転支援「AFEELA Intelligent Drive」を搭載し、高速道路の巡航から市街地の右左折、駐車まで幅広くサポートする構想でした。

    室内では、PlayStation Remote Playに対応し、DualSenseコントローラーでPS5のゲームが車内で遊べます。Epic GamesのUnreal Engineを統合したインフォテインメント、AI対話型パーソナルエージェント、360 Spatial Sound Technologiesによる立体音響。川西泉社長(COO)はかつてPlayStationやPSPの開発を担当した人物で、「モビリティソフトウェアクリエイターを育てたい」と語っていました。要するにアフィーラは、クルマの形をしたソニーのプラットフォームだったのです。

    6年の助走、そして中止

    アフィーラ
    画像:Syced/CC0(Wikimedia Commons)

    しかし2026年3月25日、すべてが終わりました。

    ソニー・ホンダモビリティは、AFEELA 1および第2弾SUVモデルの開発・発売中止を正式に発表します。

    直接の引き金は、2026年3月12日に発表されたホンダの四輪電動化戦略の大幅見直しでした。ホンダは「Honda 0」シリーズを含む複数のEV開発を中止し、EV関連資産の減損などで最大約1.3兆円の損失を計上。SHMが前提としていたホンダからの技術やアセットの提供が困難になり、計画通りの商品化ができなくなったのです。

    背景にはEV市場の逆風があります。トランプ政権によるEV購入支援策の修正、カリフォルニア州の環境規制撤回、関税の影響。中国を除けば世界的にEV普及が減速する中で、新規参入ブランドが約1,400万円のセダンを売るのは、あまりに厳しい環境でした。

    CES 2026ではSUVプロトタイプまで披露し、カリフォルニア州トーランスにはデリバリーハブまでオープンしていました。オハイオ工場では試験生産も完了していたといいます。それだけに、ゴール直前での中止は衝撃的でした。

    予約済みの顧客には予約金の全額返金が案内されています。

    実験が残したもの

    2024年に展示されたAFEELAプロトタイプのフロントサイド
    写真:Syced/CC0(Wikimedia Commons)

    アフィーラは失敗だったのか。

    結果だけ見ればそうかもしれません。6年間にわたるティザー期間は長すぎましたし、その間に競合は先を走り続けました。約1,400万円で航続距離483km、充電150kWというスペックは、2026年の市場では見劣りします。セダンという車型も、SUV全盛の時代にはハンディキャップでした。

    ただ、このプロジェクトが投げかけた問いは、いまも有効です。

    クルマの価値は走行性能やスペックだけで決まるのか。移動空間としてのUXに、もっと可能性はないのか。ソフトウェアを軸にした水平分業で、自動車産業の構造は変えられるのか。

    VISION-Sが最初に見せた「ソニーらしいクルマ」の原型——

    センサーで世界を認識し、エンタメで車内を満たし、ソフトウェアで進化し続けるモビリティは、たとえアフィーラが市販されなくても、これからのクルマづくりが避けて通れないテーマそのものです。

    ソニーとホンダという、昭和の日本を代表する2大企業のタッグは、試合開始のゴングを聞くことができませんでした。

    けれど、リングに上がろうとしたこと自体が、自動車産業の地図を少しだけ動かしたのだと思います。

    VISION-Sからアフィーラへ。

    この6年間は、「クルマの定義」が書き換えられようとした時代の、もっとも誠実な実験のひとつでした。

  • プレリュード – BA8/BA9/BB1/BB4【バブルの全部入りが、時代に届かなかった4代目】

    プレリュード – BA8/BA9/BB1/BB4【バブルの全部入りが、時代に届かなかった4代目】

    プレリュードの全5世代のなかで、もっとも贅沢に作られたのはどれか。答えは、4代目です。

    ただしこの「贅沢」は、売れ行きには直結しませんでした。バブルの絶頂期に企画・開発され、崩壊直後の1991年に世に出た4代目プレリュード。

    新開発エンジン、電子制御4WS、3ナンバー専用のワイド&ローボディ——。技術と意欲をすべて詰め込んだ一台が、なぜ歴代モデルほどのヒットにならなかったのか。

    その背景を掘り下げると、「時代と車の関係」がよく見えてきます。

    バブルが生んだ、バブル崩壊後のクルマ

    https://kuruma-dna.com/ba4

    4代目プレリュードが発表されたのは1991年9月。まさにバブルがはじけた直後です。ただ、ここで大事なのは「クルマは発売のタイミングで作られるわけではない」ということ。3代目が1987年に登場しているので、4代目の開発はそのころからスタートしています。つまり、バブル発生とともに開発が始まり、絶頂期に熟成されたクルマなのです。

    先代の3代目は、バブル絶頂期の1988年に約5万8000台を売り上げ、日産シルビア(S13)とともに「デートカー」と呼ばれた時代の寵児でした。今では信じられないほど、2ドアクーペに人気があった時代です。

    その成功を受けて開発された4代目は、当然ながら「もっと上を目指す」という空気のなかで生まれています。開発陣に予算の制約を感じさせない、バブルの空気がそのまま凝縮されたクルマ。ただ、完成した頃には市場の風向きが完全に変わっていました。

    デートカーから、走りのクーペへ

    https://kuruma-dna.com/bb5

    4代目で最も大きかったのは、コンセプトの転換です。初代から3代目まで、プレリュードは「FFスペシャルティカー」として、スタイルや快適性で勝負するクルマでした。ところが4代目は、路線を大幅に変更します。スペシャルティカーからスポーティカーへ、明確に軸足を移したのです。

    背景にあったのは、1990年に登場したNSXの存在です。NSXが牽引するホンダのスポーツイメージと、同年のレジェンド2ドアハードトップに見られるラグジュアリー性。4代目プレリュードは、その両方をうまく取り込もうとした印象があります。

    外観も一新されました。2代目・3代目の象徴だったリトラクタブルヘッドライトを廃止し、丸みの強い砲弾型のフォルムに。当時ホンダは北米市場で高い評価を得ており、1988年に逆輸入で発売した初代アコードクーペの好評もあって、この北米テイストのデザイン変更は日本市場でも受け入れられました。ただし、リトラの廃止を惜しむ声は少なくありませんでした。

    3ナンバー専用ボディという決断

    https://kuruma-dna.com/ab

    4代目プレリュードで見逃せないのは、全車3ナンバーになったことです。ボディサイズは全長4440mm×全幅1765mm×全高1290mm。先代より全長を80mm縮め、全幅を70mm拡大、全高を5mm下げています。いわゆるワイド&ショートのプロポーションです。

    当時のホンダ自身の言葉を借りれば、「新しいプレリュードが最も重視したのは、スポーツ性能を高めること」。全幅を広げた理由は、クルマを大きく見せるためではなく、前席のゆったり感とトレッドの拡大による走行安定性を両立させるためでした。

    面白いのは、発売当初の乗車定員が4名だったこと。リヤシートのセンターに大型コンソールを配置し、あえて5人乗りにしなかった。効率より贅沢さを優先する設計思想は、まさにバブル期の産物です。この後席コンソールは不評で、1993年のマイナーチェンジで廃止されて5名乗車に変更されています。

    ただし、3ナンバー化と2.2Lへの排気量拡大は、日本の税制上はデメリットでもありました。5ナンバー枠を超えたことで自動車税が跳ね上がり、若年層には手が届きにくい存在になってしまったのです。

    H22Aという名機の誕生

    https://kuruma-dna.com/sn

    4代目プレリュードの心臓部には、2種類のエンジンが用意されました。Si系に搭載されたF22B型2.2L DOHC(160馬力)と、Si VTEC系に搭載されたH22A型2.2L DOHC VTEC(200馬力)です。

    とりわけH22Aは、ホンダのエンジン史においても特筆すべき存在です。ボア87.0mm×ストローク90.7mmのロングストローク設計ながら、VTECの恩恵で高回転域まで鋭く吹け上がる。200馬力/6800rpm、最大トルク22.3kgm/5500rpm。2.2LのNAでこの数値は、当時としてはかなりのハイスペックでした。

    このH22Aは「エンジンだけで80万円」とも言われたほど、細部にまでホンダの技術が凝縮されたユニットです。FRM(繊維強化金属)シリンダーライナーやクローズドデッキ構造のシリンダーブロックなど、レーシングエンジンに通じる贅沢な作り。後にフォーミュラ3やスーパー・ツーリングカーのベースエンジンとしても採用されています。

    H22Aはその後、5代目プレリュードでは220馬力にまでチューンされ、アコードユーロR(CL1)にも搭載されるなど、ホンダの2.2L系を代表する名機として長く活躍しました。その原点が、この4代目プレリュードなのです。

    電子制御4WSとセナのCM

    https://kuruma-dna.com/bf1

    4代目のもうひとつの目玉が、ハイパー4WSと呼ばれた電子制御式の四輪操舵システムです。3代目で世界初の量産機械式4WSを実現したプレリュードですが、4代目ではその考え方自体を変えています。

    従来の機械式は、前輪の操舵角に応じて後輪の切れ角が決まるシンプルな仕組みでした。4代目では電子制御化により、操舵角だけでなく車速やハンドル操作の速さも検知して後輪を制御するようになった。高速時の同位相の切れ角を抑えるいっぽう、低速走行時の逆位相の切れ角を拡大し、取り回しのよさと高速安定性を高次元で両立させています。

    足まわりは前後ともダブルウィッシュボーン式で、構成部品を全面刷新。ボディのワイド化と合わせて、走行安定性と乗り心地の質感が大幅に向上しました。当時の自動車ジャーナリストが「90年前後のフルモデルチェンジのなかでも、特に印象に残る」と評したほどです。

    そしてCMには、アイルトン・セナが起用されました。第二期ホンダF1の絶頂期、マクラーレン・ホンダで総合優勝を重ねていたセナが「さあ、走ろうか。」のキャッチコピーとともにプレリュードをドライブする姿は、当時大きな話題になりました。F1の勢いとプレリュードのスポーティ路線は、見事にシンクロしていたのです。

    売れなかった理由、残したもの

    https://kuruma-dna.com/pp1

    これだけの内容を持ちながら、4代目プレリュードの販売は振るいませんでした。モデル全体の販売台数は約8万5000台。2代目・3代目が年間5万台以上を記録した時代と比べると、明らかに低迷しています。

    理由は複合的です。まず、バブル崩壊によるクーペ市場そのものの縮小。さらに3ナンバー化と2.2Lエンジンによる維持費の増加。リトラクタブルヘッドライトの廃止による従来ファンの離反もあったでしょう。1990年代中盤以降はオデッセイやステップワゴンなどRV系が台頭し、2ドアクーペという選択肢自体が急速に存在感を失っていきました。

    ただ、走りの実力は本物でした。N1耐久シリーズ(現スーパー耐久)では、4WS非搭載のBB4型をベースにしたレース車両が参戦し、無敵を誇ったR32 GT-Rを脅かすほどの戦闘力を発揮しています。改造範囲が極めて狭いN1規定で好成績を残したということは、市販車としてのポテンシャルの高さを証明するものでした。

    型式の整理もしておきましょう。日本仕様では、SiがBA8型、Si 4WSがBA9型、Si VTEC 4WSがBB1型、Si VTECがBB4型。BB4はサンルーフや4WSを省いた軽量志向のモデルで、レースベースにもなった「走り」に振り切ったグレードです。

    4代目プレリュードは、プレリュード全5世代のなかで「ミッシングリンク」と呼ばれることがあります。初代のサンルーフ、2代目のABS、3代目の4WS、5代目の「最後のプレリュード」——。それぞれに語られるエピソードがあるなかで、4代目だけが印象の薄い世代として扱われがちです。

    しかし実態は真逆で、技術的にはもっとも意欲的で、もっとも贅沢に作られた世代でした。H22Aエンジンはその後のホンダスポーツの基幹ユニットとなり、電子制御4WSの知見は5代目のATTS(アクティブ・トルク・トランスファー・システム)へと発展しています。デートカーの殻を破り、本格的なスポーティクーペとして再定義されたのも、この4代目からです。

    時代に恵まれなかったことは事実です。けれど、バブルの熱量がそのまま封じ込められた4代目プレリュードは、ホンダが「全部やりたいことをやった」結果として生まれた、純度の高い一台だったと思います。売れたかどうかではなく、何を目指して何を実現したか。その視点で見ると、この世代のプレリュードは、歴代でもっとも「ホンダらしい」クルマだったのかもしれません。