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  • プレリュード – BB5/BB6/BB7/BB8【最後のプレリュードが背負った、デートカーの終焉】

    プレリュード – BB5/BB6/BB7/BB8【最後のプレリュードが背負った、デートカーの終焉】

    プレリュードという名前を聞いて、何を思い浮かべるかは世代で分かれます。3代目のリトラクタブルライトを思い出す人もいれば、4代目の4WSを語る人もいる。ただ、5代目──BB5/BB6/BB7/BB8型のことを語ろうとすると、少し空気が変わります。「あれ、最後のやつだよね」という一言が、たいてい先に出てくるからです。

    1996年に登場したこの5代目は、ホンダが持てる技術を惜しみなく投入した意欲作でした。にもかかわらず、販売は振るわず、2001年に生産終了。プレリュードという車名は、ここで途絶えます。なぜこの車は「最後」になったのか。それはクルマの出来とは別の次元で、時代が大きく動いていたからです。

    スペシャルティクーペの黄昏

    ホンダ・プレリュード BB5
    画像:Charles from Port Chester, New York/CC BY 2.0(Wikimedia Commons)

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    5代目プレリュードが世に出た1996年という年は、日本の自動車市場にとって明確な転換点でした。RVブームが本格化し、ミニバンやSUVが売れ筋の主役に躍り出ていた時期です。2ドアクーペ、とりわけ「デートカー」と呼ばれたスペシャルティクーペの市場は、急速にしぼんでいました。

    プレリュードが全盛だったのは3代目(BA系)から4代目(BA8/BB1〜BB4)にかけてです。特に3代目は月販1万台を超えるヒットを記録し、デートカーの代名詞とまで言われました。しかし4代目の時点ですでに販売は下降線をたどっており、5代目はその流れを覆さなければならない──という、かなり厳しい立場で開発がスタートしています。

    同時期のライバルを見ても状況は似ていました。トヨタ・セリカは同じく苦戦し、日産・シルビアも次世代を模索していた時代です。スペシャルティクーペというジャンルそのものが、存続を問われていたわけです。

    ATTSという回答

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    そんな逆風の中でホンダが出した答えが、ATTS(アクティブ・トルク・トランスファー・システム)でした。これは前輪の左右にトルク配分を可変させる機構で、要するに「曲がるときに外側の前輪へ多くの駆動力を送ることで、FF車の限界を引き上げる」という技術です。

    FF車はその構造上、アンダーステア──つまりハンドルを切っても外へ膨らみやすい傾向を持っています。ATTSはこの弱点を機械的に抑え込もうとしたもので、当時としてはかなり先進的な発想でした。SH-AWDへとつながるホンダの左右トルク配分技術の原点は、まさにここにあります。

    搭載されたのはBB6型(SiR系のATTS仕様)とBB8型(Type S)で、エンジンは2.2LのH22A型DOHC VTEC。最高出力は220ps(Type S)に達し、FFスペシャルティとしてはかなりの高出力でした。BB5型には2.2LのH22A(200ps仕様)、BB7型には2.0LのF20Bが搭載され、グレード構成はそれなりに幅を持たせていました。

    走りの評価と、売れなかった理由

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    走りの評価は、当時のメディアでも高いものでした。ATTSの効果は明確で、コーナーでのノーズの入り方がFF車の常識を超えていると評されています。ダブルウィッシュボーンの4輪独立懸架も健在で、足回りの質感は歴代プレリュードの中でも最上とする声がありました。

    ただ、走りが良いことと売れることは、この時代においてはまったく別の話でした。5代目プレリュードのデザインは、先代のシャープさからやや丸みを帯びた方向へシフトしています。これは好みの分かれるところで、「プレリュードらしくない」という意見も少なくありませんでした。

    さらに言えば、ホンダ自身がこの時期インテグラ・タイプRという強烈なFFスポーツを持っていたことも、プレリュードの立ち位置を難しくしていました。スポーツ性を求めるならインテグラ、ラグジュアリー寄りのクーペならアコードクーペがある。では、プレリュードは何なのか。この問いに対する明確な答えを、5代目は最後まで打ち出しきれなかったように見えます。

    ボディ設計の真面目さ

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    売れなかったからといって、手を抜いたクルマだったわけではありません。むしろ5代目プレリュードは、ホンダらしい真面目さが随所に出ています。

    ボディ剛性は先代比で大幅に向上しており、衝突安全性も当時の基準を高いレベルでクリアしていました。全幅は1,740mmとやや拡大されましたが、全高は1,315mmに抑えられ、低く構えたプロポーションは維持されています。ホイールベースは2,585mmで、2ドアクーペとしては余裕のある数値です。

    室内も、スペシャルティクーペとしては実用的な広さが確保されていました。後席はさすがに大人が長時間座るには厳しいものの、2ドアであることを考えれば十分なレベルです。トランク容量も日常使いに不便のない水準でした。

    つまり、このクルマは「走り」「技術」「パッケージング」のどれをとっても破綻がない。ただ、それだけでは時代の空気に勝てなかった。そこにこの世代のプレリュードの悲劇があります。

    1998年のマイナーチェンジ

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    1998年にはマイナーチェンジが実施されています。外観ではフロントバンパーやリアコンビランプのデザインが変更され、やや精悍な印象になりました。内装の質感も向上し、装備面でも細かな改良が加えられています。

    ただ、このマイナーチェンジで販売が大きく回復することはありませんでした。市場全体がクーペから離れていく流れは、一車種の改良で止められるものではなかったのです。

    Type Sの220psという出力は維持され、ATTSも継続搭載。走りの方向性はブレていません。しかし、ホンダ社内でもプレリュードの後継開発は事実上凍結されていたとされ、このマイナーチェンジが実質的な最終仕様となりました。

    プレリュードが残したもの

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    2001年、プレリュードは生産を終了します。1978年の初代から数えて23年、5世代にわたる歴史に幕が下りました。後継車は出ていません。

    ただ、技術的な遺産は確実に残っています。ATTSの左右トルク配分という考え方は、その後レジェンドやインスパイアに搭載されたSH-AWDへと発展しました。FFの限界を機構で超えるというアプローチは、5代目プレリュードが市販車として最初に実証したものです。この技術的な系譜を考えると、BB5〜BB8型は単なる「売れなかった最終型」ではなく、ホンダの駆動技術における重要な実験場だったと言えます。

    プレリュードという車名は、音楽用語で「前奏曲」を意味します。皮肉なことに、5代目は何かの前奏ではなく、ひとつの時代の終奏になりました。けれども、その終奏の中にこそ、次の時代の技術が仕込まれていた。そう考えると、最後のプレリュードは、名前の意味を別の形でまっとうしていたのかもしれません。

  • PRELUDE – BF1【24年ぶりの前奏曲は、ハイブリッドで何を語るか】

    PRELUDE – BF1【24年ぶりの前奏曲は、ハイブリッドで何を語るか】

    プレリュードという名前が、まさか2025年に新車のカタログに戻ってくるとは。

    5代目が生産を終えた2001年から数えて、じつに24年。その間、ホンダのラインナップにスペシャリティクーペは存在しませんでした。

    復活した6代目プレリュード(BF1)は、かつてのデートカーの面影を残しつつも、ハイブリッド専用車という、まったく新しい文法で書かれた一台です。

    「復活」ではなく、結果的にプレリュードになった

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    この車の出自を語るうえで、いちばん面白いのは「最初からプレリュードを作ろうとしていたわけではない」という事実です。

    ホンダCEOの三部敏宏氏は、開発の経緯について「このプロジェクトは、別のスポーティなモデルを市場に投入するために設計されたもの」で、「開発にちなんで名付けられた」と明かしています。

    つまり出発点は、電動車時代に「こんなスポーツカーがあったらいいな」というユーザーの潜在需要に応えること。開発責任者の山上智行氏も、新しいハイブリッドスポーツの実現が最初の目的だったと語っています。

    開発が進む中で、常に時代の先端技術を搭載してきたプレリュードの系譜と親和性が見えてきた。だから「前奏曲」の名を冠した、という流れです。

    ここが重要なポイントでしょう。ノスタルジーで車名を引っ張り出したのではなく、中身が先にあって、名前が後からついてきた。これは単なる復刻モデルとは根本的に違う成り立ちです。

    グライダーという着想

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    6代目プレリュードのグランドコンセプトは「UNLIMITED GLIDE」。大空を滑空するグライダーをイメージしたものです。開発チームは実際にグライダーを体験し、「非日常のときめき」を追求したといいます。

    このコンセプトは、デザインにもはっきりと反映されています。全長4,520mm、全幅1,880mm、全高1,355mmというボディサイズは、ワイド&ローでありながら全長は4.5mクラスに収まり、街中での取り回しも意識されたバランスです。

    低くシャープなフロントノーズ、抑揚のあるボディライン。歴代プレリュードが守ってきた「低く、伸びやかに」というスタイリングの文法は、しっかり受け継がれています。

    ただ、かつてのリトラクタブルヘッドライトはもちろんありません。代わりに、外側上方に伸びるストライプを成形したマルチファンクションライトが、新しい時代の顔つきを作っています。2025年に「2025〜2026 日本自動車殿堂カーデザインオブザイヤー」を受賞したことからも、このデザインの完成度がうかがえます。

    S+ Shiftという「矛盾」への回答

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    パワートレインはホンダの2モーターハイブリッドシステム「e:HEV」。2.0リッター直列4気筒エンジンと2基の高出力モーターを組み合わせ、システム全体で200PS、315Nmを発生します。駆動方式はFFで、プレリュードの伝統を踏襲しています。

    ここで注目すべきは、ホンダ車として初搭載となった制御技術「Honda S+ Shift」です。モーター駆動でありながら、仮想の8段変速で加減速時にエンジン回転数を緻密にコントロールし、有段変速機があるかのようなダイレクトな駆動レスポンスを実現する。要するに、CVT的な滑らかさではなく、「ギアが切り替わる感触」をあえて演出する技術です。

    これは一見すると矛盾に思えます。効率を追求するハイブリッドに、わざわざ非効率な有段変速の「感覚」を載せるわけですから。しかしホンダが解こうとした問いは明確です。電動化時代に「操る喜び」をどう残すか。S+ Shiftはパフォーマンスを上げるための装置ではなく、ドライバーの感覚に応えるための装置なのです。

    ただし、0-100km/h加速が7秒台という数字に対して「600万円台の車としては遅い」という声もあります。ここは評価が分かれるところで、絶対的な速さを求める層にとっては物足りないかもしれません。しかしこの車が目指しているのは、直線番長ではなく、ワインディングや日常の運転で「気持ちいい」と感じられる走りです。

    タイプRの足回りを持つ「非タイプR」

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    シャシーまわりの構成は、かなり本気です。フロントサスペンションには、シビック TYPE Rと同じデュアルアクシス・ストラットを採用。トルクステアを抑え、アクセル全開時でも自然なステアリングフィールを確保します。

    さらにアダプティブダンパーシステムで路面状況や走行モードに応じて減衰力を制御し、ブレーキにはBrembo製のフロント大径ベンチレーテッド2ピースディスク(φ350mm)を装備。7パターンの走行モードが選べる仕様も含め、足回りの充実ぶりはスポーツカーそのものです。

    ただ、これはタイプRのような限界性能を追うためではありません。快適性とスポーツ性を高い次元で両立させるための選択です。開発責任者の山上氏が「Hondaらしい」ではなく「Hondaにしかできない」クルマを目指したと語っている通り、ハイブリッドスポーツとしてシビック TYPE Rとは明確に異なる方向性が設定されています。

    617万円という価格が問いかけるもの

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    新型プレリュードの価格は617万9,800円(税込)。月販計画は300台。この数字は、かつてデートカーとして大量に売れた時代のプレリュードとは、完全に異なるポジショニングを示しています。

    量販スポーツではなく、限定的かつ象徴的な立ち位置。初期ロット2,000台の抽選販売が行われたことからも、ホンダがこの車を「広く薄く売る」のではなく「深く届ける」つもりであることがわかります。

    価格に対する批判は少なくありません。600万円台でハイブリッド、MTなし、0-100km/hが7秒台。スペックシートだけ見れば割高に映るのは事実です。しかし、Brembo製ブレーキ、アダプティブダンパー、Honda SENSING標準装備、BOSEサウンドシステムといった装備内容を積み上げると、単純に高いとも言い切れない。このあたりは、実際に乗ってみないと評価しにくい領域でしょう。

    「前奏曲」が示す次の楽章

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    歴代プレリュードは、つねにホンダの先端技術を世に問う実験台でした。初代は日本初の電動サンルーフ、2代目は日本初の4輪ABS、3代目は世界初の機械式4WS。技術のショーケースであると同時に、ホンダのブランドイメージを牽引する存在でもありました。

    6代目がその系譜に載せたのは、S+ Shiftという「ハイブリッドでも走りの感動を諦めない」技術です。派手なスペックではないけれど、電動化時代における「操る喜び」の定義を、ホンダなりに提示しようとしている。

    プレリュードとは「前奏曲」。この車が前奏であるならば、本編はこれから始まるはずです。ホンダが電動化の時代にどんなスポーツカーを描いていくのか。BF1は、その最初の一音なのだと思います。

  • プレリュード – BA4/BA5/BA7【デートカーの王が本気で走りを仕込んだ世代】

    プレリュード – BA4/BA5/BA7【デートカーの王が本気で走りを仕込んだ世代】

    「デートカー」という言葉に、少しバカにしたニュアンスを感じる人は多いかもしれません。

    でも1987年に登場した3代目プレリュードは、その称号を背負いながら、世界初の量産4WS(四輪操舵)を市販車に載せてきた車です。

    見た目で売れた車が、なぜそこまで技術に踏み込んだのか。この世代のプレリュードには、バブル期のホンダが持っていた独特の野心が詰まっています。

    バブルの空気と、プレリュードの立ち位置

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    3代目プレリュード(BA4/BA5型、後期追加のBA7型)が世に出たのは1987年4月。日本経済はまさにバブルの上昇気流のまっただ中で、若者がクルマに求めるものは「速さ」だけではなく、「スタイル」と「先進性」の両方でした。プレリュードはその空気を完璧に読み取った1台です。

    初代・2代目で築いた「ホンダのスペシャルティクーペ」という立ち位置を、この3代目は一気に押し上げました。2代目(AB/BA1型)がリトラクタブルヘッドライトの低いノーズで人気を博していたところに、3代目はさらに低く、さらにワイドに、そしてさらに洗練されたデザインで登場します。全高はわずか1,295mm。当時の日本車としては異例の低さで、これは「低いことが正義」だった時代の価値観をストレートに反映しています。

    競合はシルビア(S13)、セリカ(ST160系からST180系へ移行する時期)といったスペシャルティクーペ群。ただ、プレリュードが他と違ったのは、FFでありながらスポーツ性を追求し、しかもそこに世界初の技術を惜しげもなく投入してきた点です。

    4WSという賭け

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    3代目プレリュードを語るうえで、4WS(機械式四輪操舵)は絶対に外せません。ホンダはこの車で、世界で初めて量産車に舵角応動型の4WSを搭載しました。正式名称は「ホンダ・4WS」。前輪の操舵角に応じて後輪も同位相・逆位相に転舵する、純粋に機械式のシステムです。

    仕組みを簡単に言えば、低速域ではハンドルを大きく切ると後輪が前輪と逆方向に切れて小回りが利き、高速域ではハンドルを小さく切ると後輪が前輪と同じ方向に切れて安定性が増す、というものです。電子制御ではなく、ステアリングギアボックスからの機械的なリンケージで後輪を動かしていたのが当時としては画期的でした。

    なぜホンダがこの技術をプレリュードに載せたのか。ひとつには、FFスペシャルティクーペという商品の弱点を技術で克服しようとした意図があります。FFは構造上、フロントヘビーになりやすく、高速コーナリングではアンダーステア(前輪が外に逃げる傾向)が出やすい。4WSはその弱点を補い、FF車でありながら旋回性能を高める手段として合理的でした。

    もうひとつは、当時のホンダが持っていた「技術で驚かせたい」という企業体質です。F1で連勝を重ねていた時代のホンダにとって、市販車に世界初の技術を載せることは、ブランドの説得力を高める最良の方法でした。プレリュードはその発信装置として最適だったわけです。

    エンジンと走りの中身

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    搭載エンジンは、主にB20A型の2.0L直列4気筒。グレードによってキャブレター仕様(BA4型、110ps)とPGM-FI(電子制御燃料噴射)仕様(BA5型、145ps)に分かれます。上級グレードのSiやSi 4WSに載るPGM-FI仕様のB20A型は、DOHC16バルブで最高出力145ps。リッターあたり72.5psは、当時のNAエンジンとしてはなかなかの水準です。

    1989年のマイナーチェンジでは、Si系のエンジンが改良されて最高出力が150psに引き上げられました。さらに注目すべきは、後期型で追加されたBA7型の存在です。BA7にはB21A型の2.1Lエンジンが搭載され、排気量アップによってトルク特性が改善されています。これは北米市場を意識した展開でもありましたが、国内でも1990年10月に3,000台限定の「Si States」として販売されました。ただしB21AはVTECではなく、プレリュードがVTEC(H22A型)を得るのは次の4代目からです。

    足回りはフロントがダブルウィッシュボーン、リアもダブルウィッシュボーン。当時のホンダが全車種に展開しつつあった4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションを、プレリュードでも惜しみなく採用しています。この足回りの質の高さは、FF車とは思えないコーナリングの素直さにつながっていました。

    ただし、4WSについては評価が割れたのも事実です。高速レーンチェンジでの安定感は確かに印象的でしたが、低速での逆位相転舵に慣れないドライバーからは「動きが唐突に感じる」という声もありました。技術としては正しいのに、人間の感覚との擦り合わせが完全ではなかった。この経験は、次世代の4代目プレリュード(BB1/BB4型)で電子制御式に進化する際の重要な教訓になっています。

    デザインという武器

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    3代目プレリュードの商品力を語るとき、走りの話だけでは片手落ちです。この車が圧倒的に売れた最大の理由は、やはりデザインでした。

    ロー&ワイドなプロポーション、フラッシュサーフェス化されたボディ、リトラクタブルヘッドライト。2代目で確立された「低くてカッコいいホンダクーペ」の文法を、3代目はさらに洗練させています。特にサイドビューのウェッジシェイプは、当時の日本車デザインの中でも群を抜いて美しいと評価されました。

    インテリアも凝っています。運転席まわりのデザインは、コクピット感を強調しつつも上質さを両立。当時としては珍しいデジタルメーターの採用や、助手席側まで回り込むダッシュボードのデザインなど、「乗る人を特別な気分にさせる」ことへの執着が随所に見えます。

    この「見た目の良さ」と「中身の先進性」の組み合わせが、バブル期の若者に刺さりました。月販1万台を超えるヒットを記録し、プレリュードはホンダの中でもアコードに次ぐ重要な収益源になっています。デートカーと呼ばれたことを揶揄する向きもありますが、あの時代に若い層を大量にホンダに引き込んだ功績は、冷静に見れば非常に大きいものです。

    系譜の中での意味

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    3代目プレリュードが残したものは、販売台数だけではありません。この世代で実用化された4WSは、ホンダにとって四輪操舵技術の原点になりました。4代目では電子制御化され、さらに洗練された形で継承されています。そして現在、ホンダが電動化時代に向けて再び四輪操舵に注目していることを考えると、BA4/BA5世代の挑戦は決して一過性のものではなかったと言えます。

    また、4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションによるFF車の走りの質の追求は、同時期のアコード(CA型)やシビック(EF型)とも共鳴するホンダ全体の設計思想でした。プレリュードはその旗艦的な役割を担い、「FFでもここまで走れる」という証明をスペシャルティクーペの形で世に示したわけです。

    一方で、この世代の成功があまりに大きかったことが、次の4代目に過大な期待をかける原因にもなりました。4代目BB1/BB4型は技術的にはさらに進化しましたが、バブル崩壊後の市場環境の変化もあり、3代目ほどの商業的成功は収められていません。つまり3代目は、プレリュードというモデルの頂点であると同時に、スペシャルティクーペ市場そのものの頂点でもあったのです。

    技術と色気の両立した遺産

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    3代目プレリュードを一言で表すなら、「色気のある技術実験車」でしょう。世界初の4WSを載せ、4輪ダブルウィッシュボーンで足回りを固め、DOHCエンジンで走りを担保する。それでいて、見た目は文句なしにカッコいい。技術と商品性を高い次元で両立させた、バブル期ホンダの理想形のような車です。

    デートカーという呼び名は、ある意味ではこの車の本質を矮小化しています。確かにデートに使われたでしょう。でもその裏側には、FFの限界を技術で押し広げようとしたエンジニアの意地と、世界初を市販車に載せるというホンダの企業としての覚悟がありました。見た目だけの車なら、わざわざ4WSなんて開発しません。

    BA4/BA5/BA7型プレリュードは、あの時代の空気を吸って生まれた車です。ただ、その中身は時代に流されたのではなく、時代を利用して技術を世に問うた車でした。そこがこの世代のプレリュードの、いちばん面白いところだと思います。

  • プレリュード – SN 【ホンダが初めて「色気」を設計した車】

    プレリュード – SN 【ホンダが初めて「色気」を設計した車】

    ホンダという会社は、長いあいだ「実用」と「技術」の会社でした。シビック、アコード、ライフ。

    どれも真面目で、合理的で、道具として優秀。

    けれど1970年代後半、ホンダはひとつの問いに直面します。「技術だけで、人はクルマに惚れるのか?」。

    その答えとして生まれたのが、1978年登場の初代プレリュード、SN型です。

    ホンダに「スペシャルティ」がなかった時代

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    1970年代のホンダは、まだ四輪メーカーとしての歴史が浅い会社でした。軽自動車のN360で市場に食い込み、シビックで世界に名を売り、アコードで北米市場を切り拓いた。けれどそのラインナップは、どこまでいっても「暮らしの道具」の域を出ていなかったんです。

    同じ時代、トヨタにはセリカがあり、日産にはシルビアがありました。いわゆるスペシャルティカー、つまり「実用性よりも雰囲気やスタイルで選ばれるクーペ」という市場が、1970年代の日本では確実に育っていた。ホンダにはそれがなかった。技術屋としての信頼は得ていたけれど、「カッコいいから欲しい」と言わせるクルマがなかったわけです。

    アコードの上に載せた「もうひとつの意味」

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    初代プレリュードの開発は、アコードのプラットフォームを活用する形で進められました。型式はSN型。エンジンはアコードと共通のEK型1.8L直列4気筒SOHCで、出力は90馬力。スペックだけを見れば、特別に速い車ではありません。

    ただ、このクルマの本質はスペックにはありません。ホンダが初めて「スタイルで選ばれること」を設計の中心に据えた、という事実にあります。低く構えたノーズ、リトラクタブルヘッドライト、ロングノーズ・ショートデッキのプロポーション。当時のホンダ車にはなかった色気が、このクルマには意図的に込められていました。

    リトラクタブルヘッドライトは、日本車としてはかなり早い採用例です。これは空力的な合理性もありますが、それ以上に「見た目のインパクト」として効いていた。ホンダが機能だけでなく、情緒的な魅力を設計要素として真正面から扱った最初の証拠と言っていいでしょう。

    走りよりも「佇まい」で勝負した理由

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    SN型プレリュードの走行性能は、正直に言えば突出したものではありませんでした。1.8LのSOHCエンジンに、トランスミッションは5速MTまたはホンダマチック(2速AT)。車重は約1,000kg前後で、軽快さはあったものの、スポーツカーと呼ぶには少し穏やかです。

    でも、それはおそらく意図的な選択でした。ホンダがこのクルマで狙ったのは、セリカやシルビアのような「走りのクーペ」ではなく、もう少し大人びた、パーソナルクーペとしてのポジションです。デートカーという言葉が定着するのはもう少し先ですが、SN型はその原型に近い空気をすでに持っていました。

    インテリアにも、その意図は表れています。当時としては上質な仕立てで、運転席まわりの造形にも「見せる」意識がある。実用車の延長ではなく、「この車に乗っている自分」を演出するための空間設計が、SN型にはすでに存在していたんです。

    北米市場という隠れた主戦場

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    SN型プレリュードを語るうえで見落とせないのが、北米市場の存在です。1970年代後半のホンダは、アコードの成功によって北米での地盤を急速に固めていた時期でした。プレリュードは、その北米市場で「ホンダにもスタイリッシュなクーペがある」と示すための戦略的な一手でもあったんです。

    実際、北米ではアコードのユーザー層よりやや若い、あるいはライフスタイル志向の強い層にプレリュードは受け入れられました。日本国内だけを見ると販売台数は控えめでしたが、北米での評価がこのモデルの存続を支え、後の2代目・3代目へとつながる道を開いたと言えます。

    「速さ」ではなく「在り方」を提示した初代

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    SN型プレリュードは、1982年に2代目(AB/BA型)へバトンを渡します。2代目以降、プレリュードは世界初の4WS(四輪操舵)を搭載するなど、技術的なトピックで語られることが増えていきます。けれど、初代が果たした役割はそれとは少し違います。

    初代がやったのは、「ホンダにもこういうクルマが作れる」という宣言です。技術で勝つのではなく、存在の仕方そのもので市場にメッセージを送った。それまで実用車メーカーとして見られていたホンダが、「感性に訴えるクルマ」を自分たちの手で形にできると証明した。それがSN型の最大の功績です。

    プレリュードという名前は「前奏曲」を意味します。初代SN型は、まさにその名の通り、ホンダのスペシャルティカーの歴史における序曲でした。派手なスペックはなくとも、この一台がなければ、後のプレリュード神話も、ホンダのデートカー文化も、おそらく存在しなかった。静かに、しかし確実に、ホンダの四輪史に新しい回路を開いた車です。

  • プレリュード – AB/BA1【”デートカー”の原点にして、ホンダの技術実験場】

    プレリュード – AB/BA1【”デートカー”の原点にして、ホンダの技術実験場】

    「デートカー」という言葉を聞いて、真っ先にこのクルマを思い浮かべる人は少なくないでしょう。

    1982年に登場した2代目ホンダ・プレリュード、型式AB/BA1。ただ、この車をただの「モテるためのクルマ」として片づけてしまうのは、かなりもったいない話です。中身を見ていくと、ホンダがこの1台にどれだけの技術的野心を詰め込んでいたかがわかります。

    初代の課題を超えるために

    ホンダ・プレリュード AB
    画像:Spanish Coches/CC BY 2.0(Wikimedia Commons)

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    2代目プレリュードを語るには、まず初代の立ち位置を押さえておく必要があります。初代プレリュードは1978年、ホンダの新販売チャンネル「ベルノ店」の発足と同時に専売モデルとして登場しました。シビック、アコードに続くホンダ第3のモデルであり、日本車初の電動サンルーフを標準装備した意欲作です。

    ただ、初代にはひとつ弱点がありました。パワートレーンをアコードから譲り受けていたため、「アコードのクーペ版」と見られがちだったのです。サスペンションやブレーキは専用設計で、海外では走りの評価も高かったのですが、エンジンが流用であるという指摘は開発陣にとって悔しいものだったようです。

    実際、初代は約4年間で累計約31万3,000台を生産したものの、そのうち約8割が海外向けでした。国内での存在感は正直、薄かった。2代目はこの状況を変えなければならなかったわけです。

    低さへの執念が生んだ構造

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    1982年11月26日、「FFスーパーボルテージ」というキャッチコピーとともに2代目プレリュードが登場します。CMのBGMにはラヴェルのボレロが使われました。まず目を引くのは、その異様なまでに低いシルエットです。全高はわずか1,295mm。リトラクタブルヘッドライトを採用し、先代よりボンネットを80〜100mmも下げています。

    この低さを実現した立役者が、フロントのダブルウィッシュボーン式サスペンションです。FF車、つまり横置きエンジンの前輪駆動車にダブルウィッシュボーンを組み込むのは、当時としてはかなり異例でした。横置きエンジンがあるとアッパーアームを長く取れないという物理的な制約があるからです。

    ホンダの解決策はユニークでした。通常タイヤの下方にあるアッパーアームを、あえてタイヤの上方に配置したのです。これによってロアアームとの間隔を大きく取り、スペース効率を確保しつつ、コーナリング時のアッパーアームへの負担も軽減しました。低いボンネットのためにストラットが使えない、でもダブルウィッシュボーンも普通には入らない。その制約を逆手に取った設計思想は、のちにホンダの足回りの代名詞となるダブルウィッシュボーンの原点とも言えるものです。

    先端技術の見本市

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    2代目プレリュードに投入された新技術は、サスペンションだけではありません。グレード構成は上からXX、XZ、受注生産のXCという3本立てで、XXとXZには日本初の4輪アンチロックブレーキ(4W A.L.B.)がオプション設定されました。XXにはさらに、カラーフィルター式液晶デジタルメーターもオプションで用意されています。

    トランスミッションは5速MTとロックアップ機構付き4速AT「ホンダマチック」の2種類。ホンダ車として初めて180km/hの速度リミッターが搭載されたのもこのモデルです。

    搭載エンジンは1.8L直列4気筒SOHCのES型。1気筒あたり吸気2・排気1の計12バルブという独特な構成で、2連装CVキャブレターとの組み合わせで5速MT車が125ps、4速AT車が120psを発揮しました。この12バルブ構成は、2つの吸気バルブの開弁時期をずらすことでスワール効果と急速燃焼を実現するもので、のちのVTECの萌芽とも言える発想が含まれていました。

    B20A搭載の2.0Si──BA1の意味

    https://kuruma-dna.com/bb5

    2代目プレリュードの物語には、重要な「第二幕」があります。1985年6月、2.0L直列4気筒DOHCのB20A型エンジンを搭載した新グレード「2.0Si」が追加されたのです。型式はBA1。ここが少しややこしいポイントで、BA型という型式は本来1987年登場の3代目プレリュード全般を指すのですが、2代目のこのグレードだけが先行してBA1を名乗っています。

    B20A型は3代目アコード譲りの2L DOHC 16バルブユニットで、PGM-FI(電子制御燃料噴射)を採用。5速MT車・4速AT車ともに160ps/19.0kgmという、当時のFFスペシャルティカーとしてはかなりのハイスペックを叩き出しました。2.0Siのボンネット左側にはパワーバルジが設けられていますが、これは大きくなったDOHCエンジンが元のボンネットに収まりきらなかったためです。

    このB20A型エンジンの開発思想は、のちの3代目プレリュードの開発記録からも読み取れます。開発責任者は「過給に頼らず、2L自然吸気の枠の中で最大級の出力と使いやすさを両立する」ことにこだわったとされています。エンジンを後方に18度傾けて搭載し、クランクシャフトの位置を従来の1.8Lエンジンより33mm下げることで、低重心化と低ボンネットの両立を図りました。

    なぜ「デートカー」になったのか

    https://kuruma-dna.com/bf1

    ここまで技術的な話を並べてきましたが、世間がこのクルマに付けたあだ名は「デートカー」でした。横幅が広く車高が低い、当時の日本車離れしたスタイリングが女性にも好評で、運転席側から助手席のリクライニングを操作できるという装備も話題を呼びました。

    1982年という時代を思い出してください。バブルはまだ来ていませんが、その前夜の空気が漂い始めていた頃です。クルマはモテのための必須アイテムであり、若者たちはオヤジ臭いセダンよりカッコいいクーペを求めていました。リトラクタブルライトを閉じたときの、のっぺりと低いノーズ。ブラックアウトされたフロントマスク。この佇まいが、時代の気分にぴたりとはまったのです。

    ただ、皮肉なことに、ホンダが本当に誇りたかったのはデザインだけではなく、その下に隠された技術の塊だったはずです。FF用ダブルウィッシュボーン、日本初の4輪ABS、12バルブの独自エンジン。先進メカニズムよりもスタイルが評価されたことについて、当時の記事でも「皮肉」と表現されています。

    累計60万台、そして3代目へ

    https://kuruma-dna.com/aa-city-turbo

    2代目プレリュードは1987年の生産終了までに約16万6,910台が国内で生産されました。海外を含めた累計では60万台を超えたとされ、FFスペシャルティカーとして異例の大ヒットを記録しています。

    そして1987年4月、3代目プレリュード(BA4/BA5型)にバトンが渡されます。3代目はエンジンの後傾レイアウトをさらに進め、2代目より30mm低いボンネットを実現。量産車世界初の機械式4WSを搭載し、欧州カー・オブ・ザ・イヤーで3位に入るなど、国際的にも高い評価を得ました。この3代目の技術的飛躍は、2代目で蒔かれた種が花開いたものと言ってよいでしょう。

    2代目プレリュードのBA1型は、グループAレースのホモロゲーションも取得しており、1986〜1987年の全日本ツーリングカー選手権にも参戦しています。デートカーの皮をかぶったレーシングベースという、なんとも不思議な二面性を持っていたわけです。

    2代目プレリュードは、ホンダにとって単なるヒット商品ではありませんでした。ダブルウィッシュボーンの量産FF車への採用、DOHCエンジンのスペシャルティカーへの展開、先進安全装備の市販化。ここで試みられた技術の数々は、その後のアコードやシビック、そしてプレリュード自身の後継モデルへと受け継がれていきます。「前奏曲」を意味するプレリュードという車名は、まさにこの世代にこそふさわしいものだったのかもしれません。

  • シビックType R – FL5【血統がたどり着いた新時代のFF】

    シビックType R – FL5【血統がたどり着いた新時代のFF】

    「Type R」30年目の新章、FL5

    ホンダ・シビックタイプR FL5
    画像:Dinkun Chen/CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)

    https://kuruma-dna.com/fk8

    2022年9月、11代目シビックをベースに誕生したFL5型シビック Type Rは、歴代最多320 psを誇ったFK8をさらに磨き上げ、2023年4月にニュル北コース7分44秒881を記録してFF最速の座を奪還します 。

    先代で確立した「ターボ+空力+デュアルアクシス」という武器を徹底的に煮詰めたFK8の正常進化がFL5となります。

    開発思想「究極を創り続ける」執念

    開発責任者・柿沼秀樹氏は「日常域での素直さと、サーキットでの限界領域が地続きになるクルマ」を掲げました。

    二輪がお好きな方はわかるかもしれませんが、ホンダは二輪でも四輪でも「究極」を追う文化を共有しています。

    例えばCBR1000RR-RやGOLDWINGなどがわかりやすいです。四輪でもNSX-Rがそれに当てはまります。

    FL5でもその哲学が貫かれているワケですね。

    K20C1改。出力比165 ps/ℓ、329 ps

    排気量1,995 ccの直噴VTEC TURBOは、ターボハウジングを最適化し、吸気流路の損失を低減。結果、最高出力329 ps/6,500 rpm、最大トルク420 Nm/2,600–4,000 rpm(欧州仕様)を達成します(日本仕様は最高出力326 ps)。

    2,500 rpmから湧き上がる実用トルクと、6,500 rpmまで淀み無く伸びる回転フィールは、ターボながら歴代NA型に通じる一体感を実現しました。

    「骨太×しなやか」新プラットフォームと空力の深化

    https://kuruma-dna.com/fk2

    スポット溶接増しと構造用接着剤の併用による骨格強化で先代比15%のねじり剛性を確保し、デュアルアクシス・ストラットでトルクステアを90%低減して旋回中の舵残りを解消。

    さらにトレッドを26 mm拡大した全幅1,890 mmのワイド&ローパッケージと、三分割フロントスプリッター・大型ディフューザー・角度可変リアウイングから成る「ゼロリフト空力」を組み合わせた相乗効果により、

    鈴鹿では開発計測2分23秒5をマークして歴代FFレコードをまたも順調に塗り替えました。

    R+とIndividual「電子制御は味付けから武器へ」

    https://kuruma-dna.com/fn2

    FL5は「Comfort」「Sport」「+R」の三段モードに加え、ドライバーがステア応答・ダンパー減衰・スロットルマップを自由に組み合わせられるIndividualを新設。

    さらにロガーアプリ「Honda LogR 2.0」がG・ブレーキ圧・ステア角をリアルタイム表示し、サーキット走行後にはAIが走りを採点するというびっくりシステムが搭載されます。 

    ニュル7分44秒881「量産FF最速」の証明

    https://kuruma-dna.com/fd2

    2023年春、量産状態のFL5は20.832 kmフルラップで7:44.881を叩き出し、メガーヌRS Trophy-RやゴルフRを再び後方に置いた 。

    トップギア誌は「コーナー出口で一切暴れずに400 Nmを載せ替え、まるで四駆のよう」と評しています。

    「RACING BLACK Package」漆黒の深化

    https://kuruma-dna.com/ep3

    2025年1月、日本限定でRACING BLACK Packageが追加。マットブラック専用塗装、ブラックBBS鍛造19 inch、ブラックレカロを纏い、標準車比-6 kgを実現した。デリバリーは1年待ちと言われ、“黒い赤バッジ”は新たなステータスとなっている 。

    「熟成されたType Rターボ」が示す未来

    FL5は先代が拓いたターボ+空力路線を「使い切れる速さ」へ昇華し、Type R 30周年の節目を飾る集大成となりました。

    荷物も家族も積んでサーキットを制す。そんなType R流の人生提案こそ、初代グランドシビックSiRから連なるDNAの最新形なのです。

    回せば吠える、踏めば曲がる、その先に待つのはデータで証明できる「究極の自己ベスト」

    FK2から続いてきたライバルたちは最後を迎えています。

    しかしType Rはまだ、次の一秒を削る挑戦を止めていません。

    「昔のホンダ」と現在のHondaの違いについては、コラムで書いています。

    https://kuruma-dna.com/honda-motor-to-honda

  • シビックType R – FK8【Type Rが持つ戦闘思想の具現】

    シビックType R – FK8【Type Rが持つ戦闘思想の具現】

    「ターボ+空力」で壁をブチ破った十代目FK8

    https://kuruma-dna.com/fk2

    2017年、ホンダはFK2の成功を見て高回転NAをいさぎよく捨て去り、10代目シビック Type R=FK8 を世に放ちます。

    2.0 L VTEC TURBO 320 ps、400 Nmで駆動し、ニュル北7分43秒8…

    数値だけでも超々ド級ですが、5ドアで家族も乗れるホットハッチというギャップがこれまた…

    FK2で確立した5ドアの思想をそのままに、その戦闘力も受け継いだFK8は、売れないわけがありませんでした。

    開発ストーリー「どの道でもFF最速に挑む」

    プロジェクトリーダー・柿沼秀樹氏は「環境規制を敵にせず、むしろ速さの武器にする」と宣言。

    巨大開発費が投じられた10代目グローバル・シビックをベースに、空力・冷却・剛性を徹底的に煮詰めます。

    前後ディフューザー+巨大リアウイングは飾りではなく、ゼロリフト&200 km/h超での安定を実現し、「どのコースへ持ち込んでも戦えるType R」を狙いました。

    K20C1第二世代――320 ps/400 Nmの驚異

    先代FK2と同系ながら、吸排気の最適化で比出力は155 ps/ℓから約160 ps/ℓへ。

    6速MTはローギヤをクロス化、油圧フライホイールダンパーでシフトフィールはさらに軽快になります。

    そしてエンジンは、2,500 rpmで400 Nm、6,500 rpmで320 psという歴代を見てもトップレベルでワイドバンドの仕様。VTECの“高回転ハイ”とターボの“圧”を両取りした新時代の代物です。

    デュアルアクシスストラット+マルチリンク=曲がるターボ

    フロントはデュアルアクシス・ストラットでトルクステアを80%カット。

    リアは新設計マルチリンクでロールセンターを適化。高剛性ボディは先代比+38%で、しかもこれ、旧型より16 kgも軽くなっているんですね。

    結果、開発ドライバーの木嶋隆一氏は「コーナー進入速度が10 km/hアップした」と言います。

    ニュル北7分43秒8、そして欧州“5冠”

    https://kuruma-dna.com/fl5

    開発最終段階の2017年4月3日、FK8はニュルブルクリンク北コースを7分43秒8で周回。

    FF最速を奪還したばかりか、その後スパ、モンザ、マニクール、シルバーストーン、エストリルの欧州5サーキットでもFWDレコードを総ナメにしました。

    2020年リミテッドエディション

    https://kuruma-dna.com/fn2

    2020年の小変更でブレーキを2ピース化し、ADS制御を高速化。さらにType R Limited Edition(通称“黄FK8”)を1,020台限定で投入。

    BBS鍛造+Cup 2+遮音材カットで50 kg減を達成し、鈴鹿を2分23秒993で駆け抜け、F1ホームにFWD最速の看板を掲げました。

    ターボで過給されたType Rの可能性

    https://kuruma-dna.com/fd2

    FK8は「高回転NA=Type R」という伝統を更新し、ターボと空力で速さの絶対値を引き上げました。

    ニュルと鈴鹿のダブルレコードが証明する通り、Type Rの魂は排気量や過給方式を超えて、「楽しく走る」という形で生き続けます。

    次章はさらなる熟成を遂げた現行FL5。シビック Type Rの物語はここで終了となるのでしょうか…?

  • シビックType R – FK2【FF戦争最前線に投入された、ターボRの一番機】

    シビックType R – FK2【FF戦争最前線に投入された、ターボRの一番機】

    「ターボでType R」革命のFK2

    ホンダ・シビックタイプR FK2
    画像:Climbatize/CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)

    https://kuruma-dna.com/fk8

    2015年に登場したFK2は、歴代Type Rで初めてターボを積んだ“異端児”だった。

    2.0 ℓ VTEC TURBOで310 psを叩き出し、ニュルブルクリンク7分50秒63のFF最速を樹立。「高回転NA信仰」を打ち破った一方で、「これぞ新世代Type R」と世界を熱狂させました。 

    「最速の先へ行け」開発ストーリー

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    開発総責任者・橋本英城氏は「環境規制を味方に付けて、速さと実用を両立させる」と宣言。

    先代FN2よりもパワーとダウンフォースを大幅に引き上げつつ、家族も乗れる実用ハッチを目指した。チーフエンジニア・八志末広氏は「歴代Type Rの中で最もレスポンスに優れる」と自信を語っています。 

    「K20C1」歴代最強310 psターボユニット

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    ・排気量:1,996 cc

    ・最高出力:310 ps/6,500 rpm

    ・最大トルク:400 Nm/2,500-4,500 rpm

    直噴+電動ウエストゲートターボと可変バルブタイミングを組み合わせ、出力比155 ps/ℓを実現。北米オハイオで生産されたエンジンを英国スウィンドン工場で搭載する世界を跨いだ製造工程も話題を呼びました。

    「ゼロリフト」とR+ボタン

    https://kuruma-dna.com/fd2

    フロントはマクファーソンながらデュアルアクシス式ストラットを採用し、トルクステアを80%低減。前後ディフューザーと巨大リアウイングで“ゼロリフト”を達成し、高速安定性を確保。

    ステアリングの応答・ダンパー減衰・スロットルマップを一括で尖らせる「R+」ボタンは、サーキット走行を前提に開発されました。 

    ニュル7分50秒63!FF最速を奪取

    https://kuruma-dna.com/ep3

    開発プロトタイプはニュル北コースを7:50.63で周回し、当時最速だったメガーヌRS(3型)を抜いてFF最速を更新。

    「ターボ+空力がType Rを進化させた」とメディアは絶賛し、ホンダはジェネーブショーの壇上でその映像を公開して喝采を浴びた。 

    日本750台限定。抽選倍率10倍超

    https://kuruma-dna.com/ek9

    FK2は欧州専売とアナウンスされていましたが、国内ファンの声に応え、2015年秋に750台限定で逆輸入販売しました。

    抽選倍率は10倍超、契約金即納が条件という文字通りの争奪戦となり、当選通知で歓喜・落選していたのが記憶に新しいです。 

    モータースポーツ&メディアの反応

    https://kuruma-dna.com/eg6

    BTCCではシーズン4勝、TCRインターナショナルでもタイトル争いに食い込み、「ターボでもホンダは曲がる」と証明します。

    ロード&トラック誌は「ポルシェ Cayman GT4に10秒差まで迫ったFF」と評し、ホットハッチ界の頂点に据えました。 

    FK2が残したDNA

    https://kuruma-dna.com/ef9

    FK2はシビックType Rのターボ時代の幕開けです。

    新開発K20C1ターボは、後継FK8や現行FL5へと改良継承され、Type Rの動力源を高効率・高トルクの次元へ押し上げることとなります。

    次にデュアルアクシス式ストラット。ハイブーストFFで生じやすいトルクステアを抑えつつ、ステアリング精度を保つこの機構は、FL5に至るまで受け継がれるコーナリング哲学の核となりました。

    そしてR+ボタンに代表される可変ドライビングモード。電子制御でスロットル、ダンパー、ステアフィールを一括変化させる味付け文化をType Rに持ち込み、サーキットから日常までクリック一つで最適化する新しい走りの体験を確立したのです。

    ターボで進化した「Type R」

    https://kuruma-dna.com/jw5

    FK2は「NA高回転こそType R」という定説を覆し、ダウンフォースとターボトルクで絶対速さを手に入れました。

    ニュルの7分50秒、抽選750台の伝説、そしてK20C1が開いた未来。それらすべてが後継FK8・FL5につながる礎となったのです。

    ターボで吠えるVTECサウンドとR+ボタンで豹変するハッチバック、それがFK2が後世に残した新時代のシビックの在り方でした。

  • シビックType R – FN2【欧州から来たもう一つのType R】

    シビックType R – FN2【欧州から来たもう一つのType R】

    「ユーロR」と呼ばれたFN2

    シビックType Rのエクステリア
    画像:Vincemcfly/CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)

    2007年、英国スウィンドン工場で生まれたFN2は、EP3以来となる3ドアボディにスペースシップと揶揄された近未来デザインをまとう一方、エンジンは2.0 ℓ i-VTECのまま201 ps止まりだった。この数値は日本製FD2より25 psも低い。

    この数字差が物議を醸しつつ、「家族も積めるホットハッチ」という新しいType R像を提案した。 

    ハッチバック回帰とヨーロッパ戦略

    https://kuruma-dna.com/fl5

    欧州市場では排ガス規制EURO 4と衝突安全強化で車重増は不可避だった。

    開発陣は「軽快さより日常との両立」を掲げ、燃料タンクを前席下に収める独自プラットフォームを選択。この決断で室内は広がったが、車高アップと1,320 kgという歴代シビックでも最重量を招いてしまう。

    ホンダは「グローバルで売れる赤バッジ」に賭け、快適装備と走りのバランスに挑んだ。 

    欧州のi-VTEC「K20Z4」

    https://kuruma-dna.com/fk8

    心臓部K20Z4は11.0:1の圧縮比、可変カム位相+ハイカム切替のi-VTECを継承し、201 ps/7,800 rpm・193 Nm/5,600 rpmを発生。

    ロングストローク寄りの吸排気とバランサーシャフト追加で低中速トルクと静粛性を稼ぎ、「長距離ツアラーでも疲れないType R」を狙った。

    リッター当たり100 psは死守したものの、FD2が誇った超高回転の炸裂感は薄まり、ファンを分断する要因となる。 

    トーションビーム採用の衝撃

    https://kuruma-dna.com/fk2

    リアサスはコストと荷室容量を優先し、歴代伝統のダブルウィッシュボーンやデュアルアクシスストラットを捨て、トーションビームへ換装。

    Top Gear誌は「遊び心を失った」と痛烈に批判したが、開発陣は高剛性アンダーフロアとワイドトレッドで曲がるFFを実現したと主張しました。

    実際、フロントのキャスター角とトレールを増やし、フルブッシュ類を専用強化して応答性を確保していました。

    MUGEN RR・Ti

    https://kuruma-dna.com/ek9

    2009年に英国MUGENが手掛けたCivic Type R MUGENはカム・吸排気・軽量化で240 psへ強化し、20台限定で即完売。

    さらに最終年にはチタンマフラー+LSD標準の「Type R Ti」が500台設定され、“FN2は遅い”というレッテルを払拭すべくメーカー公認でチューニング競争が過熱した。 

    モータースポーツ――BTCCから耐久まで

    https://kuruma-dna.com/eg6

    FN2は英国ツーリングカー選手権(BTCC)で半ワークス体制によりデビューし、2011年シーズンにはメーカー部門を制し、マット・ニールがドライバーズタイトルも獲得しました。耐久ではバサースト6 hやセパン12 hのクラスウィンを重ね、「トーションビームでも勝てる」ことを見せつけました。 

    「普段使いできるType R」という革新

    https://kuruma-dna.com/ef9

    FN2は軽量高回転主義から一歩譲り、日常の扱いやすさと居住性を大幅に向上させました。

    トーションビームやパワー不足を嘆く声もあったが、VTECは7,800 rpmで唸り、宇宙船ダッシュボードの向こう側へ景色がワープする体験はやはり赤バッジのもの。

    家族と荷物を積み、高速をひと走り。そんな優雅な「ユーロR的な生活」が好きな方は、ぜひ購入を検討してみてはいかがでしょうか。

  • シビックType R – FD2 【4ドアに宿った最後の自然吸気VTEC】

    シビックType R – FD2 【4ドアに宿った最後の自然吸気VTEC】

    四枚ドアで「最速」を更新したFD2

    ホンダ・シビックタイプR FD2
    画像:Adam Court/CC BY 2.0(Wikimedia Commons)

    https://kuruma-dna.com/fn2

    2007年3月30日、ホンダは3代目シビック Type RとしてFD2を送り出します。

    赤バッジ初の4ドアセダンながら、2.0 ℓ NA 225 ps・クロス6速・専用ボディ強化で筑波1分08秒台を刻み、「実用車でサーキットを制す」という前代未聞のコンセプトを実現。

    街では家族を乗せ、週末はレースで勝つ…そんな二面性が走り好きの心を射抜き、歴代Type Rの中でも屈指の熱狂を生みました。 

    開発ストーリー「セダンType Rへの賭け」

    EP3が欧州生産だった反省から、開発責任者・假屋満氏は「日本市場が望むType R」を掲げ、企画段階でセダン案を採用しました。

    理由は二つあります。

    まず一つ目としては最新シビック(FD系)のプラットフォームがセダン専用だったということです。

    そして二つ目、これはセダンとなった根本理由ですが、衝突・剛性規制でハッチバックの軽量化が難しくなったことです。

    ホンダは「ドアが2枚増えてもEK9を超える操縦性」を目標に、シーム溶接+高張力鋼を強化しつつ装備を徹底軽量化します。

    開発最終テストで筑波を1分08秒3で周回し「これなら赤バッジを付けられる」と量産決定が下った。  

    K20A改。自然吸気VTECの集大成

    日本専用としてK20AはNSX譲りの手研磨ポートを継承し、圧縮比11.7、許容回転8,400 rpm。

    最高出力225 ps/8,000 rpm、最大トルク21.9 kg m/6,100 rpmを発揮し、量産NA 2.0 ℓとして世界最高峰の比出力を記録します。

    ドライブバイワイヤのスロットルと高圧縮に合わせ、クロス6速MTは1〜3速を極端に詰め、VTEC切替5,800 rpm→パワーバンド継続という怒涛の加速を実現したのです。

    「硬く・低く」を追求したボディ&サス

    ボディはシーム溶接をノーマル比2.2倍に増し、補強パネルを70 点追加。さらにアルミボンネットと薄型ガラスで車重1,270 kg(装備込)に抑えます。

    サスペンションは前輪ストラット、後輪リアダブルウィッシュボーンながら、前後キャンバーを増し、18 インチRE070とブレンボφ320 mmで武装。

    開発ドライバーは「踏んで曲げるレーシングFF」と表現し、市販車テストでもコーナリングGはランエボⅨ並みを記録しています。  

    モータースポーツでは最速FFを証明

    https://kuruma-dna.com/ep3

    2007年スーパー耐久ST4クラスにFD2が投入され、デビューウィン含む年間5勝。

    筑波アタックではCARトップ誌計測1分08秒33を叩き出し、同時期のS2000やWRX STiを上回る怒涛の記録を叩き出します。

    海外でもマレーシアSEPANG 12 H耐久でクラス優勝し、4ドアでもFF最速を疑う余地がなくなったのです。  

    FD2が残したDNA

    https://kuruma-dna.com/fk2

    当時の熱狂とストリートカルチャーを象徴するのは、まず「ファミリーカーでレースに勝てる」という衝撃でした。

    子育て世代までも巻き込んだこのコンセプトは爆発的な支持を集め、納車待ちは半年に達するほどの大ヒットとなります。

    シビック最後のNAエンジン

    加えて忘れてはならないのが、FD2が「最後の高回転NAシビック Type R」であったという事実。

    排ガス規制とダウンサイジングの波により、後継FK2以降はターボエンジンへ移行していきますが、FD2のK20Aは吸気音とメカニカルノイズを余すことなく響かせる純粋な高回転フィールを守り抜いたのです。

    「実用と最速」を両立した究極の4ドアFF

    https://kuruma-dna.com/fk8

    FD2は、ファミリーセダンの皮をかぶりながら、高回転NAと世界トップクラスの剛性で「公道とサーキットを地続きにする」というType R哲学を極限まで突き詰めました。

    赤バッジはハッチバック専売という先入観を打ち破り、FF最速の称号を更新。現行モデルがターボ化・5ドア化してもなお、「NA高回転×超硬シャシー」という原点を思い出させる存在として輝き続けています。