S660 – JW5【軽自動車枠で本気を出した、最後のミッドシップ】

軽自動車でミッドシップ。

この時点で、だいぶ変なクルマです。しかもそれを2015年に、しかもホンダが本気で市販した。

S660という車は、冷静に見るほど「なぜこれが世に出たのか」が気になる一台です。

ビートの後継ではなく、ビートの精神の続き

S660を語るとき、どうしても1991年のビートが引き合いに出されます。

ホンダが軽自動車枠で作ったミッドシップオープンスポーツ。自然吸気の高回転エンジンを背中に積んだ、あの小さな名車です。

ただ、S660はビートの直接の後継というよりも、「ビートが証明したこと」を引き継いだクルマと言ったほうが正確です。

つまり、軽自動車の枠の中にも本気のスポーツカーは成立する、という命題。ビートの生産終了から約20年、ホンダがその命題にもう一度答えを出したのがS660でした。

26歳の開発責任者が通した企画

S660の開発経緯は、ホンダの中でもかなり異例です。2010年に社内公募で行われた新商品企画コンテスト「Nプロジェクト」で、当時26歳だった椋本陵氏が提案したコンセプトが出発点になっています。

若手が出したアイデアが、そのまま市販車の開発責任者に繋がるという流れ自体が、ホンダらしいと言えばホンダらしい。

ただ、これを「若い情熱が会社を動かした美談」だけで片づけるのは少し表面的です。

当時のホンダは、Nシリーズで軽自動車市場に本格的に再参入し、Nボックスが爆発的に売れていた時期。

軽のプラットフォームやパワートレインの開発資産が社内に蓄積されていたからこそ、ミッドシップスポーツという変化球にもゴーサインが出せた。

企画の情熱と、タイミングの両方が揃っていたわけです。

660ccターボをリアミッドに積む意味

S660のエンジンは、S07A型の直列3気筒ターボ。

64馬力という数字は軽自動車の自主規制上限そのもので、数字だけ見ると特別なものではありません。でも、このエンジンをどこに積んだかが決定的に重要です。

運転席のすぐ後ろ、リアアクスルの手前にエンジンを横置きするミッドシップレイアウト。

これによって前後重量配分はほぼ45:55。

軽自動車としては異例の、駆動輪にしっかり荷重が乗る設計です。フロントにエンジンがないぶんノーズは低く、重心も低い。結果として、660ccとは思えないほど回頭性が鋭く、コーナリングの手応えが濃いクルマになっています。

トランスミッションは6速MTとCVTの2本立て。CVTにはパドルシフトが付き、MTを選ばない層にもスポーツ走行の入口を用意しました。ここにも「間口を広げたい」という企画意図が見えます。

オープンだが、トランクがない

S660はタルガトップ式のオープンカーです。

ルーフは手動で脱着するロールトップ方式で、外したルーフはフロントのボンネット内に収納します。ここで気づくのが、このクルマには実質的にトランクがないということ。フロントはルーフ収納用、リアはエンジンが占領している。荷物を積む場所が、ほぼありません。

これを不便と見るか割り切りと見るかで、このクルマへの評価は分かれます。ただ、ホンダは最初からS660を「日常の足」として設計していません。走ることそのものが目的のクルマに、積載性を求めること自体がずれている。そういう企画判断を、軽自動車という最も実用性が問われるカテゴリで通したことに意味があります。

足まわりの本気度

S660のサスペンションは前後ともにマクファーソンストラット式。形式だけ見れば一般的ですが、注目すべきはその専用設計の徹底ぶりです。フロントのロアアームはスポーツカー的なワイドトレッドを確保するために新設計され、リアサスもミッドシップレイアウトに合わせて専用のジオメトリが与えられています。

ボディ剛性にもかなり手が入っています。軽自動車の規格寸法の中で、オープンボディの剛性を確保するのは構造的に難しい。S660ではフロア下にセンタートンネルを通し、サイドシル断面を大きく取ることで、オープンでありながら不快なボディのよじれを抑え込んでいます。

結果として、街乗りでは「ちょっと硬いかな」と感じる場面もありますが、ワインディングに持ち込むと路面との対話が一気に濃くなる。そういう味付けです。

限界と、それでも残したもの

もちろん、S660に弱点がないわけではありません。

64馬力というパワーは、高速道路の合流や追い越しでは明確に不足します。ミッドシップゆえの室内の狭さ、エンジン音の侵入、前述のトランクレス。

実用車としてはまったく成立しません。

価格も軽自動車としては高めで、発売時の車両本体価格は約198万円から。上級グレードのαは約218万円。

同じ予算でコンパクトカーのスポーツモデルが買える価格帯です。「軽にこの値段を出すのか」という声は、当然ありました。

それでも、S660は2015年の発売直後からバックオーダーを抱え、ホンダの想定を上回る反響を得ています。

数字だけでは測れない「運転する楽しさの密度」に、確かに応えたクルマだったということです。

生産終了という結末

S660は2022年3月をもって生産を終了しました。

最終モデルとして特別仕様車「Modulo X Version Z」が設定され、即完売。直接的な後継車は発表されていません。

生産終了の背景には、軽自動車の安全基準・環境規制の強化があります。ミッドシップのオープン2シーターという形式を、今後の規制に適合させながら軽自動車の価格帯に収めるのは現実的に困難だった。これはホンダだけの問題ではなく、ダイハツ・コペンも含めた軽スポーツ全体の構造的な課題です。

ただ、S660が残した意味は小さくありません。

このクルマは「軽自動車でもスポーツカーの本質は成立する」というビート以来の命題に、現代の技術と規格で改めて答えを出しました。

そしてその答えが、規制と市場の変化によって再び封じられた。

S660は、ある時代にだけ許されたクルマです。

だからこそ、今振り返る価値がある一台だと思います。

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