2014年に登場し、2019年末に国内販売を終了したWRX STI・VAB型。
このクルマを語るとき、多くの人が口にするのは「最後のEJ20ターボ」という言葉です。ただ、それは単なるノスタルジーの話ではありません。
VABは、スバルが四半世紀にわたって磨き続けたひとつの思想の、文字どおりの終着点でした。
なぜ「最後」になったのか
VABが特別な存在として語られる最大の理由は、EJ20型エンジンを搭載した最後のSTIだったからです。
EJ20は1989年の初代レガシィに搭載されて以来、改良を重ねながら30年以上にわたって使われ続けた水平対向4気筒ターボエンジン。スバルの走りの象徴そのものでした。
ただ、2014年の時点で、このエンジンはすでに設計の古さを指摘される存在でもありました。直噴化されていない、排気量は2.0Lのまま、基本設計は1980年代末。なぜスバルはこのエンジンを使い続けたのか。答えはシンプルで、「換えが効かなかった」からです。
スバルには当時、FA20型という新世代の水平対向エンジンがありました。BRZやWRX S4に搭載されていたものです。しかしSTIが求める308馬力・43.0kgf·mというスペックと、高回転まで一気に吹け上がるレスポンスを、FA20ベースのターボで同等に実現するには、制御も補機類も含めた大幅な再設計が必要でした。そしてスバルの開発リソースは、アイサイトやSGP(スバルグローバルプラットフォーム)といった全車種共通の基盤技術に注がれていた時期です。STI専用の新エンジンを仕立てる余裕は、現実的になかったと見るのが自然です。
インプレッサから離れたWRX
VABを理解するうえで外せないのが、「WRXがインプレッサから独立した」という事実です。先代のGRB/GVB型まで、STIは「インプレッサ WRX STI」という名前でした。VABからは「WRX STI」が独立した車名になっています。
これは単なるネーミング変更ではありません。スバルはインプレッサを実用性重視のファミリーカーへ振り切る方針を明確にし、スポーツ性能を担うモデルは別の車格として切り分けたのです。つまりWRX STIは、インプレッサの「速いグレード」ではなく、独立したスポーツセダンとして再定義されました。
プラットフォームは先代から引き続きGR系の発展型で、新世代のSGPではありません。ここにもスバルのジレンマが見えます。SGPは剛性や静粛性に優れる一方、STIが必要とするサスペンションジオメトリーやドライブトレインの搭載性において、そのまま使えるものではなかった。結果としてVABは、旧世代のプラットフォームにEJ20を載せた「最後の組み合わせ」で完成されることになりました。
熟成という名の武器
設計が古い。プラットフォームも旧世代。スペックシートだけ見れば、VABは最新技術で武装したクルマではありません。ではなぜ、このクルマがここまで高く評価されたのか。
理由は明快で、熟成の深さが尋常ではなかったからです。EJ20ターボは30年分のノウハウが注ぎ込まれたエンジンです。ツインスクロールターボによるレスポンス、等長エキゾーストマニホールドによる排気効率、そしてスバル独自のAWDシステム「DCCD(ドライバーズコントロールセンターデフ)」との組み合わせ。どれも一朝一夕では到達できない完成度に仕上がっていました。
特にDCCDは、機械式LSDと電子制御LSDを組み合わせたセンターデフで、前後のトルク配分をドライバーが任意に調整できる仕組みです。これが路面状況に応じた自在なコントロール性を生んでいました。雪道でもサーキットでも、ドライバーの意図に対してクルマが素直に応える。この感覚は、電子制御AWDが主流になった時代において、むしろ希少な体験でした。
2017年のD型以降ではブレンボ製ブレーキキャリパーの採用、19インチホイールの標準化、ビルシュタイン製ダンパーの再セッティングなど、年次改良のたびに足回りが磨き上げられています。派手なモデルチェンジではなく、毎年少しずつ良くなっていく。これがスバルの、そしてSTIの流儀でした。
ニュルブルクリンクという試金石
VABの実力を象徴するエピソードがあります。STIが開発したスペシャルモデル「S208」は、ニュルブルクリンク北コースでの走行テストを重ねて仕上げられました。量産車ベースでありながら、専用のルーフスポイラーによるダウンフォース増加、フレキシブルドロースティフナーによるボディ剛性の強化など、STIの手が入った部分は多岐にわたります。
ニュルブルクリンクは単にタイムを競う場所ではなく、路面変化、高低差、ブラインドコーナーの連続という過酷な条件で車両の総合力を試す場です。STIがこの場所を開発拠点のひとつとして使い続けたことは、VABの走行性能がカタログ上の数値だけでなく、実走行の質で勝負していたことを意味しています。
限定車が語る「終わり方」
2019年、スバルはVABの生産終了を発表しました。そして最後に用意されたのが「WRX STI EJ20 Final Edition」です。555台限定。抽選倍率は公表されていませんが、応募が殺到したことは広く報じられました。
この限定車の存在は、スバルがEJ20の終了を「静かに消す」のではなく、明確に区切りをつけることを選んだことを示しています。専用のシリアルナンバープレート、ゴールドのブレンボキャリパー、専用チューニングが施されたサスペンション。どれも派手さよりも「最後にふさわしい仕立て」を意識した内容でした。
ここにスバルの姿勢が見えます。EJ20を延命するのではなく、きちんと看取る。ファンに対して「ここで一区切りです」と正面から伝える。メーカーがひとつのエンジンの終焉をこれほど丁寧に扱った例は、日本車の歴史でもそう多くはありません。
VABが残したもの
VABの後継にあたるVBH型WRX S4は、FA24型2.4Lターボを搭載し、SGPベースのプラットフォームに移行しました。しかし「STI」の名を冠するモデルは、2024年時点でもまだ登場していません。
これはつまり、VABが担っていた「STIの頂点」というポジションが、いまだ空席のままだということです。電動化の波、排ガス規制の強化、そしてスバルというメーカーの規模を考えれば、かつてのような専用エンジン・専用チューニングのSTIモデルが再び出てくる保証はどこにもありません。
VABは、古い設計を最後まで磨き上げることで成立したクルマでした。
最新ではないけれど、最良を目指し続けた。新しいものに置き換えれば済む話ではなく、積み重ねた時間そのものが性能になっていた。
だからこそ、このクルマの終了は単なるモデルチェンジではなく、ひとつの時代の終わりとして受け止められたのです。
EJ20の鼓動を知っている人にとっても、知らない人にとっても、VABは「なぜスバルがSTIを作り続けたのか」という問いに対する、もっとも誠実な回答だったと思います。

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