パジェロ – V60/V70【街の主役を降りても、砂漠では王者だった】

3代目パジェロ V60/V70系(1999年)

1999年、パジェロはパジェロであるための骨格を、自分から捨てました。

初代から2代目まで守ってきた、ボディと別体のラダーフレームをやめたのです。

それは、丸くなったデザインよりも、豪華になった内装よりも大きな変化でした。本格四駆は頑丈なフレームを持つものだと信じられていた時代に、「その常識こそが次の弱点になる」と三菱は判断しました。

2代目が完成させたのは、誰でも扱える四駆です。3代目に求められたのは、四駆であることさえ意識させない走りでした。

「モノコックにするか」で、会社が割れた

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3代目パジェロの開発で、最大の論点はエンジンでも装備でもなく、車体構造でした。開発陣の議論は、会社が二つに割れるほど激しかったといいます。

ラダーフレームは、悪路で車体に強い力がかかっても耐えやすく、ダメージを受けたときに現地で修理しやすい。ウインチの取り付けや過酷な使い方まで考えれば、守りたい理由は十分にありました。

一方で、フレームとボディが別であるかぎり、軽量化と低重心化、剛性、高速域の安定性、衝突安全性をすべて大きく引き上げるには限界があります。日常で乗る人が増えるほど、ラダーフレームの長所より、その制約が見えるようになっていたのです。

フレームは、消えたのではなく内側に入った

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3代目が選んだのは、ラダー状の補強部材をボディと一体化した「ビルトインフレーム・モノコック」でした。乗用車と同じ構造に安易に寄せたのではなく、フレームの強さをモノコックの中へ持ち込む折衷案です。

足まわりも4輪独立懸架へ変わりました。フロントはダブルウィッシュボーン、リヤはマルチリンク。タイヤの動きを左右独立で制御できるため、荒れた路面でのストロークを確保しながら、舗装路での安定性を大きく高められました。

スーパーセレクト4WDも「II」へ進化します。電動アクチュエーターでモードを切り替え、通常時の前後トルク配分を従来の50:50から33:67へ。後輪寄りにすることで、四駆らしい安定感を残しながら、カーブで曲がりやすくしました。

エンジンはV6 3.5L GDIと、新開発の3.2L直噴ディーゼルターボ。伝統的なクロカンを電子制御の現代的なSUVへ作り直す、ほぼゼロからの再設計でした。

デザインもその構造変化を隠しませんでした。三菱がモチーフにしたのは、山猫が獲物を狙う瞬間の凝縮感。後付けのオーバーフェンダーで幅を強調した2代目に対し、3代目はボディ自体の面を大きく膨らませました。

進化は正しかった。しかし、時代の真ん中ではなかった

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3代目が登場したころ、日本のRVブームはすでに山を越えていました。1994年のRAV4、1995年のCR-V、1997年のハリアー。乗用車を土台にした軽くて快適なSUVが、悪路に行かない人には十分だと示していました。

家族用の需要は、オデッセイやステップワゴンなどのミニバンにも流れていきます。7人で移動するなら、背の高い本格四駆ではなく、床が低くて室内が広いクルマを選べるようになったのです。

そして、2代目の角張ったワイドボディを愛した人から見れば、3代目の丸みを帯びたフェンダーとモノコック化は「パジェロらしさ」を薄めたようにも見えました。

ライトなSUVを求める人にはまだ本格的すぎ、本格四駆を求める人には乗用車的すぎる。 3代目は、市場の境目に立ったクルマでした。

発売翌年、クルマではなく会社の信頼が崩れた

3代目パジェロ V60/V70系(1999年)
画像:三菱自動車

3代目パジェロには、商品のできだけでは説明できない不運もありました。

発売翌年の2000年、三菱自動車がクレーム情報を二重管理し、リコールの届け出をせずに改修を指示していた事実が発覚します。これは3代目パジェロ単独の問題ではありません。しかし買う側から見れば、エンブレムに対する信頼は、すべての車種に共通するものです。

ちょうど市場がクロカン四駆からクロスオーバーとミニバンへ向かうなか、三菱の信頼問題が重なった。2代目のような社会現象を、3代目が国内で再現することはありませんでした。

日本でブームが終わっても、世界では道具だった

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それでも3代目の改革が失敗ではなかったことは、日本の外を見るとよくわかります。

高速道路を長時間走り、大きなキャンピングトレーラーを牽引し、その先で未舗装路に入る。オーストラリアのアウトバックや、道路環境の厳しい国では、高速安定性と悪路走破性の両方が装飾ではなく実用でした。

2代目が日本で愛されたのは、週末を自由にする記号だったからです。3代目が海外で評価されたのは、家族と荷物を必ず目的地まで運ぶ、生活のインフラになれたからです。

モノコックへの疑いに、ダカールが答えた

2002年ダカールラリーを走る3代目パジェロ
画像:三菱自動車

別体式ラダーフレームをやめれば、本当に過酷な環境で耐えられるのか。その疑問に、三菱はまた砂漠で答えました。

2001年、ユッタ・クラインシュミットがダカールラリーで女性ドライバー初の総合優勝を達成。2002年には増岡浩が初優勝し、2003年に日本人初の2連覇を果たします。3代目の時代に始まった三菱の連勝は、2007年まで7年連続へ伸びました。

ラリー車は市販車そのままではありません。それでも、モノコック化と低重心化、4輪独立懸架という方向が、パジェロから強さを奪ったわけではないことは証明されました。むしろ高速で長距離を走る砂漠では、その進化が武器になりました。

壊したのは、パジェロらしさではなかった

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3代目パジェロは、2代目のように日本の街を支配したクルマではありません。デザインと構造の変化に戸惑った人がいて、国内のブームが終わり、その上に会社の信頼問題まで重なりました。

しかし、この世代で作ったビルトインフレーム・モノコックと4輪独立懸架は、次の4代目にも基本的に受け継がれます。一度変えた骨格を、三菱は元に戻しませんでした。

つまり3代目が捨てたのは、パジェロらしさではなく、「パジェロらしさはこの構造でなければならない」という思い込みだったのだと思います。

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