タイプRではない。けれど、明らかにタイプRの血が流れている。アコード ユーロR(CL1)は、そういう立ち位置の車でした。
2000年に登場したこのセダンは、ホンダが「走れるセダン」をどう定義するかに本気で取り組んだ結果生まれた、かなり特殊な一台です。
タイプRではなく「ユーロR」を名乗った理由
2000年当時、ホンダにはすでにタイプRの系譜がありました。NSX-R、インテグラ タイプR(DC2)、シビック タイプR(EK9)。いずれもストイックに走りを削ぎ落とした、ある意味で「引き算の美学」で成立していたクルマたちです。
ところがアコードという車格で同じことをやると、話がややこしくなります。アコードはホンダのミドルセダンであり、ある程度の快適性や実用性を前提にしたクルマです。遮音材を剥がしてエアコンレスにするわけにはいかない。
だからホンダは「タイプR」ではなく「ユーロR」という名前を選びました。欧州的なスポーツセダンの文法、つまり快適性と走行性能を両立させる方向です。引き算ではなく、足し算と掛け算で走りを成立させる。この命名には、ホンダなりの明確な意図がありました。
H22A型VTEC——このエンジンが載ったことの意味
CL1の心臓部は、H22A型2.2L直列4気筒DOHC VTECです。最高出力220ps/7,200rpm、最大トルク22.5kgf·m/6,700rpm。自然吸気の2.2Lとしては、当時かなり高い水準でした。
このエンジン、実はプレリュード タイプS(BB6)にも搭載されていたユニットのチューニング版です。ただしユーロR用は専用のECUセッティングが施され、吸排気系も見直されています。レブリミットは7,600rpmまで引き上げられ、高回転域での伸びが明確に違いました。
ここで重要なのは、インテグラ タイプRのB18C型とは設計思想が異なるという点です。B18Cは1.8Lで200psという「リッターあたり出力」の極致を狙ったエンジンでしたが、H22Aは排気量の余裕を活かして中回転域のトルクも確保しています。セダンに載せるエンジンとして、これは正しい選択でした。日常の扱いやすさと高回転の快感が両立している。
足回りとボディ——走りのための仕込み
CL1のベースとなったのは6代目アコード(CF系)です。ユーロRはこのプラットフォームに対して、かなり手の込んだチューニングを施しています。
サスペンションは前後ともダブルウィッシュボーン。これはこの時代のホンダの強みでもありました。ユーロR専用のスプリングとダンパーが奢られ、スタビライザーも強化されています。車高はノーマルのアコードより約15mm低く設定され、重心の低さが走りの安定感に直結していました。
トランスミッションは5速MTのみ。ATの設定はありません。ここにホンダの割り切りが見えます。快適性は残す。でも、運転する意志のない人には売らない。この線引きが、ユーロRというクルマの性格を決定づけていました。
ブレーキもフロントに大径ディスクを採用し、制動力を底上げしています。タイヤは215/45R17。当時のセダンとしてはかなり攻めたサイズです。見た目の変化は控えめですが、走りに関わる部分には確実にコストがかけられていました。
レカロとMOMO——内装が語る本気度
ユーロRの室内に座ると、まず目に入るのがレカロ製のフロントシートです。純正装着のレカロというだけで、当時はかなりのインパクトがありました。ホールド性が高く、長距離でも疲れにくい。スポーツ走行と日常使いの両方を見据えた、まさにユーロRのコンセプトを体現するパーツです。
ステアリングはMOMO製の本革巻き。シフトノブはチタン製。こうした装備は、カタログ上の華やかさだけでなく、実際にドライバーが触れる部分の質感を上げるという意味で効いていました。
一方で、後席の居住性やトランク容量は通常のアコードとほぼ同等です。家族を乗せて走れるし、荷物も積める。ここがタイプRとの決定的な違いです。「走れるけど、暮らせる」。ユーロRはそのバランスの上に成り立っていました。
競合不在という幸運と不運
2000年前後の国産ミドルセダン市場で、CL1ユーロRに直接ぶつかるライバルはほぼいませんでした。トヨタのアルテッツァ(SXE10)はFRという異なるアプローチでしたし、三菱のギャランVR-4はすでに終息に向かっていました。スバルのレガシィB4 RSKはターボ4WDで、方向性がまるで違います。
つまりCL1は、「FF・自然吸気・高回転型・MTオンリーのスポーツセダン」という、かなりニッチなポジションにいたわけです。競合がいないということは、比較されにくいという利点がある反面、そもそもこのジャンル自体の市場規模が小さいという問題も抱えていました。
販売台数は決して多くありません。ただ、それは商品の出来が悪かったからではなく、こういうクルマを欲しがる層が限られていたからです。むしろ、買った人の満足度は極めて高かった。中古市場での根強い人気が、それを証明しています。
CL7へ——ユーロRが残したもの
CL1ユーロRは2002年に7代目アコード(CL7系)へとバトンを渡します。後継のCL7ユーロRはK20A型2.0L i-VTECを搭載し、エンジンの世代が切り替わりました。排気量は小さくなりましたが、220psという出力は維持され、レスポンスはさらに鋭くなっています。
CL1が切り拓いた「ユーロR」という概念は、CL7で完成度を高めました。しかしその後、アコードは大型化・高級化の道を進み、ユーロRという名前は消えていきます。市場がミニバンやSUVに流れていく中で、スポーツセダンという商品企画自体が成立しにくくなったのです。
ただ、CL1が示した「セダンでも本気で走れる」という命題は、その後のホンダ車にも形を変えて受け継がれています。シビック タイプR(FD2)がセダンボディで登場したとき、その源流にCL1ユーロRの存在を感じた人は少なくなかったはずです。
CL1アコード ユーロRは、タイプRの系譜には属さない。でも、ホンダが「走ること」に対して妥協しなかった時代の空気を、セダンという器に閉じ込めた一台です。派手さはない。
でも、ステアリングを握ればわかる。
このクルマは、本気で作られたセダンでした。

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