スープラという名前を聞くと、多くの人はA80、あるいはA70を思い浮かべるかもしれません。でも、そのスープラが「セリカとは違うクルマだ」という意識を初めて明確にしたのは、実はこのA60型の世代です。
日本ではまだ「セリカXX」を名乗っていましたが、北米市場ではすでに「スープラ」というブランドが独立して動き始めていました。
このクルマが面白いのは、スポーツカーとGTカーの境界線の上に立っていたことです。直列6気筒エンジンを積んで、快適に長距離を走れる。でも足回りはスポーティで、走る楽しさも捨てていない。
その「どっちつかず」に見える立ち位置こそが、A60型の本質であり、後のスープラ系譜を方向づけた起点でもあります。
セリカの兄貴分として生まれた背景
A60型のルーツをたどるには、まず先代のA40/A50型セリカXXに触れる必要があります。
1978年に登場した初代セリカXXは、セリカのボディに直列6気筒エンジンを押し込んだ、いわば「セリカの上位版」でした。北米では日産のZカー(フェアレディZ)に対抗する必要があり、4気筒のセリカだけでは戦えなかったのです。
ただ、初代XXはあくまでセリカのバリエーションという色が強かった。ノーズを延長して6気筒を載せた構成は合理的でしたが、「セリカとは別のクルマ」という説得力はまだ弱かったのが正直なところです。
A60型は、その課題を次のステップで解消しようとしたモデルです。1981年に登場したこの2代目セリカXXは、プラットフォームこそセリカ(A60系)と共有していましたが、ホイールベースを延長し、直6専用のフロントセクションを持ち、内外装の仕立ても明確に差別化されていました。
つまり、「セリカに6気筒を載せた」のではなく、「6気筒を前提にしたクルマ」として設計の重心が変わったのです。この違いは、見た目以上に大きい意味を持っています。
直6とGT性能へのこだわり
A60型の心臓部は、トヨタのM型およびその後継にあたる直列6気筒エンジンです。登場時のラインナップでは、2.0Lの1G-EU型や2.8Lの5M-GEU型が用意されました。特に5M-GEU型はDOHC24バルブで、当時としてはかなり先進的なユニットです。最高出力は170馬力前後。数字だけ見ると控えめに思えるかもしれませんが、1980年代初頭の水準では十分にパワフルでした。
1982年には、国内仕様のトップグレードに5M-GTEU型が追加されます。これはターボチャージャーを装着した2.8L DOHCで、出力は190馬力に達しました。さらに1984年のマイナーチェンジでは排気量を3.0Lに拡大した6M-GTEU型へと進化し、出力は190馬力を維持しつつトルク特性が改善されています。
ここで注目すべきは、トヨタがA60型をスポーツカーではなく「高性能GT」として育てようとしていた姿勢です。エンジンの進化はパワー一辺倒ではなく、中間域のトルクや巡航時の余裕を重視する方向でした。直6という選択自体が、振動の少なさや回転フィールの滑らかさを意味しており、GTカーとしての資質に直結しています。
シャープな外観と、時代を映す装備
A60型のデザインは、先代の丸みを帯びたラインから一転して、直線基調のシャープなウェッジシェイプに変わりました。リトラクタブルヘッドライトを採用したフロントフェイスは、当時のスポーツカーの文法に忠実です。80年代初頭、リトラクタブルライトはある種のステータスであり、スポーティさの記号でもありました。
ボディサイズは全長約4,660mm、全幅約1,685mm。現代の基準では決して大きくありませんが、当時の国産クーペとしてはかなり立派な体格です。ロングノーズ・ショートデッキのプロポーションは、フロントに直6を縦置きするレイアウトが自然に生み出したものでした。
インテリアでは、デジタルメーターやエレクトロニクス装備が話題を集めました。特に上級グレードに設定されたデジタル表示のスピードメーターは、当時の先端技術の象徴です。今見ると少しレトロですが、「未来のクルマ」を演出しようとしたトヨタの意気込みがよく伝わります。
足回りは四輪独立懸架で、フロントがストラット、リアがセミトレーリングアーム。この構成自体は当時の標準的なものですが、セッティングはスポーティ寄りに振られていました。高速域での安定性と、ワインディングでの応答性を両立させる方向です。
「XX」と「スープラ」、二つの名前の意味
A60型を語るうえで避けて通れないのが、名前の問題です。日本では「セリカXX(ダブルエックス)」、北米では「セリカ・スープラ」、そして途中から単に「スープラ」。この名前の分岐が、後の系譜に大きな影響を与えています。
北米で「XX」を名乗れなかった理由は有名な話です。英語圏では「XX」がアダルトコンテンツの等級を連想させるため、マーケティング上の問題がありました。そこで採用されたのが、ラテン語で「超越する」を意味する「Supra」という造語です。
ただ、名前が変わったことの意味は、単なるローカライズにとどまりません。北米市場でスープラという独自のアイデンティティが育ったことで、「セリカとは別のブランドとして独立させるべきだ」という方向性が社内で強まっていったのです。実際、次世代のA70型では日本でも「スープラ」を正式名称として採用し、セリカの名前は完全に外れます。
つまりA60型は、セリカXXとスープラという二つの名前を同時に背負った、系譜上の分水嶺にあたるモデルです。
競合との距離感と、市場での立ち位置
A60型が戦った相手は、国内では日産のフェアレディZ(Z31型が1983年に登場)、北米ではZに加えてシボレー・カマロやポンティアック・ファイアバードといったアメリカンマッスル系のクーペでした。
Zカーとの比較は常に意識されていました。フェアレディZが「スポーツカー」としての純度を前面に出していたのに対し、A60型スープラは快適性や装備の充実を武器にしていた面があります。良く言えばGTとしてのバランスが良い。厳しく言えば、スポーツカーとしてのキャラクターがやや曖昧だった。
北米での販売は堅調でしたが、Zカーの牙城を完全に崩すには至りませんでした。ただ、トヨタにとってA60型は「このセグメントで戦い続ける」という意思表示として重要でした。直6ターボという武器を手にしたことで、次世代のA70型でさらに本格的なGTスポーツへ進化する土台が築かれたのです。
系譜の中で果たした役割
A60型スープラの生産は1986年に終了し、後継のA70型にバトンを渡します。A70型はセリカの名前を完全に捨て、より大きく、より速く、より高級なGTカーへと進化しました。その延長線上にA80型があり、2JZ-GTEという伝説的なエンジンが生まれることになります。
こうして振り返ると、A60型は「スープラ」という系譜の助走期間にあたるモデルです。まだセリカの影が残っていて、完全な独立は果たしていない。でも、直6エンジンへのこだわり、GT性能の追求、そして北米でのブランド確立という三つの柱は、すでにこの世代で明確に打ち立てられていました。
派手さでは後のモデルに譲りますが、スープラがスープラになるための道筋を引いたのは、このA60型です。セリカの延長線上にいながら、セリカではないクルマになろうとした。
その過渡期の緊張感こそが、A60型の最大の魅力なのかもしれません。

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