S600 / S800【バイク屋が本気で作った、最初の「ホンダの走り」】

ホンダがまだ「バイクメーカー」だった時代に、四輪で最初に世に問うたスポーツカーがあります。

S600、そしてS800。

排気量こそ小さいけれど、この2台にはホンダという会社の性格がほとんどすべて詰まっていました。

高回転型エンジンへの執念、レースで証明するという思想、そして「やるなら上から」という本田宗一郎の意地。

ホンダの四輪史は、ここから始まっています。

四輪参入の最前線

1960年代初頭、ホンダはすでに二輪車の世界チャンピオンでした。

マン島TTレースを制し、世界GPで勝ちまくっていた。けれど本田宗一郎の視線は、もうバイクだけに向いていなかった。

四輪車を作る。

それも、軽トラックやファミリーカーではなく、スポーツカーから始める。

この判断は、冷静に見ればかなり異様です。

当時の通産省は、自動車メーカーの新規参入を事実上制限しようとしていました。いわゆる「特振法」の動きです。

ホンダが四輪に乗り出すなら、今しかない。そういうタイミングの問題もあった。ただ、それだけでスポーツカーを選ぶ理由にはなりません。

本田宗一郎にとって、スポーツカーは「技術の名刺」でした。

二輪で培った高回転エンジン技術を、もっとも純粋に四輪で表現できるのがスポーツカーだった。

最初に出すクルマで技術力を見せつけ、ブランドの格を決める。

この戦略は、後のNSXやS2000にまで一貫して受け継がれることになります。

S500からS600へ──走りながら完成させた

ホンダ初の市販スポーツカーは、正確にはS500(AS260)です。

1963年に発売されましたが、生産台数はごくわずかで、実質的にはプロトタイプに近い存在でした。531ccのDOHC4気筒エンジンを積み、最高出力44馬力。リッターあたり80馬力を超えるこの数字は、当時の四輪車としては異次元のものです。

ただ、S500は耐久性や生産体制に課題を抱えていました。

ホンダはすぐに排気量を606ccに拡大し、1964年にS600(AS285)を投入します。最高出力は57馬力に向上。レブリミットは8,500rpmを超え、当時の量産車としては考えられない回転域を常用するエンジンでした。

このエンジンの設計思想は、完全に二輪の延長線上にあります。4連キャブレター、ローラーベアリングを用いたクランクシャフト、そして極端なショートストローク。回して気持ちいいのではなく、回さなければ走らない。そういう性格のエンジンです。

駆動方式もユニークでした。リアにチェーンドライブを採用し、左右独立のチェーンケースでそれぞれの後輪を駆動する。バイクの技術をそのまま持ち込んだような構造で、四輪の常識から見ればかなり変わっている。ただ、この方式のおかげで独立懸架との相性がよく、軽量な車体と合わせて軽快なハンドリングを実現していました。

S800──小さなボディに本物の速さ

1966年に登場したS800(AS800)は、排気量を791ccに拡大したモデルです。

最高出力は70馬力。車重わずか755kgの車体に、リッターあたり88馬力を超えるエンジンを載せたわけですから、動力性能は数字以上に鮮烈でした。最高速度は160km/hに達し、当時の1,500ccクラスに匹敵する速さを持っていた。

S800の途中からは、リアの駆動方式がチェーンドライブからコンベンショナルなリジッドアクスル+コイルスプリングに変更されています。チェーン駆動はホンダらしい独自技術でしたが、メンテナンス性や耐久性の面で課題があった。ここは現実的な判断です。

ボディはクーペとオープンの2タイプが用意されました。いずれも全長3,335mm程度のコンパクトな車体で、今の軽自動車よりわずかに大きい程度。この小ささが、ワインディングでの身のこなしを際立たせていました。

レースでの活躍も見逃せません。S800は鈴鹿サーキットをはじめとする国内レースで数多くのクラス優勝を記録しています。ニュルブルクリンク500kmレースにも参戦し、クラス優勝を果たした。ホンダが「レースで勝つことで技術を証明する」という姿勢を四輪でも貫いた、最初の成功体験です。

高回転の思想、その功罪

S600/S800のエンジンは、間違いなく当時の世界でも最先端の小排気量ユニットでした。ただ、この「回してナンボ」の性格は、万人向けとは言いがたい。低回転域のトルクは薄く、街乗りで気楽に流すような使い方には向いていませんでした。

これは欠点というより、設計の優先順位の問題です。ホンダはこの時代、エンジンの絶対性能を最優先にしていた。乗りやすさや実用性は二の次。それが許された時代でもあったし、ホンダが最初に見せるべきものが「速さ」だったという事情もあります。

内装の質感や装備の充実度は、正直なところトヨタや日産の同時代のクルマに比べると見劣りしました。ホンダはまだ四輪メーカーとしては新参で、生産技術やサプライチェーンの厚みが違った。ただ、それを補って余りあるほど、走りの純度が高かった。そこに惹かれた人が、このクルマを選んだわけです。

ホンダのDNAはここに刻まれた

S600/S800が後のホンダ車に残したものは、具体的な技術よりも思想です。エンジンで勝負する。高回転を恐れない。小さな排気量から最大限のパワーを絞り出す。この考え方は、シビックのCVCCにも、タイプRのVTECにも、S2000のF20Cにも、形を変えて受け継がれていきます。

そしてもうひとつ。「最初にスポーツカーを作る」という選択そのものが、ホンダのブランド形成に決定的な影響を与えました。ホンダは実用車メーカーとしてではなく、走りの技術を持つメーカーとして四輪の世界に参入した。その原点がSシリーズです。

S800の生産終了は1970年。排ガス規制の波が押し寄せ、ホンダは軽自動車のN360やシビックへと軸足を移していきます。

Sシリーズの直接的な後継車が現れるのは、1999年のS2000まで約30年を待たなければなりません。

けれどその30年間も、ホンダの四輪車にはどこかに「Sの記憶」が残っていました。エンジンを回す喜び、軽さへのこだわり、レースで証明するという姿勢。

S600とS800は、ホンダが四輪メーカーとして何者であるかを最初に宣言したクルマです。

あの小さなオープンボディの中に、ホンダの全部が入っていた。

そう言っても、大げさではないと思います。

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