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  • BMW M3とは

    M3は、レースの都合で生まれた特殊な一台が、会社の看板になっていく物語です。

    1986年のE30に、商品としての狙いはほとんどありませんでした。グループAのツーリングカーレースに出るには、決められた台数を市販しなければならない。だから作った。2.3Lの直列4気筒S14型、大きく張り出したフェンダー、専用の空力部品。すべてレースの規則から逆算された形です。結果としてこの車は、ツーリングカーレース史上で最も勝ったモデルの一つになりました。

    1992年のE36で性格が変わります。エンジンは直列6気筒になり、車格も快適性も上がりました。ホモロゲーションのための特殊な道具ではなく、速くて上質な日常のクーペ/セダンへ。熱心なファンからは物足りないと言われましたが、M3が商品として成立したのはこの世代からです。

    その両立に一度だけ極端な答えを出したのが、2003年のE46 CSLでした。カーボンのルーフ、薄いガラス、内装の削減。追加したのではなく、引き算だけで速さを作っています。いまもM3の最高到達点として語られるのは、この潔さゆえでしょう。

    2007年のE90/E92/E93は歴代で唯一のV8です。自然吸気4.0Lで8400rpmまで回るS65型は、規制が厳しくなる直前だからこそ許された贅沢でした。そして2014年のF80で直列6気筒ツインターボへ移行します。速さは明確に増し、同時に「Mらしい音と回り方」を巡る議論が始まりました。

    2020年のG80はその路線を突き詰めた世代です。出力を上げ、四輪駆動も選べるようにし、それでも後輪駆動と6速MTを残しました。2022年にはG81としてツーリング、つまりワゴンが初めて加わっています。実用性の側からMを求める人が、確かにいたということです。

    E30からG81まで。M3の歴史は、レースのための特例が、どうやって一つのブランドの中心になっていったかの記録です。

  • カローラの走り系とは

    カローラは世界一売れた大衆車ですが、その裏でトヨタは、この名前を使って何度も過激なクルマを出してきました。

    最初の一台が1972年のTE27、レビン/トレノです。カローラのボディにDOHCの2T-G型を積み、オーバーフェンダーを付ける。大衆車の外皮を借りたスポーツモデルという商売が、ここで成立しました。1979年のTE71は、その系統の最後のFR直4となります。

    1983年のAE86は、いまさら説明の必要がないでしょう。4A-GEU型の高回転DOHCと軽い車体、そして後輪駆動。当時としては特別なクルマではなく、あくまで「安いスポーツグレード」だったことが、後に伝説になった理由でもあります。

    1984年のAE82、カローラFXでカローラは前輪駆動の走り系を試し、1987年のAE92でレビン/トレノ自体がFF化されました。ここで系譜は分岐します。1991年のAE101、1995年のAE111は技術的にはむしろ進化していましたが、AE86が背負ってしまった物語には勝てませんでした。

    面白いのは、その後もトヨタが諦めなかったことです。2001年のZZT231、ランクス/アレックスは2ZZ-GE型を積み、8500rpmまで回るエンジンをカローラの顔で売りました。2006年のE150、オーリスは名前ごと替えて欧州向けの走りを狙い、2007年のGRE156H、ブレイドマスターにいたってはCセグメントの車体に3.5LのV6を押し込んでいます。

    2018年のNRE210H、カローラスポーツで「普通のカローラ」の水準そのものを引き上げ、2022年のGZEA14H、GRカローラで再び本気の競技用ベース車が戻ってきました。300PSの3気筒ターボと四輪駆動。TE27がやったことを、50年後に同じ名前でやり直したわけです。

    カローラの走り系の歴史は、「いちばん普通のクルマ」だからこそ許された、トヨタの実験の記録です。

  • ランドクルーザーとは

    ランドクルーザーが70年以上守ってきたのは、「必ず帰ってこられること」の一点です。速さでも豪華さでもなく、行った先から生きて戻れること。この優先順位が、どの世代でも動きません。

    始まりは1951年のBJ/FJ20でした。警察予備隊向けの車両の選定に応えて作られた四駆で、当初はトヨタジープBJという名前です。「ジープ」を名乗れなくなったため、1954年にランドクルーザーへ改称されました。名前のほうが後から付いてきたクルマなのです。

    1955年のFJ25/BJ25では、軍用の匂いを残しながらも民間用途への歩み寄りが始まります。荷台や幌の仕様が整理され、働く車として売れる形になりました。

    世界に広めたのは1960年のFJ40です。頑丈な骨格と単純な機構、そして直せる構造。中東やアフリカ、南米で「壊れない日本車」という評価を作ったのは、この世代でした。信頼性が商品性能として通用することを、トヨタはここで学んでいます。

    1967年のFJ55は、初めて家族を乗せることを想定した4ドアワゴンでした。用途が仕事から生活へ広がり、1980年のBJ60では内装や快適装備が本格的に整えられます。働くクルマが、乗用車として売れるようになった転換点です。

    1989年のFJ80、そして1998年のFZJ100で、その方向は決定的になりました。サスペンションの近代化と大排気量エンジンによって、高速道路でも快適に走る高級SUVへ変わっていきます。2007年のURJ200は、その頂点でした。豪華さも重さも、歴代で最大級です。

    そして2021年のGRJ300。14年ぶりの全面刷新で選ばれたのは、V8をやめてV6ツインターボにし、車体を軽くするという方向でした。豪華さの上乗せをやめ、走破性能と信頼性へ戻す。原点に近い判断です。

    BJからJ300まで。ランドクルーザーの歴史は、「壊れない」という性能が商品としてどこまで通用するかを70年かけて証明し続けた記録です。

  • プリウスとは

    プリウスは、無謀と言われた技術を25年かけて当たり前にしたクルマです。

    1997年のNHW10は、はっきり言って早すぎました。エンジンとモーターを組み合わせて走る量産車など前例がなく、電池の寿命も、コストも、修理体制も、何ひとつ確立していません。それでもトヨタは「21世紀に間に合いました」という言葉とともに市場へ出します。採算は合っていなかったと言われますが、実際に売って走らせない限り、この技術は育たなかったはずです。

    2003年のNHW20で、プリウスは特別なクルマであることをやめます。5ドアハッチバックの実用的な形になり、動力性能も普通のセダンと遜色ない水準に到達しました。北米で受け入れられたのもこの世代からで、ハイブリッドは「変わり者の選択」ではなくなります。

    2009年のZVW30は、その延長で一気に普及しました。価格を抑えたグレードを用意し、燃費の数字が分かりやすく効いた結果、日本の販売台数で長く首位を占め続けます。街のどこを見てもプリウスがいる、という光景はこの世代が作りました。

    そこで新しい問題が生まれます。売れすぎたことで、プリウスは「燃費だけのクルマ」という記号になってしまったのです。2015年のZVW50が造形で強く自己主張したのは、その記号から抜け出そうとした結果でした。評価は割れましたが、意図ははっきりしています。

    2023年のMXWH60は、その課題に別の角度から答えました。空力を優先した低い姿勢と、明確に速くなった動力性能。燃費で選ばれるのではなく、格好とドライブフィールで選ばれるハイブリッドへ性格を移したわけです。

    NHW10からMXWH60まで、5世代。プリウスの歴史は、新しい技術が「特別なもの」から「当たり前」になり、その先で改めて魅力を問われるまでの全過程の記録です。

  • クラウンとは

    クラウンは、日本人にとっての「上がり」が何かを、時代ごとに定義し直してきたクルマです。

    1971年のS60/70系が、その転換点でした。それまで黒塗りの社用車だったクラウンに白いボディを与え、個人で買う高級車という市場を作りにいったのです。「白いクラウン」という呼び方が広まったこと自体が、この判断の成果でした。誰の車かではなく、誰が買うかで高級車を定義し直したわけです。

    1983年のS120系で、そのイメージが完成します。「いつかはクラウン」という一言が、日本人の出世観と車の階級をそのまま結びつけました。買えるようになったら買う。それが目標として機能する時代のクルマです。

    1991年のS140系はバブルの絶頂で企画された世代で、重厚さと装備の充実を極限まで押し進めます。そして、その方向の限界も同時に露呈しました。上質さを足していくやり方は、バブルが弾けた瞬間に説得力を失ったからです。

    だから2003年のS180系、ゼロクラウンは自己否定から始まりました。「ZERO CROWN。すべてを、変えた。」という宣言のとおり、骨格もエンジンも操縦性も刷新し、若い世代に売れる高級車へ組み替えます。それまで積み上げたものを捨てる判断ができたことが、クラウンという商品の強さでした。

    2012年のS210系は、ピンクのクラウンまで用意して話題を取りにいきます。ただ、この頃には高級セダンという形式自体が縮んでいました。「いつかはクラウン」という物語の到達点であると同時に、その物語が通じなくなった時期でもあります。

    2022年のS230系は、その状況に対する答えでした。セダンだけでなくクロスオーバー、スポーツ、エステートと複数の車型を同じ名前で展開する。クラウンは車種名ではなくブランドになったわけです。

    クラウンの型式の並びは、日本の「いい車」の定義が、どこで誰の手に移っていったかの記録そのものです。

  • インプレッサ WRXとは

    WRXは、ラリーで勝つために生まれ、ラリーをやめてからも走り続けたクルマです。

    1992年のGC8が始まりでした。レガシィで戦っていたスバルが、より短く軽い車体を求めて用意したのがインプレッサです。水平対向4気筒ターボのEJ20型と四輪駆動という構成はそのまま持ち込み、車体だけを小さくした。狙いは明確で、WRCで勝つことでした。

    結果はご存じのとおりです。1995年から3年連続でマニュファクチャラーズタイトルを獲り、青と金の塗り分けは日本車のラリー像そのものになりました。1998年には400台限定の22B STiという、ワイドボディの記念碑まで生まれています。

    2000年のGDBは、その戦績を引き継いだ世代でした。丸目、涙目、鷹目と、一代のうちに顔を三度変えた珍しいクルマでもあります。市販車としての完成度はGC8より明らかに上で、STiが手を入れたモデルは日本のスポーツセダンの基準になりました。

    2007年のGRBでハッチバックへ移行し、賛否が割れます。ラリーの現場でも、市販車の売り方でも、ここが転換点でした。そして2008年末、スバルはWRCからの撤退を発表します。勝つために作るという前提が、ここで消えました。

    2014年のVABでは、車名から「インプレッサ」が外れて独立します。EJ20型を積む最後の世代となり、2019年のファイナルエディションで、四半世紀続いたこのエンジンの歴史が終わりました。

    2021年のVBH、WRX S4はFA24型へ切り替わり、STIの名を持つモデルは用意されていません。ラリーという目的も、STIという記号も失ったうえで、それでも四駆ターボのセダンを出し続ける。いまのWRXが背負っているのは、そういう問いです。

    GC8からVBHまで、5世代。WRXの歴史は、モータースポーツで得た評判を、その舞台を降りたあとにどう使うかという課題の記録です。

  • RXシリーズとは

    ロータリーエンジンは、有利な点がほとんど無くなってからも作られ続けたエンジンです。RXシリーズの歴史は、そのまま「なぜマツダはやめなかったのか」の記録になります。

    1967年のL10A、コスモスポーツが出発点でした。世界初の量産ロータリー搭載車。三角形のローターが回るだけで動力を生む機構は、往復運動を回転に変える普通のエンジンと比べて部品が少なく、小さく、そして滑らかでした。当時のマツダにとっては、他社と同じ土俵で戦わないための切り札だったわけです。

    ところが1973年のオイルショックで、この切り札は弱点に変わります。燃費で不利という性格が、そのまま商品力の欠点になりました。

    それでもマツダは、1978年のSA22Cでロータリーをスポーツカーへ集約します。低くて軽いエンジンを前車軸より後ろへ積めるという、この機構だけが持つ利点に賭けたのです。1985年のFC3Sではターボと本格的な足まわりで走りを研ぎ澄まし、1991年のFD3Sでシーケンシャルツインターボと徹底した軽量化に到達しました。FD3Sの造形と重量配分は、いまも国産スポーツの一つの基準です。

    2003年のSE3P、RX-8は違う答えを出しました。ターボをやめて自然吸気とし、観音開きの後席ドアで4人乗りにする。ロータリーが小さいからこそ成立する車体構成を、走りではなく実用性の側から使ったわけです。

    そして2012年、RX-8の生産終了とともに、ロータリー搭載車はいったん市場から消えます。排出ガス規制と燃費規制の前に、この機構の不利は覆せませんでした。近年は発電機として復活していますが、それは別の話です。

    L10AからSE3Pまで、5世代。RXシリーズの歴史は、一つの機構に賭けた会社が、その不利を承知で45年間言い訳をしなかった記録です。

  • ロードスターとは

    ロードスターは、他社が全部やめた形式を、35年間ひとりで作り続けているクルマです。

    1989年のNA6Cが世に出た当時、小さくて軽い2人乗りオープンという商品はほぼ絶滅していました。イギリスのメーカーが作っていた市場は、安全基準と収益性の前に消えています。そこへマツダは、1.6Lのエンジンを前に置き、後輪を駆動し、幌を手で開ける、装備の乏しいクルマを持ち込みました。速さの数字では何一つ勝てません。それでも売れたのは、運転そのものが目的になる乗り物を、当時の誰も供給していなかったからです。

    1998年のNB6C/NB8Cは、その方向をそのまま磨いた世代でした。リトラクタブルヘッドライトは安全基準の関係でやめましたが、車重も大きさもほとんど変えていません。無邪気さを保ったまま、細部の完成度だけを上げています。

    2005年のNC1で、初めて路線が揺れます。衝突安全と快適性の要求に応えるため、車体は明確に大きく重くなりました。それでも電動格納式ハードトップを用意し、乗り味の素直さは残しています。大きくなったのは、この形式を絶やさないための代償でした。

    2015年のND5RCでは、その代償を返しにいきます。徹底した軽量化で初代に近い重量へ戻し、全長も短くしました。排気量はむしろ小さくなり、1.5Lが基本。数字を追わずに、運転する人が主役でいられる状態を作り直したわけです。

    NAからNDまで、4世代。累計生産台数は100万台を超え、2人乗り小型オープンとして世界で最も多く作られたクルマになりました。ロードスターの歴史は、「誰も作らなくなったもの」を作り続けると何が起きるかという、35年分の答えです。

  • スープラとは

    スープラは、セリカの派生として生まれ、名前を捨てて独立し、最後は自社だけでは作れなくなったクルマです。

    出発点は1978年のA40/A50、セリカXXでした。セリカのノーズを延ばし、直列6気筒を押し込む。北米で売られていた大排気量のスペシャルティカーに、日本のメーカーが正面から挑むための構成です。1981年のA60ではデザインも中身もセリカから距離を取り、GTカーとしての性格を強めました。

    名前が変わったのは1986年のA70からです。日本でも「スープラ」を名乗り、セリカとの関係を完全に切りました。3.0Lの7M-GTEU型ターボ、電子制御サスペンション、そして重量級のボディ。ポルシェ944やBMWと同じ土俵で戦うグランドツアラーを、トヨタは本気で作ろうとしていました。

    1993年のA80が、その到達点です。2JZ-GTE型の3.0L直6ツインターボは自主規制上限の280PSを掲げながら、素の設計に余裕がありすぎました。強度の高い鋳鉄ブロックのおかげで、後年の改造車が桁違いの出力に耐えてしまう。トヨタが意図したのはあくまで上質なGTでしたが、結果として世界で最も改造されたエンジンの一つになりました。

    そして2002年、日本での生産が終わります。排出ガス規制と、大型GTという商品自体の縮小が理由でした。

    17年後の2019年、A90として復活します。ただし骨格もエンジンもBMWとの共同開発で、直6のB58型はドイツ製です。自社だけでは、直6FRのスポーツカーを成立させられなかった。それでもトヨタは「直列6気筒・後輪駆動・2人乗り」という形式そのものを守ることを選びました。

    A40からA90まで、5世代。スープラの歴史は、直6FRという贅沢な形式が、どれだけ守りにくいものかを示し続けた記録です。

  • フェアレディZとは

    フェアレディZは、日本車が初めてアメリカで「安くて速い」を売り切ったクルマです。

    1969年のS30が、その最初の一撃でした。長いノーズに直列6気筒、後輪駆動、そして北米では当時のポルシェやジャガーより桁違いに安い価格。作りの良さで勝ったのではなく、価格と体験の釣り合いで勝ったクルマです。日本製スポーツカーは実用車の延長でしかない、という見方は、この一台で崩れました。

    1978年のS130は、その成功を前提に設計されています。より快適に、より大きく、装備も充実させる。走りに尖らせるのではなく、世界で毎日乗れるスポーツカーへ寄せたわけです。1983年のZ31ではエンジンが直6からV6のVG型へ替わり、ターボと快適装備で「速くて楽なクルマ」へさらに舵を切りました。

    反動が来たのが、1989年のZ32です。バブル期の日産が本気で作ったこの世代は、300ZXツインターボで自主規制上限の280PSに到達し、四輪操舵まで備えました。ただし価格も一気に上がります。速さでは文句なしでしたが、Zの出発点だった「手が届く」という条件からは離れました。

    そして2000年、Zはいったん途絶えます。復活は2002年のZ33でした。VQ35DE型V6と、当時のルノー連合下で立て直された日産の生産体制。装備を整理して価格を抑え、もう一度「買えるスポーツカー」へ戻しています。2008年のZ34では車体を短く軽くし、走りの密度を上げました。

    2022年のRZ34は、骨格をZ34から引き継ぎながら、外装をS30と240ZGへの明確な参照で構成しています。エンジンはVR30DDTT型のV6ツインターボで405PS、そして6速MTを残しました。新しさより、Zであり続けることを優先した世代です。

    S30からRZ34まで、7世代。Zの歴史は、日本のスポーツカーが「高くなりすぎたら終わる」と何度も学び直してきた記録です。