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  • ロードスター – NB6C/NB8C 【無邪気さを研ぎ澄ませた、NAの成熟形】

    ロードスター – NB6C/NB8C 【無邪気さを研ぎ澄ませた、NAの成熟形】

    NBロードスターは、単なるキープコンセプトではないです。

    初代NAが復活させたライトウェイトスポーツの価値を、時代に合わせてもう一度設計し直したモデルです。

    1997年10月の東京モーターショーで公開され、1998年に登場したこの二代目は、ロードスターの核である軽さ、FR、オープン、そして「誰が乗っても楽しい」という原点を守りながら、商品としての完成度を一段引き上げる役目を担っていました。

    マツダ自身もロードスターの本質を「誰もが手に入れやすく、必要にして十分な性能を持つこと」だと説明しており、NBはまさにその思想を現代化した世代でした。  

    リトラを捨てたのは、魂を捨てたからではない

    NBでいちばん目立つ変化は、やはりリトラクタブルヘッドライトが消えたことですよね。残念がっている人も多い印象です。

    でもこれは単なるイメチェンではなく、時代の安全基準に適応するための必然でした。北米マツダも、NBでは歩行者保護の観点から固定式ヘッドライトへ移行したことを説明しています。

    その一方で、ボディはわずかにワイド化し、空力性能や快適性も改善。つまりNBは、見た目のアイコンを一つ失う代わりに、ロードスターというクルマを次の時代へ生かすための再設計を受けたモデルだったわけです。  

    開発思想はNAから地続きだった

    ここで重要なのは、NBがNAを否定していないことです。

    開発責任者の貴島孝雄氏は、ロードスターが一貫して意識してきた本質は「アフォーダブル」であり、ハイパワー化や複雑化よりも「走らせて誰もが楽しいと思えるクルマ」であることだと語っています。

    これはNAの「人馬一体」とほぼ同じ文脈にあります。要するにNBは、初代の成功体験に乗っかっただけの二代目ではなく、その思想を守るために何を変え、何を残すかを本気で選別したモデルだったわけです 

    NBの進化は、速さより質感の側にある

    NBの価値は、単純なスペックアップだけで語ると外します。

    もちろん1.8L系では改良が進み、後年には6速MTやビルシュタイン、トルセンLSDを組み合わせた仕様も現れます。

    けれど本質はそこではなく、操舵に対する車体の応答、幌まわりの質感、空力、室内の使い勝手、そして全体のまとまり方にあります。

    米国マツダもNBを「よりパワフルになり、数々の改良を受けた第二世代」として位置づけています。

    NAが発明だとしたら、NBは洗練と言えるでしょう。

    NB6Cは、あえて残された素のロードスター

    NB6Cは1.6Lを積むモデルで、NBになってもなお軽快さの芯を担った存在でした。

    二代目はテンパチモデルや装備充実の印象が強いですが、1.6L仕様が残されたことで、ロードスターが本来持っていた軽さと扱いやすさはきちんと守られていました。

    速さを誇示するためではなく、アクセルを踏み切れること、回して使い切れること、その気持ちよさを残していたのがNB6Cです。

    華やかさはNA6Cほどではないにせよ、二代目の中でいちばん原液に近いロードスターとも言えます。  

    NB8Cは、二代目の本命だった

    一方でNB8Cは、二代目ロードスターの完成形として見るとかなり強いです。1.8Lエンジンを軸に、年次改良で内容がどんどん濃くなっていく。

    とくに10周年記念車では、6速MT、ビルシュタイン、トルセンLSD、専用内外装まで与えられ、NBのスポーツ性と商品力の両方が一気に表に出ました。

    マツダもこの10周年記念車を世界統一仕様の限定車として展開しており、NBが単なるつなぎではなく、世界規模でロードスターというブランドを確立していく中心世代だったことがわかります。  

    そしてNBは、遊び方の幅まで広げた

    NBが偉いのは、単に熟成しただけじゃないところです。

    2001年にはパーティレース向けのNR-A、2003年には受注生産のロードスタークーペ、さらに同年末には初のターボモデルまで追加されました。

    マツダはクーペについて「ロードスターに新しい魅力を付加し、スタイリングや走行性能を重視するお客様に向けた」と説明し、ターボについては「人馬一体の走りに新次元を拓く」と打ち出しています。

    つまりNBは、ロードスターという一つの原点を守りながら、その楽しみ方をかなり広く育てた世代でもあったわけです。  

    インタビューから見えるNBの意味

    貴島孝雄氏の話を追うと、NBの意味はかなりはっきりします。

    それは「もっと高性能にする」ことより、「ロードスターらしさを崩さずに進化させる」ことです。ハイパワー車のように性能を持て余す方向ではなく、誰でも操って楽しいことを優先する。

    ロードスターがここで変に背伸びしなかったからこそ、後のNCやNDという傑作車たちまで系譜が切れずに続いたとも言えます。

    NB自体は派手に革命を起こした世代ではない。でも、革命のあとにちゃんと文化として定着させた世代でした。  

    強みは気持ちよさの密度が上がったこと

    NBの強みを一言で言うなら、NAの楽しさを薄めずに気持ちよさの密度を上げたことです。

    見た目は洗練され、実用面も上がり、剛性感も増し、グレード展開も厚くなった。それでいて、ロードスターがロードスターであるためのサイズ感やFRレイアウトや軽快さはちゃんと残った。

    だからNBは、NAより少し大人で、でも決して鈍くない。雑味を減らして、それでも遊び心は消していない。このバランス感覚こそがNB最大の武器です。  

    NBの存在は地味に見えてかなり重要だった

    NAが神話の始まりなら、NBはその神話を一過性で終わらせなかったクルマです。

    二代目がこければロードスターは「懐古趣味の当たり企画」で終わっていたかもしれない。けれどNBはそうならず、むしろ世界販売を積み重ね、2000年には2人乗り小型オープンスポーツカー生産累計世界一としてギネス認定にまでつながっていきます。

    派手さでは初代に譲るけれど、DNAを本物として繋いだ功労者としてはNBも相当でかいです。  

    まとめ

    NB6C/NB8Cロードスターを一言でいえば、

    原点を守ったまま、原点を商品として完成させた二代目です。

    NB6Cは素の軽快さ。NB8Cは熟成と厚み。

    そしてNB全体としては、NAの思想を「次の時代でも通用する形」に翻訳した世代でした。

    初代ほど神格化されたりはしない。

    でも、ロードスターという文化を続けるうえで必要だったのは、こういう二代目があってこそだったと思います。

  • ロードスター – NA6C/NA8C 【失われたライトウェイトの復権】

    ロードスター – NA6C/NA8C 【失われたライトウェイトの復権】

    NAロードスターは70年代に一度ほぼ絶滅しかけたライトウェイトスポーツカーという文化を、80年代末に現代の技術で蘇らせたクルマでした。

    マツダ自身も、60〜70年代の小型オープンスポーツが持っていた軽快なハンドリングと気軽なオープンエアモータリングを、当時の安全・品質基準で再提案するために開発したと説明しています。

    つまりNAは、新型車というより「途絶えた系譜の復活」だったわけです。  

    「そんなものいまさら売れるのか」

    開発の出発点も、いかにもロードスターらしい。

    80年代前半、ライトウェイトスポーツは市場からほぼ消えており、社内でも本当に成立するのか半信半疑でした。

    それでもマツダのエンジニアは「他社とは違う独自の商品が必要だ」と考え、企画を前へ進めていきます。

    さらに駆動方式の候補にはFF、MR、FRが並んでいたものの、最終的には「軽快で素直な運転感覚」を得るにはFRしかないと判断。

    コスト面では不利でも、理想を優先してFRオープンの道を選んでいます。  

    ロードスターの核は、最初から「人馬一体」だった

    このクルマを説明するうえで外せないのが、みなさんもお気づき「人馬一体」です。

    FRとオープンボディが決まった段階で、開発陣はこのクルマの楽しさを「人馬一体」という言葉で共有したとマツダは記しています。後から付けた宣伝文句ではなく、そもそもの開発思想そのものだったわけですね。

    GAZOOの開発者インタビューでも、貴島孝雄氏は初代ロードスターのコンセプトが「人馬一体」であり、運転して楽しいことを何より重視したと説明しています。  

    開発現場はかなり熱かった

    このクルマが伝説化して現代でも愛される理由は、思想だけではなく作り手の熱量にもあります。

    初期から開発に関わった貴島孝雄氏は、当時FC3S型RX-7を担当しながらもこのプロジェクトに加わりたくて参加し、「業務を終えた残業時間に手弁当で図面を書いていた」と振り返っています。

    しかもサスペンションまわりでは、コストがかかるダブルウィッシュボーンにこだわり、さらにトランスミッション後端とデフを結ぶパワー・プラント・フレームまで導入。

    生産現場の反発もあったそうですが、それでも「人馬一体」のために押し通した。NAロードスターの気持ちよさは、こういう面倒なことを面倒なままやった結果とも言えるでしょう。

    アメリカで行われた市場調査

    夢だけでは終わらせなかったのも面白いところです。

    1987年にはアメリカでフルスケールの樹脂製プロトタイプを使った市場調査が行われ、220人の参加者のうち57人が「発売されたらぜひ買いたい」と回答。この結果が意思決定に強い影響を与え、開発継続を後押ししました。

    そしてデザインはその年のうちに確定し、1989年に北米で発売。日本でも同年にユーノス・ロードスターとして登場します。理想だけでなく、市場性も確認した上で世に出てきたわけですね。  

    NA6Cは、軽さで走る1.6だった

    最初のNA6Cは1.6LのB6-ZE型を積み、120psを発生。

    数字だけ見ると今ではおとなしいですが、このクルマの本質は馬力ではなく、軽さとサイズと応答の良さにありました。

    全長4m未満の小さなボディ、FRレイアウト、前後ダブルウィッシュボーン、そしてオープン2シーター。今となっては贅沢なくらいに「スポーツカーの基礎体力」を真面目に揃えています。

    だからこそNA6Cは、速さそのものより、操ることがそのまま楽しさになるタイプのクルマでした。  

    NA8Cは、ただの排気量アップではない

    1993年には1.8LのBP型を積むNA8Cへ進化。

    このタイミングで貴島孝雄氏が主査を引き継いだことも、系譜としてはかなり重要です。

    NA8Cは130ps・16.0kgf-mとなり、NA6Cより明確にトルクが増しました。単なるパワー競争ではなく、ロードスターらしい軽快さを残しながら、より扱いやすく厚みのある走りに寄せた改良です。

    NA6Cが「軽さの鮮烈さ」なら、NA8Cは「熟成と余裕」に振れた初代後期の完成形と言っていいでしょう。

    強みは「全部がちょうどいい」こと

    NAロードスターの強みは、何か一つが飛び抜けていることではありません。

    ボディは小さい。重すぎない。FRである。オープンである。サスペンションは真面目。価格も当時としては手が届いた。

    つまり、運転が楽しい理由を高価なメカや大出力に頼らず、全部のバランスで成立させていたわけです。

    マツダも、以後のロードスターで一貫して軽量化と重量配分の最適化を続けてきたと説明しており、その原点がまさにNAでした。  

    だからNAは一代では終わらなかった

    NAロードスターはヒットしただけではなく、90年代のオープンスポーツ復権そのものを引き起こした存在でした。

    マツダはこのクルマが、70年代末に消えたライトウェイトスポーツを90年代に復活させるきっかけになったと位置づけています。

    実際、ロードスターの成功後には各社が小型オープンスポーツに再び目を向けるようになります。要するにNAロードスターは、1台の人気車ではなく、世界市場そのものを動かしてしまったんですね。

    今日までロードスターが「世界でもっとも成功した2シーターオープンスポーツの系譜」として続いているのも、全部ここが始点でした。  

    まとめ

    NA6C/NA8Cロードスターを一言でいえば、

    失われたライトウェイトスポーツの理想を、現代の量産車として成立させた原点です。

    NA6Cは軽さと素直さ。

    NA8Cはそこに厚みと熟成を加えた完成形。

    そして両方に共通するのは、スペックを眺めるためのクルマではなく、乗ればすぐ意味が分かるクルマだったこと。

    ロードスターの伝説はここから始まったとも言えますが、ここで「伝説になる条件」がほぼ完成していた、と考える方がしっくりきますね。

  • スイフトスポーツ – HT81S【固まる前に生まれた最初のスイスポ】

    スイフトスポーツ – HT81S【固まる前に生まれた最初のスイスポ】

    国際ラリー「JWRC」を照準に

    2000年代初頭、スズキはカルタス以降の世界戦略車として初代スイフト(HT系)を発売したものの、ラリーで名を上げた競合(プジョー206 RCやシトロエンC2 VTSなど)に対抗する「看板モデル」を持っていませんでした。

    若者に刺さる走りのイメージづくりと国際ラリー(JWRC)参戦、その両方を一手に担うホモロゲモデル。

    それがHT81S型スイフトスポーツだったのです。 

    HT81Sスイフトスポーツというクルマ

    2003年6月に登場したHT81S型スイフトスポーツは、3ドアボディ専用で全長3,620 mm、全幅1,650 mmというコンパクトなサイズに、車重わずか930 kgの軽量パッケージを実現しました。

    前後バンパーとルーフスポイラーは専用デザインとされ、鮮やかなイエローやブルーなどの純正カラーが軽快なホットハッチというキャラクターをいっそう際立たせます。

    また、日本車としては当時めずらしくRECARO製セミバケットシートを標準装備し、走りへの本気度を明確に示しました。

    軽量ボディと本格的な装備を組み合わせることで、発売と同時にスポーツ志向の若者たちの注目を集めました。

    M15A型エンジン

    カルタスGT-iの流れを汲む「軽量 × 高回転」思想を受け継ぎ、エンジンはM15A型 1.5 L DOHC16V(115 ps/6,400 rpm・14.6 kg-m/4,100 rpm)を搭載。

    等長エキマニや高圧縮11.0の「赤ヘッド」仕様で、レブは7,000 rpm超まで一気に吹け上がります。

    5速MTと短いファイナル(3.944)を組み合わせ、0-100 km/hは9秒台。パワーよりパワーウェイトレシオ8.1 kg/psの鋭さが身上でした。 

    「バネ下を削って曲がる」セッティング

    LSDこそ装備しないものの、足回りの剛性アップと軽量ホイール・ブレーキでバネ下を徹底的に軽量化。

    結果として操舵初期がクイックに、減速帯を越えても「跳ねずに掴む」味付けになりました。

    JWRCタイトル獲得、イグニスSuper1600の血統

    HT81Sのプラットフォームは、スズキがJWRC用に開発した「イグニス Super1600」と共通。

    2004年シーズンにはスウェーデン人ドライバーP-G・アンダーソンがこのマシンでシリーズチャンピオンを獲得し、「ライトウェイト+高回転」パッケージの実力を世界に示します。 

    わずか2年半、短命でも色濃い足跡

    生産は2005年夏までと短命ながら、「100万円台で買えるリアルスポーツ」というポジションで熱狂的なファンを獲得。

    ZC31S型(2005)、ZC32S型(2011)、ZC33S型(2017)へと続く「スイスポの礎」を築きました。

    DNAは今も脈々と

    軽量ボディがもたらす俊敏なハンドリング、高回転域まで一気に吹け上がる痛快なエンジンサウンド、そして若者でも手が届く良心的な価格――

    この三つの美点は、1.4 Lターボを積む現行ZC33S型にも脈々と受け継がれています。

    その礎を築いたのがHT81S型スイフトスポーツです。

    まさに「庶民派ホットハッチ」というイメージを決定づけた原点と呼ぶにふさわしい一台だと言えるでしょう。

    PS:KeiはアルトワークスのDNAで書きますのでお待ちください…

  • メガーヌRS – BBM5P【ルノースポールが放った最後にして究極のFF】

    メガーヌRS – BBM5P【ルノースポールが放った最後にして究極のFF】

    「FF最速」という宿命を背負った4代目メガーヌ R.S.

    メガーヌ II/III R.S. はワンメイクレースやニュルブルクリンクで華々しい戦績を残し、「ホットハッチのベンチマーク」という称号をほしいままにしていました。

    ところが2010年代半ば、CO₂規制強化と衝突基準の改訂で、従来どおりの 2 ℓ ターボ+3 ドア軽量ボディは成り立ちにくくなります。

    さらにライバルのシビック Type R が 306 hp に到達し、FF 最速ラップを更新。ルノー・スポールは “軽い+ハード” だけでは勝てない新章に突入したのです。 

    5 ドア化と 4CONTROL

    2017 年フランクフルトショーで姿を現した 4 代目(通称 Mégane IV R.S.)。

    最大の特徴は、ルノーにおける同セグメント初の四輪操舵システム「4CONTROL」を採用したこと。

    低速では逆相、高速では同相に切れる後輪が、従来モデルと同等の俊敏さと高速安定性を両立させました。

    加えて 5 ドア化により実用性まで引き上げ、「週末サーキット、平日ファミリー」を一台で賄う方向へ舵を切ります。 

    アルピーヌ譲りの 1.8 ℓ 直噴ターボ

    排気量は 2 ℓ から 1.8 ℓ(M5P)へダウンサイジング。

    アルピーヌ A110 と共同開発したユニットはツインスクロールターボと DLC コーティングで高効率化され、標準 280 ps/390 N·m、Trophy 系は 300 ps/420 N·m を発生します。

    エンジン単体で 109 kg と軽量に抑えられたのも、前荷重を減らして旋回性能を稼ぐための執念でした。 

    スポールとカップ、そして「Trophy」

    シャシーには減衰力を自動調整するハイドロリック・バンプストップが全車標準で組み込まれ、そのうえで用途に応じた3段階のグレードが用意されました。

    エントリーの「Sport」(国内呼称:シャシー Sport)は、街乗りでの快適性を最優先しつつ、オープンデフと電子制御トルクベクタリングで軽快なハンドリングを実現します。

    中間の「Cup」はスプリングとスタビライザーを約10%強化し、機械式トルセンLSDと2ピース仕様の355 mmブレンボブレーキを追加することで、ワインディングやサーキット走行での耐久性と限界性能を高める設計となっています。

    そして最上位の「Trophy」。

    Cupをベースに最高出力を300 psへ引き上げ、空力性能を高める専用フロントスプリッターを装着。こうして、普段は街を流しつつ週末はサーキットへ繰り出すユーザーまで幅広くカバーする、絶妙なラインナップが完成したのです。

    ニュル 7’40’’100。Trophy-R の衝撃

    2019 年、約 1 t(1,305 kg)まで徹底軽量した Trophy-R が登場。カーボンホイール、Öhlins 調整式ダンパー、チタン Akrapovič マフラーで 130 kg 近いダイエットを敢行し、ニュルブルクリンク北コース 20.6 km を 7 分 40 秒 100 で完走。

    ホンダ シビック Type R から “FF 最速” の座を奪い返しました。 

    「R.S. Ultime」ルノー・スポール最後のメッセージ

    しかし 2023 年、モータースポーツ部門は Alpine ブランドへ統合され、「Renault Sport」 名義の市販車は終了。

    ラストを飾った Mégane R.S. Ultime は Cup シャシー+300 ps エンジンをベースに、創設年「1976」を示すストライプと 1,976 台限定シリアルを与えられました。

    これをもって 20 年近いメガーヌ R.S. の系譜は幕を閉じ、その血統を次世代 EV&Alpine へ託すことになります。 

    「軽くて速い」DNA はまだ終わらない

    4CONTROL、1.8 ℓ ターボ、電子制御 LSD、そして軽量化に執念を燃やす開発姿勢、これらはメガーヌ IV R.S. が示した新しいライトウェイト思想です。

    アルピーヌ A290 や次期ハイパフォーマンス EV にも、この DNA が形を変えて受け継がれるのは間違いありません。

    フレンチホットハッチの物語は、まだ次のコーナーを立ち上がったばかりなのです。

  • カルタス GT-i – AF33S【羊の皮をかぶったS製ホットハッチの原点】

    カルタス GT-i – AF33S【羊の皮をかぶったS製ホットハッチの原点】

    「軽だけではもう伸びない」

    創業以来、軽自動車のみを作ってきたスズキでしたが、当時の経営陣は大きな意思決定を強いられていました。

    1970年代末、衝突規制強化により軽規格は技術的なコストが上がっており、他社と比べてシェアの小さいスズキは苦戦を強いられます。

    カルタスまでの普通車での失敗

    スズキとしても普通車で行くしかないとし、軽規格だったフロンテを普通車仕様に改造したフロンテ800や、輸出仕様のジムニー8(現在でいうジムニーシエラのようなもの)を実際に売っていました。

    しかし、結果は芳しくありませんでした。

    フロンテ800はわずか2600台で撤退。ジムニー8もニッチに留まり、商業的に大成功したとは言えませんでした。

    いずれにせよ、国内の軽マーケットは頭打ちで、当時のスズキには「海外でも売れる世界規格のクルマ」が必要だったのです。

    GMから来た「M-car」

    時を同じくして1979年、北米市場には燃費規制の波が直撃していました。

    大排気量のザ・アメリカンなクルマを作ってきたGMでしたが、小排気量のコンパクトカーを一刻も早く開発する必要がありました。

    しかし、社内で進行していた1リッター級世界戦略車、通称「M-car」は、採算が合わないと判断され計画中止寸前。

    大量の設計図と衝突・排ガス試験のデータだけが残されていました。

    そうです。このM-carこそがカルタスGT-i、ひいてはスイフトスポーツの直系の祖先となるのです。

    スズキとGMの資本提携

    普通車への進出に苦戦していたスズキ、M-carへの投資コストを回収したいと考えていたGM。

    この両者の利害がピタリと重なったのが、1981年の資本提携となります。

    スズキは自社株を5%も差し出し、GMからM-carの設計やデータ一式を「買い取る」形で資本提携をします。

    これにより、スズキは約2年という異例の速さで新型車を開発できただけでなく、北米・欧州の厳格な基準をクリアするためのデータまで手に入れました。

    1983年、スズキ カルタスの爆誕

    スズキはこの車にただならぬ想いを持っていました。

    フロンテ、ジムニーでの普通車進出への失敗、そして自社株を5%も渡して手に入れたM-car…

    もはや失敗するわけにはいきません。

    その結果、デザインはかの有名な「イタルデザイン」が仕上げます。今見てもかっこいいですねこのクルマ。

    全長3.7mのBセグメントボディは、日本・欧州・北米を一つの方でカバーできる世界規格のサイズ。これらにより、生産は一気にグローバル化をしていきます。

    新開発の高回転型G13Bエンジン

    カルタスの成功を裏に、スズキは1985年の東京モーターショーにミッドシップのコンセプトカー「RS-1」を展示します。

    実はカルタスGT-iに載っているG13Bは元々、このRS-1に載せるために開発していたエンジンでした。(当のRS-1はお蔵入りとなってしまいましたが…)

    1986年 カルタスGT-iが追加

    そして、スズキは何を思ったのかこのエンジンをカルタスに搭載し、カルタスGT-iを発表します。

    800kgの車体に94馬力のエンジン。

    大排気量よりも軽量で勝負。元々軽自動車屋だったスズキは、軽自動車での経験を活かすという社内哲学とも一致します。

    ホモロゲーション目的のワークスカーではなく、若者が乗りやすいライトスポーツ。これがカルタスGT-iの立ち位置でした。

    カルタスGT-iが残したDNA

    ここまで見たら勘のいい皆様はもうお気づきかと思いますが、この思想、現代のスイフトスポーツでもしっかりとまだ生きています。

    軽量、安い、そしてスイフトという世界戦略車に対するスイフトスポーツ…

    1986年からおよそ40年にわたり「若者のためのホットハッチ」という独自ポジションを守り抜いているのは、まさにGT-iが拓いた道筋と言えるでしょう。

    おわりに

    軽自動車メーカーが欧米の規格へ踏み出すという、当時としては無謀に見えた挑戦。

    GMが置き去りにした設計図を活用し、2年という短期開発で世界戦略車に仕立て上げた開発陣の執念は、今のスイフトスポーツにも脈々と流れています。

    カルタスGT-iは単なる一発屋ではなく、スズキの企業文化そのものを変えた「転機のクルマ」だったのです。

  • Vitz GRMN – NCP131【GR ヤリスの前日譚】

    Vitz GRMN – NCP131【GR ヤリスの前日譚】

    ヴィッツの話はするか迷いましたが、GRヤリスのDNAを語る上でこのクルマは必須だと思うので書きました。

    Vitz GRMNが切り開いたGRの夜明け

    2017年3月、トヨタは国内150台・欧州400台限定のVitz GRMNを発表しました。

    1.8 L 直列4気筒にスーパーチャージャーを組み合わせて212 PSを発生し、0-100 km/h加速は6秒台。

    エンジンは異例のロータスがチューニングを担当し、17インチBBS鍛造ホイールや専用ブレーキを備えた3ドア専用ボディで、小型ハッチバックの常識を大きく塗り替えました。 

    GRブランドとGAZOO Racing Companyの誕生

    Vitz GRMNの登場と同じ2017年、トヨタはモータースポーツ部門を統合してGAZOO Racing Companyを発足させ、スポーツモデルを「GR」「GR SPORT」「GRMN」の3階層に再編しました。

    ここから「レースで鍛え、市販車で還元する」開発思想が本格的に動き出します。 

    「サーキット直結」の小型ホットハッチ

    プロジェクトを率いたエンジニアたちは「排気量を上げずに欧州Bセグを圧倒する」を合言葉に、機械式LSD、専用サスペンション、強化ボディを投入しました。

    テストコースとニュルブルクリンクで繰り返した走行評価では、量産Vitzとは別物のシャープなステアリングフィールが追求され、コーナー脱出加速を重視したギア比の6速MTが選ばれています。 

    台数限定ゆえの「争奪戦」とラリー転戦

    日本では商談申込み開始からわずか数日で完売し、抽選倍率は10倍以上と報じられました。

    完売後もTOYOTA GAZOO Racingは全日本ラリー選手権へGRMN Vitz Rallyを投入し、開発データを公道で収集。

    小さなボディに高出力エンジンと機械式LSDという組み合わせが、タイトな林道でも有効であることを証明しました。 

    GRヤリスへの「渡り板」

    Vitz GRMNで得られたパワートレーンや車体剛性強化のノウハウ、そして「限定でも採算を取る少量生産のビジネススキーム」は、後のGRヤリス開発を支える土台になりました。

    GAZOO Racing Companyが掲げる「走る→壊す→直す」の耐久テスト哲学もこのモデルで磨かれ、社内に「ホモロゲ級ホットハッチを本気で作れる」という成功体験を残しました。

    まとめ

    Vitz GRMNは、カタログモデルの外側に“本気のホットハッチ”を用意できることを示し、GRブランド黎明期を象徴する一台となります。

    その小型・高出力・限定生産というパッケージは、2020年のGRヤリスへと確かに継承され、トヨタのモータースポーツ起点のクルマづくりを今日まで牽引し続けています。

  • GRヤリス – GXPA16【執念が生んだトヨタの異物】

    GRヤリス – GXPA16【執念が生んだトヨタの異物】

    このクルマ、実はトヨタの多方面からのDNAを受け継いでいて、

    まずは直系とも言えるVitz系のコンパクトカーのDNAです。特にVits GRMNはGRヤリスの起源と言っても過言ではありません。

    次にWRCホモロゲーションモデルのDNA。セリカ GT-Fourを最後にトヨタはWRCホモロゲモデルを出していませんでしたが、ここにきて約「35年越し」に復活したラリー4WDの血筋も引いているのです。

    …と二つあるのですが、今回は直系であるVitzから続くDNAを中心としてみていきます。(セリカまで含めるととんでもない文量になってしまうので…)

    GRヤリスの起源「Vitz GRMN」

    2017年に150台限定で発売されたVitz GRMNは、1.8 Lスーパーチャージャーエンジンと6速MTを組み合わせた小型高性能モデルでした。

    台数こそわずかでしたが、「もっと過激なホットハッチを市販化できる」という社内の自信を育て、後のGRヤリス計画に直結する重要な一歩となります。

    社長勅令で始動したホモロゲーション計画

    トヨタ社長兼マスタードライバーの豊田章男(Morizo)氏は、「WRCで勝てる市販車をつくる」という明確な目標を掲げ、開発部門を束ねるGAZOO Racing Companyにプロジェクトを指示しました。

    開発責任者にはWRC現場出身の斎藤直彦氏が就任し、「走る→壊す→直す」を徹底する耐久テストを主導し、開発サイクルを確立していきます。

    この鍛えの哲学が、後にGRヤリスを生み出す原動力になります。 

    モトマチ「GR Factory」誕生

    GRヤリスについては他の車種とは違い、異例中の異例で量産体制の革新が行われました。ここからもGR ヤリスに対するトヨタの本気度が伺えますね。

    2020年、愛知・元町工場の一角にGR Factoryが新設されます。コンベヤを使わず、セルごとに車体がAGVで運ばれる方式を採用し、熟練工が手作業に近い精度で溶接・組付けを行います。

    余談ですが、低ボリュームでも高剛性と高精度を両立できるこのラインは、現在ではGRヤリスとGRカローラを同時に生産するようになりました。 

    初代GR Yarisの登場

    こうして誕生したGRヤリス(GXPA16)は、前半分にGA-B、後半分にGA-Cを組み合わせた3ドア専用ボディを採用し、1.6 L直列3気筒ターボエンジン(G16E-GTS:272 PS/370 Nm)と前後可変配分4WDシステムである「GR-FOUR」を搭載しました。

    アルミパネルやCFRPルーフで車重を1,280 kgに抑え、量産車では異例の「ホモロゲーション専用シャシー」を実現しています。 

    GRMN ヤリスでさらに強化

    発売から2年後、トヨタ Gazoo Racingは500台限定のGRMN ヤリスを東京オートサロンで公開しました。

    スポット溶接を560点増やし、CFRPパーツと2座化で約20 kgの軽量化を達成。「サーキットパッケージ」と「ラリーパッケージ」を用意し、予約抽選には1万件を超える応募が殺到しました。 

    大幅改良と8速AT「GR-DAT」

    2024年の改良では、エンジンを275–304 PSまで強化するとともに、8速AT「GR-DAT」を追加して幅広いドライバーがモータースポーツに参加しやすい体制を整えました。

    コクピットは15°ドライバー向きに再設計され、前後バンパーは交換しやすいモジュール式に変更されています。これらは「より多くの人に走る喜びを届けたい」というMorizo氏の意向に基づいています。

    派生と今後の展望

    GR Factoryは同じセル方式でGR カローラも生産しており、需要増に対応するため一部生産を英国バーナストン工場へ移す計画も報じられています。

    さらに、2.0 Lターボをリアミッドに搭載するなど狂気に満ちた「GRヤリス Mコンセプト」も試験走行を重ねているなど、GRヤリスから始まる新たなDNAは今後も目を離せませんね。

    まとめ

    Vitz GRMNで芽生えた挑戦心は、Morizo氏のトップダウンと斎藤氏の現場主導によってGRヤリスへ結実しました。

    その後も限定GRMNや8速ATの導入で磨きをかけ、「モータースポーツで鍛えて市販で還元する」というGAZOO Racing流ものづくりが確立されています。

    今後もGR Factoryを中心に、トヨタ「走る楽しさ」を体現するホットハッチの血統が受け継がれていくことでしょう。

  • シビックType R – FL5【血統がたどり着いた新時代のFF】

    シビックType R – FL5【血統がたどり着いた新時代のFF】

    「Type R」30年目の新章、FL5

    2022年9月、11代目シビックをベースに誕生したFL5型シビック Type Rは、歴代最多320 psを誇ったFK8をさらに磨き上げ、2023年4月にニュル北コース7分44秒881を記録してFF最速の座を奪還します 。

    先代で確立した「ターボ+空力+デュアルアクシス」という武器を徹底的に煮詰めたFK8の正常進化がFL5となります。

    開発思想「究極を創り続ける」執念

    開発責任者・柿沼秀樹氏は「日常域での素直さと、サーキットでの限界領域が地続きになるクルマ」を掲げました。

    二輪がお好きな方はわかるかもしれませんが、ホンダは二輪でも四輪でも「究極」を追う文化を共有しています。

    例えばCBR1000RR-RやGOLDWINGなどがわかりやすいです。四輪でもNSX-Rがそれに当てはまります。

    FL5でもその哲学が貫かれているワケですね。

    K20C1改。出力比160 ps/ℓ、310 ps

    排気量1,995 ccの直噴VTEC TURBOは、ターボハウジングを最適化し、吸気流路の損失を低減。結果、最高出力329 ps/6,500 rpm、最大トルク420 Nm/2,600–4,000 rpm(欧州仕様)を達成します(日本仕様は最高出力326 ps)。

    2,500 rpmから湧き上がる実用トルクと、6,500 rpmまで淀み無く伸びる回転フィールは、ターボながら歴代NA型に通じる一体感を実現しました。

    「骨太×しなやか」新プラットフォームと空力の深化

    スポット溶接増しと構造用接着剤の併用による骨格強化で先代比15%のねじり剛性を確保し、デュアルアクシス・ストラットでトルクステアを90%低減して旋回中の舵残りを解消。

    さらにトレッドを26 mm拡大した全幅1,890 mmのワイド&ローパッケージと、三分割フロントスプリッター・大型ディフューザー・角度可変リアウイングから成る「ゼロリフト空力」を組み合わせた相乗効果により、

    鈴鹿では開発計測2分23秒5をマークして歴代FFレコードをまたも順調に塗り替えました。

    R+とIndividual「電子制御は味付けから武器へ」

    FL5は「Comfort」「Sport」「+R」の三段モードに加え、ドライバーがステア応答・ダンパー減衰・スロットルマップを自由に組み合わせられるIndividualを新設。

    さらにロガーアプリ「Honda LogR 2.0」がG・ブレーキ圧・ステア角をリアルタイム表示し、サーキット走行後にはAIが走りを採点するというびっくりシステムが搭載されます。 

    ニュル7分44秒881「量産FF最速」の証明

    2023年春、量産状態のFL5は20.832 kmフルラップで7:44.881を叩き出し、メガーヌRS Trophy-RやゴルフRを再び後方に置いた 。

    トップギア誌は「コーナー出口で一切暴れずに400 Nmを載せ替え、まるで四駆のよう」と評し、先代からの7秒短縮を高く評価した。

    「RACING BLACK Package」漆黒の深化

    2025年1月、日本限定でRACING BLACK Packageが追加。マットブラック専用塗装、ブラックBBS鍛造19 inch、ブラックレカロを纏い、標準車比-6 kgを実現した。デリバリーは1年待ちと言われ、“黒い赤バッジ”は新たなステータスとなっている 。

    「熟成されたType Rターボ」が示す未来

    FL5は先代が拓いたターボ+空力路線を「使い切れる速さ」へ昇華し、Type R 30周年の節目を飾る集大成となりました。

    荷物も家族も積んでサーキットを制す。そんなType R流の人生提案こそ、初代グランドシビックSiRから連なるDNAの最新形なのです。

    回せば吠える、踏めば曲がる、その先に待つのはデータで証明できる「究極の自己ベスト」

    FK2から続いてきたライバルたちは最後を迎えています。

    しかしType Rはまだ、次の一秒を削る挑戦を止めていません。

  • シビックType R – FK8【Type Rが持つ戦闘思想の具現】

    シビックType R – FK8【Type Rが持つ戦闘思想の具現】

    「ターボ+空力」で壁をブチ破った十代目FK8

    2017年、ホンダはFK2の成功を見て高回転NAをいさぎよく捨て去り、10代目シビック Type R=FK8 を世に放ちます。

    2.0 L VTEC TURBO 320 ps、400 Nmで駆動し、ニュル北7分43秒8…

    数値だけでも超々ド級ですが、5ドアで家族も乗れるホットハッチというギャップがこれまた…

    FD2での5ドア思想をそのままに、FK2の戦闘力を受け継いでFK8は売れないわけがありませんでした。

    開発ストーリー「どの道でもFF最速に挑む」

    プロジェクトリーダー・柿沼秀樹氏は「環境規制を敵にせず、むしろ速さの武器にする」と宣言。

    巨大開発費が投じられた10代目グローバル・シビックをベースに、空力・冷却・剛性を徹底的に煮詰めます。

    前後ディフューザー+巨大リアウイングは飾りではなく、ゼロリフト&200 km/h超での安定を実現し、「どのコースへ持ち込んでも戦えるType R」を狙いました。

    K20C1第二世代――320 ps/400 Nmの驚異

    先代FK2と同系ながら、ターボ換装と吸排気最適化で比出力155 ps/ℓへアップ。

    6速MTはローギヤをクロス化、油圧フライホイールダンパーでシフトフィールはさらに軽快になります。

    そしてエンジンは、2,500 rpmで400 Nm、6,500 rpmで320 psという歴代を見てもトップレベルでワイドバンドの仕様。VTECの“高回転ハイ”とターボの“圧”を両取りした新時代の代物です。

    デュアルアクシスストラット+マルチリンク=曲がるターボ

    フロントはデュアルアクシス・ストラットでトルクステアを80%カット。

    リアは新設計マルチリンクでロールセンターを適化。高剛性ボディは先代比+38%で、しかもこれ、旧型より16 kgも軽くなっているんですね。

    結果、開発ドライバーの木嶋隆一氏は「コーナー進入速度が10 km/hアップした」と言います。

    ニュル北7分43秒8、そして欧州“5冠”

    開発最終段階の2017年4月3日、FK8はニュルブルクリンク北コースを7分43秒8で周回。

    FF最速を奪還したばかりか、その後スパ、モンザ、マニクール、シルバーストーン、エストリルの欧州5サーキットでもFWDレコードを総ナメにしました。

    2020年リミテッドエディション

    2020年の小変更でブレーキを2ピース化し、ADS制御を高速化。さらにType R Limited Edition(通称“黄FK8”)を1,020台限定で投入。

    BBS鍛造+Cup 2+遮音材カットで50 kg減を達成し、鈴鹿を2分23秒993で駆け抜け、F1ホームにFWD最速の看板を掲げました。

    ターボで過給されたType Rの可能性

    FK8は「高回転NA=Type R」という伝統を更新し、ターボと空力で速さの絶対値を引き上げました。

    ニュルと鈴鹿のダブルレコードが証明する通り、Type Rの魂は排気量や過給方式を超えて、「楽しく走る」という形で生き続けます。

    次章はさらなる熟成を遂げた現行FL5。シビック Type Rの物語はここで終了となるのでしょうか…?

  • シビックType R – FK2【FF戦争最前線に投入された、ターボRの一番機】

    シビックType R – FK2【FF戦争最前線に投入された、ターボRの一番機】

    「ターボでType R」革命のFK2

    2015年に登場したFK2は、歴代Type Rで初めてターボを積んだ“異端児”だった。

    2.0 ℓ VTEC TURBOで310 psを叩き出し、ニュルブルクリンク7分50秒63のFF最速を樹立。「高回転NA信仰」を打ち破った一方で、「これぞ新世代Type R」と世界を熱狂させました。 

    「最速の先へ行け」開発ストーリー

    開発総責任者・橋本英城氏は「環境規制を味方に付けて、速さと実用を両立させる」と宣言。

    先代FN2よりもパワーとダウンフォースを大幅に引き上げつつ、家族も乗れる実用ハッチを目指した。チーフエンジニア・八志末広氏は「歴代Type Rの中で最もレスポンスに優れる」と自信を語っています。 

    「K20C1」歴代最強310 psターボユニット

    ・排気量:1,996 cc

    ・最高出力:310 ps/6,500 rpm

    ・最大トルク:400 Nm/2,500-4,500 rpm

    直噴+電動ウエストゲートターボと可変バルブタイミングを組み合わせ、出力比155 ps/ℓを実現。北米オハイオで生産されたエンジンを英国スウィンドン工場で搭載する世界を跨いだ製造工程も話題を呼びました。

    「ゼロリフト」とR+ボタン

    フロントはマクファーソンながらデュアルアクシス式ストラットを採用し、トルクステアを80%低減。前後ディフューザーと巨大リアウイングで“ゼロリフト”を達成し、高速安定性を確保。

    ステアリングの応答・ダンパー減衰・スロットルマップを一括で尖らせる「R+」ボタンは、サーキット走行を前提に開発されました。 

    ニュル7分50秒63!FF最速を奪取

    開発プロトタイプはニュル北コースを7:50.63で周回し、当時最速だったメガーヌRS(3型)を抜いてFF最速を更新。

    「ターボ+空力がType Rを進化させた」とメディアは絶賛し、ホンダはジェネーブショーの壇上でその映像を公開して喝采を浴びた。 

    日本750台限定。抽選倍率10倍超

    FK2は欧州専売とアナウンスされていましたが、国内ファンの声に応え、2015年秋に750台限定で逆輸入販売しました。

    抽選倍率は10倍超、契約金即納が条件という文字通りの争奪戦となり、当選通知で歓喜・落選していたのが記憶に新しいです。 

    モータースポーツ&メディアの反応

    BTCCではシーズン4勝、TCRインターナショナルでもタイトル争いに食い込み、「ターボでもホンダは曲がる」と証明します。

    ロード&トラック誌は「ポルシェ Cayman GT4に10秒差まで迫ったFF」と評し、ホットハッチ界の頂点に据えました。 

    FK2が残したDNA

    FK2はシビックType Rのターボ時代の幕開けです。

    新開発K20C1ターボは、後継FK8や現行FL5へと改良継承され、Type Rの動力源を高効率・高トルクの次元へ押し上げることとなります。

    次にデュアルアクシス式ストラット。ハイブーストFFで生じやすいトルクステアを抑えつつ、ステアリング精度を保つこの機構は、FL5に至るまで受け継がれるコーナリング哲学の核となりました。

    そしてR+ボタンに代表される可変ドライビングモード。電子制御でスロットル、ダンパー、ステアフィールを一括変化させる味付け文化をType Rに持ち込み、サーキットから日常までクリック一つで最適化する新しい走りの体験を確立したのです。

    ターボで進化した「Type R」

    FK2は「NA高回転こそType R」という定説を覆し、ダウンフォースとターボトルクで絶対速さを手に入れました。

    ニュルの7分50秒、抽選750台の伝説、そしてK20C1が開いた未来。それらすべてが後継FK8・FL5につながる礎となったのです。

    ターボで吠えるVTECサウンドとR+ボタンで豹変するハッチバック、それがFK2が後世に残した新時代のシビックの在り方でした。