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  • ポルシェ911とは

    911は、不利な形式を60年かけて正解にしたクルマです。

    後車軸より後ろにエンジンを置くリアエンジンは、物理的に見れば無理のある配置でした。重い塊が最後尾にあるぶん、限界を超えると後ろから外へ逃げていく。普通なら、どこかの世代で捨てる設計です。ポルシェはそれを捨てず、60年かけて押さえ込み続けました。

    出発点は1948年の356でした。フォルクスワーゲン・ビートルの空冷フラット4とリアエンジンという構成を引き継ぎ、軽さと空力で速く走る。この一台で、ポルシェの作法が決まります。

    1964年に登場したのが901、後の911です。型式の三桁の真ん中がゼロの車名をプジョーが商標登録していたため、発売直後に911へ改められました。エンジンは空冷のフラット6、排気量2.0Lで130PS。356から気筒数を増やしながら、レイアウトはそのまま持ち越しています。

    1975年の930で、911は牙を剥きました。3.0Lターボは当時としては強烈な過給圧を持ち、踏んだ瞬間ではなく一拍遅れて全部来る。後ろに重心があるうえに唐突なパワー、しかも当時は電子制御などありません。それでも売れたのは、恐ろしさそのものが魅力だったからでしょう。

    1989年の964から近代化が始まります。四輪駆動のカレラ4、ABS、パワーステアリング。1993年の993ではリアサスペンションがマルチリンク化され、リアエンジンの弱点がついに実用上ほぼ消えました。空冷最後の世代が完成形と呼ばれるのは、この到達点があるからです。

    1997年の996で水冷になり、911は一度信者を裏切ります。ヘッドライトの形までボクスターと共有したこの世代は、いまも評価が割れる存在です。2004年の997でその反省を回収し、丸い目とポルシェらしい質感が戻りました。

    2011年の991でボディはさらに大きくなり、油圧式のパワーステアリングも電動へ置き換わります。そして後期型で、GTモデルを除く全車がターボ化されました。2019年の992は、電動化の時代にあってなお自然吸気のGT3を残し、一方でハイブリッドも受け入れています。

    356から992まで。911の型式の並びは、「間違った配置」を捨てずに直し続けたらどこまで行けるのかという、一つの長い実験の記録です。

  • ランサーエボリューションとは

    ランサーエボリューションは、ラリーに勝つためだけに10回作り直されたクルマです。

    始まりは1987年のE38A/E39A、ギャランVR-4でした。2.0Lターボの4G63型とフルタイム4WDという組み合わせで、三菱はWRCに本格参戦します。ただ、ギャランは車体が大きすぎました。同じ中身をもっと小さな箱に移せば速くなる。その発想から生まれたのが、1992年のCD9A、初代ランサーエボリューションです。

    競技に出るには市販台数の条件を満たす必要があります。だから作った。理屈としてはそれだけの、極端に用途の限られたクルマでした。それが即完売します。

    以降、三菱はほぼ毎年のように手を入れました。1994年のCE9AでII、翌年にはIIIへと進み、空力の造形が本格化します。1996年のCN9A、エボIVで登場したのがAYC、つまり左右後輪の駆動力を積極的に振り分けて曲がる機構でした。四駆は曲がりにくいという常識に、三菱は電子制御で殴りかかったわけです。

    1998年のCP9A、エボVでは車体の幅を広げて3ナンバーになり、ブレーキも大径化されます。翌年のVIはラリーでの耐久性に振った熟成版で、2000年のトミ・マキネンエディションがグループA時代の終わりを飾りました。

    2001年のCT9Aはランサーセディアを土台にした新世代です。エボVIIでACD(アクティブセンターデフ)が加わり、VIIIではAYCが強化され、2005年のIXでは4G63にMIVECが組み込まれます。エボIXは、13年使い続けた4G63型の最終形でした。

    2007年のCZ4A、エボXでエンジンがアルミブロックの4B11型へ切り替わります。ツインクラッチのSSTが選べるようになり、駆動系はS-AWCとして統合されました。速さも快適さも、それまでで最高です。

    ただ、三菱はすでにWRCから撤退していました。勝つために作る理由が消えたクルマは、2015年のファイナルエディションをもって生産を終えます。

    E38AからCZ4Aまで、10世代。ランエボの型式の並びは、日本のメーカーが世界のラリーで勝つために何を積み増していったかの記録そのものです。

  • マーチとは

    マーチは、日産が「国民車」として作り、最後は日本に来なくなったクルマです。

    1982年の初代K10は、車名を一般公募で決めるところから始まりました。デザインを任されたのはジョルジェット・ジウジアーロ。奇をてらわない直線的な小さな箱は、流行に左右されないぶん10年戦える形でした。実際K10は10年間現役です。そして1988年、この実用車に930ccのエンジンへターボとスーパーチャージャーを両方載せた「スーパーターボ」が追加されます。国民車として設計したはずの器に、日産は平然と変な球を投げ込んできました。

    1992年のK11では、丸みのある造形とともにCVTが本格的に導入されます。当時のCVTはまだ珍しく、小型車で普及させた立役者のひとつがK11でした。欧州でも売られ、この世代でマーチは日本専用車ではなくなります。

    2002年のK12は、性格を大きく振りました。ルノーと共有するプラットフォームの上に、丸い目と柔らかい面で構成した「かわいい」を、狙って設計したのです。街乗りの小型車が女性ユーザーの支持で決まる時代を、日産は正面から取りにいきました。一方でオーテックが仕上げた12SRのような、走りに振ったグレードも残っています。

    2010年のK13で、生産地が変わります。タイで作って日本へ輸入する。国民車を国内で作り続けることを、日産はここでやめました。3気筒エンジンによる燃費と価格の追求が主題になり、その一方でニスモSという1.5Lの硬派なグレードも用意されています。

    2016年のK14は、日本に導入されませんでした。欧州で「マイクラ」として売られるこの世代は、完全にグローバルコンパクトとして設計されています。日本ではK13が2022年まで売られ、そのまま静かに姿を消しました。

    K10からK14まで、5世代。マーチの歴史は、日本のメーカーが「安くて小さいクルマ」をどこで作り、誰に売るのかを問い直し続けた記録です。

  • コルベットとは

    コルベットは、70年間ほぼ同じ答えを出し続けたクルマです。フロントに大排気量のV8を置き、後輪で押す。その一点だけは、どれだけ時代が変わっても動きませんでした。

    そして最後に、一度だけその答えを捨てます。

    始まりは1953年のC1でした。当時としては珍しいFRP、つまりガラス繊維強化樹脂のボディを使い、エンジンは直列6気筒、変速機は2速のオートマチックのみ。速さより「アメリカにもスポーツカーがある」と示すことが目的の一台でした。V8を積んで本物になるのは、1955年からです。

    1963年のC2、通称スティングレイで性格が固まります。この世代でリアサスペンションが独立式になり、アメリカ車らしい直線番長から、曲がれるスポーツカーへ踏み出しました。1968年のC3は、コークボトルと呼ばれる抑揚のある造形で最も派手な世代になりましたが、途中から排出ガス規制と燃費規制に直撃されます。出力は落ち、それでも1982年まで作り続けられました。

    反撃は1984年のC4からです。設計を一新し、1990年にはロータスと開発したDOHCのLT5型を積むZR-1を投入して、世界のスーパースポーツと同じ土俵に立ちます。1997年のC5では変速機を後軸側に移すトランスアクスル方式を採用し、前後重量配分を整えました。ここでコルベットは、力任せのクルマではなくなります。

    2005年のC6は1962年以来のリトラクタブルヘッドライトをやめ、7.0LのLS7を積むZ06や638hpのZR1で頂点を更新しました。2014年のC7でスティングレイの名が復活し、フロントエンジンのコルベットはここで完成します。

    そして2019年のC8。エンジンが運転席の後ろへ移りました。66年守ったフロントエンジンを、コルベットは自分から手放したわけです。以降はZ06の5.5L DOHCフラットプレーンV8や、前輪をモーターで駆動するE-Rayまで現れています。

    C1からC8まで、8世代。コルベットの歴史は、アメリカが「安く速いスポーツカー」という理想をどこまで守り抜けるか試し続けた記録です。

  • BRZとは

    スバルというメーカーを支えてきた柱は、水平対向エンジンとシンメトリカルAWDの二本でした。BRZは、そのうち片方だけを持ち込んだクルマです。

    2012年の初代ZC6は、トヨタとの共同開発として生まれました。トヨタ側の車名は86。スバルは水平対向エンジンと生産を受け持ち、トヨタはD-4S、つまり直噴とポート噴射を併用する燃料供給システムを持ち込みます。2.0LのFA20型は200PS・205N・mと、数字だけ見れば平凡でした。

    狙いは最高出力ではなかったからです。水平対向はシリンダーが左右に寝ているぶん背が低く、そのままエンジンを低く積めます。重心を下げ、車重を1.2トン台に抑え、幅の狭いタイヤを履かせる。四輪が路面をつかむ限界を意図的に低いところへ置いて、その手前で起きることを運転手に全部見せる。これがZC6の設計思想でした。

    AWDを外したことも、その延長線上にあります。四駆で速さを稼ぐのではなく、後輪だけで曲がることをドライバーに任せる。スバルにとっては、自社の看板を一枚外してでも作りたいクルマだったわけです。

    2021年の2代目ZD8は、初代への不満に正面から答えた世代でした。排気量を2.4Lへ拡大したFA24型は235PS・250N・mで、初代が指摘され続けた中回転域のトルクの谷を埋めています。ボディの構造用接着剤やフルインナーフレーム構法によって剛性も大きく上がりました。

    それでいて、車体の低さも軽さも手放していません。速くはなったものの、性格は変わらなかった。同じ骨格を使うGR86に対して、BRZは足まわりの味つけで自分の答えを出しています。

    ZC6からZD8まで、2世代。BRZの歴史は、AWDの会社が「四駆でなくても操る楽しさは作れる」と証明し続けた記録です。

  • BMW M2とは

    M2の歴史は、M2と名乗らなかった一台から始まります。

    歴代2世代を型式で追うと、前身のE82、初代F87、2代目G87へ、BMWがこの小さなクーペを本流のMとして認めていく過程が見えてきます。

    2011年のE82型1シリーズMクーペ、通称1M。3.0L直6ツインターボのN54型は340PS、変速機は6速MTだけでした。エンジンは135i系をM向けに仕立て、足まわりやディファレンシャルにはM3の部品を使う。専用設計ですべてを揃えるのではなく、兄たちの持ち物を短い1シリーズへ押し込んだクルマです。

    ところが、その寄せ集めが熱狂を生みました。M3より小さなクーペにも、本物のMを求める人がいる。その事実を受けて2016年に登場したのが、初代F87型M2です。

    最初のN55型直6ターボは370PSで、まだM3/M4とは別の心臓でした。それが2018年のCompetitionでは、兄と同系統のS55型へ換装されて410PSに。2020年のCSでは450PSまで届きます。一代の途中で、親しみやすいMの入口から、兄と同じエンジンを持つ凝縮版へ変わったわけです。

    2023年の2代目G87型M2では、ついに順番が逆転します。M3/M4と同系統のS58型を最初から搭載し、最高出力は登場時の460PSから2024年に480PSへ。後輪駆動と6速MTも残しました。もう「兄から心臓を借りた弟」ではありません。

    ただし、その代償として全長は伸び、車重は1.7トンに達しました。M2を「小さくて軽いM」と説明することは、ここで難しくなります。

    2025年のG87型M2 CSは、その矛盾をさらに押し進めます。S58型は530PSまで高められ、約30kgを削った一方、変速機は8速Mステップトロニックだけ。6速MTを残す標準M2と、速さのためにMTを手放したCSで、同じM2の役割が分かれました。

    1MからF87、G87へ。最初は手持ちの部品を小さな器へ押し込んだクルマでした。いまでは、その器にM3/M4と同じエンジンが最初から用意されます。M2の歴史は、小さなMが本物になった記録ではありません。小さなMこそ本流のひとつだったと、BMW自身が認めていく記録です。

  • アルトワークスとは

    アルトワークスは、最初の一台で「馬力」の話を終えてしまったクルマです。

    歴代5世代を型式で追うと、その異様さがよく分かります。

    1987年のCA72V/CC72V。実用車のアルトに、軽自動車初の550ccツインカムターボを積み、最高出力は64PS。610kgの小さな車体には、十分すぎる数字でした。そして最上位グレードの最高出力は、2015年のHA36Sまで変わりません。

    普通なら、モデルチェンジのたびに馬力を上げればいい。ワークスは、結果としてそのやり方を一度も使いませんでした。

    翌1988年の2代目CL11V/CM11Vも、頂点は同じ64PS。転機は1990年のCN21S/CP21Sでした。排気量を550ccから660ccへ広げても、最高出力はそのまま。代わりに中低速のトルクを太くし、このモデルから商用バンではなく乗用車になります。速さを最高出力の数字に足すのではなく、普段使う回転域へ下ろしてきました。

    その後も、変わるのは64PSの周りでした。1994年のHA11S/HA21S系では、RS/Zに軽自動車初のオールアルミ製DOHCターボ、K6Aを投入。1998年のHA12S/HA22Sは同じ世代でも中身が違い、HA12SのieはF6A型SOHCターボで60PS、HA22SのRS/ZはK6A型DOHCターボで64PS。後者の2WD・5MTには、VVT、ヘリカルLSD、四輪ABSまで与えられました。エンジンの反応、曲がり方、止まり方。カタログの最高出力だけでは見えない部分を詰めていった時代です。

    2000年、その名前はいったん途切れます。

    面白いのは、15年後です。2015年のHA36Sが復活にあたって選んだ答えは、初代と同じ「軽さ」でした。最高出力はやはり64PS。そこに2WD・5MTで670kgの車体、専用5速MT、引き締めた足まわり、レカロシートを組み合わせます。パワーアップではなく、64PSを余さず使い切ることでワークスへ戻ったわけです。

    HA36Sは2021年の9代目アルトへの交代で姿を消し、現行アルトにワークスはありません。

    CA72VからHA36Sまで、5世代。アルトワークスの歴史は、馬力を増やした記録ではなく、同じ64PSからどこまで速さと面白さを引き出せるか試し続けた記録です。

  • チェロキーとは

    チェロキーは、四駆の常識を何度も捨ててきたクルマです。

    始まりは1974年のSJ。ワゴニアをベースに、まず2ドアの若いモデルとして登場しました。狙ったのは、小さなCJでは家族を乗せきれなくなった4WD好きです。街へも買い物へも行けて、そのまま家族で冒険に出られる。「仕事の道具ではない四駆」というチェロキーの立ち位置は、ここで決まりました。

    それをひっくり返したのが1984年のXJでした。独立したフレームを捨て、ボディと骨格を一体化したユニフレームへ。SJより約半トン軽く、全長は53.3cm短い。それでも室内容量の90%を残しました。四駆は大きく重いもの、という常識を壊したこの世代が、いまも「チェロキーらしさ」の基準です。

    XJが17年も続いたぶん、その後継は損な役を引き受けました。2002年のKJは、4.0L直6とリジッド式のフロントサスペンションを手放し、3.7L V6と独立懸架へ。北米では「リバティ」、欧州などでは「チェロキー」を名乗ります。2008年のKKも同じ二つの車名を引き継ぎ、角張った形へ戻りましたが、中身まで昔へ戻ったわけではありません。

    そして2014年のKL。フィアットとクライスラーが共同開発したプラットフォームに、ミドルサイズSUV初の9速AT、上下に分かれたヘッドライト。見た目も成り立ちも、歴代で最もジープらしくないチェロキーでした。それでもTrailhawkには後輪デフロックまで残しています。形ではなく、能力でジープだと言い切ったわけです。

    KLで名前がいったん途切れたあと、チェロキーはKM型として2026年に復活します。今度はSTLA Largeプラットフォームに1.6Lターボハイブリッド、後輪を切り離せる4WD。外形は四角く戻りましたが、四駆の仕組みとパワートレーンはさらに現代化しました。

    SJから新型まで、6世代。チェロキーが守ってきたのは構造でも形でもなく、「普段使えて、道がなくても進める」という一線でした。

  • マークIIとは

    マークIIは、名前が二度変わったクルマです。

    1968年に「コロナ マークII」として生まれ、1984年に「マークII」として独立し、2004年に「マークX」へ。この二度の改名が、そのまま日本のセダン市場の変化を写しています。

    出発点は派生車でした。1968年のT60/T70は、コロナとクラウンの間に空いた隙間を埋めるために作られたクルマで、エンジンは4気筒しかありません。当時「上級車の証」だった直列6気筒を手に入れるのは、1972年のX10/X20からです。型式の頭文字がTからXへ変わり、ここでコロナの系列から実質的に抜けました。

    1976年のX30/X40はセミクラシック調の押し出しで高級パーソナルカーの色を強め、1980年のX60でマークII・チェイサー・クレスタという「三兄弟」体制が固まります。ただし、この時点でもフルネームはまだ「コロナ マークII」でした。中身はとうにコロナと別物なのに、名前だけが出自を引きずっていたわけです。

    その名前が外れたのが、1984年のGX71でした。白いボディに1G-GEUのツインカム24。この世代がハイソカーブームの震源地になります。続く1988年のGX81/JZX81でバブルの絶頂を迎え、1JZ-GTEのツインターボが「格」に「速さ」を接続しました。

    面白いのは、そのあとです。バブルが崩壊しても、マークIIは走りを手放しませんでした。1992年のJZX90、1996年のJZX100は、直6ツインターボを積むツアラーVを看板に据え続けています。セダンが売れなくなっていく時代に、あえてFRと直6で踏みとどまった世代でした。

    2000年のJZX110でマークIIの名は途切れ、2004年のGRX120、2009年のGRX130が「マークX」として後を継ぎます。そして2019年、マークXの生産終了とともに、この系譜は50年余りの歴史を閉じました。

    T60からGRX130まで、11世代。型式の並びは、日本人が「ちょうどいい上質」に何を求めてきたかの記録そのものです。

  • スカイラインとは

    スカイラインは、日産が作り始めたクルマではありません。

    生まれはプリンス自動車。初代ALSI、2代目S50と続いたこのクルマは、1966年の吸収合併で日産の名を纏うことになります。その最初の世代が1968年のC10、通称ハコスカです。翌1969年にはGT-Rが設定され、レースで勝つためのスカイライン、という性格がここで決まりました。

    面白いのは、GT-Rがいた世代と、いなかった世代があることです。1972年のC110(ケンメリ)は歴代最高の販売台数を記録しながら、GT-Rはわずか197台で途絶えます。排ガス規制の時代でした。続くC210(ジャパン)にGT-Rの設定はなく、「名ばかりGT」と揶揄されることになります。

    その反省から生まれたのが1981年のR30、鉄仮面です。FJ20型でスポーツの血を取り戻し、1985年のR31では後のRB型が静かに始まります。そして1989年のR32。16年ぶりにGT-Rが復活し、RB26DETTとアテーサE-TSで不敗神話を作りました。

    R33は「デブ33」と言われ、R34は最後の「スカイラインGT-R」を生みます。ここでひとつの時代が終わりました。

    2001年のV35は、GT-Rを切り離し、直6も捨てた世代です。インフィニティG35として世界を向いた決断は、いまも評価が割れています。V36V37と続き、2019年のRV37ではプロパイロット2.0を世界初搭載。走りの意味そのものが変わりました。

    GT-Rを持ち、失い、また持ち、そして手放す。スカイラインという名前は、その揺れをすべて引き受けてきた名前です。

    なお、GT-Rそのものの系譜はGT-Rの歴代モデル一覧に分けてまとめています。PGC10からR35まで、スカイラインの名を離れるまでの流れはそちらで追えます。