ブログ

  • クラウン – S210系【「いつかはクラウン」の最終形態】

    クラウン – S210系【「いつかはクラウン」の最終形態】

    「いつかはクラウン」という言葉が、まだかろうじて意味を持っていた最後の世代かもしれません。

    2012年に登場した14代目クラウン・S210系は、伝統のFRセダンという形式を守りながら、同時にそのフォーマット自体の限界とも向き合わなければならなかった一台です。

    結果として生まれたのは、保守と革新を両方やろうとした、極めてトヨタらしいクルマでした。

    ピンクのクラウンが意味したこと

    S210系クラウンを語るうえで避けて通れないのが、発売時に大きな話題を呼んだ「ピンクのクラウン」です。正式にはリボーンピンクと呼ばれたこの特別仕様は、2013年の発売直後に期間限定で設定されました。SNSやニュースで一気に拡散され、クラウンという名前を普段クルマに興味のない層にまで届けた。

    ただ、あれは単なる話題づくりではありません。背景にあったのは、クラウンのユーザー層の高齢化という深刻な課題です。先代のS200系(13代目)の時点で、クラウンの購買層の平均年齢は60代後半に達していたとされています。このまま何もしなければ、クラウンは「おじいちゃんのクルマ」として静かに消えていく。その危機感が、あのピンクを生んだわけです。

    豊田章男社長(当時)が「クラウンを壊してもいい」と開発陣に伝えたという話は、当時のメディアでも繰り返し紹介されました。壊すというのは、もちろん物理的にではなく、「クラウンとはこうあるべき」という固定観念のことです。この号令がなければ、S210系はもっとおとなしいクルマになっていたはずです。

    FRセダンとしての正常進化

    とはいえ、ピンクのインパクトばかりが語られるのはもったいない。S210系の本質は、FRセダンとしての完成度を一段引き上げたところにあります。

    プラットフォームは先代S200系から引き続きゼロクラウン(S180系)以来の流れを汲むものですが、ボディ剛性の向上やサスペンションジオメトリーの見直しが徹底されました。特にロイヤル系に採用された2.5Lハイブリッド(2AR-FSE+モーター)は、先代から大幅に制御を改良し、動力性能と燃費のバランスを高い次元で両立させています。JC08モード燃費で23.2km/Lという数値は、このクラスのFRセダンとしては驚異的でした。

    アスリート系には3.5L V6の2GR-FSEも引き続き設定され、こちらはスポーティな走りを求める層に応えています。ただし、時代の主役は明確にハイブリッドへ移っていました。実際、販売の中心はロイヤルハイブリッドとアスリートハイブリッドに集中しています。

    「つながる」への布石

    S210系でもうひとつ見逃せないのが、コネクティッド機能への本格的な踏み込みです。トヨタはこの世代のクラウンに、DCM(車載通信機)を標準搭載しました。これはトヨタの量販車としては先駆的な取り組みです。

    2018年のマイナーチェンジ(実質的に大幅改良を受けた後期型、通称「220系」と混同されがちですが、S210系自体も2015年の改良で通信機能を強化しています)に至る流れの中で、クラウンは「つながるクルマ」の実験台としての役割も担っていました。

    要するに、クラウンはトヨタにとって単なる高級セダンではなく、新技術を最初に載せるショーケースでもあったわけです。これは初代から続くクラウンの伝統でもあります。日本初の純国産乗用車として誕生した初代クラウンの精神は、形を変えてこの世代にも受け継がれていました。

    保守層との綱引き

    ただし、S210系には明確なジレンマもありました。若返りを図りたいという意志と、既存の顧客を手放せないという現実の間で、デザインも商品企画も綱引き状態だったのです。

    エクステリアは、先代よりもワイド感を強調した造形になりました。特にアスリート系のフロントフェイスはかなり押し出しが強く、従来のクラウンユーザーからは賛否が分かれています。一方でロイヤル系は比較的穏やかな顔つきを維持しており、この「二枚看板」戦略自体が、ターゲットの分裂を物語っていました。

    インテリアに目を向けると、質感は確実に向上しています。しかし、レクサスGS(L10系)やドイツ勢のEセグメントと比較すると、素材の選び方や仕立ての思想にやや古さが残る部分もありました。クラウンが「国内専用車」であるがゆえに、グローバル競争の中で磨かれるレクサスとの差が、この世代あたりから目に見えるようになってきたのです。

    「最後のFRクラウン」前夜

    S210系の後を継いだ15代目・S220系(2018年〜)は、「アスリート」「ロイヤル」「マジェスタ」というグレード体系を廃止し、クラウンを一本化するという大改革に踏み切りました。そしてその次の16代目では、ついにクロスオーバーやスポーツといったセダン以外のボディ形態にまで拡張されています。

    つまりS210系は、「ロイヤル」「アスリート」「マジェスタ」という三本柱が揃った最後のクラウンでもあるのです。この体系は、S170系(11代目)でアスリートが登場して以来、長らくクラウンの商品構成の骨格を成してきました。それが終わったという事実は、クラウンの歴史の中でも大きな転換点です。

    マジェスタについても触れておくべきでしょう。S210系のマジェスタは、先代まで独立した車種だったものがクラウンのグレードとして統合された形です。2.5Lハイブリッドではなく3.5Lハイブリッド(2GR-FXE)を搭載し、ホイールベースも延長されています。ショーファー的な使い方にも対応するこのグレードの存在が、S210系クラウンの守備範囲の広さを示していました。

    「日本のセダン」が持っていた意味

    S210系クラウンは、革命的なクルマではありません。むしろ、伝統的なFRセダンという形式の中で、できることをすべてやろうとした集大成に近い存在です。

    ハイブリッドで燃費を稼ぎ、コネクティッドで時代に追いつき、デザインで若返りを図り、それでいてロイヤルの静粛性やマジェスタの格式は手放さない。全方位に気を配った結果、どこかひとつが突き抜けるということはなかったかもしれません。でも、それこそがクラウンというクルマの宿命でもあります。

    日本の道路事情に合わせた5ナンバーサイズから始まり、時代とともに大きくなり、豪華になり、速くなり、そしてついにはセダンという枠すら超えていった。S210系は、その長い物語の中で「セダンとしてのクラウン」が最も成熟した瞬間のひとつとして記憶される一台です。

    派手な一台ではないかもしれない。

    でも、60年以上続いた「日本の高級セダン」という概念が、どこに行き着いたのかを知りたければ、このクルマを見るのがいちばん早いと思います。

  • クラウン – S140系【バブルが咲かせた最後の重厚長大】

    クラウン – S140系【バブルが咲かせた最後の重厚長大】

    クラウンという車には「守る」という宿命があります。トヨタの看板であり、日本のセダン文化の象徴であり、法人需要の柱でもある。だからこそ、どの世代でも冒険より安定が優先されてきました。

    ただ、その「守り」がもっとも贅沢な形で表れたのが、1991年に登場した9代目・S140系かもしれません。

    バブル経済はすでにピークを過ぎていました。しかし開発が始まったのはバブルの真っ只中です。つまりS140系は、あの時代の空気をたっぷり吸い込んで設計された最後のクラウンなのです。

    バブル末期という特殊な空気

    S140系が発売されたのは1991年10月。株価の暴落は1990年初頭に始まっていましたが、自動車の開発サイクルを考えれば、企画と設計の大半はバブル絶頂期に行われています。つまり「お金をかけることが正義」だった時代の産物です。

    先代のS130系、通称8代目クラウンは1987年に登場し、いわゆる「いつかはクラウン」のキャッチコピーで知られる世代です。あの時代のトヨタは、セルシオ(初代レクサスLS)の開発と並行してクラウンの格を維持する必要がありました。

    セルシオが「世界基準の高級車」を目指す一方で、クラウンは「日本のお客様のための高級車」であり続けなければならない。この棲み分けが、S140系の性格を決定的に方向づけています。

    セルシオとの距離感が生んだ設計思想

    9代目クラウンを語るうえで、セルシオの存在は避けて通れません。1989年に登場した初代セルシオ(UCF10)は、静粛性・乗り心地・品質感のすべてで世界を驚かせました。当然、クラウンのオーナー層にも「セルシオのほうが上なのか」という意識が生まれます。

    トヨタの回答は明快でした。クラウンはあくまで国内専用の高級車であり、日本の道路事情、日本の駐車場サイズ、日本の顧客の好みに最適化するという方針です。5ナンバーサイズを基本に据えたのも、全幅1,695mmという枠を守り続けたのも、この判断の結果です。

    ただし、ロイヤルサルーンGやマジェスタ系のワイドボディでは3ナンバー化も行われています。ここに「守りながら攻める」というS140系の二面性が見えます。全方位に対応しようとした結果、ラインナップは非常に幅広くなりました。

    マジェスタの誕生という事件

    S140系世代で最大のトピックは、クラウンマジェスタの新設です。型式でいえばJZS149やUZS141など。V8エンジンの1UZ-FEを搭載し、セルシオと同じパワートレインをクラウンのボディに収めるという、ある意味で力技の商品でした。

    なぜマジェスタが必要だったのか。理由はシンプルで、セルシオに流れかけた上顧客を「クラウン」の名のもとに引き留めるためです。クラウンという名前に愛着を持つ層は確実に存在していました。彼らに「セルシオに乗り換えなくても、クラウンで最上級が手に入る」と伝える必要があったのです。

    4.0L V8という心臓を得たマジェスタは、静粛性と滑らかさにおいてロイヤル系とは明確に差別化されていました。ただし車体の基本骨格はクラウンのものであり、セルシオほどの専用設計ではありません。この「クラウンの延長線上にある最上級」というポジションが、マジェスタの強みであり限界でもありました。

    エンジンと足回り——直6への執着

    S140系のエンジンラインナップは多岐にわたりますが、主力はやはり直列6気筒です。2.0Lの1G-FE、2.5Lの1JZ-GE、そしてツインターボの1JZ-GTE。特に1JZ系エンジンはこの世代で本格的にクラウンの主力となり、以後の世代にも受け継がれていきます。

    1JZ-GTEは280馬力を発生するツインターボユニットで、アスリート系に搭載されました。クラウンに280馬力が必要だったのかという議論はありますが、当時は馬力競争の真っ只中です。スカイラインGT-Rが280馬力、スープラが280馬力という時代に、クラウンだけ控えめにするわけにはいかなかったのでしょう。

    足回りはフロントがダブルウィッシュボーン、リアもマルチリンク式を採用しています。先代から引き続き四輪独立懸架を守りつつ、乗り心地の柔らかさを重視したセッティングでした。スポーティさよりも「いなし」の巧さを優先する、いかにもクラウンらしい味付けです。

    豪華装備の洪水と、その意味

    S140系を語るとき、装備の豪華さは外せません。エアサスペンション、電動カーテン、GPSナビゲーション、本木目パネル。今では当たり前になった装備の多くが、この時代のクラウンで普及の足がかりを得ています。

    特にGPSナビゲーションは注目に値します。1990年代初頭のカーナビはまだ高価で珍しい装備でしたが、クラウンはいち早くオプション設定しました。トヨタが「ハイテク装備を最初にクラウンで出す」という慣例を作ったのは、この時代が大きいです。

    ただ、この装備の山が結果的にクラウンの車重を増やし、価格を押し上げたことも事実です。バブル崩壊後の消費マインドの冷え込みの中で、「豪華だが高い」クラウンは次第に苦しい立場に置かれていきます。

    時代の変わり目に立ったクラウン

    S140系の販売期間は1991年から1995年。まさにバブル崩壊の影響が本格化した時期と重なります。法人需要は底堅かったものの、個人ユーザーの購買意欲は確実に落ちていました。

    さらに、この時期はRVブーム——つまりSUVやミニバンへの関心が急速に高まった時代でもあります。「いつかはクラウン」と言っていた層の子ども世代は、もうセダンに憧れていませんでした。クラウン神話の揺らぎが、静かに、しかし確実に始まっていたのです。

    S140系自体が失敗作だったわけではありません。むしろ、与えられた条件の中で最大限の仕事をした世代です。マジェスタという新しい頂点を作り、1JZ系エンジンという名機を定着させ、装備面でも時代の先端を走りました。

    重厚長大の到達点として

    振り返ってみると、S140系は「足し算の設計」が許された最後のクラウンだったように思えます。次の10代目S150系では、時代の要請を受けてより合理的な方向へ舵を切ることになります。

    バブルの残り香の中で、エンジンも装備もラインナップも「全部盛り」で仕上げられた9代目。それは贅沢であると同時に、ある種の無邪気さでもありました。お金をかければいいものができるという信仰が、まだかろうじて成立していた時代の車です。

    クラウンの系譜の中でS140系は、派手な革新よりも「らしさ」の集大成として記憶されるべき世代です。

    守るべきものを全力で守り、盛れるだけ盛った。

    その姿勢が時代遅れになるのは、もう少し先の話です。

  • ヴェルファイア – 30系【アルファードの影から抜け出そうとした反骨のミニバン】

    ヴェルファイア – 30系【アルファードの影から抜け出そうとした反骨のミニバン】

    「アルファードの兄弟車」と言われ続けた車が、一度だけ本気で独り立ちしようとした時期があります。それが30系ヴェルファイアの時代です。結果的にこの世代は、ヴェルファイアという名前が最も輝いていた時期であり、同時にその先の統合を予感させる世代でもありました。

    ネッツ店の看板を背負った高級ミニバン

    ヴェルファイアという車名が生まれたのは2008年、初代にあたる20系からです。トヨタの販売チャネル制度のもと、トヨペット店にアルファード、ネッツ店にヴェルファイアという棲み分けでした。つまり、出自からして「販売戦略上の双子」です。

    ただ、20系の時点ではヴェルファイアのほうが販売台数で上回る月もあり、ネッツ店の若い顧客層に刺さっていたのは明らかでした。押し出しの強い顔つきと、アルファードよりやや攻めたデザインが支持されていたのです。

    30系はその流れを受けて、2015年1月にフルモデルチェンジで登場します。アルファードと同時デビュー。プラットフォームもパワートレインも共有しつつ、内外装のキャラクターで差をつけるという、20系と同じ基本構造を踏襲しました。

    「もうひとつのアルファード」では終わらせない

    30系ヴェルファイアの開発で最も力が入っていたのは、フロントフェイスの差別化です。アルファードが大型グリルで「威厳」を表現したのに対し、ヴェルファイアは二段構えのヘッドランプとメッキバーの組み合わせで「鋭さ」を打ち出しました。

    この時期のトヨタは、アルファード/ヴェルファイアを「LLクラスミニバン」として明確に高級路線へ振っています。先代まではエスティマとの棲み分けも曖昧でしたが、30系では完全に「ミニバンの最上級」というポジションを確立しにいきました。

    パワートレインは2.5L直4の2AR-FE型、3.5L V6の2GR-FKS型(後期)、そして2.5Lハイブリッドの3本立て。特にハイブリッドモデルはE-Fourと呼ばれる電動4WDを組み合わせ、2トン超のボディで18.4km/L(JC08モード)という燃費を実現しています。この数値だけ見ると地味ですが、車重を考えれば相当に優秀です。

    足回りにはダブルウィッシュボーン式リアサスペンションを採用。ミニバンとしてはかなり贅沢な構成で、これは乗り心地のフラット感に直結しています。高速道路での安定感は、同クラスの他車と比べても明確に一段上でした。

    2017年マイナーチェンジという転換点

    30系の物語を語るうえで外せないのが、2017年12月のマイナーチェンジです。いわゆる後期型への切り替えですが、ここでの変更は単なるフェイスリフトにとどまりません。

    まず、Toyota Safety Senseの第2世代が全車標準装備になりました。プリクラッシュセーフティ、レーダークルーズコントロール、レーントレーシングアシストなど、当時としてはかなり充実した内容です。高級ミニバンの購買層は家族持ちが多い。安全装備の強化は、商品力として非常に効いたはずです。

    3.5LのV6エンジンは2GR-FE型から2GR-FKS型に換装され、Direct Shift-8ATとの組み合わせに変更されました。最高出力は280psから301psへ。トルクも同時に向上しています。これは単なるスペック更新ではなく、レクサスにも展開されるユニットへの統一という意味合いがありました。

    ただ、この後期型で注目すべきは数字の変化よりも、アルファードとの販売バランスが崩れ始めたことです。前期型まではヴェルファイアが優勢、あるいは拮抗していた販売台数が、後期型以降は明確にアルファード優位に傾きます。

    なぜアルファードに逆転されたのか

    理由はひとつではありません。ただ、最も大きいのは「高級ミニバンに求められるもの」が変わったことでしょう。

    20系の頃、ヴェルファイアを選んでいた層は「人と違うものが欲しい」「アルファードは年配っぽい」という感覚で動いていました。ところが30系後期の頃になると、アルファードのほうが「高級車としてのわかりやすさ」で圧倒的に有利になります。法人需要、送迎用途、VIP輸送。そうした文脈では、ヴェルファイアの「鋭さ」よりアルファードの「威厳」のほうが選ばれやすいのです。

    さらに、中国や東南アジアでの人気がアルファードに集中したことも見逃せません。海外ではヴェルファイアの知名度が低く、輸出やインバウンド需要がアルファードに偏りました。リセールバリューにも差がつき始め、それが国内の購買判断にもフィードバックされるという循環が生まれたのです。

    要するに、ヴェルファイアは「若くてアグレッシブな高級ミニバン」という独自のポジションを築いたものの、市場そのものが「わかりやすい高級感」に収斂していく流れには抗えなかった、ということです。

    エグゼクティブラウンジという頂点

    30系で忘れてはならないのが、エグゼクティブラウンジグレードの存在です。2列目に航空機のファーストクラスを思わせる独立シートを配置し、電動オットマン、格納式テーブル、専用の木目パネルを奢った仕様でした。

    価格は700万円台後半から。2015年当時、ミニバンにこの価格をつけること自体がひとつの事件でした。しかし、これが売れた。しかもかなりの台数が出ました。

    この事実は、日本の高級車市場に対する重要な問いかけです。セダンではなくミニバンが「おもてなしの最高峰」になり得る。30系アルファード/ヴェルファイアのエグゼクティブラウンジは、それを証明した最初の世代と言っていいでしょう。後継の40系アルファードがさらにその路線を推し進めたのは、30系での成功があったからです。

    40系への橋渡し、そして縮小

    2023年、後継となる40系が登場します。ここで起きた最大の変化は、ヴェルファイアのグレード体系が大幅に絞られたことでした。アルファードが幅広いグレード展開を維持する一方、ヴェルファイアは「Z Premier」を頂点とする少数精鋭の構成に。事実上、アルファードが主役でヴェルファイアはスポーティ寄りの派生という位置づけに変わったのです。

    トヨタの販売チャネル統合(2020年)により、同じ店舗でアルファードもヴェルファイアも買えるようになったことも大きい。かつてのように「ネッツ店に行くからヴェルファイア」という選び方は消滅しました。

    30系は、ヴェルファイアがアルファードと対等に張り合えた最後の世代です。販売台数で勝っていた時期すらあった。それが逆転し、統合へと向かう転換点をこの世代が担っていたことは、系譜として記憶しておくべきでしょう。

    「もうひとつの正解」が存在できた時代の記録

    30系ヴェルファイアは、トヨタの高級ミニバン戦略が最も多様だった時代の産物です。同じ中身でも顔と味付けを変えれば、違う客層に届く。その仮説が成立していた時期の、もっとも完成度の高い実例でした。

    結果的に市場は「アルファード一強」へと収斂しましたが、それは30系ヴェルファイアの失敗ではありません。むしろ、高級ミニバンという市場そのものを二枚看板で押し広げたからこそ、アルファードが今のポジションを得られたとも言えます。

    「影」だったかもしれない。でも、影があったから光が際立った。30系ヴェルファイアは、そういう存在です。

  • クラウン – S60/70系【「白いクラウン」が壊した常識】

    クラウン – S60/70系【「白いクラウン」が壊した常識】

    クラウンといえば黒塗りの法人車。

    1960年代後半まで、その印象は揺るぎないものでした。

    ところが4代目クラウン、通称S60/70系は「白いクラウン」という衝撃的なキャッチコピーとともに登場し、クラウンの客層そのものを塗り替えようとしました。

    保守的であることがブランドの根幹だったクラウンが、なぜこのタイミングで攻めに転じたのか。

    その背景を読み解くと、1960年代後半の日本の自動車産業が直面していた構造変化が見えてきます。

    黒から白へ──商品企画の大転換

    1971年に登場した4代目クラウンは、「白いクラウン」のキャッチコピーで世に出ました。当時のクラウンは法人需要が圧倒的で、ボディカラーは黒が常識。タクシーやハイヤー、官公庁の公用車として使われることが多く、個人オーナーが自分の趣味で選ぶクルマという印象は薄かったのです。

    トヨタがここで白を打ち出したのは、単なるカラーバリエーションの話ではありません。「クラウンを個人ユーザーのクルマにしたい」という、商品企画の根本的な方向転換でした。日本のモータリゼーションが急速に進み、個人の所得水準が上がっていた時代です。法人需要だけに頼っていては、いずれ成長の天井にぶつかる。その危機感が、クラウンの「脱・黒塗り」を後押ししました。

    結果として、この戦略は大きく当たります。白いクラウンは個人オーナー層に刺さり、クラウンのイメージを「偉い人が乗せてもらうクルマ」から「成功した人が自分で選ぶクルマ」へと変えていきました。後のクラウンが個人ユーザー比率を高めていく流れは、この4代目が起点だったといっていいでしょう。

    ペリメーターフレームという構造的な決断

    商品企画だけでなく、技術面でもS60/70系は大きな転換を遂げています。最も重要なのは、ペリメーターフレームの採用です。従来のはしご型フレームに代わり、車体の外周に沿ってフレームを配置する構造に切り替えました。

    ペリメーターフレームの狙いは明快です。フロア面を低くできるため、室内空間が広がる。同時に、フレームとボディの結合点が増えるため、剛性も向上する。乗用車としての快適性を高めつつ、フレーム構造の堅牢さも維持するという、いわば「いいとこ取り」の設計思想です。

    当時、日産のセドリック/グロリアはすでにモノコック構造に移行していました。トヨタがあえてフレーム構造を残したのは、クラウンの用途──つまり法人車やタクシーとしての耐久性要求──を無視できなかったからです。ただし、旧来のはしご型のままでは乗用車としての進化に限界がある。ペリメーターフレームは、その両方の要求に応えるための現実的な解でした。

    スピンドルシェイプと新しいデザイン言語

    4代目クラウンのスタイリングは、スピンドルシェイプと呼ばれる紡錘形のボディラインが特徴です。ウエストラインを絞り、フェンダーを張り出させることで、それまでの箱型セダンとは明確に異なるシルエットを作り出しました。

    このデザインには賛否がありました。保守的なクラウンユーザーからすれば、急に派手になったように見えたはずです。しかしトヨタの狙いは、まさにそこにありました。「白いクラウン」のコンセプトと同じく、若い個人オーナーに「欲しい」と思わせるためには、見た目からして変えなければならなかったのです。

    また、ハードトップモデルが設定されたのも4代目の大きなトピックです。ピラーレスのスタイリッシュなシルエットは、まさに個人ユーザー向けの商品。セダンとハードトップの二本立てという構成は、以降のクラウンでも長く続く定番のフォーマットになりました。

    エンジンラインナップと実用性の幅

    パワートレインは、直列6気筒のM型系エンジンが中心でした。2.0リッターのM型、2.3リッターの2M型、そして2.6リッターの4M型といったラインナップが揃えられ、用途に応じた選択肢が用意されています。

    特に4M型の2.6リッターSOHCは、当時の国産セダンとしてはかなり余裕のある排気量でした。高速道路網の整備が進んでいた時代、長距離を快適に移動するための動力性能は重要なセールスポイントだったのです。

    一方で、タクシー向けにはLPG仕様も設定されるなど、法人需要を切り捨てたわけではありません。個人向けに華やかなイメージを打ち出しつつ、実需もしっかり押さえる。このあたりのバランス感覚は、トヨタらしいと言えます。

    3代目の反省と4代目の挑戦

    4代目の方向性を理解するには、先代である3代目クラウン(S50系)の経緯を知っておく必要があります。3代目は1967年に登場しましたが、当初の評価は必ずしも高くありませんでした。特にフロントサスペンションの問題が指摘され、マイナーチェンジで大幅な改良を余儀なくされています。

    この経験がトヨタに与えた教訓は大きかったはずです。4代目では足回りの設計が見直され、フロントにダブルウィッシュボーン、リアにはトレーリングアーム式の4リンクが採用されました。乗り心地と操縦安定性の両立を、フレーム構造の中でどこまで追求できるか。その回答が、ペリメーターフレームと新しいサスペンション設計の組み合わせだったわけです。

    つまり4代目クラウンは、3代目での躓きを踏まえた「リベンジ」の側面も持っていました。商品企画で攻めると同時に、基本性能では確実に前進する。攻守のバランスが取れていたからこそ、4代目は成功を収めることができたのです。

    クラウン史における分水嶺

    S60/70系クラウンは、クラウンの歴史において明確な分水嶺です。それまでの「保守と格式」から、「個人の豊かさの象徴」へ。この転換がなければ、後の「いつかはクラウン」というキャッチコピーも生まれなかったでしょう。

    技術的にも、ペリメーターフレームの導入はクラウンのフレーム構造を延命させる重要な判断でした。モノコック化を選ばなかったことで、クラウンは他の国産高級セダンとは異なる乗り味──重厚で、どっしりとした走り──を長く維持することになります。良くも悪くも、クラウンらしさの骨格がここで固まったのです。

    「白いクラウン」という一見キャッチーなだけのフレーズの裏には、商品企画の大転換、構造設計の刷新、先代の反省という三つの重い決断が重なっていました。

    4代目クラウンは、クラウンが「国民車の頂点」になるための土台を築いた、地味だけれど決定的に重要な一台です。

  • 7代目 クラウン – S120系【「いつかはクラウン」が生まれた世代】

    7代目 クラウン – S120系【「いつかはクラウン」が生まれた世代】

    「いつかはクラウン」。日本の自動車CMの歴史において、これほど広く長く記憶されたコピーはそう多くありません。

    このフレーズが生まれたのが、1983年に登場した7代目クラウン、S120系です。

    ただ、この言葉がなぜこの世代で生まれたのかを考えると、単なる広告の話では済まない。

    クラウンという車種が、日本の高級車市場のなかで自分の立ち位置を明確に定義し直した、そういう転換点だったからです。

    バブル前夜、高級車の定義が変わりはじめた時代

    S120系が登場した1983年は、日本経済がまさに上昇気流に乗りはじめた時期にあたります。プラザ合意は1985年ですから、まだ円高・バブルの本番は先。しかし、国内の消費意欲は確実に高まりつつあり、「いい車に乗ること」が社会的なステータスとして強い意味を持っていた時代です。

    この頃、クラウンの競合環境も変わりつつありました。日産はセドリック/グロリアのY30系を同年に投入し、V6エンジンで攻勢をかけています。さらに輸入車の存在感も少しずつ増していた。クラウンは「日本の高級車の代名詞」であり続けるために、ただモデルチェンジするだけでは足りない。もう一段、格を上げる必要があったわけです。

    先代の課題を引き受けた開発

    先代にあたる6代目・S110系は、クラウン史上でもやや評価が割れるモデルでした。4ドアピラードハードトップを新設するなど意欲的な試みはあったものの、デザイン面では保守的すぎるという声と、新しさが足りないという声が入り混じっていた。つまり、クラウンの伝統を守りながらどう新しさを出すかという永遠の課題が、7代目にはより切実に突きつけられていたのです。

    トヨタがこの世代で選んだ方向性は、「品格の再定義」でした。外観は直線基調のシャープなラインで構成されつつも、押し出しの強さと端正さを両立させたデザインに仕上がっています。特に4ドアハードトップは、Bピラーを廃したすっきりとしたサイドビューが当時の高級車像にぴたりとはまり、大きな人気を集めました。

    「ロイヤル」と「アスリート」の原型

    S120系を語るうえで外せないのが、グレード体系の整理です。この世代でロイヤルサルーンというグレード名が確立され、クラウンの最上級仕様としての地位を明確にしました。後に「ロイヤル系」「アスリート系」という二本柱に発展していくクラウンのグレード戦略は、このS120系が出発点と言っていいでしょう。

    つまり、「クラウンとはどういう車か」をグレード名の段階から定義しにいった世代なのです。それまでのクラウンは、上位グレードと下位グレードの差はあっても、キャラクターの方向性は基本的にひとつでした。ロイヤルサルーンという名前を冠することで、「フォーマルで上質な高級車」という軸を言語化した。これは商品企画として非常に大きな一歩です。

    エンジンと技術の見どころ

    パワートレインでは、直列6気筒の1G-GEU型(2.0L、ツインカム24バルブ)が話題を集めました。クラウンにツインカムという組み合わせは、当時としてはかなり攻めた選択です。高級車に走りの性能を持ち込むという発想は、のちのアスリート系に通じる伏線でもあります。

    もちろん、主力はあくまで5M-GEU型の2.8L直6や、後に追加される3.0Lの6M-GEU型です。とくに3.0Lモデルは、排気量による余裕のある走りと静粛性で、「クラウンらしさ」を体現していました。ディーゼルエンジンも設定されており、法人需要やタクシー用途にもしっかり対応するあたりは、クラウンの実用車としての側面を忘れていない証拠です。

    足回りでは、上級グレードにエアサスペンションが採用されました。電子制御で車高や減衰力を調整するこのシステムは、当時の国産車としては先進的な装備です。乗り心地の良さを技術で裏付けるという姿勢が、この世代のクラウンには一貫して感じられます。

    「いつかはクラウン」が刺さった理由

    冒頭で触れた「いつかはクラウン」というコピーに、もう少し踏み込んでおきます。このフレーズが秀逸だったのは、クラウンを「今すぐ買える車」としてではなく、「人生の到達点に置かれるべき車」として位置づけた点です。

    これは裏を返せば、クラウンの顧客層が明確に上の世代であることを認めたうえで、若い層にも「いつかは」と思わせるブランド戦略です。実際にこの時代、30代のサラリーマンがクラウンを新車で買うのは簡単ではなかった。でも「いつかは」と思わせることで、ブランドへの憧れを長期的に醸成する。これは自動車マーケティングとして極めて巧みでした。

    そしてこのコピーが機能したのは、S120系という車自体に「憧れるに足る品格」があったからです。デザイン、装備、乗り味、グレード体系。すべてが「日本のフォーマルセダンの頂点」を自認する水準に仕上がっていたからこそ、あの言葉は空疎なスローガンにならずに済んだのです。

    クラウン史における分水嶺

    S120系は、販売面でも大きな成功を収めました。4ドアハードトップの人気は特に高く、この世代以降、クラウンといえばハードトップという認識が定着していきます。セダンとハードトップの二本立てというボディ構成も、この世代で完全に確立されました。

    後継のS130系(8代目)は、このS120系の路線をさらに洗練させる形で進化しています。つまりS120系は、クラウンが「伝統の高級車」から「戦略的に設計された高級ブランド」へと変わるターニングポイントだった。ロイヤルサルーンの確立、ハードトップ人気の定着、そしてあのキャッチコピー。どれもこの世代で生まれたものです。

    7代目クラウンは、クラウンが「なんとなく偉い車」だった時代を終わらせ、「なぜ偉いのか」を自ら言語化した世代です。

    それは車としての完成度だけでなく、ブランディングという概念を日本の自動車史に持ち込んだという意味でも、記憶されるべきモデルだと思います。

  • アルファード – 30系【高級ミニバンが「高級車」になった世代】

    アルファード – 30系【高級ミニバンが「高級車」になった世代】

    ミニバンが高級車を名乗ることに、かつては違和感がありました。

    でも30系アルファードが出てきたとき、その空気は決定的に変わったように思います。この車は「豪華なミニバン」ではなく、「ミニバンという形をした高級車」として市場に受け入れられました。

    なぜそうなったのか。

    それは単にトヨタが装備を盛ったからではなく、時代とマーケットの構造変化をトヨタが正確に読み切った結果です。

    先代が証明した「需要の正体」

    30系を語るには、まず先代の20系が何を残したかを押さえる必要があります。2008年に登場した20系アルファードは、初代10系の路線を引き継ぎつつ、内装の質感と後席の居住性を大幅に引き上げました。特に2011年のマイナーチェンジで追加された最上級グレード「Executive Lounge」の存在は大きかった。

    このグレードが示したのは、「後席に座る人のためにいくら出すか」という問いに対して、日本市場が想像以上に大きな金額を許容するという事実でした。法人需要、VIP送迎、そして富裕層のファミリーユース。アルファードの顧客は、セダンの高級車から流れてきた層を確実に含んでいたのです。

    つまり30系の開発が始まった時点で、トヨタの手元には「ミニバンに高級車の対価を払う顧客が実在する」という明確なエビデンスがあったわけです。

    2015年、フルモデルチェンジの狙い

    30系アルファード(AGH30W/GGH30W型など)は2015年1月に登場しました。兄弟車のヴェルファイアとともに、3代目への世代交代です。開発の方向性は明快で、「2列目の絶対的な快適性」を軸に据え、すべてをそこに集約させるという設計思想でした。

    プラットフォームは刷新され、ボディ剛性を高めながら低重心化を図っています。ミニバンで低重心というと違和感があるかもしれませんが、これは走りのためだけではありません。乗り心地、つまり後席の揺れの少なさに直結する要素です。高級セダンが当たり前にやっていることを、ミニバン専用設計の中でやり直した、と言ったほうが正確でしょう。

    パワートレインは2.5L直4(2AR-FE)、2.5Lハイブリッド(2AR-FXE)、そして3.5L V6(2GR-FE)の3本立て。2017年末のマイナーチェンジでV6は新世代の2GR-FKSに置き換えられ、Direct Shift-8ATとの組み合わせで動力性能と燃費の両方を改善しています。

    ただ、30系の本質はエンジンにはありません。この車の価値は、後ろに座ったときに初めてわかります。

    Executive Loungeという回答

    30系で最も語るべきは、やはりExecutive Loungeグレードの進化です。専用のパワーオットマン付きキャプテンシート、格納式テーブル、専用の木目パネルと本革。2列目に座ると、そこはもうミニバンの後席ではなく、ファーストクラスのシートそのものです。

    しかもこのグレード、ただ豪華なだけではなく、空間設計として筋が通っています。2列目のシートスライド量は最大で約830mmに達し、足を完全に伸ばせるレイアウトが物理的に成立している。天井の高さも相まって、セダンでは絶対に実現できない「広さと豪華さの両立」が、ミニバンだからこそ可能になっています。

    価格は700万円を超えるゾーンに突入しましたが、それでも売れました。むしろ、このグレードの比率が年々上がっていったことが、30系アルファードの市場での立ち位置を雄弁に物語っています。

    国内だけでは語れない存在感

    30系アルファードを語るうえで外せないのが、海外市場、とりわけ中国・東南アジアでの爆発的な人気です。中国では「アルファード=成功者の車」というイメージが定着し、正規販売が行われていない時期でさえ並行輸入で大量に流通していました。

    この現象は、トヨタが意図的に仕掛けたというよりも、結果としてそうなった面が大きい。大きなボディ、押し出しの強いフロントフェイス、そして後席の圧倒的な快適性。これらが「VIPカー」としての記号性を自然に獲得したのです。

    国内でも、センチュリーほど仰々しくなく、レクサスLSよりも実用性が高い「ちょうどいい高級車」として、法人送迎車の定番ポジションを確立しました。かつてクラウンが担っていた役割の一部を、アルファードが引き継いだと言っても過言ではありません。

    弱点と、それでも選ばれた理由

    もちろん30系に死角がなかったわけではありません。車両重量は2トンを超え、2.5L NAでは動力性能に不満が出る場面もありました。高速域でのロードノイズや風切り音も、同価格帯のセダンと比べれば明らかに不利です。

    運転する楽しさという点でも、ミニバンの構造的な限界はあります。重心の高さ、大きな車体、前方視界の独特な感覚。ドライバーズカーとして評価するなら、点数は辛くなります。

    ただ、30系アルファードの顧客はそもそもそこを求めていません。この車の評価軸は「後席に座る人がどう感じるか」に集約されていて、その一点において30系は国産車で敵なしでした。弱点を承知のうえで選ばれる車というのは、それだけ本質的な強みがあるということです。

    系譜の中での30系の意味

    2023年に登場した40系アルファードは、TNGA-Fプラットフォームを採用し、走りの質を大幅に引き上げました。しかしその40系が「高級車として当然のように受け入れられた」のは、30系が8年かけて市場の認識を書き換えたからです。

    10系が「高級ミニバン」という概念を作り、20系がそれを定着させ、30系が「ミニバンが高級車そのものになれる」ことを証明した。この流れがなければ、40系がいきなり800万円台のグレードを出しても、市場はついてこなかったでしょう。

    30系アルファードは、日本の自動車市場における「高級車とは何か」という定義を、静かに、しかし決定的に書き換えた一台です。セダンでなくても、後輪駆動でなくても、高級車は成立する。

    その事実を商業的な成功で裏付けたことが、この世代の最大の功績だと思います。

  • ヴェルファイア – 20系【アルファードの影ではなく、もうひとつの本流】

    ヴェルファイア – 20系【アルファードの影ではなく、もうひとつの本流】

    ヴェルファイアという車名を聞いて、「アルファードの兄弟車でしょ」と片づける人は多いと思います。事実その通りなんですが、ただの兄弟車で終わらなかったからこそ、この車は語る価値があります。

    2008年に登場した20系ヴェルファイアは、初代です。つまりそれ以前にはヴェルファイアという車は存在しなかった。アルファードにはすでに初代(10系)がありましたから、ヴェルファイアは後から生まれた側です。では、なぜトヨタはわざわざ新しい名前の高級ミニバンを作ったのか。そこにこの車の本質があります。

    販売チャネルという「トヨタの事情」

    20系ヴェルファイアの誕生を理解するには、当時のトヨタの販売体制を知る必要があります。トヨタには長らく4つの販売チャネルがありました。トヨタ店、トヨペット店、カローラ店、そしてネッツ店です。それぞれに専売車種があり、同じプラットフォームの車でも販売店ごとに別の顔を与えるのがトヨタの伝統でした。

    初代アルファード(10系)の時代、トヨペット店には「アルファードG」、ネッツ店には「アルファードV」という形で振り分けられていました。同じアルファードという名前を共有しつつ、フロントグリルなどの意匠で差をつけるやり方です。

    ただ、この方式には限界がありました。名前が同じだと、お客さんから見れば「どっちで買っても同じ車」に見えてしまう。販売店間の競争意識は生まれにくいし、ネッツ店としても「うちだけの看板車種」という誇りが持ちにくい。そこでトヨタが出した答えが、名前ごと分けるという判断でした。

    「もうひとつのアルファード」ではない設計意図

    2008年5月、2代目アルファード(20系)と同時にヴェルファイアが登場します。プラットフォームは共通、パワートレインも共通。2.4L直4の2AZ-FEと3.5L V6の2GR-FEという2本立て、さらにハイブリッドも後に追加されます。基本骨格が同じである以上、走りの本質に大きな差はありません。

    では何が違うのか。端的に言えば、顔つきと、それが生み出すキャラクターの方向性です。アルファードが上品さや威厳を軸にしたのに対し、ヴェルファイアは「力強さ」「押し出し」をより前面に出しました。大型のメッキグリルに二段構えのヘッドライト。好みは分かれるところですが、このデザインの狙いは明確でした。

    ネッツ店はもともと、若年層やアクティブな層をターゲットにしたチャネルです。ヴィッツやist、あるいはかつてのアルテッツァなど、少し攻めた商品を扱ってきた歴史があります。そこに最上級ミニバンを置くなら、アルファードと同じ上品路線ではなく、もう少しアグレッシブなほうが筋が通る。ヴェルファイアの顔つきは、そういう商品企画上のロジックから生まれたものです。

    「迫力」が市場で正解だった時代

    結果として、ヴェルファイアは大当たりしました。ここが面白いところです。本来はアルファードが本流で、ヴェルファイアはチャネル対応の派生車だったはずなのに、販売台数ではヴェルファイアがアルファードを上回る時期が続いたのです。

    理由はいくつか考えられます。まず、2000年代後半の日本市場では、ミニバンの「押し出し感」が購買動機として非常に強く機能していました。大きなグリル、存在感のあるフロントフェイス。これは単なる見た目の好みではなく、「この車に乗っている自分」を周囲にどう見せたいかという、ある種のコミュニケーションツールとしての価値です。

    ヴェルファイアのデザインは、まさにそこに刺さりました。上品さよりも力強さ、控えめよりも主張。高級ミニバンを求める層が必ずしも「品の良さ」だけを求めていたわけではなかった、ということをヴェルファイアの販売実績は証明しています。

    中身の実力──走りと室内空間

    見た目の話ばかりしてしまいましたが、20系の中身もきちんと進化しています。プラットフォームは初代アルファードから刷新され、ボディ剛性が向上しました。全長4,885mm、全幅1,840mm、全高1,900mmという堂々たるサイズの中に、フラットで広大な室内空間を確保しています。

    特に3.5L V6の2GR-FEエンジンは最高出力280psを発生し、2トンを超える車体をしっかり動かす余裕がありました。6速ATとの組み合わせで、高速巡航時の静粛性も高い。このクラスのミニバンに「走りの良さ」を求める人は少数派かもしれませんが、重い車体をストレスなく走らせるだけのパワーは、結果として乗員全員の快適性に直結します。

    2.4Lの2AZ-FEはさすがに車重に対してやや非力な場面もありましたが、日常使いでは十分。価格を抑えたいユーザーにとっては現実的な選択肢でした。2011年にはハイブリッドモデルも追加され、燃費を気にする層にも門戸を開いています。

    室内の仕立てにおいては、エグゼクティブパワーシートを備えた7人乗り仕様が象徴的です。セカンドシートにオットマン付きのキャプテンシートを配置し、後席に座る人を「もてなす」という思想が明確に出ていました。これは後の30系、40系にも引き継がれるヴェルファイア/アルファードの核心的な価値です。

    兄弟車の力学──なぜヴェルファイアが勝ったのか

    20系の世代でヴェルファイアがアルファードを販売面で凌駕した現象は、トヨタ社内でも少なからず影響を与えたはずです。というのも、この結果は「高級ミニバンの顧客が何を求めているか」についての、リアルな市場の回答だったからです。

    従来の高級車的な価値観──控えめな品格、落ち着いた佇まい──は、セダンの文脈では正解でした。しかしミニバンという、ある意味で実用車の延長線上にある車種では、「わかりやすい存在感」のほうが訴求力を持った。これはヴェルファイアだけの話ではなく、同時期の日産エルグランドやホンダの動向を見ても、ミニバン市場全体がそういう方向に動いていた時代でした。

    ヴェルファイアは、その流れのど真ん中に、ちょうどいいタイミングで投入されたわけです。

    初代が残したもの

    20系ヴェルファイアは2015年に30系へバトンを渡します。後継の30系では、ヴェルファイアの「迫力路線」がさらに強化され、アルファードとの差別化もより明確になりました。そして現行の40系では、逆にアルファードが前面に押し出され、ヴェルファイアはスポーティ寄りのキャラクターへと再定義されています。

    つまり、アルファードとヴェルファイアの関係性は世代ごとに揺れ動いている。その起点となったのが、この20系です。「高級ミニバンにはひとつの正解しかない」という前提を崩し、迫力という価値軸が市場で通用することを証明したのが初代ヴェルファイアでした。

    チャネル戦略の産物として生まれた車が、結果的に市場の嗜好を可視化し、その後のトヨタの商品戦略を動かした。20系ヴェルファイアは、派生車という出自を超えて、高級ミニバンの文法を書き換えた一台だったと言っていいと思います。

  • クラウン – S180系【ゼロクラウンという名の全否定と再構築】

    クラウン – S180系【ゼロクラウンという名の全否定と再構築】

    「過去のクラウンを、全部やめる」

    メーカー自身がそう言い切った車は、そうそうありません。

    2003年に登場した12代目クラウン、型式S180系。通称「ゼロクラウン」。

    このあだ名は、トヨタ自身がキャッチコピーとして打ち出した「ZERO CROWN」に由来します。

    つまりこれは後から付いた愛称ではなく、メーカーが最初から「原点回帰」ではなく「リセット」を宣言した、かなり異例のモデルでした。

    なぜ「ゼロ」にする必要があったのか

    12代目を語るには、まず11代目・S170系の置かれていた状況を知る必要があります。S170系は2000年前後のクラウンですが、当時のクラウンは正直なところ、じわじわと存在感を失いつつありました。

    理由はいくつかあります。まず、ユーザーの高齢化。クラウンの購買層は年々上がり続け、「若い人が欲しがらない車」という印象が定着しつつありました。加えて、輸入車の攻勢。BMWの3シリーズやメルセデスのCクラスが日本市場で確実にシェアを伸ばしていた時代です。

    さらに厄介だったのが、トヨタ自身のラインナップです。セルシオ(レクサスLS)が上にいて、マークIIの系譜が下から突き上げる。クラウンは「高級車だけど最上級ではない」「スポーティでもない」という、どっちつかずのポジションに追い込まれていました。

    要するに、マイナーチェンジの延長線上では、もうどうにもならない。そういう危機感が、「ゼロからやり直す」という判断の背景にあったわけです。

    プラットフォームもエンジンも全部変えた

    ゼロクラウンの「ゼロ」は、言葉だけではありませんでした。実際に、ほぼすべての主要コンポーネントが新設計です。

    まずプラットフォーム。S180系では新世代の「Nプラットフォーム」を採用しています。これはクラウン専用に開発されたもので、先代までのプラットフォームとは設計思想からして別物です。ホイールベースを延長しながらも、車体剛性を大幅に引き上げ、重心を下げる。走りの質を根本から変えようとした設計でした。

    サスペンションも刷新されています。フロントはダブルウィッシュボーン、リアはマルチリンク。先代のストラット式フロントサスから変更したことで、操舵時のフィーリングが明確に変わりました。クラウンといえば「ふわふわした乗り心地」のイメージが根強かったのですが、S180系はそこに明確にメスを入れています。

    エンジンもまったくの新開発です。搭載されたのはGRエンジンシリーズ。2.5Lの4GR-FSE、3.0Lの3GR-FSE、そしてロイヤルサルーン系の上位やアスリート系に積まれた3.0Lの3GR-FSEに加え、後に2GR-FSEという3.5L V6も追加されます。いずれも直噴技術(D-4S)を採用し、先代のJZエンジン系列から完全に世代交代しました。

    特に注目すべきは、直列6気筒からV型6気筒への転換です。クラウンといえば長らく直6が定番でしたが、S180系でV6に統一されました。これはエンジンルームのレイアウト自由度や衝突安全性の確保といった実利的な理由が大きいのですが、「クラウンの直6」に思い入れのあるファンにとっては、まさに象徴的な決別でした。

    アスリートという回答

    S180系を語るうえで外せないのが、「クラウン アスリート」の存在感です。アスリート自体はS150系(10代目)から設定されていましたが、本格的に「走りのクラウン」として市場に刺さったのは、このS180系からだと言っていいでしょう。

    アスリートには専用のサスペンションセッティングが施され、18インチタイヤが標準装備されるグレードもありました。ロイヤル系がショーファードリブン的な快適性を残す一方で、アスリートは「自分で運転して楽しいクラウン」を明確に打ち出しています。

    これは単なるグレード戦略ではなく、クラウンの顧客層を若返らせるための切り札でした。実際、S180系のアスリートは30〜40代のオーナーを相当数取り込むことに成功しています。BMW 3シリーズやメルセデスCクラスに流れていた層を、国産セダンで引き戻す。それがアスリートに課されたミッションであり、S180系はそのミッションを初めて本気で遂行した世代です。

    内装と電子装備の世代交代

    走りだけでなく、室内の設計思想もS180系では大きく変わっています。先代までのクラウンの内装は、良く言えば重厚、悪く言えば古典的でした。木目パネルにベロア生地、いかにも「偉い人の車」という空気感です。

    S180系ではインパネのデザインがモダンになり、メーターまわりにはオプティトロンメーターが採用されました。ナビゲーションシステムもHDDナビが標準的に設定され、当時としてはかなり先進的な情報系装備を備えています。

    地味ですが重要なのが、ステアリングフィールの改善です。電動パワーステアリングの採用により、速度域に応じたアシスト量の変化がより緻密になりました。「クラウンのハンドルは軽すぎて何も伝わらない」という従来の批判に対して、S180系はかなり意識的に応えています。

    弱点がなかったわけではない

    ただし、すべてが絶賛されたわけではありません。直噴エンジンの初期モデルでは、カーボン堆積による不調が報告されるケースがありました。D-4S直噴はトヨタにとっても新しい技術であり、初期ロットにはそれなりの課題があったのは事実です。

    また、「ゼロクラウン」というコンセプト自体に対して、従来のクラウンユーザーからは戸惑いの声もありました。乗り味が引き締まったことを「硬い」と感じる層は確実にいましたし、V6への転換を「クラウンらしさの喪失」と受け取る人もいました。

    つまりS180系は、新しい顧客を獲得する代わりに、旧来のファンの一部を手放すリスクを取ったモデルです。そしてトヨタはそのリスクを承知のうえで踏み切った。その判断の是非は、後の販売実績が証明しています。S180系は登場直後から好調な販売を記録し、クラウンの世代交代を成功させました。

    ゼロクラウンが残したもの

    S180系が系譜上で持つ意味は、非常に大きいです。このモデルで確立された「ロイヤルとアスリートの二本柱」という構造は、後継のS200系(13代目)、S210系(14代目)にもそのまま引き継がれています。

    V6エンジンへの統一、走行性能の本格的な引き上げ、輸入車を意識した商品企画。これらはすべてS180系で方向が定まり、以降のクラウンはその延長線上で進化していきました。2018年に登場した15代目S220系でクラウンが再び大きな転換を迎えるまで、S180系が敷いた路線は約15年間にわたって基本骨格であり続けたことになります。

    「ゼロ」と名乗ることは、過去の蓄積を否定することでもあります。50年近い歴史を持つ車種でそれをやるのは、相当な覚悟がいる。けれどS180系は、その覚悟に見合うだけの中身を伴っていました。だからこそ「ゼロクラウン」という呼び名は、揶揄ではなく敬意をもって語り継がれているのだと思います。

  • アルファード – 40系【高級ミニバンが高級車そのものになった世代】

    アルファード – 40系【高級ミニバンが高級車そのものになった世代】

    「ミニバンなのに高級車」ではなく、「高級車がたまたまミニバンの形をしている」。40系アルファードを見ていると、そういう逆転が本気で起きたのだと感じます。2023年6月に登場したこのモデルは、先代30系の大成功を受けて生まれた4代目。ただし単なる正常進化ではありません。トヨタが「ミニバンの高級化」というテーマに対して、ついに開き直ったような一台です。

    先代30系が作り上げた「勝ちパターン」

    40系を語るには、まず先代30系がどれほど強かったかを押さえる必要があります。2015年に登場した30系アルファードは、国内の大型ミニバン市場をほぼ独占しました。法人需要、ショーファー需要、ファミリー需要、さらにはリセールバリューの異常な高さによる資産的価値まで。あらゆる理由で「とりあえずアルファード」という選ばれ方をしていたわけです。

    特に2018年のマイナーチェンジ以降、エグゼクティブラウンジ系のグレードが法人車両として定着し、センチュリー以外の「送迎車」といえばアルファードという図式が完成しました。つまり、30系は単にたくさん売れたのではなく、「高級ミニバン」というジャンルそのものの定義を書き換えたのです。

    この成功が、40系の開発方針を大きく決定づけました。もはや「ミニバンとしてどう良くするか」ではなく、「高級車としてどう仕上げるか」が設計の出発点になった。ここが30系までとの最大の違いです。

    TNGAへの移行が変えたもの

    40系で最も大きな変化は、プラットフォームがTNGA-Kに切り替わったことです。TNGA-Kはカムリやハリアー、レクサスRXなどにも使われている基盤で、ボディ剛性や重心の低さ、操縦安定性において従来のミニバン用プラットフォームとは根本的に異なります。

    これが何を意味するかというと、乗り味がまるで変わりました。30系までのアルファードは、良くも悪くも「大きな箱が揺れている」感覚がどこかにありました。それが40系では、重厚でフラットな乗り心地に変わっています。段差を越えたときの収まり方、高速域での直進安定性、コーナリング時のロール感。どれを取っても「ミニバンだから仕方ない」という言い訳が通用しなくなった。

    要するに、走りの質で高級セダンと比較されても恥ずかしくない水準に持ってきたわけです。これはプラットフォームの力なくしては不可能だったことで、TNGAへの移行は見た目以上に本質的な進化でした。

    2列目という「主役の座席」

    40系の商品企画を理解するうえで外せないのが、2列目シートへの偏執的なまでのこだわりです。アルファードにおいて、最も重要な乗員は運転者ではなく後席に座る人。この割り切りは30系でも明確でしたが、40系ではさらに徹底されました。

    エグゼクティブラウンジでは、オットマン付きのキャプテンシートに加え、リアマルチオペレーションパネルでエアコンやオーディオ、シートポジションを手元で操作できます。遮音性も大幅に向上しており、後席での会話のしやすさは先代比で明確に改善されています。

    面白いのは、この「2列目ファースト」の思想が内装デザインにも反映されていることです。インパネのデザインは運転席から見て美しいことよりも、後席から見たときの「包まれ感」や「広さの演出」が優先されています。天井の処理、ピラーの造形、照明の配置。すべてが後席の乗員体験を中心に設計されている。

    ここまで来ると、もはやこれは「動くラウンジ」を本気で作ろうとした結果だと言えます。ミニバンの2列目という概念を超えて、移動空間としての完成度を追求した形です。

    ヴェルファイアとの関係が変わった

    40系世代で見逃せない変化がもうひとつあります。兄弟車ヴェルファイアとの棲み分けが、明確に再定義されたことです。

    30系までは、アルファードとヴェルファイアはほぼ同じ車の顔違いでした。販売チャネルの違いで分けていただけで、商品としての差はごくわずか。しかし40系では、ヴェルファイアに専用チューニングのサスペンションや2.4Lターボエンジンを与え、「走りを楽しむ人のための高級ミニバン」という独自の立ち位置を持たせました。

    一方のアルファードは、2.5Lハイブリッドを軸に「快適性と静粛性の極致」を担当する。つまり、同じ箱でもキャラクターを分けることで、共食いではなく補完関係にしたわけです。トヨタの販売チャネル統合後の戦略として、これはかなり合理的な判断でした。

    価格の意味が変わった時代

    40系アルファードの話をするとき、価格の問題は避けて通れません。エントリーグレードでも540万円、エグゼクティブラウンジに至っては850万円を超える。先代の同等グレードと比較しても100万円以上の値上がりです。

    ただ、これを単純に「高くなった」と言い切るのは少し違います。原材料費の高騰、半導体不足を経たサプライチェーンの再構築、装備内容の大幅な引き上げ。値上がりの背景には複数の構造的要因があります。

    そしてもうひとつ、トヨタ自身がアルファードを「高くても売れる車」として位置づけ直したという側面があります。30系時代に証明されたブランド力を前提に、利益率を確保しながら商品力を上げるという判断です。実際、納車待ちは長期化し、中古車市場では新車価格を上回るプレミアムがつく状態が続きました。

    価格が上がっても需要が落ちない。これは、アルファードが単なるミニバンではなく「ステータス財」としての性質を強めた証拠でもあります。

    ミニバンの到達点、あるいは出発点

    40系アルファードは、日本の高級ミニバン文化がひとつの頂点に達した車です。走りの質、後席の快適性、ブランドとしての求心力。どれを取っても、国産ミニバンとしては前例のない水準に到達しています。

    ただ、見方を変えれば、これは同時にひとつの問いでもあります。ここまで来たミニバンは、次にどこへ向かうのか。レクサスLMという上位モデルが存在する以上、アルファードの「天井」は見えている。電動化の波も確実に押し寄せてくる。

    それでも、40系が示したのは明確です。「2列目に座る人のための最高の移動体験を作る」というコンセプトが、ここまでの商品力とブランド力を生み出せるということ。アルファードという車種が持つDNAは、形式が変わっても、パワートレインが変わっても、おそらくこの一点に集約され続けるはずです。

  • アルファード – 20系【高級ミニバンが「当たり前」になった瞬間】

    アルファード – 20系【高級ミニバンが「当たり前」になった瞬間】

    「高級ミニバン」という言葉に、もう誰も違和感を覚えない。でも、それが当たり前になったのは、実はそんなに昔の話ではありません。

    初代アルファードが「ミニバンにもラグジュアリーがあっていい」と提案したのが2002年。そこから6年後、2008年に登場した2代目・20系アルファードは、その提案を「定番」に変えた世代です。

    初代が証明し、20系が固めた市場

    初代アルファード(10系)は、グランビアの後継として2002年に登場しました。当時、ミニバンといえば実用車。ファミリーが荷物を積んで移動するための箱、というイメージが強かった時代です。そこにトヨタは「高級サルーンの快適性をミニバンで」というコンセプトをぶつけました。

    結果的に、10系は大ヒットします。ただし、それはまだ「高級ミニバンという新ジャンルが受け入れられた」段階にすぎません。本当にそのジャンルが定着するかどうかは、次の世代にかかっていました。

    つまり20系アルファードには、初代の成功を「一発屋」で終わらせないという明確な使命があったわけです。そしてトヨタは、この世代で非常に大きな戦略転換を仕掛けます。

    ヴェルファイア誕生という決断

    20系を語るうえで絶対に外せないのが、ヴェルファイアの同時デビューです。初代では「アルファードG」「アルファードV」として、トヨペット店とビスタ店(のちのネッツ店)で売り分けていた兄弟車を、20系からは完全に別の車名・別の顔に分離しました。

    アルファードは上品で落ち着いたフロントフェイス、ヴェルファイアは力強く押し出しの強い顔つき。中身はほぼ同じプラットフォーム、同じパワートレインでありながら、キャラクターを明確に分けたのです。

    この判断の背景には、販売チャネルごとの顧客層の違いがありました。トヨペット店の客層はやや年齢層が高く、落ち着きを求める傾向がある。一方のネッツ店は若い層が多く、見た目のインパクトを重視する。同じ車を売るにしても、顔が違えば響く層が変わる。トヨタの販売網戦略を知っていると、この二枚看板は非常に合理的な判断だったことがわかります。

    実際、ヴェルファイアは登場直後からアルファードに匹敵する、あるいは上回る販売台数を記録しました。結果として、20系世代のトータルでの販売規模は初代を大きく超えることになります。高級ミニバン市場のパイそのものを広げたという意味で、ヴェルファイアの存在は極めて大きかったのです。

    プラットフォームとパワートレインの進化

    20系のプラットフォームは、初代から正常進化したものです。ボディサイズは全長4,885mm×全幅1,840mm×全高1,900mm前後と、10系からわずかに拡大。ただし劇的に大きくなったわけではなく、国内の駐車場事情を意識した「ギリギリの大きさ」を狙っています。

    エンジンは2.4Lの2AZ-FEと、3.5LのV62GR-FEの2本立て。特に3.5L V6は最高出力280psを発生し、2トンを超える車重をものともしない余裕の動力性能を実現しました。初代の3.0L・1MZ-FEから排気量も出力も大幅に引き上げられています。

    さらに注目すべきは、2011年のマイナーチェンジで追加されたハイブリッドモデルです。2AZ-FXEエンジンにモーターを組み合わせたシステムで、E-Four(電気式4WD)を採用。大型ミニバンにハイブリッドを載せるという選択は、エスティマハイブリッドの実績があったとはいえ、このクラスでは画期的でした。

    燃費性能だけでなく、モーターによる滑らかな発進フィールが「高級車としての乗り味」と相性が良かったのもポイントです。ハイブリッド=エコだけではなく、ハイブリッド=上質、という価値の読み替えが、このモデルではうまく機能していました。

    室内空間と装備で「セダン超え」を本気で狙った

    20系アルファードの最大の武器は、やはり2列目シートの居住性です。エグゼクティブパワーシートと呼ばれる大型キャプテンシートは、オットマン付きでリクライニングも電動。まるで飛行機のビジネスクラスを思わせる仕立てでした。

    これは単に豪華な装備を積んだという話ではありません。トヨタがこの車で狙っていたのは、法人需要やVIP送迎の領域です。それまでセンチュリーやクラウンが担っていた「後席で過ごす車」というポジションに、ミニバンの広さという武器で切り込んだわけです。

    実際、20系の時代から、アルファードは法人のショーファーカー(お抱え運転手付きの車)として採用されるケースが目に見えて増えました。天井が高く乗り降りしやすい、室内が広いので資料を広げられる、といった実用面での優位性がセダンにはない強みだったのです。

    両側パワースライドドア、パワーバックドア、ツインムーンルーフなど、装備面でも当時の国産車としてはトップクラスの充実ぶり。インテリアの質感も初代から大幅に向上し、木目パネルや本革シートの仕立ても「ミニバンにしては」ではなく、素直に「上質」と言えるレベルに達していました。

    死角がなかったわけではない

    もちろん、20系にも弱点はあります。まず車重です。2.4Lモデルでも約1,900kg、3.5Lモデルでは2トンを超えます。この重さは燃費に直結し、2.4Lモデルのカタログ燃費は10・15モードで11.6km/L程度。実燃費はさらに厳しく、街乗りで7〜8km/Lという声も珍しくありませんでした。

    また、走りの面ではやはりミニバンの限界があります。重心が高く、車重も重いため、ワインディングでの身のこなしはセダンやSUVに及びません。ただし、これは20系固有の問題というよりも、大型ミニバンというパッケージが本質的に抱える制約です。トヨタもそこを無理に克服しようとはせず、あくまで直進安定性と乗り心地の良さにリソースを集中させています。

    競合との関係でいえば、日産エルグランド(E52型)が2010年にフルモデルチェンジし、低床プラットフォームで室内高を稼ぐという新しいアプローチで対抗してきました。しかし販売台数では、アルファード+ヴェルファイアの二枚看板がエルグランドを圧倒。この世代で、高級ミニバン市場におけるトヨタの覇権はほぼ確定したと言っていいでしょう。

    「高級ミニバン」を文化にした世代

    20系アルファードの功績を一言でまとめるなら、「高級ミニバンを日本の自動車文化に定着させた」ということに尽きます。初代が扉を開け、20系がその道を舗装した。後継の30系、そして現行40系が圧倒的な存在感を放てるのは、20系の時代に市場の土台が固まったからです。

    ヴェルファイアとの二枚看板戦略、ハイブリッドの導入、VIP送迎需要の取り込み。20系で仕込まれたこれらの要素は、すべて後の世代に引き継がれています。いわば、アルファードという車種が「ブランド」になるための基礎工事を担った世代です。

    派手さでいえば30系や40系に譲るかもしれません。しかし、あの巨大なグリルの迫力も、ショーファーカーとしての地位も、すべては20系が地ならしをしたからこそ成り立っている。

    そう考えると、20系アルファードは系譜の中でもっとも「仕事をした」世代だったのかもしれません。