プリウス – NHW10【量産ハイブリッドという無謀を最初にやった車】

「21世紀に間に合いました。」

——このキャッチコピーを覚えている人は多いと思います。

1997年12月、トヨタが世界に先駆けて送り出した量産ハイブリッド乗用車、初代プリウス。型式はNHW10。

いま振り返ると、この車は自動車史の分岐点そのものでした。

ただし当時、これが成功すると確信していた人間は、開発陣の中にすらほとんどいなかったはずです。

なぜ1997年だったのか

初代プリウスの企画が動き始めたのは1993年頃のことです。

トヨタ社内で「G21プロジェクト」と呼ばれた研究チームが、21世紀にふさわしいクルマとは何かを模索するところから話は始まります。最初から「ハイブリッドを作ろう」という話ではありませんでした。

当初のテーマは「燃費を1.5倍にする」こと。つまり、既存のガソリンエンジンの改良で達成できる範囲の目標でした。ところが、当時の副社長だった金原淑郎氏が「1.5倍では話にならない。2倍を目指せ」と指示を出します。この一言が、プロジェクトの性格を根本から変えました。

燃費2倍。これは従来のエンジン技術の延長線上ではほぼ不可能な数字です。

直噴化、リーンバーン、可変バルブタイミング——当時のトヨタが持っていた技術を全部積み上げても届かない。

結果として、エンジンとモーターを組み合わせるハイブリッドシステムという選択肢が浮上してきます。

ただ、ハイブリッドという概念自体は別に新しくありません。100年以上前のポルシェ博士の時代からあったアイデアです。問題は「量産車として成立させられるか」でした。コスト、信頼性、バッテリーの耐久性、制御ソフトウェアの複雑さ。

どれひとつ取っても、当時の技術水準では綱渡りでした。

THS——ゼロから作った動力分割機構

初代プリウスに搭載されたハイブリッドシステムはTHS(Toyota Hybrid System)と呼ばれます。エンジンは1.5リッター直4の1NZ-FXE型。アトキンソンサイクル——正確にはミラーサイクルと呼ぶべきですが、吸気バルブの閉じタイミングを遅らせることで膨張比を高め、熱効率を稼ぐ方式です。最高出力は58馬力。数字だけ見ると、1.5リッターとしてはかなり控えめです。

これに30kWの永久磁石式交流同期モーターを組み合わせます。そしてTHSの最大の特徴は、遊星歯車機構を使った動力分割装置です。エンジンの出力を「駆動」と「発電」に連続的に振り分ける。変速機を持たず、エンジンとモーターの回転数を無段階に制御する仕組みです。

この構造は、いわゆるシリーズ方式(エンジンで発電してモーターだけで走る)でもパラレル方式(エンジンとモーターが並列に駆動する)でもなく、両方の性格を状況に応じて切り替えられるシリーズ・パラレル方式です。理論的には最も効率が高い方式ですが、制御の難易度も段違いに高い。よくこれを最初の量産車でやったな、というのが率直な感想です。

バッテリーにはニッケル水素電池を採用しました。当時はリチウムイオン電池の車載利用はまだ現実的ではなく、ニッケル水素が事実上の唯一の選択肢でした。容量は6.5Ahと小さく、EV走行できる距離はごくわずか。あくまでエンジン効率を補完する存在です。

売価215万円の意味

NHW10の発売時価格は215万円でした。この数字を見て「安い」と思うか「高い」と思うかは、比較対象によって変わります。当時のカローラが130万円台から買えた時代です。同じ1.5リッタークラスのセダンとしては明らかに高い。

ただし、トヨタがこの車で利益を出していたかというと、答えはほぼ確実にノーです。開発費を含めた原価は1台あたり数百万円に達していたとも言われています。つまり、売れば売るほど赤字になる構造でした。

それでもトヨタが215万円という価格をつけたのは、「環境技術のショーケース」として一定の台数を世に出す必要があったからです。1997年12月は、まさに京都議定書が採択された直後のタイミングでした。地球温暖化対策が国際的な議題になり、自動車メーカーに対するCO2削減の圧力が強まっていた時期です。

トヨタにとって初代プリウスは、技術的な実験であると同時に、政治的・戦略的なメッセージでもありました。「我々はもう量産できる段階にいる」ということを、世界に示す必要があったのです。

走りと実用性——正直な評価

では、NHW10は実際に良い車だったのか。正直に言えば、「乗って楽しい車」ではありませんでした。システム合計出力は約72馬力相当で、車重は約1,240kg。加速は決して軽快とは言えません。

乗り心地も特筆すべきものではなく、内装の質感も価格なりとは言いにくい部分がありました。ハイブリッドシステムのためにバッテリーやインバーターがトランクスペースを圧迫し、荷室も狭い。初期ロットではバッテリーの劣化やシステムの不具合に悩まされたオーナーも少なくなかったようです。

ただし、燃費だけは圧倒的でした。10・15モード燃費で28.0km/L。当時の1.5リッターセダンが13〜15km/L程度だったことを考えると、文字通り倍近い数字です。G21プロジェクトが掲げた「燃費2倍」という目標は、少なくともカタログ値の上では達成されていました。

そしてもうひとつ、NHW10には独特の運転感覚がありました。停車時にエンジンが止まり、発進時はモーターだけで無音で動き出す。いまでこそ当たり前のアイドリングストップですが、1997年にこの体験をしたドライバーにとっては相当な衝撃だったはずです。「未来の車に乗っている」という感覚。それ自体が、この車の最大の商品価値だったとも言えます。

売れたのか、売れなかったのか

NHW10型プリウスの販売台数は、発売から2003年のモデルチェンジまでの累計で約12万台とされています。月販で見ると決して爆発的なヒットではありません。ただ、トヨタとしてはそもそも大量に売ることを主目的としていなかった節があります。

重要だったのは、「ハイブリッドは量産できる」「日常使いに耐える」「壊れない」という実績を積み上げることでした。そしてその実績は、2003年登場の2代目NHW20で花開くことになります。

NHW20はボディをセダンから5ドアハッチバックに変更し、THSをTHS IIに進化させ、動力性能と燃費を大幅に向上させました。北米市場でハリウッドセレブが乗り始めたことで一気にブレイクし、プリウスは世界的なブランドになります。その成功の土台は、間違いなくNHW10が築いたものです。

最初の一歩が持つ重み

初代プリウスNHW10は、完成度の高い車ではありませんでした。走りも、質感も、実用性も、同価格帯の普通のセダンに劣る部分が多かった。それでもこの車が自動車史に残るのは、「量産ハイブリッドは成立する」という事実を証明した最初の一台だったからです。

開発主査を務めた内山田竹志氏(のちのトヨタ会長)は、開発当時を振り返って「発売日に間に合わないかもしれないと本気で思った」と語っています。制御ソフトウェアのバグ潰しは発売直前まで続き、量産ラインの立ち上げも綱渡りだったといいます。

それでもトヨタは出した。21世紀を待たずに、1997年に出した。この判断の意味は、時間が経つほど大きくなっています。いまや世界中のメーカーが電動化に舵を切っていますが、その流れの起点にあるのは、このやや不格好な4ドアセダンです。

NHW10は、名車というより原点です。ここから始まったという事実そのものに、この車の価値があります。

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