マーチ – K11【日産が「世界で通用する小型車」を本気で作った結果】

初代マーチ(K10)は、1982年に「日産が作るリッターカー」として登場し、国内市場で確かな存在感を築きました。

ただ、あのクルマはあくまで国内向けの実用小型車という色合いが強かった。

では2代目のK11はどうだったのか。結論から言えば、これは日産が「世界で売れるコンパクトカー」を本気で作りにいった一台です。

そしてその狙いは、かなりの精度で当たりました。

1992年という時代の空気

K11が登場した1992年は、日本の自動車メーカーにとって微妙な転換点でした。

バブル経済の余韻はまだ残っていたものの、市場はすでに冷え始めている。

一方で欧州市場では、コンパクトカーの競争が激化していました。

フィアット・プント、ルノー・クリオ(日本名ルーテシア)、プジョー106といった強力なライバルが次々と世代交代を進めていた時期です。

日産はこの2代目マーチを、国内だけでなく欧州でも戦える「グローバルコンパクト」として開発しています。実際、欧州では「マイクラ」の名前で販売され、1993年には欧州カー・オブ・ザ・イヤーを受賞しました。

日本車としてこの賞を獲ったのは、当時まだ非常に珍しいことでした。

なぜK11はああいう形になったのか

K11を語るうえで外せないのが、あの丸みを帯びたデザインです。初代K10の角張ったボディとはまるで別物で、当時の日本車の流れからしてもかなり大胆な造形でした。デザインを手がけたのは日産社内チームですが、明確に欧州市場のテイストを意識しています。

1990年代初頭は、自動車デザインが全体的に「丸く」なっていく過渡期でした。フォード・Ka、フィアット・プント、ルノー・トゥインゴなど、欧州のコンパクトカーが次々と曲面的なデザインに移行していた時代です。K11のデザインはその潮流に乗りつつも、どこか日本的なおっとりした愛嬌がある。攻撃的ではなく、親しみやすい。この塩梅が、国内でも欧州でも受け入れられた理由のひとつです。

ボディサイズは全長3,720mm程度。先代より少し大きくなりましたが、それでも十分にコンパクトです。3ドアと5ドアが用意され、欧州では3ドアの人気が高く、日本では5ドアが主流でした。市場ごとにニーズが違うことを、日産はちゃんと織り込んでいたわけです。

CGエンジンとCVTという二本柱

K11の技術的な核は、新開発のCGエンジンCVT(無段変速機)の本格採用の2点に集約されます。

CGエンジンは、先代のMA型に代わって搭載された新世代のユニットです。CG10DE(1.0L)とCG13DE(1.3L)の2本立てで、いずれもDOHC16バルブ。1リッタークラスのコンパクトカーにDOHC16バルブを標準で積むというのは、当時としてはかなり意欲的な選択でした。実用域のトルクを重視しつつ、回せばそれなりに気持ちよく伸びる。このバランスが、日常使いのクルマとして非常に使いやすかった。

そしてもうひとつの柱がCVTです。K11は日産のCVT普及戦略の先兵ともいえる存在で、エクストロイドCVTではなく、ジヤトコ製のスチールベルト式CVTを搭載しました。当時のCVTはまだ「変わり種のトランスミッション」という認識が強く、信頼性に疑問を持つ声もありました。しかし日産はK11でこれを大量に市場に送り出し、CVTという技術を「普通のもの」にしていく足がかりを作ったのです。

もちろん4速ATや5速MTも選べましたが、CVTの滑らかな加速感はK11の穏やかなキャラクターとよく合っていました。結果的に、CVTの搭載比率はかなり高かったと言われています。

「足がいい」という評価の裏側

K11はコンパクトカーとしては足回りの評価が高い一台でした。フロントがストラット、リアがトーションビームという構成自体はこのクラスの定番ですが、セッティングが丁寧だったのです。

欧州市場で売ることを前提にしているため、アウトバーンでの高速巡航やヨーロッパの石畳・荒れた路面を想定したチューニングが施されています。日本国内だけを見ていたら、ここまで足回りに手間をかける必要はなかったかもしれません。つまり「欧州を見据えた開発」が、結果的に国内ユーザーにとっても乗り味の良さとして返ってきたわけです。

ステアリングのフィールも、このクラスとしては正確で、軽すぎず重すぎない。街乗りがメインのクルマでありながら、ワインディングに持ち込んでもそれなりに楽しめる。この「ちゃんと走る感」が、K11を単なる買い物グルマ以上の存在にしていました。

バリエーション展開と長寿の理由

K11は1992年の登場から2002年のK12へのモデルチェンジまで、約10年間にわたって販売されました。コンパクトカーとしてはかなりの長寿モデルです。この間、1997年にマイナーチェンジを受けてフロントフェイスが変更されていますが、基本骨格は変わっていません。

長寿の理由はいくつかあります。ひとつは、基本設計の完成度が高く、大幅な改良を必要としなかったこと。もうひとつは、1990年代後半の日産の経営危機です。新車開発に十分な投資ができない状況で、K11は「まだ戦えるクルマ」として延命されました。皮肉な話ですが、設計の良さが経営難の時代を支えた側面があるのです。

バリエーションも豊富でした。ベーシックなグレードから、ボレロやコレットといった内外装を差別化した特別仕様車、さらにはオーテックジャパンが手がけたマーチBOXやマーチカブリオレといった派生モデルまで。ひとつのプラットフォームからこれだけ多彩な展開を生み出せたのは、基本設計に余裕があった証拠です。

欧州カー・オブ・ザ・イヤーが意味したこと

1993年の欧州カー・オブ・ザ・イヤー受賞は、K11にとって、そして日産にとって大きな出来事でした。この賞は欧州の自動車ジャーナリストによる投票で決まるもので、地元メーカーが圧倒的に有利な土俵です。そこで日本のコンパクトカーが選ばれたというのは、単に「いいクルマだった」では説明しきれません。

当時の審査員のコメントを見ると、パッケージングの合理性、走りの質感、そして価格とのバランスが高く評価されています。要するに、「安いから仕方ない」という妥協が少なかった。欧州のユーザーが日常的に使うクルマとして、真正面から勝負できるレベルにあったということです。

この受賞は、日産が欧州で「安くて壊れにくい日本車」から「ちゃんと選ばれるクルマを作るメーカー」へと認識を変えていくきっかけのひとつになりました。K11の功績は、単なる販売台数だけでは測れないものがあります。

K11が残したもの

後継のK12マーチは、ルノーとのアライアンスを経て開発されたクルマで、設計思想もプラットフォームもK11とは大きく異なります。ただ、「小さくても走りの質を落とさない」「グローバルで通用するコンパクトカーを作る」という方向性は、K11が敷いたレールの上にあると言っていいでしょう。

K11は、日産が経営的に最も苦しかった時代を支えた実用車であり、同時に欧州市場で日本車の評価を一段引き上げた戦略車でもありました。派手さはありません。スポーツカーのような語られ方もされにくい。でも、自動車メーカーが「世界で通用する小さなクルマ」を本気で作るとどうなるか、その答えがこのクルマには詰まっています。

丸くて小さくて、どこか愛嬌のあるあのシルエット。見た目の柔らかさとは裏腹に、K11の中身はかなり芯の通ったクルマでした。

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