軽自動車でミッドシップ。
この言葉だけで、もう普通じゃないことはわかります。
1991年、ホンダが世に送り出したビート(PP1)は、660ccの自然吸気エンジンをドライバーの背後に置き、フルオープンで走るという、どう考えても「売れ筋を狙った商品」ではありません。
でも、だからこそ30年以上経った今でも語られ続けている。
この車には、ホンダという会社がある時期に持っていた「やってみたかったからやった」という空気が、そのまま形になっています。
バブルが許した「遊びの本気」
ビートが登場した1991年5月は、日本経済がバブルの余韻をまだ引きずっていた時期です。
NSXが1990年に発売され、ホンダの技術的威信は頂点にありました。
F1では連勝を重ね、社内の士気も高い。そんな時期に、軽自動車の枠でスポーツカーをやろうという企画が通ったこと自体が、時代の空気を物語っています。
ただ、ビートは単なるバブルの浮かれ仕事ではありません。
企画の発端は1980年代半ばに遡ります。ホンダ社内で「軽で本格的なオープンスポーツを作れないか」というアイデアが動き始め、若手エンジニアを中心としたチームが開発を担いました。
当時のホンダには、LPL(ラージ・プロジェクト・リーダー)制と呼ばれる開発責任者制度があり、比較的若い技術者にも大きな裁量が与えられていました。
この時代のホンダには、もうひとつ重要な背景があります。
1990年の軽自動車規格改正です。排気量上限が550ccから660ccに引き上げられ、ボディサイズもわずかに拡大されました。
この新規格への移行が、ビートのようなチャレンジングな企画に現実的な余地を与えたのは間違いありません。
ミッドシップという選択の必然
ビート最大の特徴は、言うまでもなくミッドシップレイアウトです。エンジンを後輪車軸の前方、運転席の背後に横置きで搭載しています。
軽自動車でこの配置を選ぶのは、コスト的にも設計的にも明らかに不利です。フロントにエンジンを置いたほうが、はるかに簡単に作れます。
それでもミッドシップを選んだのは、走りの質を本気で追求したからです。
重量物を車体中央に集めることで、ヨー慣性モーメント——つまり車が向きを変えるときの「もたつき」を小さくできます。軽い車体にこのレイアウトを組み合わせれば、ステアリングを切った瞬間にスッと向きが変わる、軽快な回頭性が得られます。
ホンダにはアクティやバモスといったミッドシップ(リアエンジン寄りですが)レイアウトの軽商用車の知見がありました。
まったくのゼロからミッドシップを作ったわけではなく、社内に蓄積された技術があったことも、この選択を後押ししています。ただし、ビートのためにフロアやサスペンションは専用設計されており、商用車の流用で済ませたような安易な作りではありません。
NAで回して楽しむという哲学
同時期のライバルを見ると、スズキ・カプチーノ(1991年)はターボ付き、ダイハツ・コペンはまだ登場前(2002年)。
ABCトリオと呼ばれたオートザム AZ-1(1992年)もターボでした。軽スポーツの世界では、ターボで馬力を稼ぐのがほぼ常識だった時代です。
ビートはそこに背を向けました。搭載されたE07Aエンジンは、自然吸気の直列3気筒SOHC 656cc。最高出力は64馬力で、軽自動車の自主規制上限に達しています。
ただしその64馬力は、8,100rpmという高回転域で絞り出すもの。ホンダ独自のMTREC(Multi Throttle Responsive Engine Control)と呼ばれる3連スロットルシステムを採用し、各気筒に独立したスロットルボディを与えています。
3連スロットルというのは、要するにアクセル操作に対するエンジンの反応を極限まで鋭くするための仕組みです。
通常の1スロットルに比べて吸気の応答が速く、右足の動きにエンジンが即座に追従します。これはNSXやタイプRの系譜にも通じる、ホンダの「回して楽しい」という思想そのものです。
トルクは絶対的に細い。最大トルクは6.1kgf·m/7,000rpmで、日常域では決して力強くはありません。
でも、それがビートの狙いでもあります。エンジンを高回転まで回し切って走ることが前提の設計であり、低速トルクで楽をさせる車ではないのです。
回さなければ遅い。回せば気持ちいい。
この割り切りが、ビートの走りの核心です。
オープンであることの意味
ビートはフルオープンボディです。ソフトトップの幌を手動で開閉する方式で、電動格納のような豪華さはありません。ただ、このオープン構造は単に「気持ちいいから」だけで選ばれたわけではありません。
ミッドシップのオープンカーという構成は、エンジン音を直接ドライバーに届けるための装置でもあります。背後で回る3気筒の吸排気音が、幌を開けた瞬間にダイレクトに聞こえてくる。この体験は、屋根のある車では絶対に再現できません。ビートの開発陣が「五感で楽しむ車」を標榜していたことは、各種メディアでのインタビューでも繰り返し語られています。
車重は760kg。軽自動車としても特別に軽いわけではありませんが、ミッドシップかつオープンという構造を考えれば十分に軽量です。ボディ剛性の確保には相応の苦労があったはずですが、サイドシルを太くするなどの構造的な工夫で対応しています。
売れたのか、売れなかったのか
ビートは1991年5月の発売直後、予想を超える受注を集めました。初年度の販売は好調で、バックオーダーを抱えるほどだったと言われています。ただ、その勢いは長くは続きませんでした。
バブル崩壊後の景気後退が直撃したこと、そして2シーターのオープン軽スポーツという商品がそもそもニッチであること。この二重の壁に、ビートは直面します。1996年に生産終了となるまでの総生産台数は約33,600台。数字だけ見れば大ヒットとは言えません。
しかし、この台数を「少ない」と断じるのは少し違います。ビートは最初から大量に売ることを目的とした車ではありません。ホンダが自社のスポーツブランドとしてのアイデンティティを、軽自動車という最も身近なカテゴリーで表現するための車でした。その意味では、33,600台という数字は、むしろ健闘と言えます。
ビートが残したもの
ビートの直接的な後継車は、長い間存在しませんでした。ホンダが再び軽オープンスポーツを世に出すのは、2015年のS660(JW5)まで待たなければなりません。実に19年のブランクです。
S660はビートの精神的後継と位置づけられ、ミッドシップレイアウトを踏襲しました。ただしS660はターボエンジンを採用しており、ビートのNA高回転型という哲学はそのまま受け継がれたわけではありません。それでも「軽でミッドシップのオープンスポーツ」という系譜は、ビートなしには存在しなかったものです。
もうひとつ、ビートが残した遺産があります。それは「軽自動車でも本気のスポーツカーが成立する」という証明です。カプチーノやAZ-1とともに、1990年代初頭の軽スポーツブームを形成したこの3台は、後のコペンやS660に至る道を切り開きました。ビートは、その中でも最も「走りの質」にこだわった一台だったと言っていいでしょう。
660ccの自然吸気エンジンを8,000回転以上まで回し、ミッドシップの旋回性能を味わい、オープンエアの中でエンジン音を全身に浴びる。ビートが提供したのは、速さではなく「運転している実感」そのものでした。
それは、数値では測れない価値です。
だからこそ、PP1は今でも中古市場で根強い人気を保ち続けているのだと思います。

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