フェアレディZ – S30【日本車が世界を驚かせた最初の一撃】

1969年、日産がひとつの車を世に出します。

フェアレディZ、型式S30。

この車が何を変えたかというと、「日本車がスポーツカーの世界で本気で戦える」という事実を、世界に突きつけたことです。

それも、理屈や技術論ではなく、圧倒的な販売台数という形で。

ジャガーを半額で買えるという衝撃

S30が登場した1969年、北米のスポーツカー市場にはジャガーEタイプやポルシェ911といった名車がひしめいていました。

どれも魅力的ですが、どれも高い。

当時の北米の若者やスポーツカー好きにとって、「速くてカッコいい車が欲しいけど手が届かない」というのはごく普通の悩みだったわけです。

そこにフェアレディZが3,526ドルという価格で投入されます。ジャガーEタイプの約半額。ポルシェ911と比べても大幅に安い。

しかもロングノーズ・ショートデッキのスタイリングは欧州GTに引けを取らない。これは衝撃でした。

北米では「Datsun 240Z」の名で販売され、発売直後からバックオーダーが積み上がったといいます。

片山豊という存在

S30の誕生を語るとき、避けて通れない人物がいます。

米国日産の社長だった片山豊(ミスターK)氏です。

片山氏は北米市場で「日本製の本格スポーツカーを売りたい」という強い信念を持っていました。先代にあたるフェアレディ(SP/SR型)はオープンボディの小型スポーツでしたが、北米では「もっとパワーがあって、もっとGTらしい車が欲しい」という声が大きかった。

片山氏は本社に対して、繰り返しクローズドボディのGTカーの必要性を訴えます。

当時の日産社内では「スポーツカーなんて売れるのか」という慎重論も根強かったとされますが、片山氏の熱意と北米市場のデータが後押しとなり、プロジェクトが動き始めます。

デザインを手がけたのは松尾良彦氏を中心とするチームです。

ロングノーズに流れるようなファストバックライン。このプロポーションは当時の欧州GTの文法を踏まえつつ、日産独自の解釈を加えたものでした。

よく「ジャガーEタイプに似ている」と言われますが、実際にはホイールベースとオーバーハングのバランスが異なり、より凝縮感のあるシルエットになっています。

直6エンジンという選択

S30の心臓部に据えられたのは、L20型およびL24型の直列6気筒SOHCエンジンです。

国内向けのS30には2.0リッターのL20が、北米向けの240Zには2.4リッターのL24が搭載されました。

L24は最高出力151馬力。数字だけ見れば飛び抜けたパワーではありませんが、車両重量が約1,000kgと軽量だったため、パワーウェイトレシオは十分に優秀でした。

なぜ直列6気筒だったのか。これは日産がセドリックやスカイラインで培ってきたL型エンジンの資産を活用できるという実利的な理由が大きい。専用エンジンを新開発するのではなく、既存の信頼性あるユニットを最適にチューニングして載せる。このアプローチが、結果的にS30の「安くて壊れにくい」という美点につながっています。

足回りはフロントがストラット、リアがセミトレーリングアームという構成。当時としてはオーソドックスですが、しっかりとチューニングされており、ワインディングでの操縦性は高く評価されました。とくに北米のモータージャーナリストたちが「この価格でこのハンドリングは信じがたい」と書いたことが、240Zの評判を一気に押し上げます。

売れすぎた車の功罪

240Zは北米で爆発的に売れました。初年度から供給が追いつかず、ディーラーには長い待ちリストができたといいます。最終的にS30系(240Z/260Z/280Zを含む)は北米だけで50万台以上を販売。日本車のスポーツカーとしては前例のない数字です。

ただ、この成功には副作用もありました。売れすぎたがゆえに、モデルライフの後半では排ガス規制への対応と市場の要求に引っ張られ、車は徐々に重く、マイルドになっていきます。1974年の260Z(L26搭載)、1975年の280Z(L28搭載)と排気量は上がりましたが、これは規制対応でパワーが落ちた分を排気量で補う側面が強かった。

とくに280Zの時代になると、インジェクション化や安全装備の追加で車両重量は初期型から100kg以上増加しています。「初期の240Zが一番良かった」という声は、こうした変化への反動でもあります。ただし公平に見れば、280Zは快適性と信頼性では初期型を上回っており、「GTとしての完成度」は着実に上がっていました。

レースでも証明された実力

S30はサーキットでも結果を残しています。北米のSCCA(スポーツカークラブ・オブ・アメリカ)のCプロダクションクラスでは、240Zが1970年から1974年まで5年連続でチャンピオンを獲得。プライベーターにとっても扱いやすく、パーツが安く手に入り、チューニングの幅が広い。この「レースでも使える実用性」が、S30のブランド価値をさらに高めました。

サファリラリーでも240Zは活躍しています。1971年と1973年に総合優勝を果たしており、耐久性の高さを過酷な環境で証明しました。スポーツカーとしての速さだけでなく、「壊れない」という信頼。これは当時の欧州スポーツカーにはなかなか真似できない強みでした。

日本車の「ここから」を作った車

S30の意義は、単に「売れたスポーツカー」という枠には収まりません。

この車が証明したのは、日本のメーカーが欧州の伝統的なスポーツカー市場に対して、価格と品質のバランスという武器で真正面から切り込めるということでした。

後継のS130、Z31、Z32、Z33、Z34、そして現行のRZ34に至るまで、フェアレディZというシリーズは50年以上にわたって続いています。その起点にあるのがS30です。

Zという名前が世界中で通じるのは、この初代が築いた信頼と記憶があるからにほかなりません。よく「名車」と呼ばれる車がありますが、S30の場合、それは懐古趣味だけで語られるべきものではないでしょう。

安くて、速くて、美しくて、壊れない。

その4つを同時に成立させたことが、この車の本当の凄みです。しかもそれを、1969年の日本のメーカーがやってのけた。

S30フェアレディZは、日本の自動車産業が世界と対等に渡り合えることを最初に示した車のひとつです。

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です