フェアレディZの歴史を語るとき、Z31はどうしても微妙な位置に置かれがちです。
初代S30の伝説、Z32の華やかな復活。
その間に挟まれた3代目は、語られる機会が少ない。
でも、このモデルが担った役割を知ると、Zという車種の進化がぐっと立体的に見えてきます。
1983年、Zが変わらなければならなかった理由
Z31が登場したのは1983年。
先代のS130型は、初代S30の正常進化として1978年にデビューしていましたが、正直なところ設計思想はS30の延長線上にありました。
直列6気筒のL型エンジンを積み、ロングノーズ・ショートデッキの古典的なプロポーションを守る。それ自体は悪いことではありませんが、時代は確実に動いていました。
1980年代に入ると、ポルシェ924/944が示した「快適に速いスポーツカー」という方向性が市場の空気を変えつつありました。
アメリカ市場では、Zの最大の顧客層が「若者」から「少し余裕のある大人」にシフトしていた。つまり、荒削りなスポーツカーではなく、長距離を快適に走れるGTスポーツが求められていたのです。
日産がZ31で大きく舵を切った背景には、この市場の変化があります。単に「丸くなった」のではなく、売れる場所で売れる形を模索した結果でした。
V6への転換という決断
Z31最大のトピックは、エンジンです。
歴代Zの象徴だった直列6気筒を捨て、新開発のVG型V6エンジンを搭載しました。VG30E(3.0L・自然吸気)とVG30ET(3.0L・ターボ)の2本立てで、日本仕様には2.0LのVG20ET・ターボも用意されています。
なぜV6だったのか。理由は明快で、エンジン全長の短縮です。直列6気筒はどうしても全長が長くなり、フロントオーバーハングが伸びる。V6にすればエンジンをコンパクトに収められ、重量配分の改善とノーズの短縮が同時に実現できます。実際、Z31はS130に比べてフロントオーバーハングが短くなり、見た目にもシャープな印象になりました。
ただ、この判断はZファンの間で議論を呼びました。L型直6の「回して気持ちいい」フィーリングに惚れ込んでいた層にとって、VG型V6はどこかそっけなく感じられた。エンジンの性格としては、低回転からトルクが太く扱いやすい反面、高回転域の伸びやかさでは直6に一歩譲る、という評価が一般的です。
ここは好みの問題でもありますが、日産としては「より多くの人が日常的に速さを感じられるエンジン」を選んだ、ということでしょう。スポーツカーの快適化という大方針と、エンジン選択は完全に一致していました。
デザインの冒険と、時代の空気
Z31のエクステリアデザインは、歴代Zの中でもかなり攻めた部類に入ります。特徴的なのはセミリトラクタブルヘッドライト。完全に格納するリトラクタブルではなく、パラレルライズ式と呼ばれる、ライトユニットが少しだけ持ち上がる方式を採用しました。
このデザインは当時の空力志向を反映したものです。1980年代前半は、自動車デザイン全体がウェッジシェイプ——くさび形のシャープなラインに傾倒していた時期。Z31のフラットなノーズと鋭角的なフェンダーラインは、まさにその時代の最先端でした。Cd値(空気抵抗係数)は0.31を達成しており、当時のスポーツカーとしてはかなり優秀な数字です。
ただし、S30が持っていた「色気」とは明らかに方向が違います。Z31のデザインは理知的で、どちらかというとクールで無機質。これもまた評価が分かれるポイントですが、1980年代半ばという時代を考えれば、この選択には十分な合理性がありました。
走りの性格——GTとスポーツの間で
Z31のシャシーは、フロントがストラット、リアがセミトレーリングアームという構成。先代からの大きな刷新とは言いにくいですが、ボディ剛性の向上や足まわりのセッティング変更で、高速域での安定性は明確に進化しています。
特にターボモデルの加速性能は当時としてはかなりのもので、VG30ETは230ps(日本仕様)を発生。0-400mは14秒台半ばと、国産スポーツカーのトップクラスに位置していました。1986年のマイナーチェンジでは日本仕様にもフルスケールの3.0Lモデルが追加され、商品力をさらに強化しています。
一方で、車重は1,300kg台後半から1,400kg台に達しており、S30時代の軽快さとは無縁です。ステアリングのダイレクト感やコーナリング時の一体感よりも、直進安定性や乗り心地を重視したセッティングが施されていました。まさに「速いGT」であり、「鋭いスポーツカー」ではない。この性格を好むかどうかで、Z31への評価は大きく分かれます。
北米市場での成功と、日本での複雑な立ち位置
Z31が最も輝いたのは、間違いなく北米市場です。300ZXの名前で販売されたZ31は、アメリカのGTカー市場で確固たる地位を築きました。快適な室内、十分な動力性能、そして日本車ならではの信頼性。これらが組み合わさって、ポルシェやコルベットに手が届かない層の受け皿として機能したのです。
しかし日本では事情が異なりました。1980年代後半に向けて国内スポーツカー市場は急速に活気づき、ライバルたちがどんどん先鋭化していきます。トヨタ・スープラ(A70)、マツダ・RX-7(FC3S)といった強力な競合が登場し、Z31の「快適寄り」の性格はやや中途半端に映ることもありました。
特にFC3Sの登場は痛かった。ロータリーエンジンの独特な回転フィールと、1,200kg台の軽量ボディが生み出す俊敏さは、Z31にはないものでした。日産社内でも「次のZはもっとスポーツに振らなければ」という空気が醸成されていったと言われています。
Z32への橋渡しとして
Z31の生産は1989年まで続きました。後継のZ32は、まるでZ31への反省のように、「官能性」と「走りの質」を全面に押し出したモデルとして登場します。ツインターボ化されたVG30DETT、ワイド&ローのプロポーション、マルチリンクサスペンション。Z32が「スポーツカーとしてのZ」を取り戻したと評価されたのは、裏を返せば、Z31がその路線から一歩離れていたことの証でもあります。
ただ、Z31がなければZ32は生まれなかった。
これは単に時系列の話ではありません。Z31がV6エンジンへの転換を果たしたからこそ、Z32でVG30DETTという傑作エンジンが実現した。
Z31が北米市場でZブランドの存在感を維持したからこそ、Z32に巨額の開発投資が認められた。地味に見えるかもしれませんが、Z31はZの系譜を途切れさせなかった、という点で決定的な役割を果たしています。
Z31は、スポーツカーが「速さ」だけでは売れなくなった時代に、Zというブランドをどう存続させるかという問いに対する、日産なりの回答でした。
その答えが100点だったかどうかは議論の余地がありますが、少なくとも的外れではなかった。
快適さを選んだことで失ったものはあるけれど、守ったものも確かにあった。そういう車です。

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