インテグラという名前を聞いて、多くの人がまず思い浮かべるのはDC2のタイプRでしょう。
あの鋭いレスポンスと、FFとは思えないコーナリング。ただ、あの到達点は突然生まれたわけではありません。
その土台を築いたのが、1989年に登場した2代目インテグラ、DA型です。
VTECという技術がホンダの走りをどう変えたのか。その最初の答えが、この車に詰まっています。
クイントの影を脱いだ2代目
初代インテグラは、正式には「クイント インテグラ」という名前でした。クイントという先代モデルの後継として1985年に登場し、シビックとアコードの間を埋めるスペシャルティカーとしての位置づけです。デザインの評価は高かったものの、まだ「クイントの延長線上」という空気が残っていました。
1989年に登場した2代目は、その「クイント」の名前を完全に外しています。ただの名称変更ではなく、車としての性格が明確に変わったことの表明でした。ボディは3ドアクーペと4ドアハードトップの2本立て。特に3ドアは低く構えたスタイリングで、スポーティ路線を前面に押し出しています。
この世代交代の背景には、ホンダの商品戦略の転換があります。1980年代後半、バブル経済の追い風もあって、国内の若年層はスポーティな車を強く求めていました。シビックよりも上質で、プレリュードほどデートカーに寄らない。そのポジションを、2代目インテグラは明確に狙いにいったわけです。
VTECがこの車を特別にした
2代目インテグラを語るうえで、VTECの存在は絶対に外せません。VTEC——正式にはVariable Valve Timing and Lift Electronic Control System。カムの切り替えによって、低回転域のトルクと高回転域の出力を両立させる可変バルブタイミング機構です。
ホンダがVTECを初めて市販車に搭載したのは1989年のB16A型エンジンで、これはDA型インテグラとEF型シビック/CR-Xにほぼ同時期に投入されました。1.6リッター直4で160馬力。リッターあたり100馬力という数字は、当時の自然吸気エンジンとしては驚異的でした。
ただ、VTECの本当のすごさは数字だけでは伝わりません。5,500回転あたりでカムが切り替わった瞬間、エンジンの性格が一変する。低回転では穏やかに回っていたエンジンが、突然レーシングエンジンのように吹け上がる。この「VTECが入る」感覚は、ホンダ車に乗る人だけが知る独特の快感として、後に一種の文化になっていきます。
DA型インテグラのXSiグレードに搭載されたB16Aは、まさにその文化の起点でした。シビックやCR-Xにも同じエンジンが載りましたが、インテグラはボディサイズにやや余裕があり、日常の使い勝手とスポーツ性のバランスという意味では、VTECの魅力を最も幅広い層に届けられるパッケージだったと言えます。
DA型式の整理——5つの型式が意味するもの
DA5、DA6、DA7、DA8、DA9。2代目インテグラには複数の型式が存在します。これはエンジンとボディの組み合わせによる区分です。
DA6が3ドアクーペのVTEC搭載モデル(B16A)、DA8が4ドアハードトップのVTEC搭載モデル。つまりスポーツグレードであるXSiを選ぶなら、3ドアならDA6、4ドアならDA8という整理になります。
DA5は1.6リッターのZC型エンジンを積む3ドア、DA7は同じくZCの4ドア。DA9はB18A型の1.8リッターエンジンを搭載した4ドアで、こちらはVTECではないものの排気量で余裕を持たせたモデルです。
要するに、同じ「2代目インテグラ」でもエンジンとボディで性格がかなり違う。特にDA6のXSiは、軽量な3ドアボディにVTECという組み合わせで、後のタイプR的な「走りに振った仕様」の原型と見ることができます。
足回りとボディが支えた走りの質
エンジンだけが良くても、車は速くなりません。DA型インテグラが評価された理由のひとつは、ダブルウィッシュボーン式サスペンションを前後に採用していたことです。
ダブルウィッシュボーンは、上下2本のアームでタイヤを支える方式で、ストローク中のキャンバー変化を精密に制御できます。当時のこのクラスでは、ストラット式が主流。前後ダブルウィッシュボーンというのは、明らかにコストをかけた選択でした。
ホンダはこの時期、シビックからレジェンドまで、ほぼ全車種にダブルウィッシュボーンを展開するという方針をとっていました。「足回りの良さでホンダを選ぶ」という評価が定着し始めたのは、まさにこの時代です。
ボディ剛性についても、初代から大幅に進化しています。3ドアクーペはルーフが低く、リアまわりの剛性を確保しやすい構造。これがコーナリング時の安定感に直結していました。4ドアハードトップはピラーレスの開放感がある一方、構造的にはやや不利でしたが、それでも同クラスの水準は十分に超えていました。
モータースポーツとの接点
DA型インテグラは、グループAやワンメイクレースなど、モータースポーツでも活躍しています。特にインテグラカップと呼ばれるワンメイクレースは、若手ドライバーの登竜門として機能しました。
レースの現場でDA6が鍛えられた経験は、ホンダの開発陣にも確実にフィードバックされています。サーキットで何が足りないのか、どこを詰めればもっと速くなるのか。その知見が蓄積された先に、次世代のDC2、そしてタイプRという回答が生まれることになります。
まだ「タイプR」というグレード名は存在しない時代です。しかし、「インテグラをもっとスポーツに振りたい」という欲求は、DA型の時点ですでにユーザーにもメーカーにも芽生えていました。
時代の制約と、この世代の限界
もちろん、DA型インテグラにも弱点はありました。まず、車重です。3ドアのDA6でも約1,080kgほどあり、同時期のEF8型CR-X SiR(約1,000kg)と比べると軽いとは言えません。B16Aの160馬力を存分に楽しむには、もう少し軽さが欲しいと感じる場面はあったはずです。
また、VTECエンジンの特性上、カムが切り替わる前の低中回転域はやや大人しい。日常使いには十分ですが、「常にスポーティ」というよりは「回してナンボ」の性格でした。この点は好みが分かれるところで、ターボ車のようなドカンとくるトルクを期待すると肩透かしを食らうこともあります。
内装の質感も、バブル期のライバルと比べると素っ気ない部分がありました。ホンダはこの時代、走りの質にコストを集中させる傾向が強く、インテリアの華やかさではトヨタのセリカやレビン/トレノに譲る場面もあったのが正直なところです。
DC2への橋渡し、そしてタイプRの伏線
DA型インテグラの生産は1993年に終了し、3代目のDC2型へとバトンが渡されます。そしてDC2には、1995年にあのタイプRが設定されることになります。B18C SPEC-Rエンジン、200馬力、手組みユニット。ホンダのFFスポーツが到達したひとつの頂点です。
ただ、DC2タイプRの成り立ちを見ると、DA型で確立された要素がいかに多いかがわかります。前後ダブルウィッシュボーン、VTECエンジン、軽量な3ドアクーペボディ、ワンメイクレースでの実戦経験。これらはすべてDA型の時点で揃っていたものです。
DC2タイプRは、DA型で用意された素材を極限まで研ぎ澄ませた結果と言えます。逆に言えば、DA型がなければタイプRのコンセプト自体が成立しなかった可能性すらあります。
2代目インテグラは、タイプRの「前夜」として語られることが多い車です。しかし実態としては、前夜どころか設計図の下書きそのものでした。VTECの歓びを量産FFに載せ、サスペンションで走りの質を担保し、モータースポーツで検証する。
この方程式を最初に成立させたのが、DA型インテグラという車です。

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