2012年、トヨタが出したクルマの中で、もっとも「らしくない」一台がありました。
水平対向エンジンをフロントミッドに積んだ2ドアFRクーペ。しかも自然吸気で200馬力。ターボもハイブリッドもなし。販売台数で大きく稼げる見込みもない。
それが86(ハチロク)、型式ZN6です。
なぜトヨタはこのクルマをつくったのか。そこには「つくらない合理的な理由」をあえて踏み越えた、かなり意志的な判断がありました。
FRスポーツが消えた時代に
2000年代後半のトヨタには、手頃な価格で買えるFRスポーツカーが一台もありませんでした。MR-Sは2007年に生産終了。セリカはその前年に消えています。スープラに至っては2002年で途絶えていました。
ラインナップに残っていたのは、レクサスの高級クーペくらいです。若い人が手を伸ばせる価格帯に、「運転して楽しいクルマ」がない。これはトヨタだけの問題ではなく、日本車全体の傾向でもありました。
排ガス規制、安全基準の強化、そして何より「スポーツカーは売れない」という市場の現実。メーカーとしては、つくらないほうが合理的です。実際、多くのメーカーがそう判断しました。
豊田章男という変数
86の企画が動き出した背景には、当時社長に就任したばかりの豊田章男氏の存在があります。「もっといいクルマをつくろうよ」という、あの有名なフレーズ。これは単なるスローガンではなく、社内の空気を変えるための号令でした。
豊田氏自身がニュルブルクリンク24時間レースにドライバーとして参戦するほどのクルマ好きです。「トヨタのクルマはつまらない」という世間の声を、経営トップ自身が痛いほど感じていた。86はその回答として企画されたクルマです。
ただし、社長の情熱だけではクルマはつくれません。問題は、トヨタの社内にFRスポーツを安価につくるためのリソースが残っていなかったことです。専用のFRプラットフォームを新規開発すれば、コストは跳ね上がる。販売台数を考えれば回収は難しい。ここで登場するのがスバルとの協業でした。
スバルとの共同開発が生んだ構造
86の開発は、トヨタとスバル(当時は富士重工業)の共同プロジェクトとして進められました。スバルの群馬製作所で生産され、スバル側では「BRZ」として販売される兄弟車です。企画・デザインの主導はトヨタ、エンジンとプラットフォームの基本設計はスバルという分担でした。
エンジンはスバルのFA20型。2リッター水平対向4気筒の自然吸気で、トヨタのD-4S(直噴+ポート噴射の併用システム)を組み合わせています。最高出力は200ps、最大トルクは205Nm。数字だけ見れば、当時としても突出したパワーではありません。
しかし、このエンジン選択には明確な意図がありました。水平対向エンジンは重心が低い。これをフロントミッドシップ、つまりフロントアクスルより後方に搭載することで、前後重量配分を53:47に近づけています。パワーで押すのではなく、車体の動きそのもので楽しませるという設計思想です。
車両重量は約1,210〜1,250kg。この軽さも重要なポイントです。2リッターNAで200馬力というスペックは、1.2トン台の車体と組み合わせることで初めて「ちょうどいい速さ」になる。全開にできる速度域の楽しさを、公道でも味わえるように設計されていたわけです。
「速さ」ではなく「楽しさ」の設計
ZN6の開発を率いた多田哲哉チーフエンジニアは、繰り返し「このクルマは速さを目指していない」と語っています。目指したのは、ドライバーがクルマの挙動を手のひらで感じ取れること。つまり、操る実感です。
タイヤサイズが象徴的です。標準装着は215/45R17という、ボディサイズに対してやや細めのタイヤでした。グリップをあえて抑えることで、低い速度域でもクルマが動く。テールスライドのきっかけをつかみやすく、コントロールもしやすい。
これは賛否が分かれたポイントでもあります。「もっと太いタイヤを履かせて、もっとグリップを上げるべきだ」という声は当然ありました。ただ、開発陣はそこを譲らなかった。太いタイヤでグリップを稼ぐと、限界域に達するまでの速度が上がり、公道での楽しさが遠のくからです。
足回りはフロントがストラット、リアがダブルウィッシュボーン。とくにリアの設計には凝っていて、トーションビームではなく独立懸架を採用したことで、旋回中の接地感がしっかり伝わるようになっています。価格帯を考えると、この足回りの作り込みはかなり贅沢な選択でした。
弱点と、それでも支持された理由
もちろん、ZN6に弱点がなかったわけではありません。もっとも多く指摘されたのは、中回転域のトルクの谷です。3,000〜4,000rpm付近でトルクが薄くなる特性があり、日常的な街乗りでは少し扱いにくいと感じるドライバーもいました。
内装の質感についても、価格なりという評価が大半です。ダッシュボードの素材やシートの仕立ては、同価格帯の輸入車と比べると見劣りする部分がありました。ただ、これはコストの配分先が明確だったということでもあります。内装ではなく、シャシーとエンジンに予算を振ったクルマだったのです。
それでもZN6が支持されたのは、「手が届く価格のFRスポーツ」という存在そのものに価値があったからです。新車価格は約199万円から。200万円を切るFRクーペというのは、2012年時点で他にほぼ選択肢がありませんでした。ロードスター(NC型)が近い存在でしたが、あちらはオープン2シーター。クーペの4人乗りFRとなると、86はほぼ唯一の選択肢だったのです。
アフターマーケットという設計意図
ZN6のもうひとつの特徴は、最初からカスタマイズされることを前提に設計されていた点です。多田チーフエンジニアは「このクルマは素材です」と明言していました。買った人が自分の好みに合わせて育てていくクルマ。完成品ではなく、出発点として設計されている。
実際、発売直後からアフターパーツメーカーが大量の製品を投入しました。マフラー、サスペンション、ECUチューン、エアロパーツ。これほど短期間にアフターマーケットが立ち上がったクルマは、近年では珍しいことです。
トヨタ自身もGAZOO Racingブランドでチューニングパーツを展開し、86をモータースポーツの入り口として位置づけました。ワンメイクレースも早期に立ち上がっています。クルマ単体の商品力だけでなく、周辺のエコシステムごと設計していたという点で、ZN6の企画はかなり戦略的でした。
系譜の中での意味
「86」という車名は、言うまでもなくAE86型カローラレビン/スプリンタートレノへのオマージュです。1983年に登場したAE86は、軽量FRとしてチューニングベースやドリフトの世界で伝説的な存在になりました。ただし、ZN6はAE86の直接の後継車ではありません。車格もプラットフォームも、技術的な連続性はほとんどない。
では何がつながっているのか。それは「安価で軽いFRを、走りの楽しさのためにつくる」という思想です。AE86が偶然の産物だったとすれば──当時のカローラがたまたまFRだった最後の世代だったという事情があります──ZN6は意志の産物でした。あえてFRを選び、あえて自然吸気を選び、あえて軽さを優先した。
ZN6は2021年まで生産され、後継のZN8型(GR86)へとバトンを渡しています。GR86ではエンジンが2.4リッターに拡大され、トルクの谷も改善されました。初代の弱点を素直に潰してきた進化です。
振り返ると、ZN6は「トヨタにスポーツカーをつくる文化を取り戻す」ための起点だったと言えます。このクルマがなければ、GRブランドの展開も、スープラの復活も、ヤリスのGRMNも、おそらく違う形になっていたでしょう。採算だけでは説明できない一台を世に出したことで、トヨタは「走りのクルマもつくるメーカー」という看板を取り戻しました。
ZN6の最大の功績は、クルマそのものの出来よりも、その後の流れをつくったことにあるのかもしれません。

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