E 63 AMG – W212 / S212【自然吸気の到達点と、ツインターボへの転換】

ひとつの車種の中に、エンジン哲学の断絶が埋め込まれている。W212型E 63 AMGは、そういう稀有な存在です。

前期は6.2リッター自然吸気V8、後期は5.5リッターツインターボV8。

排気量も過給方式もまったく違うパワートレインが、同じ世代の同じ車名を名乗っている。これはたまたまではなく、AMGという組織がどこへ向かおうとしていたかを、そのまま映し出した結果です。

先代が証明した「AMG製セダン」の市場

E 63 AMGの直接の前身は、W211型に設定されたE 63 AMGです。

それ以前のW210時代にはE 55 AMGがあり、スーパーチャージド5.4L V8を積んでいました。つまりEクラスにAMGの心臓を載せるという発想自体は、すでに確立された路線でした。

ただ、W211世代のE 63 AMGで大きく変わったのは、エンジンがAMG完全自社開発のM156型6.2L自然吸気V8になったことです。

「One Man, One Engine」——ひとりの職人がひとつのエンジンを組み上げるというAMGの哲学を体現した、初のAMG専用設計エンジン。

これが先代で投入され、W212ではその熟成版が引き継がれることになります。

前期型──M156の完成形として

2009年に登場したW212型E 63 AMGの前期モデルは、M156型エンジンをそのまま搭載しています。最高出力は525PS、最大トルクは630Nm。自然吸気のV8としては、当時の量産セダンの中でも最高水準の数値です。

このエンジンの何が特別かといえば、高回転まで一気に吹け上がるフィーリングです。ターボのようなトルクの段差がなく、アクセルに対してリニアに反応する。6,800rpmまで回して絞り出すパワーは、数値以上に「速さの質」が違いました。AMGのエンジニアたちが繰り返し語っていたのは、「レスポンスこそがAMGの価値だ」という信念です。

トランスミッションは7速のスピードシフトMCT。従来のトルコン式ATではなく、湿式多板クラッチを用いたもので、変速速度とダイレクト感を両立させています。Eクラスという2トン近い車体を、ただ速く走らせるだけでなく、ドライバーとの対話を成立させようとした設計です。

駆動方式はFR。これは当時のAMGとしては当然の選択でしたが、500PS超のパワーを後輪だけで受け止めるという構成は、路面状況によってはかなり神経を使う場面もありました。ここに後期型での大きな変化の伏線があります。

後期型──M157への転換が意味したこと

2011年のフェイスリフトで、E 63 AMGのエンジンはM157型5.5Lツインターボ V8に置き換えられます。これは単なるマイナーチェンジではありません。AMGのパワートレイン戦略そのものの転換点です。

背景にあったのは、欧州の排出ガス規制の強化と、燃費に対する社会的な視線の変化です。6.2Lの大排気量自然吸気は、どれだけ技術を磨いてもCO2排出量を大幅に下げることが難しい。AMGは性能を維持しながら環境性能を改善するために、ダウンサイジングターボという時代の潮流に乗る決断をしました。

結果として、M157型は最高出力557PS、最大トルク720Nmを発生。数値だけ見れば、排気量を700cc減らしながら出力もトルクも上回っています。さらに燃費は前期比で約30%改善されたとメルセデスは発表しています。数字の上では、あらゆる面で進化です。

ただ、ここには議論の余地があります。自然吸気特有の高回転での伸びやかさ、アクセル操作に対する即応性は、ターボ化によって質が変わりました。低回転から太いトルクが立ち上がる力強さは圧倒的ですが、M156のような「回して楽しい」感覚とは別物です。AMGファンの間でも、前期と後期のどちらが「本物のAMGらしいか」という論争は、いまだに決着がついていません。

4MATICという選択肢の追加

後期型で見逃せないもうひとつの変化が、E 63 AMG 4MATICの追加です。AMGのEクラスに四輪駆動が設定されたのは、これが初めてでした。

前後トルク配分は33:67。フロントにも駆動力を分配しつつ、後輪寄りの配分でFR的な旋回特性を残すという設計です。これにより、雨天やウインターシーズンでのトラクション性能は劇的に改善されました。

この4MATICの投入は、AMGが「サーキット志向のピュアスポーツ」から「日常でも高性能を安全に使い切れるクルマ」へと軸足を動かし始めたことを示しています。後のAMG GT 4ドアやC 63の4MATIC化といった流れの、明確な起点がここにあります。

S212──ワゴンという異端の器

W212型E 63 AMGを語るうえで、ステーションワゴンのS212を外すわけにはいきません。500PS超のV8をワゴンボディに積むという企画は、冷静に考えるとかなり特殊です。しかしこれこそが、欧州市場におけるAMGの強みでした。

ドイツを中心とした欧州では、ワゴンは実用車であると同時にステータスの表現でもあります。アウトバーンを家族とラゲッジを載せて高速巡航する——その用途に、AMGの動力性能は驚くほど噛み合います。実際にS212型E 63 AMGは、欧州ではセダン以上に支持されたという報告もあります。

日本市場ではワゴンのAMGはややニッチな存在でしたが、「世界最速のワゴン」というキャッチフレーズは強烈でした。ポルシェ・パナメーラ ターボと同等以上の加速性能を、荷室つきのボディで実現している。この事実だけで、S212の存在意義は十分に説明できます。

AMGの分水嶺としてのW212

W212型E 63 AMGの後継は、W213型のメルセデスAMG E 63です。ここではM177型4.0Lツインターボ V8が搭載され、さらなるダウンサイジングが進みました。4MATICも標準化され、「大排気量・自然吸気・後輪駆動」というかつてのAMGの三位一体は完全に過去のものとなります。

つまりW212は、AMGが旧来の価値観と新しい合理性のあいだで揺れた、最後の世代です。前期型にはM156の自然吸気が残り、後期型ではターボと4WDが導入された。一台の型式の中に、AMGの過去と未来が同居している。

どちらが優れているか、という問いにはあまり意味がありません。ただ、6.2Lの自然吸気V8が量産セダンに載った最後の時代を記録したモデルとして、W212前期型の価値は今後さらに高まるでしょう。

一方で、ツインターボと4MATICによって「誰でも速い」を実現した後期型は、AMGの商品としての完成度では明らかに上です。

W212型E 63 AMGは、どちらか一方だけでは語れない。

前期と後期を併せて見ることで初めて、AMGがどこから来てどこへ行こうとしたのかが見えてくる。そういう車です。

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です