1980年代後半、世界最速のセダンはフェラーリでもポルシェでもなく、メルセデスの中堅サルーンだった。
正確に言えば、メルセデスが作ったのではなく、当時まだ独立チューナーだったAMGが勝手に仕立てた一台です。
それが300 E 5.6 AMG、通称「ハンマー」。
名前の由来はドイツ語の「Hammer」、つまり「ハンマーで殴られたような衝撃」。
大げさに聞こえますが、当時これに乗った人間の証言を聞く限り、まったく誇張ではなかったようです。
AMGがまだ「外部の人間」だった時代
いまでこそ「メルセデスAMG」はメーカー純正のハイパフォーマンスブランドですが、1986年当時のAMGはまだ完全に独立した存在でした。
メルセデスとの正式な提携は1990年代後半、完全子会社化に至るのは2005年のことです。つまりハンマーが生まれた時点では、AMGは「メルセデス車をベースに独自の改造を施すチューニング工房」に過ぎなかった。
ただ、「過ぎなかった」という表現は正確ではないかもしれません。
AMGの創業者ハンス・ヴェルナー・アウフレヒトとエルハルト・メルヒャーは、1967年の創業以来ツーリングカーレースで実績を積み、とくにスパ24時間での勝利でヨーロッパ中にその名を知らしめていました。
レースで培った技術を市販車に落とし込む——その延長線上に、ハンマーは存在しています。
W124に5.6リッターV8を詰め込むという発想
ベースとなったW124は、1984年に登場したメルセデスのミドルクラスセダンです。
いわゆるEクラスの前身にあたるモデルで、堅牢な設計と優れた空力特性を持つ、メルセデスの屋台骨のような存在でした。
標準の300 Eに搭載されていたのは直列6気筒の3.0リッターエンジン。十分に速いクルマでしたが、AMGの目には「器としてまだ余裕がある」と映ったのでしょう。
AMGが選んだのは、当時のSクラス(W126)やSLに搭載されていたM117型5.6リッターV8をベースに、独自のチューニングを施してW124に搭載するという手法でした。
排気量は5.6リッター、最高出力は初期仕様で約360馬力。後に6.0リッター化されたバージョンでは385馬力に達しています。
この数字だけ見てもピンとこないかもしれませんが、当時の文脈で考えると異常な値です。
1986年のポルシェ911ターボが300馬力、フェラーリ・テスタロッサが390馬力。
つまりハンマーは、4ドアセダンのボディに当時のスーパーカーと同等のパワーを押し込んだクルマだった。最高速度は約300km/h、0-100km/h加速は5.0秒前後。
これを4ドアセダンが出すという事実が、当時のクルマ好きにとってどれだけ衝撃的だったか想像してみてください。
「世界最速のセダン」という称号の重み
ハンマーの名を世界に知らしめたのは、1986年のアメリカの自動車雑誌『Road & Track』のテスト記事でした。
彼らはこのクルマを「世界最速のセダン」と評し、その記事はアメリカを中心に大きな反響を呼びます。ヨーロッパのチューニングカーがアメリカで神話化されるという、当時としてはかなり珍しい現象が起きたわけです。
なぜアメリカでこれほど響いたのか。
ひとつには、1980年代のアメリカにはこの種のクルマが存在しなかったという事情があります。アメリカンマッスルカーは排ガス規制で骨抜きにされ、ヨーロッパのスポーツセダンといえばBMW M5(E28)がようやく登場したばかり。
そこに、M5すら凌駕するパワーを持つメルセデスベースのセダンが現れた。しかも見た目はほぼノーマル。
この「羊の皮を被った狼」感が、アメリカの富裕層とカーマニアの心を直撃しました。
ただの直線番長ではなかった理由
ハンマーが単なるエンジンスワップの怪物で終わらなかったのは、AMGが足回りとブレーキにも徹底的に手を入れていたからです。サスペンションはスプリングレート、ダンパー、スタビライザーをすべて専用品に変更。ブレーキも大径ディスクに換装されていました。
そしてここが重要なのですが、ベースのW124自体がきわめて優れたシャシーを持っていた。マルチリンク式リアサスペンションの採用、風洞実験を繰り返して作り込まれたボディ、メルセデスらしい過剰なまでの構造強度。AMGはゼロからクルマを作ったのではなく、「すでに優秀な器に、それに見合うパワーを与えた」というのが正確な表現です。
W124の設計主任だったヴォルフガング・ペーターは、このクルマを「メルセデスが20世紀に作った最も頑丈なクルマ」と語っています。その頑丈さが、AMGの過激なチューニングを受け止める素地になっていたのは間違いありません。
生産台数と、希少性が語るもの
ハンマーの正確な生産台数は公式には明かされていませんが、一般的には30台前後と言われています。一説には5.6リッター仕様はさらに少なく、6.0リッター仕様を含めても総数は限られます。手作業でエンジンを組み上げ、一台ずつ仕上げるAMGの当時の生産体制を考えれば、この数字は驚くべきものではありません。
現在のオークション市場では、状態の良いハンマーは数千万円で取引されることも珍しくありません。2023年にはRM Sotheby’sで約85万ドル(当時のレートで約1.2億円)で落札された個体もあります。この価格は、同年代のメルセデス純正モデルとは比較にならない水準です。
ハンマーが切り拓いた道
ハンマーの本当の意味は、一台のクルマとしての速さよりも、「セダンにV8を積んで本気で走らせる」という文化を確立したことにあるのかもしれません。BMW M5は先に存在していましたが、ハンマーはそれをさらにエスカレートさせ、「上限なんてない」という空気を作りました。
そしてもうひとつ、ハンマーの成功がメルセデス本体にAMGの実力を認めさせる大きなきっかけになったという点も見逃せません。1990年代に入ってメルセデスがAMGとの協力関係を公式化し、やがてC36 AMG、E50 AMGといった「メーカー公認AMG」が生まれていく流れの原点には、ハンマーが世界中で巻き起こした反響があった。独立チューナーが作った一台の怪物セダンが、巨大メーカーの戦略を動かしたわけです。
ハンマーは、速さの記録としてはとっくに塗り替えられています。
いまやAMG GT 63 S 4MATICが630馬力を超え、4ドアで300km/hオーバーなど珍しくもない時代です。
でも、それが「珍しくない」世界を最初にこじ開けたのが誰だったかと問えば、答えはひとつしかありません。
メルセデスのお行儀の良いセダンに、あり得ないサイズのV8を押し込んで「これでいい」と言い切った、あの小さな工房の仕事です。

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