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  • シビックType R – FN2【欧州から来たもう一つのType R】

    シビックType R – FN2【欧州から来たもう一つのType R】

    「ユーロR」と呼ばれたFN2

    2007年、英国スウィンドン工場で生まれたFN2は、EP3以来となる3ドアボディにスペースシップと揶揄された近未来デザインをまとう一方、エンジンは2.0 ℓ i-VTECのまま201 ps止まりだった。この数値は日本製FD2より25 psも低い。

    この数字差が物議を醸しつつ、「家族も積めるホットハッチ」という新しいType R像を提案した。 

    ハッチバック回帰とヨーロッパ戦略

    欧州市場では排ガス規制EURO 4と衝突安全強化で車重増は不可避だった。

    開発陣は「軽快さより日常との両立」を掲げ、燃料タンクを前席下に収める独自プラットフォームを選択。この決断で室内は広がったが、車高アップと1,320 kgという歴代シビックでも最重量を招いてしまう。

    ホンダは「グローバルで売れる赤バッジ」に賭け、快適装備と走りのバランスに挑んだ。 

    欧州のi-VTEC「K20Z4」

    心臓部K20Z4は11.0:1の圧縮比、可変カム位相+ハイカム切替のi-VTECを継承し、201 ps/7,800 rpm・193 Nm/5,600 rpmを発生。

    ロングストローク寄りの吸排気とバランサーシャフト追加で低中速トルクと静粛性を稼ぎ、「長距離ツアラーでも疲れないType R」を狙った。

    リッター当たり100 psは死守したものの、FD2が誇った超高回転の炸裂感は薄まり、ファンを分断する要因となる。 

    トーションビーム採用の衝撃

    リアサスはコストと荷室容量を優先し、歴代伝統のダブルウィッシュボーンやデュアルアクシスストラットを捨て、トーションビームへ換装。

    Top Gear誌は「遊び心を失った」と痛烈に批判したが、開発陣は高剛性アンダーフロアとワイドトレッドで曲がるFFを実現したと主張しました。

    実際、フロントのキャスター角とトレールを増やし、フルブッシュ類を専用強化して応答性を確保していました。

    MUGEN RR・Ti

    2009年に英国MUGENが手掛けたCivic Type R MUGENはカム・吸排気・軽量化で240 psへ強化し、20台限定で即完売。

    さらに最終年にはチタンマフラー+LSD標準の「Type R Ti」が500台設定され、“FN2は遅い”というレッテルを払拭すべくメーカー公認でチューニング競争が過熱した。 

    モータースポーツ――BTCCから耐久まで

    FN2は英国ツーリングカー選手権(BTCC)で半ワークス体制によりデビューし、2011年シーズンにメーカー部門3位。耐久ではバサースト6 hやセパン12 hのクラスウィンを重ね、「トーションビームでも勝てる」ことを見せつけました。 

    「普段使いできるType R」という革新

    FN2は軽量高回転主義から一歩譲り、日常の扱いやすさと居住性を大幅に向上させました。

    トーションビームやパワー不足を嘆く声もあったが、VTECは7,800 rpmで唸り、宇宙船ダッシュボードの向こう側へ景色がワープする体験はやはり赤バッジのもの。

    家族と荷物を積み、高速をひと走り。そんな優雅な「ユーロR的な生活」が好きな方は、ぜひ購入を検討してみてはいかがでしょうか。

  • シビックType R – FD2 【4ドアに宿った最後の自然吸気VTEC】

    シビックType R – FD2 【4ドアに宿った最後の自然吸気VTEC】

    四枚ドアで「最速」を更新したFD2

    2007年3月30日、ホンダは3代目シビック Type RとしてFD2を送り出します。

    赤バッジ初の4ドアセダンながら、2.0 ℓ NA 225 ps・クロス6速・専用ボディ強化で筑波1分08秒台を刻み、「実用車でサーキットを制す」という前代未聞のコンセプトを実現。

    街では家族を乗せ、週末はレースで勝つ…そんな二面性が走り好きの心を射抜き、歴代Type Rの中でも屈指の熱狂を生みました。 

    開発ストーリー「セダンType Rへの賭け」

    EP3が欧州生産だった反省から、開発責任者・假屋満氏は「日本市場が望むType R」を掲げ、企画段階でセダン案を採用しました。

    理由は二つあります。

    まず一つ目としては最新シビック(FD系)のプラットフォームがセダン専用だったということです。

    そして二つ目、これはセダンとなった根本理由ですが、衝突・剛性規制でハッチバックの軽量化が難しくなったことです。

    ホンダは「ドアが2枚増えてもEK9を超える操縦性」を目標に、シーム溶接+高張力鋼を強化しつつ装備を徹底軽量化します。

    開発最終テストで筑波を1分08秒3で周回し「これなら赤バッジを付けられる」と量産決定が下った。  

    K20A改。自然吸気VTECの集大成

    日本専用としてK20AはNSX譲りの手研磨ポートを継承し、圧縮比11.7、許容回転8,400 rpm。

    最高出力225 ps/8,000 rpm、最大トルク21.9 kg m/6,100 rpmを発揮し、量産NA 2.0 ℓとして世界最高峰の比出力を記録します。

    ドライブバイワイヤのスロットルと高圧縮に合わせ、クロス6速MTは1〜3速を極端に詰め、VTEC切替5,800 rpm→パワーバンド継続という怒涛の加速を実現したのです。

    「硬く・低く」を追求したボディ&サス

    ボディはシーム溶接をノーマル比2.2倍に増し、補強パネルを70 点追加。さらにアルミボンネットと薄型ガラスで車重1,270 kg(装備込)に抑えます。

    サスペンションは前輪ストラット、後輪リアダブルウィッシュボーンながら、前後キャンバーを増し、18 インチRE070とブレンボφ320 mmで武装。

    開発ドライバーは「踏んで曲げるレーシングFF」と表現し、市販車テストでもコーナリングGはランエボⅨ並みを記録しています。  

    モータースポーツでは最速FFを証明

    2007年スーパー耐久ST4クラスにFD2が投入され、デビューウィン含む年間5勝。

    筑波アタックではCARトップ誌計測1分08秒33を叩き出し、同時期のS2000やWRX STiを上回る怒涛の記録を叩き出します。

    海外でもマレーシアSEPANG 12 H耐久でクラス優勝し、4ドアでもFF最速を疑う余地がなくったのです。  

    FD2が残したDNA

    当時の熱狂とストリートカルチャーを象徴するのは、まず「ファミリーカーでレースに勝てる」という衝撃でした。

    子育て世代までも巻き込んだこのコンセプトは爆発的な支持を集め、納車待ちは半年に達するほどの大ヒットとなります。

    シビック最後のNAエンジン

    加えて忘れてはならないのが、FD2が「最後の高回転NAシビック Type R」であったという事実。

    排ガス規制とダウンサイジングの波により、後継FK2以降はターボエンジンへ移行していきますが、FD2のK20Aは吸気音とメカニカルノイズを余すことなく響かせる純粋な高回転フィールを守り抜いたのです。

    「実用と最速」を両立した究極の4ドアFF

    FD2は、ファミリーセダンの皮をかぶりながら、高回転NAと世界トップクラスの剛性で「公道とサーキットを地続きにする」というType R哲学を極限まで突き詰めました。

    赤バッジはハッチバック専売という先入観を打ち破り、FF最速の称号を更新。現行モデルがターボ化・5ドア化してもなお、「NA高回転×超硬シャシー」という原点を思い出させる存在として輝き続けています。

  • シビックType R – EP3 【異端さを速さで黙らせたR】

    シビックType R – EP3 【異端さを速さで黙らせたR】

    2.0 ℓ化で「シビックType R」は次章へ

    2001年10月、シビック Type Rは2代目EP3へ進化。

    生産拠点は英国スウィンドン、排気量は2.0 ℓへ拡大、そしてシャシーは7代目シビックの新プラットフォーム、「グローバル化と高性能をどう両立させるか」が命題でした。

    結果としてシビック二台目のTypeRは、日本仕様215 ps、欧州仕様200 psという二面性を持つことで日の目を浴びることとなります。

    「EK9超え」を掲げた開発ストーリー

    EK9が示した「軽量×高回転NA」は傑作でしたが、次期モデルの企画が動き出した1998年、欧州では排ガス規制EURO 3と衝突安全強化が迫っていました。

    開発責任者・黒田博史氏は「世界中で売れるType Rを作る」ため、ボディ拡大とKシリーズ2.0 ℓ i-VTECの採用を決断。

    ところが、この時代の車がほとんどそうだったように、EP3も例外なく規制由来の重量増が大きなネックとなります。

    それでもホンダは日本仕様1,170 kg、ユーロ仕様1,204 kgとし、「出荷国ごとに最適仕様を造り分ける」ことで、重量増を最小限に抑えています。

    K20AとK20A2。二枚看板のエンジン

    実はこのK20A、EP3に搭載されているものだけでも二種類存在します。

    はじめに無印のK20A。こちらは日本仕様車に搭載されていたもので、215 ps/8,000 rpm・20.6 kg m/7,000 rpm。

    ハイカム高リフト、11.5:1高圧縮、クロモリ軽量フライホイールが採用されています。

    そしてさらに驚きなことに、日本仕様のEP3はエンジン本体のみ栃木製、完成車は英国生産という複雑な工程で組み上げられています。

    そしてユーロ仕様がK20A2。200 ps/7,400 rpm・19.0 kg m/5,900 rpmで吸排気・ECUを扱いやすく振り、カタログ燃費も重視…

    という説明ですが、皆様お気づきの通りEP3においても日本仕様が非常に人気があります。逆輸入車を買うときはお気をつけて…(タマもほぼありませんが)

    シャシーの刷新。苦肉のストラット化

    フロントはコストとパッケージ効率からダブルウィッシュボーンを捨てマクファーソンストラットとなります。

    当時のType Rファンは落胆しましたが、開発陣は「剛性を上げ、ロールセンターを最適化すれば十分戦える」と主張します。

    実際、日本仕様は専用20 mm太スタビとクイックレシオEPS、ヘリカルLSDを標準装備し、純正状態での鼻の入りは「EK9以上」と評価されることもあります。

    一方ユーロ仕様は全車LSDレス。街乗りフレンドリーとしてここでもキャラ分けが徹底されています。 

    EP3のレース事情。ワンメイクから耐久まで

    2002年、シビック Type Rユーロカップが開幕。

    均一な200 ps仕様で争うレースはドライバー育成の登竜門となり、2シーズン目には参戦枠が即日完売したそうです。

    日本でもスーパー耐久ST4クラスにJDM EP3が投入され、富士1000 kmでクラス連勝。重量級FRを抑えるシーンも多く、メディアは「FF最速の看板は健在」と報じました。 

    EP3が残したDNA

    EP3が後世に託した三つのDNAは、まず最も大きな点ではK20Aという、2.0ℓ高回転NA路線のエンジンでしょう。K20Aの成功は後継モデルのFD2(K20A)や、ターボ化されたFK8・FL5のK20Cへと受け継がれ、後年のシビックType Rの性能基盤を築くこととなります。

    次にグローバルType R戦略。国別チューニングを施したEP3は、後の欧州向けFN2や北米向けFL5など、多彩なバリエーション展開の原型となりました。

    そして最後はストラットサスペンション。後輪方向を剛体化する思想はやがてマルチリンクへと発展し、今も現行モデルのハンドリング精度を支えています。

    「世界標準」を掲げたターニングポイント

    EP3は、EK9の純血主義を引き継ぎながら、2.0 ℓ化と世界展開でType Rをホンダ党の専売特許から全世界の走り好き全員の共通語へ押し上げました。

    高回転VTECサウンドが8,000 rpmで頂点を迎え、6速クロスで息つく暇なく加速する…

    その体験は、プラットフォームが変われど「赤バッジに宿る魂」そのものです。次章では、このK20Aの完成度をさらに高め、国内専売で速さを突き詰めた、FD2へと物語は続きます。

  • シビックType R – EK9 【VTEC一つの頂点にして最高の傑作機】

    シビックType R – EK9 【VTEC一つの頂点にして最高の傑作機】

    遂に「Type R」がシビックに降臨

    1997年8月22日、ホンダは6代目シビック(EK型)のマイナーチェンジに合わせて初代シビック Type R EK9が追加しました。

    NSX-R、インテグラ Type Rで育んだRの称号を、さらに身近なハッチバックへ落とし込みます。

    白いボディに赤いHマーク、185 psを誇るB16Bと1 t強の軽量シャシー…

    発売と同時に「テンロクNA最速」「世界最速FF」とメディアが大騒ぎし、若者はこぞって販売店に列を作りました。

    シビック初Type R開発ストーリー

    1995年にデビューしたインテグラ Type Rの成功を横目に、シビック開発陣は「走り好きがシビックにも赤バッジを求めている」と確信。

    6代目シビックを手掛けた黒田博史LPLらは、マイナーチェンジ枠での追加を上層部に直談判し、年末にゴーサインを獲得します。

    コンセプトは「日常も使えるリアルFFレーサーを200万円以下で」。コストと性能の綱渡りを強いられたが、「若いホンダ党が買えなきゃ意味がない」と開発陣は語っています。 

    テンロクNAの頂点「B16B」

    心臓部B16BはB16A系をベースに、ハンドポート研磨・高圧縮ピストン・高リフトカム・各部フリクション低減を施し、185 ps/8,200 rpm・16.3 kgm/7,500 rpmを実現。

    リッターあたり115 psは当時の量産NA世界最高水準で、レッドゾーンは8,400 rpm。組み立ては熟練工が手仕上げでクリアランスを合わせ、専用ECUがハイカム切替5,800 rpmを叩き出す。

    回せば吠え、伸びはターボ級というキャラクターは、以降のType Rが守り続ける金字塔となります。

    「薄くて硬い」理想のボディ

    EK9のボディはノーマルEKにスポット溶接打ち増し&シーム溶接を追加し、局部剛性を大幅アップされました。

    また、制振材・アンダーコートを剥ぎ、鉄板をより薄い高張力鋼に置換して1,040 kg(標準装備車)を達成しました。

    装備もストイックで、手巻きウインドウや簡素な内装、チタンシフトノブ、レカロ・モモ製品を除けば快適装備は最小限。

    これに5速クロスMTとヘリカルLSDが噛み合い、軽くて固い箱にハイカムNAというType Rの方程式が完成しました。 

    サーキットが証明した「伝説」

    発売翌年からワンメイクのシビックレースがEK9にスイッチします。

    鈴鹿クラブマン(FFチャレンジ)、もてぎロードスターカップ系など、他の1600ccが記録していたレコードは次々塗り替えられ、同じEK9どうしでしか勝負が決まらないという事態となります。

    市販車テストでも筑波1分6秒台を記録し、当時の2 Lターボ勢と互角以上に渡り合います。

    かの土屋圭市氏も試乗後に「NAテンロクがここまでやれるとは」と絶賛し、ホットハッチのベンチマークを塗り替えたのです。 

    ストリートを席巻した三つの魅力

    ストリートで熱狂を呼んだ三つの魅力を紹介します。

    まず超高回転VTECサウンド。5,800 rpmでカムが切り替わる刹那、炸裂するような音が耳に残り、まるで“合法ドラッグ”のような中毒性を生みます。

    次に軽快な操作系。薄板ボディとクイックステアのおかげで峠の切り返しはカートさながらに軽く、ドライバーの入力に即座に応えます。

    そして、現代ではこのメリットは見る影もありませんが、199万8,000円という衝撃の価格設定でしょう。ライバルのターボ車より安く、しかも速いという事実が当時の若者たちの助けとなりました。 

    後世に受け継がれたDNA

    B16Bが鍛えた高剛性バルブトレインは、FD2型K20Aで8,400 rpmまで続きます。

    現行FL5型K20C1はターボ化の事情で7,000 rpmに抑えられるものの、部品強度や軽量バルブまわりの思想自体はこの系譜が土台になっています。

    ワンメイクレースで鍛えられた EK9 の実戦ノウハウは EP3 以降のサーキット仕様に色濃く反映され、足まわりやギア比に至るまで走るための標準装備を当たり前のものにしました。

    そして、遮音材を削り薄型ガラスを奢った軽量化への執念は、現行 FL5 でアルミ&FRPパネルへと進化しています。

    この三つのDNAは世代を超えて脈々と磨かれ、ホンダ Type Rを単なる高性能車ではなく、「走る歓び」を極める存在へと昇華させています。

    「操る歓び」の純血種

    EK9は「走る・曲がる・止まる」を研ぎ澄ませ、公道とサーキットを地続きにした最初のコンパクトFFレーサーと言えます。

    ハイカム突入で景色がワープし、軽いボディが意のままに向きを変える…その快感は後のType Rでもある程度味わえるかしれませんが、EK9は「余計なものが何もない」ぶんだけ生々しい。

    最初の赤バッジとなるEK9。令和のこの時代に手に入れられた幸運な人は、ぜひとも回して、操って、VTECで世界が変わる瞬間をぜひ味わってほしい。

  • シビックSiR – EG6 【小さな車体に詰まる、90’sホンダの理想】

    シビックSiR – EG6 【小さな車体に詰まる、90’sホンダの理想】

    スポーツシビックEG6の衝撃

    1991年秋、5代目へバトンを渡したシビックは「スポーツシビック」を名乗り、トップグレードにSiR-II(EG6)を設定しました。

    テンロクNAで170 psを達成するB16A改良型、ホイールベース延長と熟成ダブルウィッシュボーンの組み合わせ。それらが放った刺激は、EF9が撒いたVTEC旋風をさらに拡大し、「テンロク最速=シビック」という神話を決定づけた。 

    バブル崩壊でも走りは止めない___

    開発が動き出した1989年、バブル景気末期の日本です。

    コスト削減の空気が漂い始めていましたが、ホンダの研究陣は「小さくても本気で楽しいクルマを続ける」と宣言します。

    EF9で培った高回転NA+軽量路線を洗練しつつ、日常性能と室内スペースも拡大するオールラウンダーを狙い、

    シャシーの骨格を一新し、ホイールベースを70 mm延長。結果、直進安定性と後席空間の両立に成功します。 

    後期型B16A「170 psのNAテンロク」

    改良版B16Aは圧縮比10.4、許容回転8,200 rpm。

    吸排気ポート形状を見直し、ECUをOBD-Ⅰ化することで170 ps/7,800 rpm・16.0 kgm/7,300 rpm(JIS)を捻り出します。

    馬力こそEF9比+10 psですが、高回転域のトルク盛り上がりは別物。

    公称0-100 km/h 7秒台前半、パワーウエイトレシオ6.4 kg/ps。このスペックは当時の国産NAでは異例の数値でした。

    長脚ホイールベースと改良ダブルウィッシュボーン

    EG型のホイールベースは2,570 mm。延長と同時に前後サブフレーム剛性を強化し、ストローク不足を指摘されたEF9の足をリセッティングします。

    スプリング長を確保したことで路面追従性が向上し、峠の段差でのインリフト現象を大幅に低減しました。

    標準で4輪ディスク、ABS、またオプションでヘリカルLSD…

    まさに「吊るしでサーキット」が現実味を帯びるスペック でした。

    モータースポーツでの圧勝劇(JTCCグループA)

    1992年JTCディビジョン3第4戦からEG6が実戦投入。

    出光MOTION無限シビックとJACCSシビックがシーズン14戦中10勝という支配的強さを見せ、以降1993年までホンダがメーカータイトルを独占します。

    EF9時代から続く「シビック同士でしか争えない」という光景は、EG6でさらに顕著になり、FF最速の看板を確固たるものにしました。 

    街を席巻したテンロク最速神話

    カタログに踊る「0-400 m 15秒フラット」。

    実際のストリートでもハイカムが切り替わる5,800 rpmを境に別次元の加速を見せ、AE101系4A-G勢やランサー1600GSRを一蹴できる性能でした。

    峠では長脚ホイールベースの安定感と軽さが武器となり、当時の走り屋たちは「EG6に追いつけなければ修行不足」と語りました。

    レースさながらのドンガラ仕様が増殖し、深夜の環状・湾岸はVTECサウンドで溢れることとなります。 

    官能と実用が同居する万能ハッチ

    EF9が蒔いた高回転NAの種は、EG6で開花し万能のテンロクという評価を得ました。

    街乗りで扱いやすく、踏めば8,000 rpmで咲くVTECの快音、そしてリアシートを倒せば大きな荷室…

    官能と実用の二兎を追い、二兎とも掴んだ稀有なハッチバックとなりました。

    そのDNAは赤バッジを冠するEK9 Type Rへ、さらに現行シビックへと受け継がれ、今なお「走りの基準」の一つとして輝き続けています。

  • シビックSiR – EF9 【VTEC神話の夜明け】

    シビックSiR – EF9 【VTEC神話の夜明け】

    Type RのDNAを遡る

    「赤バッジに宿る狂気は、どこから始まったのか?」

    CIVIC Type Rという大看板の源流を探ると、必ず行き当たるのが1989年登場のグランドシビック SiR(EF9)です。

    量産車として世界で初めてリッター100 psを達成したDOHC VTEC B16A、1 tを切る軽量ボディ、そして四輪ダブルウィッシュボーン――

    この三位一体がホットハッチを国産車の常識に押し上げ、後続のType R群に揺るぎない設計哲学を授けることになります。

    F1全盛と「新しいシビック」――開発着手の背景

    1988年、ホンダはF1で年間15戦15勝という黄金期を迎えていました。

    一方、市販車では排ガス規制と燃費競争でパフォーマンスが頭打ちになりつつあった。

    「レーシングスピリットを市販車に取り戻せ」。そう語ったのが当時の本田技研研究所社長・川本信彦氏です。

    F1直系テクノロジーをコンパクトカーに移植する――その旗印の下、4代目CIVICをベースにしたSiRプロジェクトがスタートします。

    「どうせやるならリッター100馬力」

    最初のVTEC試作機は140 psが目標でした。しかし、川本氏の一喝「どうせやるなら100馬力/ℓにしろよ」で開発陣の挑戦が始まります。

    カムプロフィールを高速用・低速用で切り替える可変バルブ機構を磨き、許容回転数を8,000 rpmに引き上げ、最終的に160 ps/7,600 rpm・15.5 kgm/7,000 rpmを実現。

    新里智則氏(当時パワートレイン主任)は「F1を公道で鳴かせるつもりだった」と回想しています。

    「ヒラリ感」を追い求めて

    4輪ダブルウィッシュボーンは、高価でもストロークしながらキャンバーを立てるというレースを見据えた攻めのレイアウト。

    徹底した高張力鋼の部分使用で車重990 kgを達成し、パワーウエイトレシオ6.1 kg/psを誇りました。

    開発ドライバーは「切った瞬間ノーズが吸い付く」と表現し、社内テストでは先代ワンダーシビック比で筑波1秒短縮を記録。

    ブレーキは4輪ディスク、オプションLSDまで用意され、峠もサーキットも即戦えるクルマを目指しました。

    当時の街とサーキットを席巻

    発売当時、ホンダはテレビCMでB16Aのレッドゾーンに合わせて心拍計を振り切らせ、「Mind Blowing Civic」というコピーを掲下ていました。

    若者は「6,000 rpmで人格が変わるクルマ」と呼び、深夜の大阪環状、峠ではVTECの切り替え音が毎晩聞こえてきます。今では考えられないですが…

    峠では低速トルク不足をシフトワークでねじ伏せる腕試し文化が生まれ、ホンダの販促担当は「シビックがクルマよりドライバーを鍛える」と胸を張った。

    最速の「出光MOTION無限シビック」

    1990年、EF9はグループA全日本ツーリングカー選手権Div.3に投入。

    車重800 kg/出力180 psへ仕立てた出光MOTION無限シビックはシーズン18戦15勝、ホンダに4年連続メーカータイトルをもたらします。

    リア駆動勢を抑えて周回遅れにするレースもあり、海外メディアはWorld’s Fastest FFと絶賛しました。

    市販車ファンの熱狂はさらに高まり、SiRの新車受注は想定を30%超過したといいます。

    SiRがType Rに残した三つのDNA

    そんなSiRは後年のType Rに重要な思想をいくつも残します。

    まずは高回転NA主義。B16Aが拓いた回してパワーを取る思想は、B16B(EK9)、K20A(FD2)はもちろん、現行K20Cについても不変です。

    メガーヌをはじめとする欧州FFと比較しても、Type Rは高回転で威力を発揮する特性を持っているのは、このDNAを引き継いだ結果なのです。

    そして、徹底した軽量化。SiRの樹脂インナー&薄板思想は、EK9でのシーム溶接・軽量ガラス、FK8のアルミボンネットへと発展します。

    最後にサーキット直結開発。外装より機能優先という割り切りは、カップカー直系の空力パーツや専用足回りに連綿と受け継がれています。

    そして“赤バッジ”へ――直系子孫EK9

    EF9から8年後、初代CIVIC Type R(EK9)が登場する。型式末尾「9」はSiRへのリスペクトであり、エンジニアは「EF9で得た歓びを、さらに鋭く濃く」と語った。B16Bは185 psを発揮し、車重は1,070 kg。EF9が切り拓いた設計思想は、赤バッジというブランドとして結実することとなります。

    おわりに――“回せば世界が変わる”精神

    グランドシビック SiRは、ホンダが市販車でもレーシングスピリットを貫けることを証明した大事な一台です。

    エンジンが6,000 rpmを超えた瞬間、風景がワープする――その感覚こそが今日のType Rまで続くホンダの原点であり、「操る歓び」の象徴なのです。

    今なおEF9のステアリングを握るオーナーが口を揃えて言います。「このクルマは、回さなきゃ始まらない」。30年以上前に刻まれた熱狂は、令和の今も色褪せず、脈々と受け継がれているのです。

  • メガーヌRS – DZF4R【理屈で話すフランスの狂犬】

    メガーヌRS – DZF4R【理屈で話すフランスの狂犬】

    Mégane III R.S. -since 2010-

    ――「#UNDER8」宣言で“FF最速戦争”を加速させた三代目ホットハッチ

    「8分切るまで帰ってくるな」

    開発棟の壁に書かれたこの合言葉が、ルノー・スポールの社内プロジェクト #UNDER8 の始まりでした。

    メガーヌ3RSの先代「R26.R」という絶対強者

    2008年、先代メガーヌ R26.R がニュル北コース 8分17秒 を刻んで以来、FF勢はこの「壁」を破れずにいました。

    • Opel アストラ OPC : 8分35秒
    • VW シロッコ R : 8分30秒

    いずれも全くと言っていいほど届かず、「最速FF=メガーヌ」の図式は盤石。ルノー側にはわざわざ新型メガーヌ3RSの公式タイムを出す必然性がなかったのです。

    迫るライバルと「8分切り」宣言

    ところが 2013 年頃、VW ゴルフ GTI 系や Seat León Cupra が高出力化で急速に接近。
    翌 2014 年 3 月、León Cupra 280 が 7分58秒4 を叩き出し、ついに「8分の壁」を突破。

    ルノースポール本部に緊急ミーティングが招集され、プロジェクト #UNDER8 が正式に発動されました。

    275 Trophy-R 誕生

    ストレートな解決策は「軽く、強く、速く」。

    パワートレインはECU最適化と吸排気の見直しにより、273 PS / 360 Nmまで高められた最終形態の名機F4Rt。

    続いてアクラポヴィッチ製チタンマフラー、Öhlinsサスペンション、Speedline Turini 鍛造 19inchホイールなど、バイク勢も飛びつく豪華装備…

    極めつけはリチウムイオンバッテリー&後席撤去で 130 kgの大幅ダイエット。結果、2014 年 6 月、7分54秒36 を記録し王座奪回。#UNDER8 の名は達成とともに世界へ拡散しました。

    ホンダ FK2 シビック Type Rの到来

    2015 年夏、ホンダが 2.0L VTECターボを積む FK2 Civic Type-R を投入し、7分50秒63で最速を更新。

    国内外メディアは「日本車がフレンチと独車の牙城を崩した!」と大々的に報道し、日本でも抽選 10 倍超の争奪戦が起こりました。

    そして、ルノースポールはプライドを懸けて最速の名を再び奪い返すべく、メガーヌ4RSの開発が始まります…

    おっと、ここからはメガーヌ4RSのお話ですね。

    メガーヌ3RSのモデル

    2010年、メガーヌIIIクーペをベースに250 PS/340 Nmの2.0 L直4ターボを搭載し誕生したのがRS 250。最もノーマルなタイプとなります。

    先代から受け継いだPerfoHubに加え、より高剛性なシャシーカップ+機械式LSDで「曲がるFF」をさらに深化させました。

    2011年にはブーストアップで265 PSへ強化した「265 Trophy」が登場し、ニュル北コースで8分07秒97を記録して再びFF最速へ返り咲きます。

    そして2014年、Akrapovičチタンマフラー、Öhlins車高調、Michelin Cup 2で武装した275 Trophyと、後席や4WSを削ぎ落し−約130 kgを実現した究極の275 Trophy-Rがデビュー。

    Trophy-Rはニュルを7分54秒36で駆け抜け、「#UNDER8」の公約を果たしたのでした。 

    なぜそんなに速かったのか

    独立ステアリング軸式のフロント足まわりであるPerfoHub。強い加速時でもトルクステアを抑え、フロントの舵の正確さを崩しにくい。

    Trophy系はCupシャシーを軸に、より硬い足、機械式LSD、バイマテリアルブレーキを組み合わせ、吊るしでもサーキットで通用する前輪駆動に仕立てられていました。 

    さらにTrophy-Rでは約100kgの軽量化を実施。リアシート撤去、複合素材バケットシート、遮音材の削減などで公称1280kgまで絞り込み、絶対的なパワーよりもパワーウエイトと旋回性能で速さを作ることに成功したのです。

    シャシー責任者フィリップ・メリメ

    R.S.の開発はサーキット3割、公道7割。 可変ダンパーに頼らず「理想の一点」を突き詰めるからこそ、日常でもサーキットでも矛盾しない。」 

    この哲学は3型で完成形となり、後に四輪操舵を備えた4型へ継承されます。

    主要諸元(275 Trophy-R 2014 EU仕様)

    全長/幅/高 4299×1848×1435 mm

    ホイールベース 2639 mm

    車重 1297 kg

    エンジン F4Rt型 1998 cc 直4ターボ

    最高出力 275 PS/5500 rpm

    最大トルク 360 Nm/3000 rpm

    変速機 6速MT

    タイヤ Michelin Pilot Sport Cup 2 235/35ZR19

    0-100 km/h 5.8 s

    メガーヌ3RSの小話

    • What Car?「Best Hot Hatch」 を2010-2014連続受賞。 
    • 日本では**「273 パックスポール」**(鍛造ホイール&チタンマフラー装着・20台限定)が発売、即日抽選倍率10倍超え。 
    • 公式ハッシュタグ #UNDER8 はTrophy-R発売後もR.S.ファンの合言葉に。 
  • メガーヌRS – MF4R2【ルノーがFFに与えた、むき出しの狂気】

    メガーヌRS – MF4R2【ルノーがFFに与えた、むき出しの狂気】

    ――ホットハッチに“トルクステア殺し”を持ち込んだ張本人

    Mégane II R.S. -since 2004-

    2004年、ルノー・スポールが2代目メガーヌをベースに225 PS/300 Nmの2.0 L直4ターボをねじ込み誕生したのがRS 225。

    当時のFFは強烈なトルクステアが抱えモノでしたが、RSは新開発のダブルアクシスストラット(PerfoHub)で“ハンドルが暴れない”という革命を起こします。

    翌05年に更なる足回り硬化、タイヤ空気圧モニタ廃止などを施した「Cup」パッケージが追加され、06年にはF1二連覇記念で作られた“R26”(230 PS+機械式LSD)が発売されました。

    そして、極めつけは08年のR26.R。

    助手席エアバッグもリアシートも撤去、カーボンボンネット&ポリカ窓で-123 kgのダイエットを敢行し、ニュル北で8分17秒を叩き出してFF最速を名乗り上げました。 

    開発の背景

    2000年代前半、ルノーのラインアップはBセグメントにはクリオRS(それこそクリオV6もこの時期)など刺激的なフレンチホットが揃っていましたが、CセグメントはVWゴルフGTI一強となっていました。

    そこでルノー・スポールの開発陣は「ハンドリング命」を掲げ、ステア軸を分離したダブルアクシス・ストラットを新設計。

    パワートレーンには、後にメガーヌ3RSにて魔改造を施されるF4Rtを225馬力仕様で載せ、ゴルフGTIと差別化する戦略を採りました。

    なぜメガーヌ2RSはここまで速かったのか

    まずは新開発のサスペンション「PerfoHub」。

    ステア軸をハブと分離し、ドライブシャフトのキックバックをシャットアウト。

    結果として大トルクでも舵が乱れず、ブレーキングしながらでも安定して曲がれるようになりました。

    …とは書いたものの、やはり一番は限定モデルに施された魔改造でしょう。

    Cup/R26.Rの足スプリング・スタビ径アップに加え、Brembo4ポット&バイマテリアルRotorを奢り、サーキット熱ダレを防止。

    量より質の軽量化樹脂リアウインドウやカーボンボンネットなど高い位置にある重量物を削ぎ落とすことで、低重心化を達成しながら前後重量配分まで最適化。

    その結果、R26.Rは0-100 km/hを5.9 sで駆け抜け、同世代のシビックType R(FD2)をニュルで約13秒置き去りに。RSというバッジに絶対的速さのイメージを刻みました。 

    次世代メガーヌRSに継承されるハイテク<メカ思想

    「快適性とサーキット性能はトレードオフじゃない。理想的な減衰力ポイントは一本しかないから、可変ダンパーなんか要らないんだ」 

    開発責任者フィリップ・メレメ

    この思想は後のIII・IV型にも受け継がれ、一貫して“固定ダンパー主義”を貫くRSの流儀となります。

    主要諸元(R26.R 2008 欧州仕様)

    全長/幅/高 4228×1777×1437 mm

    ホイールベース 2625 mm

    車重 1230 kg(DIN)

    エンジン F4RT型 1998 cc 直4ターボ

    最高出力 230 PS/5500 rpm

    最大トルク 310 Nm/3000 rpm

    変速機 6速MT

    タイヤ 235/40R18(標準)または225/40R18 TOYO R888

    0-100 km/h 5.9 s

    メガーヌ 2RSの小ネタ

    • 英国Evo誌では「スーパーカー以外部門で最高位」獲得。 
    • フランス憲兵隊の追跡用高速隊にも採用(Cup仕様)。
    • 生産はスペイン・パレンシア→フランス・ディエップ(アルピーヌ工場)へ輸送してR.S.化。 

    FFの新時代を作り上げたメガーヌ 2RS

    メガーヌII R.S.は「FF=妥協」だった時代を終わらせ、ホットハッチに“走りの純度”を求める流れを決定づけた張本人。

    軽さと足と賢さで勝ち取った8分17秒は、ルノー・スポールの意地とユーモアの結晶です。次世代へバトンを託した今も、この伝説は語り継がれることでしょう。