1991年に登場したFD3S型RX-7は、ロータリーエンジンを積んだピュアスポーツカーとしては事実上の最終形です。
それは単に「最後に出たから最終形」という意味ではなく、ロータリーでしかできないことを突き詰めた結果として、あの形になった。
そこに、この車の本質があります。
バブルが生んだ車ではない
FD3Sのデビューは1991年10月。バブル景気の崩壊がすでに始まっていた時期です。よく「バブル期の贅沢な車」と括られますが、実際の開発はそれよりずっと前、1980年代後半からスタートしています。企画の起点にあったのは、先代FC3Sの課題を正面から潰すことでした。
FC3Sは1985年に登場し、ターボ化されたロータリーで高い動力性能を持っていました。ただ、車重が重かった。とくにターボII(後期型)は1,300kgに迫り、ロータリーの軽さという本来の武器が薄まっていた。FDの開発チームは、まずここを根本から変えようとしています。
当時の主査である小早川隆治氏は、「軽さこそがロータリースポーツの命」という考えを繰り返し語っています。FDの車両重量は1,250kg前後。FCからの進化幅を考えると、装備が増えた時代にこの数字を実現したこと自体が、明確な設計意志の表れです。
シーケンシャルツインターボという回答
FD3Sの心臓部は13B-REW型エンジン。654cc×2ローターの13Bをベースに、世界初の量産シーケンシャルツインターボを組み合わせたユニットです。最高出力は当初255ps、最終的には自主規制上限の280psに達しています。
シーケンシャルツインターボとは、低回転域では小さいタービン1基で素早くブーストを立ち上げ、回転が上がると大きいタービンに切り替えて高回転域のパワーを稼ぐ仕組みです。ロータリーエンジンは構造上、低回転のトルクが細くなりやすい。ツインターボの採用は、その弱点を機械的に補うための設計判断でした。
ただし、この切り替えには独特の「段つき」があり、4,000〜4,500rpm付近でトルクの谷間が出ることがありました。マツダは型式ごとの改良(いわゆる1型から6型までの変遷)でこの制御を年々煮詰めていきますが、完全に消えたわけではありません。ここがFDの味であり、弱点でもある部分です。
あのボディラインの理由
FD3Sのデザインは、今見ても驚くほどまとまっています。丸みを帯びた流線型のボディは単に美しいだけでなく、空力性能を最優先した結果です。Cd値(空気抵抗係数)は0.31。1990年代初頭のスポーツカーとしては非常に優秀な数値でした。
デザインを率いたのは、当時マツダのデザイン部門にいた福田成徳氏ら。彼らが意識したのは「ワンモーションフォルム」、つまりボンネットからルーフ、リアエンドまでがひとつの流れで繋がるシルエットです。リトラクタブルヘッドライトの採用も、この流れを壊さないための選択でした。
ロータリーエンジンはレシプロに比べて圧倒的にコンパクトです。エンジン自体が小さいからフロントのオーバーハングを短くでき、ノーズを低く構えられる。FDのあのプロポーションは、ロータリーだからこそ成立したものです。ここが、この車の設計思想の核心と言っていいでしょう。
1型から6型へ、10年の熟成
FD3Sは1991年の発売から2002年の生産終了まで、約11年間にわたって販売されました。その間、大きなモデルチェンジはなく、いわゆるイヤーモデル的な改良が重ねられています。ファンの間では1型〜6型と呼ばれる区分が定着しています。
初期型(1型・2型)は軽さとシンプルさが際立ちますが、制御系がまだ粗い部分がありました。3型(1995年〜)で大幅なエンジン制御の見直しが入り、出力も255psから265psへ向上。ツインターボの切り替えもスムーズになっています。
4型以降はさらに足回りやボディ補強が進み、5型(1998年〜)で280psに到達。最終の6型(2000年〜)はスピリットRという限定モデルで幕を閉じました。スピリットRはBBS製鍛造ホイール、レカロシート、専用サスペンションなどを装備した「マツダが考えるFD3Sの完成形」です。1,500台限定で、即完売しています。
この10年間の変遷を見ると、FDは一度も根本設計を変えていません。基本骨格を信じたまま、制御と細部だけを磨き続けた。これは裏を返せば、最初の設計がそれだけ優れていたということでもあります。
同時代のライバルとの距離感
FD3Sが戦った相手は、国産で言えばNSX、スープラ(A80)、GT-R(R32〜R34)、そしてポルシェ911やコルベットといった輸入スポーツカーです。この中でFDの立ち位置は独特でした。
NSXはミッドシップのスーパーカー、GT-Rは四駆のハイテクマシン、スープラは直6ツインターボのグランドツアラー寄り。FDはそのどれとも違い、フロントミッドシップ・FR・軽量・自然吸気的なフィーリングのターボという、かなり古典的なスポーツカーの文法を守っていました。
車重1,250kgという数字は、同世代のライバルと比べて100〜300kgほど軽い。パワーウェイトレシオで見れば、280ps級の中では最も有利な部類です。直線番長ではなく、ワインディングやサーキットでの身のこなしで勝負する車でした。
なぜ終わったのか
FD3Sの生産終了は2002年8月。理由は複合的ですが、最大の要因は排出ガス規制への対応です。ロータリーエンジンは構造上、未燃焼ガスの排出が多く、年々厳しくなる規制をクリアし続けることが困難になっていました。
加えて、マツダ自体が1990年代後半に深刻な経営危機を迎えていたことも見逃せません。フォード傘下での再建が進む中、採算性の低いスポーツカーの継続は難しかった。FDの後継として2003年にRX-8(SE3P)が登場しますが、これは4ドアの実用性を持たせた全く異なるコンセプトの車です。
つまりFD3Sは、「2シーターFRのロータリーピュアスポーツ」という系譜の、正真正銘の最後のモデルです。RX-8はロータリーを積んではいましたが、FDの後継というよりは別の道を選んだ車でした。
ロータリーの到達点として
FD3Sを語るとき、どうしてもロータリーエンジンの話になります。それは当然で、この車はロータリーの長所を最大化するために設計された車だからです。エンジンが小さいからノーズが低い。軽いから車体も軽くできる。高回転まで滑らかに回るからスポーツカーとして気持ちいい。
一方で、燃費の悪さ、低回転トルクの細さ、排ガス性能の限界。ロータリーの弱点もそのまま引き受けています。FDはロータリーの光と影を、どちらも隠さずに体現した車です。
現在、FD3Sの中古車価格は高騰を続けています。とくに5型・6型やスピリットRは、程度の良い個体であれば新車価格を大きく超える値がつくことも珍しくありません。それは投機的な側面もあるでしょう。ただ、「もう二度と作れない車」に対する敬意が、その価格の底にはあるように思います。
マツダがロータリーエンジンで作り上げた最後のピュアスポーツカー。FD3Sはその事実だけで、自動車史に残る一台です。ただそれ以上に、「ロータリーだからこそこの形になった」という設計の一貫性が、この車を特別な存在にしています。

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