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  • RX-8(SE3P)の中古車ガイド【ロータリーを恐れすぎず、舐めすぎず】

    最後のロータリーエンジン搭載市販車。その肩書きだけで、RX-8に惹かれる理由としては十分です。

    9,000回転まで回るレネシスの吹け上がり、フロントミッドシップがもたらす自然なハンドリング、そして観音開きの4ドアという唯一無二のパッケージ。

    ただ、中古で手に入れようとすると「エンジンが壊れる」「維持できない」という声が必ず聞こえてきます。

    実際のところ、何がどう怖くて、何はそこまで怖がらなくてよいのか。

    そこを整理するのがこの記事の役割です。

    気合い入れて書いたので、悩んでいる人はぜひ読んでくださいね。

    まず警戒すべきは「エンジンの圧縮」、これだけは逃げられない

    RX-8の中古車選びで最初にして最大の関門は、エンジン内部の状態です。

    ロータリーエンジンは、三角形のローターの頂点にある「アペックスシール」という部品で燃焼室の気密を保っています。

    このシールが摩耗したり、カーボンが噛み込んで動きが悪くなると、圧縮が抜けてエンジンが本来の力を出せなくなります。

    圧縮が落ちた個体は、まず始動性が悪化します。特に冷間時、セルを回してもなかなかかからない。かかっても吹け上がりが鈍く、白煙が多い。

    最悪の場合、エンジンがまったくかからなくなります。こうなるとエンジンのオーバーホールか載せ替えが必要で、リビルトエンジンへの換装でも数十万円、現物修理なら100万円近くかかることも珍しくありません。

    厄介なのは、圧縮の状態は外から見てもわからないこと。マツダ純正のコンプレッションテスターでないと正確な測定ができず、ディーラーかロータリー専門店に持ち込む必要があります。

    中古車を買う前に、この計測を済ませているかどうかが最低限の判断ラインです。

    メンテナンスが行き届いた個体なら10万km以上持つ例もありますが、オイル管理がずさんだった個体では5万km前後で圧縮が落ちる報告もあります。

    つまり走行距離だけでは判断できない。前オーナーのオイル交換履歴が追えるかどうかが、この車では決定的に重要です。

    エンジン以外にも「RX-8ならでは」のトラブルがある

    パワーウィンドウのギア破損は、RX-8オーナーの多くが一度は経験するトラブルです。窓を閉めようとするとガガガと異音がして途中で止まる、あるいはまったく上がらなくなる。

    原因はモーター内部の樹脂製ギアが欠けること。走行不能にはなりませんが、窓が閉まらないまま雨が降ったり、コインパーキングで精算機に手が届かなかったりと、日常の不便さは相当です。ディーラーでモーターごと交換すると2〜3万円程度。

    DIYで補修ギアだけ交換すれば2,000円ほどで済みますが、前期・後期問わず発生するので、購入前に全席の窓を上下させて確認しておくべきです。

    助手席ダッシュボードのひび割れも、この車の有名な持病です。

    助手席エアバッグカバーの樹脂が経年で劣化し、見るも無残にバキバキに割れます。

    走行に影響はありませんが、助手席に座った人の目の前がひび割れだらけというのは、中古車としての印象を確実に悪くします。

    前期型はカバー単体で純正部品が入手でき、部品代は2万5千円前後。ただし後期型はエアバッグと一体構造のため、交換費用が跳ね上がる可能性があります。

    電動パワステの不具合も見逃せません。

    チェックランプが点灯して操舵が重くなる症状が報告されています。電動式のためリビルト品のオーバーホールが難しく、中古部品も高走行のものしか出回らないため、修理の選択肢が限られます。パワステが重くなった状態で売りに出されている個体もあるので、試乗時にハンドルの重さや警告灯は必ず確認してください。

    エアコンのコンプレッサーは、特に夏場に焼付きや異音の報告が多い部位です。

    ロータリーエンジンの発熱量が大きいぶん、エンジンルーム内の補機類への熱害は避けられません。コンプレッサーが壊れると、それだけ交換すれば済む話ではなく、配管内の異物除去やレシーバーの同時交換が必要になることが多く、修理費は10万円を超えることもあります。

    ラジエーターの樹脂タンク部分からの冷却水漏れは、特に前期型で頻度が高い症状です。

    アッパータンクの接合部や樹脂部分に亀裂が入り、走行中に圧がかかると冷却水が吹き出します。エンジンに付着すると独特の焼けた匂いがするので、気づいたときにはかなり進行していることも。

    ロータリーエンジンは水温が高めに設定されているため、冷却系のトラブルはオーバーヒートに直結しやすく、放置するとエンジンブローの引き金になります。

    ラジエーター交換は社外品でも部品代2〜3万円、工賃込みで5万円以上を覚悟する必要があります。

    イグニッションコイルと点火プラグの劣化も、始動不良やエンジン不調の原因になります。ロータリーエンジンは点火系への負担が大きく、レシプロエンジンよりも交換頻度が高くなりがちです。ただし、これは消耗品として割り切れる範囲で、車検ごとにプラグを交換しているオーナーも多いです。問題は、前オーナーがこれを怠っていた場合。プラグがかぶって始動できなくなる「かぶり」は、RX-8では日常的に起こりうるトラブルです。

    そのほか、室内のガタピシ音リアドアガラスのロック部分の塗装剥がれ電動ファンの片側不動燃料計の不動といった細かい電装系トラブルも報告されています。一つひとつは致命的ではありませんが、複数重なると「この車、大丈夫か?」という不安に変わります。

    逆にここは強い——シャシーとボディの素性

    弱点ばかり並べましたが、RX-8には「ここは本当に強い」と言える部分があります。それはシャシーとボディの基本設計です。

    フロントがダブルウィッシュボーン、リアがマルチリンクという足回りの構成は、この価格帯のスポーツカーとしては贅沢な設計です。

    フロントミッドシップレイアウトによる前後重量配分の良さも相まって、ハンドリングの素直さは同世代のFRスポーツの中でもトップクラス。曲がる・止まるのバランスが高い次元でまとまっており、この美点は経年で大きく失われるものではありません。

    ボディ剛性も、特に後期型では板厚の増加やメンバーの溶接追加などで強化されています。前期型でも、サーキットユースに耐えるだけの基本剛性は確保されており、14万km以上走ってもシャシー起因のトラブルがないという長期オーナーの声もあります。

    観音開きのフリースタイルドアも、構造的な弱さはあまり聞きません。ヒンジのガタやドアの建付け不良は、この車種では目立った持病にはなっていません。ドア自体がアルミ製で軽量化されていることも、ヒンジへの負担を抑えている要因でしょう。

    また、マツダが純正リビルトエンジンを用意していたこと、そして純正部品の供給が比較的続いていることも安心材料です。中古部品の流通もそこそこあり、希少車ゆえに部品が手に入らないという状況にはまだなっていません。

    現車確認で見るべきポイント

    まず最優先は圧縮測定です。購入前にマツダディーラーかロータリー専門店で測定してもらい、限度値を下回っていないか確認してください。数値が基準ギリギリの個体は、購入後すぐにOHが必要になるリスクがあります。

    次に冷間始動の確認。

    できれば朝一番のエンジンスタートに立ち会いたい。一発でかかるか、何度もクランキングが必要か。始動後のアイドリングが安定しているか。排気の白煙が異常に多くないか。これらはすべてが圧縮状態の大事なバロメーターです。

    助手席ダッシュボードのひび割れは目視で一発でわかります。割れていれば交渉材料にもなりますし、すでに交換済みかどうかも確認しましょう。

    全席のパワーウィンドウを上下させてみてください。異音がないか、途中で止まらないか。特に運転席側は使用頻度が高いぶん壊れやすい傾向があります。

    エアコンの効きは、夏場でなくても確認できます。コンプレッサーが回ったときに異音がしないか、冷風がちゃんと出るかをチェック。

    パワステの警告灯が点灯していないか、ハンドルを据え切りしたときに異常な重さがないかも確認ポイントです。

    最後に、整備記録簿の有無。RX-8はオイル管理の履歴が追えるかどうかで個体の信頼性がまったく変わります。記録簿がない個体は、それだけでリスクが一段上がると考えてください。

    なお、カスタム車両が多いのもRX-8の特徴です。社外マフラーの認証の有無、車高の最低地上高、ヘッドライトの保安基準適合など、車検に通る状態かどうかは購入前に必ず確認しましょう。純正部品に戻そうとしても、中古部品の流通が潤沢とは言い切れないため、戻すコストも考慮が必要です。

    前期と後期、どちらを選ぶか

    RX-8は2008年3月のマイナーチェンジを境に、前期型と後期型に大きく分かれます。この違いは、単なる見た目の変更にとどまりません。

    後期型では、エンジンにノックセンサーの増設、オイルクーラーのツイン化、電磁式メタリングオイルポンプの採用など、ロータリーエンジンの弱点を潰す改良が多数入っています。6速MTのギア比も見直され、常用域での加速感が向上しました。シャシーも、サスタワーやホイールエプロンの板厚アップ、台形ストラットタワーバーの採用など、剛性面で確実に進化しています。

    一方、前期型は価格が安く、弾数も多い。カスタムパーツの適合も広く、サーキットユースで割り切るなら前期型の安い個体を買って浮いた予算をメンテナンスに回すという選択も合理的です。ただし、前期型は冷却系やエンジン制御の初期設計のまま出荷された個体が多く、圧縮低下やオーバーヒートのリスクは後期型より高めです。

    故障や維持費を気にするなら後期型、とりわけ2009年以降の最終型が安心度は高いです。最終特別仕様車のスピリットRは精度が高く、エンジンの始動性やアイドリングの安定感が別格という声もあります。ただし価格は高め。予算と覚悟のバランスで選ぶことになります。

    結局、RX-8の中古は買いなのか

    結論から言えば、条件付きでなら買いです。

    条件とは、「圧縮が健全な個体を選べること」「ロータリーエンジンの特性を理解してメンテナンスを続ける意思があること」「万が一のエンジンOHに備えて数十万円の予備費を持てること」。

    この3つを満たせる人にとって、RX-8は今なお唯一無二の体験を提供してくれる車です。

    9,000回転まで淀みなく回るNA(自然吸気)ロータリーの感覚は、他のどんなエンジンでも代替できません。

    4人乗れて、荷物も積めて、サーキットでも街乗りでも楽しい。このパッケージは、もう二度と新車では手に入りません。

    手を出してよい人は、車にある程度の手間とお金をかけることを「コスト」ではなく「趣味の一部」として楽しめる人。

    信頼できるロータリー専門店やディーラーとの付き合いを持てる人。

    逆にやめた方がよい人は、車は動いて当たり前と考える人、突発的な修理費に対応できない人、そしてオイル交換の頻度を面倒だと感じる人です。

    RX-8は、放っておけば壊れる車です。

    でも、手をかければちゃんと応えてくれる車でもあります。

    ロータリーエンジンの最後の灯を、自分の手で維持していく覚悟があるなら。

    この車は、その覚悟に見合うだけの走りと、たくさんの思い出を返してくれるでしょう。

  • ロードスター(NC)の中古車ガイド【歴代で一番お買い得、だからこそ知っておくべきこと】

    歴代ロードスターのなかで、いちばん地味に見られがちなのがこのNC型です。

    初代NAのアイコン性もなければ、現行NDの軽さもない。「大きくなった」「重くなった」と言われ続けてきた3代目。

    でも、だからこそいま中古市場では歴代で最もお買い得な世代でもあります。

    2005年から2015年まで約10年間つくられたロングセラーで、途中NC1・NC2・NC3と3回の大きな改良を受けています。

    2リッター自然吸気エンジンの余裕あるトルク、RX-8譲りの高剛性シャシー、そして電動ハードトップ(RHT)という選択肢。

    実はかなり「使える」オープンスポーツです。

    ただ、最初期のNC1はすでに20年選手。中古で買うなら、知っておくべき弱点がいくつかあります。

    重大故障だけでなく、小さいけれど印象の悪い不具合も含めて、ここで整理しておきましょう。

    まず警戒すべきは「水まわり」と「冷却系」

    NCロードスターの中古で最初に気にしてほしいのは、幌車(ソフトトップ)の排水ドレンの詰まりです。

    幌に降った雨水は、車体側面の排水経路を通って車外に流れる設計になっています。ところがこの排水口にある逆流防止弁が、ほこりや砂で詰まりやすい。

    詰まると水がキャビンやトランクに逆流して、室内がびしょ濡れになります。

    初期型では特にこの弁の構造が弱く、マツダから対策品が出ています。

    ただ、中古車では未交換のまま流通している個体もあるため、購入前にトランクのマットをめくって湿り気がないか、その下に錆が出ていないかを確認するのが鉄則です。

    一度水が溜まった車両は、フロア下やヒューズボックス周辺まで錆が進行していることもあり、見た目がきれいでも油断できません。

    もうひとつ、NC固有で頻度が高いのが電動ファンモーターの故障です。

    ラジエーターを冷やすための電動ファンが動かなくなると、渋滞時や低速走行時にエンジンの冷却が追いつかず、水温がどんどん上がります。

    最悪の場合、オーバーヒートにつながる重大トラブルです。

    前兆としては、水温計がいつもより高い位置で安定する、停車時にファンの回転音が聞こえないといった症状があります。修理費は部品代と工賃あわせて6万円前後が目安。

    走行不能に直結しうるトラブルなので、購入後に点検しておきたい部位です。

    小さいが印象を悪くしやすい不具合たち

    NC型で意外と話題になるのが、6速MTのシフトの渋さです。

    とくに冷間時の2速が入りにくいという声は、新車時から多くのオーナーが口にしています。シンクロが弱いわけではなく、レリーズシリンダーまわりの問題が指摘されており、後に対策品も出ています。

    日常的に困るかというと、慣れてしまえばそこまでではありません。ただ、試乗時に「このミッション大丈夫か?」と不安になる人は多いでしょう。ミッションオイルを100%化学合成の少し硬めのものに交換すると改善するという声もあります。中古で買うなら必ず試乗して、シフトフィールを確認してください。

    次に、シートベルトの巻き取り不良。ベルトを外したあと、だらりと垂れ下がったまま戻らなくなる症状です。走行には直接関係しませんが、乗り降りのたびに気になりますし、見た目の印象も悪い。部品交換で直りますが、しばらくすると再発することもあるようで、地味にストレスが溜まる不具合です。

    エアコンのコンプレッサー故障も、年式を考えると避けて通れない話題です。

    夏場に焼き付きやガラガラ異音が出るケースが報告されています。コンプレッサー単体の交換では済まず、内部の削りカスがシステム全体に回ると、コンデンサーや配管の洗浄・交換まで必要になり、修理費が10万〜20万円に膨らむこともあります。オープンカーでエアコンが効かないのは致命的なので、購入前にエアコンの動作確認は必須です。

    パワーウインドウの不具合も歴代ロードスター共通の弱点ですが、NCでも健在です。ドア内部に水分が侵入しやすい構造のため、レギュレーターやモーターが錆びたり劣化したりして、窓が動かなくなることがあります。片側で2〜3万円程度の修理費ですが、オープンカーで窓が閉まらないのは相当困ります。

    幌車の場合は、幌そのものの劣化にも注意が必要です。

    折り畳み部分の接着剤が染み出してシミになったり、生地がほつれたり、縮んでウェザーストリップとの密着が甘くなって雨漏りにつながることもあります。

    張り替えは工賃込みで10万円以上かかるのが一般的。屋外保管だった個体は劣化が早い傾向があります。

    逆に、ここはかなり強い

    弱点ばかり並べましたが、NCロードスターには安心材料もしっかりあります。まずエンジンの基本信頼性が高い

    搭載されるLF-VE型2リッターエンジンは、アクセラなど他のマツダ車と基本設計を共有する量産ユニットです。タイミングベルトではなくタイミングチェーンを採用しているため、10万キロごとの交換が不要。20万キロ超えてもチェーン交換なしで走っているオーナーもいます。

    エンジン本体が壊れたという話はほとんど聞きません。適切にオイル管理をしていれば、機関系で大きなトラブルに見舞われるリスクは低いと考えてよいでしょう。

    シャシーとボディの剛性も、NCの美点です。RX-8とプラットフォームを共有し、アルミ素材を広範囲に使った設計で、オープンボディとは思えないしっかり感があります。10年以上経っても「ボディがヤレた」という声が少ないのは、この基本設計の良さによるところが大きいです。

    RHTモデルを選べば、幌の劣化・雨漏りリスクから解放されるのも大きな安心材料です。電動ハードトップの重量増は約40kg程度に抑えられており、走りへの影響は最小限。トランクスペースも犠牲にならない設計で、日常の使い勝手もソフトトップ車と変わりません。

    さらに、NCは歴代ロードスターのなかで中古部品の流通が少ないという事情があります。裏を返せば、事故車や解体車が少ないということ。大切に乗られてきた個体が多い傾向にあるとも言えます。ただし、万が一の板金修理やパーツ交換では部品探しに苦労する可能性があるので、ぶつけない運転を心がけたいところです。

    現車確認で見るべきポイント

    まず幌車なら排水ドレンの状態。トランクマット下、シート下に湿りや錆がないかを確認します。対策品のドレンバルブに交換済みかどうかも、できれば聞いておきましょう。

    エアコンは必ず最大冷房で動作確認してください。コンプレッサーから異音がないか、しっかり冷えるかをチェック。夏場に壊れてからでは修理費が高くつきます。

    MT車なら冷間時のシフトフィールを確認。とくに1速から2速へのシフトアップがスムーズに入るかどうか。渋さが極端なら、レリーズシリンダーやミッションオイルの状態を疑ってください。

    RHTモデルの場合は、ルーフの開閉動作を必ず実演してもらいましょう。途中で止まったり異音がする場合、内部のギア欠損などが考えられます。RHTの修理は部品単価が高く、在庫も潤沢とは言えないため、ここは妥協しないほうがいいです。

    パワーウインドウの上下動作、水温計の挙動、ヘッドライトの曇り具合もあわせて確認。とくにヘッドライトの黄ばみ・曇りは年式相応に出やすく、見た目の印象を大きく左右します。

    NC1の初期型(2005〜2007年前半)とそれ以降では、フロア内部への発泡ウレタン注入による剛性強化など細かい改良が入っています。車台番号の頭が「15」で始まる個体は通称NC1.5と呼ばれ、初期型より改良が進んでいます。予算が許すなら、NC1.5以降を狙うのがひとつの目安です。

    NC1・NC2・NC3、どれを狙うか

    NCロードスターは大きくNC1(前期・2005〜2008年)、NC2(中期・2008〜2012年)、NC3(後期・2012〜2015年)に分かれます。走りの面で最も大きな進化があったのはNC2です。

    NC2ではエンジンに鍛造クランクシャフトが採用され、レブリミットが7,000rpmから7,500rpmに引き上げられました。フロントサスペンションのロールセンター高も26mm下げられ、ハンドリングのリニアリティが向上。内装の質感も改善されています。走りを重視するなら、NC2以降を強くおすすめします。

    NC3はNC2からの小変更が中心で、スロットルやブレーキの制御特性の見直し、歩行者保護のためのアクティブボンネット搭載などが主な変更点です。NC2とNC3の走りの差は、乗り比べてもわかりにくいレベルという声が多く、デザインの好みで選んでも問題ありません。

    NC1は価格が最もこなれていますが、年式なりの経年劣化リスクも高くなります。とくに初期型は排水ドレンの未対策品が残っている可能性や、各部ゴム類の硬化が進んでいることを覚悟してください。安さに飛びつく前に、整備履歴の確認が重要です。

    結局、NCロードスターは買いなのか

    結論から言えば、NCロードスターはかなり買いです。

    歴代ロードスターのなかで最も不人気とされてきたおかげで、中古価格は割安。それでいて2リッターエンジンの余裕ある走り、高剛性シャシーによる安定感、RHTという実用的な選択肢まで揃っています。

    エンジンの基本信頼性は高く、タイミングチェーン採用で大物の予防交換もほぼ不要。「スポーツカーなのに壊れにくい」という、ある意味で贅沢な立ち位置にいます。

    ただし、排水ドレンの詰まりや電動ファンの故障、エアコンコンプレッサーの劣化など、年式なりに出てくる弱点は確実にあります。6MTのシフトの渋さやシートベルトの巻き取り不良のような「小さいけど気になる」不具合も、知らずに買うと印象が悪くなりがちです。

    この車に手を出してよいのは、購入後にある程度の整備費用をかける覚悟がある人。そして、弱点の面倒を見られる人です。逆に、買ったらしばらくノーメンテで乗りたい人や、小さな不具合でも気持ちが萎えてしまう人には向きません。

    NAやNBの価格が高騰し、NDの中古もまだ値が張るいま、NCは「ロードスターという体験」に最もコスパよくアクセスできる入口です。オープンにして走ったときの気持ちよさは、世代を問わずロードスターそのもの。その本質を、いちばん手の届きやすい価格で味わえるのがNCという存在です。

    迷っているなら、まずは現車を見に行ってください。

    屋根を開けて走れば、細かい弱点のことなど気にならなくなる——とまでは言いませんが、「これは自分で面倒を見たい車だ」と思えたなら、きっと後悔はしません。

    あ、試乗でオープンにすると買って帰ってしまうのでご注意を。

  • RX-7 – FC3S【異形の心臓が初めて本気で研ぎ澄まされた】

    RX-7 – FC3S【異形の心臓が初めて本気で研ぎ澄まされた】

    ロータリーエンジンを積んだマツダのスポーツカー、と聞くと、多くの人はFD3Sを思い浮かべるかもしれません。

    でも、ロータリースポーツが「本物のスポーツカー」として世界に認められる流れを決定的にしたのは、その一世代前のFC3Sです。

    1985年に登場したこのクルマは、見た目も中身も、それまでのRX-7とはまるで違いました。

    SAからFCへ──何が変わったのか

    FC3Sの先代にあたるのが、SA22C型の初代RX-7です。1978年に登場した初代は、軽量なロータリーエンジンをフロントミッドに搭載し、リトラクタブルヘッドライトを備えたウェッジシェイプのクーペでした。コンパクトで軽く、価格も手頃。アメリカ市場では爆発的に売れました。

    ただ、初代はあくまで「ライトウェイトスポーツ」の延長線上にいたクルマです。ポルシェ924あたりが仮想敵と言われましたが、実態としてはもう少しカジュアルな存在でした。パワーも控えめで、足回りもリアがリジッドアクスル。楽しいけれど、本格的なスポーツカーかと問われると少し言葉を選ぶ、そういうポジションだったわけです。

    FC3Sは、その立ち位置を明確に引き上げるために生まれました。マツダが狙ったのは、ポルシェ944と正面から張り合えるグランドツーリングスポーツ。つまり、速さだけでなく、質感と快適性も含めた「スポーツカーとしての格」を一段上げることが、開発の根幹にあったのです。

    ターボ化という必然

    FC3Sの心臓部は、13B型ロータリーエンジンにターボチャージャーを組み合わせた13B-Tです。排気量654cc×2ローターという構成は先代から引き継いでいますが、ターボの追加によって出力は大幅に向上しました。国内仕様で185馬力、後期型では205馬力に達しています。

    なぜターボだったのか。理由はシンプルで、ロータリーエンジンの弱点を補うためです。ロータリーは高回転でスムーズに回る美点がある一方、低中回転域のトルクが薄いという構造的な課題を抱えていました。ターボはその谷間を埋めるのに最も合理的な手段だったわけです。

    加えて、1980年代半ばは日本車全体が「ハイパワー競争」に突入していた時期でもあります。日産はZ31フェアレディZにターボを載せ、トヨタはスープラを進化させていた。マツダがロータリーの自然吸気だけで勝負するには、時代の空気が許さなくなっていたのです。

    シャシーの革新が本質

    FC3Sの進化を語るとき、エンジンばかりに目が行きがちですが、実はもっと大きな変化はシャシー側にあります。リアサスペンションが、先代のリジッドアクスルから独立懸架式(セミトレーリングアーム)に変わりました。これは走りの質を根本から変える設計変更です。

    リジッドアクスルは構造がシンプルでコストも安いのですが、左右の車輪が一本の軸でつながっているため、片側の入力がもう片側に影響します。コーナリング中の姿勢制御に限界がある。独立懸架にすることで、各輪が独立して路面に追従するようになり、旋回時の安定性と接地感が格段に向上しました。

    フロントにはストラット式を採用し、全体としてスポーツカーらしい足回りの骨格が整いました。当時の開発陣が「ポルシェ944を超える」と公言していたのは、このシャシー性能への自信があったからです。実際、欧米のメディアからも足回りの出来は高く評価されました。

    ボディ剛性も先代から大幅に強化されています。ホイールベースは2,430mmで、先代より若干伸びました。車重は約1,200〜1,300kg台。ロータリーの軽さを活かしつつ、剛性と快適性を確保するバランスが慎重に取られています。

    デザインと時代の空気

    FC3Sのエクステリアは、先代のシャープなウェッジシェイプから一転して、丸みを帯びた流麗なラインに変わりました。リトラクタブルヘッドライトは継承しつつ、全体のフォルムはよりグラマラスに、より「高級スポーツカー」然とした雰囲気になっています。

    この方向転換には理由があります。1980年代半ばのスポーツカー市場では、直線的なデザインから曲面を活かしたデザインへの移行が世界的に進んでいました。空力性能への意識が高まり、Cd値(空気抵抗係数)の低減が商品力に直結する時代です。FC3Sのデザインは、その潮流をしっかり捉えたものでした。

    インテリアも質感が引き上げられています。先代が「スポーティな実用車」の延長にあったのに対し、FC3Sは明確に「スポーツカーの室内」として設計されました。ドライバーを中心に据えたコックピット設計は、後のFD3Sにも受け継がれる思想の出発点です。

    カブリオレと∞(アンフィニ)

    FC3Sの展開で見逃せないのが、バリエーションの広がりです。1987年にはカブリオレ(コンバーチブル)が追加されました。RX-7にオープンモデルが設定されたのはこれが初めてで、特に北米市場では好評を博しています。

    そしてもうひとつ、国内向けの特別な存在がアンフィニ(∞)シリーズです。専用のサスペンションセッティング、ビスカスLSD、レカロシート、BBS製ホイールなどを装備した上級スポーツグレードで、FC3Sの走行性能を限界まで引き出す仕様でした。後期型のアンフィニIIIやIVは、今でもコレクターズアイテムとしての価値が高いモデルです。

    こうした多彩な展開ができたのは、FC3Sの基本設計に余裕があったからでしょう。ベースがしっかりしていたからこそ、カブリオレのような構造変更にも、アンフィニのような走りの深掘りにも対応できた。プラットフォームの懐の深さが、FC3Sの商品寿命を支えたと言えます。

    限界と、次への布石

    もちろん、FC3Sにも弱点はありました。最も根本的なのは、ロータリーエンジンの燃費です。13B-Tは回せば気持ちいいエンジンですが、燃料消費は同クラスのレシプロエンジンと比べて明らかに多い。日常使いのグランドツーリングカーを標榜しながら、燃費がそれを阻むという矛盾は、常につきまとっていました。

    また、ターボ化によってパワーは得たものの、初期型ではターボラグが顕著で、アクセルレスポンスにやや難がありました。後期型でツインスクロールターボに改良されて改善はされましたが、NAロータリーの自然なレスポンスを好むドライバーからは賛否が分かれた部分です。

    車重の増加も指摘されました。先代SA22Cが約1,000kgだったのに対し、FC3Sは装備の充実と剛性強化の代償として200〜300kg重くなっています。軽さこそロータリーの武器だったはずなのに、という声は当時からあったのです。

    しかし、これらの課題はすべて、次世代のFD3Sで回答が用意されることになります。シーケンシャルツインターボによるターボラグの解消、軽量化への回帰、そして究極のデザイン。FC3Sが示した方向性と、FC3Sが残した課題の両方が、FD3Sという傑作を生む土壌になったわけです。

    ロータリースポーツの「文法」を作ったクルマ

    FC3Sの存在意義を一言でまとめるなら、「ロータリーエンジン搭載車をスポーツカーとして成立させるための文法を確立したクルマ」です。

    初代SA22Cは、ロータリーの可能性を示した実験的成功作でした。FD3Sは、その到達点を極限まで研ぎ澄ませた芸術品です。では、FC3Sは何だったのか。それは、実験と完成の間にある「設計思想の確立」を担った世代です。

    独立懸架の足回り、ターボとの組み合わせ、ドライバー中心のコックピット設計、グランドツーリングカーとしての格の追求。これらはすべて、FC3Sで初めて形になったものです。FD3Sが名車として語り継がれるのは、FC3Sがその基盤を作ったからにほかなりません。

    派手さではFDに譲るかもしれません。でも、ロータリースポーツの骨格を決めたのは、間違いなくこのFC3Sです。1985年、マツダはこのクルマで「ロータリーのスポーツカー」を本当の意味で完成させました。

  • RX-7 – FD3S【ロータリーという幻想が、最も艶やかに咲いた瞬間】

    RX-7 – FD3S【ロータリーという幻想が、最も艶やかに咲いた瞬間】

    1991年に登場したFD3S型RX-7は、ロータリーエンジンを積んだピュアスポーツカーとしては事実上の最終形です。

    それは単に「最後に出たから最終形」という意味ではなく、ロータリーでしかできないことを突き詰めた結果として、あの形になった。

    そこに、この車の本質があります。

    バブルが生んだ車ではない

    FD3Sのデビューは1991年10月。バブル景気の崩壊がすでに始まっていた時期です。よく「バブル期の贅沢な車」と括られますが、実際の開発はそれよりずっと前、1980年代後半からスタートしています。企画の起点にあったのは、先代FC3Sの課題を正面から潰すことでした。

    FC3Sは1985年に登場し、ターボ化されたロータリーで高い動力性能を持っていました。ただ、車重が重かった。とくにターボII(後期型)は1,300kgに迫り、ロータリーの軽さという本来の武器が薄まっていた。FDの開発チームは、まずここを根本から変えようとしています。

    当時の主査である小早川隆治氏は、「軽さこそがロータリースポーツの命」という考えを繰り返し語っています。FDの車両重量は1,250kg前後。FCからの進化幅を考えると、装備が増えた時代にこの数字を実現したこと自体が、明確な設計意志の表れです。

    シーケンシャルツインターボという回答

    FD3Sの心臓部は13B-REW型エンジン。654cc×2ローターの13Bをベースに、世界初の量産シーケンシャルツインターボを組み合わせたユニットです。最高出力は当初255ps、最終的には自主規制上限の280psに達しています。

    シーケンシャルツインターボとは、低回転域では小さいタービン1基で素早くブーストを立ち上げ、回転が上がると大きいタービンに切り替えて高回転域のパワーを稼ぐ仕組みです。ロータリーエンジンは構造上、低回転のトルクが細くなりやすい。ツインターボの採用は、その弱点を機械的に補うための設計判断でした。

    ただし、この切り替えには独特の「段つき」があり、4,000〜4,500rpm付近でトルクの谷間が出ることがありました。マツダは型式ごとの改良(いわゆる1型から6型までの変遷)でこの制御を年々煮詰めていきますが、完全に消えたわけではありません。ここがFDの味であり、弱点でもある部分です。

    あのボディラインの理由

    FD3Sのデザインは、今見ても驚くほどまとまっています。丸みを帯びた流線型のボディは単に美しいだけでなく、空力性能を最優先した結果です。Cd値(空気抵抗係数)は0.31。1990年代初頭のスポーツカーとしては非常に優秀な数値でした。

    デザインを率いたのは、当時マツダのデザイン部門にいた福田成徳氏ら。彼らが意識したのは「ワンモーションフォルム」、つまりボンネットからルーフ、リアエンドまでがひとつの流れで繋がるシルエットです。リトラクタブルヘッドライトの採用も、この流れを壊さないための選択でした。

    ロータリーエンジンはレシプロに比べて圧倒的にコンパクトです。エンジン自体が小さいからフロントのオーバーハングを短くでき、ノーズを低く構えられる。FDのあのプロポーションは、ロータリーだからこそ成立したものです。ここが、この車の設計思想の核心と言っていいでしょう。

    1型から6型へ、10年の熟成

    FD3Sは1991年の発売から2002年の生産終了まで、約11年間にわたって販売されました。その間、大きなモデルチェンジはなく、いわゆるイヤーモデル的な改良が重ねられています。ファンの間では1型〜6型と呼ばれる区分が定着しています。

    初期型(1型・2型)は軽さとシンプルさが際立ちますが、制御系がまだ粗い部分がありました。3型(1995年〜)で大幅なエンジン制御の見直しが入り、出力も255psから265psへ向上。ツインターボの切り替えもスムーズになっています。

    4型以降はさらに足回りやボディ補強が進み、5型(1998年〜)で280psに到達。最終の6型(2000年〜)はスピリットRという限定モデルで幕を閉じました。スピリットRはBBS製鍛造ホイール、レカロシート、専用サスペンションなどを装備した「マツダが考えるFD3Sの完成形」です。1,500台限定で、即完売しています。

    この10年間の変遷を見ると、FDは一度も根本設計を変えていません。基本骨格を信じたまま、制御と細部だけを磨き続けた。これは裏を返せば、最初の設計がそれだけ優れていたということでもあります。

    同時代のライバルとの距離感

    FD3Sが戦った相手は、国産で言えばNSX、スープラ(A80)、GT-R(R32〜R34)、そしてポルシェ911やコルベットといった輸入スポーツカーです。この中でFDの立ち位置は独特でした。

    NSXはミッドシップのスーパーカー、GT-Rは四駆のハイテクマシン、スープラは直6ツインターボのグランドツアラー寄り。FDはそのどれとも違い、フロントミッドシップ・FR・軽量・自然吸気的なフィーリングのターボという、かなり古典的なスポーツカーの文法を守っていました。

    車重1,250kgという数字は、同世代のライバルと比べて100〜300kgほど軽い。パワーウェイトレシオで見れば、280ps級の中では最も有利な部類です。直線番長ではなく、ワインディングやサーキットでの身のこなしで勝負する車でした。

    なぜ終わったのか

    FD3Sの生産終了は2002年8月。理由は複合的ですが、最大の要因は排出ガス規制への対応です。ロータリーエンジンは構造上、未燃焼ガスの排出が多く、年々厳しくなる規制をクリアし続けることが困難になっていました。

    加えて、マツダ自体が1990年代後半に深刻な経営危機を迎えていたことも見逃せません。フォード傘下での再建が進む中、採算性の低いスポーツカーの継続は難しかった。FDの後継として2003年にRX-8(SE3P)が登場しますが、これは4ドアの実用性を持たせた全く異なるコンセプトの車です。

    つまりFD3Sは、「2シーターFRのロータリーピュアスポーツ」という系譜の、正真正銘の最後のモデルです。RX-8はロータリーを積んではいましたが、FDの後継というよりは別の道を選んだ車でした。

    ロータリーの到達点として

    FD3Sを語るとき、どうしてもロータリーエンジンの話になります。それは当然で、この車はロータリーの長所を最大化するために設計された車だからです。エンジンが小さいからノーズが低い。軽いから車体も軽くできる。高回転まで滑らかに回るからスポーツカーとして気持ちいい。

    一方で、燃費の悪さ、低回転トルクの細さ、排ガス性能の限界。ロータリーの弱点もそのまま引き受けています。FDはロータリーの光と影を、どちらも隠さずに体現した車です。

    現在、FD3Sの中古車価格は高騰を続けています。とくに5型・6型やスピリットRは、程度の良い個体であれば新車価格を大きく超える値がつくことも珍しくありません。それは投機的な側面もあるでしょう。ただ、「もう二度と作れない車」に対する敬意が、その価格の底にはあるように思います。

    マツダがロータリーエンジンで作り上げた最後のピュアスポーツカー。FD3Sはその事実だけで、自動車史に残る一台です。ただそれ以上に、「ロータリーだからこそこの形になった」という設計の一貫性が、この車を特別な存在にしています。

  • RX-8 – SE3P【最後のロータリーが選んだ、異端の正解】

    RX-8 – SE3P【最後のロータリーが選んだ、異端の正解】

    ロータリーエンジンを積んだ最後の量産スポーツカー。その称号を持つのが、マツダRX-8(SE3P)です。

    ただ、この車を「RX-7の後継」と呼ぶと、だいぶ話がねじれます。ターボを捨て、2ドアを捨て、リトラクタブルライトも捨てた。代わりに手に入れたのは、観音開きの4ドアと、自然吸気のロータリー。スポーツカーとして見ると、かなり異端です。

    でもこの異端さにこそ、2000年代のマツダが抱えていた切実な事情と、それでもロータリーを残したいという執念が詰まっているのです。

    RX-7の後継ではない、という前提

    RX-8が登場したのは2003年。先代にあたるRX-7(FD3S)は2002年に生産を終了しています。時系列だけ見ると後継車のように見えますが、マツダ自身はRX-8をRX-7の後継とは位置づけていません。

    FD3Sは280馬力の13Bツインターボを積んだ、正真正銘のピュアスポーツでした。しかし2000年前後のマツダは、フォード傘下で経営再建の真っ只中にあります。

    販売台数が見込めないピュアスポーツをもう一台作る体力は、率直に言ってなかった。

    一方で、ロータリーエンジンはマツダにとって単なるパワートレインではありません。ブランドの象徴であり、技術者たちの精神的な支柱でもある。ロータリーを載せた車を「ゼロ」にするわけにはいかない。

    この二律背反が、RX-8という車の出発点です。

    「4人乗れるスポーツカー」という企画の必然

    RX-8の開発コンセプトは、当時の開発主査・貴島孝雄氏の言葉を借りれば「4人がちゃんと乗れるスポーツカー」でした。これは妥協ではなく、戦略です。ピュアスポーツでは台数が出ない。でもロータリーは載せたい。ならば、日常使いの間口を広げることで販売台数を確保し、ロータリーの存続を正当化する。そういう構造です。

    この企画を実現するために選ばれたのが、フリースタイルドアと呼ばれる観音開きの4ドアでした。Bピラーをドアに内蔵し、前後ドアを順番に開けることで広い開口部を確保する仕組みです。後席へのアクセスは2ドアクーペとは比較にならないほど良く、それでいて外観は限りなくクーペに近い。

    奇抜に見えるこの構造ですが、じつは非常にロジカルな解です。4ドアセダンにすれば後席は楽になりますが、スポーツカーとしてのスタイリングが死ぬ。2ドアのままでは「RX-7と何が違うのか」という問いに答えられない。観音開きは、その両方を同時に解決する唯一の方法だったわけです。

    NAロータリーという割り切り

    エンジンは新開発の13B-MSP(RENESIS)。排気量654cc×2ローターという基本はRX-7の13B-REWと同じですが、最大の違いはターボを持たない自然吸気であることです。最高出力は6速MT仕様で250馬力、4速AT仕様で210馬力。FD3Sの280馬力と比べれば、数字だけ見ると物足りなく映ります。

    しかしRENESISの本質は、出力の大きさではありません。このエンジンの最大の革新は、排気ポートをサイドハウジングに移設したサイドポート排気にあります。従来のペリフェラルポート(ローターハウジング外周に排気ポートがある方式)では、未燃焼ガスが排出されやすく、排ガス規制への対応が年々厳しくなっていました。

    サイドポート排気によって燃焼効率が改善され、排ガス性能は劇的に向上します。RENESISは、ロータリーエンジンとして世界で初めて当時の欧州排ガス規制(Euro 4相当)をクリアしました。つまりこのエンジンは、「速さのため」ではなく「ロータリーを21世紀に存続させるため」に設計されたものです。

    その代わり、高回転まで気持ちよく回るNAロータリーの味わいは格別でした。9,000rpmまで一気に吹け上がるフィーリングは、ターボのドカンとしたパワー感とはまったく別種の快楽です。「速さ」より「回す喜び」にベクトルを振ったことで、RX-8は独自のキャラクターを獲得しています。

    シャシーの完成度という隠れた本領

    RX-8を語るとき、エンジンとドアの話題に偏りがちですが、じつはこの車の最大の美点はシャシーにあります。フロントミッドシップに搭載されたコンパクトなロータリーエンジン、トランスアクスル的なレイアウトに近い前後重量配分。結果として実現された前後重量配分50:50は、カタログ上の数字ではなく、実際に走らせたときの挙動に明確に表れていました。

    プラットフォームはRX-8専用設計です。フロントにダブルウィッシュボーン、リアにマルチリンクを配し、ボディ剛性も先代RX-7から大幅に向上しています。車両重量は約1,310kg(6MT仕様)。4ドアのスポーツカーとしては十分に軽い部類です。

    当時のモータージャーナリストの多くが、RX-8のハンドリングを高く評価しました。とくにコーナリング時のニュートラルなバランスと、ステアリングに対する応答のリニアさは、同価格帯のスポーツカーの中でも頭ひとつ抜けていたと言っていい。ロータリーエンジンの小ささと軽さが、車両全体のバランスに効いている好例です。

    売れたのか、売れなかったのか

    RX-8は発売当初、かなりの注目を集めました。2003年の「インターナショナル・エンジン・オブ・ザ・イヤー」ではRENESISが受賞し、翌年にはワールド・カー・オブ・ザ・イヤーの最終候補にも残っています。日本国内でも初年度は好調な販売を記録しました。

    しかし、年を追うごとに販売台数は下降していきます。理由は複合的です。まず燃費。ロータリーエンジンの宿命として、燃焼室の表面積が大きく熱損失が多い。街乗りでリッター6〜7km台という燃費は、2000年代後半のガソリン価格高騰の中で厳しいものでした。

    加えて、エンジンの耐久性に関する懸念も市場には存在しました。アペックスシールの摩耗やオイル消費の多さといったロータリー固有の弱点は、RENESISでも完全には解消されていません。長期保有を前提とするオーナーにとって、この点は無視できないリスクでした。

    2008年のマイナーチェンジでは内外装のリフレッシュやサスペンションの再チューニングが行われましたが、販売の回復には至らず、2012年に生産終了。最終特別仕様車「SPIRIT R」は、ロータリーエンジン搭載車の最後を飾るにふさわしい、走りに振り切った仕立てでした。

    ロータリーの「終わり」ではなく「つなぎ」

    RX-8の生産終了をもって、マツダのロータリーエンジン搭載車はラインナップから消えました。しかし、この車が残したものは小さくありません。

    RENESISで培われたサイドポート排気の技術や、ロータリーの小型・軽量という特性を活かす車両設計の思想は、その後マツダが開発を進めたロータリーレンジエクステンダー(MX-30 R-EV)に直接つながっています。駆動用ではなく発電用としてロータリーを使うという発想は、「小さく、軽く、振動が少ない」というロータリーの長所を最大限に活かすものです。

    つまりRX-8は、ロータリーの歴史における「終点」ではなく、「次の形態への橋渡し」だったと見ることもできます。スポーツカーとしてのロータリーを延命させながら、排ガス技術を一段進め、次世代への接続点を作った。それがSE3Pという車の、カタログには載らない役割です。

    4ドアでNAで観音開き。どこを切っても異端に見えるRX-8ですが、その異端さのすべてに理由がある。「ロータリーを絶やさない」という一点を守るために、マツダが選んだ最適解。SE3Pとは、そういう車です。

    みなさん、令和になってもロータリーエンジンの火はまだ消えていませんよ。

  • RX-7 – SA22C【ロータリースポーツカーという賭け】

    RX-7 – SA22C【ロータリースポーツカーという賭け】

    1978年、マツダは一台のスポーツカーを世に送り出します。

    サバンナRX-7、型式SA22C。これはただの新型車ではありませんでした。ロータリーエンジンを「載せた」のではなく、ロータリーのために「つくった」クルマ。

    マツダがそこまで踏み込んだ背景には、追い詰められた者だけが持つ覚悟がありました。

    排ガス規制という逆風の中で

    1970年代のマツダは、正直なところ苦しい時代を過ごしていました。ロータリーエンジンに社運を賭けて量産化に成功したものの、1973年のオイルショックが直撃します。燃費の悪さがロータリー最大の弱点として露呈し、販売は急落。加えて、世界的に強まる排ガス規制への対応も迫られていました。

    社内では「ロータリーをやめるべきだ」という声もあったといいます。実際、ロータリー搭載車のラインナップは急速に縮小されていきました。ルーチェやコスモなど、かつてロータリーを積んでいた車種が次々とレシプロに切り替わっていった時期です。

    しかしマツダは、ロータリーを完全には捨てませんでした。むしろ「ロータリーが最も活きる場所」に集中させる、という判断に舵を切ります。その答えが、軽量スポーツカーという器だったわけです。

    サバンナの名を継いだ別物

    SA22Cの前身にあたるのは、サバンナ(S124A)です。ただ、前身とは言っても、この二台の間に設計上の連続性はほとんどありません。サバンナはもともとファミリアベースのスポーティカーであり、ロータリーを積んではいたものの、専用設計のスポーツカーではなかった。

    SA22Cは違います。最初からロータリーエンジンを搭載することだけを前提に、フロントミッドシップというレイアウトが選ばれました。コンパクトで軽いロータリーの特性を最大限に活かすため、エンジンをフロントアクスルより後方に搭載し、前後重量配分を最適化する。これは当時としてはかなり先進的な設計思想です。

    搭載された12A型ロータリーは573cc×2ローターで、出力は130馬力。数字だけ見れば飛び抜けて高いわけではありません。しかし車両重量が約1,000kgに抑えられていたことで、パワーウェイトレシオは当時の同価格帯では際立って優秀でした。

    ポルシェ924が見せた道筋

    SA22Cの開発にあたって、マツダがベンチマークとしたのはポルシェ924だったと言われています。当時のポルシェ924は「手の届くポルシェ」として北米市場で大きな成功を収めていました。リトラクタブルヘッドライト、ロングノーズ・ショートデッキのプロポーション。SA22Cのスタイリングが924を意識していることは、見ればすぐにわかります。

    ただし、マツダは単にポルシェを真似たわけではありません。924がフロントエンジン・リアトランスアクスルという凝ったレイアウトを採用していたのに対し、SA22Cは通常のFRレイアウトを選んでいます。コストを抑えながら、ロータリーの軽さとコンパクトさで同等以上の重量配分を実現する。つまり、エンジンの特性で設計上のハンデを帳消しにするという戦略です。

    この割り切りが、結果として北米市場で大きな成功につながります。ポルシェ924の半額以下で、同等かそれ以上の走りが手に入る。アメリカのカー雑誌はこぞってSA22Cを絶賛しました。

    走りの質と、その限界

    SA22Cの走りの核心は、やはりロータリーの回転フィールにあります。振動がほとんどなく、高回転までスムーズに吹け上がる。レシプロエンジンとはまったく異質のフィーリングで、これは乗った人にしかわからない種類の快感です。

    足回りはフロントがストラット、リアがリジッドアクスルの4リンク。リアがリジッドというのは、今の感覚では古く見えるかもしれません。しかし当時の同クラスでは標準的な構成であり、軽い車重と相まって、実際の動きは軽快そのものでした。

    一方で、弱点もはっきりしていました。まず燃費。12Aロータリーの実燃費はリッター6〜8km程度で、オイルショック後の時代にこの数字は厳しかった。また、低回転域のトルクが薄いため、街乗りでの扱いやすさはお世辞にも良いとは言えません。ロータリーの美点と弱点が、そのまま車の性格に直結していたのです。

    後期型ではターボモデル(12Aターボ)が追加され、出力は165馬力に向上します。低速トルクの改善という実用的な意味もありましたが、何よりこのターボ化の経験が、次世代FC3Sの13Bターボへとつながっていく点で重要です。

    北米が育てたRX-7

    SA22Cの成功を語るうえで、北米市場の存在は外せません。日本国内では「サバンナRX-7」ですが、北米では単に「RX-7」として販売されました。そしてこの車は、北米でこそ真価を発揮します。

    1978年の発売から1985年の生産終了までに、SA22Cは全世界で約47万台が生産されたとされています。そのうちかなりの割合が北米向けでした。価格競争力と走行性能のバランスが、アメリカのスポーツカー市場にぴたりとはまったのです。

    IMSA(国際モータースポーツ協会)のレースでも活躍し、ロータリーエンジンの高回転・高出力特性はモータースポーツとの相性が良いことを証明しました。この実績が、マツダのブランドイメージを「ロータリーのマツダ」として定着させる大きな要因になっています。

    賭けが残したもの

    SA22Cは、マツダにとって単なるヒット商品以上の意味を持つ一台です。オイルショックと排ガス規制でロータリーの存続が危ぶまれた時代に、「ロータリーでなければ成立しないクルマ」を作ることで、技術の灯を守った。これは結果論ではなく、明確な戦略でした。

    そしてこの戦略は、FC3S、FD3Sという後継モデルへと受け継がれていきます。ロータリー専用スポーツカーという系譜は、SA22Cが切り拓いたものです。もしこの車が生まれていなければ、RX-7という名前も、ル・マンでのロータリー優勝も、おそらく存在しなかったでしょう。

    追い詰められた状況で、あえて得意技に全振りする。SA22Cとは、マツダがロータリーと心中する覚悟を見せた、最初の一台だったのです。

  • コスモスポーツ – L10A/L10B【世界初の量産ロータリーが背負ったもの】

    コスモスポーツ – L10A/L10B【世界初の量産ロータリーが背負ったもの】

    世界で初めてロータリーエンジンを量産車に載せたのは、フェラーリでもポルシェでもありませんでした。広島のマツダです。

    1967年、まだ「東洋工業」という社名だった時代に送り出されたコスモスポーツは、単なるスポーツカーではなく、企業の未来そのものを賭けた技術証明の器でした。

    なぜマツダはそこまでしてロータリーにこだわったのか。そして、この車は何を証明し、何を残したのか。カタログスペックの裏側にある話をしていきます。

    なぜマツダはロータリーに賭けたのか

    1960年代初頭のマツダは、まだ三輪トラックのメーカーという印象が強い会社でした。乗用車市場への本格参入は始まったばかりで、トヨタや日産に対して技術的にもブランド的にも大きく後れを取っていた。

    普通にレシプロエンジンの乗用車を作っても、勝ち目は薄い。そこでマツダが目をつけたのが、ドイツのNSU社とヴァンケル社が開発したロータリーエンジン(ヴァンケルエンジン)でした。

    1961年、マツダはNSU社・ヴァンケル社と技術提携を結び、ロータリーエンジンの製造ライセンスを取得します。ただ、当時ライセンスを取得したメーカーは世界中に複数ありました。GMもシトロエンもロールス・ロイスも手を出していた。つまり、ロータリーに興味を持つこと自体は珍しくなかったんです。

    問題は、誰も量産に成功していなかったということでした。ロータリーエンジンには「チャターマーク」と呼ばれる致命的な課題があった。

    ローターの頂点に取り付けられたアペックスシールがハウジング内壁に波状の傷をつけてしまい、短期間でエンジンが使い物にならなくなるという問題です。多くのメーカーがこの壁を越えられず、ロータリーから撤退していきました。

    マツダの技術陣——のちに「ロータリー47士」と呼ばれることになるエンジニアたちは、この問題に正面から取り組みます。

    アペックスシールの材質を試行錯誤し、カーボンとアルミの複合素材にたどり着いたことが突破口になったとされています。開発責任者の山本健一氏は後年、「あのとき諦めていたら、マツダは今のマツダにはなっていなかった」と語っています。

    この言葉は誇張ではなく、ロータリーの量産成功がマツダという企業のアイデンティティそのものを決定づけたのは事実です。

    1967年、世界初の量産ロータリー車として登場

    コスモスポーツは1967年5月に発売されました。型式はL10A。搭載された10A型エンジンは491cc×2ローターの構成で、排気量は合計982cc。最高出力は110馬力でした。1リッター未満のエンジンから110馬力というのは、当時のレシプロエンジンの常識からすればかなりの高出力です。

    ロータリーエンジンの最大の特徴は、構造がシンプルなこと。レシプロエンジンのようにピストンが上下運動して回転に変換するのではなく、三角形のローターがそのまま回転する。だから振動が少なく、高回転まで滑らかに回る。コスモスポーツの10A型は最高回転数7,000rpmに達し、そのスムーズさは当時のジャーナリストたちを驚かせました。

    ボディデザインも異彩を放っていました。全長4,140mm、全高1,165mmという極端に低いプロポーション。丸みを帯びた流線形のボディは、どこかSF映画の乗り物を思わせる雰囲気がありました。実際、ウルトラマンに登場する科学特捜隊の専用車として使われたことでも知られています。あれはフィクションの話ですが、現実のコスモスポーツ自体が十分にフィクション的な存在感を持っていたわけです。

    前期型と後期型、その違いの意味

    コスモスポーツには前期型(L10A)と後期型(L10B)があります。前期型の生産台数はわずか343台。1968年に登場した後期型L10Bでは、エンジンが改良されて最高出力が128馬力に向上し、最高回転数も7,000rpmに引き上げられました。ホイールベースも延長され、トランスミッションは4速から5速に変更されています。

    この変更は単なるマイナーチェンジではなく、実用性と信頼性を現実的なレベルに引き上げるための改良でした。前期型はあくまで「世界初の量産ロータリー車」という看板を掲げるための先行モデルという性格が強く、後期型で初めて商品としてのバランスが整ったと言えます。

    後期型の生産台数は約833台。前期・後期合わせても総生産台数は1,176台にとどまります。数字だけ見れば商業的に大成功とは言いがたい。しかし、マツダにとってのコスモスポーツの価値は販売台数では測れません。

    コスモスポーツが証明したもの

    この車が果たした最大の役割は、ロータリーエンジンが量産車に使えるという事実を世界に示したことです。それまで机上の理想でしかなかったヴァンケルエンジンを、市販車として成立させた。この実績があったからこそ、マツダはその後ファミリアロータリーやサバンナ、RX-3、そしてRX-7へとロータリー搭載車を展開していくことができました。

    1968年のニュルブルクリンク84時間マラソンレースでは、コスモスポーツが4位に入賞しています。84時間という過酷な耐久レースを完走したこと自体が、ロータリーエンジンの耐久性に対する疑念を払拭する大きな証拠になりました。レースでの実績は、技術の信頼性を証明する最も説得力のある方法です。

    もうひとつ見逃せないのは、コスモスポーツがマツダの社内に「ロータリーで戦える」という確信を植え付けたことです。この成功体験がなければ、マツダがその後20年以上にわたってロータリーエンジンを進化させ続けるという、世界でも類を見ない技術的執念は生まれなかったでしょう。

    弱点と、時代の制約

    もちろん、コスモスポーツに課題がなかったわけではありません。ロータリーエンジンの宿命として燃費の悪さは初期から指摘されていました。また、初期型のアペックスシールの耐久性は改善されたとはいえ、レシプロエンジンほどの長寿命は望めなかった。オイル消費も多く、日常の足として使うには気を遣う車でした。

    価格も当時としては高額で、148万円(前期型)。同時期のトヨタ2000GTが238万円だったことを考えれば法外ではないものの、一般的なサラリーマンが気軽に買える車ではなかった。結果として、コスモスポーツは「技術のショーケース」としての役割が主で、販売面での貢献は限定的だったと言わざるを得ません。

    ただ、それはマツダも織り込み済みだったはずです。コスモスポーツは利益を稼ぐための車ではなく、ロータリーという技術の未来を切り開くための先兵でした。その意味では、与えられた役割を十二分に果たしたと評価すべきでしょう。

    ロータリーの系譜、その起点

    コスモスポーツの後、マツダはロータリーエンジンをあらゆる車種に展開していきます。ファミリアロータリークーペ、カペラロータリー、サバンナ、コスモAP、そしてRX-7。さらにはロータリーエンジン搭載のピックアップトラック(ロータリーピックアップ)まで北米で販売しています。この展開力の源泉は、コスモスポーツで得た技術的自信にほかなりません。

    そして2023年、マツダはMX-30 Rotary-EVで、発電用としてロータリーエンジンを復活させました。形は変わっても、ロータリーという技術にこだわり続けるマツダの姿勢は、1967年のコスモスポーツから一本の線でつながっています。

    コスモスポーツは、速さで語られる車ではありません。販売台数で語られる車でもない。この車の本質は、ひとつの技術に企業の命運を賭けた決断の結晶であるということです。

    あの低く、丸く、未来的なボディの中には、広島のエンジニアたちの執念と、マツダという会社の生存戦略が詰まっていた。だからこそ、半世紀以上経った今も、コスモスポーツは特別な存在であり続けているのだと思います。

  • オートザム AZ-1 – PG6SA【軽に迷い込んだ一代限りのガルウイング】

    オートザム AZ-1 – PG6SA【軽に迷い込んだ一代限りのガルウイング】

    軽自動車にガルウイングドアを付けて、エンジンをミッドシップに積んで、外装をFRPで仕立てる…

    文字にすると冗談みたいですが、マツダは1992年に本当にこれをやりました。しかも量産車として。

    それがAZ-1(PG6SA)です。バブル末期の空気がなければ絶対に生まれなかったであろうこの一台は、軽自動車の枠組みの中で「スポーツカーとは何か」を問い直した、極めて異質な存在でした。

    バブルの余熱が生んだ企画

    AZ-1が世に出たのは1992年10月。

    ただし、その企画が動き始めたのはもっと前、1980年代末のことです。当時の日本は空前の好景気の真っ只中にあり、自動車メーカー各社が「こんなの売れるのか?」と首を傾げるような企画を次々と通していた時代でした。

    マツダもその例に漏れません。5チャンネル体制と呼ばれる販売網の多角化を進めていた時期で、オートザム、ユーノス、アンフィニ、オートラマといったブランドを展開し、それぞれに個性的なモデルを供給する必要がありました。AZ-1はそのうちオートザムブランドから販売されています。正式名称は「オートザム AZ-1」です。

    つまり、この車はマツダ本体の主力商品として企画されたわけではなく、ブランドの個性を際立たせるためのアイコン的存在として生まれた側面があります。実用性で勝負する車ではない。「うちのブランドにはこんな面白い車がある」と語れること自体が価値だった。そういう時代の産物です。

    スズキの心臓、マツダの殻

    AZ-1の成り立ちを理解するうえで外せないのが、スズキとの関係です。

    エンジンとトランスミッションはスズキ製F6A型ターボ。排気量657cc、直列3気筒のインタークーラーターボで、最高出力は軽自動車自主規制上限の64馬力を発生します。これは同時期のスズキ・カプチーノやホンダ・ビートと同じ上限値です。

    なぜマツダが自社エンジンを使わなかったのか。理由はシンプルで、当時のマツダには軽自動車用のパワートレインを自社開発・生産する体制がなかったからです。AZ-1の車体製造もスズキが担当しています。マツダが主に担ったのは企画・デザイン・車体設計の部分で、生産はスズキの磐田工場で行われました。

    この構造は、のちにスズキ自身が「キャラ」という名前でほぼ同一の車両を販売したことからも裏付けられます。スズキ・キャラはAZ-1のバッジエンジニアリング版で、フロントまわりの意匠が若干異なる程度の差でした。

    ミッドシップ+ガルウイング+FRPという構成

    AZ-1の最大の特徴は、そのパッケージングの異常さにあります。軽自動車の規格内に、ミッドシップレイアウト、ガルウイングドア、FRP製外装パネルという3つの要素を詰め込んでいる。どれかひとつだけでも軽自動車としては異例なのに、全部載せです。

    ミッドシップレイアウト、つまりエンジンを運転席の後方・後輪の前に置く配置は、重量配分の最適化に有利です。AZ-1の前後重量配分はほぼ45:55。フロントに重いエンジンがない分、ノーズを低く、短くできる。実際、全長は3,295mm、全幅は1,395mmと、軽規格いっぱいに近いサイズですが、見た目はそれ以上にコンパクトに感じます。

    ガルウイングドアの採用は、見た目のインパクトだけが理由ではありません。AZ-1は全高わずか1,150mmという極端に低い車体を持っており、通常のヒンジドアでは乗降時に開口部の確保が難しかった。上方に開くガルウイングなら、狭い駐車場でも横方向のスペースを取らずに乗り降りできる。実用上の合理性もあったわけです。

    ただし、この合理性には裏もあります。横転した場合にドアが開けられないという問題は、当時からよく指摘されていました。また、ドアのシール性やヒンジ部の耐久性についても、長期使用では課題が出るケースがあったようです。

    FRP(繊維強化プラスチック)製の外装パネルは、軽量化に大きく貢献しています。車両重量は720kg。64馬力で720kgという数字は、パワーウェイトレシオで見ると11.25kg/ps。同時代のカプチーノが700kg、ビートが760kgですから、軽スポーツの中では標準的な範囲ですが、ミッドシップの重量配分と相まって、数値以上にシャープな挙動を見せました。

    走りの評価と、その裏側

    AZ-1の走行性能について、当時の自動車メディアの評価は概ね好意的でした。特にステアリングの応答性と回頭性は高く評価されています。ミッドシップ由来のノーズの軽さが、コーナー進入時のシャープさに直結していた。ホイールベースは2,235mmと短く、まるでゴーカートのような感覚だという表現がよく使われました。

    一方で、ミッドシップ特有のクセも明確にありました。限界域でのリアの挙動が唐突になりやすく、いわゆるタックイン——アクセルオフ時にリアが急に流れ出す現象——が起きやすいという指摘は多かったのです。サスペンションは前後ともストラット式で、スポーツカーとしてはシンプルな構成。足まわりのセッティングに関しては、もう少し煮詰める余地があったという声もあります。

    居住性については、正直なところ「割り切り」の一言です。室内は極めて狭く、身長170cmを超えるドライバーにはかなり窮屈。エアコンは装備されていましたが、荷室はほぼ皆無。日常の足として使うには相当な覚悟が要る車でした。

    売れなかった理由、残った理由

    AZ-1の販売台数は、約4,392台。1992年10月の発売から1995年の生産終了まで、わずか3年弱の短い生涯でした。同時代の軽スポーツであるカプチーノやビートと比べても、明らかに少ない数字です。

    売れなかった理由はいくつかあります。まず、発売時期がバブル崩壊後だったこと。企画が通った頃と、実際に店頭に並んだ頃では、消費者のマインドがまるで違っていました。約149.8万円という価格は軽自動車としては高額で、実用性のなさも重なって、購入に踏み切る層が限られた。

    さらに、オートザムというブランド自体の知名度や販売力の問題もありました。ディーラー網が限られていたため、そもそも実車を見る機会が少なかった。試乗すれば面白さは伝わる車でしたが、試乗にたどり着くまでのハードルが高すぎたのです。

    しかし、この希少性がのちに強烈な個性として再評価されます。生産台数の少なさ、唯一無二のパッケージング、そしてバブル期にしか成立しえなかった企画の異常さ。2000年代以降、中古車市場でAZ-1の価格は着実に上昇し続けました。現在では程度の良い個体は200万円を超えることも珍しくありません。新車価格を大きく上回っている状況です。

    ABCトリオの中での立ち位置

    AZ-1は、ホンダ・ビート、スズキ・カプチーノとともに「平成ABCトリオ」と呼ばれます。Aがオートザム AZ-1、Bがビート、Cがカプチーノ。いずれも660cc規格の2シーター軽スポーツですが、その性格はまったく違います。

    ビートはNAエンジンをミッドシップに積み、オープンエアの爽快さを重視した車。カプチーノはFRレイアウトのターボで、3種類のオープン形態を持つ多芸な車。そしてAZ-1は、クローズドボディのミッドシップターボで、ガルウイングという飛び道具を持つ車。三者三様で、しかもどれも軽自動車の枠内に収まっているのが面白い。

    この中でAZ-1がもっとも「スーパーカー的」な佇まいを持っていたのは間違いありません。低い全高、ガルウイング、短いオーバーハング。子どもの頃にスーパーカーブームを体験した世代が企画に関わっていたであろうことは、車を見れば想像がつきます。

    軽自動車でやる意味があったのか

    AZ-1を振り返るとき、「これは軽自動車でやる必要があったのか」という問いが浮かびます。答えは、おそらく「軽自動車だからこそできた」です。

    660ccという排気量の制約があるからこそ、車体を極限まで小さく、軽くする必然性が生まれた。その結果として、全高1,150mm、車重720kgという数字が実現した。もしこれが1,000ccや1,300ccの普通車として企画されていたら、安全基準や快適装備の要求が増え、ここまで割り切った車にはならなかったでしょう。

    制約がデザインを規定し、デザインが個性を生んだ。AZ-1は、日本の軽自動車規格という独自のルールの中でしか生まれ得なかった、一種の突然変異です。

    そしてこの突然変異は、二度と繰り返されていません。ガルウイング付きのミッドシップ軽スポーツを量産した会社は、マツダ(とスズキ)だけ。後にも先にもこの一台きりです。

    再現不可能であること自体が、この車の価値を証明しています。

    バブルの徒花と呼ぶ人もいますが、この花は咲いたこと自体がすでに奇跡だった——そう言ってもいい車です。

  • ロードスター – NC1/NC2/NC3 【大事なものを守るために、あえて大きくなった三代目】

    ロードスター – NC1/NC2/NC3 【大事なものを守るために、あえて大きくなった三代目】

    NCロードスターについては見た目からもわかる通り、NA→NBのような正常進化ではありません。

    これはNAとNBで守ってきた「軽量FRオープンの楽しさ」を、2000年代の安全性や快適性や商品性に合わせてもう一度成立させ直した世代でした。

    マツダは2005年の発表時、この三代目を「世界で最も売れているライトウェイトスポーツカーの、最新かつ最も進化した世代」と位置づけ、開発責任者の貴島孝雄氏も「軽快感、バランスの取れたハンドリング、全体の敏捷さといったロードスターの核を残しながら、もっと幅広いユーザーにとって使いやすく、快適で、質の高いクルマにした」と説明しています。  

    三代目の役目は、原点の更新だった

    NCの難しさははっきりしていました。

    初代NAは「失われたライトウェイトスポーツの復活」という強烈な物語を持ち、NBはその思想を商品として磨き上げた。

    では三代目は何をするのか。

    そこでNCが担ったのは、ロードスターの本質である「人馬一体」を今の時代の基準で成立させることでした。

    マツダ自身も、NCの開発ではスポーツ走行だけでなく日常でも楽しめることを重視し、人馬一体こそがこの進化したロードスターの性格を最もよく表す言葉だとしています。  

    大きくなったのは、軟派になったからじゃない

    NCでよく言われるのが「少し大きくなった」「少し重くなった」という話です。

    でも、ここを表面だけで切るのは非常にもったいない。

    2000年代のクルマとして安全性や快適性や剛性の要求が上がる中で、NCはそこに対応しながらロードスターらしさを消さないことを狙っていました。

    実際マツダは、各種新装備や技術を盛り込みながら、車重増を先代比で約10kgに抑えたと説明しており、さらにボディは曲げ剛性22%、ねじり剛性47%向上、エンジンも135mm後退させて前後重量配分とヨー慣性モーメントの最適化を図っています。

    つまりNCは、雑に肥大化したのではなく、増える条件の中でどうロードスターを守るかを本気でやった世代です。  

    だからこそ、走りの基礎体力がかなり高い

    この世代の強みは、まず土台が強いことです。

    剛性が上がり、重量配分の考え方もより徹底され、日常域でもスポーツ走行でも気持ちよく扱える方向に仕上げられている。

    派手なスペック競争ではなく、ステアを切った時の反応、姿勢変化のわかりやすさ、限界の掴みやすさといった「スポーツカーの会話能力」を底上げしているのがNCです。

    開発時の説明でも、よりパワフルなエンジンと軽量・コンパクトなボディの動的バランスを狙ったとされており、三代目らしくクルマ全体の完成度で勝負していたことが見えてきます。  

    インタビューから見えてくるのは、「広げる」覚悟だった

    NCで面白いのは、ロードスターを狭い趣味車のままにしなかったことです。

    貴島孝雄氏は発表時のコメントで「核となる資質は守りつつ、より多くの顧客にとって価値のあるものにした」と語っています。これは言い換えれば、従来ファンだけの聖域に閉じこもらず、もう少し間口を広げようとしたということです。

    実際、後に三代目開発の副プログラムマネージャーを務めた山本修弘氏も、ロードスターの魅力は「人を幸せにすること」であり、多様な楽しみ方と人とのつながりを生むところにあると語っています。NCは、その広がる魅力をちゃんと商品として実装し始めた世代でもありました。  

    NC1は、三代目の再定義そのものだった

    2005年に登場したNC1は、まずここまでで一度ロードスターを作り直したことに意味があります。

    モダンになったスタイリング、質感の上がったインテリア、強化されたボディ、そして2.0Lモデルでは6MTやビルシュタインを備えるRS系まで用意され、従来の「軽いだけのオープン」では終わらない商品力を持っていました。

    2005-2006日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞したのも、単に人気車だったからではなく、最新の環境・安全要件を満たしながらライトウェイトオープンスポーツとしての魅力を高い水準で成立させたことが評価されたからだと見ていいです。  

    NC最大級の発明「RHT」について

    NCを語るなら、リトラクタブルハードトップは絶対に外せません。

    2006年に追加されたこの仕様は、トランク容量を犠牲にしない世界初の軽量オープンスポーツ用電動格納ルーフとして登場しました。

    しかもルーフはシート後方・ホイールベース内に収まり、50:50の重量配分や低いヨー慣性モーメントを維持するよう設計されている。

    要するにこれは「便利な屋根」ではなく、ロードスターの運動性能を崩さずに快適性と所有満足を上げるための装備だったわけです。

    貴島氏自身も、このRHTを「人馬一体の喜びをより多くの人に感じてもらうための一台」として語っています。  

    RHTがすごかったのは、性格を増やしたこと

    従来のロードスターは、どうしても幌の気軽さと引き換えに、人によっては日常の快適性や安心感で一歩引く部分があった。

    でもNCのRHTはそこを崩した。クローズド時の安心感や静粛性を高めつつ、オープン時にはちゃんとロードスターでいられる。

    しかもトランクを削らず、開閉も12秒という速さで終わる。ロードスターの世界観を変えずに、ユーザー層だけを広げたこの一手はかなり強いです。

    NCが万人向けになってしまったのではなく、万人が入りやすい入口を作ったと見るべき世代なのは、こういうところに出ています。  

    NR-A、やっぱりロードスターは走りのクルマだった

    一方でNCは間口を広げただけの世代でもありません。

    2006年にはNR-Aも設定され、車高調整機構付ビルシュタイン、スーパーLSD、フロントタワーバーなどを備えたワンメイクレース向けベース車として用意されました。

    つまりマツダ自身が、NCを快適になったロードスターで終わらせず、ちゃんとモータースポーツ側にもつながる素性を持ったクルマとして扱っていたわけです。

    ロードスターが文化として続いた理由の一つは、こうして裾野を広げながら、芯の部分では走りを薄めなかったことにあります。  

    NC2/NC3は、三代目をさらに磨き込んだ後半戦

    2008年の改良ではFleshed Roadsterとしてリフレッシュされ、20周年を迎えた2009年には記念車も用意されました。

    20th AnniversaryはRSソフトトップとVS RHTをベースにRECAROシートや専用バッジなどを備えた仕様で、NCがすでに現行商品であると同時に20年続く文化の担い手になっていたことを示しています。

    ここまで来るとNCはもう、単なる現代化の役目だけではない。NAから続くロードスターという物語を、量産スポーツとして持続させる中核世代になっていたのです。

    高水準な「使えるのにちゃんと楽しい」

    NCの本当の強みはここです。

    NAのような原初の軽さとも、NBのような端正な熟成とも少し違う。

    NCは、剛性、快適性、質感、使い勝手、安全性をしっかり引き上げながら、それでもロードスターに必要な気持ちいい回頭性やオープンで走る意味を残した。

    しかもRHTやNR-Aのように、快適性にも走りにもそれぞれ深く踏み込んでいる。

    だからNCは、ライトウェイトスポーツの理想を守ったというより、理想を生活に持ち込みやすくした世代と言った方が近いです。  

    ロードスターにおけるNCの立ち位置

    ロードスターの系譜でNCは、NAほど神話的ではないし、NBほど通好みでもない。

    でもこの世代がなければ、ロードスターはただの懐古的な軽量オープンで終わっていたかもしれない。現代基準の中で、快適性も商品性も上げ、それでも人馬一体を守る。さらにRHTという新しい答えまで出した。

    NCは、ロードスターを昔ながらの名車から今も成立するスポーツカーへ押し上げた三代目です。2005年の日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞も、その仕事の大きさを物語っています。  

    まとめ

    NCロードスターを一言でいえば、

    原点を守るために、あえて現代化を引き受けた三代目」です。

    NAやNBほど軽さの神話で語られないぶん、評価が割れやすい世代ではある。

    でもロードスターという名前を21世紀でもちゃんと通用させた、大事な一台なのです。

  • ロードスター – ND5RC/NDERC 【もう一度、原点に戻ってきた四代目】

    ロードスター – ND5RC/NDERC 【もう一度、原点に戻ってきた四代目】

    NDはNCで一度現代化したロードスターを、少しだけ原点側へ引き戻すためのモデルでした。

    マツダ自身も四代目の開発テーマを「Innovate in order to preserve」と説明しており、環境性能や安全性能の要求がはるかに厳しくなった時代でも、初代が持っていた軽量スポーツの純粋な楽しさを守ることを狙っていました。

    しかもNDは歴代で最もコンパクトなロードスターで、先代NCより100kg以上軽いと発表されています。

    つまりNDは、進化のために足していく世代ではなく、守るために削っていった世代でした。  

    「もっと立派」ではなく「もっと本質」

    NDの面白さはここです。

    普通なら世代が進むほど、ボディは大きく、装備は増え、スポーツカーもどんどん重くなっていく。でもNDは逆をやった。

    主査の山本修弘氏はwebCGのインタビューで、開発の途中でいろいろ見つめ直し、「本当に欲しいものだけにしよう。不要なものはそぎ落とそう」と考えたと語っています。

    しかもリーマンショックによる開発の停滞すら、ロードスターは本来どうあるべきかを考え直す機会になったとも振り返っている。

    NDは、苦しい状況の中で原点回帰を選び直したクルマでした。  

    だからNDは、軽いだけじゃなく小さい

    NDを語るとき、つい「100kg以上軽量化」に目が行きます。

    でも本質はそこだけじゃない。

    マツダは四代目を「歴代で最もコンパクト」だと説明していて、実際にNDは全体の寸法感からしてかなり凝縮されています。ロードスターは昔からパワーの数字で勝負するクルマではなく、ドライバーがクルマを使い切れることに価値があった。

    NDはそこに真正面から戻っていて、サイズ、重量、着座感、視界、操作感まで含めて「人が主役」のスポーツカーとして組み直されている。単なるダイエットではなく、クルマ全体を小さく濃くしたのがNDなのです。  

    SKYACTIV世代の「人馬一体」

    NDは新世代マツダの商品群の一員でもありました。つまり魂動デザインとSKYACTIV技術の文脈の中で作られたロードスターです。

    ただし、ここで面白いのは、ロードスターが単にその新世代技術の実験台になったわけではないこと。

    マツダは四代目について、SKYACTIV技術を採り入れつつも、感覚や感性を通じて味わう楽しさを高めることに開発の焦点を置いたと説明しています。

    要するにNDは、新技術を見せびらかすためのロードスターではなく、新技術で人馬一体を磨き直したロードスターだったわけです。  

    大事なのは「削る勇気」だった

    山本修弘氏の話を追うと、NDの開発思想はかなりはっきりしています。

    世界市場からは当然いろいろな要求が来る。もっと大きく、もっと豪華に、もっと強く、という方向です。

    でも山本氏はそれを全部そのまま飲み込まず、ロードスターは何を残すべきかを見極めた。webCGのインタビューで語っている「本当に欲しいものだけ」「不要なものはそぎ落とそう」という一節は、NDのすべてをかなり正確に表しています。

    NDが高性能化一辺倒にならず、あくまで「軽快で、使い切れて、楽しい」側に踏みとどまったのは、この判断があったからです。  

    ND5RCは、四代目の核そのもの

    まずソフトトップのND5RC。

    これは四代目ロードスターの思想をいちばんストレートに表しているモデルです。軽く、小さく、開けて、FRで走る。その原点が最も濃い。

    2015年にグローバル導入が始まったNDは、「2015-2016日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞し、さらに2016年には「World Car of the Year」と「World Car Design of the Year」も獲得しました。

    評価されたのは単なるデザインの美しさだけではなく、現代の条件の中でライトウェイトスポーツの価値をこれだけ鮮明に提示したことだったと見ていいです。

    ND5RCは、四代目の本命というより、ロードスターという思想の再提示そのものでした。  

    速さより反応の良さ

    NDの美点は、スペック表よりもドライバーへのフィードバックにあります。

    アクセルに対する車体の出方、ステアに対する回頭の軽さ、座った瞬間から感じるコンパクトさ。そういう一つひとつの反応が薄まっていない。

    マツダが四代目で繰り返し打ち出したのも、絶対性能ではなく「pure driving fun」でした。だからNDは大排気量の速さや高級GT的な重厚さではなく、操作に対してクルマがすぐ返事をしてくることが強みになっている。

    ロードスターらしさがいちばん解像度高く見える世代の一つです。  

    RFで出た、また別の答え

    2016年に追加されたロードスターRFもかなり重要です。

    RFは「Retractable Fastback」の名の通り、単なる電動ハードトップではなく、ファストバックの美しいシルエットそのものを商品価値にしたモデルでした。

    マツダは、先代のリトラクタブルハードトップが目指した「オープンカーの楽しさを身近に」という価値を引き継ぎながら、従来の考え方にとらわれず、さらに進化させたと説明しています。

    しかもRFはファストバックスタイルでありながら、トランク容量をソフトトップと同等に維持し、限られたスペースにルーフを効率よく収納する仕組みまで実現していた。

    ただの屋根付きではなく、クーペっぽい美しさとオープンの楽しさを両立させた別解だったわけです。  

    NDERCのオトナさ

    RFことNDERCの意味は、ロードスターの世界を少し広げたことにあります。

    ソフトトップの軽快さとは違う、静粛性や包まれ感やファストバックならではの雰囲気を加えながら、それでも「Lots of Fun」の価値からは外れない。

    マツダもRFを、ロードスターが26年間守ってきた価値を体現する一員だと説明しており、さらに日本導入時には「オープンカーの楽しさを、より多くのお客様にお届けするために」と明言しています。

    つまりRFは、ロードスターを別物にしたのではなく、ロードスターにもう一つの入口を増やしたモデルでした。  

    2018年改良で、NDはさらに熟した

    NDは原点回帰だけで終わっていません。

    2018年の商品改良では、マツダ自身が四代目のコンセプトを「人生を楽しもう ― Joy of the Moment, Joy of Life」と説明し、ロードスター/RFの両方で人馬一体の走りの楽しさをさらに深める方向を打ち出しました。

    海外向けリリースでは2.0Lエンジンの高回転化と出力向上も公表されていて、NDは「軽いからこれで十分」に留まらず、ドライバーの反応にさらに気持ちよく応える方向へ磨かれていt他のです。

    原点回帰のまま止まるのではなく、原点を現代の技術で熟成させたのが後期NDです。  

    NDらしさの象徴、『990S』

    NDの思想がどれだけ本気だったかは、2021年の990Sを見るとよく分かります。

    マツダはこの特別仕様車について、「ロードスターの原点に立ち返り、『軽いことによる楽しさ』を追求した最軽量グレード」と説明しています。

    つまり四代目は、世代後半になってもなお「もっと軽さへ」「もっと原点へ」という方向に掘り進められていた。普通は世代後半になるほど装備追加や商品力の底上げに寄るものですが、NDはそこでさえ軽さの価値を掘り返してくる。

    これはかなりロードスターらしいし、かなりNDらしいです。  

    だからこそ、原点回帰でありながら懐古ではない

    これがNDの惚れ惚れするほど上手い設計です。

    軽くした。小さくした。オープンの楽しさを前に出した。だから一見すると昔へ戻ったように見える。

    でも実際には、SKYACTIV世代の技術、現代の安全要求、デザインの完成度、RFのような新しい選択肢まで全部持ち込んだ上で、それでも原点に着地している。懐古趣味ではなく、現代の条件で初代の理想をもう一回成立させたのがNDでした。

    2016年に累計生産100万台を達成できたのも、ロードスターが単なる昔の名車でなく、今も更新される存在であり続けたからです。  

    まとめ

    ND5RC/NDERCロードスターを一言でいえば、

    現代の技術で、もう一度ロードスターの原点を作り直した四代目です。

    NAみたいな発明でも。

    NBみたいな定着でも。

    NCみたいな現代化でもない。

    NDはその全部を踏まえた上で、「じゃあ今、ロードスターはどうあるべきか」にきっちり答えた世代です。