カテゴリー: Toyota

  • ブレイドマスター – GRE156H【Cセグに3.5L V6を押し込むイカれた車】

    ブレイドマスター – GRE156H【Cセグに3.5L V6を押し込むイカれた車】

    コンパクトなハッチバックのボディに、3.5リッターV6エンジンを載せる。文字にするとそれだけのことですが、これを実際にやったメーカーはほとんどありません。トヨタが2007年にやりました。それがブレイドマスター、型式GRE156Hです。

    こいつはカローラ直系の枝分かれ(オーリス系)ではあるのですが、若干離れているので書くか迷いました。

    しかし、カローラ以外に入れるところもないのと「書かないわけにはいかない」ということで急遽カローラの系譜に仲間入りさせました。

    ブレイドという土台の話

    まずブレイドマスターを語る前に、ベースとなった「ブレイド」の立ち位置を押さえておく必要があります。ブレイドは2006年に登場したCセグメントのハッチバックで、プラットフォームはオーリスと共通です。ただし、オーリスが旧カローラ店で扱う実用寄りのモデルだったのに対し、ブレイドはトヨペット店専売の「上質なコンパクト」として企画されました。

    内装の質感を高め、装備を充実させ、Cセグメントでありながらワンクラス上の満足感を狙う。いわば「小さな高級車」というコンセプトです。当時のトヨタは販売チャネルごとに差別化を求められていた時代で、ブレイドはその文脈の中で生まれた車でした。

    標準のブレイドに搭載されたのは2.4L直4の2AZ-FEエンジン。Cセグメントとしてはすでに十分すぎるほどの排気量です。ところがトヨタは、ここからさらに一歩踏み込みました。

    なぜ3.5L V6を載せたのか

    2007年8月、ブレイドマスターが追加されます。搭載エンジンは2GR-FE型3.5L V6。最高出力280ps、最大トルク344Nm。このエンジン、カムリやエスティマ、さらにはレクサスISにも使われていたユニットです。それをCセグメントのハッチバックに載せた。冷静に考えると、かなり異様な組み合わせです。

    では、なぜこんな企画が通ったのか。

    ひとつは、ブレイドのコンセプトそのものにあります。「コンパクトだけど上質」を謳うなら、パワートレインでもそれを証明する必要がある。2.4L直4では、いくら装備を積んでも「結局オーリスと同じでしょ」という声を封じきれません。

    V6という格の違うエンジンを積むことで、ブレイドというブランドの天井を一気に引き上げる。そういう狙いがあったと考えられます。

    もうひとつの背景は、当時のトヨタが持っていたエンジンラインナップの豊富さです。

    2GR-FEはすでに複数車種で量産されており、新規開発のコストをかけずに搭載できた。プラットフォーム側も、MC型プラットフォームはV6を受け入れる設計的な余地がありました。

    つまり「やろうと思えばできた」し、ブレイドの商品企画上「やる理由もあった」。この二つが重なったとき、ブレイドマスターは現実のものになったわけです。

    走りの実像

    280psのV6をFF(前輪駆動)のCセグメントに載せるとどうなるか。答えはシンプルで、とにかく速いです。0-100km/h加速は6秒台半ばとされ、同時代のスポーツカーと比較しても遜色のない数字でした。しかもトランスミッションは6速ATで、日常域での扱いやすさも確保されています。

    ただし、課題もはっきりしていました。まずトルクステア。大排気量エンジンの駆動力を前輪だけで受け止めるため、加速時にステアリングが暴れる傾向がありました。トヨタはサスペンションのジオメトリー調整やトルクセンシングLSDの採用などで対策していますが、物理の壁を完全に消すことはできません。

    車重は約1,500kgで、標準ブレイドより100kg以上重い。フロントヘビーな重量配分も、ハンドリングの面ではハンデです。スポーツカーのような旋回性能を求める車ではなく、あくまで「圧倒的な動力性能を持つ上質なハッチバック」という性格でした。

    それでも、V6特有の滑らかな回転フィールと、低回転から湧き上がるトルクの厚みは、直4では絶対に得られないものです。高速巡航での余裕、追い越し加速の瞬発力。そういった場面では、このエンジンの意味がはっきりと伝わりました。

    売れたのか、という問い

    正直に言えば、ブレイドマスターは販売面で大きな成功を収めた車ではありません。車両価格は約300万円台半ばからで、Cセグメントのハッチバックとしては明らかに高価でした。同じ予算を出せばDセグメントのセダンが買えますし、スポーツ性を求めるならほかの選択肢もあります。

    さらに言えば、ブレイド自体がニッチなモデルでした。「小さな高級車」というコンセプトは、日本市場では必ずしも広く受け入れられるものではありません。大きい車=上級車という価値観が根強い中で、コンパクトなボディに高い値段をつけるのは簡単ではなかったのです。

    ブレイドは2012年に販売を終了し、後継車は設定されませんでした。トヨタの販売チャネル再編の流れもあり、トヨペット店専売のコンパクトハッチという枠組み自体が消滅した格好です。

    それでも語られ続ける理由

    販売台数だけを見れば、ブレイドマスターは忘れられてもおかしくない車です。しかし、中古車市場では今でも一定の人気があり、知る人ぞ知る存在として語られ続けています。

    その理由は明快で、「こんな車は二度と出ない」という確信があるからです。環境規制の強化、ダウンサイジングターボへの移行、電動化の加速。2GR-FEのような大排気量NAエンジンをコンパクトカーに積むという発想自体が、もはや時代的に不可能になりました。

    ブレイドマスターは、トヨタという巨大メーカーが持つリソースの豊富さと、販売チャネル差別化という当時特有の事情が重なって生まれた、極めて時代限定的な車です。合理的に考えれば必要なかったかもしれない。でも、合理性だけでは説明できない魅力がある。そういう車は、時間が経つほど輝きを増すものです。

    Cセグメントに3.5L V6。過剰であることを承知の上で、それでもやった。

    ブレイドマスターとは、トヨタが一瞬だけ見せた「やりすぎの美学」の結晶だったのかもしれません。(ほしい)

  • オーリス – E150/E180系【カローラを名乗らなかったカローラの話】

    オーリス – E150/E180系【カローラを名乗らなかったカローラの話】

    カローラの名前を外したカローラ…

    オーリスという車を一言で説明するなら、たぶんこれが一番正確です。

    トヨタが欧州市場を強く意識して投入したCセグメントハッチバックでありながら、日本ではどこか居場所を見つけきれなかった。その微妙さこそが、オーリスという車の本質だったように思います。

    カローラから名前を切り離した理由

    オーリスの前身は、カローラランクスです。もっと遡れば、カローラFXやカローラレビンといったハッチバック系のカローラに連なる系譜の上にあります。つまり、もともとカローラファミリーの一員だったわけです。

    ところが2006年に登場した初代オーリス(E150系)は、あえて「カローラ」の名前を外しました。これは単なるネーミング変更ではなく、明確な戦略的判断です。当時のトヨタは、欧州市場でのブランドイメージ刷新を強く意識していました。欧州において「カローラ」は実用車としての認知が強すぎた。もう少し若く、もう少しスポーティに見せたい。そのためには名前ごと変える必要があった、という判断です。

    車名の「Auris」はラテン語の「aurum(金)」に由来するとされています。ゴールド、つまり価値あるものという意味を込めたわけですが、正直なところ日本の消費者にはあまりピンとこなかったかもしれません。ただ、欧州向けの商品企画としては筋が通っていました。フォルクスワーゲン・ゴルフやフォード・フォーカスといった強豪がひしめくCセグメントで、「安くて壊れないカローラ」ではなく「走りの質感で勝負できるトヨタ車」として戦いたかったのです。

    E150系──欧州基準で作ったハッチバック

    初代オーリスは、欧州向けカローラと基本設計を共有しつつ、内外装のデザインや足回りのセッティングを独自に仕立てた車です。プラットフォームはMCプラットフォームで、当時のカローラやウィッシュなどと共通。エンジンは1.5L(1NZ-FE)と1.8L(2ZR-FE)の2本立てが日本仕様の基本でした。

    注目すべきは、欧州仕様ではディーゼルエンジンやMTが主力だったのに対し、日本仕様はCVTが中心だったことです。ここにオーリスの「二重性」が表れています。欧州ではゴルフの対抗馬として走りの質を問われ、日本では「カローラの代わりのハッチバック」として実用性を問われる。同じ車なのに、求められる役割がまるで違っていたわけです。

    デザインは当時のトヨタとしてはやや攻めた印象で、フロントマスクに個性を持たせようとした意図は感じられました。ただ、突き抜けたインパクトがあったかというと、そこは正直微妙なところです。「悪くはないけど、強く印象に残らない」。これは初代オーリスに対する当時の市場の空気感をかなり正確に表しています。

    E180系──本気で欧州と戦おうとした2代目

    2012年に登場した2代目(E180系)は、初代の課題をかなり明確に意識した進化を遂げています。プラットフォームは新世代のMCプラットフォームに刷新され、ボディ剛性が大幅に向上しました。欧州での走行テストを重ね、足回りの煮詰めにも相当な工数をかけたとされています。

    デザインも大きく変わりました。キーンルックと呼ばれるトヨタの新しいデザインランゲージを採用し、フロントフェイスはかなりシャープになっています。初代の「おとなしさ」への反省が見て取れるほど、2代目は意志のある顔つきをしていました。

    パワートレインでは、2015年のマイナーチェンジで1.2Lターボエンジン(8NR-FTS)が追加されたことが大きなトピックです。トヨタがダウンサイジングターボに本格的に取り組んだ初期の成果であり、116馬力・185Nmというスペックはこのクラスとしては十分な水準でした。さらに6速MTも設定されています。CVTだけでなくMTを用意したあたりに、欧州市場への本気度が見えます。

    加えて、ハイブリッドモデルも設定されました。1.8Lエンジンにモーターを組み合わせたTHS IIで、プリウスと基本的に同じシステムです。欧州では環境規制への対応としてハイブリッドの需要が高まっていた時期であり、ゴルフにはないトヨタ独自の武器として機能しました。

    日本市場での苦戦と、その構造的な理由

    ここまで読むと「なかなか良い車じゃないか」と思えるかもしれません。実際、欧州ではそれなりの存在感を発揮していました。しかし日本市場では、オーリスは最後まで販売的に苦戦しています。

    理由はいくつかあります。まず、日本ではCセグメントハッチバックというジャンル自体が弱い。軽自動車やミニバン、SUVが圧倒的に強い市場で、「5ドアハッチバックのセダン代替」は響きにくかったのです。

    さらに、カローラの名前を外したことが日本では裏目に出た面もあります。欧州では「カローラ=退屈」というイメージからの脱却が必要でしたが、日本では「カローラ=信頼と安心」というブランド資産がまだ生きていました。オーリスという聞き慣れない名前に乗り換える動機が、日本の消費者には薄かったわけです。

    販売チャネルの問題もありました。オーリスはネッツ店扱いでしたが、同じネッツ店にはヴィッツやアクアといった強力なコンパクトカーが並んでいます。店頭での存在感という点でも、オーリスは埋もれやすいポジションにありました。

    「カローラスポーツ」への転生

    オーリスの物語は、2018年に一つの結末を迎えます。後継モデルとして登場したのはカローラスポーツ。TNGAプラットフォーム(GA-C)を採用し、走りの質を根本から変えた新世代のハッチバックです。そしてその名前には、再び「カローラ」が冠されていました。

    これは、オーリスという実験の総括とも言える判断です。欧州でも日本でも、結局「カローラ」というブランドの引力は無視できなかった。ただし、オーリス時代に磨いた「走りで勝負するハッチバック」という方向性は、カローラスポーツにしっかり引き継がれています。むしろ、オーリスで蓄積した欧州的な走りの作り込みがあったからこそ、カローラスポーツはあれだけ高い評価を得られたとも言えます。

    つまりオーリスは、カローラが「走れるカローラ」に進化するための助走期間だったのかもしれません。名前としては消えましたが、そこで試みられたことは次の世代にちゃんと残っています。

    名前を変えても、変えなくても

    オーリスを振り返ると、ブランド戦略の難しさが浮かび上がってきます。欧州では「カローラじゃない名前」が必要で、日本では「カローラの名前」が必要だった。同じ車なのに、市場が変わると名前の持つ意味がまるで逆になる。これは自動車メーカーが常に直面するジレンマです。

    車としてのオーリスは、決して悪い車ではありませんでした。特に2代目のE180系は、ダウンサイジングターボにMT、ハイブリッドと多彩なパワートレインを揃え、走りの質感も確実に上がっていました。ただ、「この車でなければならない理由」を消費者に伝えきれなかった。それは車の出来というより、ポジショニングの問題だったように思います。

    カローラを名乗らなかったカローラ。その12年間の試行錯誤は、トヨタにとって決して無駄ではなかったはずです。少なくとも、今のカローラスポーツが持つ「走れるカローラ」という確かな手触りは、オーリスが欧州の道で磨いてきたものの延長線上にあります。

  • レビン/トレノ – TE27 【「速いカローラ」はここから始まった】

    レビン/トレノ – TE27 【「速いカローラ」はここから始まった】

    「カローラにツインカムを積む」

    いま聞くと当たり前のように思えるかもしれませんが、1970年代初頭にこれをやったのは、かなり大胆な判断でした。

    TE27レビン/トレノは、その最初の一手です。

    大衆車の車体にレース直系のエンジンを押し込むという、ある種の「反則技」がここから始まりました。

    大衆車にDOHCを載せるという賭け

    TE27が登場したのは1972年。

    ベースとなったのは2代目カローラ(TE20系)のクーペボディです。レビンがカローラ店扱い、トレノがオート店扱いという販売チャネルの違いはありましたが、中身はほぼ共通。最大のポイントは、そこに2T-G型エンジンを搭載したことにあります。

    2T-Gは、ヤマハと共同開発された1.6リッター直列4気筒DOHCです。当時、DOHCエンジンといえばトヨタ2000GTやベレットGTRのような、いわば特別な車のためのものでした。それをカローラクラスの量産車に載せる。コスト的にも商品企画的にも、相当なチャレンジだったはずです。

    ただ、トヨタにはそうする理由がありました。1960年代後半から国内のツーリングカーレースが盛り上がりを見せており、日産はサニーやブルーバードで戦果を上げていました。トヨタとしても、カローラクラスで「速い車」を持っておく必要があった。TE27は、モータースポーツの文脈と販売競争の両方から生まれた車です。

    2T-Gという心臓の意味

    2T-G型エンジンのスペックは、最高出力115馬力(グロス値)。いまの感覚で見れば大した数字ではありませんが、車両重量が約855kgしかないTE27に積めば、話はまったく変わります。パワーウェイトレシオで見れば、当時の国産スポーツカーの中でもかなり上位に入る水準でした。

    しかもこのエンジン、回して気持ちいいタイプです。ソレックスのキャブレターを2基備え、高回転域まで一気に吹け上がる。レスポンスの良さは、排気量の大きなOHCエンジンとは明らかに質が違いました。DOHCならではの回転フィールが、この車の最大の武器だったと言っていいでしょう。

    もうひとつ見逃せないのは、2T-Gが「量産できるDOHC」だったという点です。ヤマハの技術を使いつつ、トヨタの生産体制に乗せられる設計になっていた。これは後の3T-G、4A-GEといったDOHCエンジンの系譜へとつながる、非常に重要な布石でした。

    軽さと後輪駆動が生んだ走り

    TE27の走りを語るうえで、エンジンと同じくらい重要なのが車体の軽さです。約855kgという数字は、現代のコンパクトカーよりもはるかに軽い。この軽さが、2T-Gの115馬力を「速さ」に直結させていました。

    サスペンション形式はフロントがストラット、リアがリーフスプリングのリジッドアクスル。正直なところ、リアのリーフリジッドは洗練されたものとは言えません。路面の荒れた場面ではリアが暴れやすく、ドライバーの技量がそのまま走りに出る車でした。

    ただ、それが欠点だったかというと、当時のユーザーやモータースポーツの現場ではむしろ「わかりやすい」と受け止められていた面もあります。リアが流れる挙動を自分でコントロールする楽しさ。これはFR(後輪駆動)と軽量ボディの組み合わせだからこそ成り立つものでした。

    要するにTE27は、電子制御もなにもない時代の、素の運転感覚で勝負する車です。そこに魅力を感じた人が多かったからこそ、いまでも語り継がれているのでしょう。

    レースでの実績が育てたブランド

    TE27を語るうえで外せないのが、モータースポーツでの活躍です。富士のツーリングカーレースをはじめ、国内各地のサーキットでTE27は数多くの勝利を挙げました。

    とくに1973年の富士1000kmレースでの活躍は、「レビン=速いカローラ」というイメージを決定づけた出来事のひとつです。

    レース活動を支えたのは、トヨタワークスだけではありません。プライベーターの参戦も非常に多かった。ベース車両の価格がスポーツカー専用車に比べて圧倒的に安く、パーツの入手性も良かったからです。つまりTE27は、「誰でもレースに出られるスポーツカー」という立ち位置を自然に獲得していました。

    この構造は、後のAE86にもそのまま引き継がれます。手の届く価格の量産車をベースに、モータースポーツの裾野を広げる。TE27が作ったこの「型」は、トヨタのスポーツモデル戦略の原型と言っていいものです。

    排ガス規制という壁

    TE27の生産期間は、1972年から1974年までのわずか2年ほど。短命に終わった最大の理由は、昭和48年排出ガス規制の影響です。いわゆるマスキー法に対応するため、高性能エンジンの多くが存続を許されなくなった時代でした。

    2T-Gエンジンも例外ではなく、規制対応のためにパワーダウンを余儀なくされます。後継のTE37/TE51系レビン・トレノでは、排ガス対策によってエンジンの出力特性が明らかに変わり、TE27のような切れ味は薄れていきました。

    これはTE27だけの話ではなく、日本の自動車産業全体が直面した壁です。ただ、だからこそTE27は「規制前の最後の自由な時代に生まれたスポーツモデル」として、特別な位置づけを持つことになりました。短命だったことが、逆に伝説を強化した面は否定できません。

    「速いカローラ」の原点として

    TE27が残したものは、単に「速い車があった」という記憶だけではありません。大衆車のプラットフォームにDOHCエンジンを載せ、モータースポーツで鍛え、それをブランドイメージに還元する。このサイクルの出発点がTE27でした。

    後のTE71、そしてAE86へと続く「レビン/トレノ」の系譜は、すべてこのTE27から始まっています。AE86が「ハチロク」として神話化される背景にも、TE27が築いた「カローラベースのスポーツモデル」という文脈があるわけです。

    まあ、冷静に見れば855kgの車体にリーフリジッドのリアサス、キャブレターのDOHCという構成は、いまとなっては完全に過去の技術です。

    でも、その組み合わせが生み出した走りの原体験は、トヨタのスポーツカー史に確実に刻まれています。

    TE27は、「速いカローラ」という概念そのものを発明した車でした。

  • MR-S – ZZW30【最後のミッドシップを、トヨタは軽くした】

    MR-S – ZZW30【最後のミッドシップを、トヨタは軽くした】

    トヨタが量産ミッドシップスポーツを作らなくなって、もう20年近くが経ちます。

    その最後のモデルが、1999年に登場したMR-S(ZZW30)でした。

    先代MR2(SW20)がターボで武装したハードなスポーツカーだったのに対し、MR-Sはまるで別の思想で作られています。排気量は小さく、ターボもなく、車重はわずか1トン前後。

    つまりトヨタは、ミッドシップの最終章をあえて「引き算」で書いたわけです。

    MR2の後継、ではなかった

    MR-Sを語るうえで避けて通れないのが、先代SW20との関係です。SW20型MR2は、3S-GTE型2.0Lターボを背中に積んだ本格的なミッドシップスポーツでした。最高出力は245ps。ところがこのクルマ、とにかく「怖い」と言われました。ミッドシップ特有のリアの挙動変化が急で、腕に覚えのないドライバーにとっては扱いにくい。スナップオーバーステア、いわゆる突然リアが流れる挙動が問題視されたのです。

    トヨタの開発陣がMR-Sで狙ったのは、その反省を踏まえた「誰でも楽しめるミッドシップ」でした。当時の開発主査・牧野洋二氏は、パワーで押すのではなく、軽さとオープンエアの気持ちよさでスポーツカーの楽しさを再定義しようとしています。つまりMR-Sは、MR2の正統後継というよりも、ミッドシップという形式を残しながらクルマの性格そのものを作り替えたモデルです。

    名前が「MR2」ではなく「MR-S」に変わったのも象徴的でしょう。Sは「Spyder」を意味し、最初からオープン専用として設計されました。MR2のハードトップを引き継ぐのではなく、ソフトトップの2シーターとして一から企画されたクルマです。

    1ZZ-FEという「弱さ」の意味

    MR-Sの心臓部は、1ZZ-FE型1.8L直4自然吸気エンジンです。最高出力140ps、最大トルク17.4kgm。スポーツカーとしては、正直なところ数字だけ見れば物足りません。同時代のインテグラタイプRが200psを超え、シルビアのターボが250psクラスだった時代です。「なぜミッドシップなのにこのパワーなのか」という疑問は、発売当初からつきまといました。

    ただ、ここがMR-Sの設計思想の核心です。車重は約970〜1,000kg。パワーウェイトレシオで見れば決して悪くない。そしてエンジンが軽いことで、ミッドシップの弱点であるリアヘビーな重量配分が緩和されています。前後重量配分はほぼ45:55。SW20が抱えていた「リアが重すぎて挙動が急変する」問題を、エンジンの小型軽量化で物理的に解消しようとしたわけです。

    要するに、1ZZ-FEは「非力だから選ばれた」のではなく、軽さと重量配分のために積極的に選ばれたエンジンでした。パワーが足りないという批判は当然あります。でもそれは、このクルマが何を優先したかを理解した上で語るべき話です。

    シーケンシャルMTという冒険

    MR-Sのもうひとつの話題が、SMT(シーケンシャル・マニュアル・トランスミッション)の採用です。クラッチペダルなしで、シフトレバーの前後操作またはステアリングのボタンでギアを切り替える2ペダルMT。当時のF1やスーパーカーで注目されていた技術を、200万円台のスポーツカーに載せてきたのは、かなり挑戦的でした。

    ただ、正直に言えばこのSMTの評価は割れました。変速のレスポンスが遅く、特にシフトアップ時のタイムラグが大きい。スポーツ走行ではもたつきが気になるという声が多く、結果として5速MTを選ぶユーザーのほうが多数派になっています。技術的な志は高かったものの、当時のアクチュエーター技術では理想に追いつかなかった、というのが実情でしょう。

    それでもSMTの存在は、MR-Sが単なる廉価スポーツではなく、新しいドライビング体験を模索していたクルマだったことを示しています。2002年のマイナーチェンジではSMTの制御が改良され、多少はレスポンスが改善されました。

    走りの味は、数字に出ない

    MR-Sの走りを語るとき、スペックだけでは伝わらない部分があります。このクルマの美点は、低速域から中速域でのコーナリングの楽しさです。ミッドシップレイアウトによるノーズの軽さ、1トンを切る車重がもたらす身のこなしの軽快さ。ステアリングを切った瞬間にノーズがスッと入っていく感覚は、同価格帯のFFスポーツでは絶対に味わえないものでした。

    足まわりはフロント、リア共にマクファーソンストラット。凝った形式ではありませんが、軽い車体との相性がよく、しなやかに動きます。リアの接地感はSW20ほど神経質ではなく、限界付近でも穏やかにリアが流れ始める特性に仕上げられていました。

    ソフトトップを開けて、エンジン音を背中に聞きながら峠道を流す。そういう使い方をしたとき、MR-Sは数字以上の満足感を返してくれるクルマでした。サーキットでタイムを削るよりも、ワインディングを気持ちよく走ることに特化した設計と言えます。

    売れなかった、という現実

    ここは避けずに書いておくべきでしょう。MR-Sは商業的には成功したとは言えません。日本での販売は伸び悩み、2007年に生産終了を迎えています。約8年間の販売期間で、国内累計販売台数は約1万6,000台ほど。同時代のロードスター(NB型)が安定して売れ続けていたのとは対照的です。

    理由はいくつか考えられます。まず、パワー不足という印象がスポーツカーユーザーの購買意欲を削いだこと。次に、ロードスターという強力なライバルがすでに市場を押さえていたこと。そして2000年代に入ってスポーツカー市場そのものが縮小していたこと。MR-Sの企画が間違っていたというより、時代の逆風が強すぎました。

    トヨタ自身も途中からテコ入れを試みています。2002年のマイナーチェンジでは足まわりの見直しとSMTの改良、内外装のリフレッシュを実施。さらに2005年にはエンジンを2ZZ-GE(190ps)に換装した仕様が……と言いたいところですが、これは実現しませんでした。2ZZ搭載の噂は根強くありましたが、結局市販には至っていません。

    トヨタ・ミッドシップの最終章

    MR-Sの生産終了をもって、トヨタの量産ミッドシップスポーツの系譜は途絶えました。初代MR2(AW11)から数えて約20年。3世代にわたるミッドシップの歴史は、ZZW30で幕を閉じています。

    その後、トヨタは86(ZN6)でスポーツカーに復帰しますが、レイアウトはFR。GRヤリスは4WD。ミッドシップという形式に、トヨタが再び量産で挑む気配は今のところありません。MR-Sは「トヨタが最後にミッドシップを作ったクルマ」として、否応なく歴史的な意味を持つことになりました。

    振り返ってみると、MR-Sは不遇なクルマだったと思います。パワーがないと言われ、SMTは中途半端と言われ、ロードスターに勝てないと言われた。でも、このクルマが提示した「軽いミッドシップで、オープンで、日常的に乗れるスポーツカー」という方向性は、今見ても十分に魅力的です。

    パワーで殴るのではなく、軽さで曲がる。屋根を開けて、エンジンを背中に感じながら走る。MR-Sが目指したのは、スポーツカーの原点に近い快楽でした。それが市場に受け入れられなかったのは、クルマの問題というより、時代の問題だったのかもしれません。

  • Vitz GRMN – NCP131【GR ヤリスの前日譚】

    Vitz GRMN – NCP131【GR ヤリスの前日譚】

    ヴィッツの話はするか迷いましたが、GRヤリスのDNAを語る上でこのクルマは必須だと思うので書きました。

    Vitz GRMNが切り開いたGRの夜明け

    2017年3月、トヨタは国内150台・欧州400台限定のVitz GRMNを発表しました。

    1.8 L 直列4気筒にスーパーチャージャーを組み合わせて212 PSを発生し、0-100 km/h加速は6秒台。

    エンジンは異例のロータスがチューニングを担当し、17インチBBS鍛造ホイールや専用ブレーキを備えた3ドア専用ボディで、小型ハッチバックの常識を大きく塗り替えました。 

    GRブランドとGAZOO Racing Companyの誕生

    Vitz GRMNの登場と同じ2017年、トヨタはモータースポーツ部門を統合してGAZOO Racing Companyを発足させ、スポーツモデルを「GR」「GR SPORT」「GRMN」の3階層に再編しました。

    ここから「レースで鍛え、市販車で還元する」開発思想が本格的に動き出します。 

    「サーキット直結」の小型ホットハッチ

    プロジェクトを率いたエンジニアたちは「排気量を上げずに欧州Bセグを圧倒する」を合言葉に、機械式LSD、専用サスペンション、強化ボディを投入しました。

    テストコースとニュルブルクリンクで繰り返した走行評価では、量産Vitzとは別物のシャープなステアリングフィールが追求され、コーナー脱出加速を重視したギア比の6速MTが選ばれています。 

    台数限定ゆえの「争奪戦」とラリー転戦

    日本では商談申込み開始からわずか数日で完売し、抽選倍率は10倍以上と報じられました。

    完売後もTOYOTA GAZOO Racingは全日本ラリー選手権へGRMN Vitz Rallyを投入し、開発データを公道で収集。

    小さなボディに高出力エンジンと機械式LSDという組み合わせが、タイトな林道でも有効であることを証明しました。 

    GRヤリスへの「渡り板」

    Vitz GRMNで得られたパワートレーンや車体剛性強化のノウハウ、そして「限定でも採算を取る少量生産のビジネススキーム」は、後のGRヤリス開発を支える土台になりました。

    GAZOO Racing Companyが掲げる「走る→壊す→直す」の耐久テスト哲学もこのモデルで磨かれ、社内に「ホモロゲ級ホットハッチを本気で作れる」という成功体験を残しました。

    まとめ

    Vitz GRMNは、カタログモデルの外側に“本気のホットハッチ”を用意できることを示し、GRブランド黎明期を象徴する一台となります。

    その小型・高出力・限定生産というパッケージは、2020年のGRヤリスへと確かに継承され、トヨタのモータースポーツ起点のクルマづくりを今日まで牽引し続けています。

  • GRヤリス – GXPA16【執念が生んだトヨタの異物】

    GRヤリス – GXPA16【執念が生んだトヨタの異物】

    このクルマ、実はトヨタの多方面からのDNAを受け継いでいて、

    まずは直系とも言えるVitz系のコンパクトカーのDNAです。特にVits GRMNはGRヤリスの起源と言っても過言ではありません。

    次にWRCホモロゲーションモデルのDNA。セリカ GT-Fourを最後にトヨタはWRCホモロゲモデルを出していませんでしたが、ここにきて約「35年越し」に復活したラリー4WDの血筋も引いているのです。

    …と二つあるのですが、今回は直系であるVitzから続くDNAを中心としてみていきます。(セリカまで含めるととんでもない文量になってしまうので…)

    GRヤリスの起源「Vitz GRMN」

    2017年に150台限定で発売されたVitz GRMNは、1.8 Lスーパーチャージャーエンジンと6速MTを組み合わせた小型高性能モデルでした。

    台数こそわずかでしたが、「もっと過激なホットハッチを市販化できる」という社内の自信を育て、後のGRヤリス計画に直結する重要な一歩となります。

    社長勅令で始動したホモロゲーション計画

    トヨタ社長兼マスタードライバーの豊田章男(Morizo)氏は、「WRCで勝てる市販車をつくる」という明確な目標を掲げ、開発部門を束ねるGAZOO Racing Companyにプロジェクトを指示しました。

    開発責任者にはWRC現場出身の斎藤直彦氏が就任し、「走る→壊す→直す」を徹底する耐久テストを主導し、開発サイクルを確立していきます。

    この鍛えの哲学が、後にGRヤリスを生み出す原動力になります。 

    モトマチ「GR Factory」誕生

    GRヤリスについては他の車種とは違い、異例中の異例で量産体制の革新が行われました。ここからもGR ヤリスに対するトヨタの本気度が伺えますね。

    2020年、愛知・元町工場の一角にGR Factoryが新設されます。コンベヤを使わず、セルごとに車体がAGVで運ばれる方式を採用し、熟練工が手作業に近い精度で溶接・組付けを行います。

    余談ですが、低ボリュームでも高剛性と高精度を両立できるこのラインは、現在ではGRヤリスとGRカローラを同時に生産するようになりました。 

    初代GR Yarisの登場

    こうして誕生したGRヤリス(GXPA16)は、前半分にGA-B、後半分にGA-Cを組み合わせた3ドア専用ボディを採用し、1.6 L直列3気筒ターボエンジン(G16E-GTS:272 PS/370 Nm)と前後可変配分4WDシステムである「GR-FOUR」を搭載しました。

    アルミパネルやCFRPルーフで車重を1,280 kgに抑え、量産車では異例の「ホモロゲーション専用シャシー」を実現しています。 

    GRMN ヤリスでさらに強化

    発売から2年後、トヨタ Gazoo Racingは500台限定のGRMN ヤリスを東京オートサロンで公開しました。

    スポット溶接を560点増やし、CFRPパーツと2座化で約20 kgの軽量化を達成。「サーキットパッケージ」と「ラリーパッケージ」を用意し、予約抽選には1万件を超える応募が殺到しました。 

    大幅改良と8速AT「GR-DAT」

    2024年の改良では、エンジンを275–304 PSまで強化するとともに、8速AT「GR-DAT」を追加して幅広いドライバーがモータースポーツに参加しやすい体制を整えました。

    コクピットは15°ドライバー向きに再設計され、前後バンパーは交換しやすいモジュール式に変更されています。これらは「より多くの人に走る喜びを届けたい」というMorizo氏の意向に基づいています。

    派生と今後の展望

    GR Factoryは同じセル方式でGR カローラも生産しており、需要増に対応するため一部生産を英国バーナストン工場へ移す計画も報じられています。

    さらに、2.0 Lターボをリアミッドに搭載するなど狂気に満ちた「GRヤリス Mコンセプト」も試験走行を重ねているなど、GRヤリスから始まる新たなDNAは今後も目を離せませんね。

    まとめ

    Vitz GRMNで芽生えた挑戦心は、Morizo氏のトップダウンと斎藤氏の現場主導によってGRヤリスへ結実しました。

    その後も限定GRMNや8速ATの導入で磨きをかけ、「モータースポーツで鍛えて市販で還元する」というGAZOO Racing流ものづくりが確立されています。

    今後もGR Factoryを中心に、トヨタ「走る楽しさ」を体現するホットハッチの血統が受け継がれていくことでしょう。