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  • RX-7 – FD3S【ロータリーという幻想が、最も艶やかに咲いた瞬間】

    RX-7 – FD3S【ロータリーという幻想が、最も艶やかに咲いた瞬間】

    1991年に登場したFD3S型RX-7は、ロータリーエンジンを積んだピュアスポーツカーとしては事実上の最終形です。

    それは単に「最後に出たから最終形」という意味ではなく、ロータリーでしかできないことを突き詰めた結果として、あの形になった。

    そこに、この車の本質があります。

    バブルが生んだ車ではない

    マツダ RX-7 Type RB S Package(FD3S)のフロントサイド
    撮影:TTTNIS/Wikimedia Commons(CC0)

    FD3Sのデビューは1991年10月。バブル景気の崩壊がすでに始まっていた時期です。よく「バブル期の贅沢な車」と括られますが、実際の開発はそれよりずっと前、1980年代後半からスタートしています。企画の起点にあったのは、先代FC3Sの課題を正面から潰すことでした。

    FC3Sは1985年に登場し、ターボ化されたロータリーで高い動力性能を持っていました。ただ、車重が重かった。とくにターボII(後期型)は1,300kgに迫り、ロータリーの軽さという本来の武器が薄まっていた。FDの開発チームは、まずここを根本から変えようとしています。

    当時の主査である小早川隆治氏は、「軽さこそがロータリースポーツの命」という考えを繰り返し語っています。FDの車両重量は1,250kg前後。FCからの進化幅を考えると、装備が増えた時代にこの数字を実現したこと自体が、明確な設計意志の表れです。

    シーケンシャルツインターボという回答

    マツダ RX-7(FD3S)の13B-REW型ロータリーエンジン
    撮影:TTTNIS/Wikimedia Commons(CC0)

    FD3Sの心臓部は13B-REW型エンジン。654cc×2ローターの13Bをベースに、世界初の量産シーケンシャルツインターボを組み合わせたユニットです。最高出力は当初255ps、最終的には自主規制上限の280psに達しています。

    シーケンシャルツインターボとは、低回転域では小さいタービン1基で素早くブーストを立ち上げ、回転が上がると大きいタービンに切り替えて高回転域のパワーを稼ぐ仕組みです。ロータリーエンジンは構造上、低回転のトルクが細くなりやすい。ツインターボの採用は、その弱点を機械的に補うための設計判断でした。

    ただし、この切り替えには独特の「段つき」があり、4,000〜4,500rpm付近でトルクの谷間が出ることがありました。マツダは型式ごとの改良(いわゆる1型から6型までの変遷)でこの制御を年々煮詰めていきますが、完全に消えたわけではありません。ここがFDの味であり、弱点でもある部分です。

    あのボディラインの理由

    マツダ RX-7(FD3S)のフロントビュー
    撮影:Tokumeigakarinoaoshima/Wikimedia Commons(CC0)

    FD3Sのデザインは、今見ても驚くほどまとまっています。丸みを帯びた流線型のボディは単に美しいだけでなく、空力性能を最優先した結果です。Cd値(空気抵抗係数)は0.31。1990年代初頭のスポーツカーとしては非常に優秀な数値でした。

    デザインを率いたのは、当時マツダのデザイン部門にいた福田成徳氏ら。彼らが意識したのは「ワンモーションフォルム」、つまりボンネットからルーフ、リアエンドまでがひとつの流れで繋がるシルエットです。リトラクタブルヘッドライトの採用も、この流れを壊さないための選択でした。

    ロータリーエンジンはレシプロに比べて圧倒的にコンパクトです。エンジン自体が小さいからフロントのオーバーハングを短くでき、ノーズを低く構えられる。FDのあのプロポーションは、ロータリーだからこそ成立したものです。ここが、この車の設計思想の核心と言っていいでしょう。

    1型から6型へ、10年の熟成

    マツダ RX-7 Type RB S Package(FD3S)のリアビュー
    撮影:TTTNIS/Wikimedia Commons(CC0)

    FD3Sは1991年の発売から2002年の生産終了まで、約11年間にわたって販売されました。その間、大きなモデルチェンジはなく、いわゆるイヤーモデル的な改良が重ねられています。ファンの間では1型〜6型と呼ばれる区分が定着しています。

    初期型(1型・2型)は軽さとシンプルさが際立ちますが、制御系がまだ粗い部分がありました。3型(1995年〜)で大幅なエンジン制御の見直しが入り、出力も255psから265psへ向上。ツインターボの切り替えもスムーズになっています。

    4型以降はさらに足回りやボディ補強が進み、5型(1998年〜)で280psに到達。最終の6型(2000年〜)はスピリットRという限定モデルで幕を閉じました。スピリットRはBBS製鍛造ホイール、レカロシート、専用サスペンションなどを装備した「マツダが考えるFD3Sの完成形」です。1,500台限定で、即完売しています。

    この10年間の変遷を見ると、FDは一度も根本設計を変えていません。基本骨格を信じたまま、制御と細部だけを磨き続けた。これは裏を返せば、最初の設計がそれだけ優れていたということでもあります。

    同時代のライバルとの距離感

    https://kuruma-dna.com/sa22c

    FD3Sが戦った相手は、国産で言えばNSX、スープラ(A80)、GT-R(R32〜R34)、そしてポルシェ911やコルベットといった輸入スポーツカーです。この中でFDの立ち位置は独特でした。

    NSXはミッドシップのスーパーカー、GT-Rは四駆のハイテクマシン、スープラは直6ツインターボのグランドツアラー寄り。FDはそのどれとも違い、フロントミッドシップ・FR・軽量・自然吸気的なフィーリングのターボという、かなり古典的なスポーツカーの文法を守っていました。

    車重1,250kgという数字は、同世代のライバルと比べて100〜300kgほど軽い。パワーウェイトレシオで見れば、280ps級の中では最も有利な部類です。直線番長ではなく、ワインディングやサーキットでの身のこなしで勝負する車でした。

    なぜ終わったのか

    https://kuruma-dna.com/l10a

    FD3Sの生産終了は2002年8月。理由は複合的ですが、最大の要因は排出ガス規制への対応です。ロータリーエンジンは構造上、未燃焼ガスの排出が多く、年々厳しくなる規制をクリアし続けることが困難になっていました。

    加えて、マツダ自体が1990年代後半に深刻な経営危機を迎えていたことも見逃せません。フォード傘下での再建が進む中、採算性の低いスポーツカーの継続は難しかった。FDの後継として2003年にRX-8(SE3P)が登場しますが、これは4ドアの実用性を持たせた全く異なるコンセプトの車です。

    つまりFD3Sは、「2シーターFRのロータリーピュアスポーツ」という系譜の、正真正銘の最後のモデルです。RX-8はロータリーを積んではいましたが、FDの後継というよりは別の道を選んだ車でした。

    ロータリーの到達点として

    https://kuruma-dna.com/pg6sa

    FD3Sを語るとき、どうしてもロータリーエンジンの話になります。それは当然で、この車はロータリーの長所を最大化するために設計された車だからです。エンジンが小さいからノーズが低い。軽いから車体も軽くできる。高回転まで滑らかに回るからスポーツカーとして気持ちいい。

    一方で、燃費の悪さ、低回転トルクの細さ、排ガス性能の限界。ロータリーの弱点もそのまま引き受けています。FDはロータリーの光と影を、どちらも隠さずに体現した車です。

    現在、FD3Sの中古車価格は高騰を続けています。とくに5型・6型やスピリットRは、程度の良い個体であれば新車価格を大きく超える値がつくことも珍しくありません。それは投機的な側面もあるでしょう。ただ、「もう二度と作れない車」に対する敬意が、その価格の底にはあるように思います。

    マツダがロータリーエンジンで作り上げた最後のピュアスポーツカー。FD3Sはその事実だけで、自動車史に残る一台です。ただそれ以上に、「ロータリーだからこそこの形になった」という設計の一貫性が、この車を特別な存在にしています。

  • RX-8 – SE3P【最後のロータリーが選んだ、異端の正解】

    RX-8 – SE3P【最後のロータリーが選んだ、異端の正解】

    ロータリーエンジンを積んだ最後の量産スポーツカー。その称号を持つのが、マツダRX-8(SE3P)です。

    ただ、この車を「RX-7の後継」と呼ぶと、だいぶ話がねじれます。ターボを捨て、2ドアを捨て、リトラクタブルライトも捨てた。代わりに手に入れたのは、観音開きの4ドアと、自然吸気のロータリー。スポーツカーとして見ると、かなり異端です。

    でもこの異端さにこそ、2000年代のマツダが抱えていた切実な事情と、それでもロータリーを残したいという執念が詰まっているのです。

    RX-7の後継ではない、という前提

    https://kuruma-dna.com/fd3s

    RX-8が登場したのは2003年。先代にあたるRX-7(FD3S)は2002年に生産を終了しています。時系列だけ見ると後継車のように見えますが、マツダ自身はRX-8をRX-7の後継とは位置づけていません。

    FD3Sは280馬力の13Bツインターボを積んだ、正真正銘のピュアスポーツでした。しかし2000年前後のマツダは、フォード傘下で経営再建の真っ只中にあります。

    販売台数が見込めないピュアスポーツをもう一台作る体力は、率直に言ってなかった。

    一方で、ロータリーエンジンはマツダにとって単なるパワートレインではありません。ブランドの象徴であり、技術者たちの精神的な支柱でもある。ロータリーを載せた車を「ゼロ」にするわけにはいかない。

    この二律背反が、RX-8という車の出発点です。

    「4人乗れるスポーツカー」という企画の必然

    https://kuruma-dna.com/fc3s

    RX-8の開発コンセプトは、当時の開発主査・貴島孝雄氏の言葉を借りれば「4人がちゃんと乗れるスポーツカー」でした。これは妥協ではなく、戦略です。ピュアスポーツでは台数が出ない。でもロータリーは載せたい。ならば、日常使いの間口を広げることで販売台数を確保し、ロータリーの存続を正当化する。そういう構造です。

    この企画を実現するために選ばれたのが、フリースタイルドアと呼ばれる観音開きの4ドアでした。Bピラーをドアに内蔵し、前後ドアを順番に開けることで広い開口部を確保する仕組みです。後席へのアクセスは2ドアクーペとは比較にならないほど良く、それでいて外観は限りなくクーペに近い。

    奇抜に見えるこの構造ですが、じつは非常にロジカルな解です。4ドアセダンにすれば後席は楽になりますが、スポーツカーとしてのスタイリングが死ぬ。2ドアのままでは「RX-7と何が違うのか」という問いに答えられない。観音開きは、その両方を同時に解決する唯一の方法だったわけです。

    NAロータリーという割り切り

    https://kuruma-dna.com/sa22c

    エンジンは新開発の13B-MSP(RENESIS)。排気量654cc×2ローターという基本はRX-7の13B-REWと同じですが、最大の違いはターボを持たない自然吸気であることです。最高出力は6速MT仕様で250馬力、4速AT仕様で210馬力。FD3Sの280馬力と比べれば、数字だけ見ると物足りなく映ります。

    しかしRENESISの本質は、出力の大きさではありません。このエンジンの最大の革新は、排気ポートをサイドハウジングに移設したサイドポート排気にあります。従来のペリフェラルポート(ローターハウジング外周に排気ポートがある方式)では、未燃焼ガスが排出されやすく、排ガス規制への対応が年々厳しくなっていました。

    サイドポート排気によって燃焼効率が改善され、排ガス性能は劇的に向上します。RENESISは、ロータリーエンジンとして世界で初めて当時の欧州排ガス規制(Euro 4相当)をクリアしました。つまりこのエンジンは、「速さのため」ではなく「ロータリーを21世紀に存続させるため」に設計されたものです。

    その代わり、高回転まで気持ちよく回るNAロータリーの味わいは格別でした。9,000rpmまで一気に吹け上がるフィーリングは、ターボのドカンとしたパワー感とはまったく別種の快楽です。「速さ」より「回す喜び」にベクトルを振ったことで、RX-8は独自のキャラクターを獲得しています。

    シャシーの完成度という隠れた本領

    https://kuruma-dna.com/l10a

    RX-8を語るとき、エンジンとドアの話題に偏りがちですが、じつはこの車の最大の美点はシャシーにあります。フロントミッドシップに搭載されたコンパクトなロータリーエンジン、トランスアクスル的なレイアウトに近い前後重量配分。結果として実現された前後重量配分50:50は、カタログ上の数字ではなく、実際に走らせたときの挙動に明確に表れていました。

    プラットフォームはRX-8専用設計です。フロントにダブルウィッシュボーン、リアにマルチリンクを配し、ボディ剛性も先代RX-7から大幅に向上しています。車両重量は約1,310kg(6MT仕様)。4ドアのスポーツカーとしては十分に軽い部類です。

    当時のモータージャーナリストの多くが、RX-8のハンドリングを高く評価しました。とくにコーナリング時のニュートラルなバランスと、ステアリングに対する応答のリニアさは、同価格帯のスポーツカーの中でも頭ひとつ抜けていたと言っていい。ロータリーエンジンの小ささと軽さが、車両全体のバランスに効いている好例です。

    売れたのか、売れなかったのか

    https://kuruma-dna.com/se3p/used

    RX-8は発売当初、かなりの注目を集めました。2003年の「インターナショナル・エンジン・オブ・ザ・イヤー」ではRENESISが受賞し、翌年にはワールド・カー・オブ・ザ・イヤーの最終候補にも残っています。日本国内でも初年度は好調な販売を記録しました。

    しかし、年を追うごとに販売台数は下降していきます。理由は複合的です。まず燃費。ロータリーエンジンの宿命として、燃焼室の表面積が大きく熱損失が多い。街乗りでリッター6〜7km台という燃費は、2000年代後半のガソリン価格高騰の中で厳しいものでした。

    加えて、エンジンの耐久性に関する懸念も市場には存在しました。アペックスシールの摩耗やオイル消費の多さといったロータリー固有の弱点は、RENESISでも完全には解消されていません。長期保有を前提とするオーナーにとって、この点は無視できないリスクでした。

    2008年のマイナーチェンジでは内外装のリフレッシュやサスペンションの再チューニングが行われましたが、販売の回復には至らず、2012年に生産終了。最終特別仕様車「SPIRIT R」は、ロータリーエンジン搭載車の最後を飾るにふさわしい、走りに振り切った仕立てでした。

    ロータリーの「終わり」ではなく「つなぎ」

    https://kuruma-dna.com/nc1

    RX-8の生産終了をもって、マツダのロータリーエンジン搭載車はラインナップから消えました。しかし、この車が残したものは小さくありません。

    RENESISで培われたサイドポート排気の技術や、ロータリーの小型・軽量という特性を活かす車両設計の思想は、その後マツダが開発を進めたロータリーレンジエクステンダー(MX-30 R-EV)に直接つながっています。駆動用ではなく発電用としてロータリーを使うという発想は、「小さく、軽く、振動が少ない」というロータリーの長所を最大限に活かすものです。

    つまりRX-8は、ロータリーの歴史における「終点」ではなく、「次の形態への橋渡し」だったと見ることもできます。スポーツカーとしてのロータリーを延命させながら、排ガス技術を一段進め、次世代への接続点を作った。それがSE3Pという車の、カタログには載らない役割です。

    4ドアでNAで観音開き。どこを切っても異端に見えるRX-8ですが、その異端さのすべてに理由がある。「ロータリーを絶やさない」という一点を守るために、マツダが選んだ最適解。SE3Pとは、そういう車です。

    みなさん、令和になってもロータリーエンジンの火はまだ消えていませんよ。

  • RX-7 – SA22C【ロータリースポーツカーという賭け】

    RX-7 – SA22C【ロータリースポーツカーという賭け】

    1978年、マツダは一台のスポーツカーを世に送り出します。

    サバンナRX-7、型式SA22C。これはただの新型車ではありませんでした。ロータリーエンジンを「載せた」のではなく、ロータリーのために「つくった」クルマ。

    マツダがそこまで踏み込んだ背景には、追い詰められた者だけが持つ覚悟がありました。

    排ガス規制という逆風の中で

    マツダRX-7 SA22C
    画像:Sicnag/CC BY 2.0(Wikimedia Commons)

    https://kuruma-dna.com/fc3s

    1970年代のマツダは、正直なところ苦しい時代を過ごしていました。ロータリーエンジンに社運を賭けて量産化に成功したものの、1973年のオイルショックが直撃します。燃費の悪さがロータリー最大の弱点として露呈し、販売は急落。加えて、世界的に強まる排ガス規制への対応も迫られていました。

    社内では「ロータリーをやめるべきだ」という声もあったといいます。実際、ロータリー搭載車のラインナップは急速に縮小されていきました。ルーチェやコスモなど、かつてロータリーを積んでいた車種が次々とレシプロに切り替わっていった時期です。

    しかしマツダは、ロータリーを完全には捨てませんでした。むしろ「ロータリーが最も活きる場所」に集中させる、という判断に舵を切ります。その答えが、軽量スポーツカーという器だったわけです。

    サバンナの名を継いだ別物

    https://kuruma-dna.com/l10a

    SA22Cの前身にあたるのは、サバンナ(S124A)です。ただ、前身とは言っても、この二台の間に設計上の連続性はほとんどありません。サバンナはもともとファミリアベースのスポーティカーであり、ロータリーを積んではいたものの、専用設計のスポーツカーではなかった。

    SA22Cは違います。最初からロータリーエンジンを搭載することだけを前提に、フロントミッドシップというレイアウトが選ばれました。コンパクトで軽いロータリーの特性を最大限に活かすため、エンジンをフロントアクスルより後方に搭載し、前後重量配分を最適化する。これは当時としてはかなり先進的な設計思想です。

    搭載された12A型ロータリーは573cc×2ローターで、出力は130馬力。数字だけ見れば飛び抜けて高いわけではありません。しかし車両重量が約1,000kgに抑えられていたことで、パワーウェイトレシオは当時の同価格帯では際立って優秀でした。

    ポルシェ924が見せた道筋

    https://kuruma-dna.com/fd3s

    SA22Cの開発にあたって、マツダがベンチマークとしたのはポルシェ924だったと言われています。当時のポルシェ924は「手の届くポルシェ」として北米市場で大きな成功を収めていました。リトラクタブルヘッドライト、ロングノーズ・ショートデッキのプロポーション。SA22Cのスタイリングが924を意識していることは、見ればすぐにわかります。

    ただし、マツダは単にポルシェを真似たわけではありません。924がフロントエンジン・リアトランスアクスルという凝ったレイアウトを採用していたのに対し、SA22Cは通常のFRレイアウトを選んでいます。コストを抑えながら、ロータリーの軽さとコンパクトさで同等以上の重量配分を実現する。つまり、エンジンの特性で設計上のハンデを帳消しにするという戦略です。

    この割り切りが、結果として北米市場で大きな成功につながります。ポルシェ924の半額以下で、同等かそれ以上の走りが手に入る。アメリカのカー雑誌はこぞってSA22Cを絶賛しました。

    走りの質と、その限界

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    SA22Cの走りの核心は、やはりロータリーの回転フィールにあります。振動がほとんどなく、高回転までスムーズに吹け上がる。レシプロエンジンとはまったく異質のフィーリングで、これは乗った人にしかわからない種類の快感です。

    足回りはフロントがストラット、リアがリジッドアクスルの4リンク。リアがリジッドというのは、今の感覚では古く見えるかもしれません。しかし当時の同クラスでは標準的な構成であり、軽い車重と相まって、実際の動きは軽快そのものでした。

    一方で、弱点もはっきりしていました。まず燃費。12Aロータリーの実燃費はリッター6〜8km程度で、オイルショック後の時代にこの数字は厳しかった。また、低回転域のトルクが薄いため、街乗りでの扱いやすさはお世辞にも良いとは言えません。ロータリーの美点と弱点が、そのまま車の性格に直結していたのです。

    後期型ではターボモデル(12Aターボ)が追加され、出力は165馬力に向上します。低速トルクの改善という実用的な意味もありましたが、何よりこのターボ化の経験が、次世代FC3Sの13Bターボへとつながっていく点で重要です。

    北米が育てたRX-7

    https://kuruma-dna.com/na6c

    SA22Cの成功を語るうえで、北米市場の存在は外せません。日本国内では「サバンナRX-7」ですが、北米では単に「RX-7」として販売されました。そしてこの車は、北米でこそ真価を発揮します。

    1978年の発売から1985年の生産終了までに、SA22Cは全世界で約47万台が生産されたとされています。そのうちかなりの割合が北米向けでした。価格競争力と走行性能のバランスが、アメリカのスポーツカー市場にぴたりとはまったのです。

    IMSA(国際モータースポーツ協会)のレースでも活躍し、ロータリーエンジンの高回転・高出力特性はモータースポーツとの相性が良いことを証明しました。この実績が、マツダのブランドイメージを「ロータリーのマツダ」として定着させる大きな要因になっています。

    賭けが残したもの

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    SA22Cは、マツダにとって単なるヒット商品以上の意味を持つ一台です。オイルショックと排ガス規制でロータリーの存続が危ぶまれた時代に、「ロータリーでなければ成立しないクルマ」を作ることで、技術の灯を守った。これは結果論ではなく、明確な戦略でした。

    そしてこの戦略は、FC3S、FD3Sという後継モデルへと受け継がれていきます。ロータリー専用スポーツカーという系譜は、SA22Cが切り拓いたものです。もしこの車が生まれていなければ、RX-7という名前も、ル・マンでのロータリー優勝も、おそらく存在しなかったでしょう。

    追い詰められた状況で、あえて得意技に全振りする。SA22Cとは、マツダがロータリーと心中する覚悟を見せた、最初の一台だったのです。

  • コスモスポーツ – L10A/L10B【世界初の量産ロータリーが背負ったもの】

    コスモスポーツ – L10A/L10B【世界初の量産ロータリーが背負ったもの】

    世界で初めてロータリーエンジンを量産車に載せたのは、フェラーリでもポルシェでもありませんでした。広島のマツダです。

    1967年、まだ「東洋工業」という社名だった時代に送り出されたコスモスポーツは、単なるスポーツカーではなく、企業の未来そのものを賭けた技術証明の器でした。

    なぜマツダはそこまでしてロータリーにこだわったのか。そして、この車は何を証明し、何を残したのか。カタログスペックの裏側にある話をしていきます。

    なぜマツダはロータリーに賭けたのか

    マツダ・コスモスポーツ
    画像:TTTNIS/CC0(Wikimedia Commons)

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    1960年代初頭のマツダは、まだ三輪トラックのメーカーという印象が強い会社でした。乗用車市場への本格参入は始まったばかりで、トヨタや日産に対して技術的にもブランド的にも大きく後れを取っていた。

    普通にレシプロエンジンの乗用車を作っても、勝ち目は薄い。そこでマツダが目をつけたのが、ドイツのNSU社とヴァンケル社が開発したロータリーエンジン(ヴァンケルエンジン)でした。

    1961年、マツダはNSU社・ヴァンケル社と技術提携を結び、ロータリーエンジンの製造ライセンスを取得します。ただ、当時ライセンスを取得したメーカーは世界中に複数ありました。GMもシトロエンもロールス・ロイスも手を出していた。つまり、ロータリーに興味を持つこと自体は珍しくなかったんです。

    問題は、誰も量産に成功していなかったということでした。ロータリーエンジンには「チャターマーク」と呼ばれる致命的な課題があった。

    ローターの頂点に取り付けられたアペックスシールがハウジング内壁に波状の傷をつけてしまい、短期間でエンジンが使い物にならなくなるという問題です。多くのメーカーがこの壁を越えられず、ロータリーから撤退していきました。

    マツダの技術陣——のちに「ロータリー47士」と呼ばれることになるエンジニアたちは、この問題に正面から取り組みます。

    アペックスシールの材質を試行錯誤し、カーボンとアルミの複合素材にたどり着いたことが突破口になったとされています。開発責任者の山本健一氏は後年、「あのとき諦めていたら、マツダは今のマツダにはなっていなかった」と語っています。

    この言葉は誇張ではなく、ロータリーの量産成功がマツダという企業のアイデンティティそのものを決定づけたのは事実です。

    1967年、世界初の量産ロータリー車として登場

    https://kuruma-dna.com/fc3s

    コスモスポーツは1967年5月に発売されました。型式はL10A。搭載された10A型エンジンは491cc×2ローターの構成で、排気量は合計982cc。最高出力は110馬力でした。1リッター未満のエンジンから110馬力というのは、当時のレシプロエンジンの常識からすればかなりの高出力です。

    ロータリーエンジンの最大の特徴は、構造がシンプルなこと。レシプロエンジンのようにピストンが上下運動して回転に変換するのではなく、三角形のローターがそのまま回転する。だから振動が少なく、高回転まで滑らかに回る。コスモスポーツの10A型は最高回転数7,000rpmに達し、そのスムーズさは当時のジャーナリストたちを驚かせました。

    ボディデザインも異彩を放っていました。全長4,140mm、全高1,165mmという極端に低いプロポーション。丸みを帯びた流線形のボディは、どこかSF映画の乗り物を思わせる雰囲気がありました。実際、ウルトラマンに登場する科学特捜隊の専用車として使われたことでも知られています。あれはフィクションの話ですが、現実のコスモスポーツ自体が十分にフィクション的な存在感を持っていたわけです。

    前期型と後期型、その違いの意味

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    コスモスポーツには前期型(L10A)と後期型(L10B)があります。前期型の生産台数はわずか343台。1968年に登場した後期型L10Bでは、エンジンが改良されて最高出力が128馬力に向上し、最高回転数も7,000rpmに引き上げられました。ホイールベースも延長され、トランスミッションは4速から5速に変更されています。

    この変更は単なるマイナーチェンジではなく、実用性と信頼性を現実的なレベルに引き上げるための改良でした。前期型はあくまで「世界初の量産ロータリー車」という看板を掲げるための先行モデルという性格が強く、後期型で初めて商品としてのバランスが整ったと言えます。

    後期型の生産台数は約833台。前期・後期合わせても総生産台数は1,176台にとどまります。数字だけ見れば商業的に大成功とは言いがたい。しかし、マツダにとってのコスモスポーツの価値は販売台数では測れません。

    コスモスポーツが証明したもの

    https://kuruma-dna.com/se3p

    この車が果たした最大の役割は、ロータリーエンジンが量産車に使えるという事実を世界に示したことです。それまで机上の理想でしかなかったヴァンケルエンジンを、市販車として成立させた。この実績があったからこそ、マツダはその後ファミリアロータリーやサバンナ、RX-3、そしてRX-7へとロータリー搭載車を展開していくことができました。

    1968年のニュルブルクリンク84時間マラソンレースでは、コスモスポーツが4位に入賞しています。84時間という過酷な耐久レースを完走したこと自体が、ロータリーエンジンの耐久性に対する疑念を払拭する大きな証拠になりました。レースでの実績は、技術の信頼性を証明する最も説得力のある方法です。

    もうひとつ見逃せないのは、コスモスポーツがマツダの社内に「ロータリーで戦える」という確信を植え付けたことです。この成功体験がなければ、マツダがその後20年以上にわたってロータリーエンジンを進化させ続けるという、世界でも類を見ない技術的執念は生まれなかったでしょう。

    弱点と、時代の制約

    https://kuruma-dna.com/na6c

    もちろん、コスモスポーツに課題がなかったわけではありません。ロータリーエンジンの宿命として燃費の悪さは初期から指摘されていました。また、初期型のアペックスシールの耐久性は改善されたとはいえ、レシプロエンジンほどの長寿命は望めなかった。オイル消費も多く、日常の足として使うには気を遣う車でした。

    価格も当時としては高額で、148万円(前期型)。同時期のトヨタ2000GTが238万円だったことを考えれば法外ではないものの、一般的なサラリーマンが気軽に買える車ではなかった。結果として、コスモスポーツは「技術のショーケース」としての役割が主で、販売面での貢献は限定的だったと言わざるを得ません。

    ただ、それはマツダも織り込み済みだったはずです。コスモスポーツは利益を稼ぐための車ではなく、ロータリーという技術の未来を切り開くための先兵でした。その意味では、与えられた役割を十二分に果たしたと評価すべきでしょう。

    ロータリーの系譜、その起点

    https://kuruma-dna.com/pg6sa

    コスモスポーツの後、マツダはロータリーエンジンをあらゆる車種に展開していきます。ファミリアロータリークーペ、カペラロータリー、サバンナ、コスモAP、そしてRX-7。さらにはロータリーエンジン搭載のピックアップトラック(ロータリーピックアップ)まで北米で販売しています。この展開力の源泉は、コスモスポーツで得た技術的自信にほかなりません。

    そして2023年、マツダはMX-30 Rotary-EVで、発電用としてロータリーエンジンを復活させました。形は変わっても、ロータリーという技術にこだわり続けるマツダの姿勢は、1967年のコスモスポーツから一本の線でつながっています。

    コスモスポーツは、速さで語られる車ではありません。販売台数で語られる車でもない。この車の本質は、ひとつの技術に企業の命運を賭けた決断の結晶であるということです。

    あの低く、丸く、未来的なボディの中には、広島のエンジニアたちの執念と、マツダという会社の生存戦略が詰まっていた。だからこそ、半世紀以上経った今も、コスモスポーツは特別な存在であり続けているのだと思います。

  • オートザム AZ-1 – PG6SA【軽に迷い込んだ一代限りのガルウイング】

    オートザム AZ-1 – PG6SA【軽に迷い込んだ一代限りのガルウイング】

    軽自動車にガルウイングドアを付けて、エンジンをミッドシップに積んで、外装をFRPで仕立てる…

    文字にすると冗談みたいですが、マツダは1992年に本当にこれをやりました。しかも量産車として。

    それがAZ-1(PG6SA)です。バブル末期の空気がなければ絶対に生まれなかったであろうこの一台は、軽自動車の枠組みの中で「スポーツカーとは何か」を問い直した、極めて異質な存在でした。

    バブルの余熱が生んだ企画

    オートザム AZ-1
    画像:Calreyn88/CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)

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    AZ-1が世に出たのは1992年10月。

    ただし、その企画が動き始めたのはもっと前、1980年代末のことです。当時の日本は空前の好景気の真っ只中にあり、自動車メーカー各社が「こんなの売れるのか?」と首を傾げるような企画を次々と通していた時代でした。

    マツダもその例に漏れません。5チャンネル体制と呼ばれる販売網の多角化を進めていた時期で、オートザム、ユーノス、アンフィニ、オートラマといったブランドを展開し、それぞれに個性的なモデルを供給する必要がありました。AZ-1はそのうちオートザムブランドから販売されています。正式名称は「オートザム AZ-1」です。

    つまり、この車はマツダ本体の主力商品として企画されたわけではなく、ブランドの個性を際立たせるためのアイコン的存在として生まれた側面があります。実用性で勝負する車ではない。「うちのブランドにはこんな面白い車がある」と語れること自体が価値だった。そういう時代の産物です。

    スズキの心臓、マツダの殻

    オートザム AZ-1
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    AZ-1の成り立ちを理解するうえで外せないのが、スズキとの関係です。

    エンジンとトランスミッションはスズキ製F6A型ターボ。排気量657cc、直列3気筒のインタークーラーターボで、最高出力は軽自動車自主規制上限の64馬力を発生します。これは同時期のスズキ・カプチーノやホンダ・ビートと同じ上限値です。

    なぜマツダが自社エンジンを使わなかったのか。理由はシンプルで、当時のマツダには軽自動車用のパワートレインを自社開発・生産する体制がなかったからです。AZ-1の車体製造もスズキが担当しています。マツダが主に担ったのは企画・デザイン・車体設計の部分で、生産はスズキの磐田工場で行われました。

    この構造は、のちにスズキ自身が「キャラ」という名前でほぼ同一の車両を販売したことからも裏付けられます。スズキ・キャラはAZ-1のバッジエンジニアリング版で、フロントまわりの意匠が若干異なる程度の差でした。

    ミッドシップ+ガルウイング+FRPという構成

    オートザム AZ-1
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    AZ-1の最大の特徴は、そのパッケージングの異常さにあります。軽自動車の規格内に、ミッドシップレイアウト、ガルウイングドア、FRP製外装パネルという3つの要素を詰め込んでいる。どれかひとつだけでも軽自動車としては異例なのに、全部載せです。

    ミッドシップレイアウト、つまりエンジンを運転席の後方・後輪の前に置く配置は、重量配分の最適化に有利です。AZ-1の前後重量配分はほぼ45:55。フロントに重いエンジンがない分、ノーズを低く、短くできる。実際、全長は3,295mm、全幅は1,395mmと、軽規格いっぱいに近いサイズですが、見た目はそれ以上にコンパクトに感じます。

    ガルウイングドアの採用は、見た目のインパクトだけが理由ではありません。AZ-1は全高わずか1,150mmという極端に低い車体を持っており、通常のヒンジドアでは乗降時に開口部の確保が難しかった。上方に開くガルウイングなら、狭い駐車場でも横方向のスペースを取らずに乗り降りできる。実用上の合理性もあったわけです。

    ただし、この合理性には裏もあります。横転した場合にドアが開けられないという問題は、当時からよく指摘されていました。また、ドアのシール性やヒンジ部の耐久性についても、長期使用では課題が出るケースがあったようです。

    FRP(繊維強化プラスチック)製の外装パネルは、軽量化に大きく貢献しています。車両重量は720kg。64馬力で720kgという数字は、パワーウェイトレシオで見ると11.25kg/ps。同時代のカプチーノが700kg、ビートが760kgですから、軽スポーツの中では標準的な範囲ですが、ミッドシップの重量配分と相まって、数値以上にシャープな挙動を見せました。

    走りの評価と、その裏側

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    AZ-1の走行性能について、当時の自動車メディアの評価は概ね好意的でした。特にステアリングの応答性と回頭性は高く評価されています。ミッドシップ由来のノーズの軽さが、コーナー進入時のシャープさに直結していた。ホイールベースは2,235mmと短く、まるでゴーカートのような感覚だという表現がよく使われました。

    一方で、ミッドシップ特有のクセも明確にありました。限界域でのリアの挙動が唐突になりやすく、いわゆるタックイン——アクセルオフ時にリアが急に流れ出す現象——が起きやすいという指摘は多かったのです。サスペンションは前後ともストラット式で、スポーツカーとしてはシンプルな構成。足まわりのセッティングに関しては、もう少し煮詰める余地があったという声もあります。

    居住性については、正直なところ「割り切り」の一言です。室内は極めて狭く、身長170cmを超えるドライバーにはかなり窮屈。エアコンは装備されていましたが、荷室はほぼ皆無。日常の足として使うには相当な覚悟が要る車でした。

    売れなかった理由、残った理由

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    AZ-1の販売台数は、約4,392台。1992年10月の発売から1995年の生産終了まで、わずか3年弱の短い生涯でした。同時代の軽スポーツであるカプチーノやビートと比べても、明らかに少ない数字です。

    売れなかった理由はいくつかあります。まず、発売時期がバブル崩壊後だったこと。企画が通った頃と、実際に店頭に並んだ頃では、消費者のマインドがまるで違っていました。約149.8万円という価格は軽自動車としては高額で、実用性のなさも重なって、購入に踏み切る層が限られた。

    さらに、オートザムというブランド自体の知名度や販売力の問題もありました。ディーラー網が限られていたため、そもそも実車を見る機会が少なかった。試乗すれば面白さは伝わる車でしたが、試乗にたどり着くまでのハードルが高すぎたのです。

    しかし、この希少性がのちに強烈な個性として再評価されます。生産台数の少なさ、唯一無二のパッケージング、そしてバブル期にしか成立しえなかった企画の異常さ。2000年代以降、中古車市場でAZ-1の価格は着実に上昇し続けました。現在では程度の良い個体は200万円を超えることも珍しくありません。新車価格を大きく上回っている状況です。

    ABCトリオの中での立ち位置

    https://kuruma-dna.com/nc1

    AZ-1は、ホンダ・ビート、スズキ・カプチーノとともに「平成ABCトリオ」と呼ばれます。Aがオートザム AZ-1、Bがビート、Cがカプチーノ。いずれも660cc規格の2シーター軽スポーツですが、その性格はまったく違います。

    ビートはNAエンジンをミッドシップに積み、オープンエアの爽快さを重視した車。カプチーノはFRレイアウトのターボで、3種類のオープン形態を持つ多芸な車。そしてAZ-1は、クローズドボディのミッドシップターボで、ガルウイングという飛び道具を持つ車。三者三様で、しかもどれも軽自動車の枠内に収まっているのが面白い。

    この中でAZ-1がもっとも「スーパーカー的」な佇まいを持っていたのは間違いありません。低い全高、ガルウイング、短いオーバーハング。子どもの頃にスーパーカーブームを体験した世代が企画に関わっていたであろうことは、車を見れば想像がつきます。

    軽自動車でやる意味があったのか

    AZ-1を振り返るとき、「これは軽自動車でやる必要があったのか」という問いが浮かびます。答えは、おそらく「軽自動車だからこそできた」です。

    660ccという排気量の制約があるからこそ、車体を極限まで小さく、軽くする必然性が生まれた。その結果として、全高1,150mm、車重720kgという数字が実現した。もしこれが1,000ccや1,300ccの普通車として企画されていたら、安全基準や快適装備の要求が増え、ここまで割り切った車にはならなかったでしょう。

    制約がデザインを規定し、デザインが個性を生んだ。AZ-1は、日本の軽自動車規格という独自のルールの中でしか生まれ得なかった、一種の突然変異です。

    そしてこの突然変異は、二度と繰り返されていません。ガルウイング付きのミッドシップ軽スポーツを量産した会社は、マツダ(とスズキ)だけ。後にも先にもこの一台きりです。

    再現不可能であること自体が、この車の価値を証明しています。

    バブルの徒花と呼ぶ人もいますが、この花は咲いたこと自体がすでに奇跡だった——そう言ってもいい車です。

  • ロードスター – NC1/NC2/NC3 【大事なものを守るために、あえて大きくなった三代目】

    ロードスター – NC1/NC2/NC3 【大事なものを守るために、あえて大きくなった三代目】

    NCロードスターについては見た目からもわかる通り、NA→NBのような正常進化ではありません。

    これはNAとNBで守ってきた「軽量FRオープンの楽しさ」を、2000年代の安全性や快適性や商品性に合わせてもう一度成立させ直した世代でした。

    マツダは2005年の発表時、この三代目を「世界で最も売れているライトウェイトスポーツカーの、最新かつ最も進化した世代」と位置づけ、開発責任者の貴島孝雄氏も「軽快感、バランスの取れたハンドリング、全体の敏捷さといったロードスターの核を残しながら、もっと幅広いユーザーにとって使いやすく、快適で、質の高いクルマにした」と説明しています。  

    三代目の役目は、原点の更新だった

    ロードスターのエクステリア
    画像:Dinkun Chen/CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)

    NCの難しさははっきりしていました。

    初代NAは「失われたライトウェイトスポーツの復活」という強烈な物語を持ち、NBはその思想を商品として磨き上げた。

    では三代目は何をするのか。

    そこでNCが担ったのは、ロードスターの本質である「人馬一体」を今の時代の基準で成立させることでした。

    マツダ自身も、NCの開発ではスポーツ走行だけでなく日常でも楽しめることを重視し、人馬一体こそがこの進化したロードスターの性格を最もよく表す言葉だとしています。  

    大きくなったのは、軟派になったからじゃない

    https://kuruma-dna.com/nc1-used

    NCでよく言われるのが「少し大きくなった」「少し重くなった」という話です。

    でも、ここを表面だけで切るのは非常にもったいない。

    2000年代のクルマとして安全性や快適性や剛性の要求が上がる中で、NCはそこに対応しながらロードスターらしさを消さないことを狙っていました。

    実際マツダは、各種新装備や技術を盛り込みながら、車重増を先代比で約10kgに抑えたと説明しており、さらにボディは曲げ剛性22%、ねじり剛性47%向上、エンジンも135mm後退させて前後重量配分とヨー慣性モーメントの最適化を図っています。

    つまりNCは、雑に肥大化したのではなく、増える条件の中でどうロードスターを守るかを本気でやった世代です。  

    だからこそ、走りの基礎体力がかなり高い

    https://kuruma-dna.com/nd5rc

    この世代の強みは、まず土台が強いことです。

    剛性が上がり、重量配分の考え方もより徹底され、日常域でもスポーツ走行でも気持ちよく扱える方向に仕上げられている。

    派手なスペック競争ではなく、ステアを切った時の反応、姿勢変化のわかりやすさ、限界の掴みやすさといった「スポーツカーの会話能力」を底上げしているのがNCです。

    開発時の説明でも、よりパワフルなエンジンと軽量・コンパクトなボディの動的バランスを狙ったとされており、三代目らしくクルマ全体の完成度で勝負していたことが見えてきます。  

    インタビューから見えてくるのは、「広げる」覚悟だった

    https://kuruma-dna.com/nb6c

    NCで面白いのは、ロードスターを狭い趣味車のままにしなかったことです。

    貴島孝雄氏は発表時のコメントで「核となる資質は守りつつ、より多くの顧客にとって価値のあるものにした」と語っています。これは言い換えれば、従来ファンだけの聖域に閉じこもらず、もう少し間口を広げようとしたということです。

    実際、後に三代目開発の副プログラムマネージャーを務めた山本修弘氏も、ロードスターの魅力は「人を幸せにすること」であり、多様な楽しみ方と人とのつながりを生むところにあると語っています。NCは、その広がる魅力をちゃんと商品として実装し始めた世代でもありました。  

    NC1は、三代目の再定義そのものだった

    https://kuruma-dna.com/na6c

    2005年に登場したNC1は、まずここまでで一度ロードスターを作り直したことに意味があります。

    モダンになったスタイリング、質感の上がったインテリア、強化されたボディ、そして2.0Lモデルでは6MTやビルシュタインを備えるRS系まで用意され、従来の「軽いだけのオープン」では終わらない商品力を持っていました。

    2005-2006日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞したのも、単に人気車だったからではなく、最新の環境・安全要件を満たしながらライトウェイトオープンスポーツとしての魅力を高い水準で成立させたことが評価されたからだと見ていいです。  

    NC最大級の発明「RHT」について

    ロードスター
    画像:OSX/Public domain(Wikimedia Commons)

    NCを語るなら、リトラクタブルハードトップは絶対に外せません。

    2006年に追加されたこの仕様は、トランク容量を犠牲にしない世界初の軽量オープンスポーツ用電動格納ルーフとして登場しました。

    しかもルーフはシート後方・ホイールベース内に収まり、50:50の重量配分や低いヨー慣性モーメントを維持するよう設計されている。

    要するにこれは「便利な屋根」ではなく、ロードスターの運動性能を崩さずに快適性と所有満足を上げるための装備だったわけです。

    貴島氏自身も、このRHTを「人馬一体の喜びをより多くの人に感じてもらうための一台」として語っています。  

    RHTがすごかったのは、性格を増やしたこと

    ロードスター
    画像:OSX/Public domain(Wikimedia Commons)

    従来のロードスターは、どうしても幌の気軽さと引き換えに、人によっては日常の快適性や安心感で一歩引く部分があった。

    でもNCのRHTはそこを崩した。クローズド時の安心感や静粛性を高めつつ、オープン時にはちゃんとロードスターでいられる。

    しかもトランクを削らず、開閉も12秒という速さで終わる。ロードスターの世界観を変えずに、ユーザー層だけを広げたこの一手はかなり強いです。

    NCが万人向けになってしまったのではなく、万人が入りやすい入口を作ったと見るべき世代なのは、こういうところに出ています。  

    NR-A、やっぱりロードスターは走りのクルマだった

    ロードスター
    画像:OSX/Public domain(Wikimedia Commons)

    一方でNCは間口を広げただけの世代でもありません。

    2006年にはNR-Aも設定され、車高調整機構付ビルシュタイン、スーパーLSD、フロントタワーバーなどを備えたワンメイクレース向けベース車として用意されました。

    つまりマツダ自身が、NCを快適になったロードスターで終わらせず、ちゃんとモータースポーツ側にもつながる素性を持ったクルマとして扱っていたわけです。

    ロードスターが文化として続いた理由の一つは、こうして裾野を広げながら、芯の部分では走りを薄めなかったことにあります。  

    NC2/NC3は、三代目をさらに磨き込んだ後半戦

    https://kuruma-dna.com/ap1

    2008年の改良では内外装が大幅にリフレッシュされ、20周年を迎えた2009年には記念車も用意されました。

    20th AnniversaryはRSソフトトップとVS RHTをベースにRECAROシートや専用バッジなどを備えた仕様で、NCがすでに現行商品であると同時に20年続く文化の担い手になっていたことを示しています。

    ここまで来るとNCはもう、単なる現代化の役目だけではない。NAから続くロードスターという物語を、量産スポーツとして持続させる中核世代になっていたのです。

    高水準な「使えるのにちゃんと楽しい」

    https://kuruma-dna.com/zzw30

    NCの本当の強みはここです。

    NAのような原初の軽さとも、NBのような端正な熟成とも少し違う。

    NCは、剛性、快適性、質感、使い勝手、安全性をしっかり引き上げながら、それでもロードスターに必要な気持ちいい回頭性やオープンで走る意味を残した。

    しかもRHTやNR-Aのように、快適性にも走りにもそれぞれ深く踏み込んでいる。

    だからNCは、ライトウェイトスポーツの理想を守ったというより、理想を生活に持ち込みやすくした世代と言った方が近いです。  

    ロードスターにおけるNCの立ち位置

    https://kuruma-dna.com/z33

    ロードスターの系譜でNCは、NAほど神話的ではないし、NBほど通好みでもない。

    でもこの世代がなければ、ロードスターはただの懐古的な軽量オープンで終わっていたかもしれない。現代基準の中で、快適性も商品性も上げ、それでも人馬一体を守る。さらにRHTという新しい答えまで出した。

    NCは、ロードスターを昔ながらの名車から今も成立するスポーツカーへ押し上げた三代目です。2005年の日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞も、その仕事の大きさを物語っています。  

    まとめ

    https://kuruma-dna.com/l880k

    NCロードスターを一言でいえば、

    「原点を守るために、あえて現代化を引き受けた三代目」です。

    NAやNBほど軽さの神話で語られないぶん、評価が割れやすい世代ではある。

    でもロードスターという名前を21世紀でもちゃんと通用させた、大事な一台なのです。

  • ロードスター – ND5RC/NDERC 【もう一度、原点に戻ってきた四代目】

    ロードスター – ND5RC/NDERC 【もう一度、原点に戻ってきた四代目】

    NDはNCで一度現代化したロードスターを、少しだけ原点側へ引き戻すためのモデルでした。

    マツダ自身も四代目の開発テーマを「Innovate in order to preserve」と説明しており、環境性能や安全性能の要求がはるかに厳しくなった時代でも、初代が持っていた軽量スポーツの純粋な楽しさを守ることを狙っていました。

    しかもNDは歴代で最もコンパクトなロードスターで、先代NCより100kg以上軽いと発表されています。

    つまりNDは、進化のために足していく世代ではなく、守るために削っていった世代でした。  

    「もっと立派」ではなく「もっと本質」

    マツダ・ロードスター ND
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    https://kuruma-dna.com/nc1

    NDの面白さはここです。

    普通なら世代が進むほど、ボディは大きく、装備は増え、スポーツカーもどんどん重くなっていく。でもNDは逆をやった。

    主査の山本修弘氏はwebCGのインタビューで、開発の途中でいろいろ見つめ直し、「本当に欲しいものだけにしよう。不要なものはそぎ落とそう」と考えたと語っています。

    しかもリーマンショックによる開発の停滞すら、ロードスターは本来どうあるべきかを考え直す機会になったとも振り返っている。

    NDは、苦しい状況の中で原点回帰を選び直したクルマでした。  

    だからNDは、軽いだけじゃなく小さい

    マツダ・ロードスター ND
    画像:Ethan Llamas/CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)

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    NDを語るとき、つい「100kg以上軽量化」に目が行きます。

    でも本質はそこだけじゃない。

    マツダは四代目を「歴代で最もコンパクト」だと説明していて、実際にNDは全体の寸法感からしてかなり凝縮されています。ロードスターは昔からパワーの数字で勝負するクルマではなく、ドライバーがクルマを使い切れることに価値があった。

    NDはそこに真正面から戻っていて、サイズ、重量、着座感、視界、操作感まで含めて「人が主役」のスポーツカーとして組み直されている。単なるダイエットではなく、クルマ全体を小さく濃くしたのがNDなのです。  

    SKYACTIV世代の「人馬一体」

    マツダ・ロードスター ND
    画像:Ethan Llamas/CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)

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    NDは新世代マツダの商品群の一員でもありました。つまり魂動デザインとSKYACTIV技術の文脈の中で作られたロードスターです。

    ただし、ここで面白いのは、ロードスターが単にその新世代技術の実験台になったわけではないこと。

    マツダは四代目について、SKYACTIV技術を採り入れつつも、感覚や感性を通じて味わう楽しさを高めることに開発の焦点を置いたと説明しています。

    要するにNDは、新技術を見せびらかすためのロードスターではなく、新技術で人馬一体を磨き直したロードスターだったわけです。  

    大事なのは「削る勇気」だった

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    山本修弘氏の話を追うと、NDの開発思想はかなりはっきりしています。

    世界市場からは当然いろいろな要求が来る。もっと大きく、もっと豪華に、もっと強く、という方向です。

    でも山本氏はそれを全部そのまま飲み込まず、ロードスターは何を残すべきかを見極めた。webCGのインタビューで語っている「本当に欲しいものだけ」「不要なものはそぎ落とそう」という一節は、NDのすべてをかなり正確に表しています。

    NDが高性能化一辺倒にならず、あくまで「軽快で、使い切れて、楽しい」側に踏みとどまったのは、この判断があったからです。  

    ND5RCは、四代目の核そのもの

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    まずソフトトップのND5RC。

    これは四代目ロードスターの思想をいちばんストレートに表しているモデルです。軽く、小さく、開けて、FRで走る。その原点が最も濃い。

    2015年にグローバル導入が始まったNDは、「2015-2016日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞し、さらに2016年には「World Car of the Year」と「World Car Design of the Year」も獲得しました。

    評価されたのは単なるデザインの美しさだけではなく、現代の条件の中でライトウェイトスポーツの価値をこれだけ鮮明に提示したことだったと見ていいです。

    ND5RCは、四代目の本命というより、ロードスターという思想の再提示そのものでした。  

    速さより反応の良さ

    https://kuruma-dna.com/fd3s

    NDの美点は、スペック表よりもドライバーへのフィードバックにあります。

    アクセルに対する車体の出方、ステアに対する回頭の軽さ、座った瞬間から感じるコンパクトさ。そういう一つひとつの反応が薄まっていない。

    マツダが四代目で繰り返し打ち出したのも、絶対性能ではなく「pure driving fun」でした。だからNDは大排気量の速さや高級GT的な重厚さではなく、操作に対してクルマがすぐ返事をしてくることが強みになっている。

    ロードスターらしさがいちばん解像度高く見える世代の一つです。  

    ND5RCのNR-Aは、ロードスター・パーティレースの参戦対象にもなっています。レースに出なくても、走行会で同じコーナーを繰り返せば、この節で触れた「操作に対する返事」を自分の手で確かめられます。

    https://kuruma-dna.com/sutututu-laptime

    RFで出た、また別の答え

    https://kuruma-dna.com/fc3s

    2016年に追加されたロードスターRFもかなり重要です。

    RFは「Retractable Fastback」の名の通り、単なる電動ハードトップではなく、ファストバックの美しいシルエットそのものを商品価値にしたモデルでした。

    マツダは、先代のリトラクタブルハードトップが目指した「オープンカーの楽しさを身近に」という価値を引き継ぎながら、従来の考え方にとらわれず、さらに進化させたと説明しています。

    しかもRFはファストバックスタイルでありながら、トランク容量をソフトトップと同等に維持し、限られたスペースにルーフを効率よく収納する仕組みまで実現していた。

    ただの屋根付きではなく、クーペっぽい美しさとオープンの楽しさを両立させた別解だったわけです。  

    NDERCのオトナさ

    https://kuruma-dna.com/sa22c

    RFことNDERCの意味は、ロードスターの世界を少し広げたことにあります。

    ソフトトップの軽快さとは違う、静粛性や包まれ感やファストバックならではの雰囲気を加えながら、それでも「Lots of Fun」の価値からは外れない。

    マツダもRFを、ロードスターが26年間守ってきた価値を体現する一員だと説明しており、さらに日本導入時には「オープンカーの楽しさを、より多くのお客様にお届けするために」と明言しています。

    つまりRFは、ロードスターを別物にしたのではなく、ロードスターにもう一つの入口を増やしたモデルでした。  

    2018年改良で、NDはさらに熟した

    https://kuruma-dna.com/l10a

    NDは原点回帰だけで終わっていません。

    2018年の商品改良では、マツダ自身が四代目のコンセプトを「人生を楽しもう ― Joy of the Moment, Joy of Life」と説明し、ロードスター/RFの両方で人馬一体の走りの楽しさをさらに深める方向を打ち出しました。

    海外向けリリースでは2.0Lエンジンの高回転化と出力向上も公表されていて、NDは「軽いからこれで十分」に留まらず、ドライバーの反応にさらに気持ちよく応える方向へ磨かれていったのです。

    原点回帰のまま止まるのではなく、原点を現代の技術で熟成させたのが後期NDです。  

    NDらしさの象徴、『990S』

    NDの思想がどれだけ本気だったかは、2021年の990Sを見るとよく分かります。

    マツダはこの特別仕様車について、「ロードスターの原点に立ち返り、『軽いことによる楽しさ』を追求した最軽量グレード」と説明しています。

    つまり四代目は、世代後半になってもなお「もっと軽さへ」「もっと原点へ」という方向に掘り進められていた。普通は世代後半になるほど装備追加や商品力の底上げに寄るものですが、NDはそこでさえ軽さの価値を掘り返してくる。

    これはかなりロードスターらしいし、かなりNDらしいです。  

    だからこそ、原点回帰でありながら懐古ではない

    これがNDの惚れ惚れするほど上手い設計です。

    軽くした。小さくした。オープンの楽しさを前に出した。だから一見すると昔へ戻ったように見える。

    でも実際には、SKYACTIV世代の技術、現代の安全要求、デザインの完成度、RFのような新しい選択肢まで全部持ち込んだ上で、それでも原点に着地している。懐古趣味ではなく、現代の条件で初代の理想をもう一回成立させたのがNDでした。

    2016年に累計生産100万台を達成できたのも、ロードスターが単なる昔の名車でなく、今も更新される存在であり続けたからです。  

    まとめ

    ND5RC/NDERCロードスターを一言でいえば、

    現代の技術で、もう一度ロードスターの原点を作り直した四代目です。

    NAみたいな発明でも。

    NBみたいな定着でも。

    NCみたいな現代化でもない。

    NDはその全部を踏まえた上で、「じゃあ今、ロードスターはどうあるべきか」にきっちり答えた世代です。

  • ロードスター – NB6C/NB8C 【無邪気さを研ぎ澄ませた、NAの成熟形】

    ロードスター – NB6C/NB8C 【無邪気さを研ぎ澄ませた、NAの成熟形】

    NBロードスターは、単なるキープコンセプトではないです。

    初代NAが復活させたライトウェイトスポーツの価値を、時代に合わせてもう一度設計し直したモデルです。

    1997年10月の東京モーターショーで公開され、1998年に登場したこの二代目は、ロードスターの核である軽さ、FR、オープン、そして「誰が乗っても楽しい」という原点を守りながら、商品としての完成度を一段引き上げる役目を担っていました。

    マツダ自身もロードスターの本質を「誰もが手に入れやすく、必要にして十分な性能を持つこと」だと説明しており、NBはまさにその思想を現代化した世代でした。  

    リトラを捨てたのは、魂を捨てたからではない

    マツダ・ロードスター NB
    画像:FotoSleuth/CC BY 2.0(Wikimedia Commons)

    https://kuruma-dna.com/nc1

    NBでいちばん目立つ変化は、やはりリトラクタブルヘッドライトが消えたことですよね。残念がっている人も多い印象です。

    でもこれは単なるイメチェンではなく、時代の安全基準に適応するための必然でした。北米マツダも、NBでは歩行者保護の観点から固定式ヘッドライトへ移行したことを説明しています。

    その一方で、ボディはわずかにワイド化し、空力性能や快適性も改善。つまりNBは、見た目のアイコンを一つ失う代わりに、ロードスターというクルマを次の時代へ生かすための再設計を受けたモデルだったわけです。  

    開発思想はNAから地続きだった

    マツダ・ロードスター NB
    画像:Vauxford/CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)

    https://kuruma-dna.com/na6c

    ここで重要なのは、NBがNAを否定していないことです。

    開発責任者の貴島孝雄氏は、ロードスターが一貫して意識してきた本質は「アフォーダブル」であり、ハイパワー化や複雑化よりも「走らせて誰もが楽しいと思えるクルマ」であることだと語っています。

    これはNAの「人馬一体」とほぼ同じ文脈にあります。要するにNBは、初代の成功体験に乗っかっただけの二代目ではなく、その思想を守るために何を変え、何を残すかを本気で選別したモデルだったわけです 

    NBの進化は、速さより質感の側にある

    マツダ・ロードスター NB
    画像:MercurySable99/CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)

    https://kuruma-dna.com/nd5rc

    NBの価値は、単純なスペックアップだけで語ると外します。

    もちろん1.8L系では改良が進み、後年には6速MTやビルシュタイン、トルセンLSDを組み合わせた仕様も現れます。

    けれど本質はそこではなく、操舵に対する車体の応答、幌まわりの質感、空力、室内の使い勝手、そして全体のまとまり方にあります。

    米国マツダもNBを「よりパワフルになり、数々の改良を受けた第二世代」として位置づけています。

    NAが発明だとしたら、NBは洗練と言えるでしょう。

    NB6Cは、あえて残された素のロードスター

    https://kuruma-dna.com/se3p

    NB6Cは1.6Lを積むモデルで、NBになってもなお軽快さの芯を担った存在でした。

    二代目はテンパチモデルや装備充実の印象が強いですが、1.6L仕様が残されたことで、ロードスターが本来持っていた軽さと扱いやすさはきちんと守られていました。

    速さを誇示するためではなく、アクセルを踏み切れること、回して使い切れること、その気持ちよさを残していたのがNB6Cです。

    華やかさはNA6Cほどではないにせよ、二代目の中でいちばん原液に近いロードスターとも言えます。  

    NB8Cは、二代目の本命だった

    https://kuruma-dna.com/pg6sa

    一方でNB8Cは、二代目ロードスターの完成形として見るとかなり強いです。1.8Lエンジンを軸に、年次改良で内容がどんどん濃くなっていく。

    とくに10周年記念車では、6速MT、ビルシュタイン、トルセンLSD、専用内外装まで与えられ、NBのスポーツ性と商品力の両方が一気に表に出ました。

    マツダもこの10周年記念車を世界統一仕様の限定車として展開しており、NBが単なるつなぎではなく、世界規模でロードスターというブランドを確立していく中心世代だったことがわかります。  

    そしてNBは、遊び方の幅まで広げた

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    NBが偉いのは、単に熟成しただけじゃないところです。

    2001年にはパーティレース向けのNR-A、2003年には受注生産のロードスタークーペ、さらに同年末には初のターボモデルまで追加されました。

    マツダはクーペについて「ロードスターに新しい魅力を付加し、スタイリングや走行性能を重視するお客様に向けた」と説明し、ターボについては「人馬一体の走りに新次元を拓く」と打ち出しています。

    つまりNBは、ロードスターという一つの原点を守りながら、その楽しみ方をかなり広く育てた世代でもあったわけです。  

    インタビューから見えるNBの意味

    https://kuruma-dna.com/fc3s

    貴島孝雄氏の話を追うと、NBの意味はかなりはっきりします。

    それは「もっと高性能にする」ことより、「ロードスターらしさを崩さずに進化させる」ことです。ハイパワー車のように性能を持て余す方向ではなく、誰でも操って楽しいことを優先する。

    ロードスターがここで変に背伸びしなかったからこそ、後のNCやNDという傑作車たちまで系譜が切れずに続いたとも言えます。

    NB自体は派手に革命を起こした世代ではない。でも、革命のあとにちゃんと文化として定着させた世代でした。  

    強みは気持ちよさの密度が上がったこと

    https://kuruma-dna.com/sa22c

    NBの強みを一言で言うなら、NAの楽しさを薄めずに気持ちよさの密度を上げたことです。

    見た目は洗練され、実用面も上がり、剛性感も増し、グレード展開も厚くなった。それでいて、ロードスターがロードスターであるためのサイズ感やFRレイアウトや軽快さはちゃんと残った。

    だからNBは、NAより少し大人で、でも決して鈍くない。雑味を減らして、それでも遊び心は消していない。このバランス感覚こそがNB最大の武器です。  

    NBの存在は地味に見えてかなり重要だった

    https://kuruma-dna.com/l10a

    NAが神話の始まりなら、NBはその神話を一過性で終わらせなかったクルマです。

    二代目がこければロードスターは「懐古趣味の当たり企画」で終わっていたかもしれない。けれどNBはそうならず、むしろ世界販売を積み重ね、2000年には2人乗り小型オープンスポーツカー生産累計世界一としてギネス認定にまでつながっていきます。

    派手さでは初代に譲るけれど、DNAを本物として繋いだ功労者としてはNBも相当でかいです。  

    まとめ

    NB6C/NB8Cロードスターを一言でいえば、

    原点を守ったまま、原点を商品として完成させた二代目です。

    NB6Cは素の軽快さ。NB8Cは熟成と厚み。

    そしてNB全体としては、NAの思想を「次の時代でも通用する形」に翻訳した世代でした。

    初代ほど神格化されたりはしない。

    でも、ロードスターという文化を続けるうえで必要だったのは、こういう二代目があってこそだったと思います。

  • ロードスター – NA6C/NA8C 【失われたライトウェイトの復権】

    ロードスター – NA6C/NA8C 【失われたライトウェイトの復権】

    NAロードスターは70年代に一度ほぼ絶滅しかけたライトウェイトスポーツカーという文化を、80年代末に現代の技術で蘇らせたクルマでした。

    マツダ自身も、60〜70年代の小型オープンスポーツが持っていた軽快なハンドリングと気軽なオープンエアモータリングを、当時の安全・品質基準で再提案するために開発したと説明しています。

    つまりNAは、新型車というより「途絶えた系譜の復活」だったわけです。  

    「そんなものいまさら売れるのか」

    マツダ・ロードスター NA
    画像:Ethan Llamas/CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)

    https://kuruma-dna.com/nb6c

    開発の出発点も、いかにもロードスターらしい。

    80年代前半、ライトウェイトスポーツは市場からほぼ消えており、社内でも本当に成立するのか半信半疑でした。

    それでもマツダのエンジニアは「他社とは違う独自の商品が必要だ」と考え、企画を前へ進めていきます。

    さらに駆動方式の候補にはFF、MR、FRが並んでいたものの、最終的には「軽快で素直な運転感覚」を得るにはFRしかないと判断。

    コスト面では不利でも、理想を優先してFRオープンの道を選んでいます。  

    ロードスターの核は、最初から「人馬一体」だった

    https://kuruma-dna.com/nc1

    このクルマを説明するうえで外せないのが、みなさんもお気づき「人馬一体」です。

    FRとオープンボディが決まった段階で、開発陣はこのクルマの楽しさを「人馬一体」という言葉で共有したとマツダは記しています。後から付けた宣伝文句ではなく、そもそもの開発思想そのものだったわけですね。

    GAZOOの開発者インタビューでも、貴島孝雄氏は初代ロードスターのコンセプトが「人馬一体」であり、運転して楽しいことを何より重視したと説明しています。  

    開発現場はかなり熱かった

    https://kuruma-dna.com/nd5rc

    このクルマが伝説化して現代でも愛される理由は、思想だけではなく作り手の熱量にもあります。

    初期から開発に関わった貴島孝雄氏は、当時FC3S型RX-7を担当しながらもこのプロジェクトに加わりたくて参加し、「業務を終えた残業時間に手弁当で図面を書いていた」と振り返っています。

    しかもサスペンションまわりでは、コストがかかるダブルウィッシュボーンにこだわり、さらにトランスミッション後端とデフを結ぶパワー・プラント・フレームまで導入。

    生産現場の反発もあったそうですが、それでも「人馬一体」のために押し通した。NAロードスターの気持ちよさは、こういう面倒なことを面倒なままやった結果とも言えるでしょう。

    アメリカで行われた市場調査

    https://kuruma-dna.com/fd3s

    夢だけでは終わらせなかったのも面白いところです。

    1987年にはアメリカでフルスケールの樹脂製プロトタイプを使った市場調査が行われ、220人の参加者のうち57人が「発売されたらぜひ買いたい」と回答。この結果が意思決定に強い影響を与え、開発継続を後押ししました。

    そしてデザインはその年のうちに確定し、1989年に北米で発売。日本でも同年にユーノス・ロードスターとして登場します。理想だけでなく、市場性も確認した上で世に出てきたわけですね。  

    NA6Cは、軽さで走る1.6だった

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    最初のNA6Cは1.6LのB6-ZE型を積み、120psを発生。

    数字だけ見ると今ではおとなしいですが、このクルマの本質は馬力ではなく、軽さとサイズと応答の良さにありました。

    全長4m未満の小さなボディ、FRレイアウト、前後ダブルウィッシュボーン、そしてオープン2シーター。今となっては贅沢なくらいに「スポーツカーの基礎体力」を真面目に揃えています。

    だからこそNA6Cは、速さそのものより、操ることがそのまま楽しさになるタイプのクルマでした。  

    NA8Cは、ただの排気量アップではない

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    1993年には1.8LのBP型を積むNA8Cへ進化。

    このタイミングで貴島孝雄氏が主査を引き継いだことも、系譜としてはかなり重要です。

    NA8Cは130ps・16.0kgf-mとなり、NA6Cより明確にトルクが増しました。単なるパワー競争ではなく、ロードスターらしい軽快さを残しながら、より扱いやすく厚みのある走りに寄せた改良です。

    NA6Cが「軽さの鮮烈さ」なら、NA8Cは「熟成と余裕」に振れた初代後期の完成形と言っていいでしょう。

    強みは「全部がちょうどいい」こと

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    NAロードスターの強みは、何か一つが飛び抜けていることではありません。

    ボディは小さい。重すぎない。FRである。オープンである。サスペンションは真面目。価格も当時としては手が届いた。

    つまり、運転が楽しい理由を高価なメカや大出力に頼らず、全部のバランスで成立させていたわけです。

    マツダも、以後のロードスターで一貫して軽量化と重量配分の最適化を続けてきたと説明しており、その原点がまさにNAでした。  

    だからNAは一代では終わらなかった

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    NAロードスターはヒットしただけではなく、90年代のオープンスポーツ復権そのものを引き起こした存在でした。

    マツダはこのクルマが、70年代末に消えたライトウェイトスポーツを90年代に復活させるきっかけになったと位置づけています。

    実際、ロードスターの成功後には各社が小型オープンスポーツに再び目を向けるようになります。要するにNAロードスターは、1台の人気車ではなく、世界市場そのものを動かしてしまったんですね。

    今日までロードスターが「世界でもっとも成功した2シーターオープンスポーツの系譜」として続いているのも、全部ここが始点でした。  

    まとめ

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    NA6C/NA8Cロードスターを一言でいえば、

    失われたライトウェイトスポーツの理想を、現代の量産車として成立させた原点です。

    NA6Cは軽さと素直さ。

    NA8Cはそこに厚みと熟成を加えた完成形。

    そして両方に共通するのは、スペックを眺めるためのクルマではなく、乗ればすぐ意味が分かるクルマだったこと。

    ロードスターの伝説はここから始まったとも言えますが、ここで「伝説になる条件」がほぼ完成していた、と考える方がしっくりきますね。