スカイラインの歴史の中で、最も売れたモデルはどれか。
多くの人がR32やR34を思い浮かべるかもしれませんが、答えはC110型、通称「ケンメリ」です。累計販売台数は約67万台。歴代スカイラインの中でも圧倒的な数字です。ところがこの世代のGT-Rは、たった197台しか生産されていません。
華やかさと喪失が同居する、なんとも切ないモデルなのです。
「ケンとメリーのスカイライン」という発明
C110型スカイラインが登場したのは1972年9月。
先代のC10型、いわゆる「ハコスカ」がレースでの武勲によってスポーツイメージを確立した直後のことです。普通に考えれば、後継モデルもその路線を継承するのが自然でしょう。しかし日産が選んだのは、まったく違うアプローチでした。
テレビCMに登場したのは、若い男女が北海道の大地をスカイラインで駆け抜けるという映像。「ケンとメリーのスカイライン」というキャッチコピーは、レースの匂いを意図的に薄め、ライフスタイルとしてのクルマを前面に押し出しました。北海道美瑛町に立つポプラの木が「ケンメリの木」として観光名所になるほど、この広告戦略は社会現象化しています。
つまりC110は、ハコスカが築いた「走りのスカイライン」というブランドを、より広い層に届けるためのモデルだったわけです。スポーツカー好きだけに売るのではなく、若者のデートカーとして、家族のセダンとして、間口を大きく広げにいった。そしてその戦略は、販売台数という結果で見れば大成功でした。
デザインと設計の狙い
C110のスタイリングは、ハコスカの直線的で武骨な印象から一転して、流麗なラインを持っています。特にリアまわりの処理が特徴的で、丸型4灯テールランプはこの世代で初めて採用されました。以降のスカイラインにとって「丸テール」はアイデンティティのひとつになっていくわけですから、デザイン史的にもC110の貢献は大きいのです。
ボディバリエーションは4ドアセダン、2ドアハードトップ、ワゴン(バン含む)と幅広く用意されました。中でも2ドアハードトップの人気は高く、ケンメリといえばこのシルエットを思い浮かべる人が多いでしょう。Bピラーを持たないハードトップの開放感は、当時のデートカー需要にぴったりはまっていました。
プラットフォームはハコスカから発展したもので、フロントにストラット、リアにセミトレーリングアームという足回り構成を踏襲しています。エンジンは直列4気筒のG型と直列6気筒のL型を搭載。主力はL20型の2.0リッター直6で、スカイラインらしい6気筒のスムーズさは健在でした。
GT-R、わずか197台の意味
C110型にもGT-Rは設定されました。型式はKPGC110。ハコスカGT-R(KPGC10)と同じくS20型の2.0リッター直列6気筒DOHCエンジンを搭載し、2ドアハードトップのボディに収められています。スペック上は最高出力160馬力。ハコスカGT-Rの正統な後継として、1973年1月に発売されました。
しかし、このGT-Rはレースに一度も出走していません。ハコスカGT-Rが49連勝という伝説を築いたのとは対照的に、ケンメリGT-Rはサーキットでの戦績がゼロなのです。理由は明確で、1973年に始まった排出ガス規制への対応が急務となり、レース活動どころではなくなったからです。
生産台数はわずか197台。昭和48年排ガス規制に適合できなかったS20型エンジンは継続生産が不可能となり、GT-Rはあっという間にカタログから消えました。ここからGT-Rの名前が復活するのは、1989年のR32型まで実に16年を要しています。
197台という数字は、希少性という点では神話的な価値を持ちます。現存するKPGC110は極めて少なく、オークション市場では億単位の価格がつくこともあります。ただ、この希少性は「作りたくても作れなかった」という事情の裏返しでもあります。華やかに売れたケンメリの中で、GT-Rだけが時代に殺された。そのコントラストが、このモデルの物語を際立たせています。
排ガス規制という壁
1970年代前半の日本の自動車産業は、排出ガス規制との戦いの真っ只中にありました。1970年に米国で成立したマスキー法の影響を受け、日本でも段階的に規制が強化されていきます。昭和48年規制、昭和50年規制、昭和51年規制と立て続けに基準が厳しくなり、メーカー各社は対応に追われました。
C110型スカイラインも例外ではありません。L20型エンジンは排ガス対策のために出力が抑えられ、後期モデルでは触媒装置の追加やEGR(排気再循環)の導入が行われています。結果として、初期型と後期型ではエンジンのフィーリングがかなり異なるという声もあります。
まあ、これはケンメリだけの問題ではなく、同時代のスポーティカーすべてが直面した課題でした。フェアレディZもセリカもサバンナも、等しく牙を抜かれていった時代です。ただ、「GT-R」という看板を背負っていたぶん、スカイラインにとってのダメージは象徴的でした。速さこそがアイデンティティだったはずの車種が、速さを封じられたのですから。
売れたことの意味、失ったことの意味
C110型スカイラインの生産期間は1972年から1977年。この間に約67万台が販売されています。ハコスカの約31万台と比べれば倍以上です。日産にとってケンメリは、スカイラインを「知る人ぞ知るスポーツセダン」から「国民的な人気車種」へと押し上げた功労者でした。
ただし、その代償として失われたものもあります。GT-Rの中断はもちろん、レースとの結びつきが薄れたことで、スカイラインの「走り」のイメージは一時的に後退しました。後継のC210型(通称ジャパン)も同様の路線を歩み、スカイラインが再びスポーツ性を前面に打ち出すのはR30型のターボ搭載以降のことです。
しかし見方を変えれば、ケンメリが広げた裾野があったからこそ、スカイラインというブランドは生き残れたとも言えます。レース直系のイメージだけでは、排ガス規制の嵐を乗り越えられなかったかもしれない。幅広い層に支持される大衆的な人気を獲得したことが、ブランドの体力を維持し、のちのGT-R復活への道をつないだ。そう考えると、ケンメリの67万台は単なる販売記録ではなく、スカイラインの生存戦略そのものだったのです。
華やかさの奥にある過渡期の痛み
ケンメリスカイラインを語るとき、多くの人はあの有名なCMのイメージか、197台しか存在しないGT-Rの希少性のどちらかに目が行きます。でも、このクルマの本質はその両方の間にあると思います。
大量に売れた。でもGT-Rは途絶えた。若者に愛された。でもスポーツカーとしては不遇だった。時代が変わる瞬間に立っていたクルマというのは、どうしてもこういう矛盾を抱えることになります。
C110型は、スカイラインの系譜において最も華やかで、最も切ない世代です。速さの時代と環境の時代の境目に咲いた、一瞬の花のようなモデル。
その67万台の販売実績と197台のGT-Rという数字の落差に、1970年代の日本の自動車産業が経験した地殻変動のすべてが凝縮されています。

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