投稿者: hodzilla51

  • マーチ – K13【タイで生まれた日産の賭け】

    マーチ – K13【タイで生まれた日産の賭け】

    歴代マーチの中で、最も評価が割れたモデルはどれか。

    おそらく多くの人が、この4代目・K13を挙げるでしょう。

    2010年に登場したこのクルマは、日産のグローバル戦略を象徴する存在でした。

    ただしその「象徴」は、称賛だけでなく、失望や戸惑いも含んでいます。

    先代が残したもの

    日産マーチ K13
    画像:Dinkun Chen/CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)

    https://kuruma-dna.com/k14

    3代目マーチ、K12型は国内外で高く評価されたモデルでした。

    丸みを帯びたデザインは欧州でも受け入れられ、日本国内では「おしゃれなコンパクト」というポジションを確立しています。追浜工場で生産される品質への信頼も厚く、マーチというブランドの価値を一段引き上げた世代だったと言えます。

    ただ、その成功の裏で日産が直面していた課題は明確でした。

    コンパクトカーは利幅が薄い。

    国内生産を続ける限り、新興国市場での価格競争力は出せない。カルロス・ゴーン体制下の日産は、この構造問題に正面から答えを出そうとしました。

    タイ生産という決断

    https://kuruma-dna.com/k12

    K13型マーチの最大の特徴は、日本向けモデルをタイで生産し逆輸入するという枠組みを採用したことです。

    日産はこの決断を「グローバルコンパクトカー戦略」の柱として位置づけました。Vプラットフォームと呼ばれる新しい車台を開発し、マーチだけでなくノートやラティオなど複数車種への展開を見据えた設計です。

    狙いは明快でした。新興国で大量に売れるクルマを、新興国で作る。そのスケールメリットで原価を下げ、先進国市場にも供給する。理屈としては合理的です。実際、タイ工場の品質管理には相当な投資が行われたと言われています。

    しかし、日本のユーザーにとって「マーチが日本製ではなくなった」というインパクトは大きかった。これは感情の問題だけではありません。実際に乗ったときの質感が、先代K12と比較して後退したと感じる人が少なくなかったのです。

    エンジンと走りの変化

    https://kuruma-dna.com/k11

    パワートレインも一新されました。

    K13に搭載されたのはHR12DE型、1.2リッター3気筒エンジンです。先代のCR14DE(1.4L 4気筒)やCR12DE(1.2L 4気筒)から、気筒数がひとつ減っています。これはコストと燃費の両面を狙った判断でした。

    3気筒エンジンは今でこそ珍しくありませんが、2010年当時の日本市場では「格落ち」と受け取られやすい選択でした。

    実際、振動や音の面で4気筒に劣る部分はあり、特にアイドリング時の微振動を気にする声は多く聞かれました。最高出力79PS、最大トルク106N・mというスペック自体は日常使いに不足ないものの、数字以上に「回して楽しい」感覚が薄れたという評価が目立ちます。

    トランスミッションは副変速機付きCVTを採用。

    燃費性能ではJC08モードで最大26.0km/L(後に改良で更に向上)を達成しており、この点は当時のライバルであるフィットやヴィッツと十分に戦える数値でした。

    ただ、CVT特有のラバーバンドフィールが走りの印象をさらに薄味にしていた面は否めません。

    デザインと室内の評価

    https://kuruma-dna.com/k10

    エクステリアデザインは、先代の個性的な丸さから一転して、ややおとなしい造形になりました。グローバル展開を前提にしたデザインは、どの市場でも受け入れられる反面、どの市場でも強く刺さらないという両刃の剣です。日本市場では「没個性」と言われることもありました。

    インテリアの質感については、率直に言って厳しい評価が多かった部分です。ダッシュボードやドアトリムの樹脂パーツは硬質で、触ったときの感触が先代より明らかにコストダウンを感じさせるものでした。「100万円を切る価格設定」を実現するためのトレードオフだったとはいえ、K12の質感を知るユーザーには落差が大きかったのです。

    一方で、室内空間そのものは先代より広くなっています。ホイールベースの延長により後席の足元にはゆとりが生まれ、ラゲッジスペースも実用的な容量を確保しました。「道具としての実力」は確実に上がっていた。ただ、それが評価に直結しなかったのは、コンパクトカーに求められる価値が「合理性」だけではなかったことを示しています。

    市場での現実

    https://kuruma-dna.com/z34

    K13マーチの国内販売は、発売直後こそ月販1万台を超える好調なスタートを切りました。価格の安さは確かに武器でした。エントリーグレードで100万円を切る設定は、当時の登録車としては破格です。

    しかし、販売は徐々に失速します。最大の要因は、同じ日産のノート(E12型、2012年登場)に顧客を奪われたことでしょう。e-POWER登場前のノートですら、マーチより一回り大きく、質感も上で、価格差はそこまで大きくなかった。マーチを選ぶ積極的な理由が薄れていったのです。

    さらに、軽自動車の高性能化・高品質化も逆風でした。N-BOXやタントといった軽スーパーハイトワゴンが室内空間で圧倒し、デイズのような日産自身の軽自動車も商品力を高めていく。「安いコンパクト」というポジションは、上からも下からも挟撃される形になりました。

    グローバルでは事情が異なります。新興国市場ではマイクラ(マーチの海外名)として堅調に販売され、日産の戦略自体が失敗だったわけではありません。ただ、日本市場に限って言えば、K13は「日本のユーザーが求めるもの」と「グローバル最適化」のギャップを露呈したモデルでした。

    長すぎたモデルライフ

    https://kuruma-dna.com/v37-skyline

    K13マーチは2010年から2022年まで、実に12年間販売されました。途中でマイナーチェンジや特別仕様車の投入はあったものの、基本設計は大きく変わっていません。これは日産がマーチの後継モデルを日本市場に投入しなかったことを意味します。

    欧州では2016年に5代目マイクラ(K14型)が登場し、ルノー・クリオのプラットフォームを使った意欲的なモデルに生まれ変わりました。しかし、このK14は日本には導入されませんでした。日産の日本市場戦略の中で、マーチというセグメントの優先度が下がっていたことは明白です。

    結果として、K13は晩年になるほど商品力の陳腐化が進み、販売台数は月に数百台レベルまで落ち込みました。2022年の販売終了をもって、日本市場における「マーチ」という名前の歴史は、少なくとも一度途切れることになります。

    K13が問いかけたもの

    K13マーチを「失敗作」と切り捨てるのは簡単です。しかし、このクルマが突きつけた問いは、日産だけでなく日本の自動車産業全体にとって本質的なものでした。コンパクトカーをグローバルで最適化したとき、日本市場の期待値とどう折り合いをつけるのか。コストを下げることと、ブランドの信頼を維持することは両立するのか。

    初代K10から続いてきたマーチの系譜は、「小さくても楽しい、小さくても上質」という価値観を積み重ねてきました。K13はその蓄積を、グローバル戦略という大きな力学の中で手放さざるを得なかったモデルだったと言えます。

    それでも、K13が担った役割を無視することはできません。このクルマがなければ、日産のグローバルコンパクト戦略は成立しなかった。新興国での販売網拡大も、Vプラットフォームの知見蓄積も、このモデルが起点です。

    日本市場では報われなかったけれど、日産という企業の生存戦略の中では確かに意味があった。

    K13マーチは、そういうクルマです。

  • マーチ – K10【日産が本気で「国民車」を作りにいった一台】

    マーチ – K10【日産が本気で「国民車」を作りにいった一台】

    1982年、日産はひとつの小さなクルマに、かなり大きな賭けをしました。

    初代マーチ、型式K10。

    「リッターカー」という、当時まだ日本市場で定義が固まりきっていなかったカテゴリに、真正面から挑んだモデルです。

    結果としてこのクルマは、日産のコンパクトカー戦略の起点になっただけでなく、日本の小型車の歴史にもしっかり足跡を残しました。

    リッターカー戦争という時代

    日産マーチ K10
    画像:Calreyn88/CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)

    https://kuruma-dna.com/k11

    1970年代末から1980年代初頭にかけて、日本の自動車市場には「リッターカー」というジャンルが急速に立ち上がりました。背景には二度のオイルショックがあります。燃費のいい小さなクルマが求められた時代です。

    トヨタはスターレット、ダイハツはシャレード、スズキはカルタスと、各社がこぞって1,000cc前後の小型車を投入していました。なかでもシャレードは1977年のデビュー以来、3気筒エンジンによる燃費性能で市場を席巻しており、このクラスの主役でした。

    日産にはこのカテゴリに対抗できるモデルがなかった。チェリーやパルサーはあったものの、もっと下の「軽自動車のすぐ上」を狙う専用モデルが必要でした。つまりマーチは、日産が後発として市場に割り込むために、ゼロから企画されたクルマです。

    名前から始まったクルマづくり

    https://kuruma-dna.com/k12

    マーチの開発で特徴的なのは、車名を公募で決めたことです。日産は発売前の1981年に「ニューネーミング・キャンペーン」を実施し、約565万通もの応募から「マーチ」が選ばれました。これは当時としては異例のマーケティング手法で、発売前から大きな話題になっています。

    ただ、これは単なる話題づくりではありません。日産としてはこのクルマを「みんなのクルマ」にしたかった。名前を一般から募ることで、発売前から消費者との接点を作るという、かなり計算された戦略でした。

    デザインを手がけたのは、イタルデザインのジョルジェット・ジウジアーロです。初代ゴルフやパンダ、ジェミニなど、合理的で美しいコンパクトカーを数多く生み出してきた巨匠。K10のデザインは、直線基調でありながら愛嬌があり、小さいのに安っぽく見えないという絶妙なバランスに仕上がっています。

    ジウジアーロのデザインは「箱」としての合理性を重視するスタイルで知られていますが、マーチではそれが見事にハマりました。全長3,735mm、全幅1,560mmという小さなボディの中に、大人4人がちゃんと座れる室内空間を確保しています。小さいクルマを小さく見せない。これがジウジアーロの仕事でした。

    MA10型エンジンという本気

    https://kuruma-dna.com/k13

    K10マーチの心臓部は、MA10S型と呼ばれる987ccの直列4気筒エンジンです。このエンジンは完全新設計でした。マーチ専用に一から作ったという事実が、日産のこのクルマへの本気度を物語っています。

    当時のライバルであるシャレードが3気筒1,000ccだったのに対し、日産は4気筒を選んでいます。振動の少なさと回転フィールの滑らかさを優先した判断です。出力は57馬力。数字だけ見れば控えめですが、車重が約650kgしかなかったため、街中での動力性能は十分でした。

    トランスミッションは4速および5速MTのほか、後に3速ATも設定されています。駆動方式はFF。サスペンションはフロントがストラット、リアが4リンクリジッドという、このクラスの定番構成です。特別に凝った足回りではありませんが、軽い車重のおかげで素直なハンドリングが実現されていました。

    スーパーターボという逸脱

    https://kuruma-dna.com/k14

    K10マーチの話をするうえで、絶対に外せないのがマーチRとマーチスーパーターボの存在です。1988年に登場したこのモデルは、987ccのMA10型エンジンに、ターボチャージャーとスーパーチャージャーを両方載せるという、かなり尖った仕様でした。

    なぜそんなことをしたのか。ターボは高回転域でパワーを出すのが得意ですが、低回転域ではレスポンスが鈍い。一方、スーパーチャージャーはエンジン回転に直結して過給するため低回転から効きますが、高回転域では効率が落ちる。この両方を組み合わせることで、全域でトルクフルな特性を狙ったわけです。

    結果として、わずか1リッターのエンジンから110馬力を絞り出しました。リッターあたり110馬力超。車重は約770kgです。パワーウェイトレシオで言えば、当時のスポーツカーに匹敵する数値でした。

    このスーパーターボは、全日本ラリーやダートトライアルでも活躍しています。コンパクトなボディと圧倒的なパワーウェイトレシオは、競技の世界でこそ真価を発揮しました。ただし市販車としては、ツインチャージャーの複雑さゆえにメンテナンスが大変だったという声もあります。万人向けではなかったけれど、だからこそ今でも語り継がれるモデルです。

    売れたクルマ、愛されたクルマ

    https://kuruma-dna.com/u11

    K10マーチは1982年の発売から1992年のモデルチェンジまで、約10年間にわたって販売されました。この長寿命はこのクラスとしては異例です。途中で何度かマイナーチェンジを受けながら、基本設計を大きく変えることなく売れ続けたという事実が、初期設計の完成度の高さを証明しています。

    販売面では、特に女性ユーザーや若年層からの支持が厚かったと言われています。扱いやすいサイズ、親しみやすいデザイン、そして手頃な価格。初代マーチの新車価格は約69万円からで、当時の軽自動車とほぼ同等でした。「軽より少し広くて、でも軽並みに安い」という立ち位置が、見事に市場のニーズと合致したのです。

    海外では「マイクラ(Micra)」の名前で販売され、欧州市場でも高い評価を得ています。1983年には欧州カー・オブ・ザ・イヤーの最終候補にも残りました。ジウジアーロのデザインが国際的にも通用したことの証です。

    マーチというブランドの原点

    https://kuruma-dna.com/y30

    K10が残したものは、単に「よく売れたコンパクトカー」という実績だけではありません。このクルマによって、日産は「マーチ」というブランドを手に入れました。以降、K11、K12、K13と世代を重ね、マーチは日産のエントリーモデルとして定着していきます。

    特にK11型の2代目マーチは、丸みを帯びたデザインで爆発的にヒットしますが、その成功の土台を作ったのは間違いなくK10です。「マーチ=親しみやすくて、ちゃんと走る小さなクルマ」というイメージは、初代が10年かけて築いたものでした。

    そしてスーパーターボという異端児の存在は、後の日産のコンパクトスポーツ──たとえばK11マーチに搭載された1.3リッターエンジンのチューニングや、ノートNISMOのような派生モデルに至る系譜の、最初の一歩だったとも言えます。小さなクルマでも本気を出す、という姿勢の原型がここにあります。

    K10マーチは、日産が「国民車」を本気で作ろうとした結果生まれたクルマです。

    ジウジアーロのデザイン、新開発エンジン、公募による車名、そしてスーパーターボという飛び道具。そのすべてが、小さなクルマへの大きな本気を物語っています。

    コンパクトカーの歴史を語るうえで、このクルマを避けて通ることはできません。

  • レビン/トレノ – AE101 【名前は同じでも、もう86じゃない】

    レビン/トレノ – AE101 【名前は同じでも、もう86じゃない】

    AE86の正統後継──と呼ぶべきかどうか、いまだに意見が割れる1台です。

    型式こそ「AE」の系譜を引き継ぎ、エンジンも4A-GEの名を冠していますが、駆動方式はFF。ボディもプラットフォームもまるで違います。

    それでもこの車には、トヨタが1990年代前半に出せた「スポーティコンパクトの最適解」がきちんと詰まっていました。

    AE101型レビン/トレノとは何だったのか。名前の連続性と中身の断絶、その両方を見ていきます。

    FRを捨てた理由

    レビン/トレノのエクステリア
    画像:OSX/Public domain(Wikimedia Commons)

    AE86が1983年に登場したとき、すでにカローラ本体はFF化を済ませていました。86はいわば「旧世代のFRシャシーにDOHCエンジンを載せた最後の一台」であり、設計思想としてはむしろ例外的な存在だったわけです。つまり、FFへの移行はAE92(1987年)の時点で既定路線でした。

    AE101が登場した1991年、トヨタにとってFRのコンパクトスポーツを維持する理由はほぼありませんでした。コスト、室内空間、生産効率、すべてがFF有利。MR2やスープラといった専用スポーツカーが別に存在する以上、カローラ派生のクーペにFRを残す商品企画上の根拠が立たなかったのです。

    これは「トヨタがスポーツを捨てた」という話ではありません。むしろ逆で、FFという制約の中でどこまでスポーティに仕立てられるかに本気で取り組んだ結果が、AE101でした。

    4A-GEの到達点、20バルブ

    https://kuruma-dna.com/ae82

    AE101最大のトピックは、エンジンです。搭載された4A-GE 20バルブ──1気筒あたり吸気3・排気2の5バルブ構成を採用した1.6L直4は、自然吸気で160ps/7,400rpmを発生しました。リッターあたり100psという数字は、当時の1.6Lクラスとしては突出しています。

    5バルブという構成は、ヤマハが開発に深く関わったことで実現しています。吸気バルブを3つに増やすことで低中速のトルクを犠牲にしすぎずに高回転域の充填効率を稼ぐ、という狙いでした。実際、このエンジンはレッドゾーンの手前まで気持ちよく回る特性を持っており、回して楽しいユニットとして高く評価されています。

    ただし、5バルブの恩恵を体感するには相応に回す必要がありました。街乗り領域ではごく普通の1.6Lであり、高回転まで引っ張って初めて「ああ、これか」と分かるタイプのエンジンです。ここが好みの分かれるところでもありました。

    なお、廉価グレードには4A-FEも用意されていましたが、AE101を語る文脈では基本的に4A-GE搭載車が主役です。スーパーチャージャー付きの4A-GZEが先代AE92にはありましたが、AE101では廃止されています。過給に頼らず、NAの高回転で勝負する方向にトヨタは舵を切ったわけです。

    シャシーとボディの性格

    https://kuruma-dna.com/te71

    プラットフォームはE100系カローラと共有。ホイールベースは2,465mmで、先代AE92から若干拡大されています。ストラット式のフロントとリアの足回りは、スポーツカー専用設計ではなくカローラベースの延長線上にありますが、BZ-Gなどのスポーツグレードではサスペンションのチューニングが明確に引き締められていました。

    ボディは先代よりやや大きく、やや重くなっています。車重は4A-GE搭載のMT車で約1,080〜1,100kg程度。AE86の約940kgと比べれば明らかに重い。ただしこれは装備の充実や衝突安全性の向上、ボディ剛性の確保といった時代の要請によるもので、AE101だけが特別に重かったわけではありません。

    レビンは固定式ヘッドライト、トレノはリトラクタブルヘッドライト、という外観上の差別化は先代から踏襲されています。ただし、このAE101がトレノとしてリトラを採用した最後の世代になりました。時代はすでにリトラ廃止の方向に動いていたのです。

    ライバルと市場での立ち位置

    https://kuruma-dna.com/gzea14h

    1991年という年は、日本のスポーツカー市場がまだ熱を持っていた時期です。ホンダ・シビック(EG6型SiR)はB16A VTECで170psを叩き出しており、1.6Lクラスの頂上争いは熾烈でした。AE101の160psは数字の上ではわずかに及びませんが、5バルブNAの独自性と、トヨタブランドの安心感で一定のポジションを確保しています。

    日産パルサーGTI-Rのようなターボ4WDという飛び道具もこの時代には存在しましたが、AE101が狙っていたのはそういう過激な方向ではありません。あくまで「日常的に使えるコンパクトクーペの中で、走りの質が高いもの」という立ち位置です。

    販売面では、バブル崩壊後の市場縮小の影響を受けつつも、カローラの名前が持つ販売網の強さに支えられて堅実に売れました。ただし「スポーツカーとして熱狂的に支持された」というよりは、「よくできたスポーティクーペとして選ばれた」という表現のほうが実態に近いでしょう。

    モータースポーツでの存在感

    https://kuruma-dna.com/nre210h

    AE101は、ワンメイクレースやグループAなどの競技シーンでも活躍しています。特にN1耐久(のちのスーパー耐久)では、4A-GE 20バルブの高回転特性を活かした戦い方が可能で、プライベーターにも広く使われました。

    また、TRD(トヨタ・レーシング・デベロップメント)からは競技向けパーツが豊富に供給されており、AE86ほどの「草の根チューニング文化」とは少し異なりますが、メーカー公認のモータースポーツ基盤がしっかり整備されていた点は見逃せません。

    海外、とくに東南アジアやオセアニアではAE101のレース人気が高く、日本国内よりもむしろ競技ベース車両として長く重宝された地域もあります。

    86の影に隠れた、正当な進化

    https://kuruma-dna.com/gre156h

    AE101の評価は、どうしてもAE86との比較から逃れられません。「FRじゃない」「軽さがない」「あの頃のレビンじゃない」──そういう声は当時からありましたし、今でもあります。

    ただ、冷静に見ればAE101は「1991年のトヨタが、1.6Lコンパクトクーペとして出せる最善手」をきちんと形にした車です。5バルブ4A-GEという尖ったエンジンを載せ、FFの制約の中で足回りを煮詰め、モータースポーツにも対応できるだけの素性を持たせた。やるべきことはやっています。

    AE86が伝説になったのは、あの車が「最後のFRカローラ」だったからです。つまり、後から振り返って意味が生まれた部分が大きい。AE101はその「後から来た側」なので、どうしても比較の中で割を食います。でも、それはAE101の出来が悪かったからではありません。

    4A-GEという名機の最終進化形を味わえること。5バルブNAの高回転フィールは、ターボ全盛の時代にあって独自の価値を持っていたこと。そして、次のAE111で4A-GEが最後を迎えることを考えると、AE101は「4A-GEが最も洗練された世代」として記憶される資格がある1台です。名前の重さに押しつぶされがちですが、中身はちゃんと進化していました。

  • レビン/トレノ – AE111【最後のレビトレが背負ったもの】

    レビン/トレノ – AE111【最後のレビトレが背負ったもの】

    「最後のレビン/トレノ」という肩書きは、後から付いたものです。

    1995年の登場時点では、誰もこれが最終型になるとは思っていなかったでしょう。

    けれど振り返れば、AE111はカローラ系ライトウェイトスポーツの到達点であると同時に、その役割の終わりを静かに告げた一台でもありました。

    カローラ系スポーツの最終走者

    トヨタ・カローラレビン AE111
    画像:ae_works/CC BY 2.0(Wikimedia Commons)

    https://kuruma-dna.com/ae101

    AE111型レビン/トレノは、1995年5月に登場しました。カローラの7代目(E110系)をベースにしたスポーツクーペで、先代AE101の正常進化モデルという位置づけです。

    レビンがヘッドライト固定式、トレノがリトラクタブル……ではなく、この世代では両車とも固定式ヘッドライトになっています。トレノのリトラは先代AE101で終わっていました。

    レビン/トレノの系譜は、TE27から始まって、AE86で伝説化し、AE92でFF化、AE101でスーパーチャージャーモデルを追加、と世代ごとに変化を重ねてきました。AE111はその最終章です。ただ、当時の空気として「これが最後」という悲壮感はあまりなかった。むしろ、エンジンの進化ぶりを見れば、トヨタはまだこのクラスに本気だったことがわかります。

    4A-GE、20バルブという到達点

    https://kuruma-dna.com/zzt231

    AE111最大のトピックは、4A-GE型エンジンの最終進化形「黒ヘッド」の搭載です。正式には4A-GE 20バルブの5代目仕様。1気筒あたり5バルブ——吸気3、排気2——という構成で、自然吸気1.6Lから165馬力を絞り出しました。リッターあたり約103馬力。これは当時のNAエンジンとしてはかなりの高水準です。

    5バルブという構成自体は先代AE101の「銀ヘッド」で初採用されていましたが、AE111ではVVT(可変バルブタイミング機構)の採用、圧縮比の向上、吸排気系の見直しなどで、全域にわたってトルク特性が改善されています。先代の160馬力から5馬力の上乗せ、と数字だけ見ると地味に映るかもしれません。でも、実際に乗った人の多くが「回し方への応答が別物になった」と語っています。ピークパワーよりも、そこに至る過程の質が変わったエンジンでした。

    ちなみに、この4A-GE 20バルブは可変吸気も備えており、高回転域でのパワー感だけでなく中回転域の実用トルクも意識した設計です。NAの小排気量エンジンを「ただ回るだけ」で終わらせなかったところに、トヨタのエンジン屋の意地を感じます。

    シャシーとボディの仕立て

    https://kuruma-dna.com/ae92

    プラットフォームはE110系カローラと共有するFF。サスペンションはフロントがストラット、リアがトヨタ得意のスーパーストラットを上位グレードに設定していました。このスーパーストラットは、ストラットの構造でありながらキャンバー変化を最適化するという凝った仕組みで、コーナリング時の接地性を高める狙いがあります。

    ただし、このスーパーストラットは評価が分かれました。ノーマル状態での動きは良いのですが、車高調やアフターパーツとの相性に難があり、チューニングベースとしてはやや扱いにくい。結果として、競技やストリートの現場ではノーマルストラット仕様を選ぶユーザーも少なくなかったのが実情です。

    ボディは先代AE101に対して剛性が向上しています。外板パネルの薄さやコンパクトカーベースの宿命的な華奢さは残っていたものの、スポット溶接の増し打ちや構造用接着剤の併用などで、走りの質感は確実に上がっていました。車重は約1,080〜1,100kg前後。このクラスのFFスポーツとしては十分に軽い部類です。

    BZ-Gという頂点

    https://kuruma-dna.com/ae82

    AE111のグレード体系で注目すべきは、BZ-GとBZ-Rの存在です。特にBZ-Gは6速MTを標準装備し、機械式LSD、スーパーストラット、専用のクロスレシオギアを備えた、いわば「走りの全部入り」グレードでした。

    6速MTというのは、当時のこのクラスでは珍しい装備です。1.6LのFFクーペに6速を与えるというのは、明らかにエンスージアスト向けの判断でしょう。ギア比がクロスしている分、4A-GEの高回転パワーバンドを維持しやすく、峠やサーキットでのタイム短縮に直結しました。

    一方で、BZ-Rはノーマルストラットに5速MTという、より汎用性の高い構成。前述のスーパーストラットの扱いにくさを嫌うユーザーにとっては、こちらのほうが素直にいじれるベース車両でした。この二本立ての設定は、トヨタがユーザー層の分化をよく理解していた証拠です。

    時代が求めなくなったもの

    https://kuruma-dna.com/e150

    AE111は良いクルマでした。エンジンは歴代最高の仕上がり、シャシーも進化している。でも、販売は振るわなかった。これはAE111の罪ではなく、時代の変化です。

    1990年代後半、日本の自動車市場はミニバンとSUVへ急速にシフトしていました。2ドアクーペそのものが売れなくなっていた時代です。しかも、同じトヨタ内にはAE86の後継を自認するかのようなMR-Sの企画が進行しており、さらにその上にはセリカやMR2という選択肢もあった。カローラベースの2ドアスポーツという商品カテゴリ自体が、メーカーのラインナップ戦略の中で居場所を失いつつあったのです。

    2000年、E110系カローラのモデルチェンジに伴い、レビン/トレノは後継なく廃止されます。カローラ ランクスやフィールダーといった実用車は生まれましたが、スポーツクーペの枠は消えました。「レビン」「トレノ」という車名がカタログから消えた瞬間です。

    AE111が残したもの

    https://kuruma-dna.com/ae86

    レビン/トレノの系譜は、ここで途絶えました。しかし、AE111が残した意味は小さくありません。

    まず、4A-GE 20バルブという自然吸気エンジンの到達点。1.6Lでリッター100馬力超を、特殊なメカニズムに頼らず量産エンジンとして成立させたことは、トヨタのエンジン技術史において明確な足跡です。この系譜の精神は、後に2ZZ-GE(セリカZZTやロータス エリーゼに搭載)へと受け継がれたと見ることもできます。

    そしてもうひとつ、「カローラから派生したスポーツモデル」という商品企画の型。これは後年、GRブランドの展開——GRヤリスやGRカローラ——として、形を変えて復活しています。大衆車ベースのスポーツという思想そのものは、死んでいなかったわけです。

    AE111は、華々しく散ったわけでも、劇的な幕引きがあったわけでもありません。ただ静かに、やるべきことをやり切って、カタログから消えていった。最後のレビン/トレノは、そういうクルマでした。だからこそ、知っている人ほどこの型式に敬意を払います。終わり方が、ちゃんとしていたからです。

  • MR-Sの中古車は買い?【トヨタが最後に作ったミッドシップを、今あえて選ぶなら】

    MR-Sの中古車は買い?【トヨタが最後に作ったミッドシップを、今あえて選ぶなら】

    トヨタが最後に作ったミッドシップスポーツ、MR-S。

    車重1トンを切るオープンボディに1.8リッターのNAエンジンという、今の時代にはもう出てこない組み合わせです。

    パワーで勝負する車ではありません。でも、だからこそ「操る楽しさ」が濃い。そういう車に惹かれている人が、この記事を読んでいるはずです。

    ただし、1999年から2007年までの生産車ですから、最も新しい個体でもすでに約20年落ち。

    しかもスポーツカーとして酷使された個体が少なくありません。何が怖くて、何はそこまで怖くないのか。

    ここを整理しておくことが、MR-Sの中古選びでは不可欠です。

    最初に警戒すべきは「前期か後期か」と「MTかSMTか」

    https://kuruma-dna.com/zzw30

    MR-Sの中古を選ぶうえで、まず最初に確認すべきポイントがあります。それは年式とミッションの種類です。2002年8月のマイナーチェンジを境に前期型と後期型に分かれ、この違いがトラブルリスクに直結します。

    前期型は5速MT/5速SMT、後期型は6速MT/6速SMTという構成です。後期型ではボディ剛性の強化、サスペンションの見直し、リアタイヤの大径化など走りの基本が底上げされています。そしてエンジン内部のピストンリングやピストンにも順次対策が入っており、後期型、とくに2005年以降の個体はエンジントラブルのリスクが大きく下がります。

    もうひとつ重要なのがミッションの選択です。MR-Sにはクラッチペダルのない「SMT(シーケンシャル・マニュアル・トランスミッション)」が設定されています。

    AT限定免許で乗れるという利点がありますが、このSMTこそがMR-S最大の地雷ポイントです。

    結論から言えば、可能な限りMT車を選ぶのが安全策です。理由は後述します。

    重大な弱点を部位ごとに整理する

    https://kuruma-dna.com/sw20

    SMTの突然死。これがMR-Sで最も深刻な弱点です。走行中にいきなりギアが入らなくなる、減速時にエンジンが止まる、交差点で動けなくなる。こうした症状が、油圧ポンプやアクチュエーターの不良で発生します。しかも予兆なく起こることがあり、高速道路で発生すれば命に関わります。

    修理にはポンプとアクチュエーターの交換が必要で、工賃込みで30万円前後と高額です。しかも一度直しても2〜3年で再発するという声も少なくありません。さらに現在は一部の部品が生産終了しており、修理そのものが困難になりつつあります。SMT車を選ぶなら、この覚悟は必須です。

    前期型1ZZ-FEエンジンのオイル消費。

    MR-Sに搭載される1.8リッターエンジン「1ZZ-FE」は、前期型においてオイルを異常に消費する個体が多く報告されています。原因はピストンリングの張力不足とピストンのオイル逃し穴の設計です。ミッドシップゆえに油温が上がりやすいMR-Sでは、他の1ZZ搭載車よりも発症リスクが高いとされています。

    症状が進むとマフラーから白煙が出て、1,000kmあたり数百mlのオイルが減っていきます。放置すればエンジン内部のカーボン堆積が進み、O2センサーやエアフロメーターの故障を連鎖的に引き起こします。最終的にはエンジンのオーバーホールか載せ替えが必要になり、50万円規模の出費になることもあります。

    後期型、とくに2005年以降の個体ではピストンリングやヘッドカバー内部の対策品が投入されており、リスクは大幅に低減しています。中古で前期型を買う場合は、マフラー出口の白煙チェックが最重要項目です。

    純正エキゾーストマニホールドの割れ。エンジンの排気管の根元にあたる部品ですが、ミッドシップレイアウトで熱がこもりやすいMR-Sでは、この部品にクラックが入りやすいことが知られています。割れると排気漏れが起き、異音が出て車検にも通りません。

    排気音がやけに大きい、エンジン付近でビリビリと振動するような音がする場合は、この割れを疑ってください。社外品のエキマニに交換されている個体では、さらに割れやすい傾向があります。修理は部品代・工賃合わせて6万円前後が目安です。

    ステアリングシャフトの固着。ハンドルを回すときに途中で急に重くなったり軽くなったりする、操舵力にムラがある症状です。原因はステアリングのシャフトに使われているジョイント部分やスプライン(かみ合わせ部分)の錆による固着です。MR-Sはこの部分に水分や汚れが入りやすい構造になっており、車種固有のトラブルと言えます。

    パワーステアリング本体の故障と誤診されやすいのが厄介で、丸ごと交換しても直らなかったという事例もあります。試乗時にハンドルの重さが一定かどうか、注意深く確認してください。

    小さいが印象を悪くする不具合たち

    https://kuruma-dna.com/aw11

    サイドブレーキワイヤーの固着。リアのブレーキキャリパーにつながるサイドブレーキのワイヤーは、ゴム製のブーツが破れて内部に水が入り、錆びて動きが悪くなります。MR-Sではワイヤーが上向きにキャリパーに接続される構造のため、水が抜けにくく発症しやすいのです。

    サイドブレーキが効かない、あるいは逆にリアブレーキが引きずる(常に軽くブレーキがかかった状態になる)という症状につながります。交換自体はワイヤー代が左右で約1万円程度ですが、MR-Sではワイヤーが燃料タンクの上を通っているため、タンクを降ろす必要があり、工賃がかさみます。

    幌(ソフトトップ)の劣化。MR-Sの幌は手動式で構造自体はシンプルですが、20年以上経過した個体では生地の劣化が進んでいます。縫い目からの雨漏り、リアウインドウの接着部分の剥がれ、ひどいものではリアウインドウが走行中にもげるといった事例もあります。

    幌の張り替えとなると20万円前後の費用がかかります。購入前に幌の状態は必ず確認し、張り替え済みの個体であればそれだけで安心材料になります。

    雨漏り。幌とは別の経路でも室内に水が入ることがあります。サイドインテーク(車体横の空気取り入れ口)のドレンが詰まるパターンや、ステアリングシャフトがフレームを貫通する部分のゴムシールが劣化して水が浸入するパターンです。

    運転席の足元が濡れている形跡がある個体は要注意です。水が入り続けた状態が長く続くと、フレームの錆に発展します。フレームは交換できない部品ですから、ここが錆びている個体は避けるべきです。

    サブ触媒のコア崩れ。エキマニ側に付いている小さな触媒(サブ触媒)の内部が崩れて詰まることがあります。とくに前期型で発生しやすく、詰まるとパワーが出なくなります。後期型では対策されています。試乗時に高回転まで回してみて、明らかにパワー感がない場合はこの可能性を疑ってください。

    補修部品の入手難。MR-Sは国内累計販売台数が約2万1千台と少なく、中古部品の流通量が極めて少ない車種です。バンパー、ヘッドライト、ドアミラー、テールランプといった外装部品の中古がほとんど出回りません。マニア人気が高いため、解体車が出てもすぐにショップや海外輸出に流れてしまうのが実情です。

    つまり、ぶつけたときの修理代が想像以上にかさみます。新品部品か板金塗装に頼るしかなく、ちょっとした接触事故でも出費が大きくなりがちです。これは日常的にMR-Sを使ううえで、常に頭に入れておくべきリスクです。

    逆に、ここは安心できる

    MR-S
    画像:Ethan Llamas/CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)

    弱点ばかり並べてきましたが、MR-Sには安心して評価できる部分もしっかりあります。

    MT車のミッション本体は頑丈です。SMTのトラブルが目立つ一方で、通常のマニュアルトランスミッション自体は堅実な設計です。前期の5速では3速ギアの割れが稀に報告されていますが、後期の6速MTではそうした報告はほとんどありません。MTを選んでおけば、駆動系の心配は大幅に減ります。

    ブレーキ、パワーステアリング、電装系の基本的な信頼性は高めです。16万km走行しても内外の電装機能、パワステ、ブレーキ、エアコンに不具合が出なかったという長期オーナーの声もあります。トヨタ車らしく、基本的な部分の作りは手堅いと言えます。

    幌のシステムはシンプルで壊れにくい。手動式で電動モーターを使わない構造のため、機構そのものが故障するリスクはほぼありません。生地の劣化は避けられませんが、メカとして壊れる心配がないのは大きな安心材料です。約3秒で開閉できる軽快さも、この車の美点のひとつです。

    レギュラーガソリン仕様で燃費も良好。ハイオク指定ではないため、日常の燃料コストが抑えられます。リッターあたり10〜14km程度の実燃費が期待でき、スポーツカーとしては経済的です。維持費の面で過度に身構える必要がないのは、趣味車としてありがたいポイントです。

    現車確認で見るべきポイント

    MR-S
    画像:Ethan Llamas/CC BY-SA 4.0(Wikimedia Commons)

    まず、エンジンの白煙チェック。冷間始動時にマフラーから白煙が出ていないか、走行中に加速したときミラー越しに白煙が見えないか。前期型では特に重要です。

    次に、カスタムの有無と純正部品の残存。MR-Sはカスタム車両の比率が高い車種です。マフラー、エキマニ、触媒などが社外品に交換されている場合、純正部品が残っていないと車検のたびに苦労します。車検対応の社外マフラーでも経年劣化で音量が基準を超えることがあり、そのとき純正マフラーの中古はほぼ見つかりません。

    下回りの錆も必ず確認してください。リフトアップしてもらい、フレーム、マフラー、足回りの状態を目視します。外観がきれいでも腹下がボロボロという個体は実際にあります。レストア済みを謳う車両でも、下回りまで手が入っているとは限りません。

    幌の状態。生地の破れ、縫い目のほつれ、リアウインドウ周辺の接着状態。張り替え済みかどうかは大きな判断材料になります。

    SMT車の場合は試乗でのシフト動作確認が必須です。ニュートラルから1速への入り、変速時の引っかかり、警告灯の点灯がないかを注意深く見てください。冬場に警告灯が点きやすいという報告もあり、季節を問わず試乗することをおすすめします。

    そしてステアリングのフィーリング。ハンドルを切ったときに重さが一定かどうか、途中で引っかかるような感触がないか。ジョイント部分の固着は試乗でしか見つけられません。

    結局、MR-Sの中古は買いなのか

    https://kuruma-dna.com/ea11r

    結論から言います。後期型の6速MT車であれば、弱点を理解したうえでかなり買いです。

    1トンを切るミッドシップオープンという成り立ちは、今の国産車にはまったく存在しません。レギュラーガソリンで走り、維持費も常識的。140馬力という数字は地味に見えますが、この車重で味わうと十分以上に楽しい。トヨタ車らしい基本部分の信頼性も、趣味車としての安心感を支えています。

    ただし、前期型は1ZZ-FEのオイル消費リスクが無視できません。SMT車はミッション系統の突然死という、スポーツカーとして致命的な弱点を抱えています。この2つを避けるだけで、MR-Sの中古選びのリスクは劇的に下がります。

    補修部品の入手難は今後さらに深刻になるでしょう。ぶつけたら高くつく、という現実は常に頭に置いておく必要があります。それでも、この車でしか味わえないドライビングの質感がある。パワーに頼らず、車との対話を楽しめる人にとって、MR-Sは今でも十分に価値のある選択肢です。

    手を出してよい人は、後期MTの程度のよい個体を見つけられて、多少の手間やトラブルを楽しめる人。やめた方がよい人は、SMTしか選べない状況でトラブル対応に不安がある人、あるいは日常の足として完璧な信頼性を求める人です。

    MR-Sは、トヨタがもう二度と作らないであろうタイプの車です。

    程度のよい個体が市場に残っている今のうちに、触れておく価値はあります。

  • ランサーエボリューションVII – CT9A 【ランエボ新時代の開幕】

    ランサーエボリューションVII – CT9A 【ランエボ新時代の開幕】

    エボVIまでのランエボというと、軽くて尖っていて、いかにも競技ベースの荒々しいセダンという印象が強いと思います。

    ただ、エボVIIはそこが少し違う。2001年2月に登場したこのモデルは、ランサーセディアへのフルモデルチェンジに合わせて生まれ変わり、ホイールベースを延ばし、トレッドを広げ、タイヤも大型化。

    つまり、従来の延長線上というより、土台から少し性格を変えてきました。

    エボIV、V、VIが「熟成しながら勝ち方を磨いてきた世代」なら、エボVIIは「車体そのものが変わったので、速さの作り方も変えた世代」と言えるでしょう。

    同じ4G63ターボ、同じAYC系譜でも、中身は別物です。

    三菱公式ヒストリーでも、エボ7の進化点としてロングホイールベース化、ワイドトレッド化、4G63の改良、そしてACD採用がはっきり挙げられています。

    「軽さと鋭さ」だけでは通用しなくなった

    https://kuruma-dna.com/ct9a-2

    エボVIIの開発でまず大きかったのは、ベース車がランサーセディアに変わったことです。

    これによってボディは先代より大きくなり、ホイールベースも延長されました。もちろん、ただ重く大きくなっただけではランエボとして成立しません。

    だから三菱は、新しいボディに合わせて、曲がり方そのものを作り直す必要がありました。

    曲げ方における思想の転換

    https://kuruma-dna.com/cp9a-2

    当時の開発インタビューでは、操安試験担当の松井孝夫氏が、先代まではリアを動かしてスリップアングルを作り、フロントの回頭性に余裕を持たせる方向だったのに対し、エボVIIでは車体が長く大きくなったため、リアはしっかりグリップさせ、曲がりは他の要素が担う方向へ変えたと説明しています。

    要するに、曲げ方の思想が変わった。リアを使って曲げるというより、電子制御四駆を前提に、安定を高めながら向きを変える方向へ振ったわけですね。

    ランエボに搭載された新技術「ACD」

    https://kuruma-dna.com/cp9a-1

    その中核が、ランエボ初採用となったACD(アクティブ・センター・デフ)だったのです。

    従来のビスカス式センターデフに代わり、電子制御油圧多板クラッチ式のACDを搭載。さらにAYCと統合制御することで、加速時のトラクションと旋回中の応答性を両立させる狙いがありました。

    三菱公式も、ACDとAYCの統合制御により、別々に動かすより優れた加速性能と操縦安定性を実現したとしています。

    「戦闘力」より「曲がりの質」が上がった

    https://kuruma-dna.com/ct9a-4

    エボVIIの強みを一言でいえば、四駆ターボの速さを、より高いレベルで制御できるようになったことです。

    4G63インタークーラーターボは、ターボチャージャー改良や大型化されたインタークーラー、マグネシウム製ロッカーカバー、中空カムシャフト、ステンレス製エキゾーストパイプなどで手が入れられ、最大トルクは39.0kg-m/3500rpmへ向上。とくに中速域のトルク特性が改善されていました。

    現代的なシャシー設計への転換

    https://kuruma-dna.com/cn9a-1

    でも、エボVIIの本質はエンジン単体よりシャシーにあります。

    ロングホイールベース化は普通なら鈍さにもつながりかねないが、エボ7はそこをACDとAYCの統合制御で埋めてきた。

    Responseの当時記事では、減速から旋回、立ち上がり加速までをACDとAYCが連携して支え、直結4WD並みの駆動力と高い操縦応答性を両立したと説明されています。

    つまりエボ7は、「力でねじ伏せる四駆」から「一連の挙動を制御して速く走る四駆」へ踏み込んだモデルだったのです。  

    しかも、この方向性は後のランエボの基礎になった。

    2004年の試乗記事でも、エボ7以降のランエボが「世界でもっともよく曲がるAWD」として注目された背景に、ACD、スーパーAYC、スポーツABSの統合思想があったと振り返られています。

    表現はメディア側のものですが、少なくともエボ7が「旋回性能の質を一段引き上げた起点」と見なされていたことは確かでしょう。  

    開発側も「新しい曲がり方」を自覚していた

    https://kuruma-dna.com/cz4a

    エボ7の開発インタビューで面白いのは、単に「性能が上がりました」では終わっていないことです。

    松井氏は、ACDの採用によって、これまでのVCU式に比べてより大きな作動制限力ときめ細かな制御が可能になったと説明しています。

    また、車体大型化に合わせてリアを安定方向へ振り、回頭性はACDやAYCなど他の要素が担うセットに変えたとも語っています。

    これはつまり、エボ7がただの出力競争車ではなく、制御思想の転換点だったことを開発側自身が示しているのです。

    このあたりが、エボVIIを「ただ大きくなったエボ」で終わらせない理由でしょう。ボディ拡大は一見するとネガに見えますが、三菱はそれを電子制御四駆とシャシー再設計で、別の速さへ変換してみせた。

    ランエボという名前を守るために、ランエボの作り方そのものを更新したわけですね。  

    ラリーの現場はまだ過渡期だった

    https://kuruma-dna.com/ce9a-3

    ここは少しややこしい話になります。

    市販車としてのエボVIIは2001年に登場しましたが、WRCの現場では2001年前半までグループA仕様のエボ6系がまだ戦っていました。

    三菱公式WRCヒストリーでも、2001年の勝利の多くはグループAランサーエボリューションVIによるものとされ、ランサーエボリューションWRCの本格投入はシーズン後半となります。  

    つまりエボVIIは、競技で即タイトルを総なめにしたというより、三菱が「市販ランエボを次世代へ進めるための土台」として大きく意味を持つモデルでした。

    WRCそのものも、すでにグループAの時代からWRカー本格時代へ移っており、ランエボも単純なホモロゲモデルの延長ではいられなくなっていました。

    エボ7は、そうした変化の中で市販車側が先に新世代へ踏み出した一台とも言えます。

    エボVII世代を語るうえで外せないGT-A

    https://kuruma-dna.com/ce9a-2

    エボ7が「速さの作り方を変えた世代」だとすれば、GT-Aはそこに「乗り手の間口を広げる」という別の進化を加えた存在です。

    硬派なRSやGSRが本流なのは間違いないが、GT-AがあったことでエボVII世代は、競技ベースの尖った四駆ターボで終わらず、高性能セダンとしての広がりまで手にした。

    ここからも、2000年を越してきたタイミングでの各社による商戦略が伺えます。

    頭のいい名車になったランエボ

    https://kuruma-dna.com/cd9a-1

    エボVIIは、エボVIまでのファンから見ると少し異質かもしれません。

    車体は大きいし、思想もやや洗練されている。昔ながらの「じゃじゃ馬感」を期待すると、むしろ薄まったようにも見えます。ですが、それは退化ではなく進化の向きの違いにあります。

    4G63の太い中速トルク、ワイド化されたシャシー、そしてACDとAYCの統合制御。

    エボVIIは、ランエボを「ただ速い四駆ターボ」から「狙って曲げ、狙って立ち上がれる四駆ターボ」へ進めたのです。

    後のエボVIII、IXへつながる核は、もうこの時点でかなり出来上がっていました。

  • ランサーエボリューションVIII – CT9A 【第三世代ランエボの本命】

    ランサーエボリューションVIII – CT9A 【第三世代ランエボの本命】

    エボVIIが「大きくなった新世代ランエボ」なら、エボVIIIはその土台を本気で仕上げにきた一台となります。

    2003年1月に登場したランサーエボリューションVIIIは、三菱公式でも進化点としてスーパーAYCの採用が明記されているモデルで、第三世代ランエボの中でも「曲がりの質」をはっきり引き上げた存在となります。  

    エボVIIでACDを得て、四駆の前後制御はすでに大きく進んでいました。

    そこへエボVIIIは、後輪左右の制御をさらに強化したスーパーAYCを持ち込み、加えて6速MTまで投入してきた。

    踏める、曲がる、立ち上がれる。その一連の流れを、より高い精度でまとめ上げたのがエボVIIIだったのです。  

    「制御の完成度」を上げるアップデート

    https://kuruma-dna.com/ct9a-4

    エボ8は見た目だけなら、エボ7の発展版に見えます。

    実際、ベースは同じCT9A世代で、4G63ターボも引き続き搭載しています。

    しかし中身はかなり本気。

    三菱の発表資料では、車体前部・上部やバネ下を中心に軽量化を進め、エンジン、空力、冷却、サスペンションを細かく見直したとしています。さらにGSRと17インチRSにはクロスレシオの6速MTを標準採用し、走りのつながりそのものを磨いてきました。

    空力の考え方も面白い。

    一見するとエボ7よりおとなしく見えますが、それは妥協ありませんでした。webCGが開発者取材をもとに伝えているように、フロント開口部やボンネットまわり、トランク後端の処理は、空力シミュレーションや重量増との兼ね合いを踏まえた結果であり、見た目よりも速度追求を優先した判断でした。

    エボVIIIは派手さを足したのではなく、第三世代を速い形へ整理した結果なのです。

    ×「もっと曲がる」⚪︎「曲がりながら踏める」

    https://kuruma-dna.com/ct9a-1

    エボVIII最大の見どころは、やはりスーパーAYCでしょう。

    従来AYCをさらに進化させたこの機構は、リア左右の駆動力配分能力を大きく高め、旋回性能とトラクション性能の両立を狙ったものでした。

    モーターマガジン系の記事でも、従来AYC比で後輪左右のトルク移動量を約2倍に高めたことが紹介されています。要するにエボVIIIは、ただノーズが入るだけでなく、向きを変えたあとにより強く前へ出せる四駆になりました。

    しかもそれは、ACDとの組み合わせで効いてきます。

    エボVIIで始まった前後制御に、エボVIIIでは後輪左右の制御強化が重なりました。後年の三菱系解説でも、スーパーAYCがクルマを安定させつつ旋回力をコントロールしやすくしたことは大きな転機だったと振り返られています。

    エボVIIIはこの時点で、ランエボをパワーのある4WDから挙動を作り込める4WDへさらに進めていたのです。

    太古から受け継がれた4G63もしっかり改良

    https://kuruma-dna.com/cz4a

    エンジンも抜かりないです。

    4G63ターボは280psを維持しつつ、最大トルクは40.0kgmへ向上。ターボや冷却系の見直しで3000〜5000rpmの厚みを強め、ピストンやコンロッドの高強度化、軽量化まで行っています。

    派手な数字競争ではなく、実際に使う回転域を太らせて速くする、いかにもランエボらしい進化でした。

    「ついに6速化した」ではなく、「つなぎ方を変えた」

    https://kuruma-dna.com/cp9a-2

    エボVIIIで初採用された6速MTも重要です。

    GSRと17インチRSに入ったこのクロスレシオ6速は、1速で発進加速を重視しつつ、2〜5速をクロースさせ、6速をハイギアードに設定する構成だった。つまり単に段数を増やしたのではない。加速のつながりと高速域の使い方を両立させるための6速化だった。  

    この変更は、エボVIIIの性格をよく表しています。

    エボVIIで作った新世代シャシーに対し、エボVIIIは制御も変速も一段きめ細かくしてきました。乱暴に速いのではなく、速さをより細かく運べるようにしたのです。

    だからエボVIIIは、数字以上に「完成度が上がった感覚」で評価されやすいわけですね。

    見た目に比べ思想はむしろ過激に

    https://kuruma-dna.com/cp9a-1

    エボVIIIの面白さは、開発側が見た目より中身を優先していたところにも出ています。

    webCGの取材では、エボ7から消えたように見える開口部処理やボンネットインレット、デルタウィッカーについて、開発者インタビューの結果として「最新の空力シミュレーションや空力効果と重量増とのバーターを考慮した結果、より得策と思われる方法を選んだ」と説明されています。

    これはかなりエボらしい。見栄えより効く方を取る、ということです。  

    また、三菱の四輪制御ヒストリーでは、エボVII開発時からボディ剛性を重視し、ニュルブルクリンクでの実走テストを重ねて進化の土台を磨いていたことが語られています。

    エボVIIIはその流れの上で、制御と車体をさらに噛み合わせてきたモデルと見ていいでしょう。

    第三世代が「本気で速く曲がる」ことを覚えた

    https://kuruma-dna.com/cn9a-1

    エボVIIは大きな転換点でした。

    しかしエボVIIIは、その転換をちゃんと実力へ変えたモデルとなります。

    スーパーAYC、6速MT、改良された4G63、詰め直された空力と軽量化。どれも単体では地味に見えるかもしれないですが、全てが速さの質を上げる方向で揃っています。

    エボVIIIは第三世代ランエボの本命であり、エボ9へ続く完成形への助走でもあった。荒々しい四駆ターボのまま、制御と精度でさらに前へ進みました。

    その意味でエボVIIIは、ランエボが「ただ速い」から「狙って速い」へ進化したことを、いちばんわかりやすく示す一台だったのです。  

  • レビン/トレノ- AE86【最後のFRカローラが伝説になった理由】

    レビン/トレノ- AE86【最後のFRカローラが伝説になった理由】

    カローラの歴史の中で、たった一世代だけ「伝説」と呼ばれるモデルがあります。

    AE86型レビンとトレノ。

    1983年に登場し、わずか4年で生産を終えたこの車は、新車当時よりもむしろ生産終了後に評価が高まり続けるという、かなり珍しい経歴を持っています。

    なぜ、ごく普通の大衆車の派生モデルが、ここまで特別な存在になったのか。その答えは「最後のFR」という偶然と、エンジニアリングの必然が重なった場所にあります。

    カローラがFFに移行した、その裏側で

    トヨタ・カローラレビン AE86
    画像:Guillaume Vachey/CC0(Wikimedia Commons)

    https://kuruma-dna.com/ae82

    AE86を語るには、まず1983年という年の意味を押さえる必要があります。この年、トヨタはカローラを5代目(E80系)にフルモデルチェンジしました。最大の変更点は駆動方式です。カローラのセダンとハッチバックは、このモデルからFF(前輪駆動)に切り替わりました。型式でいえばAE82。世界的にFF化が進んでいた時代の、当然の判断です。

    ところが、スポーツグレードであるレビンとトレノだけは、旧来のFR(後輪駆動)レイアウトを継続しました。これがAE86です。セダン系のAE82とは別のプラットフォームを使い、先代TE71系の基本構造を発展させる形で成立しています。

    ここが重要なのですが、AE86は「あえてFRを選んだ」というよりも、「まだFFに移行しきれなかった」という側面が強いモデルです。当時のトヨタには、FF用プラットフォームでスポーツモデルを成立させるノウハウがまだ十分に蓄積されていませんでした。FFベースでスポーティな走りを作り込むには、サスペンション設計やパワートレインの搭載方法に新たな知見が必要だった。その過渡期に、実績あるFRレイアウトで「もう一世代だけ」作られたのがAE86だったわけです。

    つまり、AE86は最初から伝説を狙って生まれたわけではありません。むしろ時代の変わり目に、ギリギリ旧世代の構造で送り出された「最後の一台」でした。この出自が、のちの評価を決定的にします。

    4A-GEという心臓の意味

    https://kuruma-dna.com/ae92

    AE86の魅力を語るとき、必ず名前が出るのが4A-GE型エンジンです。1,587ccの直列4気筒DOHC16バルブ。最高出力は130馬力(グロス値)。数字だけ見れば、現代の基準ではごく控えめです。しかし当時の1.6リッタークラスとしては、かなり先進的なユニットでした。

    何が先進的だったかというと、まず4バルブDOHCという構成そのものです。1980年代前半、量産車の多くはまだSOHC(シングルカム)が主流でした。ツインカム16バルブを大衆車クラスの価格帯に載せてきたこと自体が、トヨタの本気を示していました。ヤマハ発動機との共同開発によるこのエンジンは、高回転域での伸びと吹け上がりの気持ちよさに定評があり、7,600rpmまで回るレブリミットはドライバーに「回す楽しさ」を直接伝えるものでした。

    しかも、このエンジンが載っているのは車重わずか900kg台後半〜1,000kg前後のボディです。パワーウェイトレシオで考えれば、当時としてはかなり軽快な部類に入ります。絶対的な速さではなく、ドライバーの操作に対するレスポンスの良さ。これがAE86の走りの核心でした。

    軽さとFRが生んだ「操る実感」

    https://kuruma-dna.com/te71

    AE86のシャシーは、決してハイテクではありません。フロントはストラット、リアはラテラルロッド付きの4リンクリジッドアクスル。要するに、後輪の車軸が左右一体で繋がっている、かなりシンプルな構造です。独立懸架ではないので、理屈の上では路面追従性に限界があります。

    ただ、この「シンプルさ」がAE86の場合はむしろ武器になりました。リジッドアクスルは構造が単純なぶん軽く、頑丈で、挙動の変化が読みやすい。ドライバーがアクセルやステアリングで車の姿勢を意図的にコントロールしやすいという利点があります。とくにFRレイアウトとの組み合わせでは、アクセルオンでリアを流す、ブレーキングで荷重を前に移してノーズを入れる、といった基本的なドライビングテクニックが素直に反映されました。

    この感覚を、当時の若いドライバーたちは「操っている実感」として受け取りました。速さの絶対値ではなく、自分の操作が車の動きに直結するダイレクトさ。これは高性能車にはない、軽量FRスポーツならではの体験です。峠道やサーキットで、AE86が格上の車を相手に善戦できたのも、この軽さと素直さがあったからです。

    レビンとトレノ、2つの顔

    https://kuruma-dna.com/ae101

    AE86には、レビンとトレノという2つの車名が存在します。違いは主にフロントまわりのデザインです。レビンが固定式ヘッドライト、トレノがリトラクタブルヘッドライト。ボディ形状はクーペ(ノッチバック)と3ドアハッチバックの2種類があり、レビン・トレノそれぞれに両方のボディが設定されていました。

    走行性能の面では、レビンもトレノも基本的に同じです。ただ、リトラクタブルライトを持つトレノのほうが、見た目のインパクトが強く、後年の人気ではやや上回る傾向があります。とくに3ドアハッチバックのトレノは、漫画『頭文字D』の主人公機として描かれたことで、AE86の象徴的な存在になりました。

    もっとも、レビンのクーペボディにも根強いファンがいます。ノッチバックの端正なプロポーションを好む層は一定数存在し、競技用途ではボディ剛性の面からクーペを選ぶドライバーもいました。どちらが上ということではなく、同じ中身に2つの表情が与えられていたのがAE86の面白いところです。

    「生産終了後に伝説化する」という異例

    https://kuruma-dna.com/te27

    AE86は1987年に生産を終了します。後継のAE92型レビン/トレノはFF化され、カローラ系スポーツモデルのFR時代はここで完全に終わりました。つまりAE86は、文字通り「最後のFRカローラスポーツ」です。

    新車当時の販売は好調でしたが、爆発的なヒットというほどではありませんでした。むしろAE86の評価が本格的に高まったのは、1990年代以降のことです。理由はいくつかあります。

    まず、安価な中古車として大量に市場に出回ったこと。若いドライバーが手の届く価格で手に入れ、峠やジムカーナ、ドリフトといった草の根モータースポーツの現場で使い倒しました。FRの軽量ボディは、技術を磨くための「道具」として最適だったのです。

    次に、アフターマーケットの充実です。AE86は構造がシンプルなぶん、チューニングやカスタムの自由度が高く、社外パーツが豊富に供給されました。エンジンスワップ(載せ替え)も盛んで、4A-GEの上位互換にあたる4A-GZE(スーパーチャージャー付き)や、排気量を上げた7A-GE、さらには他車種のエンジンを搭載する例まで、幅広いカスタム文化が花開きました。

    そして1995年に連載が始まった漫画『頭文字D』の影響は決定的でした。この作品がAE86を「非力だけど腕で勝つ車」として描いたことで、実車を知らない世代にまでAE86の名前が浸透しました。フィクションが現実の中古車相場を押し上げるという、自動車史でもかなり珍しい現象が起きたのです。

    AE86が残したもの

    https://kuruma-dna.com/ae111

    AE86の系譜は、直接的にはここで途絶えています。後継のAE92以降、カローラ系スポーツモデルはFFとなり、AE86のようなFR軽量スポーツという立ち位置を引き継ぐ車種はトヨタのラインナップから長らく消えました。

    しかし2012年、トヨタはスバルとの共同開発で86(ZN6)を発売します。車名に「86」を冠したこの車は、FR・水平対向エンジン・軽量ボディという構成で、AE86の精神的後継を明確に意識していました。トヨタの豊田章男社長(当時)自身がAE86への思い入れを公言しており、「誰もが手の届くFRスポーツカー」というコンセプトは、AE86が証明した価値の再解釈だったと言えます。

    AE86が特別なのは、スペックが飛び抜けていたからではありません。むしろ逆です。大衆車ベースの、決して高価ではない、シンプルなFRスポーツ。それが時代の変わり目に「最後の一台」として生まれ、ユーザーの手で育てられ、文化として定着した。メーカーが意図した以上の意味を、乗り手が後から付け加えていった車です。

    自動車の価値は、カタログスペックだけでは決まらない。AE86は、そのことを最もわかりやすく証明した一台かもしれません。

  • レビン/トレノ – TE71【最後のFR直4レビンという十字架】

    レビン/トレノ – TE71【最後のFR直4レビンという十字架】

    「AE86が最後だろ!」という声が聞こえてきそうですね。

    少し待ってください。

    AE86は確かにカローラ系スポーツモデル最後のFRですが、ベースとなるカローラはTE71の時代にすでに最後のFRでありました。AE86の世代からはベース車はFFなんですね。

    さて、AE86が「最後のライトウェイトFR」として神話化されたのなら、その直前のモデルにはどんな意味があったのか。

    TE71レビン/トレノは、カローラ系スポーツモデルの系譜において、まさに「転換の前夜」に立っていた一台です。

    カローラ第4世代という時代

    https://kuruma-dna.com/ae86

    TE71レビン/トレノは、1979年に登場した4代目カローラ(E70系)をベースとするスポーツモデルです。カローラ自体がこの世代でボディを大型化し、より上質な方向へ舵を切り始めた時期にあたります。

    1970年代後半は、排ガス規制の嵐がようやく一段落し、各メーカーが「規制対応だけで精一杯」の時代から抜け出し始めたタイミングでした。トヨタにとっても、スポーツグレードの存在意義を改めて問い直す局面だったと言えます。

    先代のTE51/55型レビン/トレノは、2T-G型エンジンを積んだ正統派のDOHCスポーツでしたが、排ガス規制対応に追われるなかでパワーダウンを余儀なくされていました。TE71は、その状況からの再出発を託されたモデルです。

    2T-GEUという回答

    https://kuruma-dna.com/ae82

    TE71の心臓部は、2T-GEU型。排気量1,588ccの直列4気筒DOHCで、電子制御燃料噴射(EFI)を採用しています。先代の2T-Gがキャブレター仕様だったのに対し、EFI化によって排ガス規制をクリアしながら出力を回復させるという狙いがありました。

    カタログスペックで115ps/6,400rpm。数字だけ見ると現代の感覚では控えめですが、当時の1.6Lクラスとしては十分に「速い部類」でした。排ガス規制の最も厳しい時期に100psを割り込んでいたことを思えば、この数字には意味があります。

    ただ、2T-G系エンジンはこの時点ですでに設計の古さが見え始めていました。ブロックの基本設計は1960年代後半に遡ります。EFI化で延命したとはいえ、次世代のエンジンが求められていたのは明らかでした。TE71は、言ってみれば2T-G系最後の搭載車であり、このエンジンの「集大成」と「限界」が同居したモデルです。

    FRカローラの最終形態

    https://kuruma-dna.com/te27

    TE71のシャシーは、当然ながらFR(フロントエンジン・リアドライブ)。4代目カローラのプラットフォームをそのまま使い、前輪はストラット、後輪は4リンクリジッドという構成です。

    特別に凝ったサスペンション形式ではありません。むしろ、当時のカローラとしては標準的な設計です。しかし、この「FRで、軽くて、DOHCエンジンを積んでいる」という組み合わせ自体が、すでに希少になりつつありました。

    1970年代末から1980年代初頭にかけて、世界的にFF化の波が押し寄せていました。トヨタ自身も、次期カローラ(E80系)では基本的にFF化する方針を固めつつあった。TE71は、その流れの中で「まだFRだった最後のカローラスポーツ」という位置づけになります。

    もちろん、この時点でトヨタがAE86を「あえてFRで残す」決断をしていたかどうかは別の話です。ただ、TE71が走っていた時代に、FRカローラの時間が確実に残り少なくなっていたのは事実です。

    レビンとトレノの違い

    https://kuruma-dna.com/ae92

    TE71世代でも、レビンとトレノの区別は健在です。レビンがカローラ店扱いの固定式ヘッドライト、トレノがトヨタオート店(旧トヨペット店系列)扱いのリトラクタブルヘッドライト。基本的にはフロントマスクと販売チャネルの違いであり、メカニズム上の差はほぼありません。

    ただ、この「販売チャネル別に顔を変える」というやり方が、次のAE86世代でさらに強い個性の差として花開くことになります。TE71は、その予行演習のような存在でもありました。

    地味だったのか、不遇だったのか

    https://kuruma-dna.com/ae101

    正直に言えば、TE71レビン/トレノは「華のあるモデル」ではありませんでした。先代TE51/55には初代レビンからの血統という物語があり、後継のAE86には言うまでもなく伝説がある。その間に挟まれたTE71は、語られる機会が極端に少ない。

    しかも、同時期にはセリカXXやスープラといった上位スポーツモデルが注目を集めており、1.6LクラスのFRクーペというカテゴリ自体が、やや地味なポジションに押しやられていた時代でもあります。

    とはいえ、モータースポーツの現場ではTE71は確かに走っていました。特にラリーやジムカーナといった競技では、軽量FRにDOHCという素性の良さが活きる場面は多く、草レースレベルでは根強い支持がありました。カタログの華やかさとは別の場所で、TE71は「使える道具」として評価されていたわけです。

    AE86への橋渡し

    https://kuruma-dna.com/ae111

    TE71の存在意義は、後から振り返ると明確に見えてきます。このモデルがあったからこそ、「カローラ系にDOHCスポーツグレードを残す」という系譜が途切れなかった。

    1983年に登場するAE86は、新開発の4A-GEU型エンジンを搭載し、FFカローラの中で例外的にFRを維持するという、かなり特殊な成り立ちの車です。この判断の背景には、TE71世代までのレビン/トレノが「スポーツカローラ」という商品ジャンルを維持し続けたことが無関係ではないはずです。

    もしTE71の世代でレビン/トレノが消滅していたら、AE86は生まれなかったかもしれない。これは仮定の話ですが、系譜の連続性という観点では、TE71は「つなぎ」以上の役割を果たしています。

    2T-GEUからの4A-GEUへのバトンタッチ。

    FRカローラからFRだけ残すAE86への橋渡し。

    TE71は、そのどちらの転換点にも立っていた車です。派手さはなくても、この車がなければ次の物語は始まらなかった。

    系譜の結節点として、TE71レビン/トレノはもう少し語られていい存在だと思います。

  • カローラスポーツ – NRE210H【「普通」を再定義するために生まれたハッチバック】

    カローラスポーツ – NRE210H【「普通」を再定義するために生まれたハッチバック】

    カローラという名前に、どんなイメージを持っていますか?

    毎度聞いている気がしますが、おそらく多くの人が「普通のクルマ」と答えるはずです。

    実際、それは間違いではありません。

    ただ、その「普通」がどこまで本気で作り込まれているかは、時代によってまったく違います。

    2018年に登場したカローラ スポーツは、トヨタがその「普通」を根本から作り直そうとした結果、生まれた一台でした。

    カローラに「スポーツ」が必要だった理由

    https://kuruma-dna.com/gzea14h

    カローラ スポーツの立ち位置を理解するには、少しだけ系譜を遡る必要があります。日本市場では長らく、カローラのハッチバック版は「ランクス」や「オーリス」という別の名前で売られていました。つまり、カローラ本体はセダンやワゴンであり、ハッチバックは別ブランドとして切り離されていたわけです。

    ところが2018年、トヨタはこのハッチバックを「カローラ」の名前に戻すという判断をします。しかも「カローラ ハッチバック」ではなく「カローラ スポーツ」。ここに、トヨタの明確な意思がありました。

    当時のトヨタは、豊田章男社長のもとで「もっといいクルマを作ろう」を合言葉に、TNGA(Toyota New Global Architecture)による車両刷新を進めていた真っ最中です。

    プリウス、C-HRに続いてTNGA-Cプラットフォームを採用する車種として、カローラ スポーツは企画されました。

    要するに、カローラという最量販ブランドにTNGAの成果を投入し、「退屈なカローラ」というイメージそのものを書き換えようとしたのです。

    欧州オーリスの血と、日本市場への翻訳

    https://kuruma-dna.com/gre156h

    カローラ スポーツは、グローバルでは「カローラ ハッチバック」として展開されたモデルの日本仕様です。欧州では先代まで「オーリス」として販売されており、欧州Cセグメントの激戦区でVWゴルフやフォード・フォーカスと直接競合していました。

    この欧州での開発経験が、カローラ スポーツの走りの質に直結しています。開発の舞台にはニュルブルクリンクが含まれ、足回りのチューニングは欧州の道路環境を基準に詰められました。日本のカローラが、ドイツのサーキットで鍛えられている。この事実だけでも、従来のカローラとは明らかに違うクルマだとわかります。

    ただし、日本向けには単なる欧州仕様の持ち込みでは終わらせていません。日本市場専用に「スポーツ」の名を冠し、iMT(インテリジェント・マニュアル・トランスミッション)と呼ばれる6速MTを設定したのは象徴的です。これは自動ブリッピング機能付きのMTで、マニュアルを楽しみたいけど回転合わせに自信がない層にも門戸を開くものでした。

    TNGA-Cが変えた「カローラの走り」

    https://kuruma-dna.com/e150

    カローラ スポーツの核心は、やはりTNGA-Cプラットフォームにあります。低重心設計、高剛性ボディ、そして独立懸架のリアサスペンション。これらはスペックとして並べれば地味に見えるかもしれません。しかし重要なのは、先代オーリスまでのトーションビーム式リアサスから、独立懸架のダブルウィッシュボーン式に変わったという事実です。

    トーションビームとダブルウィッシュボーン。この違いは、路面の凹凸を左右独立にいなせるかどうかに直結します。コストは当然上がりますが、トヨタはカローラクラスにこれを採用しました。結果として、高速域での安定感やコーナリング時の接地感が先代とは段違いになっています。

    パワートレインは1.2Lターボと1.8Lハイブリッドの二本立て。1.2Lターボは116馬力と数字だけ見れば控えめですが、ダウンサイジングターボとして低回転からトルクが出る特性で、街中から高速まで扱いやすい設計です。ハイブリッドはプリウス譲りのTHS IIで、燃費性能を重視する層に向けたもの。この二択を用意したこと自体が、「走りたい人」と「効率を求める人」の両方をカローラの名のもとに束ねようとする意図の表れです。

    デザインの転換点

    https://kuruma-dna.com/zzt231

    見た目の変化も見逃せません。カローラ スポーツのデザインは、従来のカローラが持っていた「無難で角のない」イメージを明確に捨てています。キーンルックと呼ばれるトヨタの統一デザイン言語を採用しつつ、ワイド&ローなプロポーションを強調。全幅は1,790mmと、日本の5ナンバー枠を完全に超えた3ナンバーサイズです。

    この3ナンバー化は、日本のカローラとしては大きな転換でした。歴代カローラは長らく5ナンバーサイズを守ることが暗黙の了解だったからです。しかしトヨタは、グローバルでの競争力と走行性能を優先し、この枠を外しました。

    賛否はありました。「カローラなのにデカすぎる」「狭い道で取り回しにくい」という声は確かにあった。ただ、走りの質を根本から変えるために必要なトレッド幅やサスペンションジオメトリを確保するには、この選択は合理的だったと言えます。

    コネクティッドという隠れた武器

    https://kuruma-dna.com/ae111

    カローラ スポーツには、走り以外にもうひとつ重要な「初」がありました。トヨタ初の車載通信機(DCM)全車標準搭載です。これにより、T-Connectサービスを通じてナビの地図更新やオペレーターサービス、緊急通報などがつながるようになりました。

    2018年時点で、コネクティッド機能を量販コンパクトに全車標準装備したのは、国産車としてはかなり先進的な判断です。カローラという最量販車種にこれを載せたのは、「普及させるなら一番売れるクルマから」というトヨタらしい戦略でした。

    「普通」の再定義が残したもの

    https://kuruma-dna.com/ae101

    カローラ スポーツは、爆発的にヒットしたモデルかと言えば、正直そうとは言い切れません。日本市場ではSUV人気が圧倒的で、Cセグメントハッチバック自体の市場が縮小していた時期です。販売台数だけを見れば、カローラシリーズ全体の中でセダンやツーリングに比べて目立つ存在ではなかったかもしれません。

    しかし、このクルマが果たした役割は数字だけでは測れません。TNGA世代のカローラとして、「カローラでもちゃんと走れる」「カローラでも所有欲を満たせる」という新しい基準を示したこと。それは、2019年に登場するセダンとツーリングの地ならしでもありました。カローラ スポーツが先行して市場に投入され、TNGAカローラの走りの質を証明したからこそ、セダンやツーリングも「今度のカローラは違う」という文脈で受け入れられたのです。

    GRスポーツの設定も見逃せません。2020年に追加されたGRスポーツは、専用チューニングの足回りやボディ補強を施し、カローラ スポーツの走りのポテンシャルをさらに引き出したグレードです。モリゾウこと豊田章男氏が自らステアリングを握って開発に関与したとされるこのグレードは、カローラにスポーツの名を冠した意味を、最もわかりやすく体現していました。

    カローラ スポーツは、「普通のクルマ」をもう一度本気で作り直すとどうなるか、という問いに対するトヨタなりの回答です。

    派手さはないかもしれない。

    でも、プラットフォームから通信機能まで、すべてを刷新して「普通」の水準を引き上げた。

    その地道さこそが、カローラというブランドが60年以上続いてきた理由そのものなのかもしれません。