投稿者: hodzilla51

  • スイフトスポーツ – HT81S【軽さを武器に戦うホットハッチ】

    スイフトスポーツ – HT81S【軽さを武器に戦うホットハッチ】

    国際ラリー「JWRC」を照準に

    2000年代初頭、スズキはカルタス以降の世界戦略車として初代スイフト(HT系)を発売したものの、ラリーで名を上げた競合(プジョー206 RCやシトロエンC2 VTSなど)に対抗する「看板モデル」を持っていませんでした。

    若者に刺さる走りのイメージづくりと国際ラリー(JWRC)参戦、その両方を一手に担うホモロゲモデル。

    それがHT81S型スイフトスポーツだったのです。 

    HT81Sスイフトスポーツというクルマ

    2003年6月に登場したHT81S型スイフトスポーツは、3ドアボディ専用で全長3,620 mm、全幅1,650 mmというコンパクトなサイズに、車重わずか930 kgの軽量パッケージを実現しました。

    前後バンパーとルーフスポイラーは専用デザインとされ、鮮やかなイエローやブルーなどの純正カラーが軽快なホットハッチというキャラクターをいっそう際立たせます。

    また、日本車としては当時めずらしくRECARO製セミバケットシートを標準装備し、走りへの本気度を明確に示しました。

    軽量ボディと本格的な装備を組み合わせることで、発売と同時にスポーツ志向の若者たちの注目を集めました。

    M15A型エンジン

    カルタスGT-iの流れを汲む「軽量 × 高回転」思想を受け継ぎ、エンジンはM15A型 1.5 L DOHC16V(115 ps/6,400 rpm・14.6 kg-m/4,100 rpm)を搭載。

    等長エキマニや高圧縮11.0の「赤ヘッド」仕様で、レブは7,000 rpm超まで一気に吹け上がります。

    5速MTと短いファイナル(3.944)を組み合わせ、0-100 km/hは9秒台。パワーよりパワーウェイトレシオ8.1 kg/psの鋭さが身上でした。 

    「バネ下を削って曲がる」セッティング

    LSDこそ装備しないものの、足回りの剛性アップと軽量ホイール・ブレーキでバネ下を徹底的に軽量化。

    結果として操舵初期がクイックに、減速帯を越えても「跳ねずに掴む」味付けになりました。

    JWRCタイトル獲得、イグニスSuper1600の血統

    HT81Sのプラットフォームは、スズキがJWRC用に開発した「イグニス Super1600」と共通。

    2004年シーズンにはスウェーデン人ドライバーP-G・アンダーソンがこのマシンでシリーズチャンピオンを獲得し、「ライトウェイト+高回転」パッケージの実力を世界に示します。 

    わずか2年半、短命でも色濃い足跡

    生産は2005年夏までと短命ながら、「100万円台で買えるリアルスポーツ」というポジションで熱狂的なファンを獲得。

    ZC31S型(2005)、ZC32S型(2011)、ZC33S型(2017)へと続く「スイスポの礎」を築きました。

    DNAは今も脈々と

    軽量ボディがもたらす俊敏なハンドリング、高回転域まで一気に吹け上がる痛快なエンジンサウンド、そして若者でも手が届く良心的な価格――

    この三つの美点は、1.4 Lターボを積む現行ZC33S型にも脈々と受け継がれています。

    その礎を築いたのがHT81S型スイフトスポーツです。

    まさに「庶民派ホットハッチ」というイメージを決定づけた原点と呼ぶにふさわしい一台だと言えるでしょう。

    PS:KeiはアルトワークスのDNAで書きますのでお待ちください…

  • メガーヌRS – BBM5P【究極の宿命を背負ったメガーヌ】

    メガーヌRS – BBM5P【究極の宿命を背負ったメガーヌ】

    「FF最速」という宿命を背負った4代目メガーヌ R.S.

    メガーヌ II/III R.S. はワンメイクレースやニュルブルクリンクで華々しい戦績を残し、「ホットハッチのベンチマーク」という称号をほしいままにしていました。

    ところが2010年代半ば、CO₂規制強化と衝突基準の改訂で、従来どおりの 2 ℓ ターボ+3 ドア軽量ボディは成り立ちにくくなります。

    さらにライバルのシビック Type R が 306 hp に到達し、FF 最速ラップを更新。ルノー・スポールは “軽い+ハード” だけでは勝てない新章に突入したのです。 

    5 ドア化と 4CONTROL

    2017 年フランクフルトショーで姿を現した 4 代目(通称 Mégane IV R.S.)。

    最大の特徴は、ルノーにおける同セグメント初の四輪操舵システム「4CONTROL」を採用したこと。

    低速では逆相、高速では同相に切れる後輪が、従来モデルと同等の俊敏さと高速安定性を両立させました。

    加えて 5 ドア化により実用性まで引き上げ、「週末サーキット、平日ファミリー」を一台で賄う方向へ舵を切ります。 

    アルピーヌ譲りの 1.8 ℓ 直噴ターボ

    排気量は 2 ℓ から 1.8 ℓ(M5P)へダウンサイジング。

    アルピーヌ A110 と共同開発したユニットはツインスクロールターボと DLC コーティングで高効率化され、標準 280 ps/390 N·m、Trophy 系は 300 ps/420 N·m を発生します。

    エンジン単体で 109 kg と軽量に抑えられたのも、前荷重を減らして旋回性能を稼ぐための執念でした。 

    スポールとカップ、そして「Trophy」

    シャシーには減衰力を自動調整するハイドロリック・バンプストップが全車標準で組み込まれ、そのうえで用途に応じた3段階のグレードが用意されました。

    エントリーの「Sport」(国内呼称:シャシー Sport)は、街乗りでの快適性を最優先しつつ、オープンデフと電子制御トルクベクタリングで軽快なハンドリングを実現します。

    中間の「Cup」はスプリングとスタビライザーを約10%強化し、機械式トルセンLSDと2ピース仕様の355 mmブレンボブレーキを追加することで、ワインディングやサーキット走行での耐久性と限界性能を高める設計となっています。

    そして最上位の「Trophy」。

    Cupをベースに最高出力を300 psへ引き上げ、空力性能を高める専用フロントスプリッターを装着。こうして、普段は街を流しつつ週末はサーキットへ繰り出すユーザーまで幅広くカバーする、絶妙なラインナップが完成したのです。

    ニュル 7’40’’100。Trophy-R の衝撃

    2019 年、約 1 t(1,305 kg)まで徹底軽量した Trophy-R が登場。カーボンホイール、Öhlins 調整式ダンパー、チタン Akrapovič マフラーで 130 kg 近いダイエットを敢行し、ニュルブルクリンク北コース 20.6 km を 7 分 40 秒 100 で完走。

    ホンダ シビック Type R から “FF 最速” の座を奪い返しました。 

    「R.S. Ultime」ルノー・スポール最後のメッセージ

    しかし 2023 年、モータースポーツ部門は Alpine ブランドへ統合され、「Renault Sport」 名義の市販車は終了。

    ラストを飾った Mégane R.S. Ultime は Cup シャシー+300 ps エンジンをベースに、創設年「1976」を示すストライプと 1,976 台限定シリアルを与えられました。

    これをもって 20 年近いメガーヌ R.S. の系譜は幕を閉じ、その血統を次世代 EV&Alpine へ託すことになります。 

    「軽くて速い」DNA はまだ終わらない

    4CONTROL、1.8 ℓ ターボ、電子制御 LSD、そして軽量化に執念を燃やす開発姿勢、これらはメガーヌ IV R.S. が示した新しいライトウェイト思想です。

    アルピーヌ A290 や次期ハイパフォーマンス EV にも、この DNA が形を変えて受け継がれるのは間違いありません。

    フレンチホットハッチの物語は、まだ次のコーナーを立ち上がったばかりなのです。

  • カルタス GT-i – AF33S【スズキを救った立役者】

    カルタス GT-i – AF33S【スズキを救った立役者】

    「軽だけではもう伸びない」

    創業以来、軽自動車のみを作ってきたスズキでしたが、当時の経営陣は大きな意思決定を強いられていました。

    1970年代末、衝突規制強化により軽規格は技術的なコストが上がっており、他社と比べてシェアの小さいスズキは苦戦を強いられます。

    カルタスまでの普通車での失敗

    スズキとしても普通車で行くしかないとし、軽規格だったフロンテを普通車仕様に改造したフロンテ800や、輸出仕様のジムニー8(現在でいうジムニーシエラのようなもの)を実際に売っていました。

    しかし、結果は芳しくありませんでした。

    フロンテ800はわずか2600台で撤退。ジムニー8もニッチに留まり、商業的に大成功したとは言えませんでした。

    いずれにせよ、国内の軽マーケットは頭打ちで、当時のスズキには「海外でも売れる世界規格のクルマ」が必要だったのです。

    GMから来た「M-car」

    時を同じくして1979年、北米市場には燃費規制の波が直撃していました。

    大排気量のザ・アメリカンなクルマを作ってきたGMでしたが、小排気量のコンパクトカーを一刻も早く開発する必要がありました。

    しかし、社内で進行していた1リッター級世界戦略車、通称「M-car」は、採算が合わないと判断され計画中止寸前。

    大量の設計図と衝突・排ガス試験のデータだけが残されていました。

    そうです。このM-carこそがカルタスGT-i、ひいてはスイフトスポーツの直系の祖先となるのです。

    スズキとGMの資本提携

    普通車への進出に苦戦していたスズキ、M-carへの投資コストを回収したいと考えていたGM。

    この両者の利害がピタリと重なったのが、1981年の資本提携となります。

    スズキは自社株を5%も差し出し、GMからM-carの設計やデータ一式を「買い取る」形で資本提携をします。

    これにより、スズキは約2年という異例の速さで新型車を開発できただけでなく、北米・欧州の厳格な基準をクリアするためのデータまで手に入れました。

    1983年、スズキ カルタスの爆誕

    スズキはこの車にただならぬ想いを持っていました。

    フロンテ、ジムニーでの普通車進出への失敗、そして自社株を5%も渡して手に入れたM-car…

    もはや失敗するわけにはいきません。

    その結果、デザインはかの有名な「イタルデザイン」が仕上げます。今見てもかっこいいですねこのクルマ。

    全長3.7mのBセグメントボディは、日本・欧州・北米を一つの方でカバーできる世界規格のサイズ。これらにより、生産は一気にグローバル化をしていきます。

    新開発の高回転型G13Bエンジン

    カルタスの成功を裏に、スズキは1985年の東京モーターショーにミッドシップのコンセプトカー「RS-1」を展示します。

    実はカルタスGT-iに載っているG13Bは元々、このRS-1に載せるために開発していたエンジンでした。(当のRS-1はお蔵入りとなってしまいましたが…)

    1986年 カルタスGT-iが追加

    そして、スズキは何を思ったのかこのエンジンをカルタスに搭載し、カルタスGT-iを発表します。

    800kgの車体に94馬力のエンジン。

    大排気量よりも軽量で勝負。元々軽自動車屋だったスズキは、軽自動車での経験を活かすという社内哲学とも一致します。

    ホモロゲーション目的のワークスカーではなく、若者が乗りやすいライトスポーツ。これがカルタスGT-iの立ち位置でした。

    カルタスGT-iが残したDNA

    ここまで見たら勘のいい皆様はもうお気づきかと思いますが、この思想、現代のスイフトスポーツでもしっかりとまだ生きています。

    軽量、安い、そしてスイフトという世界戦略車に対するスイフトスポーツ…

    1986年からおよそ40年にわたり「若者のためのホットハッチ」という独自ポジションを守り抜いているのは、まさにGT-iが拓いた道筋と言えるでしょう。

    おわりに

    軽自動車メーカーが欧米の規格へ踏み出すという、当時としては無謀に見えた挑戦。

    GMが置き去りにした設計図を活用し、2年という短期開発で世界戦略車に仕立て上げた開発陣の執念は、今のスイフトスポーツにも脈々と流れています。

    カルタスGT-iは単なる一発屋ではなく、スズキの企業文化そのものを変えた「転機のクルマ」だったのです。

  • Vitz GRMN – NCP131【GR ヤリスの前日譚】

    Vitz GRMN – NCP131【GR ヤリスの前日譚】

    ヴィッツの話はするか迷いましたが、GRヤリスのDNAを語る上でこのクルマは必須だと思うので書きました。

    Vitz GRMNが切り開いたGRの夜明け

    2017年3月、トヨタは国内150台・欧州400台限定のVitz GRMNを発表しました。

    1.8 L 直列4気筒にスーパーチャージャーを組み合わせて212 PSを発生し、0-100 km/h加速は6秒台。

    エンジンは異例のロータスがチューニングを担当し、17インチBBS鍛造ホイールや専用ブレーキを備えた3ドア専用ボディで、小型ハッチバックの常識を大きく塗り替えました。 

    GRブランドとGAZOO Racing Companyの誕生

    Vitz GRMNの登場と同じ2017年、トヨタはモータースポーツ部門を統合してGAZOO Racing Companyを発足させ、スポーツモデルを「GR」「GR SPORT」「GRMN」の3階層に再編しました。

    ここから「レースで鍛え、市販車で還元する」開発思想が本格的に動き出します。 

    「サーキット直結」の小型ホットハッチ

    プロジェクトを率いたエンジニアたちは「排気量を上げずに欧州Bセグを圧倒する」を合言葉に、機械式LSD、専用サスペンション、強化ボディを投入しました。

    テストコースとニュルブルクリンクで繰り返した走行評価では、量産Vitzとは別物のシャープなステアリングフィールが追求され、コーナー脱出加速を重視したギア比の6速MTが選ばれています。 

    台数限定ゆえの「争奪戦」とラリー転戦

    日本では商談申込み開始からわずか数日で完売し、抽選倍率は10倍以上と報じられました。

    完売後もTOYOTA GAZOO Racingは全日本ラリー選手権へGRMN Vitz Rallyを投入し、開発データを公道で収集。

    小さなボディに高出力エンジンと機械式LSDという組み合わせが、タイトな林道でも有効であることを証明しました。 

    GRヤリスへの「渡り板」

    Vitz GRMNで得られたパワートレーンや車体剛性強化のノウハウ、そして「限定でも採算を取る少量生産のビジネススキーム」は、後のGRヤリス開発を支える土台になりました。

    GAZOO Racing Companyが掲げる「走る→壊す→直す」の耐久テスト哲学もこのモデルで磨かれ、社内に「ホモロゲ級ホットハッチを本気で作れる」という成功体験を残しました。

    まとめ

    Vitz GRMNは、カタログモデルの外側に“本気のホットハッチ”を用意できることを示し、GRブランド黎明期を象徴する一台となります。

    その小型・高出力・限定生産というパッケージは、2020年のGRヤリスへと確かに継承され、トヨタのモータースポーツ起点のクルマづくりを今日まで牽引し続けています。

  • GRヤリス – GXPA16【トヨタの本気】

    GRヤリス – GXPA16【トヨタの本気】

    このクルマ、実はトヨタの多方面からのDNAを受け継いでいて、

    まずは直系とも言えるVitz系のコンパクトカーのDNAです。特にVits GRMNはGRヤリスの起源と言っても過言ではありません。

    次にWRCホモロゲーションモデルのDNA。セリカ GT-Fourを最後にトヨタはWRCホモロゲモデルを出していませんでしたが、ここにきて約「35年越し」に復活したラリー4WDの血筋も引いているのです。

    …と二つあるのですが、今回は直系であるVitzから続くDNAを中心としてみていきます。(セリカまで含めるととんでもない文量になってしまうので…)

    GRヤリスの起源「Vitz GRMN」

    2017年に150台限定で発売されたVitz GRMNは、1.8 Lスーパーチャージャーエンジンと6速MTを組み合わせた小型高性能モデルでした。

    台数こそわずかでしたが、「もっと過激なホットハッチを市販化できる」という社内の自信を育て、後のGRヤリス計画に直結する重要な一歩となります。

    社長勅令で始動したホモロゲーション計画

    トヨタ社長兼マスタードライバーの豊田章男(Morizo)氏は、「WRCで勝てる市販車をつくる」という明確な目標を掲げ、開発部門を束ねるGAZOO Racing Companyにプロジェクトを指示しました。

    開発責任者にはWRC現場出身の斎藤直彦氏が就任し、「走る→壊す→直す」を徹底する耐久テストを主導し、開発サイクルを確立していきます。

    この鍛えの哲学が、後にGRヤリスを生み出す原動力になります。 

    モトマチ「GR Factory」誕生

    GRヤリスについては他の車種とは違い、異例中の異例で量産体制の革新が行われました。ここからもGR ヤリスに対するトヨタの本気度が伺えますね。

    2020年、愛知・元町工場の一角にGR Factoryが新設されます。コンベヤを使わず、セルごとに車体がAGVで運ばれる方式を採用し、熟練工が手作業に近い精度で溶接・組付けを行います。

    余談ですが、低ボリュームでも高剛性と高精度を両立できるこのラインは、現在ではGRヤリスとGRカローラを同時に生産するようになりました。 

    初代GR Yarisの登場

    こうして誕生したGRヤリス(GXPA16)は、前半分にGA-B、後半分にGA-Cを組み合わせた3ドア専用ボディを採用し、1.6 L直列3気筒ターボエンジン(G16E-GTS:272 PS/370 Nm)と前後可変配分4WDシステムである「GR-FOUR」を搭載しました。

    アルミパネルやCFRPルーフで車重を1,280 kgに抑え、量産車では異例の「ホモロゲーション専用シャシー」を実現しています。 

    GRMN ヤリスでさらに強化

    発売から2年後、トヨタ Gazoo Racingは500台限定のGRMN ヤリスを東京オートサロンで公開しました。

    スポット溶接を560点増やし、CFRPパーツと2座化で約20 kgの軽量化を達成。「サーキットパッケージ」と「ラリーパッケージ」を用意し、予約抽選には1万件を超える応募が殺到しました。 

    大幅改良と8速AT「GR-DAT」

    2024年の改良では、エンジンを275–304 PSまで強化するとともに、8速AT「GR-DAT」を追加して幅広いドライバーがモータースポーツに参加しやすい体制を整えました。

    コクピットは15°ドライバー向きに再設計され、前後バンパーは交換しやすいモジュール式に変更されています。これらは「より多くの人に走る喜びを届けたい」というMorizo氏の意向に基づいています。

    派生と今後の展望

    GR Factoryは同じセル方式でGR カローラも生産しており、需要増に対応するため一部生産を英国バーナストン工場へ移す計画も報じられています。

    さらに、2.0 Lターボをリアミッドに搭載するなど狂気に満ちた「GRヤリス Mコンセプト」も試験走行を重ねているなど、GRヤリスから始まる新たなDNAは今後も目を離せませんね。

    まとめ

    Vitz GRMNで芽生えた挑戦心は、Morizo氏のトップダウンと斎藤氏の現場主導によってGRヤリスへ結実しました。

    その後も限定GRMNや8速ATの導入で磨きをかけ、「モータースポーツで鍛えて市販で還元する」というGAZOO Racing流ものづくりが確立されています。

    今後もGR Factoryを中心に、トヨタ「走る楽しさ」を体現するホットハッチの血統が受け継がれていくことでしょう。

  • シビックType R – FL5【究極の名を持つType R】

    シビックType R – FL5【究極の名を持つType R】

    「Type R」30年目の新章、FL5

    2022年9月、11代目シビックをベースに誕生したFL5型シビック Type Rは、歴代最多320 psを誇ったFK8をさらに磨き上げ、2023年4月にニュル北コース7分44秒881を記録してFF最速の座を奪還します 。

    先代で確立した「ターボ+空力+デュアルアクシス」という武器を徹底的に煮詰めたFK8の正常進化がFL5となります。

    開発思想「究極を創り続ける」執念

    開発責任者・柿沼秀樹氏は「日常域での素直さと、サーキットでの限界領域が地続きになるクルマ」を掲げました。

    二輪がお好きな方はわかるかもしれませんが、ホンダは二輪でも四輪でも「究極」を追う文化を共有しています。

    例えばCBR1000RR-RやGOLDWINGなどがわかりやすいです。四輪でもNSX-Rがそれに当てはまります。

    FL5でもその哲学が貫かれているワケですね。

    K20C1改。出力比160 ps/ℓ、310 ps

    排気量1,995 ccの直噴VTEC TURBOは、ターボハウジングを最適化し、吸気流路の損失を低減。結果、最高出力329 ps/6,500 rpm、最大トルク420 Nm/2,600–4,000 rpm(欧州仕様)を達成します(日本仕様は最高出力326 ps)。

    2,500 rpmから湧き上がる実用トルクと、6,500 rpmまで淀み無く伸びる回転フィールは、ターボながら歴代NA型に通じる一体感を実現しました。

    「骨太×しなやか」新プラットフォームと空力の深化

    スポット溶接増しと構造用接着剤の併用による骨格強化で先代比15%のねじり剛性を確保し、デュアルアクシス・ストラットでトルクステアを90%低減して旋回中の舵残りを解消。

    さらにトレッドを26 mm拡大した全幅1,890 mmのワイド&ローパッケージと、三分割フロントスプリッター・大型ディフューザー・角度可変リアウイングから成る「ゼロリフト空力」を組み合わせた相乗効果により、

    鈴鹿では開発計測2分23秒5をマークして歴代FFレコードをまたも順調に塗り替えました。

    R+とIndividual「電子制御は味付けから武器へ」

    FL5は「Comfort」「Sport」「+R」の三段モードに加え、ドライバーがステア応答・ダンパー減衰・スロットルマップを自由に組み合わせられるIndividualを新設。

    さらにロガーアプリ「Honda LogR 2.0」がG・ブレーキ圧・ステア角をリアルタイム表示し、サーキット走行後にはAIが走りを採点するというびっくりシステムが搭載されます。 

    ニュル7分44秒881「量産FF最速」の証明

    2023年春、量産状態のFL5は20.832 kmフルラップで7:44.881を叩き出し、メガーヌRS Trophy-RやゴルフRを再び後方に置いた 。

    トップギア誌は「コーナー出口で一切暴れずに400 Nmを載せ替え、まるで四駆のよう」と評し、先代からの7秒短縮を高く評価した。

    「RACING BLACK Package」漆黒の深化

    2025年1月、日本限定でRACING BLACK Packageが追加。マットブラック専用塗装、ブラックBBS鍛造19 inch、ブラックレカロを纏い、標準車比-6 kgを実現した。デリバリーは1年待ちと言われ、“黒い赤バッジ”は新たなステータスとなっている 。

    「熟成されたType Rターボ」が示す未来

    FL5は先代が拓いたターボ+空力路線を「使い切れる速さ」へ昇華し、Type R 30周年の節目を飾る集大成となりました。

    荷物も家族も積んでサーキットを制す。そんなType R流の人生提案こそ、初代グランドシビックSiRから連なるDNAの最新形なのです。

    回せば吠える、踏めば曲がる、その先に待つのはデータで証明できる「究極の自己ベスト」

    FK2から続いてきたライバルたちは最後を迎えています。

    しかしType Rはまだ、次の一秒を削る挑戦を止めていません。

  • シビックType R – FK8【正統進化したターボType R】

    シビックType R – FK8【正統進化したターボType R】

    「ターボ+空力」で壁をブチ破った十代目FK8

    2017年、ホンダはFK2の成功を見て高回転NAをいさぎよく捨て去り、10代目シビック Type R=FK8 を世に放ちます。

    2.0 L VTEC TURBO 320 ps、400 Nmで駆動し、ニュル北7分43秒8…

    数値だけでも超々ド級ですが、5ドアで家族も乗れるホットハッチというギャップがこれまた…

    FD2での5ドア思想をそのままに、FK2の戦闘力を受け継いでFK8は売れないわけがありませんでした。

    開発ストーリー「どの道でもFF最速に挑む」

    プロジェクトリーダー・柿沼秀樹氏は「環境規制を敵にせず、むしろ速さの武器にする」と宣言。

    巨大開発費が投じられた10代目グローバル・シビックをベースに、空力・冷却・剛性を徹底的に煮詰めます。

    前後ディフューザー+巨大リアウイングは飾りではなく、ゼロリフト&200 km/h超での安定を実現し、「どのコースへ持ち込んでも戦えるType R」を狙いました。

    K20C1第二世代――320 ps/400 Nmの驚異

    先代FK2と同系ながら、ターボ換装と吸排気最適化で比出力155 ps/ℓへアップ。

    6速MTはローギヤをクロス化、油圧フライホイールダンパーでシフトフィールはさらに軽快になります。

    そしてエンジンは、2,500 rpmで400 Nm、6,500 rpmで320 psという歴代を見てもトップレベルでワイドバンドの仕様。VTECの“高回転ハイ”とターボの“圧”を両取りした新時代の代物です。

    デュアルアクシスストラット+マルチリンク=曲がるターボ

    フロントはデュアルアクシス・ストラットでトルクステアを80%カット。

    リアは新設計マルチリンクでロールセンターを適化。高剛性ボディは先代比+38%で、しかもこれ、旧型より16 kgも軽くなっているんですね。

    結果、開発ドライバーの木嶋隆一氏は「コーナー進入速度が10 km/hアップした」と言います。

    ニュル北7分43秒8、そして欧州“5冠”

    開発最終段階の2017年4月3日、FK8はニュルブルクリンク北コースを7分43秒8で周回。

    FF最速を奪還したばかりか、その後スパ、モンザ、マニクール、シルバーストーン、エストリルの欧州5サーキットでもFWDレコードを総ナメにしました。

    2020年リミテッドエディション

    2020年の小変更でブレーキを2ピース化し、ADS制御を高速化。さらにType R Limited Edition(通称“黄FK8”)を1,020台限定で投入。

    BBS鍛造+Cup 2+遮音材カットで50 kg減を達成し、鈴鹿を2分23秒993で駆け抜け、F1ホームにFWD最速の看板を掲げました。

    ターボで過給されたType Rの可能性

    FK8は「高回転NA=Type R」という伝統を更新し、ターボと空力で速さの絶対値を引き上げました。

    ニュルと鈴鹿のダブルレコードが証明する通り、Type Rの魂は排気量や過給方式を超えて、「楽しく走る」という形で生き続けます。

    次章はさらなる熟成を遂げた現行FL5。シビック Type Rの物語はここで終了となるのでしょうか…?

  • シビックType R – FK2【革命を起こしたType R】

    シビックType R – FK2【革命を起こしたType R】

    「ターボでType R」革命のFK2

    2015年に登場したFK2は、歴代Type Rで初めてターボを積んだ“異端児”だった。

    2.0 ℓ VTEC TURBOで310 psを叩き出し、ニュルブルクリンク7分50秒63のFF最速を樹立。「高回転NA信仰」を打ち破った一方で、「これぞ新世代Type R」と世界を熱狂させました。 

    「最速の先へ行け」開発ストーリー

    開発総責任者・橋本英城氏は「環境規制を味方に付けて、速さと実用を両立させる」と宣言。

    先代FN2よりもパワーとダウンフォースを大幅に引き上げつつ、家族も乗れる実用ハッチを目指した。チーフエンジニア・八志末広氏は「歴代Type Rの中で最もレスポンスに優れる」と自信を語っています。 

    「K20C1」歴代最強310 psターボユニット

    ・排気量:1,996 cc

    ・最高出力:310 ps/6,500 rpm

    ・最大トルク:400 Nm/2,500-4,500 rpm

    直噴+電動ウエストゲートターボと可変バルブタイミングを組み合わせ、出力比155 ps/ℓを実現。北米オハイオで生産されたエンジンを英国スウィンドン工場で搭載する世界を跨いだ製造工程も話題を呼びました。

    「ゼロリフト」とR+ボタン

    フロントはマクファーソンながらデュアルアクシス式ストラットを採用し、トルクステアを80%低減。前後ディフューザーと巨大リアウイングで“ゼロリフト”を達成し、高速安定性を確保。

    ステアリングの応答・ダンパー減衰・スロットルマップを一括で尖らせる「R+」ボタンは、サーキット走行を前提に開発されました。 

    ニュル7分50秒63!FF最速を奪取

    開発プロトタイプはニュル北コースを7:50.63で周回し、当時最速だったメガーヌRS(3型)を抜いてFF最速を更新。

    「ターボ+空力がType Rを進化させた」とメディアは絶賛し、ホンダはジェネーブショーの壇上でその映像を公開して喝采を浴びた。 

    日本750台限定。抽選倍率10倍超

    FK2は欧州専売とアナウンスされていましたが、国内ファンの声に応え、2015年秋に750台限定で逆輸入販売しました。

    抽選倍率は10倍超、契約金即納が条件という文字通りの争奪戦となり、当選通知で歓喜・落選していたのが記憶に新しいです。 

    モータースポーツ&メディアの反応

    BTCCではシーズン4勝、TCRインターナショナルでもタイトル争いに食い込み、「ターボでもホンダは曲がる」と証明します。

    ロード&トラック誌は「ポルシェ Cayman GT4に10秒差まで迫ったFF」と評し、ホットハッチ界の頂点に据えました。 

    FK2が残したDNA

    FK2はシビックType Rのターボ時代の幕開けです。

    新開発K20C1ターボは、後継FK8や現行FL5へと改良継承され、Type Rの動力源を高効率・高トルクの次元へ押し上げることとなります。

    次にデュアルアクシス式ストラット。ハイブーストFFで生じやすいトルクステアを抑えつつ、ステアリング精度を保つこの機構は、FL5に至るまで受け継がれるコーナリング哲学の核となりました。

    そしてR+ボタンに代表される可変ドライビングモード。電子制御でスロットル、ダンパー、ステアフィールを一括変化させる味付け文化をType Rに持ち込み、サーキットから日常までクリック一つで最適化する新しい走りの体験を確立したのです。

    ターボで進化した「Type R」

    FK2は「NA高回転こそType R」という定説を覆し、ダウンフォースとターボトルクで絶対速さを手に入れました。

    ニュルの7分50秒、抽選750台の伝説、そしてK20C1が開いた未来。それらすべてが後継FK8・FL5につながる礎となったのです。

    ターボで吠えるVTECサウンドとR+ボタンで豹変するハッチバック、それがFK2が後世に残した新時代のシビックの在り方でした。

  • シビックType R – FN2【EUから来たType R】

    シビックType R – FN2【EUから来たType R】

    「ユーロR」と呼ばれたFN2

    2007年、英国スウィンドン工場で生まれたFN2は、EP3以来となる3ドアボディにスペースシップと揶揄された近未来デザインをまとう一方、エンジンは2.0 ℓ i-VTECのまま201 ps止まりだった。この数値は日本製FD2より25 psも低い。

    この数字差が物議を醸しつつ、「家族も積めるホットハッチ」という新しいType R像を提案した。 

    ハッチバック回帰とヨーロッパ戦略

    欧州市場では排ガス規制EURO 4と衝突安全強化で車重増は不可避だった。

    開発陣は「軽快さより日常との両立」を掲げ、燃料タンクを前席下に収める独自プラットフォームを選択。この決断で室内は広がったが、車高アップと1,320 kgという歴代シビックでも最重量を招いてしまう。

    ホンダは「グローバルで売れる赤バッジ」に賭け、快適装備と走りのバランスに挑んだ。 

    欧州のi-VTEC「K20Z4」

    心臓部K20Z4は11.0:1の圧縮比、可変カム位相+ハイカム切替のi-VTECを継承し、201 ps/7,800 rpm・193 Nm/5,600 rpmを発生。

    ロングストローク寄りの吸排気とバランサーシャフト追加で低中速トルクと静粛性を稼ぎ、「長距離ツアラーでも疲れないType R」を狙った。

    リッター当たり100 psは死守したものの、FD2が誇った超高回転の炸裂感は薄まり、ファンを分断する要因となる。 

    トーションビーム採用の衝撃

    リアサスはコストと荷室容量を優先し、歴代伝統のダブルウィッシュボーンやデュアルアクシスストラットを捨て、トーションビームへ換装。

    Top Gear誌は「遊び心を失った」と痛烈に批判したが、開発陣は高剛性アンダーフロアとワイドトレッドで曲がるFFを実現したと主張しました。

    実際、フロントのキャスター角とトレールを増やし、フルブッシュ類を専用強化して応答性を確保していました。

    MUGEN RR・Ti

    2009年に英国MUGENが手掛けたCivic Type R MUGENはカム・吸排気・軽量化で240 psへ強化し、20台限定で即完売。

    さらに最終年にはチタンマフラー+LSD標準の「Type R Ti」が500台設定され、“FN2は遅い”というレッテルを払拭すべくメーカー公認でチューニング競争が過熱した。 

    モータースポーツ――BTCCから耐久まで

    FN2は英国ツーリングカー選手権(BTCC)で半ワークス体制によりデビューし、2011年シーズンにメーカー部門3位。耐久ではバサースト6 hやセパン12 hのクラスウィンを重ね、「トーションビームでも勝てる」ことを見せつけました。 

    「普段使いできるType R」という革新

    FN2は軽量高回転主義から一歩譲り、日常の扱いやすさと居住性を大幅に向上させました。

    トーションビームやパワー不足を嘆く声もあったが、VTECは7,800 rpmで唸り、宇宙船ダッシュボードの向こう側へ景色がワープする体験はやはり赤バッジのもの。

    家族と荷物を積み、高速をひと走り。そんな優雅な「ユーロR的な生活」が好きな方は、ぜひ購入を検討してみてはいかがでしょうか。

  • シビックType R – FD2 【最高のType R】

    シビックType R – FD2 【最高のType R】

    四枚ドアで「最速」を更新したFD2

    2007年3月30日、ホンダは3代目シビック Type RとしてFD2を送り出します。

    赤バッジ初の4ドアセダンながら、2.0 ℓ NA 225 ps・クロス6速・専用ボディ強化で筑波1分08秒台を刻み、「実用車でサーキットを制す」という前代未聞のコンセプトを実現。

    街では家族を乗せ、週末はレースで勝つ…そんな二面性が走り好きの心を射抜き、歴代Type Rの中でも屈指の熱狂を生みました。 

    開発ストーリー「セダンType Rへの賭け」

    EP3が欧州生産だった反省から、開発責任者・假屋満氏は「日本市場が望むType R」を掲げ、企画段階でセダン案を採用しました。

    理由は二つあります。

    まず一つ目としては最新シビック(FD系)のプラットフォームがセダン専用だったということです。

    そして二つ目、これはセダンとなった根本理由ですが、衝突・剛性規制でハッチバックの軽量化が難しくなったことです。

    ホンダは「ドアが2枚増えてもEK9を超える操縦性」を目標に、シーム溶接+高張力鋼を強化しつつ装備を徹底軽量化します。

    開発最終テストで筑波を1分08秒3で周回し「これなら赤バッジを付けられる」と量産決定が下った。  

    K20A改。自然吸気VTECの集大成

    日本専用としてK20AはNSX譲りの手研磨ポートを継承し、圧縮比11.7、許容回転8,400 rpm。

    最高出力225 ps/8,000 rpm、最大トルク21.9 kg m/6,100 rpmを発揮し、量産NA 2.0 ℓとして世界最高峰の比出力を記録します。

    ドライブバイワイヤのスロットルと高圧縮に合わせ、クロス6速MTは1〜3速を極端に詰め、VTEC切替5,800 rpm→パワーバンド継続という怒涛の加速を実現したのです。

    「硬く・低く」を追求したボディ&サス

    ボディはシーム溶接をノーマル比2.2倍に増し、補強パネルを70 点追加。さらにアルミボンネットと薄型ガラスで車重1,270 kg(装備込)に抑えます。

    サスペンションは前輪ストラット、後輪リアダブルウィッシュボーンながら、前後キャンバーを増し、18 インチRE070とブレンボφ320 mmで武装。

    開発ドライバーは「踏んで曲げるレーシングFF」と表現し、市販車テストでもコーナリングGはランエボⅨ並みを記録しています。  

    モータースポーツでは最速FFを証明

    2007年スーパー耐久ST4クラスにFD2が投入され、デビューウィン含む年間5勝。

    筑波アタックではCARトップ誌計測1分08秒33を叩き出し、同時期のS2000やWRX STiを上回る怒涛の記録を叩き出します。

    海外でもマレーシアSEPANG 12 H耐久でクラス優勝し、4ドアでもFF最速を疑う余地がなくったのです。  

    FD2が残したDNA

    当時の熱狂とストリートカルチャーを象徴するのは、まず「ファミリーカーでレースに勝てる」という衝撃でした。

    子育て世代までも巻き込んだこのコンセプトは爆発的な支持を集め、納車待ちは半年に達するほどの大ヒットとなります。

    シビック最後のNAエンジン

    加えて忘れてはならないのが、FD2が「最後の高回転NAシビック Type R」であったという事実。

    排ガス規制とダウンサイジングの波により、後継FK2以降はターボエンジンへ移行していきますが、FD2のK20Aは吸気音とメカニカルノイズを余すことなく響かせる純粋な高回転フィールを守り抜いたのです。

    「実用と最速」を両立した究極の4ドアFF

    FD2は、ファミリーセダンの皮をかぶりながら、高回転NAと世界トップクラスの剛性で「公道とサーキットを地続きにする」というType R哲学を極限まで突き詰めました。

    赤バッジはハッチバック専売という先入観を打ち破り、FF最速の称号を更新。現行モデルがターボ化・5ドア化してもなお、「NA高回転×超硬シャシー」という原点を思い出させる存在として輝き続けています。