コペン – L880K【軽で本気のオープンを成立させた異端児】

軽自動車でオープンカーをつくる。しかも電動ハードトップで。2002年当時、この企画書を見た人の多くは「正気か?」と思ったはずです。

ところがダイハツは本当にやってしまいました。

初代コペン、型式L880K。

軽の枠に収まりきらない密度と、軽だからこそ成立した気軽さ。この矛盾した二面性こそが、コペンという車の核心です。

なぜダイハツがスポーツカーを作ったのか

まず前提として、ダイハツは「軽の実用車メーカー」というイメージが強い会社です。ムーヴやミラで台数を稼ぎ、堅実に商売をしてきた。スポーツカーなんて似合わない、と言われても仕方がない立ち位置でした。

ただ、ダイハツにはもうひとつの顔がありました。コンパニオンやP-5といった小型スポーツの系譜、そして1990年代末のモーターショーで提案し続けたコンセプトカーの数々。小さな車で走りの楽しさを追求するDNAは、表に出にくかっただけで消えてはいなかったんです。

1999年の東京モーターショーに出品されたコンセプトモデル「KOPEN」が、想定以上の反響を呼びます。来場者アンケートでも高い支持を集め、「これは市販できるかもしれない」という空気が社内に生まれました。

当時の軽自動車市場は、背の高いワゴン系が主流になりつつある時期です。スズキのワゴンRが切り開いた「軽=室内の広さ」という価値観が定着しはじめていた。そんな中で、2シーターのオープンスポーツを出すのは完全に逆張りです。でも、だからこそ話題になる。ダイハツのブランドイメージを変える一手として、コペンは企画を通されました。

電動ハードトップという執念

コペンの最大の特徴は、なんといってもアクティブトップと呼ばれる電動開閉式ハードトップです。ボタンひとつで約20秒、ルーフがトランク内に格納される。これを軽自動車でやったのは、世界初でした。

なぜソフトトップ(幌)ではなくハードトップだったのか。開発陣の意図は明確で、「日常使いできるオープンカー」を目指していたからです。幌だと雨漏りや防音の問題がつきまとう。遊びの車ではなく、毎日乗れるオープンにするには、金属ルーフが必要だったわけです。

ただ、軽規格の全長3.4m以下という枠の中に電動開閉機構を押し込むのは、相当な苦労だったようです。ルーフを格納するとトランクはほぼ使えなくなる。この割り切りがなければ、成立しなかった設計です。つまり「何を諦めるか」を決めたことで、コペンは完成したとも言えます。

660ccターボで何ができたか

エンジンは直列4気筒DOHCターボのJB-DET型。排気量659ccから64馬力を絞り出します。これは軽自動車の自主規制上限いっぱいの数値で、最大トルクは11.2kgf·mを3200rpmで発生しました。

車両重量は約830kg。軽自動車としては決して軽くはありませんが、絶対的な重さで見れば十分に軽い。64馬力でも、830kgのボディなら街中では不足を感じにくい。高速の合流で少し頑張る必要がある程度で、日常域のパワー感は悪くありませんでした。

駆動方式はFF。ここは好みが分かれるところです。スポーツカーならFRだろう、という声は当時からありました。ただ、軽の枠でFRレイアウトを組むとコストもスペースも跳ね上がる。FFにすることで室内空間と価格を現実的な線に収めた、という判断です。

足回りはフロントがマクファーソンストラット、リアがトーションビーム。凝った形式ではありませんが、ホイールベースが2230mmと短いおかげで、回頭性は軽快そのものでした。ワインディングをちょっと飛ばすだけで、車との対話が成立する。速さではなく楽しさの密度で勝負する車だったんです。

12年間売り続けた意味

L880Kコペンは2002年に発売され、2012年まで販売が続きました。実に10年以上のロングセラーです。途中でフルモデルチェンジはなく、細かな改良を重ねながら同じ基本設計で走り続けた。

これは裏を返せば、後継モデルの開発がなかなか進まなかったということでもあります。ダイハツの経営資源は限られていて、台数が出る実用車の開発が常に優先される。コペンのような趣味性の高い車に大きな投資を回す余裕は、そう簡単には生まれませんでした。

それでも生産が打ち切られなかったのは、固定ファンが途切れなかったからです。月販数百台という規模ではあっても、指名買いで売れ続ける車は、メーカーにとってブランド資産になる。コペンは「ダイハツにもこういう車がある」という看板であり続けました。

2002年の発売当初の価格は約150万円前後。軽自動車としては高価ですが、電動ハードトップのオープンカーとしては破格でした。同時期の普通車オープン、たとえばマツダ・ロードスター(NB型)が200万円台だったことを考えると、コペンの価格設定がいかに戦略的だったかがわかります。

競合不在という特殊な立ち位置

L880Kが面白いのは、直接の競合車がほとんど存在しなかったことです。同時代の軽オープンスポーツといえば、ホンダ・ビート(1991〜1996年)やスズキ・カプチーノ(1991〜1998年)が思い浮かびますが、どちらもコペン登場時にはすでに生産終了していました。

つまりコペンは、ABCトリオ(オートザム AZ-1、ビート、カプチーノ)が去った後の軽スポーツ市場に、ほぼ単独で存在していたことになります。ホンダのS660が登場するのは2015年。コペンは十数年にわたって「新車で買える軽オープンスポーツ」という唯一の選択肢でした。

この「競合不在」は、ロングセラーを支えた要因のひとつでもあります。欲しい人にとって、代わりがない。だから値崩れもしにくく、中古市場でも根強い人気を保ち続けました。

初代が残したもの

2014年、コペンは2代目(LA400K)へとフルモデルチェンジします。新型は着せ替え可能な外板パネル「ドレスフォーメーション」という新機軸を打ち出し、話題になりました。ただ、2代目の存在が初代の価値を薄めたかというと、むしろ逆です。

L880Kは今でも中古市場で高い人気を誇ります。丸みを帯びたデザイン、コンパクトに凝縮されたボディ、そして「最初のコペン」であるという事実。2代目とは明確にキャラクターが異なるため、初代を選ぶ理由がちゃんと残っているんです。

初代コペンが証明したのは、軽自動車でも「欲しい」と思わせる趣味の車が成立するということでした。実用性や燃費だけが軽の価値ではない。小さいからこそ楽しい、安いからこそ気軽に遊べる。その提案は、後のS660にも、そして2代目コペンにも確実に受け継がれています。

L880Kは、軽自動車の可能性を広げた一台です。無謀に見えた企画を形にし、10年以上にわたって市場に居場所を確保し続けた。派手な戦績こそありませんが、「小さな車で人を笑顔にする」というダイハツの原点を、もっとも純粋に体現したモデルだったのではないでしょうか。

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