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  • カローラ スポーツ – NRE210H【「普通」を再定義するために生まれたハッチバック】

    カローラという名前に、どんなイメージを持っていますか?

    毎度聞いている気がしますが、おそらく多くの人が「普通のクルマ」と答えるはずです。

    実際、それは間違いではありません。

    ただ、その「普通」がどこまで本気で作り込まれているかは、時代によってまったく違います。

    2018年に登場したカローラ スポーツは、トヨタがその「普通」を根本から作り直そうとした結果、生まれた一台でした。

    カローラに「スポーツ」が必要だった理由

    カローラ スポーツの立ち位置を理解するには、少しだけ系譜を遡る必要があります。日本市場では長らく、カローラのハッチバック版は「ランクス」や「オーリス」という別の名前で売られていました。つまり、カローラ本体はセダンやワゴンであり、ハッチバックは別ブランドとして切り離されていたわけです。

    ところが2018年、トヨタはこのハッチバックを「カローラ」の名前に戻すという判断をします。しかも「カローラ ハッチバック」ではなく「カローラ スポーツ」。ここに、トヨタの明確な意思がありました。

    当時のトヨタは、豊田章男社長のもとで「もっといいクルマを作ろう」を合言葉に、TNGA(Toyota New Global Architecture)による車両刷新を進めていた真っ最中です。

    プリウス、C-HRに続いてTNGA-Cプラットフォームを採用する車種として、カローラ スポーツは企画されました。

    要するに、カローラという最量販ブランドにTNGAの成果を投入し、「退屈なカローラ」というイメージそのものを書き換えようとしたのです。

    欧州オーリスの血と、日本市場への翻訳

    カローラ スポーツは、グローバルでは「カローラ ハッチバック」として展開されたモデルの日本仕様です。欧州では先代まで「オーリス」として販売されており、欧州Cセグメントの激戦区でVWゴルフやフォード・フォーカスと直接競合していました。

    この欧州での開発経験が、カローラ スポーツの走りの質に直結しています。開発の舞台にはニュルブルクリンクが含まれ、足回りのチューニングは欧州の道路環境を基準に詰められました。日本のカローラが、ドイツのサーキットで鍛えられている。この事実だけでも、従来のカローラとは明らかに違うクルマだとわかります。

    ただし、日本向けには単なる欧州仕様の持ち込みでは終わらせていません。日本市場専用に「スポーツ」の名を冠し、iMT(インテリジェント・マニュアル・トランスミッション)と呼ばれる6速MTを設定したのは象徴的です。これは自動ブリッピング機能付きのMTで、マニュアルを楽しみたいけど回転合わせに自信がない層にも門戸を開くものでした。

    TNGA-Cが変えた「カローラの走り」

    カローラ スポーツの核心は、やはりTNGA-Cプラットフォームにあります。低重心設計、高剛性ボディ、マルチリンク式リアサスペンション。これらはスペックとして並べれば地味に見えるかもしれません。しかし重要なのは、先代オーリスまでのトーションビーム式リアサスから、独立懸架のダブルウィッシュボーン式に変わったという事実です。

    トーションビームとダブルウィッシュボーン。この違いは、路面の凹凸を左右独立にいなせるかどうかに直結します。コストは当然上がりますが、トヨタはカローラクラスにこれを採用しました。結果として、高速域での安定感やコーナリング時の接地感が先代とは段違いになっています。

    パワートレインは1.2Lターボと1.8Lハイブリッドの二本立て。1.2Lターボは116馬力と数字だけ見れば控えめですが、ダウンサイジングターボとして低回転からトルクが出る特性で、街中から高速まで扱いやすい設計です。ハイブリッドはプリウス譲りのTHS IIで、燃費性能を重視する層に向けたもの。この二択を用意したこと自体が、「走りたい人」と「効率を求める人」の両方をカローラの名のもとに束ねようとする意図の表れです。

    デザインの転換点

    見た目の変化も見逃せません。カローラ スポーツのデザインは、従来のカローラが持っていた「無難で角のない」イメージを明確に捨てています。キーンルックと呼ばれるトヨタの統一デザイン言語を採用しつつ、ワイド&ローなプロポーションを強調。全幅は1,790mmと、日本の5ナンバー枠を完全に超えた3ナンバーサイズです。

    この3ナンバー化は、日本のカローラとしては大きな転換でした。歴代カローラは長らく5ナンバーサイズを守ることが暗黙の了解だったからです。しかしトヨタは、グローバルでの競争力と走行性能を優先し、この枠を外しました。

    賛否はありました。「カローラなのにデカすぎる」「狭い道で取り回しにくい」という声は確かにあった。ただ、走りの質を根本から変えるために必要なトレッド幅やサスペンションジオメトリを確保するには、この選択は合理的だったと言えます。

    コネクティッドという隠れた武器

    カローラ スポーツには、走り以外にもうひとつ重要な「初」がありました。トヨタ初の車載通信機(DCM)全車標準搭載です。これにより、T-Connectサービスを通じてナビの地図更新やオペレーターサービス、緊急通報などがつながるようになりました。

    2018年時点で、コネクティッド機能を量販コンパクトに全車標準装備したのは、国産車としてはかなり先進的な判断です。カローラという最量販車種にこれを載せたのは、「普及させるなら一番売れるクルマから」というトヨタらしい戦略でした。

    「普通」の再定義が残したもの

    カローラ スポーツは、爆発的にヒットしたモデルかと言えば、正直そうとは言い切れません。日本市場ではSUV人気が圧倒的で、Cセグメントハッチバック自体の市場が縮小していた時期です。販売台数だけを見れば、カローラシリーズ全体の中でセダンやツーリングに比べて目立つ存在ではなかったかもしれません。

    しかし、このクルマが果たした役割は数字だけでは測れません。TNGA世代のカローラとして、「カローラでもちゃんと走れる」「カローラでも所有欲を満たせる」という新しい基準を示したこと。それは、2019年に登場するセダンとツーリングの地ならしでもありました。カローラ スポーツが先行して市場に投入され、TNGAカローラの走りの質を証明したからこそ、セダンやツーリングも「今度のカローラは違う」という文脈で受け入れられたのです。

    GRスポーツの設定も見逃せません。2020年に追加されたGRスポーツは、専用チューニングの足回りやボディ補強を施し、カローラ スポーツの走りのポテンシャルをさらに引き出したグレードです。モリゾウこと豊田章男氏が自らステアリングを握って開発に関与したとされるこのグレードは、カローラにスポーツの名を冠した意味を、最もわかりやすく体現していました。

    カローラ スポーツは、「普通のクルマ」をもう一度本気で作り直すとどうなるか、という問いに対するトヨタなりの回答です。

    派手さはないかもしれない。

    でも、プラットフォームから通信機能まで、すべてを刷新して「普通」の水準を引き上げた。

    その地道さこそが、カローラというブランドが60年以上続いてきた理由そのものなのかもしれません。

  • レビン/トレノ – TE71【最後のFR直4レビンという十字架】

    レビン/トレノ – TE71【最後のFR直4レビンという十字架】

    「AE86が最後だろ!」という声が聞こえてきそうですね。

    少し待ってください。

    AE86は確かにカローラ系スポーツモデル最後のFRですが、ベースとなるカローラはTE71の時代にすでに最後のFRでありました。AE86の世代からはベース車はFFなんですね。

    さて、AE86が「最後のライトウェイトFR」として神話化されたのなら、その直前のモデルにはどんな意味があったのか。

    TE71レビン/トレノは、カローラ系スポーツモデルの系譜において、まさに「転換の前夜」に立っていた一台です。

    カローラ第4世代という時代

    TE71レビン/トレノは、1979年に登場した4代目カローラ(E70系)をベースとするスポーツモデルです。カローラ自体がこの世代でボディを大型化し、より上質な方向へ舵を切り始めた時期にあたります。

    1970年代後半は、排ガス規制の嵐がようやく一段落し、各メーカーが「規制対応だけで精一杯」の時代から抜け出し始めたタイミングでした。トヨタにとっても、スポーツグレードの存在意義を改めて問い直す局面だったと言えます。

    先代のTE51/55型レビン/トレノは、2T-G型エンジンを積んだ正統派のDOHCスポーツでしたが、排ガス規制対応に追われるなかでパワーダウンを余儀なくされていました。TE71は、その状況からの再出発を託されたモデルです。

    2T-GEUという回答

    TE71の心臓部は、2T-GEU型。排気量1,588ccの直列4気筒DOHCで、電子制御燃料噴射(EFI)を採用しています。先代の2T-Gがキャブレター仕様だったのに対し、EFI化によって排ガス規制をクリアしながら出力を回復させるという狙いがありました。

    カタログスペックで115ps/6,400rpm。数字だけ見ると現代の感覚では控えめですが、当時の1.6Lクラスとしては十分に「速い部類」でした。排ガス規制の最も厳しい時期に100psを割り込んでいたことを思えば、この数字には意味があります。

    ただ、2T-G系エンジンはこの時点ですでに設計の古さが見え始めていました。ブロックの基本設計は1960年代後半に遡ります。EFI化で延命したとはいえ、次世代のエンジンが求められていたのは明らかでした。TE71は、言ってみれば2T-G系最後の搭載車であり、このエンジンの「集大成」と「限界」が同居したモデルです。

    FRカローラの最終形態

    TE71のシャシーは、当然ながらFR(フロントエンジン・リアドライブ)。4代目カローラのプラットフォームをそのまま使い、前輪はストラット、後輪は4リンクリジッドという構成です。

    特別に凝ったサスペンション形式ではありません。むしろ、当時のカローラとしては標準的な設計です。しかし、この「FRで、軽くて、DOHCエンジンを積んでいる」という組み合わせ自体が、すでに希少になりつつありました。

    1970年代末から1980年代初頭にかけて、世界的にFF化の波が押し寄せていました。トヨタ自身も、次期カローラ(E80系)では基本的にFF化する方針を固めつつあった。TE71は、その流れの中で「まだFRだった最後のカローラスポーツ」という位置づけになります。

    もちろん、この時点でトヨタがAE86を「あえてFRで残す」決断をしていたかどうかは別の話です。ただ、TE71が走っていた時代に、FRカローラの時間が確実に残り少なくなっていたのは事実です。

    レビンとトレノの違い

    TE71世代でも、レビンとトレノの区別は健在です。レビンがカローラ店扱いの固定式ヘッドライト、トレノがトヨタオート店(旧トヨペット店系列)扱いのリトラクタブルヘッドライト。基本的にはフロントマスクと販売チャネルの違いであり、メカニズム上の差はほぼありません。

    ただ、この「販売チャネル別に顔を変える」というやり方が、次のAE86世代でさらに強い個性の差として花開くことになります。TE71は、その予行演習のような存在でもありました。

    地味だったのか、不遇だったのか

    正直に言えば、TE71レビン/トレノは「華のあるモデル」ではありませんでした。先代TE51/55には初代レビンからの血統という物語があり、後継のAE86には言うまでもなく伝説がある。その間に挟まれたTE71は、語られる機会が極端に少ない。

    しかも、同時期にはセリカXXやスープラといった上位スポーツモデルが注目を集めており、1.6LクラスのFRクーペというカテゴリ自体が、やや地味なポジションに押しやられていた時代でもあります。

    とはいえ、モータースポーツの現場ではTE71は確かに走っていました。特にラリーやジムカーナといった競技では、軽量FRにDOHCという素性の良さが活きる場面は多く、草レースレベルでは根強い支持がありました。カタログの華やかさとは別の場所で、TE71は「使える道具」として評価されていたわけです。

    AE86への橋渡し

    TE71の存在意義は、後から振り返ると明確に見えてきます。このモデルがあったからこそ、「カローラ系にDOHCスポーツグレードを残す」という系譜が途切れなかった。

    1983年に登場するAE86は、新開発の4A-GEU型エンジンを搭載し、FFカローラの中で例外的にFRを維持するという、かなり特殊な成り立ちの車です。この判断の背景には、TE71世代までのレビン/トレノが「スポーツカローラ」という商品ジャンルを維持し続けたことが無関係ではないはずです。

    もしTE71の世代でレビン/トレノが消滅していたら、AE86は生まれなかったかもしれない。これは仮定の話ですが、系譜の連続性という観点では、TE71は「つなぎ」以上の役割を果たしています。

    2T-GEUからの4A-GEUへのバトンタッチ。

    FRカローラからFRだけ残すAE86への橋渡し。

    TE71は、そのどちらの転換点にも立っていた車です。派手さはなくても、この車がなければ次の物語は始まらなかった。

    系譜の結節点として、TE71レビン/トレノはもう少し語られていい存在だと思います。

  • レビン/トレノ – TE27 【「速いカローラ」はここから始まった】

    レビン/トレノ – TE27 【「速いカローラ」はここから始まった】

    「カローラにツインカムを積む」

    いま聞くと当たり前のように思えるかもしれませんが、1970年代初頭にこれをやったのは、かなり大胆な判断でした。

    TE27レビン/トレノは、その最初の一手です。

    大衆車の車体にレース直系のエンジンを押し込むという、ある種の「反則技」がここから始まりました。

    大衆車にDOHCを載せるという賭け

    TE27が登場したのは1972年。

    ベースとなったのは2代目カローラ(TE20系)のクーペボディです。レビンがカローラ店扱い、トレノがオート店扱いという販売チャネルの違いはありましたが、中身はほぼ共通。最大のポイントは、そこに2T-G型エンジンを搭載したことにあります。

    2T-Gは、ヤマハと共同開発された1.6リッター直列4気筒DOHCです。当時、DOHCエンジンといえばトヨタ2000GTやベレットGTRのような、いわば特別な車のためのものでした。それをカローラクラスの量産車に載せる。コスト的にも商品企画的にも、相当なチャレンジだったはずです。

    ただ、トヨタにはそうする理由がありました。1960年代後半から国内のツーリングカーレースが盛り上がりを見せており、日産はサニーやブルーバードで戦果を上げていました。トヨタとしても、カローラクラスで「速い車」を持っておく必要があった。TE27は、モータースポーツの文脈と販売競争の両方から生まれた車です。

    2T-Gという心臓の意味

    2T-G型エンジンのスペックは、最高出力115馬力(グロス値)。いまの感覚で見れば大した数字ではありませんが、車両重量が約855kgしかないTE27に積めば、話はまったく変わります。パワーウェイトレシオで見れば、当時の国産スポーツカーの中でもかなり上位に入る水準でした。

    しかもこのエンジン、回して気持ちいいタイプです。ソレックスのキャブレターを2基備え、高回転域まで一気に吹け上がる。レスポンスの良さは、排気量の大きなOHCエンジンとは明らかに質が違いました。DOHCならではの回転フィールが、この車の最大の武器だったと言っていいでしょう。

    もうひとつ見逃せないのは、2T-Gが「量産できるDOHC」だったという点です。ヤマハの技術を使いつつ、トヨタの生産体制に乗せられる設計になっていた。これは後の3T-G、4A-GEといったDOHCエンジンの系譜へとつながる、非常に重要な布石でした。

    軽さと後輪駆動が生んだ走り

    TE27の走りを語るうえで、エンジンと同じくらい重要なのが車体の軽さです。約855kgという数字は、現代のコンパクトカーよりもはるかに軽い。この軽さが、2T-Gの115馬力を「速さ」に直結させていました。

    サスペンション形式はフロントがストラット、リアがリーフスプリングのリジッドアクスル。正直なところ、リアのリーフリジッドは洗練されたものとは言えません。路面の荒れた場面ではリアが暴れやすく、ドライバーの技量がそのまま走りに出る車でした。

    ただ、それが欠点だったかというと、当時のユーザーやモータースポーツの現場ではむしろ「わかりやすい」と受け止められていた面もあります。リアが流れる挙動を自分でコントロールする楽しさ。これはFR(後輪駆動)と軽量ボディの組み合わせだからこそ成り立つものでした。

    要するにTE27は、電子制御もなにもない時代の、素の運転感覚で勝負する車です。そこに魅力を感じた人が多かったからこそ、いまでも語り継がれているのでしょう。

    レースでの実績が育てたブランド

    TE27を語るうえで外せないのが、モータースポーツでの活躍です。富士のツーリングカーレースをはじめ、国内各地のサーキットでTE27は数多くの勝利を挙げました。

    とくに1973年の富士1000kmレースでの活躍は、「レビン=速いカローラ」というイメージを決定づけた出来事のひとつです。

    レース活動を支えたのは、トヨタワークスだけではありません。プライベーターの参戦も非常に多かった。ベース車両の価格がスポーツカー専用車に比べて圧倒的に安く、パーツの入手性も良かったからです。つまりTE27は、「誰でもレースに出られるスポーツカー」という立ち位置を自然に獲得していました。

    この構造は、後のAE86にもそのまま引き継がれます。手の届く価格の量産車をベースに、モータースポーツの裾野を広げる。TE27が作ったこの「型」は、トヨタのスポーツモデル戦略の原型と言っていいものです。

    排ガス規制という壁

    TE27の生産期間は、1972年から1974年までのわずか2年ほど。短命に終わった最大の理由は、昭和48年排出ガス規制の影響です。いわゆるマスキー法に対応するため、高性能エンジンの多くが存続を許されなくなった時代でした。

    2T-Gエンジンも例外ではなく、規制対応のためにパワーダウンを余儀なくされます。後継のTE37/TE51系レビン・トレノでは、排ガス対策によってエンジンの出力特性が明らかに変わり、TE27のような切れ味は薄れていきました。

    これはTE27だけの話ではなく、日本の自動車産業全体が直面した壁です。ただ、だからこそTE27は「規制前の最後の自由な時代に生まれたスポーツモデル」として、特別な位置づけを持つことになりました。短命だったことが、逆に伝説を強化した面は否定できません。

    「速いカローラ」の原点として

    TE27が残したものは、単に「速い車があった」という記憶だけではありません。大衆車のプラットフォームにDOHCエンジンを載せ、モータースポーツで鍛え、それをブランドイメージに還元する。このサイクルの出発点がTE27でした。

    後のTE71、そしてAE86へと続く「レビン/トレノ」の系譜は、すべてこのTE27から始まっています。AE86が「ハチロク」として神話化される背景にも、TE27が築いた「カローラベースのスポーツモデル」という文脈があるわけです。

    まあ、冷静に見れば855kgの車体にリーフリジッドのリアサス、キャブレターのDOHCという構成は、いまとなっては完全に過去の技術です。

    でも、その組み合わせが生み出した走りの原体験は、トヨタのスポーツカー史に確実に刻まれています。

    TE27は、「速いカローラ」という概念そのものを発明した車でした。