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  • クリオ 16S/ウィリアムズ – X57【ルノーが本気で仕立てたBセグの劇薬】

    クリオ 16S/ウィリアムズ – X57【ルノーが本気で仕立てたBセグの劇薬】

    1990年代のホットハッチを語るとき、プジョー205 GTiの名前はほぼ確実に出てきます。

    では、その次の世代を引き継いだのは誰だったのか。

    答えのひとつが、ルノー・クリオ 16Sであり、その究極形がクリオ・ウィリアムズです。

    型式で言えばX57系。

    フランスのBセグメントから生まれた、ちょっと信じがたいほど本気のスポーツモデルでした。

    205 GTiの後を誰が継ぐのか

    1980年代後半から1990年代初頭にかけて、ヨーロッパのホットハッチ市場はひとつの転換期を迎えていました。

    プジョー205 GTiが築いた「小さくて速くて楽しい」という価値観は広く浸透していたものの、205自体はモデル末期に差しかかっていました。後継の306は少しサイズアップし、ゴルフGTIもMk3世代で重厚路線に舵を切りつつあった時期です。

    つまり、Bセグメントの「軽くて切れ味のいいスポーツハッチ」というポジションに、ぽっかり空席ができかけていた。

    ルノーがそこに送り込んだのが、初代クリオをベースにした16Sでした。

    16Sという出発点

    クリオ 16S(16 soupapes=16バルブの意)は、1991年に登場しています。ベースとなった初代クリオ(X57型)は1990年デビューで、先代のシュペール5から大幅に質感を上げたコンパクトカーでした。欧州カー・オブ・ザ・イヤーも受賞しており、ルノーにとっては量販の柱です。

    その量販車に、1.8リッター直4の16バルブエンジン(F7P型)を載せたのが16Sです。最高出力は137馬力。今の基準で見れば控えめに聞こえますが、車両重量がおよそ980〜1,000kg程度ですから、パワーウェイトレシオはかなり優秀でした。

    足回りにはルノースポールの手が入り、ブレーキも強化されています。ただ、16Sの本質はエンジンパワーだけではありません。初代クリオのシャシーがもともと持っていた素性の良さ——軽さ、コンパクトさ、そしてフランス車らしいしなやかな足——を、高回転型エンジンで引き出すという構成に意味がありました。

    要するに、ベース車両の設計が良かったからこそ成立したホットバージョンです。ここが重要なポイントで、後のウィリアムズにもそのまま繋がっていきます。

    ウィリアムズという「事件」

    クリオ・ウィリアムズが発表されたのは1993年。名前の由来は、当時ルノーがエンジンを供給していたF1チーム、ウィリアムズ・ルノーです。1992年にはナイジェル・マンセルがFW14Bでドライバーズチャンピオンを獲得し、ルノーのF1エンジンは黄金期を迎えていました。

    このタイミングでF1の栄光を市販車に結びつけようとしたのは、マーケティングとしては当然の判断です。ただ、ルノーが偉かったのは、単なる記念バッジモデルで終わらせなかったことです。

    エンジンは16Sと同じF7P型ベースですが、排気量を2.0リッターに拡大したF7R型に換装されています。最高出力は150馬力。たった13馬力の上乗せに聞こえるかもしれませんが、重要なのはトルク特性の変化です。排気量拡大によって中回転域のトルクが太くなり、日常域での扱いやすさとワインディングでの力強さが両立しました。

    足回りの変更はさらに徹底しています。トレッドの拡大、専用スプリングとダンパー、15インチのスピードライン製アルミホイール。フロントのトレッドを広げるために、フェンダーにはわずかに膨らみが加えられています。外観上の変化は控えめですが、走りに関わる部分は本気で手が入っていました。

    限定のはずが3回作られた理由

    ウィリアムズは当初、限定3,800台の予定でした。ところが、あまりの人気に追加生産が決定します。最終的にはフェーズ1、フェーズ2、フェーズ3と3回にわたって生産され、総生産台数は約12,100台に達しました。

    限定車を3回も追加生産するというのは、メーカーとしてはやや異例です。裏を返せば、それだけ市場の反応が予想を超えていたということでしょう。当時のヨーロッパでは、ウィリアムズの割り当てを確保するためにディーラーに行列ができたという話も残っています。

    フェーズ2以降では細部の仕様変更はありましたが、基本的な成り立ちは変わっていません。ゴールドのスピードラインホイールに、ブルーのボディカラー(スポーツブルー)という組み合わせが、このクルマのアイコンになりました。ただし、フェーズ2以降では他のボディカラーも選べるようになっています。

    なぜウィリアムズはここまで評価されたのか

    クリオ・ウィリアムズの評価が高い理由は、突き詰めると「バランス」の一語に集約されます。150馬力という数字は、同時代のインテグラーレやコスワースと比べれば控えめです。でも、このクルマの本領はそこではありません。

    車重は約1,035kg。ホイールベースは短く、トレッドは広い。エンジンは高回転まで気持ちよく回るけれど、中間トルクも十分にある。ステアリングはダイレクトで、サスペンションはフランス車らしくしなやかに動く。つまり、すべての要素が「ちょうどいい」ところで揃っているのです。

    これは偶然ではありません。ルノースポール(当時はルノー・スポール・テクノロジーズ)が、ベース車両の素性を理解した上で、過剰にならない範囲でチューニングを施した結果です。パワーを盛るのではなく、シャシーとエンジンの対話がもっとも豊かになるポイントを探った、という表現が近いかもしれません。

    実際、英国の自動車メディアでは繰り返し「史上最高のホットハッチのひとつ」として名前が挙がります。EVO誌やAutocar誌のベストホットハッチ企画では常連で、205 GTiと並んで語られる存在です。

    系譜の中での意味

    クリオ 16S/ウィリアムズが残したものは、ルノースポールというブランドの方向性そのものだったと言えます。このクルマの成功があったからこそ、ルノーは「コンパクトカーベースの高性能モデル」という路線に確信を持てたはずです。

    後継となるクリオ2世代のルノースポール(172/182)は、さらに洗練された形でこの思想を受け継ぎました。軽量で、バランスが良く、サーキットでもワインディングでも楽しい。その原型は、まちがいなくX57世代のウィリアムズにあります。

    さらに言えば、メガーヌRSシリーズがニュルブルクリンクでFF最速タイムを競うようになる流れも、元をたどればこのクルマが起点です。ルノースポールが「速さとは何か」を考えるとき、パワーよりもシャシーバランスを重視するという姿勢は、ウィリアムズの時代にすでに確立されていました。

    クリオ・ウィリアムズは、F1の名前を借りた記念モデルとして生まれました。しかし実態は、ルノーが自社のスポーツカー哲学を初めて明確に形にしたクルマです。

    だからこそ30年以上経った今も、ホットハッチの歴史を語るときに必ず名前が出てくる。

    それは、バッジの力ではなく、走りの説得力が残した結果です。

  • クリオ ルノー・スポールV6 – BL7X/BH7X【FFの小型車にV6を積んだ狂気と正気】

    クリオ ルノー・スポールV6 – BL7X/BH7X【FFの小型車にV6を積んだ狂気と正気】

    Bセグメントのコンパクトカーに、3.0リッターV6をリアミッドシップで積む。

    文字にするだけで正気を疑われる企画ですが、ルノーはこれを本当にやりました。しかも1回ではなく、2世代にわたって。

    クリオ ルノー・スポールV6(クリオV6)は、ホットハッチの延長線上にあるようで、実はまったく別の場所に立っていた車です。

    FFハッチの皮を被ったミッドシップという異常値

    クリオ ルノー・スポールV6の話をするとき、まず前提として押さえておきたいのは、これはクリオの派生モデルではないということです。見た目はクリオですが、中身はまるで別物です。

    通常のクリオはFFのBセグメントハッチバック。後席があり、荷室があり、日常の足として使われる車です。

    ところが何を思ったかV6は後席を取り払い、そこにV6エンジンを横置きミッドシップで搭載しています。駆動方式もMR。

    つまりシャシー構造、重量配分、冷却系、サスペンションジオメトリ、すべてが専用設計です。

    外から見ればワイドフェンダーのクリオに見えますが、構造的にはむしろアルピーヌA610やルノー・スポール・スピダーに近い発想の車です。量産コンパクトカーのボディラインを使いながら、中身は完全にスペシャルカー。

    この矛盾こそが、この車の最大の個性であり、最大の論点でもあります。

    TWRとルノー・スポールが組んだ初代フェーズ1

    初代にあたるフェーズ1は、2001年に登場しました。ベースとなったのはクリオIIで、型式はBL7X。開発と生産を担ったのは、イギリスのTWR(トム・ウォーキンショー・レーシング)です。

    TWRといえば、ジャガーのル・マン制覇を支えたレーシングコンストラクターであり、少量生産のスペシャルモデルを仕立てるノウハウを持つ会社です。

    ルノーがTWRに委託した理由は明快で、量産ラインでは作れない車だったからです。

    後席を潰してエンジンを積み、ボディを大幅にワイド化し、冷却系を再設計する。これは通常の工場ラインに乗せられる作業ではありません。

    搭載されたエンジンは、ルノー・ラグナなどに使われていた3.0リッターV6(L7X型)で、最高出力は230馬力。

    数字だけ見れば飛び抜けて高いわけではありませんが、車重約1,400kgの小さなボディに積まれることで、パワーウェイトレシオは十分に刺激的でした。

    ただし、フェーズ1は「荒削り」という評価がつきまとう車でもありました。ミッドシップ化に伴う重量バランスの難しさ、短いホイールベースに対するパワーの大きさ、そして限界域でのリアの挙動。

    要するに、速いけれど扱いにくい車だったのです。

    自動車メディアの多くが「面白いが怖い」と書いたのは、決して大げさではありません。

    自社生産に切り替えたフェーズ2の成熟

    2003年、TWRが経営破綻します。ルノーはV6プロジェクトを終わらせることもできましたが、そうしませんでした。生産をフランス・ディエップのアルピーヌ工場に移管し、ルノー・スポール自身の手でフェーズ2を仕立て直したのです。型式はBH7X。

    フェーズ2では、フェーズ1で指摘された弱点が丁寧に潰されています。エンジン出力は255馬力に引き上げられましたが、それ以上に大きかったのはシャシー側の改良です。

    サスペンションジオメトリの見直し、スプリングレートの最適化、ダンパーセッティングの変更。速さを上げるのではなく、扱いやすさを引き上げる方向に振ったのがポイントです。

    ホイールベースやトレッドにも手が入り、直進安定性と限界域の挙動予測性が大きく改善されました。フェーズ1が「才能はあるが信用しきれない」車だとすれば、フェーズ2は「才能を制御できるようになった」車です。

    インテリアの質感も向上し、レカロ製シートの採用やトリムの変更によって、スペシャルカーとしての仕立てが一段上がりました。

    生産がアルピーヌ工場に移ったことで、少量生産ながらも品質管理の精度が上がったことも見逃せません。

    なぜルノーはこんな車を作ったのか

    そもそも、なぜルノーはBセグメントハッチにV6ミッドシップを積もうと思ったのか。ここが最も面白い論点です。

    背景にあるのは、1990年代後半のルノー・スポールの戦略です。当時のルノーはF1でエンジンサプライヤーとして圧倒的な成功を収めていました。ウィリアムズやベネトンとの組み合わせでチャンピオンシップを獲得し、「ルノー=高性能エンジン」というイメージが確立されつつあった時期です。

    しかし市販車のラインナップを見ると、スポーツイメージを体現する旗艦が不在でした。

    クリオ・ウィリアムズやメガーヌRSは優れたホットハッチでしたが、あくまでFF。

    ルノー・スポール・スピダーは存在しましたが、あまりに少量で認知度が限られていました。

    つまり、F1で築いたブランドイメージを市販車で回収する装置が必要だったのです。そしてその装置は、単なる高出力FFではなく、構造そのものが特別である必要がありました。

    ミッドシップV6という選択は、マーケティング的にも技術的にも、ルノー・スポールの本気を見せるための最短距離だったわけです。

    もうひとつ見落とせないのは、ルノーがかつてアルピーヌA110やA310で培ったミッドシップ(あるいはリアエンジン)の文化を持つメーカーだということです。FFの量産メーカーでありながら、ミッドシップへの土地勘がある。

    クリオV6は突然変異のように見えて、実はルノーの歴史の中にちゃんと文脈があります。

    ホットハッチとスーパーカーの間に立つ存在

    クリオV6をどのカテゴリに入れるかは、実は結構難しい問題です。ホットハッチかと言われれば、ミッドシップMRなのでハッチバックの文法ではありません。スーパーカーかと言われれば、出自はBセグメントの量産車です。

    結局のところ、この車は「どこにも属さない」こと自体が存在意義だったのだと思います。ポルシェやフェラーリと張り合う車ではないし、シビックタイプRやゴルフGTIと同じ土俵にも立っていない。

    ルノー・スポールが「自分たちにしかできないこと」を形にした結果が、このカテゴリ不在の一台でした。

    生産台数はフェーズ1とフェーズ2を合わせても数千台規模。当然ながら大きな利益を生む車ではなかったはずです。しかし、この車がルノー・スポールのブランドに与えた影響は、台数以上に大きかったと言えます。

    「あのメーカーはこういうことをやる」という記憶は、後のメガーヌRSシリーズの評価にも確実に効いています。

    系譜の中の特異点として

    クリオ ルノー・スポールV6には、直接の後継車が存在しません。クリオIIIの世代ではこの企画は継続されず、ルノー・スポールのフラッグシップはメガーヌRSへと移行していきます。ミッドシップの血脈は、ずっと後のアルピーヌA110復活まで途絶えることになります。

    だからこそ、この車は系譜の中で特異点として際立ちます。前にも後にも同じ発想の車がない。量産コンパクトカーのガワを使ってミッドシップスポーツを仕立てるという企画は、自動車史全体を見渡しても極めて稀です。

    冷静に考えれば、効率の悪い車です。開発コストに対して販売台数は少なく、生産工程は複雑で、実用性はほぼゼロ。

    でも、こういう車を本気で作って、しかも改良版まで出すメーカーがあったという事実は、それ自体がひとつの価値です。

    クリオ ルノー・スポールV6は、合理性の外側にある情熱と、それを製品として成立させる技術力の両方がなければ生まれなかった車です。

    そしてその両方を持っていたからこそ、ルノー・スポールはルノー・スポールたり得たのだと思います。

  • ルーテシア ルノー・スポーツ – RF4C【ホットハッチの本場が送り出した”素”の快楽】

    ルーテシア ルノー・スポーツ – RF4C【ホットハッチの本場が送り出した”素”の快楽】

    ホットハッチという言葉は、もうずいぶん手垢がついています。

    けれど2006年に登場したルーテシア3 ルノー・スポーツ(RF4C)は、その手垢まみれのジャンルに対して「まだやれることがある」と証明してみせた一台でした。

    しかも、ターボではなく自然吸気で。

    ルーテシアRSという系譜の意味

    ルノーがルーテシア(欧州名クリオ)にスポーツモデルを設定するのは、これが初めてではありません。

    初代のクリオ・ウィリアムズ、2代目のクリオ・ルノー・スポーツ(172/182)と、小さなボディに過激なエンジンを積むという伝統は、すでに確立されていました。

    とくに先代の172と182は、英国を中心に熱狂的な支持を集めていました。軽量でダイレクトなハンドリングが評価され、ロータス・エリーゼと同じサーキットで語られるほどの存在になっていたのです。

    つまり3代目のRSには、「あの走りを超えなければならない」という明確なハードルがあったわけです。

    なぜ自然吸気2.0Lだったのか

    RF4Cに搭載されたのは、F4R型2.0L直列4気筒自然吸気エンジンです。最高出力は197馬力(後期の一部仕様では200馬力とも表記)、レッドゾーンは7,000rpm超。この時代、すでにフォルクスワーゲンはゴルフGTIにターボを載せていましたし、他の欧州勢もダウンサイジングターボへ舵を切りつつありました。

    にもかかわらずルノー・スポール(以下RS部門)が自然吸気を選んだのには、明確な理由があります。高回転まで淀みなく回るフィーリングと、アクセル操作に対するリニアなレスポンス。これはターボでは得にくい特性です。RS部門は「速さの数値」よりも「操る実感」を優先しました。

    実際、このF4Rエンジンはルノーのモータースポーツ活動から技術がフィードバックされたもので、吸排気系の最適化やバルブタイミングの制御にレース由来の知見が入っています。カタログスペックだけ見れば飛び抜けた数字ではありませんが、回した時の気持ちよさは数字に出ない部分でした。

    カップシャシーという選択肢

    RF4Cを語るうえで外せないのが、カップシャシーの存在です。ルーテシア3 RSには標準シャシーとカップシャシーの2種類が設定されていました。カップシャシーは足回りのバネレートとダンパー減衰力が引き上げられ、車高もわずかに下がっています。

    これは単なる「硬い足」ではありません。RS部門はクリオ・カップというワンメイクレースを長年運営しており、そこで得たセッティングのノウハウをストリートモデルにフィードバックしたものです。要するに、レースの現場で「これがいい」と分かった設定を、市販車にそのまま落とし込んだ仕様なのです。

    日本に正規輸入されたモデルの多くはこのカップシャシー仕様で、乗り心地は確かに硬めです。ただ、路面の情報がシートを通じて的確に伝わってくるという点で、この硬さには意味がありました。快適性を犠牲にしているのではなく、情報量を増やしているという設計思想です。

    シャシーの仕上がりと走りの本質

    ルーテシア3 RSのプラットフォームは、日産と共同開発したBプラットフォームがベースです。先代のクリオRSと比較すると、ボディ剛性は大幅に向上しています。これは単にベース車両が新しくなったからというだけでなく、RS部門がスポット溶接の追加やボディ補強を独自に施した結果でもあります。

    サスペンション形式はフロントがマクファーソンストラット、リアがトーションビーム。リアにトーションビームというと安っぽく聞こえるかもしれませんが、RS部門はこの形式を「軽量でチューニングの自由度が高い」として積極的に採用しています。実際、リアの追従性は驚くほど素直で、コーナー出口でアクセルを開けた時の安定感には定評がありました。

    組み合わされるトランスミッションは6速マニュアルのみ。ATやセミATの設定はありません。この割り切りも、RS部門の姿勢をよく表しています。「この車を選ぶ人は、自分でギアを選びたい人だ」という前提で作られているのです。

    弱点と、時代の壁

    もちろん、完璧な車ではありません。まず、先代の182と比べて車重が増えています。ベース車両の大型化と安全基準の強化により、約100kg近く重くなりました。これは先代の「軽さで勝負する」という美点を一部スポイルしています。

    また、インテリアの質感はルノー車全体の課題でもありました。同価格帯のドイツ車と比べると、スイッチ類の触感や内装の仕立てに物足りなさを感じる人もいたはずです。ただ、RS部門としては「そこにコストをかけるなら足回りに回す」という判断だったのでしょう。優先順位の問題です。

    そして最大の時代的制約は、この車が自然吸気エンジン最後の世代になったということです。後継のルーテシア4 RSは1.6Lターボに切り替わりました。環境規制と効率の要求が、高回転NAという選択肢を許さなくなったのです。

    系譜の中で、何を残したか

    ルーテシア3 RS(RF4C)は、ルノー・スポールのホットハッチ史において「自然吸気時代の到達点」という位置づけになります。先代の172/182が築いた「軽くて楽しい」という評価軸を引き継ぎながら、シャシー剛性や安全性を現代水準に引き上げた。その代償として重量は増えましたが、エンジンの気持ちよさと足回りの完成度で帳尻を合わせた車です。

    後継のルーテシア4 RSはターボ化とデュアルクラッチの採用で、速さの次元を一段上げました。しかし「回して楽しい」という原始的な快感においては、RF4Cの方が上だと感じる人が少なくありません。これは懐古趣味ではなく、エンジン特性の物理的な違いから来る、構造的な差です。

    ルーテシア3 RSは、ホットハッチが「速い小型車」から「精密に仕立てられたドライビングマシン」へと進化する過程の、ちょうど転換点にいた車でした。自然吸気の回転フィールとマニュアルシフトの手応え、そしてカップシャシーの正直な挙動。それらが一台に揃っていたという事実が、この車の存在意義そのものです。

  • ルーテシア R.S./トロフィー – RM5M【EDCが変えたホットハッチの文法】

    ルーテシア R.S./トロフィー – RM5M【EDCが変えたホットハッチの文法】

    ホットハッチからマニュアルトランスミッションを奪ったら、何が残るのか。

    2013年に登場した4代目ルーテシア R.S.(RM5M型)は、まさにその問いを突きつけた一台でした。ルノー・スポールの歴史において、このモデルほど賛否が割れた世代はそうありません。

    ただ、その「なぜ」を掘っていくと、単なる妥協ではない設計思想が見えてきます。

    MTを捨てた理由

    RM5M型ルーテシア R.S.の最大の話題は、6速EDC(エフィシエント・デュアル・クラッチ)の専用設定でした。マニュアルトランスミッションは用意されていません。

    歴代ルーテシア R.S.を愛してきた層にとって、これは衝撃でした。

    ただ、ルノー・スポールがMTを切り捨てたのは気まぐれではありません。当時のルノー・スポール責任者パトリス・ラティは、開発の意図について「速さと効率を両立するために最適な手段を選んだ」と明言しています。要するに、タイムを出すならDCTのほうが速い、という判断です。

    背景にはもうひとつ、市場の現実がありました。欧州のBセグメント・ホットハッチ市場では、すでにVWポロGTIがDSGを主力に据え、フィエスタSTもパワーシフトを選択肢に入れていた時代です。MT原理主義で売れる台数には限りがある。ルノー・スポールは、走りの部門でありながら、ビジネスとしての生存も考えなければならなかったわけです。

    1.6リッター直噴ターボという転換

    エンジンも大きく変わりました。先代のRM型(3代目R.S.)が積んでいたのは2.0リッター自然吸気。あの官能的な高回転型ユニットは、ルーテシア R.S.の核とも言える存在でした。RM5M型ではそれが1.6リッター直4直噴ターボに置き換わります。

    型式はM5M型、日産との共同開発によるアライアンスエンジンです。最高出力は200ps、最大トルクは240Nm。数値だけ見れば先代の201ps/215Nmからトルクが大幅に増えています。ターボ化によって中回転域のトルクが厚くなり、日常域での扱いやすさは明らかに向上しました。

    ただ、ここが評価の分かれ目でもあります。先代の2.0リッターNAは7,100rpmまで回して絞り出す快感があった。RM5M型のターボユニットは実用的だけれど、あの「回す歓び」は薄れています。これは良い悪いではなく、ホットハッチという商品のキャラクターが変わった、ということです。

    シャシーの本気度

    一方で、足回りの作り込みは歴代屈指と言っていいレベルでした。RM5M型は、ルノー・スポール伝統の独立操舵リアアクスルを採用しません。プラットフォームはルノー・日産のCMF-Bではなくその前世代にあたるもので、リアはトーションビーム式です。

    ただし、このトーションビームが「ただの廉価版サス」ではないところがルノー・スポールの面目躍如です。専用チューニングが施され、前後の荷重移動を積極的に使ってノーズを内側に向ける、いわゆる「ハイドロリック・コンプレッション・ストップ」付きのダンパーが奢られています。バンプストップの代わりに油圧式のストッパーを使うことで、ストローク終端の唐突な突き上げを消しつつ、限界域での安定性を確保する仕組みです。

    さらに、R.S.ドライブと呼ばれるモード切替システムで、ノーマル/スポーツ/レースの3段階にエンジンレスポンスやESCの介入度合いを変更できます。レースモードではESCが完全にオフになり、ドライバーの意思がそのまま車両の挙動に反映されます。

    つまり、MTは無くなったけれど、「走りを組み立てる余地」は残されていた。むしろシャシー側の自由度で勝負する、という設計方針だったと見るのが正確でしょう。

    トロフィーという回答

    RM5M型の真価が見えたのは、2015年に追加されたトロフィーグレードでした。出力は220psに引き上げられ、トルクも260Nmへ。数値の差は20ps/20Nmですが、体感上の差はそれ以上です。

    トロフィーでは足回りがさらに締め上げられ、車高も標準R.S.比で若干下がっています。EDCの制御も見直され、シフトスピードが速くなり、レースモードでのブリッピングもより鋭くなりました。ステアリングのギア比も変更されています。

    ニュルブルクリンク北コースでのFF最速タイムを狙う、というルノー・スポールの伝統的なベンチマーク活動も、このトロフィーをベースに行われました。結果として、当時のBセグメントFF市販車として極めて速いラップタイムを記録しています。

    トロフィーの存在は、「EDCでもここまでやれる」という証明であると同時に、標準のR.S.がやや大人しすぎたことの裏返しでもあります。最初からトロフィー相当の味付けで出していれば、ここまで賛否は割れなかったかもしれません。

    日本市場での立ち位置

    日本ではルノー・ジャポンが正規輸入を行い、ルーテシア R.S.として販売されました。本国名のクリオではなく、日本独自の「ルーテシア」名が使われるのは従来どおりです。

    価格帯は300万円前後からスタートし、トロフィーで330万円台。同時期のスイフトスポーツが約180万円、フィエスタSTが未導入だった日本市場では、直接の国産ライバルは少ない状況でした。むしろ比較対象はVWポロGTIやアバルト595で、「ちょっと値は張るけど走りの質が違う」という立ち位置です。

    販売台数は決して多くありませんでしたが、ルノー・スポールのファン層には確実に届いていました。特にトロフィーは入荷のたびに早期完売するケースもあり、分かっている人には刺さるクルマだったのは間違いありません。

    系譜の中で何を残したか

    RM5M型は、ルーテシア R.S.の歴史の中で最も「過渡期」的なモデルです。NAからターボへ、MTからDCTへ。ふたつの大きな転換を同時にやった結果、従来のファンからは「変わりすぎた」と言われました。

    ただ、この世代がなければ次の展開もなかったはずです。後継の5代目ルーテシア世代では、R.S.のスポーツグレード自体がラインナップから外れるという事態になりました。つまりRM5M型は、「従来型ルーテシア R.S.」の最終形態でもあったのです。

    ターボとDCTという時代の要請を受け入れつつ、シャシーの作り込みとトロフィーの過激さで「ルノー・スポールらしさ」を守ろうとした。その姿勢は、結果的に正しかったのか間違っていたのか、まだ答えは出ていません。

    ただひとつ確かなのは、このクルマが最後の「ちゃんとしたルーテシア R.S.」だったということです。そう思うと、EDCだろうがターボだろうが、走らせておくべき一台だったのかもしれません。