カテゴリー: GT-R

  • スカイライン 2000GT-R – PGC10/KPGC10 【Rに勝利の義務を与えた始祖】

    スカイライン 2000GT-R – PGC10/KPGC10 【Rに勝利の義務を与えた始祖】

    スカイライン2000GT-Rは、ただの高性能版スカイラインではありません。

    これは後のR32やR34へ続く「GT-R」という名を、最初に特別なものへ変えたクルマでした。

    日産自身も、1969年2月に登場したPGC10型を、ツーリングカーレースのために生まれた高性能車として位置づけており、見た目はセダンでも中身にはプロトタイプレーサーR380の技術が注ぎ込まれていたと説明しています。  

    出発点は、プリンス由来のレース思想だった

    このクルマの核にあったのは、プリンス時代から続く勝つためのスカイラインという流れです。

    日産ヘリテージでは、PGC10型GT-Rを「量産車世界初の4バルブDOHCエンジンを搭載したツーリングカーレース用高性能セダン」と説明しています。

    つまりGT-Rは、上級グレードとして生まれたのではなく、最初からレースで勝つための理屈を持った特別なスカイラインだったわけです。  

    このクルマが特別たる所以『S20』エンジン

    スカイライン2000GT-Rを語るうえで外せないのがS20エンジンです。

    日産公式によれば、この2.0L直列6気筒4バルブDOHCはR380用エンジンの技術を量産車向けに落とし込んだもので、160psを発生していました。

    後にフェアレディZ432にも載るこのS20こそが、当時の国産車の中でGT-Rを明確に異質な存在へ押し上げた中心でした。

    OHVやSOHCが主流の時代に、GT-Rは最初から本気のDOHC高回転ユニットを持っていたんです。  

    PGC10は、4ドアの姿でいきなり無敵になった

    最初のGT-Rは1969年登場の4ドアセダン、PGC10でした。

    今の感覚だとGT-Rの始祖が4ドアというのは意外ですが、ここが逆に効いている。見た目はあくまでスカイラインの延長なのに、中身は完全にレース寄り。

    日産グローバルはこのPGC10について、国内ツーリングカーレースで「インクレディブル」、つまり無敵の強さを誇ったと説明しています。

    GT-R神話は、最初から派手なスポーツカーとして始まったのではなく、セダンの顔をした異常に強いレースベース車として始まったわけです。  

    初陣から既にGT-Rらしい

    面白いのは、GT-Rの初陣が圧勝ではなかったことです。

    1969年のJAFグランプリでGT-Rは初勝利を挙げますが、日産ヘリテージはこれを「判定勝ち」であり、後の怒涛の強さから見ると薄氷を踏むような一戦だったと記しています。

    つまりGT-Rは、最初から完成していたわけではない。でもその苦しい初勝利が、その妥協を許さない姿勢が、その後の49連勝を含む52勝の始まりになった。ここがすごくGT-Rっぽいです。  

    KPGC10で、GT-Rは記号として完成した

    1970年になると、GT-Rは2ドアハードトップのKPGC10へ進化します。

    しかもただ2ドア化しただけではなく、ホイールベースを70mm短縮し、ボディのダウンサイジングで20kg以上軽量化していた。

    日産はさらに、KPGC10に100L燃料タンクやリクライニング機構を持たないフルバケットシート、快適装備を省いたスパルタンな内装が与えられていたと説明しています。

    つまりKPGC10は、ただ見た目がかっこよくなったGT-Rではなく、より勝つことへ寄せたGT-Rでした。  

    全てが勝つ方向を向いていたクルマ

    スカイライン2000GT-Rの強みは、何か一つだけではありません。

    R380由来のS20、5速MT、競技を前提にした車体、そしてKPGC10ではさらに短いホイールベースと軽量化。全部がバラバラに高性能なのではなく、全部が「国内ツーリングカーで勝つ」という一点に向かって揃っていた。

    だからGT-Rは、エンジンだけ速いクルマでも、見た目だけ特別なクルマでもなかった。速い理由が、ちゃんと車全体にあったんです。  

    連勝で名前をブランドに変えた

    このクルマを特別にした決定打は、やはり勝利の数です。

    日産公式では、PGC10とKPGC10を合わせたGT-Rは1972年3月に国内ツーリングカーレース通算50勝を達成し、同年10月にワークス活動を休止するまでに通算52勝を挙げたとされています。

    さらに別のヘリテージ記述では、その中には49連勝が含まれていた。GT-Rという名は、最初から神格化されたブランドだったのではなく、この勝利の積み重ねでブランドへ変わったわけです。  

    GT-R神話の始祖

    ハコスカGT-Rが今でも別格扱いされるのは、単に古い名車だからではありません。

    このクルマは、まだGT-Rが神話になる前に、その神話そのものを作った側にいる。

    R32は復活の英雄で、R34は完成度の象徴だけど、PGC10/KPGC10はそもそも「GT-Rとは何か」の原文です。

    セダンの姿から始まり、2ドアでさらに尖り、最後は52勝という数字で名前を固定した。

    GT-Rが後の世代までずっと「速くなければならない」名前になったのは、ここで最初に勝ちすぎたから。これは史実というより評価ですが、かなり本質に近いと思います。  

    まとめ

    スカイライン2000GT-Rを一言でいえば、GT-Rという名前を、勝利でブランドへ変えた始祖です。

    PGC10は、4ドアの姿で無敵を証明した最初のGT-R。

    KPGC10は、その強さをさらに研ぎ澄ませた2ドアのGT-R。

    そして両方に共通するのは、ただ速いだけじゃなく、勝つための理屈を量産車の形に押し込んでいたことです。

    GT-Rの歴史はここから始まった。そして、ここでいきなり名前が重くなりすぎた

    後のGT-Rたちは、この伝説である最初の52勝と「R」のエンブレムに呪われ続けることとなるのです。

  • スカイライン 2000GT-R – KPGC110 【勝つはずが、時代に封じられた幻のGT-R】

    スカイライン 2000GT-R – KPGC110 【勝つはずが、時代に封じられた幻のGT-R】

    ケンメリGT-RことKPGC110型スカイライン2000GT-Rは、1973年1月に登場した二代目GT-Rです。

    ベースは「ケンとメリーのスカイライン」の愛称で大ヒットした4代目C110型スカイライン。そのトップモデルとして追加されたのがこのGT-Rでした。

    けれど日産ヘリテージがはっきり書いている通り、このGT-Rはツーリングカーレースへの参加がなく、販売期間も1973年1月からわずか4か月で終了。総生産も200台足らずにとどまり、今なお「幻のGT-R」と呼ばれています。  

    出発点はハコスカGT-R

    ケンメリGT-Rは、余り物の延命モデルみたいに見てしまうととてももったいないです。

    実際には、ハコスカGT-Rが築いた流れをきちんと受け継ぐ後継車として企画されたモデルでした。日産グローバルのヘリテージでも、初代PGC10/KPGC10が国内ツーリングカーで50勝を達成した流れの中に、このKPGC110が位置づけられている。

    つまりケンメリGT-Rは、本来ならハコスカの次に勝つGT-Rになるはず…そのために生まれてきたGT-Rなのです。

    心臓部は変わらずS20、中身は正常進化

    搭載エンジンはもちろん名機S20型。

    2.0L直列6気筒4バルブDOHCで、最高出力160ps/7000rpm、最大トルク177N・m/5600rpm。

    ここだけ見るとハコスカGT-Rからの継続に見えるけれど、日産ヘリテージはケンメリGT-Rについて、吸気側エアダクトの変更や4輪ディスクブレーキ化など、先代GT-Rより進化したメカニズムを備えていたと明記しています。

    要するにKPGC110は、単なる「C110の顔をしたハコスカGT-R」ではなく、ちゃんと次世代GT-Rとして手を入れられていたわけですね。

    ただの最上級グレードでは終わらない

    ケンメリGT-Rの外観が特別なのも、ちゃんと意味があります。

    日産公式によれば、通常のスカイラインとは異なるメッシュタイプのフロントグリル、ワイドタイヤを収めるためフロントにも追加されたオーバーフェンダー、さらに当時としては異例だったリアスポイラーまで標準装備していた。

    つまりこのクルマは、快適なパーソナルカーとして人気を得たケンメリの中にあって、見た目からして明確に競技の匂いを持つ存在だったわけです。

    華やかなケンとメリーのスカイラインの中に、やたらと本気なGT-Rが混ざっていているのが、とても良い。

    サーキットへ出る前に「時代が変わった」

    ケンメリGT-Rを特別にしている最大の理由はここです。

    このモデルですが、1973年1月から4月までのたった4か月しか生産されず、総生産がわずか200台未満に終わってしまうのです。

    日産はこの理由を当時の排出ガス規制の影響だと説明しています。

    ハコスカGT-Rのように勝ち続ける前に、GT-Rそのものを続けられない時代が来てしまった。

    だからケンメリGT-Rは、速さで伝説になったのではなく、走る前に終わったこと自体が伝説になったGT-Rなんです。  

    それでも「幻」だけで終わらない理由がある

    このクルマの評価が単なる希少車で終わらないのは、ちゃんとGT-Rとして進化していたからです。

    日産ヘリテージは、販売期間の短さやレース不参加だけでなく、メカ面の進化にも触れている。4輪ディスク、吸気系の見直し、専用外装、そしてGT-RとしてのS20継続。

    つまりケンメリGT-Rは「出られなかっただけ」であって、「本気じゃなかった」わけではない。ケンメリGT-Rは伊達じゃない

    本気で作られたのに本気を見せる場を失ったGT-Rだった。だから物語としても非常に重い。  

    ハコスカ直系でありながら洗練されていた

    ケンメリGT-Rの強みを言うなら、ハコスカの文法を保ったまま、より洗練されたGT-Rになっていたことです。

    S20を核にしつつ、シャシーや制動系、吸気系、外観の空力処理まで見直されている。ボディはC110世代らしく少し洗練され、GT-Rとしての見せ方も一段と明確になった。ハコスカGT-Rがレースで勝つための荒々しい始祖なら、ケンメリGT-Rはその次に来るべき、より完成されたGT-Rだったはずです。

    実戦投入がなかったから証明の機会を失っただけで、素性まで薄かったわけじゃない。  

    GT-R史の空白そのものでもある

    GT-Rの系譜で見ると、ケンメリGT-Rはかなり不思議な立場にいます。

    初代ハコスカGT-Rが52勝で名を作り、その次のKPGC110はほとんど走ることなく姿を消す。

    そしてGT-Rの名はそこから長い沈黙に入り、次に復活するのは16年という長い年月を経て登場するR32です。

    つまりケンメリGT-Rは、GT-Rの歴史をつないだモデルであると同時に、GT-R不在の時代を生んだ最後のGT-Rでもある。二代目なのに、存在の意味がやたらと大きい。  

    なぜ今でも別格なのか

    ケンメリGT-Rが今でも別格扱いされるのは、単に台数が少ないからではありません。

    総生産200台足らずという希少性はもちろん大きい。でも本質はそこだけじゃない。

    GT-Rが「勝利のブランド」になりかけた瞬間に、時代の側から打ち切られた存在です。だから見る側はどうしても想像してしまう。

    「もしレースへ出ていたらどうだったのか」

    「もし排ガス規制の時代がもう少し遅ければどうなったのか」

    ケンメリGT-Rの価値は、実績だけではなく、その未完の大きさにあります。  

    まとめ

    ケンメリGT-Rを一言でいえば、

    勝つはずだったのに、時代に封じられた未完のGT-Rです。  

    ハコスカがGT-Rの名前を勝利で作った。

    ケンメリは、その名前を次の時代へ運ぶはずだった。

    でも現実には、わずか4か月・200台足らずで終わった。  

    だからこそKPGC110は、速さを証明したGT-Rではなく、証明する機会そのものを奪われたGT-Rとして、DNAの中でも異質な存在感を放っているのです。

  • スカイライン GT-R – BNR32 【16年の沈黙を破り、復活した不敗神話】

    スカイライン GT-R – BNR32 【16年の沈黙を破り、復活した不敗神話】

    BNR32型スカイラインGT-Rは、1989年8月に登場した16年ぶりのGT-Rです。

    R32型スカイライン自体は1989年5月発売ですが、その3か月後にGT-Rが追加され、日産自身もこれを「大きな話題を呼んだ16年ぶりの復活」と説明しています。

    ケンメリGT-R以来長く封印されていたGT-Rの名を、ただ懐古で終わらせず、現役の最強格として復活させたのがこのR32でした。  

    最初から「勝てるGT-R」を作ることだった

    R32を語るうえで大事なのは、やはりこれも単なる高性能スカイラインではなかったことです。

    日産ヘリテージは、GT-Rのために専用設計された2.6L直列6気筒DOHCツインターボ「RB26DETT」を搭載し、さらにFRベースながら電子制御トルクスプリット4WDのアテーサE-TS、新開発4輪マルチリンクサスペンションまで与えたと説明しています。

    つまりR32 GT-Rは、GT-Rの名前を復活させるために必要な中身を最初から全部揃えてきたクルマでした。

    見た目はスカイラインでも、思想は完全に16年前と同じ「勝つためのGT-R」だったのです。

    RB26DETTは、復活したGT-Rの顔そのもの

    心臓部の名機RB26DETTは、R32を象徴するメカです。

    排気量は2,568cc、最高出力は280ps、最大トルクは353N・m。当時の日本メーカー自主規制いっぱいの280馬力で登場し、しかもその数字以上の余裕を感じさせる直6ツインターボとして、R32の存在感を決定づけました。

    GT-Rの名を背負う以上、エンジンが普通では話にならない。

    その点でRB26DETTは、ハコスカ時代のS20に対する当時の回答だったと言えるでしょう。

    R32をただのハイパワー車ではない

    R32が本当にすごかったのは、エンジンだけではありません。

    日産はこのクルマに、電子制御で前後輪へ自在に駆動力を配分するアテーサE-TSを採用しました。後輪駆動ベースの気持ちよさを残しつつ、必要な時だけ前輪にも駆動を送るこの4WDシステムは、パワーを路面へ確実に落とすための武器でした。

    しかも近年語られたR32 EV開発ストーリーにて、当時のアテーサE-TSが全天候でのトラクションと安定性に大きく寄与したこと、最大で前後50:50までトルク配分できたことがあらためて語られています。

    R32の強さは、単にパワーがあることではなく、そのパワーを勝てる形で使えることにありました。  

    セダン派生モデルの限界を突破する本気のシャシー

    さらにR32 GT-Rは足まわりまで抜かりがない。

    日産ヘリテージは、サスペンションを新開発4輪マルチリンクに一新し、「セダン派生型スポーツカーとしては世界トップクラスの運動性能」を実現したとまで書いています。

    ここが重要で、R32はスカイラインの特別版という枠を、最初から超えるつもりで作られていた。

    GT-R復活の看板だけ掲げて中身が伴わない、なんて逃げ道は最初からなかったわけです。  

    実戦では、本当に負けなかった

    そしてR32を伝説にした決定打が、やっぱりレース実績ですね。本当にすごいですこのGT-Rという名前。

    R32 GT-Rは1990年から1993年までの全日本ツーリングカー選手権で4シーズン29戦29勝0敗という完璧な成績を残しました。さらにベルギー・スパ24時間など海外でも高く評価され、グループA仕様のカルソニックGT-Rは1990年の全日本ツーリングカー選手権シリーズチャンピオンにもなっています。

    GT-Rの名前はハコスカで作られたけど、R32はその名前が今の時代でも通用するどころか、やっぱり最前線で勝てることをもう一度証明したんです。  

    R32は復刻ではなく「再定義」

    ここがR32のいちばん大きいところです。

    16年ぶりのGT-R復活なんて、普通なら懐かしさで終わる可能性もあった。でもR32はそうならなかった。

    RB26DETT、アテーサE-TS、マルチリンク、そして実戦での圧勝。この組み合わせで、GT-Rという名前を昔速かったクルマではなく、今いちばん勝つための名前へ更新してしまった。

    R32は復活したGT-Rというより、GT-Rというブランドを現代仕様に再定義した一台です。  

    ドライバーズカーとしての芯

    日産のR32 EV企画の記事では、1989年当時R32 GT-Rの評価・熟成に関わった加藤博義氏が試乗フィードバックを行っていることが明記されています。

    そこでは、R32 EV側もオリジナルを上回ることではなく、R32 GT-Rが持っていた魅力と動的性能を再現することを狙っていると説明されている。

    これは逆に言えば、当時からR32の本質が単なるスペック表の数字の大きさではなく、真のドライバーズカーとして成立していたからこそ出てくる話です。  

    すべてが速さのために噛み合っていた

    R32 GT-Rの強みを一言で言えば、勝つための要素が全部高い次元で噛み合っていたことです。

    RB26DETTの余裕ある直6ツインターボ。

    アテーサE-TSの圧倒的なトラクション。

    4輪マルチリンクによる高い運動性能。

    そしてそれを証明する29戦29勝。

    どれか一つだけが突出したクルマではない。全部が同じ方向を向いていたから、R32はただ速いだけでなく、異様に強かった。だから「ゴジラ」なんて呼ばれ方までされたわけです。

    大げさに見えて、実際はそこまで大げさでもない。  

    GT-Rを復活させた英雄

    R32が今でも別格なのは、後のGT-Rの基準をほぼ全部作ってしまったからです。

    直6ツインターボ、先進4WD、レースでの圧倒、そして「GT-Rなら勝って当然」という空気。これ以降のGT-Rは、速いだけじゃ足りなくなった。

    R33もR34もR35も、全部このR32が作ったハードルの上で評価されることになる。ハコスカがGT-R神話の始祖なら、R32はその神話を現代に再起動した英雄でしょう。

    まとめ

    BNR32スカイラインGT-Rを一言でいえば、

    16年の沈黙を破って、GT-Rを再び「勝つ名前」に戻した復活の英雄です。

    RB26DETTは象徴。

    アテーサE-TSは武器。

    29戦29勝は証明。

    そしてこの全部によって、R32はGT-Rを過去の伝説ではなく、当時進行形の最強ブランドに戻してしまった。

    GT-R史の中でも、R32が起こした影響は間違いなく最強の名にふさわしいものです。