カテゴリー: ランエボ

  • ランサーエボリューションVI – CP9A 【熟成で勝ち切った、グループAランエボの完成形】

    ランサーエボリューションVI – CP9A 【熟成で勝ち切った、グループAランエボの完成形】

    この世代、先代から派手に変えたわけではありません。

    むしろエボVIは、エボVで掴んだ正解をさらに研ぎ澄まし、勝つために必要な部分を徹底して詰めた一台でした。

    1999年1月に登場したランサーエボリューションVIは、1999年のWRCレギュレーション変更、とくに空力パーツ寸法の見直しに対応しつつ、エンジン冷却性能の大幅な改善を狙って開発されたモデル。三菱公式ヒストリーでも、エボ6は「空力」と「冷却」の見直しが大きな柱だったと明記されています。  

    第二世代ランエボの集大成

    エボVIはエボIVから続く第二世代ランエボの集大成でした。

    AYCや4G63ターボ、機械としての濃さはそのままに、ラリー現場の要求をさらに色濃く反映させた結果、見た目の迫力だけでなく中身の実戦度も一段上がることとなります。

    三菱のWRC史から見ても、エボ6は市販車とグループAラリーカーを同時に進化させたモデルであり、まさに競技と市販の距離が近かった時代の象徴でもあるのです。

    エボVの延長ではなく、勝つのアップデート

    エボVIの基本骨格はエボVを踏襲しています。

    ただし中身は「そのまま」ではありません。WRC現場から逆算して、熱対策と空力を実戦向けに再整理したのがエボ6の本質なのです。

    外観上でわかりやすい変更は、中央からずらされたナンバープレート、小型化されて隅へ移されたフォグランプ、オイルクーラーベンチレーター、エアブローダクト、そして角度調整式のウィッカービル付きツインウイングのリアスポイラーあたり。

    要するに全部意味がある。飾りではなく、空気を通すため、熱を逃がすため、姿勢を作るための変更でした。  

    足まわりも更に本気に

    フロントはロールセンターを下げ、リアはアルミアームの採用とリバウンドストローク延長で旋回性能を改善。

    さらにRS競技ベース車には、量産車として世界初とされるチタン合金タービンのターボを採用し、レスポンスと高回転域の伸びを高めてきます。

    見た目がマッチョになっただけのマイナーチェンジではなく、あくまで「勝つための熟成型」としての変更となります。 

    求められたのは「悪条件でも崩れにくい」こと

    エボ6の強みを一言でいえば、速さそのものより「競技での総合完成度」です。

    まず冷却。

    エボ6はエボ5比で明確に熱対策へ踏み込んでいる。ラリーや全開走行では、パワーそのものより熱ダレしないことがタイムに効く。前まわりの開口部処理や補器冷却の見直しは、そのまま信頼性と連続性能につながります。  

    次に空力。

    1999年WRCの公式ヒストリーでは、エボ6最大の違いは空力パッケージだとされている。つまり三菱自身が、エボ6の進化点をまずエアロに置いていたということだ。大きな羽を付けて迫力を出したかったのではない。高速域や荒れた路面で車体を落ち着かせるために必要でした。  

    そしてシャシー。

    AYCを軸とした四駆制御と、前後サスペンションの細かな煮詰めによって、エボ6は“曲げてから踏める”感覚が強い。

    ランエボは昔からパワーで押し切るクルマだと思われがちですが、実際には前が入り、向きが変わり、四駆で引っ張り出す一連の流れが速さの源泉でした。

    エボVIはその流れがかなり完成に近いところにあったのです。

    グループAランエボの栄光を極めた世代

    エボVIが特別視される理由は、市販車としての出来だけでは語れません。

    競技の戦績が、あまりにも強すぎたのです。

    三菱公式WRCヒストリーによれば、1999年のエボVIは市販車とグループAラリーカーが同時にデビューし、その年の三菱はモンテカルロ、スウェディッシュ、ニュージーランド、サンレモなどで勝利。

    三菱はこの時代、すでにWRCがワールドラリーカー規定へ移っていたにもかかわらず、純グループAでタイトルを争い続けていました。

    公式も1999年を、グループAランサーエボリューションにとっての栄光の瞬間として振り返っています。

    翌2000年もエボVIはモンテカルロで勝利し、高い競争力を維持。サスペンションの改良を続けながら戦っていたことも三菱公式に記されています。

    つまりエボ6は、単に“人気の旧車”ではなく、世界選手権の最前線で実際に結果を出し続けたモデルでした。

    「伝説化」ではなく、当事者の時代だった

    三菱のWRC全盛期については、当時ランサーエボリューションの車体開発全般に携わった田中泰男氏へのインタビューがあり、4連覇時代の舞台裏を振り返っています。

    エボVIは、後年の評論で神格化された一台というより、まさに当事者たちが実戦で磨き込んでいた時代の中心車種でした。

    また、エボVIの価値を決定づけた出来事として外せないのが、トミー・マキネンの4年連続ドライバーズタイトルを記念したトミー・マキネン・エディションの存在です。

    三菱公式ヒストリーでは、専用意匠だけでなく、舗装路向けにエンジンとハンドリングを調整し、車高を10mm下げ、フロントストラットタワーバーやクイックステアリングで応答性を高めたとされます。

    あれは単なる記念車ではなく、勝者の文脈をそのまま市販車へ封じ込めた一台でした。

    エボ6とは何者だったのか?

    エボ4が技術投入の転機、エボ5がワイド化と本格進化の象徴なら、エボ6はその成果を競技レベルで完成させたモデルです。

    だからエボ6は、後から見ると地味に見えるかもしれない。

    ベースを大きく変えたわけでもないし、新機構をこれでもかと増やしたわけでもない。しかし実際には、必要なところを必要なだけ進化させた結果、ランエボという車名の信頼を決定づけた。そういう一台なのです。

    速いだけじゃない。

    熱に強い、姿勢が乱れにくい、踏める、曲がる、荒れた状況でも戦える。

    エボ6は、ランエボが「勝つための四駆ターボ」だったことを最も濃く証明したモデルと言えるでしょう。

  • ランサーエボリューションIV – CN9A 【変態技術で曲がる次世代のエボ】

    ランサーエボリューションIV – CN9A 【変態技術で曲がる次世代のエボ】

    ランサーエボリューションIVは、1996年8月に登場した四代目ランエボです。

    三菱自動車の公式車史でも、この代からランサー自体がフルモデルチェンジを受けた「第2世代」に入ったことが示されており、エボIVはその新しい器に合わせて生まれた最初のエボでした。

    つまりこれは、エボIIIの延長線上の小改良ではなく、プラットフォームごと更新して次の時代へ入ったランエボだったわけです。  

    エボは既に勝てるクルマだった

    エボIIIまででランエボは、4G63ターボ、4WD、年ごとの実戦フィードバックでかなり強いシリーズになっていました。

    そして1996年WRCではエボIIIで5勝を挙げ、トミ・マキネンがドライバーズタイトルを獲得している。

    そんな中で出てきたエボIVに求められたのは、初期エボの熟成ではなく、勝てることが分かったランエボを、もっと高い次元へ押し上げることでした。

    「Active Yaw Control」 を世界初搭載

    この世代を象徴するのは、やっぱりAYCです。

    三菱公式は、AYC(Active Yaw Control)を「走行状況に応じて後輪左右のトルク差をコントロールし、車体に働くヨーモーメントを制御して旋回性能を向上するシステム」と説明しており、しかも1996年8月発売のランサーエボリューションIVに世界で初めて採用したと明記しています。

    ここがエボIVの最大の意味で、ただグリップで曲がる四駆ではなく、電子制御で積極的に向きを変える四駆へ進化した。ランエボの文法が、ここで一段変わったんです。  

    積極的に曲がる仕組み

    だからエボIVは、単に速いだけじゃなく「曲がり方」が新しい。

    それまでのランエボも十分速かったんですが、エボIVは後輪左右の駆動配分でヨーを作るという新しい答えを持ち込みました。

    ラリーの現場では、速い四駆であるだけでは足りない。どれだけ早くノーズを向け、どれだけ早く次の加速に移れるかが効いてくる。

    AYCはそこを狙い撃ちしていて、エボIVはランエボが「ハイテクで速い」方向へ本格的に舵を切った最初の一台でした。  

    親の顔より見た4G63

    心臓部は引き続き4G63です。

    WRC 1997の三菱公式ページでは、エボIV競技車のスペックとして4G63 1,997ccターボ、290ps、50kg-mが示されています。

    市販車と競技車をそのまま同列にはできないけれど、少なくともこの世代の4G63が、シリーズ初期よりさらに濃い戦闘力へ踏み込んでいたことははっきりしている。

    つまりエボIVは、AYCみたいな新機構だけが目玉ではなく、4G63そのものもまだまだ主役であり続けていた世代です。  

    ボディを新調したエボIV

    しかもこの世代は、ボディそのものが新しくなっている。

    第2世代ランサーをベースにしたエボIVは、I〜IIIの延長に見えて、土台はかなり違う。

    新しいボディへ合わせて、メカも制御も刷新してくるからこそ、エボIVは「IV」というより「第二章の1作目」として見るとしっくりくる。

    エボIIIまでの流れを一度畳んで、ここからランエボはより洗練され、より複雑で、より速い四駆になっていく。  

    WRCでもいつも通り強い

    実戦でも、エボIVはちゃんとその価値を証明しています。

    三菱の1997年WRCページによれば、エボIVはモンテカルロ3位、スウェディッシュ3位、サファリ2位と序盤から安定して上位に入り、ポルトガル、カタルーニャ、アルゼンチン、1000湖で優勝。

    結果としてトミー・マキネンは2年連続でドライバーズタイトルを防衛しました。

    特にカタルーニャは、三菱にとって初のターマックラリー優勝だったと公式が説明していて、これがかなり大きい。

    エボIVは、グラベル番長ではなく、オールラウンダーへ進化したランエボでもあったわけです。  

    ターマックでも好成績を残した意味

    このターマックでも勝てたという事実はかなり重いです。

    三菱公式は、1997年カタルーニャでの優勝について「これが三菱自動車にとって初の舗装路ラリー優勝であり、ランサーエボリューションがあらゆる路面に対応できるオールラウンダーへ進化したことを明確に示した」と説明しています。

    ここがエボIVの本質をかなりよく表している。エボIIIまでのランエボは「強いラリー車」だった。でもエボIVで、どこでも勝てるラリー車へ一段上がった。  

    強すぎて何年も使われた

    さらに1998年も、エボIVはまだ主役でした。

    三菱の1998年WRCページによれば、この年から三菱はついにワークスマシン2台で全14戦フル参戦を開始し、開幕戦モンテカルロでも前年のチャンピオンカーであるグループA仕様ランサーエボリューションIVを投入しています。

    そしてスウェディッシュ、サファリでなんと優勝を記録。

    つまりエボIVは1997年だけの当たり車ではなく、翌年のフル参戦体制の基盤も支えた。本当に強いから翌年も使われたというのは、かなり説得力があります。  

    元々強かったエボにAYCが加わった

    4G63ターボ4WDという強い骨格に、AYCという新しい頭脳を載せたことです。4G63のパワー、4WDのトラクション、そしてAYCによる積極的な旋回制御。この組み合わせでエボIVは、ラリーだけの車からサーキットでも速い車として一歩抜けた。

    ランエボが後年までずっと曲がる四駆として語られる土台は、ここで醸成されたものなのです。

    エボIVのシリーズへの貢献  

    だからエボIVは、シリーズの中でもかなり重要なモデルです。

    エボI〜IIIは、毎年まっすぐ強くなっていく初期ランエボの物語でした。そこからエボIVで、ランエボは一度ステージを変えます。

    フルモデルチェンジした新型ランサー、新しい制御思想、ターマック勝利、連続王座。こいつは単なる四代目じゃない。ランエボが“世界王者のハイテク四駆”へ本格進化した起点なんだと思います。  

    まとめ

    まとめると、ランサーエボリューションIVは、

    初期エボを脱ぎ捨てて、ハイテクで曲がるランエボへ進化した第二世代の起点です。

    AYCという革命、そしていつもの4G63、1997年WRCの4勝と連続タイトルはその証明。エボIIIまでが「ラリー直結の鋭い進化」なら、エボIVはそこに電子制御で勝ち方を増やした世代でした。  

    次のエボVについても、ここからさらにブラッシュアップを重ねられて強化されることとなります。

  • ランサーエボリューションV – CP9A 【WRカーにグループAのまま殴り合う本気のエボ】

    ランサーエボリューションV – CP9A 【WRカーにグループAのまま殴り合う本気のエボ】

    ランサーエボリューションVは、1998年1月に登場した五代目ランエボです。

    三菱公式の車史では、1997年にFIAがより広範囲な改造を認めるWRカー規定を導入した中でも、三菱は従来のグループA参戦を継続し、「性能向上に必要な技術要件は量産車に盛り込む」という方針のもとでエボVを投入したとはっきり説明しています。

    つまりエボVは、レギュレーションで不利になったグループAのまま、不利な条件ごと量産車ベースで勝ちに行くための回答だったわけです。  

    今考えてもイカれているというか、三菱のランエボに対しての信頼が厚すぎて笑えますねこれ。

    土俵が変わった結果の攻め仕様

    エボIVでAYCを導入し、1997年にはトミ・マキネンが2年連続王者を獲得、さらに三菱は初のターマック勝利まで手にしていました。

    そんな中で出てきたエボVに求められたのは、ただタイトル防衛をすることではありません。

    WRカー時代でもまだグループAで戦えると証明することでした。

    だからエボVは正常進化というより、勝利の条件が変わった中で、ランエボ側も明確に戦闘力を引き上げた世代なんです。  

    三菱、鬼のワイドトレッド化

    この世代を象徴するのは、やっぱりワイドトレッド化だ。

    三菱公式は、エボVの主な強化点として「前後トレッドを大幅に拡大」したことを明記している。さらに英語版WRCの公式サイトでも、1998年カタルーニャで投入された新グループA仕様エボVの主な強化点は“wider track”だったと説明されている。

    ここがすごくエボVらしい。電子制御だけで勝つんじゃなく、まず土台を広げて、もっと踏める、もっと曲がれる、もっと安定するクルマにした。見た目の迫力が増したのも、ちゃんと競技の必然から来ている。  

    足回りも着実に強化

    しかも足まわりもかなり本気になっています。

    公式車史では、フロントに倒立式ストラットを採用し、タイヤも225/45ZR17へ拡大したとあります。ブレンボ製キャリパーまで採用され、制動性能も大幅に向上しました。

    つまりエボVは、パワーだけ上げたモデルではありません。

    ワイド化したボディに対し、タイヤ、足、ブレーキまで全部まとめて引き上げている。「速く走るための一式」が一気に太くなった世代だ。  

    安心と信頼の4G63もしっかり進化

    三菱公式によれば、ピストン軽量化やターボチャージャーのノズル面積拡大によって、最大トルクは38.0kg-mまで増大した。

    エボVはトルクの強化が大きく、単純な最高出力の数字遊びというより、ラリーで実際に使う中間域や立ち上がりの強さまで含めて詰めてきた感じが強いです。

    ワイド化した車体と足、そして太くなったトルクが噛み合うことで、エボVは「速いエボ」から「踏み切れるエボ」へ寄っていくこととなります。

    見た目以上に強化された空力と冷却

    三菱公式は、アルミ製フロントブリスターフェンダー、リアオーバーフェンダー、迎角調整式アルミ製リアスポイラーなどで、空力性能と冷却性能も改善したと説明しています。

    だからエボVのワイドで厳つい見た目は、単なる演出じゃない。

    WRカー相手にグループAで勝つため、必要なものがそのまま外観へ出てきた姿なんです。エボIIIで“ランエボ顔”が濃くなったなら、エボVでは「ランエボの本気顔」が完成した感じがありますね。  

    毎度はしっかり結果を出すランエボ

    1998年WRCでは、開幕からエボIVで戦い、スウェディッシュとサファリで優勝。その後、第5戦カタルーニャで新しいグループA仕様エボVがデビューし、マキネンはその初陣を3位でまとめたあと、第7戦アルゼンチンで3年連続優勝を達成しています。

    さらにその年、トミー・マキネンは3年連続のドライバーズタイトルを獲得し、三菱は初のマニュファクチャラーズタイトルも手にした。つまりエボVは、見た目も中身も派手になっただけじゃなく、ちゃんと王座を決めたクルマでした。  

    マニュファクチャラーズタイトルの獲得

    この「三菱初のマニュファクチャラーズタイトル」はかなり重い。

    ドライバーが速いだけでは取れないし、車が1台だけ当たっても届かない。チーム、車両、年間の総合力が揃って初めて獲れる。

    エボVはその年のタイトルを通して、ランエボが単なる名物グレードじゃなく、三菱のラリー活動そのものを代表する勝利の量産車になったことを証明した。  

    どんな土俵でも戦い抜けるエボ

    AYC世代のランエボを、ワイドトレッドと足とブレーキと空力で本当に勝ち切れる形へ押し上げたことです。

    ワイド化した土台、225タイヤ、倒立ストラット、ブレンボ、増したトルク、調整式リアスポイラー。どれか一つの飛び道具じゃない。

    全部を同じ方向へ太らせたことで、WRカー時代のグループAでも戦い抜ける厚みを持ったのがエボVでした。  

    「本気」のエボ

    エボIVがハイテクで曲がる第二世代の起点なら、エボVはその技術を「勝つための体格」にまで広げた世代。ランエボが「曲がる四駆」として語られるだけでなく、「ワイドで厳つくて本当に速い四駆」として強烈な記号性を持ちはじめたのは、ここからだと思います。

    まとめ

    WRカー時代に、あえてグループAのまま殴り勝つためにワイド化した本気のエボです。

    ワイドトレッドは土台の強化、ブレンボと17インチは武装、増えたトルクは実戦力、そして1998年のドライバーズ&マニュファクチャラーズ戴冠はその証明。

    エボIVが革命なら、エボVはその革命をチャンピオン仕様に仕上げた世代でした。  

    次のエボVIは、このエボVをベースに空力をさらにラリー特化で煮詰めた完成版となります。

  • ギャラン VR-4 – E38A/E39A【後のランエボを作った4WDターボ】

    ギャラン VR-4 – E38A/E39A【後のランエボを作った4WDターボ】

    ギャランVR-4は、1987年12月に登場した高性能4WDセダンです。

    三菱公式の会社史では、このVR-4は4G63 DOHCインタークーラーターボを搭載し、205ps/6000rpmを発生すると説明されています。

    しかも単なる速い上級グレードではなく、フルタイム4WDと4WSまで組み合わせた当時の三菱のフラッグシップモデルでした。

    つまりギャランVR-4は、後からラリーに使われたのではなく、最初から「技術の全部入り」で世に出た高性能セダンなわけです。

    「グループAで世界と戦うクルマ」

    このクルマの意味は、市販車の豪華さだけでは足りません。

    新型ギャランが1987年10月に登場した後、その高性能版であるギャランVR-4を武器に、三菱は1988年から5年ぶりにWRCへ本格復帰します。

    ワークスとセミワークスの二本立てで参戦し、ヨーロッパ戦線とアジア・パシフィックの両方を睨んでいました。

    つまりVR-4は、三菱が“国内で速いクルマ”を作った話ではなく、世界ラリー選手権で戦う前提のグループAベース車として出てきたクルマだったわけです。  

    名機4G63が、この先の三菱を決めてしまった

    ギャランVR-4、そしてランエボすらも語るうえで外せないのが4G63です。

    WRCアーカイブでは、グループAの厳しい規則下でも、この4G63エンジンは競技仕様でキャリア初期から300馬力超を発揮していたと説明されています。

    さらに1990年ダカールのページでも、当時WRCを戦っていたギャランVR-4の4G63は300PS、45kg-m級の性能を持っていたとされています。

    要するに4G63は後のランエボで神格化される前から、すでにギャランVR-4の時点で世界と戦えるターボだったんです。

    ランエボの強さは突然生えたものではなく、既にこの時点で作られていたんですね。

    4WDと4WSまで持ち込んだ

    ギャランVR-4の面白さは、ただのターボ四駆で終わらないこと。

    このクルマはフルタイム4WDに加えて4WSまで備え、当時大きな注目を集めました。ここがすごく80年代末の旗艦モデルらしい。

    後のランエボのような「軽量・戦闘的・ラリー直結」というより、VR-4はまず三菱が持てるハイテクを全部投入して、世界で勝てるセダンを成立させようとしたクルマでした。

    やや大柄で重さもあるが、その代わりスケールの大きい速さと安定感を持っていたんです。

    実戦では、ちゃんと世界で勝っている

    ここがVR-4の重み。

    三菱のWRCアーカイブによれば、1988年のデビュー年からアジア・パシフィックでは篠塚建次郎氏がマレーシア、オーストラリアなどで勝利し、初代APRC王者にもなりました。

    さらにWRCワークス体制では、1989年にミカエル・エリクソンが1000湖ラリーで優勝、RACでもペンティ・アイリッカラが優勝。

    以後も1990年アイボリーコースト、1991年スウェディッシュとアイボリーコースト、1992年アイボリーコーストと勝利を積み上げ、三菱公式ではギャランVR-4のWRC通算勝利数を6と明記しています。

    つまりVR-4は後のランエボの踏み台なんかじゃない。それ単体で、もうWRC勝利車です。  

    しかし、強いままでも限界はあった

    ここが長いランエボの歴史につながってきます。

    ギャランVR-4は速かったし、実際に勝った。

    でも三菱自身が後年の説明で、1993年のグループA規定変更によりホモロゲーション条件が緩和されると、より軽量・コンパクトなランサーをベースに次の主力マシンを作る決断をしたと示しています。

    1992年にはすでにギャランVR-4の大規模開発をほぼ止め、参戦数も絞っていた。

    つまりVR-4は弱かったから終わったのではない。強かったけど、もっと勝てる器が見つかったから役目を終えたんです。

    これがエボ1への一番きれいな橋渡しになります。  

    「全部入り」のまま世界で通用した

    ギャランVR-4の強みを一言で言えば、ハイテク高性能セダンの姿のまま、ちゃんと世界ラリーで勝てたことです。

    4G63ターボ。フルタイム4WD。4WS。

    そしてグループAで鍛えられた競技性能。

    後のランエボは、ここからもっと軽く、もっと鋭く、もっとラリーに寄っていく。けれどVR-4はその前段階として、三菱の4WDターボが世界で勝てることを先に証明した。この証明があったから、ランエボは最初から本気で出せたわけです。  

    時代を感じさせるAMG仕様

    実はこのクルマ、面白いモデルがあります。

    ギャラン系には1989年に西ドイツAMG社と共同開発した「ギャランAMG仕様車」まで存在していたのです。

    三菱の車史ページにもその記述があり、当時のギャランが単なる大衆セダンではなく、かなり強いスポーツイメージと技術イメージを背負っていたことがわかりますね。

    VR-4はその頂点で、ギャランという車名そのものにただのファミリーセダンじゃない空気を持ち込んだモデルでもありました。  

    エボの前座では終わらない

    ギャランVR-4は、ランサーエボリューションの前身ではあります。

    でも前身という言葉だけだと少し弱い。実際には、三菱の4G63ターボ4WD路線を世界で通用する勝ち筋として成立させた本命です。

    WRC6勝、APRC制覇、そしてそのノウハウを全部ランエボへ渡して退く。かなり役者として完成しています。

    大柄なセダンなのに、やっていることは完全に戦うクルマでした。  

    まとめ

    ギャランVR-4を一言でいえば、

    ランエボに先立って、三菱の4G63ターボ4WDが世界で勝てることを証明した原点です。

    ハイテク全部入りの高性能セダンとして生まれ、WRCで6勝を挙げ、そのまま次の主役であるランサーエボリューションへバトンを渡した。  

    だからVR-4は、エボの前史じゃない。

    エボが成立する前に、すでに三菱が世界へ通用させていた本編の一つなのです。

  • ランサーエボリューション – CD9A 【ホモロゲのために生まれた急造の怪物】

    ランサーエボリューション – CD9A 【ホモロゲのために生まれた急造の怪物】

    ランサーエボリューションIは、1992年10月に登場した最初の「エボ」

    三菱自動車の公式ヒストリーでも、この初代は「栄光のマシン『ランサー』の名を受け継いだ」モデルとして紹介され、しかも発売後に即完売するほどの人気を集めたとされています。

    つまりエボ1は、後から神話になった始祖ではなく、登場した瞬間からただならぬ期待を背負っていたホモロゲーションモデルでした。  

    出発点はギャランVR-4の限界

    このクルマの開発背景はかなり明快です。

    三菱は80年代末からギャランVR-4でWRCを戦っていましたが、1993年シーズンに向けてグループAの規定変更が入り、ホモロゲーション取得に必要な最少生産台数は5000台から2500台へ引き下げられました。

    三菱のWRCアーカイブでも、1993年開幕戦モンテカルロにグループAランサーエボリューションを投入する計画のため、1992年にはギャランVR-4の大規模開発をほぼ止め、参戦数まで絞っていたと書かれています。

    要するにエボIは、ギャランVR-4の延長ではなく、次に勝つために急いで切り替えられた新兵器でした。  

    だからこそ、ランサーに白羽の矢が立った

    エボ1の核心はここです。

    三菱公式は、戦闘力を高めるために軽量・コンパクトなランサーをベースに選び、ギャランVR-4で熟成してきた4G63型2.0LインタークーラーターボとVCUセンターデフ方式のフルタイム4WDを搭載したと説明しています。

    大きいギャランで勝てないわけではない。

    けれど、ラリーで本当に強いベースを考えた時、より小さく、より軽く、より振り回しやすいランサーの方が正しかった。

    エボ1は、三菱が勝利のために迷わず小型化を選んだ結果だったわけです。  

    VR-4から魔改造が施された4G63

    搭載されたのは親の顔より見た4G63型2.0L DOHCターボ。

    市販車のエボ1はギャランVR-4より10PS高い250PSを発生させます。WRCの1993年ページでは競技車が4G63 1,997ccターボで295ps、45.9kg-mを発生していたと記されています。

    つまりエボ1は、単に「ランサーに強いエンジンを積みました」では片付けられません。市販車の時点でギャランより一段攻めた出力を与えつつ、競技車ではそこからさらに詰めていける土台を持っていた。

    最初のエボからもう、4G63を核にした戦闘車両として設計されていたんです。  

    見た目以上にちゃんと戦うためのボディ

    エボ1の強さはエンジンと4WDだけじゃありません。

    ボディは要所補強で剛性を高めつつ、アルミ製ボンネットフードの採用などで軽量化を推進。サスペンションも剛性アップを中心に最適化され、大開口フロントバンパーと大型リアスポイラーで空力も追求していました。

    つまりこのクルマは、派手なエアロをつけたランサーではなく、ラリーカーのベースとして必要な部分をちゃんと全部やったランサーだったのです。

    ここが最初のエボからもう抜かりないですね。

    インテリアまで含めて、最初から「その気」

    面白いのは、中身が本気なだけじゃなく雰囲気も本気なことです。

    当時では珍しいレカロ製スポーツシートやMOMO製ステアリングホイールまで採用されていました。

    ホモロゲーションモデルなんだから当然と言えば当然ですが、エボ1は最初から「普段使いのランサーをちょっと速くした」感じではなく、乗り込んだ時点で戦闘車の空気をちゃんと出していた

    これが後のエボらしさの原点でもあります。  

    実戦投入の初年度から大活躍

    1993年のWRCでランサーエボリューションはモンテカルロでデビュー。

    初陣はトラブルを抱えながらもケネス・エリクソンが4位、アーミン・シュワルツが6位で完走。

    その後もポルトガルで初のベストタイム、アクロポリスで3位、1000湖で5位を記録し、最終戦RACではエリクソンが2位まで迫りました。

    しかもシーズン中盤にはリアサスペンション、前後スタビライザー、4WDシステムを徹底的に見直し、ハンドリングが著しく向上したと公式に記されています。

    エボ1は未完成な試作品ではなく、デビュー年からもう十分戦えて、しかも伸びしろまで見せた一台でした。  

    「勝つための縮小」

    エボ1の強みを一言で言えば、ギャランVR-4で培った武器を、より小さく軽い器へ詰め替えたことです。  

    軽量・コンパクトなランサーのボディ。熟成された4G63ターボ。VCUセンターデフ方式のフルタイム4WD。補強と軽量化を両立したボディ。

    そしてラリー前提の空力と足まわり。  

    どれか一つの奇策で勝とうとしたクルマじゃない。

    既に持っていた技術を、一番勝てるサイズにまとめ直したことがエボ1最大の強さでした。だから初代からいきなりエボらしいんです。  

    エボ1は始祖というより既に切り札だった

    後から見るとエボ1はシリーズの最初の一台に見えます。

    でも当時の空気で見ると、これは悠長な第1章ではないことが伺えます。グループA規定変更に対応し、ギャランからランサーへ主役を切り替え、1993年開幕へ間に合わせるための実戦投入です。

    しかも市販車は発売後すぐ完売し、WRCでも初年度から上位争いに絡んだ。

    エボ1は後の成功につながる試金石というより、最初から勝負に出た初代エボでした。  

    まとめ

    ランサーエボリューション1を一言でいえば、

    ギャランVR-4の武器を、勝つために最も鋭いサイズへ詰め込んだ最初のエボです。  

    軽量・コンパクトなランサーを土台に、4G63ターボとフルタイム4WDを載せ、補強と軽量化と空力まで真面目に詰めた。  

    だからエボ1は、記念すべき初代というより、

    最初からいきなり本気だったランエボと言える存在なのです。ここも極めてランエボらしいですね。

  • ランサーエボリューションII – CE9A 【勝利のための長い調律が始まった一台】

    ランサーエボリューションII – CE9A 【勝利のための長い調律が始まった一台】

    ランサーエボリューションIIは、1994年1月に登場した二代目ランエボです。

    三菱公式の車史ページでは、このモデルをはっきり「実戦経験をフィードバック」と表現しています。

    つまりエボIIは、単なる年次改良ではない。1993年にWRCへ投入したエボIの実戦データをすぐさま市販車と競技車へ反映し、よりラリーで勝ちやすい形へ進めたモデルだったわけです。

    エボIがすでに速かったからこその次の一手だった

    ここがエボIIの面白いところです。

    初代エボは、1993年のWRCデビュー年からモンテカルロ5位、サファリ2位、アクロポリス3位、RAC2位と、いきなり十分に戦えていました。

    しかも三菱公式は、1993年シーズン中盤にリアサスペンションや前後スタビライザー、4WDシステムを見直したことでハンドリングが著しく向上したと記しています。

    だからエボIIは、苦戦した車のテコ入れ版ではない。最初から戦えたエボを、さらに本気で勝たせにいくためのアップデートだったんです。

    「実戦経験のフィードバック」が核にある

    三菱の日本向け車史ページでは、エボIIは「『ランサーエボリューション』に、1993年のWRCに参戦した実戦経験をフィードバックして開発」したと明記されています。

    さらにその結果として、「エンジン出力アップのほか、ホイールベース延長やサスペンション・ホイールの変更などによって走行性能を向上」させたとも説明している。

    要するにエボIIは、見た目を少し直した二代目ではなく、前年の現場で見えた課題を、車体と足まわりとエンジン全部に反映した改良版なのです。

    エンジンはやはり4G63を続投

    心臓は引き続き4G63型2.0L DOHCインタークーラーターボです。

    そして三菱公式によれば、エボIIでは最高出力が260PSまで引き上げられた。初代エボIが250PSだったから、数字としては10PSアップ。

    ただしエボIIの価値は単純な馬力競争じゃない。

    4G63の伸びしろをちゃんと活かしつつ、ラリーでの扱いやすさと車体側の進化まで含めて、より速く走るための総合改良に持ち込んでいるのが重要です。

    ホイールベース延長が、エボIIの性格をかなりよく表している

    エボIIで象徴的なのがホイールベース延長です。

    三菱公式は、走行性能向上のための具体策としてホイールベース延長を挙げている。これはすごくエボIIらしい。

    エボIは小さく軽く鋭いことが最大の武器だったけれど、実戦ではただ敏捷なだけでは足りない。荒れた路面や高速域でも踏んでいける安定感が必要になります。

    エボIIはその点で、初代の鋭さを捨てずに、もっと深く、もっと安心して攻められる方向へ寄せた二代目だったと見てよいでしょう。

    足まわりの見直しこそ、この世代の本丸だった

    公式説明でも、エボIIはサスペンション変更とホイール変更が明言されています。

    やはりエボIIの改良本質は「出力アップ」ではなく「実戦でより速くするためのシャシー改良」です。

    現場で見えたハンドリング課題や安定性の要求を踏まえ、ラリーで踏み抜ける方向に車体を煮詰めている。

    エボIが“まず小さい器に全部詰めた初代”なら、エボIIはその器をラリーでさらに機能するよう調律し直した二代目でした。

    実戦ではすぐにエボIIへ切り替わっている

    1994年WRCでの扱いを見ると、エボIIの意味がかなりよく分かります。

    三菱の1994年WRCページによれば、開幕のモンテカルロと序盤のサファリは引き続きエボIベースで戦い、その後のアクロポリスからエボIIベース車へスイッチしています。

    しかもエボIIはそのアクロポリスでいきなり2位。さらにニュージーランドでは3位・4位を記録した。

    これはかなり大きくて、エボIIは“市販車が出たから一応競技でも使った”のではなく、出した瞬間からちゃんと主力として戦力化されたモデルだったわけです。

    しかもこの年、ランエボはWRCの主役へ近づいていく

    三菱公式の1994年WRCページでは、エボI/IIを用いたその年の戦いで、アクロポリス2位、ニュージーランド3位・4位といった結果が残されている。

    そして同じ年の車史ページでは、インドネシアラリーでランサーエボリューションが総合1位・3位を獲得したことも記載されている。

    つまりエボIIの時点で、ランエボは“将来強くなる車”ではなく、すでに国内外で前に出始めていた。

    エボIIは、その上昇カーブを明確にした二代目です。

    初代の勢いをそのままに安定させた

    ランサーエボリューションIIの強みを一言で言えば、

    初代エボの鋭さを残したまま、実戦でより速く、より安定して使える形に変えたことです。

    4G63は260PSへ強化。ホイールベースは延長。サスペンションとホイールも見直し。

    そしてWRCでは投入直後から2位、3位、4位。

    どれか一つの派手な新機構で勝負した車じゃない。

    エボIIは、現場で必要だった改善を全部まっすぐ積み上げたことで強くなった。そこがいかにもランエボらしいです。

    エボIIは「ちゃんと偉い」二代目だった

    シリーズものの二代目って、どうしても地味に見えやすい。

    でもエボIIは違う。こいつがやったのは、初代の勢いを偶然で終わらせず、ランエボという名前を「毎年ちゃんと速くなっていくラリー直結モデル」として定着させることでした。

    エボIが切り札なら、エボIIはその切り札を勝負でちゃんと使い切れる武器にした世代です。

    まとめ

    ランサーエボリューションIIを一言でいえば、

    最初から速かったエボを、実戦の答えでさらに勝てる形へ煮詰めた二代目です。

    エボIの武器をそのまま引き継ぎ、4G63を260PSへ上げ、ホイールベース延長と足まわり改良で、ラリーでより深く踏めるクルマへ進めた。

    だからエボIIは、単なる改良版じゃない。

    「ランエボは毎年ちゃんと進化する」という文法を、最初に作った二代目と言えるでしょう。

  • ランサーエボリューションIII – CE9A 【空力を得た初期の集大成】

    ランサーエボリューションIII – CE9A 【空力を得た初期の集大成】

    ランサーエボリューションIIIは、1995年2月に登場した三代目ランエボです。

    三菱自動車の公式車史では、このモデルについて「エンジン、駆動システム、足回りなどを徹底的に改良」したうえで、「空力性能向上」を狙ってフロントまわりの開口部拡大や大型リアスポイラーなどを採用したと説明しています。

    つまりエボIIIは、単なる出力アップ版ではなく、ラリーで勝つためにクルマ全体をさらに戦闘向けへ振った改良型でした。  

    エボIIまでで既に「武器は足りている」

    初代から二代目までで、ランエボの基本文法はもう見えていました。軽量・コンパクトなランサーのボディに、4G63ターボと4WDを載せ、実戦のデータを反映してどんどん煮詰めていく。

    その流れの中で1994年WRCでは、エボIIベース車がアクロポリスで2位、ニュージーランドで3位・4位と十分な戦闘力を見せています。

    だからエボIIIに求められたのは、ゼロから作り直すことではない。すでに速いランエボを、もっと勝ち切れる形へ仕上げることでした。  

    テーマは「「徹底改良」」

    三菱の車史ページでは、エボIIIはエンジン、駆動システム、足まわりを徹底的に改良したモデルだとされており、この点が非常に重要です。

    エボIIまでは実戦経験のフィードバック色が強かったけれど、エボIIIではそのフィードバックが一段進み、もうクルマ全体を勝利の方向へ最適化していく段階に入っています。

    シリーズ初期の三台で見ると、エボIIIはランエボが毎年強くなるラリー直結モデルとして本格的に輪郭を固めた世代と言っていいでしょう。

    ついに270PSへ到達した4G63

    心臓部は引き続き4G63型2.0L DOHCインタークーラーターボです。エボIIIでは最高出力は270PSまで引き上げられました。1994年時点のエボIIが260PSだったことから、また一段上積みされたことになります。

    さらに三菱のWRC 1996ページでも、エボIII競技車のスペックとして4G63、1,997cc、270ps、45.0kg-mが示されています。

    つまりエボIIIは、シリーズ初期の熟成の到達点として、4G63の力をかなり濃く引き出した世代でもありました。  

    空力を得たランサーエボリューション

    エボIIIを語るなら、馬力の話だけで終えると外します。

    この世代の象徴はやっぱり空力です。

    三菱公式は、冷却性能を高めるための大開口フロントバンパー、リフトを抑える大型リアスポイラーなどを採用して空力性能を向上させたと説明しています。この点はエボIIIを象徴しています。

    エボIやIIにももちろん競技の匂いはあったけれど、エボIIIになると見た目からして「もう完全にそのためのクルマ」になってくる。

    走りの必然が、そのまま外観の迫力へ出始めたのがこの世代でした。  

    エボIIIは、「ランエボ顔」がかなりはっきりしてくる

    シリーズの中でエボIIIが印象に残りやすいのは、性能だけじゃなく記号性が強いからです。

    大きな開口部、押し出しの強いフロント、そして大型リアスポイラー。これらは単なる演出ではなく、空力改善によるものです。

    つまりエボIIIは、ランエボがラリー由来の戦闘車であることを、見た目でもはっきり主張し始めた世代と言える。

    後のIV以降ほどメカニズムが複雑ではないのに、存在感はかなり濃い。そこがまたIIIの魅力です。  

    いつも通り実戦でもしっかり強い

    1995年WRCでは、シーズン前半にエボII、後半にエボIIIが投入されました。三菱の1995年WRCページと車史ページによれば、エボIIIはツール・ド・コルスで3位、ニュージーランドで5位、そしてオーストラリアでは1位と4位を獲得しています。

    つまりエボIIIは、見た目だけ濃くなったモデルではなく、投入初年度からきちんと勝利を持ち帰った。勝つための空力を与えられたエボが、実際に勝ったというのはかなり大きいです。  

    この年の勝利は三菱にとって重要だった

    1995年のオーストラリアでの勝利は、ランエボにとってただの一勝ではありません。

    三菱公式の1995年WRCページでは、この年のオーストラリアで篠塚建次郎がランサーエボリューションで優勝し、日本人初のWRC優勝ドライバーになったと説明している。

    これはランエボの速さを証明しただけでなく、三菱のラリー活動全体にとっても大きな節目でした。

    エボIIIは、シリーズ初の本格的な勝ちグルマ感をはっきり刻んだ世代とも言えます。  

    “速さの理由”が空力にまで及んだエボ

    ランサーエボリューションIIIの強みを一言で言えば、エボIIまでの強みであった4G63と4WDだけでなく、空力まで含めて勝つ理由を持ち始めたことです。  

    4G63は270PSへ到達。駆動システムも改良。足まわりも徹底見直し。

    さらにフロントもリアも、空力まで明確に競技寄り。

    そしてWRCでは実際に優勝。  

    エボIが「小さい器に全部詰めた切り札」、エボIIが「それを実戦向けに煮詰めた二代目」なら、エボIIIはその切り札を外から見ても中身から見ても本格的な戦闘車にした三代目です。  

    エボIIIは、初期ランエボの完成形的存在

    シリーズ全体で見れば、エボIVから先はプラットフォームも変わり、AYCなど新しい文法が入ってきます。

    だからこそエボIIIは、I〜IIIで積み上げてきた初期ランエボのひとまずの到達点として見やすい。4G63ターボ、コンパクトボディ、4WD、年ごとの徹底改良、そしてついに空力まで前に出てきます。

    このまとまり方がすごく綺麗なんです。エボIIIは、初期ランエボをもっともランエボらしい姿で締めた世代だと思います。

    まとめ

    ランサーエボリューションIIIを一言でいえば、

    速いだけでは足りないと知ったランエボが、空力まで使って勝ちに行った三代目です。  

    4G63は270PS。駆動も足も徹底改良。見た目は空力をまとってWRCではちゃんと勝った。  

    だからエボIIIは単なる三代目じゃない。

    「初期のランエボここに極まれり」と言いたくなるくらい、最初の三台の答えがきれいに揃った世代なのです。  

    次のエボIVから、ここから一気に文法が変わります。なんといってもAYCが初めて搭載されるエボですから…!

    (ランエボの記事毎回アツいな)