軽自動車にガルウイングドアを付けて、エンジンをミッドシップに積んで、外装をFRPで仕立てる…
文字にすると冗談みたいですが、マツダは1992年に本当にこれをやりました。しかも量産車として。
それがAZ-1(PG6SA)です。バブル末期の空気がなければ絶対に生まれなかったであろうこの一台は、軽自動車の枠組みの中で「スポーツカーとは何か」を問い直した、極めて異質な存在でした。
バブルの余熱が生んだ企画
AZ-1が世に出たのは1992年10月。
ただし、その企画が動き始めたのはもっと前、1980年代末のことです。当時の日本は空前の好景気の真っ只中にあり、自動車メーカー各社が「こんなの売れるのか?」と首を傾げるような企画を次々と通していた時代でした。
マツダもその例に漏れません。5チャンネル体制と呼ばれる販売網の多角化を進めていた時期で、オートザム、ユーノス、アンフィニ、オートラマといったブランドを展開し、それぞれに個性的なモデルを供給する必要がありました。AZ-1はそのうちオートザムブランドから販売されています。正式名称は「オートザム AZ-1」です。
つまり、この車はマツダ本体の主力商品として企画されたわけではなく、ブランドの個性を際立たせるためのアイコン的存在として生まれた側面があります。実用性で勝負する車ではない。「うちのブランドにはこんな面白い車がある」と語れること自体が価値だった。そういう時代の産物です。
スズキの心臓、マツダの殻
AZ-1の成り立ちを理解するうえで外せないのが、スズキとの関係です。
エンジンとトランスミッションはスズキ製F6A型ターボ。排気量657cc、直列3気筒のインタークーラーターボで、最高出力は軽自動車自主規制上限の64馬力を発生します。これは同時期のスズキ・カプチーノやホンダ・ビートと同じ上限値です。
なぜマツダが自社エンジンを使わなかったのか。理由はシンプルで、当時のマツダには軽自動車用のパワートレインを自社開発・生産する体制がなかったからです。AZ-1の車体製造もスズキが担当しています。マツダが主に担ったのは企画・デザイン・車体設計の部分で、生産はスズキの磐田工場で行われました。
この構造は、のちにスズキ自身が「キャラ」という名前でほぼ同一の車両を販売したことからも裏付けられます。スズキ・キャラはAZ-1のバッジエンジニアリング版で、フロントまわりの意匠が若干異なる程度の差でした。
ミッドシップ+ガルウイング+FRPという構成
AZ-1の最大の特徴は、そのパッケージングの異常さにあります。軽自動車の規格内に、ミッドシップレイアウト、ガルウイングドア、FRP製外装パネルという3つの要素を詰め込んでいる。どれかひとつだけでも軽自動車としては異例なのに、全部載せです。
ミッドシップレイアウト、つまりエンジンを運転席の後方・後輪の前に置く配置は、重量配分の最適化に有利です。AZ-1の前後重量配分はほぼ45:55。フロントに重いエンジンがない分、ノーズを低く、短くできる。実際、全長は3,295mm、全幅は1,395mmと、軽規格いっぱいに近いサイズですが、見た目はそれ以上にコンパクトに感じます。
ガルウイングドアの採用は、見た目のインパクトだけが理由ではありません。AZ-1は全高わずか1,150mmという極端に低い車体を持っており、通常のヒンジドアでは乗降時に開口部の確保が難しかった。上方に開くガルウイングなら、狭い駐車場でも横方向のスペースを取らずに乗り降りできる。実用上の合理性もあったわけです。
ただし、この合理性には裏もあります。横転した場合にドアが開けられないという問題は、当時からよく指摘されていました。また、ドアのシール性やヒンジ部の耐久性についても、長期使用では課題が出るケースがあったようです。
FRP(繊維強化プラスチック)製の外装パネルは、軽量化に大きく貢献しています。車両重量は720kg。64馬力で720kgという数字は、パワーウェイトレシオで見ると11.25kg/ps。同時代のカプチーノが700kg、ビートが760kgですから、軽スポーツの中では標準的な範囲ですが、ミッドシップの重量配分と相まって、数値以上にシャープな挙動を見せました。
走りの評価と、その裏側
AZ-1の走行性能について、当時の自動車メディアの評価は概ね好意的でした。特にステアリングの応答性と回頭性は高く評価されています。ミッドシップ由来のノーズの軽さが、コーナー進入時のシャープさに直結していた。ホイールベースは2,235mmと短く、まるでゴーカートのような感覚だという表現がよく使われました。
一方で、ミッドシップ特有のクセも明確にありました。限界域でのリアの挙動が唐突になりやすく、いわゆるタックイン——アクセルオフ時にリアが急に流れ出す現象——が起きやすいという指摘は多かったのです。サスペンションは前後ともストラット式で、スポーツカーとしてはシンプルな構成。足まわりのセッティングに関しては、もう少し煮詰める余地があったという声もあります。
居住性については、正直なところ「割り切り」の一言です。室内は極めて狭く、身長170cmを超えるドライバーにはかなり窮屈。エアコンは装備されていましたが、荷室はほぼ皆無。日常の足として使うには相当な覚悟が要る車でした。
売れなかった理由、残った理由
AZ-1の販売台数は、約4,392台。1992年10月の発売から1995年の生産終了まで、わずか3年弱の短い生涯でした。同時代の軽スポーツであるカプチーノやビートと比べても、明らかに少ない数字です。
売れなかった理由はいくつかあります。まず、発売時期がバブル崩壊後だったこと。企画が通った頃と、実際に店頭に並んだ頃では、消費者のマインドがまるで違っていました。約149.8万円という価格は軽自動車としては高額で、実用性のなさも重なって、購入に踏み切る層が限られた。
さらに、オートザムというブランド自体の知名度や販売力の問題もありました。ディーラー網が限られていたため、そもそも実車を見る機会が少なかった。試乗すれば面白さは伝わる車でしたが、試乗にたどり着くまでのハードルが高すぎたのです。
しかし、この希少性がのちに強烈な個性として再評価されます。生産台数の少なさ、唯一無二のパッケージング、そしてバブル期にしか成立しえなかった企画の異常さ。2000年代以降、中古車市場でAZ-1の価格は着実に上昇し続けました。現在では程度の良い個体は200万円を超えることも珍しくありません。新車価格を大きく上回っている状況です。
ABCトリオの中での立ち位置
AZ-1は、ホンダ・ビート、スズキ・カプチーノとともに「平成ABCトリオ」と呼ばれます。Aがオートザム AZ-1、Bがビート、Cがカプチーノ。いずれも660cc規格の2シーター軽スポーツですが、その性格はまったく違います。
ビートはNAエンジンをミッドシップに積み、オープンエアの爽快さを重視した車。カプチーノはFRレイアウトのターボで、3種類のオープン形態を持つ多芸な車。そしてAZ-1は、クローズドボディのミッドシップターボで、ガルウイングという飛び道具を持つ車。三者三様で、しかもどれも軽自動車の枠内に収まっているのが面白い。
この中でAZ-1がもっとも「スーパーカー的」な佇まいを持っていたのは間違いありません。低い全高、ガルウイング、短いオーバーハング。子どもの頃にスーパーカーブームを体験した世代が企画に関わっていたであろうことは、車を見れば想像がつきます。
軽自動車でやる意味があったのか
AZ-1を振り返るとき、「これは軽自動車でやる必要があったのか」という問いが浮かびます。答えは、おそらく「軽自動車だからこそできた」です。
660ccという排気量の制約があるからこそ、車体を極限まで小さく、軽くする必然性が生まれた。その結果として、全高1,150mm、車重720kgという数字が実現した。もしこれが1,000ccや1,300ccの普通車として企画されていたら、安全基準や快適装備の要求が増え、ここまで割り切った車にはならなかったでしょう。
制約がデザインを規定し、デザインが個性を生んだ。AZ-1は、日本の軽自動車規格という独自のルールの中でしか生まれ得なかった、一種の突然変異です。
そしてこの突然変異は、二度と繰り返されていません。ガルウイング付きのミッドシップ軽スポーツを量産した会社は、マツダ(とスズキ)だけ。後にも先にもこの一台きりです。
再現不可能であること自体が、この車の価値を証明しています。
バブルの徒花と呼ぶ人もいますが、この花は咲いたこと自体がすでに奇跡だった——そう言ってもいい車です。
