カテゴリー: M3

  • BMW M3 – G80【電動化前夜、最後の直6ツインターボが吠える】

    BMW M3 – G80【電動化前夜、最後の直6ツインターボが吠える】

    M3の歴史を語るとき、たいていは「E30が原点」「E46が完成形」「E90でV8に行った」といった具合に、エンジンの話がセットになります。

    それは裏を返せば、M3というクルマがパワートレインの選択によって性格を大きく変えてきた証拠でもあります。

    そして2021年に登場したG80型は、おそらく「純粋な内燃機関だけで成立する最後のM3」になる可能性が高い。

    だからこそ、このクルマには語るべきことが多いのです。

    巨大グリルが突きつけた問い

    G80型M3を語るなら、まずあの顔の話を避けて通れません。

    2020年のワールドプレミア時、縦に拡大されたキドニーグリルは世界中で賛否両論を巻き起こしました。

    SNSは荒れに荒れ、長年のBMWファンほど拒否反応を示した印象があります。

    ただ、あのデザインには明確な意図がありました。BMWのデザイン責任者だったドマゴイ・ドゥケッチは、M3/M4を「通常の3シリーズ/4シリーズとは完全に別のクルマとして認識させたかった」と繰り返し語っています。

    つまり、見間違えようのない差別化です。

    歴代M3は、ベース車両との外観差が比較的おとなしいモデルも多かった。

    ブリスターフェンダーやリップスポイラーで差をつけてはいたものの、パッと見で「あ、M3だ」とわかる人は詳しい人に限られていました。G80はそこを根本から変えようとした。

    好き嫌いはともかく、「誰が見てもM3だとわかる」という目標は確実に達成しています。

    S58エンジンという到達点

    G80の心臓部は、S58型3.0リッター直列6気筒ツインターボです。先代F80型のS55から世代交代したこのエンジンは、標準仕様で480PS、Competitionで510PSを発生します。数字だけ見ると順当な進化に見えますが、中身はかなり変わっています。

    S55では課題とされていた低回転域でのレスポンスの鈍さが、S58では大幅に改善されました。具体的には、鍛造クランクシャフトの採用や冷却系の刷新によって、高回転まで回したときの伸び感と低中速のトルク感を両立させています。最大トルク650Nmという数字は、かつてのV8搭載M3(E90系)を軽く凌駕するものです。

    このS58は、X3 MやX4 Mにも搭載されていますが、M3/M4向けではセッティングが異なります。BMWのMパワートレイン開発部門は、車両の重量配分やシャシー特性に合わせてエンジンマッピングを個別に調整していると公表しています。同じエンジン型式でも、載るクルマによって味付けが違う。これはM社が昔から大切にしてきた流儀です。

    MTの存続と4WDの導入

    G80型M3で見逃せないのは、6速MTが残されたことです。標準仕様の480PSモデルには6速MTが設定されました。2021年という時代に、500PS近いセダンにマニュアルトランスミッションを用意するメーカーはほとんどありません。

    ただし、ここには構造的な事情もあります。MTが選べるのは後輪駆動の標準仕様のみで、Competition(510PS)は8速ATのみ。さらに後から追加されたM xDrive(4WD)モデルもAT限定です。要するに、MTは「選べるけれど、主力ではない」という位置づけでした。

    一方、M3の歴史で初めて4WDが設定されたことは、大きな転換点です。M xDriveと呼ばれるこのシステムは、通常時は後輪駆動に近いトルク配分で走り、必要に応じて前輪にも駆動力を送ります。さらにDSCをオフにすれば完全な後輪駆動モードにも切り替えられる。

    これはAMG C63やアウディRS5といった競合が全車4WDに移行していた流れへの回答でもありますが、「後輪駆動を捨てたくない」というM社の意地も見えます。4WDにしたけれど、FRにも戻せる。この両立は、M3というクルマのアイデンティティを守るための妥協点だったのでしょう。

    CSという頂点の意味

    2023年に追加されたM3 CSは、G80型の到達点と言える存在です。エンジンは同じS58ながら、出力は550PSまで引き上げられました。Competitionから40PS上乗せですが、重要なのは馬力の数字よりも軽量化のほうです。

    カーボン製のボンネット、トランクリッド、フロントバケットシート、さらにリアシートの簡素化などにより、Competitionから約20〜25kgの軽量化を実現しています。数字だけ見ると地味に思えるかもしれません。でも1,800kgを超える車両重量のクルマで、すでに最適化が進んだ状態からさらに削るのは簡単ではない。

    足回りも専用セッティングが施され、アダプティブMサスペンションのダンパー特性はより硬質に。リアのアンチロールバーも強化されています。M xDriveは標準装備で、MTの設定はありません。CSは「速さの極限」を目指したモデルであり、趣味性よりもラップタイムを優先した結果です。

    歴代M3におけるCSやCRT、CSLといった限定・軽量モデルは、常にその世代の「本当はここまでやりたかった」を体現してきました。G80のCSも例外ではなく、S58エンジンとG80シャシーの組み合わせが持つポテンシャルの上限を示すモデルとして位置づけられています。

    競合が変わった時代のM3

    G80型M3が戦う相手は、先代までとは少し違います。直接のライバルであるメルセデスAMG C63は、W206世代で直列4気筒ハイブリッドに移行しました。かつてはV8を積んでいたクルマが4気筒になった。この変化は、G80が直6ツインターボを維持していることの意味を際立たせています。

    アウディRS5も次世代ではプラットフォームの大幅な変更が予想されており、従来型のハイパフォーマンスセダンという土俵自体が揺らいでいます。テスラ・モデル3パフォーマンスのようなEVセダンが加速性能だけなら互角以上という現実もある。

    こうした環境の中で、G80型M3は「大排気量ではないが、内燃機関の直6で勝負する最後の世代」という独特の立ち位置を獲得しました。BMWは次世代M3に電動化パワートレインを採用することを示唆しており、G80が純エンジンM3の最終章になる可能性は高いと見られています。

    最後の純エンジンM3が残すもの

    G80型M3は、デザインで物議を醸し、4WDを初導入し、MTを残しつつもATを主軸に据え、CSで550PSまで引き上げた。やっていることは多岐にわたりますが、一本の筋は通っています。それは「内燃機関の直6でできることを全部やり切る」という意志です。

    E30のS14、E36のS50、E46のS54、E90のS65 V8、F80のS55、そしてG80のS58。M3の系譜はエンジンの系譜でもありました。もし次のM3が電動化されるなら、S58は「M3専用エンジン」という思想の最終到達点として記憶されることになるでしょう。

    あの巨大なグリルの奥で、直列6気筒ツインターボが吠えている。それが当たり前でなくなる時代が、もうすぐそこまで来ています。

    だからこそG80型M3は、好き嫌いを超えて、記録しておくべきクルマなのだと思います。

  • M3 CSL – E46【削ぎ落とすことで到達した、M3の最高到達点】

    M3 CSL – E46【削ぎ落とすことで到達した、M3の最高到達点】

    M3の歴史の中で、ひとつだけ異質な存在があります。

    E46型M3 CSL。

    2003年に1,383台だけ生産されたこのクルマは、M3でありながらM3の常識を否定するところから始まっています。

    快適装備を外し、ガラスを薄くし、ルーフをカーボンに換え、エアコンすら標準では省いた。

    「足す」ことで進化してきたM3の系譜において、「引く」ことで頂点に立った唯一のモデルです。

    CSLという名前が背負っていたもの

    CSLとは「Coupé Sport Leichtbau」の略で、直訳すれば「クーペ・スポーツ・軽量」。

    この名前には明確な先祖がいます。1972年の3.0 CSLです。

    BMWがヨーロッパツーリングカー選手権を戦うためにホモロゲーション取得用として作った伝説的なモデルで、「バットモービル」とも呼ばれたあのクルマです。

    つまりCSLという称号は、BMWにとって「レース直系の軽量モデル」を意味する特別な記号でした。それを30年ぶりに復活させたということ自体が、このクルマに対するミュンヘンの本気度を物語っています。

    ただ、E46 M3 CSLはホモロゲーションモデルではありません。

    特定のレースカテゴリに出場するために作られたわけではなく、あくまで公道走行を前提とした限定車です。にもかかわらずCSLを名乗ったのは、「軽量化による走りの純度追求」というコンセプトそのものを、ブランドの遺産として再定義しようとしたからでしょう。

    E46 M3という土台の完成度

    CSLの話をする前に、ベースとなったE46型M3の立ち位置を整理しておく必要があります。2000年に登場したE46 M3は、3.2リッター直列6気筒の自然吸気エンジン「S54B32」を搭載し、343馬力を発生しました。先代E36 M3の321馬力から順当に進化しつつ、シャシーの剛性感やステアリングフィールは大幅に洗練されています。

    E36 M3が「速いけれど少し荒削り」という評価を受けていたのに対し、E46 M3は「速くて、しかも上質」という新しい価値を確立しました。日常使いもできるスポーツカーとして、当時のポルシェ911(996型)やメルセデスAMG C32と並ぶ、あるいはそれ以上の存在感を持っていた。

    しかし、その「上質さ」は重量増と引き換えでもありました。E46 M3の車重は約1,570kg。装備の充実とボディ剛性の向上が重なった結果です。M部門のエンジニアたちが「このクルマからもっと引き出せるはずだ」と考えたとしても、不思議ではありません。

    110kgを削るという執念

    CSLの開発で最も語られるべきは、やはり軽量化です。標準のE46 M3から約110kgを削り、車重を約1,385kgに抑えています。この数字だけ見ると「まあ100kg軽いのね」で済みそうですが、やり方が尋常ではありません。

    まずルーフをカーボンファイバー製に変更。これはBMW量産車として初のカーボンルーフ採用であり、後のM3(E90系)やM4にまで受け継がれる技術の出発点になりました。リアウィンドウは薄いガラスに変更され、フロアの防音材は大幅に削減されています。

    さらに、エアコンとカーナビを標準装備から外しました。もちろんオプションで戻せましたが、「まず外す」という姿勢が象徴的です。ドアの内張りも簡素化され、リアシートは完全に撤去。電動調整式のフロントシートもバケットタイプの固定シートに置き換えられました。

    ここで重要なのは、軽量化が単なる装備の引き算ではなかったことです。ボディパネルの一部にもCFRP(炭素繊維強化プラスチック)が使われ、構造そのものにまで手が入っています。つまりCSLは、既存のM3から部品を外しただけの「ストリップモデル」ではなく、軽さのために再設計された別のクルマなのです。

    S54エンジンの最終進化形

    エンジンにも手が入っています。ベースは同じS54B32型の直列6気筒ですが、CSL用にはカーボンエアボックスが装着され、吸気効率が改善されました。最高出力は360馬力。標準M3の343馬力から17馬力の上乗せです。

    数字だけ見ると控えめに思えるかもしれません。しかし、110kg軽いボディとの組み合わせで考えると話は変わります。パワーウェイトレシオは約3.85kg/ps。これは当時のポルシェ911 GT3(996型後期)に迫る数値でした。

    もうひとつ見逃せないのが、SMG IIと呼ばれるシーケンシャルマニュアルギアボックスの専用セッティングです。CSLにはマニュアルトランスミッションの設定がなく、SMG IIのみの展開でした。これは賛否が分かれるポイントですが、CSLのSMGはシフトスピードが高速化され、標準M3のものとは別物の仕上がりになっています。

    当時のSMGは、今のデュアルクラッチと比べると変速時のショックが大きく、街乗りでは扱いにくいという声もありました。ただ、サーキットでのタイムアタックという文脈では、このダイレクトさがむしろ武器になった。CSLがニュルブルクリンク北コースで7分50秒を記録したとき、SMGの貢献は小さくなかったはずです。

    ニュルブルクリンクが証明したもの

    CSLの名声を決定づけたのは、やはりニュルブルクリンク北コースでのラップタイムです。当時のBMW公式計測で7分50秒。この数字は、2003年時点の量産車としては驚異的でした。

    しかも、このタイムはミッドシップでもなく、四輪駆動でもなく、ターボでもないクルマが出したものです。フロントに直6を積んだFRクーペが、はるかに高価なスーパーカーと肩を並べるタイムを叩き出した。この事実が、CSLの「削ぎ落としの哲学」の正しさを数字で裏付けました。

    足回りにも専用チューニングが施されています。スプリングレートは上げられ、ダンパーも専用品。スタビライザーも強化されています。タイヤはフロント235/35R19、リア265/30R19という、当時としてはかなり攻めたサイズ。標準M3が18インチだったことを考えると、CSLの足元は明らかに別次元を狙っていました。

    限定1,383台が意味すること

    CSLの生産台数は1,383台。左ハンドルのみ、ボディカラーも当初はシルバーグレーメタリックのみという徹底ぶりでした。後にブラックとホワイトも追加されましたが、それでも選択肢は極めて限られています。

    この台数は、ホモロゲーション取得に必要な最低生産台数ではありません。純粋に「このクルマを求める層がどれだけいるか」という商品企画上の判断で決められたものです。当時の新車価格はドイツ本国で約79,000ユーロ。標準M3の約58,000ユーロに対して大幅な上乗せでした。

    それでも即完売したという事実が、CSLの存在意義を語っています。エアコンもなく、リアシートもなく、乗り心地も犠牲にしたクルマに、標準M3より2万ユーロ以上多く払う人がいた。それは「軽さ」と「純度」に対する明確な市場の答えでした。

    M3の系譜に刻まれた転換点

    CSLが残した遺産は、単に「速いM3があった」という記録にとどまりません。技術的には、カーボンルーフの量産採用という成果が直接的に後継モデルへ引き継がれました。E90/E92世代のM3、そしてF82 M4に至るまで、カーボンルーフはMカーのアイコンであり続けています。

    商品企画としても、CSLは重要な先例を作りました。標準モデルの上に「より純粋な走りを追求した限定車」を置くという手法は、後のM4 GTS(F82)やM4 CSL(G82)へと続いていきます。BMWのM部門が「もうひとつ上のM」を定期的に送り出すようになった、その起点がE46 CSLだったと言えるでしょう。

    ただし、後のCSL名義のモデルが同じ純度を持っていたかどうかは、議論の余地があります。2022年のG82 M4 CSLは、ツインターボ直6に8速ATという構成で、速さの次元はE46 CSLとは比較にならないほど高い。しかし「引き算の美学」という点では、E46のほうが徹底していたと感じる人も少なくないはずです。

    E46 M3 CSLは、自然吸気直6・FR・軽量ボディという古典的な方程式の、ほぼ最終回答でした。

    この後、M3は直8(V8)へ、そしてターボ直6へとパワートレインを変えていきます。

    CSLが見せた世界は、ある意味で「もう二度と作れないクルマ」の到達点だったのかもしれません。

    それが、このクルマが今なお特別であり続ける理由です。

  • M3 – E36【初代の熱狂から、大人の速さへ舵を切った二代目】

    M3 – E36【初代の熱狂から、大人の速さへ舵を切った二代目】

    初代M3、つまりE30型は、グループAホモロゲーションのために生まれた、ほとんどレーシングカーのような存在でした。

    4気筒の高回転ユニット、張り出したブリスターフェンダー、あらゆるものが「勝つため」に設計されていた。

    では、その後継であるE36型M3は何のために生まれたのか。答えは意外とシンプルです。

    「速いけど、毎日乗れるBMW」を作るためでした。

    E30 M3の成功が残した宿題

    1986年に登場したE30型M3は、モータースポーツで圧倒的な戦績を残しました。DTM(ドイツツーリングカー選手権)をはじめ、世界中のツーリングカーレースで勝ちまくった。商業的にも成功し、当初の予定を大きく超える約1万7000台以上が生産されています。

    ただ、E30 M3はあくまで「ホモロゲーションモデル」でした。レースに出るために最低限の台数を市販する、という発想が出発点にある。乗り心地は硬く、室内は狭く、日常の快適性は二の次。それが魅力でもあったわけですが、BMWのMディビジョンが次に目指したのは、もう少し広い顧客層でした。

    1990年代に入ると、ツーリングカーレースのレギュレーションも変わりつつありました。グループAの時代が終わりに近づき、ホモロゲーション目的で尖ったロードカーを作る必然性が薄れていった。M3という名前を残しながら、その中身の意味を再定義する必要があったのです。

    直6への転換が意味したこと

    E36型M3の最大の変化は、エンジンが4気筒から直列6気筒に変わったことです。1992年の欧州デビュー時に搭載されたのは、S50B30と呼ばれる3.0リッター直6。E30の2.3リッター4気筒(S14)とは、まるで別の哲学のエンジンでした。

    S14は高回転でパワーを絞り出す、いかにもレース由来のユニットだった。一方のS50は、BMWが誇る直列6気筒のスムーズさをベースに、個別スロットルバルルやVANOS(可変バルブタイミング機構)といった技術で高出力を実現しています。初期型の欧州仕様で286馬力。数字だけ見れば順当な進化ですが、その出力の出し方がまるで違う。

    低回転域からしっかりトルクが立ち上がり、高回転まで淀みなく回る。これは日常域での扱いやすさに直結します。Mディビジョンのエンジニアたちは、「レースのために我慢して乗る車」から「速さと洗練を両立させた車」へと、M3の性格を明確にシフトさせたわけです。

    なお、北米仕様は当初S50B30のデチューン版であるS50B30US(240馬力)が搭載され、後に3.2リッターのS52B32(240馬力)へ換装されました。欧州仕様とはエンジンの素性がかなり異なり、北米のM3オーナーが欧州仕様を羨む構図は、この世代から本格化したとも言えます。

    大きくなった車体と、変わる「M」の立ち位置

    E36型3シリーズ自体が、E30から大幅にサイズアップしていました。ホイールベースは伸び、車幅も広がり、車重も増えた。M3もその例外ではありません。E30 M3の戦闘的なコンパクトさは失われ、代わりに得たのは安定感のある走りと、大人が快適に座れる室内空間でした。

    足回りはフロントにストラット、リアにはセントラルアームと呼ばれるマルチリンク式を採用。E30のセミトレーリングアームから大きく進化し、限界域でのコントロール性が向上しています。ただし、E30 M3のようなダイレクトで荒々しい手応えは薄まった。ここが評価の分かれるところです。

    ボディ形態も多様化しました。E30 M3は2ドアクーペのみでしたが、E36ではクーペに加えてセダン、そしてコンバーチブルまでM3が設定されています。これは「M3をより多くの人に届ける」という商品戦略の表れであり、同時に「M3はもはやホモロゲマシンではない」という宣言でもありました。

    1995年のアップデートと、S50B32の真価

    1995年、欧州仕様のM3はエンジンをS50B32(3.2リッター、321馬力)にアップデートします。排気量の拡大に加え、ダブルVANOS(吸排気両方の可変バルブタイミング)が採用され、全域でのトルク特性がさらに改善されました。

    この321馬力という数字は、当時の自然吸気3.2リッターとしてはかなりの高出力です。リッターあたり約100馬力。しかもそれを、日常的に使える回転域で発揮できるのがポイントでした。レブリミットまで回せば官能的なサウンドを聴かせつつ、街中では穏やかに流せる。この二面性こそが、E36 M3の本質だったと言えます。

    トランスミッションは5速MTが基本で、後期には6速MTも用意されました。SMG(セミオートマチック・ゲトリーベ)と呼ばれるシーケンシャルギアボックスも一部市場で選択可能でしたが、これは初期のシステムであり、完成度としては後のSMG IIに譲る部分があります。

    レースでの存在感と、GTRという頂点

    E36 M3はホモロゲーション目的で生まれた車ではありませんが、レースと無縁だったわけではありません。むしろ、ツーリングカーレースでは引き続き重要な戦力でした。特にBTCC(イギリスツーリングカー選手権)やIMSA、各国のGTレースで活躍しています。

    その頂点に位置するのが、M3 GTRです。レース用に少数が製作されたこのモデルは、ロードカーのM3とは次元の異なる存在でした。ただし、E36世代のGTRは後のE46 M3 GTR(V8搭載)ほどの知名度はなく、どちらかといえば通好みの存在です。

    また、軽量モデルとして知られるM3 Lightweight(北米市場向け、約126台生産)も忘れてはいけません。エアコンやオーディオを省き、軽量ドアパネルを採用するなど、E30 M3スポーツエボリューションの精神を受け継ぐような仕様です。こうした限定モデルの存在が、E36 M3を単なる「快適になったM3」で終わらせなかった一因でもあります。

    E30とE46の間で、過小評価されがちな世代

    正直に言えば、E36 M3はM3の歴史の中でやや地味な存在として語られがちです。前にはモータースポーツ直系の伝説的なE30、後ろには「最も完成されたM3」と称されるE46がいる。どうしても挟まれてしまう。

    しかし、E36がなければE46の完成度はなかったはずです。直列6気筒への転換、快適性と走行性能の両立、ボディバリエーションの拡大。これらはすべてE36で始まった方向性であり、E46はそれを磨き上げたモデルにほかなりません。

    もうひとつ重要なのは、E36 M3が「M3とは何か」を再定義した世代だということです。ホモロゲマシンから、高性能グランドツアラーへ。レースに勝つための道具から、速さを日常に溶け込ませる車へ。この転換がなければ、M3は一部のマニアだけのものにとどまっていたかもしれません。

    E36型M3は、派手な武勇伝こそ少ないかもしれません。でも、M3というブランドが今日まで続いている理由の一端は、間違いなくこの世代にあります。

    熱狂から持続可能な速さへ。その橋渡しをした一台です。

  • BMW M3 – F80【直6ターボへの転換が突きつけた、M3の本質とは何か】

    BMW M3 – F80【直6ターボへの転換が突きつけた、M3の本質とは何か】

    M3の歴史の中で、F80型ほど「賛否が割れた世代」はなかったかもしれません。

    先代E90型M3が搭載したV8自然吸気・S65エンジンの官能性を惜しむ声は、発表前から相当なものでした。それでもBMWのM社は、直列6気筒ツインターボという新しい心臓を選びました。

    なぜか。そこには、感情論だけでは片付けられない明確な理由があります。

    V8の後に、なぜ直6ターボだったのか

    F80型M3が登場したのは2014年。

    先代E90系M3は4.0L V8自然吸気のS65エンジンを積み、8,300rpmまで回る高回転型ユニットで多くのファンを魅了しました。ただ、その代償として燃費性能は厳しく、EU圏で年々強化されるCO2排出規制への対応が大きな課題になっていました。

    M社が選んだ答えは、3.0L直列6気筒ツインターボのS55エンジンです。排気量を大幅に下げながら、最高出力431PS、最大トルク550Nmという数値を実現しました。

    先代S65の420PS/400Nmと比べると、とくにトルクの差が圧倒的です。低回転から太いトルクが立ち上がる特性は、サーキットだけでなく日常の扱いやすさにも直結しました。

    要するに、「回して楽しい」から「踏めば速い」への転換です。これを退化と見るか進化と見るかは立場によって分かれますが、M社としてはハイパフォーマンスと環境規制の両立という命題に対して、もっとも合理的な解を出したと言えます。

    ちなみにS55エンジンは、当時のM3/M4専用設計です。量産のN55をベースにしつつ、クランクシャフト、コンロッド、ピストン、吸排気系、冷却系をすべて専用品に置き換えています。「チューンドエンジン」ではなく「Mが一から組み直したエンジン」というのが正確な理解です。

    軽量化という、もうひとつの主語

    F80型M3を語るうえで、エンジンと同じくらい重要なのが軽量化への執念です。車両重量は約1,520kg。先代E90型M3の約1,580kgから確実に削っています。ベースとなるF30型3シリーズ自体がアルミとスチールのマルチマテリアル構造を採用していましたが、M3ではさらにカーボンファイバー強化樹脂(CFRP)をルーフに使いました。

    CFRPルーフはE46型M3 CSL以来のM3の伝統ですが、F80ではこれを標準装備としています。つまり、軽量化をオプションやスペシャルモデルだけの話にせず、M3の基本仕様として組み込んだわけです。ボンネットもアルミ製に変更され、重心高の低減にも寄与しています。

    この「パワーで殴る」のではなく「軽さで走る」という思想は、M3が単なるハイパワーセダンではなく、バランスで勝負するスポーツカーであるというM社のメッセージでもありました。

    Competitionという名の「本命仕様」

    2016年に追加されたM3 Competitionは、出力を450PSに引き上げたモデルです。わずか19PSの上乗せに見えますが、変更点はエンジンだけではありません。足回りのセッティングが全面的に見直されています。

    具体的には、アダプティブMサスペンションのダンパー特性がよりスポーティに再調整され、スプリングレートも変更。エンジンマウントの剛性も上げられました。さらにエキゾーストシステムも専用品になり、排気音の演出も変わっています。標準モデルとの差は、カタログスペックの数字以上に走りの質感に表れるタイプの変更です。

    実際、Competition登場以降は「M3を買うならCompetition」という声が大勢を占めるようになりました。メーカーとしても、Competitionを事実上の本命仕様として位置づけていた節があります。標準モデルとの価格差に対して内容が濃すぎるのです。

    M3 CS──F80型の到達点

    2018年に登場したM3 CSは、F80世代の集大成と呼べるモデルです。世界限定1,200台。出力は460PSに引き上げられ、車両重量は標準M3からさらに約30kg軽量化されました。

    軽量化の手法は徹底しています。CFRPはルーフだけでなくボンネットにも採用され、リアスポイラーもCFRP製。内装ではリアシートの一部が軽量タイプに置き換えられ、遮音材も削減されています。快適性を少し手放してでも走りの純度を上げるという、CSL以来のMの伝統的手法です。

    足回りもCS専用セッティングで、標準やCompetitionよりもさらにダイレクトな操舵感を追求しています。0-100km/h加速は3.9秒。ニュルブルクリンク北コースでのラップタイムも先代E90型M3 GTSを上回ったとされています。

    ただ、M3 CSの本質は数字ではありません。「F80型M3というパッケージをここまで研ぎ澄ませたらどうなるか」という問いに対するM社の回答そのものです。限定生産ゆえに中古市場でもプレミアムがつき、F80世代のアイコンとしての地位を確立しました。

    賛否を超えて、F80が証明したこと

    F80型M3に対する批判は、発売当初から一定数ありました。ステアリングの電動化による手応えの変化、ターボエンジン特有のレスポンスの「間」、そして何より自然吸気の喪失。これらはすべて事実であり、先代までのM3に強い思い入れを持つ層にとっては受け入れがたい変化だったでしょう。

    一方で、F80型M3はスーパーセダンとしての総合性能では歴代最強でした。直線加速、コーナリングスピード、ブレーキング、そして日常的な使い勝手。すべてにおいて先代を上回っています。そしてCompetitionとCSという展開を通じて、「ベースモデルで完成」ではなく「段階的に研ぎ澄ませていく」というM3の新しい商品戦略を確立しました。

    この戦略は後継のG80型M3にもそのまま引き継がれています。つまりF80は、単に「ターボ化した世代」ではなく、M3というブランドの売り方そのものを再定義した世代でもあるのです。

    M3の本質は、エンジン形式ではない

    F80型M3を振り返ると、結局この車が問いかけていたのは「M3とは何か」という根本的なテーマです。直4ターボだったE30型M3、直6自然吸気のE36/E46、V8のE90、そして直6ターボのF80。エンジン形式はそのたびに変わってきました。

    それでもM3がM3であり続けられるのは、「3シリーズをベースに、その時代で可能な最高のスポーツセダンを作る」という設計思想がブレないからです。F80型は、環境規制とパフォーマンスの両立という時代の制約の中で、そのブレなさを証明した世代でした。

    好き嫌いは分かれて当然です。ただ、F80型M3がなければ、M3という車種が2020年代にこれほど強い存在感を持ち続けることは難しかったかもしれません。

    転換点とは、いつもそういうものです。

  • M3 – E30【ツーリングカーに勝つためだけに生まれたBMW】

    M3 – E30【ツーリングカーに勝つためだけに生まれたBMW】

    「レースに勝つために市販車を作る」。

    言葉にすると簡単ですが、本当にそれをやったメーカーは、歴史を振り返っても多くはありません。

    BMW M3のE30型は、まさにその数少ない実例です。

    しかもこの車は、単にモータースポーツの道具として終わらず、その後30年以上続く「M3」という名前の起点になりました。

    なぜBMWは「勝てる市販車」を必要としたのか

    1980年代前半、ツーリングカーレースの世界は大きな転換期にありました。

    FIAが1982年に新しいグループA規定を導入し、1987年からヨーロッパツーリングカー選手権(ETC)に本格適用されることが決まっていたのです。

    グループAのルールは明快で、同時に厳しいものでした。12か月間に5,000台以上生産された市販車をベースにしなければならず、改造範囲も大幅に制限されます。

    つまり、速い車でレースに勝ちたければ、速い市販車を作るしかない。

    当時BMWがレースに投入していたのは635CSiでしたが、大きく重いグランドツアラーでは新規定下で競争力を維持するのは困難でした。

    一方、最大のライバルであるメルセデス・ベンツは190E 2.3-16をすでに市販しており、コスワースが手がけた16バルブヘッドを武器にグループAへの布石を打っていました。

    BMWにとって、これは放置できない状況です。ツーリングカーレースはヨーロッパ市場でのブランドイメージに直結する舞台であり、メルセデスに主導権を渡すわけにはいきませんでした。

    モータースポーツ部門が主導した異例の開発

    E30 M3の開発を率いたのは、BMW Motorsport GmbH(現BMW M GmbH)でした。

    通常の量産車開発とは異なり、最初からレースでの勝利を最終目標に据えた、いわば逆算の車づくりです。

    ベースとなったのは3シリーズ(E30)の2ドアセダンですが、M3はそのボディの多くを専用設計に変更しています。

    ルーフラインは低められ、トランクリッドにはリップスポイラーが一体化され、前後フェンダーはブリスター状に膨らんでいます。一見するとE30の派生に見えますが、外板パネルの約半分が専用部品だったとされています。

    エンジンはBMW M社が手がけたS14型。ベースはM1やM635CSiに搭載されたM88系の直列6気筒ではなく、あえて直列4気筒が選ばれました。排気量2,302cc、DOHC16バルブで、市販仕様では200馬力を発生します。

    なぜ4気筒だったのか。これにはグループAの規定が深く関わっています。排気量区分の関係で、2.5リッター以下の4気筒エンジンを使うことが競技上有利だったのです。6気筒のままでは重量やクラス区分の面で不利になりかねませんでした。レースで勝つための判断が、市販車のエンジンレイアウトまで決定した好例です。

    このS14型エンジンは、鋳鉄ブロックにアルミ合金のクロスフロー式シリンダーヘッドを組み合わせたもので、高回転域での伸びと信頼性を両立する設計でした。レース仕様では300馬力を超え、後のエボリューションモデルでは排気量を2,467ccに拡大して市販でも215〜238馬力まで引き上げられています。

    レースでの圧倒的な戦績

    E30 M3は1987年にデビューするやいなや、ツーリングカーレースの世界を席巻しました。ヨーロッパツーリングカー選手権、ドイツツーリングカー選手権(DTM)、世界ツーリングカー選手権(WTCC)、さらにはマカオギアレースやスパ24時間まで、あらゆる舞台で勝利を積み重ねます。

    特にDTMでの強さは圧倒的でした。ロベルト・ラヴァーリア、ジョニー・チェコット、エマニュエル・ピロといったドライバーたちがM3を駆り、シリーズチャンピオンを獲得しています。1987年から1992年にかけて、M3はツーリングカーレースにおける最も成功した車両の一つとなりました。

    この成功は偶然ではありません。ホモロゲーション取得のために5,000台を超える生産が求められた結果、多くのプライベーターもM3を手に入れることができ、世界中のローカルレースにまでM3が行き渡ったのです。ワークスだけでなく、草の根レベルまで勝てる車だったことが、戦績の厚みにつながりました。

    公道でのM3はどんな車だったのか

    レースのための車と聞くと、公道では扱いにくい荒削りな車を想像するかもしれません。しかしE30 M3は、そこが少し違いました。

    確かに乗り心地は硬めで、S14型エンジンは低回転域のトルクが太いとは言えません。ただ、ステアリングの正確さ、車体の軽さ(車両重量は約1,200kg)、そしてエンジンが回転を上げたときの鋭いレスポンスは、当時の他のスポーツセダンとは明確に一線を画していました。

    特筆すべきは、車全体のバランスの良さです。前後重量配分はほぼ50:50に近く、リミテッドスリップデフを標準装備し、サスペンションジオメトリーはレースで得た知見がフィードバックされています。速さだけでなく、ドライバーが車と対話できる感覚がある。これが後のM3シリーズに受け継がれる本質的な価値観になりました。

    一方で、快適装備は当時の3シリーズ相応であり、パワーウィンドウやエアコンはオプションだったグレードもあります。あくまで走りに振った車であり、ラグジュアリーを求める車ではありませんでした。

    エボリューションモデルという進化の階段

    E30 M3の歴史を語るうえで、エボリューションモデルの存在は外せません。グループA規定では、500台以上の追加生産で進化型のホモロゲーションが取得できたため、BMWはこの制度を最大限に活用しました。

    1987年の「エボリューションI」ではエンジンの圧縮比向上やカムプロフィールの変更で220馬力に。1988年の「エボリューションII」ではさらにインテーク系の改良と排気量微増で220馬力のまま中間トルクを改善。そして1989年の「スポーツエボリューション」では排気量を2,467ccに拡大し、238馬力を達成しています。

    スポーツエボリューションはわずか600台の限定生産で、調整式のリアウイングや軽量化されたウィンドウなど、より競技寄りの装備が与えられました。現在では中古市場で極めて高い価値を持つ、コレクターズアイテムとなっています。

    こうした段階的な進化は、単なるマイナーチェンジとは本質的に異なります。すべてはレースレギュレーションへの対応であり、公道用の車がレースの要請によって進化していくという、グループA時代ならではの現象でした。

    M3という系譜の出発点

    E30 M3の生産は1991年に終了し、総生産台数は約17,970台とされています。ホモロゲーション用に5,000台を作るつもりが、結果的にその3倍以上売れた。これは、レースのために作った車が市場でも受け入れられたことの証です。

    後継のE36 M3は直列6気筒エンジンに回帰し、より洗練されたグランドツーリング的な性格を強めました。E30のような「レースありき」の荒削りさは薄れましたが、M3という名前が持つ「高性能3シリーズ」というブランドイメージは、E30が確立したものです。

    E46、E90、F80、そして現行のG80に至るまで、M3は世代を重ねるごとにパワーも装備も増えていきました。しかし、「なぜM3が特別なのか」という問いの答えは、常にE30に立ち返ります。レースに勝つために市販車を本気で作り、実際に勝ち、そしてその車が公道でも魅力的だった。この原体験が、M3の核にあるDNAです。

    E30 M3は、BMWが「駆けぬける歓び」を最も純粋な形で証明した一台でした。

    マーケティングのためではなく、勝負のために生まれた車。

    だからこそ、30年以上経った今でも、この車の存在感は色褪せないのです。

  • M3 – E90 / E92 / E93【V8を積んだ、最も異端のM3】

    M3 – E90 / E92 / E93【V8を積んだ、最も異端のM3】

    M3といえば直列6気筒。

    そう思っている人にとって、4代目は少し居心地の悪い存在かもしれません。なにしろこの世代だけが、V型8気筒を積んでいます。しかも自然吸気の高回転型。

    歴代M3の中でも明らかに毛色が違う1台ですが、だからこそ語るべきことが多い車でもあります。

    直6の伝統を断ち切った理由

    2007年に登場した4代目M3(セダンがE90、クーペがE92、カブリオレがE93)は、先代E46 M3の直列6気筒S54エンジンから一転、4.0L V8のS65エンジンを搭載しました。最高出力420ps、レッドゾーンは8,400rpm。数字だけ見ても、これが普通のV8ではないことがわかります。

    なぜ直6を捨てたのか。

    背景にはいくつかの事情があります。まず、当時のBMW Mが強く意識していたのはモータースポーツとの技術的な接続でした。S65エンジンは、当時のBMW M5(E60)に搭載されたV10・S85ユニットと基本設計を共有しており、そのS85はF1用エンジンの知見をフィードバックしたものです。つまりS65は、F1由来の技術を6気筒ではなく8気筒という形で3シリーズに降ろしてきた、という構図になります。

    もうひとつの理由は、出力とレスポンスの両立です。先代S54の343psから一気に420psへ引き上げるにあたって、直6のままでは排気量の拡大かターボ化が必要になります。しかしMの開発陣は、当時の段階では自然吸気・高回転というキャラクターを崩したくなかった。ならば気筒数を増やして1気筒あたりの排気量を小さくし、回転で稼ぐ。その結論がV8だったわけです。

    S65B40という心臓の正体

    S65B40は、排気量3,999cc、90度バンクのV8です。個別スロットルバルル(1気筒に1バタフライ)を備え、レスポンスの鋭さは自然吸気としては最高峰の部類でした。最大トルク400Nmの発生回転数は3,900rpm。決して低回転トルク型ではなく、回せば回すほど本領を発揮するタイプです。

    注目すべきは、このエンジンが乾燥重量で約202kgと、V8としてはかなり軽量だったことです。アルミニウムブロックの採用に加え、鍛造クランクシャフトなど細部まで軽量化が徹底されていました。BMW Mの開発陣は「パワーウェイトレシオだけでなく、エンジン単体の重量配分への影響まで考えた」と語っています。

    ただし、このエンジンには弱点もありました。高回転常用を前提とした設計ゆえに、ロッドベアリング(コンロッドの軸受け)の摩耗問題が一部で報告されています。定期的なオイル管理と、場合によっては予防的なベアリング交換が推奨されるという点は、中古で手に入れようとする人にとっては知っておくべき情報です。

    ボディが3種類ある意味

    4代目M3のもうひとつの特徴は、セダン・クーペ・カブリオレの3ボディが同時期にラインナップされたことです。歴代M3はクーペが主役というイメージが強いですが、この世代ではセダン(E90)が正式にM3として設定されました。これはE36以来、久しぶりのことです。

    この判断には、市場の変化が関係しています。2000年代後半、スポーツセダンの需要は確実に拡大していました。アウディRS4がセダンで成功を収め、メルセデスのAMG C63も4ドアが主力。BMWとしても、M3をクーペだけに閉じ込めておく理由がなくなっていたのです。

    実際、E90セダンは実用性とM3の走りを両立させたモデルとして、特にヨーロッパ市場で高い支持を受けました。後席に人を乗せられるM3という選択肢は、当時としてはかなり合理的でした。一方でE93カブリオレは、電動リトラクタブルハードトップの採用により車重が増加し、走りの純度という点ではやや評価が分かれます。

    シャシーとトランスミッションの進化

    E90/E92世代のM3は、足まわりにも手が入っています。フロントにアルミ製ダブルジョイント・ストラット、リアには5リンク式を採用。先代E46 M3から大幅にワイド化されたトレッドと、専用のサブフレームによって、V8の重量増を相殺するだけの横方向の安定性を確保していました。

    トランスミッションは6速MTが標準。加えて、この世代からM DCT(7速デュアルクラッチトランスミッション)がオプション設定されました。これはM3としては初のDCT採用であり、変速速度の速さと効率の高さから、サーキットユーザーを中心に支持を集めました。

    もっとも、M DCTの導入は「M3にATなんて」という反発も一部で生みました。ただ結果的に、このDCTは次世代以降のMモデルにおけるトランスミッション戦略の布石になっています。現行のM3/M4がトルコン8速ATを標準としつつMTも残すという構成になったのは、この世代での経験が下地にあるといえます。

    限定モデルが語る到達点

    E90/E92世代のM3には、いくつかの特別仕様が存在します。中でも象徴的なのがM3 GTSです。2010年に限定150台で販売されたこのモデルは、排気量を4.4Lに拡大して450psを発生。さらにロールケージの装備、リアシートの撤去、車重の大幅削減と、完全にサーキット志向に振り切った仕様でした。

    もうひとつ、M3 CRT(Carbon Racing Technology)というセダンベースの限定車も存在します。こちらは67台のみという極少数生産で、カーボンルーフやカーボンドライブシャフトなど軽量化技術を集中投入したモデルです。セダンボディでここまでやるのか、という驚きがありました。

    これらの限定車は、S65エンジンと自然吸気V8というパッケージの可能性を最後まで追求した存在です。言い換えれば、BMW M自身がこの方向性に一定の手応えを感じていた証拠でもあります。

    V8 M3が系譜に残したもの

    次の世代、F80/F82 M3/M4では、エンジンは直列6気筒ターボ(S55)に戻りました。つまりV8を積んだM3は、この世代だけです。一代限りの実験だった、と言ってしまうこともできます。

    しかし、この世代が系譜に残した影響は小さくありません。M DCTの導入、セダンボディの本格復活、カーボン素材の積極活用、そしてモータースポーツ技術の市販車への直接的なフィードバック。どれも、後のMモデルに引き継がれた要素です。

    そしてなにより、8,000rpm以上を常用域とする自然吸気V8を3シリーズサイズのボディに詰め込んだという事実そのものが、この車の最大の遺産です。ターボ全盛の現在、こんなエンジンはもう二度と作られないでしょう。

    E90/E92/E93のM3は、M3の系譜の中で最も異端でありながら、最も純粋に「回して楽しい」を追求した世代でもありました。

    直6の伝統から外れたことで賛否はありますが、だからこそ代替不可能な存在になっている。そういう車です。

  • M3 Competition Touring / CS Touring – G81【ついに実現した、M3初のワゴン】

    M3 Competition Touring / CS Touring – G81【ついに実現した、M3初のワゴン】

    M3にワゴンはない。それは長らく、BMWファンにとって「そういうもの」でした。初代E30から数えて30年以上、M3は常にセダンとクーペだけの世界で生きてきた。ところが2022年、ついにその常識が崩れます。G81型M3 Competition Touring。M3史上初の、正規のワゴンボディです。

    なぜ30年間、M3にワゴンは存在しなかったのか

    理由はシンプルで、「M3はサーキットを見据えたスポーツセダンだから」という思想が根っこにあったからです。ワゴンボディは重くなる。リアの剛性バランスも変わる。Mの開発陣にとって、それはパフォーマンスの妥協を意味していました。

    実際、E46世代あたりからファンの間では「M3ツーリングが欲しい」という声がずっとありました。しかしBMW Mはそのたびに首を横に振り続けてきた。少量生産でペイしないという事業的な理由もあったとされますが、それ以上に「Mの名にふさわしいかどうか」という哲学的な判断が大きかったようです。

    では、なぜG80/G81世代でそれが変わったのか。ここが面白いところです。

    M3ツーリングを可能にした構造と時代の変化

    最大の技術的な転機は、G80世代のM3が最初から4WD(M xDrive)を前提に設計されたことです。歴代M3は基本的にFR(後輪駆動)でしたが、G80では全輪駆動システムが標準的に組み込まれました。これにより、ワゴンボディの重量増やリア荷重の変化を、駆動配分で吸収しやすくなったわけです。

    もうひとつは市場の空気です。2020年前後、欧州ではメルセデスAMGがC63にワゴンを用意し、アウディRS4アバントは「速いワゴン」の代名詞として確固たる地位を築いていました。BMW Mだけがこのセグメントに不在だった。ファンの声だけでなく、競合環境がようやくMの背中を押した格好です。

    BMW M社の開発責任者だったフランク・ファン・ミール氏は、G81の発表に際して「ようやくこの車を世に出せることを誇りに思う」と語っています。この「ようやく」という言葉に、長年の葛藤がにじんでいます。単に作れなかったのではなく、作るべきタイミングを待っていた、という意味合いです。

    Competition Touringの中身──セダンとどこが違うのか

    G81のパワートレインは、セダンのG80 M3 Competitionとほぼ共通です。3.0リッター直列6気筒ツインターボ(S58型)で、最高出力510PS、最大トルク650Nm。トランスミッションは8速ATのみで、MTの設定はありません。駆動方式はM xDriveの4WDが標準です。

    ただし「ほぼ共通」と書いたのには理由があります。ツーリング専用のチューニングがリアサスペンションに施されています。ワゴンボディはリアオーバーハングが長くなり、荷室の荷重変動も大きい。そのため、リアのアダプティブダンパーやスプリングレートはセダンとは異なるセッティングが与えられています。

    車両重量はセダン比で約75kg増の1,910kg前後。この数字だけ見ると「やっぱり重いじゃないか」と思うかもしれません。しかし510PSと650Nmの前では、この差は実用上ほとんど体感できないレベルです。0-100km/h加速は3.6秒で、セダンの3.4秒と比べてもわずか0.2秒差。数字上の差よりも、実際の走りの仕上がりで勝負している車です。

    荷室容量は通常時500リッター、後席を倒せば1,510リッター。M3のバッジを付けた車に、ベビーカーもゴルフバッグも犬も載る。これがG81の最大の価値です。

    CS Touring──さらに研ぎ澄ませた存在

    2024年には、そのG81にさらにCS(Competition Sport)グレードが追加されました。M3 CS Touringです。CSはMモデルの中でも「通常のCompetitionよりさらに一段上、ただしGTSほど割り切っていない」という立ち位置のグレードで、歴代M3でもセダンには設定されてきましたが、ツーリングに与えられたのはもちろん初めてです。

    エンジンは同じS58型ですが、出力は550PSまで引き上げられています。40PSの上乗せは、主にブースト圧の最適化とECUのリマッピングによるもの。最大トルクは650Nmで据え置きですが、トルクの立ち上がりがより鋭くなっています。

    軽量化にも手が入っています。カーボン製のフロントバケットシート、ボンネット、リアディフューザーなどを採用し、Competitionツーリングから約20〜30kgの軽量化を実現。さらに足回りはCSセダンと同様のチューニングが施され、リアのスタビリティがより高められています。

    ここで注目すべきは、CS Touringが単なる「パワーアップ版」ではないという点です。BMWは内装の一部を簡素化し、遮音材も一部削っている。つまり快適性をわずかに削ってでも、走りの純度を上げる方向に振っている。ワゴンなのに、です。この矛盾こそがCS Touringの面白さであり、Mの本気度を示すポイントでもあります。

    速いワゴンの系譜における立ち位置

    「速いワゴン」というジャンルは、欧州では長い歴史を持っています。アウディRS2アバント(1994年)が切り拓き、RS4アバント、RS6アバント、メルセデスAMG Cクラスワゴン、Eクラスワゴンが続いた。BMWだけが、このフィールドに長く不在だったのです。

    M5ツーリング(E34/E61)という前例はありましたが、M3ではなかった。M3はBMW Mのアイデンティティそのものであり、「M3にワゴンを出す」ことは、「Mの哲学をどこまで広げるか」という問いに直結していました。

    G81はその問いに対する、ひとつの明確な回答です。パフォーマンスを犠牲にしない。ただし実用性は加える。その両立を、xDriveの技術とS58エンジンの余裕、そしてプラットフォームの進化が可能にした。つまりG81は「妥協の産物」ではなく、「技術が追いついた結果」として生まれた車です。

    M3ツーリングが意味するもの

    G81の存在は、M3という車の定義を静かに、しかし確実に書き換えました。M3はもはや「サーキットを目指すセダン」だけではない。家族を乗せて高速道路を走り、週末にはワインディングを楽しみ、必要なら大きな荷物も運べる。そういう車にもなれる、ということを証明したのがG81です。

    しかも、それを「M3の名前を借りただけの別物」ではなく、セダンと同等の走行性能を維持したまま実現している。ここにBMW Mの意地と技術力が凝縮されています。

    さらにCS Touringの追加は、「ワゴンだから少しマイルドに」という発想を完全に否定しました。ワゴンでもCSを名乗れる。ワゴンでも走りの純度を追求できる。G81とそのCS版は、M3の系譜において「初めてのツーリング」であると同時に、「ワゴンボディの可能性を証明した実験」でもあります。

    30年越しの答えは、待った甲斐のある仕上がりでした。