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  • BMW M3 – F80【直6ターボへの転換が突きつけた、M3の本質とは何か】

    BMW M3 – F80【直6ターボへの転換が突きつけた、M3の本質とは何か】

    M3の歴史の中で、F80型ほど「賛否が割れた世代」はなかったかもしれません。

    先代E90型M3が搭載したV8自然吸気・S65エンジンの官能性を惜しむ声は、発表前から相当なものでした。それでもBMWのM社は、直列6気筒ツインターボという新しい心臓を選びました。

    なぜか。そこには、感情論だけでは片付けられない明確な理由があります。

    V8の後に、なぜ直6ターボだったのか

    F80型M3が登場したのは2014年。

    先代E90系M3は4.0L V8自然吸気のS65エンジンを積み、8,300rpmまで回る高回転型ユニットで多くのファンを魅了しました。ただ、その代償として燃費性能は厳しく、EU圏で年々強化されるCO2排出規制への対応が大きな課題になっていました。

    M社が選んだ答えは、3.0L直列6気筒ツインターボのS55エンジンです。排気量を大幅に下げながら、最高出力431PS、最大トルク550Nmという数値を実現しました。

    先代S65の420PS/400Nmと比べると、とくにトルクの差が圧倒的です。低回転から太いトルクが立ち上がる特性は、サーキットだけでなく日常の扱いやすさにも直結しました。

    要するに、「回して楽しい」から「踏めば速い」への転換です。これを退化と見るか進化と見るかは立場によって分かれますが、M社としてはハイパフォーマンスと環境規制の両立という命題に対して、もっとも合理的な解を出したと言えます。

    ちなみにS55エンジンは、当時のM3/M4専用設計です。量産のN55をベースにしつつ、クランクシャフト、コンロッド、ピストン、吸排気系、冷却系をすべて専用品に置き換えています。「チューンドエンジン」ではなく「Mが一から組み直したエンジン」というのが正確な理解です。

    軽量化という、もうひとつの主語

    F80型M3を語るうえで、エンジンと同じくらい重要なのが軽量化への執念です。車両重量は約1,520kg。先代E90型M3の約1,580kgから確実に削っています。ベースとなるF30型3シリーズ自体がアルミとスチールのマルチマテリアル構造を採用していましたが、M3ではさらにカーボンファイバー強化樹脂(CFRP)をルーフに使いました。

    CFRPルーフはE46型M3 CSL以来のM3の伝統ですが、F80ではこれを標準装備としています。つまり、軽量化をオプションやスペシャルモデルだけの話にせず、M3の基本仕様として組み込んだわけです。ボンネットもアルミ製に変更され、重心高の低減にも寄与しています。

    この「パワーで殴る」のではなく「軽さで走る」という思想は、M3が単なるハイパワーセダンではなく、バランスで勝負するスポーツカーであるというM社のメッセージでもありました。

    Competitionという名の「本命仕様」

    2016年に追加されたM3 Competitionは、出力を450PSに引き上げたモデルです。わずか19PSの上乗せに見えますが、変更点はエンジンだけではありません。足回りのセッティングが全面的に見直されています。

    具体的には、アダプティブMサスペンションのダンパー特性がよりスポーティに再調整され、スプリングレートも変更。エンジンマウントの剛性も上げられました。さらにエキゾーストシステムも専用品になり、排気音の演出も変わっています。標準モデルとの差は、カタログスペックの数字以上に走りの質感に表れるタイプの変更です。

    実際、Competition登場以降は「M3を買うならCompetition」という声が大勢を占めるようになりました。メーカーとしても、Competitionを事実上の本命仕様として位置づけていた節があります。標準モデルとの価格差に対して内容が濃すぎるのです。

    M3 CS──F80型の到達点

    2018年に登場したM3 CSは、F80世代の集大成と呼べるモデルです。世界限定1,200台。出力は460PSに引き上げられ、車両重量は標準M3からさらに約30kg軽量化されました。

    軽量化の手法は徹底しています。CFRPはルーフだけでなくボンネットにも採用され、リアスポイラーもCFRP製。内装ではリアシートの一部が軽量タイプに置き換えられ、遮音材も削減されています。快適性を少し手放してでも走りの純度を上げるという、CSL以来のMの伝統的手法です。

    足回りもCS専用セッティングで、標準やCompetitionよりもさらにダイレクトな操舵感を追求しています。0-100km/h加速は3.9秒。ニュルブルクリンク北コースでのラップタイムも先代E90型M3 GTSを上回ったとされています。

    ただ、M3 CSの本質は数字ではありません。「F80型M3というパッケージをここまで研ぎ澄ませたらどうなるか」という問いに対するM社の回答そのものです。限定生産ゆえに中古市場でもプレミアムがつき、F80世代のアイコンとしての地位を確立しました。

    賛否を超えて、F80が証明したこと

    F80型M3に対する批判は、発売当初から一定数ありました。ステアリングの電動化による手応えの変化、ターボエンジン特有のレスポンスの「間」、そして何より自然吸気の喪失。これらはすべて事実であり、先代までのM3に強い思い入れを持つ層にとっては受け入れがたい変化だったでしょう。

    一方で、F80型M3はスーパーセダンとしての総合性能では歴代最強でした。直線加速、コーナリングスピード、ブレーキング、そして日常的な使い勝手。すべてにおいて先代を上回っています。そしてCompetitionとCSという展開を通じて、「ベースモデルで完成」ではなく「段階的に研ぎ澄ませていく」というM3の新しい商品戦略を確立しました。

    この戦略は後継のG80型M3にもそのまま引き継がれています。つまりF80は、単に「ターボ化した世代」ではなく、M3というブランドの売り方そのものを再定義した世代でもあるのです。

    M3の本質は、エンジン形式ではない

    F80型M3を振り返ると、結局この車が問いかけていたのは「M3とは何か」という根本的なテーマです。直4ターボだったE30型M3、直6自然吸気のE36/E46、V8のE90、そして直6ターボのF80。エンジン形式はそのたびに変わってきました。

    それでもM3がM3であり続けられるのは、「3シリーズをベースに、その時代で可能な最高のスポーツセダンを作る」という設計思想がブレないからです。F80型は、環境規制とパフォーマンスの両立という時代の制約の中で、そのブレなさを証明した世代でした。

    好き嫌いは分かれて当然です。ただ、F80型M3がなければ、M3という車種が2020年代にこれほど強い存在感を持ち続けることは難しかったかもしれません。

    転換点とは、いつもそういうものです。

  • M3 – E30【ツーリングカーに勝つためだけに生まれたBMW】

    M3 – E30【ツーリングカーに勝つためだけに生まれたBMW】

    「レースに勝つために市販車を作る」。

    言葉にすると簡単ですが、本当にそれをやったメーカーは、歴史を振り返っても多くはありません。

    BMW M3のE30型は、まさにその数少ない実例です。

    しかもこの車は、単にモータースポーツの道具として終わらず、その後30年以上続く「M3」という名前の起点になりました。

    なぜBMWは「勝てる市販車」を必要としたのか

    1980年代前半、ツーリングカーレースの世界は大きな転換期にありました。

    FIAが1982年に新しいグループA規定を導入し、1987年からヨーロッパツーリングカー選手権(ETC)に本格適用されることが決まっていたのです。

    グループAのルールは明快で、同時に厳しいものでした。12か月間に5,000台以上生産された市販車をベースにしなければならず、改造範囲も大幅に制限されます。

    つまり、速い車でレースに勝ちたければ、速い市販車を作るしかない。

    当時BMWがレースに投入していたのは635CSiでしたが、大きく重いグランドツアラーでは新規定下で競争力を維持するのは困難でした。

    一方、最大のライバルであるメルセデス・ベンツは190E 2.3-16をすでに市販しており、コスワースが手がけた16バルブヘッドを武器にグループAへの布石を打っていました。

    BMWにとって、これは放置できない状況です。ツーリングカーレースはヨーロッパ市場でのブランドイメージに直結する舞台であり、メルセデスに主導権を渡すわけにはいきませんでした。

    モータースポーツ部門が主導した異例の開発

    E30 M3の開発を率いたのは、BMW Motorsport GmbH(現BMW M GmbH)でした。

    通常の量産車開発とは異なり、最初からレースでの勝利を最終目標に据えた、いわば逆算の車づくりです。

    ベースとなったのは3シリーズ(E30)の2ドアセダンですが、M3はそのボディの多くを専用設計に変更しています。

    ルーフラインは低められ、トランクリッドにはリップスポイラーが一体化され、前後フェンダーはブリスター状に膨らんでいます。一見するとE30の派生に見えますが、外板パネルの約半分が専用部品だったとされています。

    エンジンはBMW M社が手がけたS14型。ベースはM1やM635CSiに搭載されたM88系の直列6気筒ではなく、あえて直列4気筒が選ばれました。排気量2,302cc、DOHC16バルブで、市販仕様では200馬力を発生します。

    なぜ4気筒だったのか。これにはグループAの規定が深く関わっています。排気量区分の関係で、2.5リッター以下の4気筒エンジンを使うことが競技上有利だったのです。6気筒のままでは重量やクラス区分の面で不利になりかねませんでした。レースで勝つための判断が、市販車のエンジンレイアウトまで決定した好例です。

    このS14型エンジンは、鋳鉄ブロックにアルミ合金のクロスフロー式シリンダーヘッドを組み合わせたもので、高回転域での伸びと信頼性を両立する設計でした。レース仕様では300馬力を超え、後のエボリューションモデルでは排気量を2,467ccに拡大して市販でも215〜238馬力まで引き上げられています。

    レースでの圧倒的な戦績

    E30 M3は1987年にデビューするやいなや、ツーリングカーレースの世界を席巻しました。ヨーロッパツーリングカー選手権、ドイツツーリングカー選手権(DTM)、世界ツーリングカー選手権(WTCC)、さらにはマカオギアレースやスパ24時間まで、あらゆる舞台で勝利を積み重ねます。

    特にDTMでの強さは圧倒的でした。ロベルト・ラヴァーリア、ジョニー・チェコット、エマニュエル・ピロといったドライバーたちがM3を駆り、シリーズチャンピオンを獲得しています。1987年から1992年にかけて、M3はツーリングカーレースにおける最も成功した車両の一つとなりました。

    この成功は偶然ではありません。ホモロゲーション取得のために5,000台を超える生産が求められた結果、多くのプライベーターもM3を手に入れることができ、世界中のローカルレースにまでM3が行き渡ったのです。ワークスだけでなく、草の根レベルまで勝てる車だったことが、戦績の厚みにつながりました。

    公道でのM3はどんな車だったのか

    レースのための車と聞くと、公道では扱いにくい荒削りな車を想像するかもしれません。しかしE30 M3は、そこが少し違いました。

    確かに乗り心地は硬めで、S14型エンジンは低回転域のトルクが太いとは言えません。ただ、ステアリングの正確さ、車体の軽さ(車両重量は約1,200kg)、そしてエンジンが回転を上げたときの鋭いレスポンスは、当時の他のスポーツセダンとは明確に一線を画していました。

    特筆すべきは、車全体のバランスの良さです。前後重量配分はほぼ50:50に近く、リミテッドスリップデフを標準装備し、サスペンションジオメトリーはレースで得た知見がフィードバックされています。速さだけでなく、ドライバーが車と対話できる感覚がある。これが後のM3シリーズに受け継がれる本質的な価値観になりました。

    一方で、快適装備は当時の3シリーズ相応であり、パワーウィンドウやエアコンはオプションだったグレードもあります。あくまで走りに振った車であり、ラグジュアリーを求める車ではありませんでした。

    エボリューションモデルという進化の階段

    E30 M3の歴史を語るうえで、エボリューションモデルの存在は外せません。グループA規定では、500台以上の追加生産で進化型のホモロゲーションが取得できたため、BMWはこの制度を最大限に活用しました。

    1987年の「エボリューションI」ではエンジンの圧縮比向上やカムプロフィールの変更で220馬力に。1988年の「エボリューションII」ではさらにインテーク系の改良と排気量微増で220馬力のまま中間トルクを改善。そして1989年の「スポーツエボリューション」では排気量を2,467ccに拡大し、238馬力を達成しています。

    スポーツエボリューションはわずか600台の限定生産で、調整式のリアウイングや軽量化されたウィンドウなど、より競技寄りの装備が与えられました。現在では中古市場で極めて高い価値を持つ、コレクターズアイテムとなっています。

    こうした段階的な進化は、単なるマイナーチェンジとは本質的に異なります。すべてはレースレギュレーションへの対応であり、公道用の車がレースの要請によって進化していくという、グループA時代ならではの現象でした。

    M3という系譜の出発点

    E30 M3の生産は1991年に終了し、総生産台数は約17,970台とされています。ホモロゲーション用に5,000台を作るつもりが、結果的にその3倍以上売れた。これは、レースのために作った車が市場でも受け入れられたことの証です。

    後継のE36 M3は直列6気筒エンジンに回帰し、より洗練されたグランドツーリング的な性格を強めました。E30のような「レースありき」の荒削りさは薄れましたが、M3という名前が持つ「高性能3シリーズ」というブランドイメージは、E30が確立したものです。

    E46、E90、F80、そして現行のG80に至るまで、M3は世代を重ねるごとにパワーも装備も増えていきました。しかし、「なぜM3が特別なのか」という問いの答えは、常にE30に立ち返ります。レースに勝つために市販車を本気で作り、実際に勝ち、そしてその車が公道でも魅力的だった。この原体験が、M3の核にあるDNAです。

    E30 M3は、BMWが「駆けぬける歓び」を最も純粋な形で証明した一台でした。

    マーケティングのためではなく、勝負のために生まれた車。

    だからこそ、30年以上経った今でも、この車の存在感は色褪せないのです。

  • M3 – E90 / E92 / E93【V8を積んだ、最も異端のM3】

    M3 – E90 / E92 / E93【V8を積んだ、最も異端のM3】

    M3といえば直列6気筒。

    そう思っている人にとって、4代目は少し居心地の悪い存在かもしれません。なにしろこの世代だけが、V型8気筒を積んでいます。しかも自然吸気の高回転型。

    歴代M3の中でも明らかに毛色が違う1台ですが、だからこそ語るべきことが多い車でもあります。

    直6の伝統を断ち切った理由

    2007年に登場した4代目M3(セダンがE90、クーペがE92、カブリオレがE93)は、先代E46 M3の直列6気筒S54エンジンから一転、4.0L V8のS65エンジンを搭載しました。最高出力420ps、レッドゾーンは8,400rpm。数字だけ見ても、これが普通のV8ではないことがわかります。

    なぜ直6を捨てたのか。

    背景にはいくつかの事情があります。まず、当時のBMW Mが強く意識していたのはモータースポーツとの技術的な接続でした。S65エンジンは、当時のBMW M5(E60)に搭載されたV10・S85ユニットと基本設計を共有しており、そのS85はF1用エンジンの知見をフィードバックしたものです。つまりS65は、F1由来の技術を6気筒ではなく8気筒という形で3シリーズに降ろしてきた、という構図になります。

    もうひとつの理由は、出力とレスポンスの両立です。先代S54の343psから一気に420psへ引き上げるにあたって、直6のままでは排気量の拡大かターボ化が必要になります。しかしMの開発陣は、当時の段階では自然吸気・高回転というキャラクターを崩したくなかった。ならば気筒数を増やして1気筒あたりの排気量を小さくし、回転で稼ぐ。その結論がV8だったわけです。

    S65B40という心臓の正体

    S65B40は、排気量3,999cc、90度バンクのV8です。個別スロットルバルル(1気筒に1バタフライ)を備え、レスポンスの鋭さは自然吸気としては最高峰の部類でした。最大トルク400Nmの発生回転数は3,900rpm。決して低回転トルク型ではなく、回せば回すほど本領を発揮するタイプです。

    注目すべきは、このエンジンが乾燥重量で約202kgと、V8としてはかなり軽量だったことです。アルミニウムブロックの採用に加え、鍛造クランクシャフトなど細部まで軽量化が徹底されていました。BMW Mの開発陣は「パワーウェイトレシオだけでなく、エンジン単体の重量配分への影響まで考えた」と語っています。

    ただし、このエンジンには弱点もありました。高回転常用を前提とした設計ゆえに、ロッドベアリング(コンロッドの軸受け)の摩耗問題が一部で報告されています。定期的なオイル管理と、場合によっては予防的なベアリング交換が推奨されるという点は、中古で手に入れようとする人にとっては知っておくべき情報です。

    ボディが3種類ある意味

    4代目M3のもうひとつの特徴は、セダン・クーペ・カブリオレの3ボディが同時期にラインナップされたことです。歴代M3はクーペが主役というイメージが強いですが、この世代ではセダン(E90)が正式にM3として設定されました。これはE36以来、久しぶりのことです。

    この判断には、市場の変化が関係しています。2000年代後半、スポーツセダンの需要は確実に拡大していました。アウディRS4がセダンで成功を収め、メルセデスのAMG C63も4ドアが主力。BMWとしても、M3をクーペだけに閉じ込めておく理由がなくなっていたのです。

    実際、E90セダンは実用性とM3の走りを両立させたモデルとして、特にヨーロッパ市場で高い支持を受けました。後席に人を乗せられるM3という選択肢は、当時としてはかなり合理的でした。一方でE93カブリオレは、電動リトラクタブルハードトップの採用により車重が増加し、走りの純度という点ではやや評価が分かれます。

    シャシーとトランスミッションの進化

    E90/E92世代のM3は、足まわりにも手が入っています。フロントにアルミ製ダブルジョイント・ストラット、リアには5リンク式を採用。先代E46 M3から大幅にワイド化されたトレッドと、専用のサブフレームによって、V8の重量増を相殺するだけの横方向の安定性を確保していました。

    トランスミッションは6速MTが標準。加えて、この世代からM DCT(7速デュアルクラッチトランスミッション)がオプション設定されました。これはM3としては初のDCT採用であり、変速速度の速さと効率の高さから、サーキットユーザーを中心に支持を集めました。

    もっとも、M DCTの導入は「M3にATなんて」という反発も一部で生みました。ただ結果的に、このDCTは次世代以降のMモデルにおけるトランスミッション戦略の布石になっています。現行のM3/M4がトルコン8速ATを標準としつつMTも残すという構成になったのは、この世代での経験が下地にあるといえます。

    限定モデルが語る到達点

    E90/E92世代のM3には、いくつかの特別仕様が存在します。中でも象徴的なのがM3 GTSです。2010年に限定150台で販売されたこのモデルは、排気量を4.4Lに拡大して450psを発生。さらにロールケージの装備、リアシートの撤去、車重の大幅削減と、完全にサーキット志向に振り切った仕様でした。

    もうひとつ、M3 CRT(Carbon Racing Technology)というセダンベースの限定車も存在します。こちらは67台のみという極少数生産で、カーボンルーフやカーボンドライブシャフトなど軽量化技術を集中投入したモデルです。セダンボディでここまでやるのか、という驚きがありました。

    これらの限定車は、S65エンジンと自然吸気V8というパッケージの可能性を最後まで追求した存在です。言い換えれば、BMW M自身がこの方向性に一定の手応えを感じていた証拠でもあります。

    V8 M3が系譜に残したもの

    次の世代、F80/F82 M3/M4では、エンジンは直列6気筒ターボ(S55)に戻りました。つまりV8を積んだM3は、この世代だけです。一代限りの実験だった、と言ってしまうこともできます。

    しかし、この世代が系譜に残した影響は小さくありません。M DCTの導入、セダンボディの本格復活、カーボン素材の積極活用、そしてモータースポーツ技術の市販車への直接的なフィードバック。どれも、後のMモデルに引き継がれた要素です。

    そしてなにより、8,000rpm以上を常用域とする自然吸気V8を3シリーズサイズのボディに詰め込んだという事実そのものが、この車の最大の遺産です。ターボ全盛の現在、こんなエンジンはもう二度と作られないでしょう。

    E90/E92/E93のM3は、M3の系譜の中で最も異端でありながら、最も純粋に「回して楽しい」を追求した世代でもありました。

    直6の伝統から外れたことで賛否はありますが、だからこそ代替不可能な存在になっている。そういう車です。

  • M3 Competition Touring / CS Touring – G81【ついに実現した、M3初のワゴン】

    M3 Competition Touring / CS Touring – G81【ついに実現した、M3初のワゴン】

    M3にワゴンはない。それは長らく、BMWファンにとって「そういうもの」でした。初代E30から数えて30年以上、M3は常にセダンとクーペだけの世界で生きてきた。ところが2022年、ついにその常識が崩れます。G81型M3 Competition Touring。M3史上初の、正規のワゴンボディです。

    なぜ30年間、M3にワゴンは存在しなかったのか

    理由はシンプルで、「M3はサーキットを見据えたスポーツセダンだから」という思想が根っこにあったからです。ワゴンボディは重くなる。リアの剛性バランスも変わる。Mの開発陣にとって、それはパフォーマンスの妥協を意味していました。

    実際、E46世代あたりからファンの間では「M3ツーリングが欲しい」という声がずっとありました。しかしBMW Mはそのたびに首を横に振り続けてきた。少量生産でペイしないという事業的な理由もあったとされますが、それ以上に「Mの名にふさわしいかどうか」という哲学的な判断が大きかったようです。

    では、なぜG80/G81世代でそれが変わったのか。ここが面白いところです。

    M3ツーリングを可能にした構造と時代の変化

    最大の技術的な転機は、G80世代のM3が最初から4WD(M xDrive)を前提に設計されたことです。歴代M3は基本的にFR(後輪駆動)でしたが、G80では全輪駆動システムが標準的に組み込まれました。これにより、ワゴンボディの重量増やリア荷重の変化を、駆動配分で吸収しやすくなったわけです。

    もうひとつは市場の空気です。2020年前後、欧州ではメルセデスAMGがC63にワゴンを用意し、アウディRS4アバントは「速いワゴン」の代名詞として確固たる地位を築いていました。BMW Mだけがこのセグメントに不在だった。ファンの声だけでなく、競合環境がようやくMの背中を押した格好です。

    BMW M社の開発責任者だったフランク・ファン・ミール氏は、G81の発表に際して「ようやくこの車を世に出せることを誇りに思う」と語っています。この「ようやく」という言葉に、長年の葛藤がにじんでいます。単に作れなかったのではなく、作るべきタイミングを待っていた、という意味合いです。

    Competition Touringの中身──セダンとどこが違うのか

    G81のパワートレインは、セダンのG80 M3 Competitionとほぼ共通です。3.0リッター直列6気筒ツインターボ(S58型)で、最高出力510PS、最大トルク650Nm。トランスミッションは8速ATのみで、MTの設定はありません。駆動方式はM xDriveの4WDが標準です。

    ただし「ほぼ共通」と書いたのには理由があります。ツーリング専用のチューニングがリアサスペンションに施されています。ワゴンボディはリアオーバーハングが長くなり、荷室の荷重変動も大きい。そのため、リアのアダプティブダンパーやスプリングレートはセダンとは異なるセッティングが与えられています。

    車両重量はセダン比で約75kg増の1,910kg前後。この数字だけ見ると「やっぱり重いじゃないか」と思うかもしれません。しかし510PSと650Nmの前では、この差は実用上ほとんど体感できないレベルです。0-100km/h加速は3.6秒で、セダンの3.4秒と比べてもわずか0.2秒差。数字上の差よりも、実際の走りの仕上がりで勝負している車です。

    荷室容量は通常時500リッター、後席を倒せば1,510リッター。M3のバッジを付けた車に、ベビーカーもゴルフバッグも犬も載る。これがG81の最大の価値です。

    CS Touring──さらに研ぎ澄ませた存在

    2024年には、そのG81にさらにCS(Competition Sport)グレードが追加されました。M3 CS Touringです。CSはMモデルの中でも「通常のCompetitionよりさらに一段上、ただしGTSほど割り切っていない」という立ち位置のグレードで、歴代M3でもセダンには設定されてきましたが、ツーリングに与えられたのはもちろん初めてです。

    エンジンは同じS58型ですが、出力は550PSまで引き上げられています。40PSの上乗せは、主にブースト圧の最適化とECUのリマッピングによるもの。最大トルクは650Nmで据え置きですが、トルクの立ち上がりがより鋭くなっています。

    軽量化にも手が入っています。カーボン製のフロントバケットシート、ボンネット、リアディフューザーなどを採用し、Competitionツーリングから約20〜30kgの軽量化を実現。さらに足回りはCSセダンと同様のチューニングが施され、リアのスタビリティがより高められています。

    ここで注目すべきは、CS Touringが単なる「パワーアップ版」ではないという点です。BMWは内装の一部を簡素化し、遮音材も一部削っている。つまり快適性をわずかに削ってでも、走りの純度を上げる方向に振っている。ワゴンなのに、です。この矛盾こそがCS Touringの面白さであり、Mの本気度を示すポイントでもあります。

    速いワゴンの系譜における立ち位置

    「速いワゴン」というジャンルは、欧州では長い歴史を持っています。アウディRS2アバント(1994年)が切り拓き、RS4アバント、RS6アバント、メルセデスAMG Cクラスワゴン、Eクラスワゴンが続いた。BMWだけが、このフィールドに長く不在だったのです。

    M5ツーリング(E34/E61)という前例はありましたが、M3ではなかった。M3はBMW Mのアイデンティティそのものであり、「M3にワゴンを出す」ことは、「Mの哲学をどこまで広げるか」という問いに直結していました。

    G81はその問いに対する、ひとつの明確な回答です。パフォーマンスを犠牲にしない。ただし実用性は加える。その両立を、xDriveの技術とS58エンジンの余裕、そしてプラットフォームの進化が可能にした。つまりG81は「妥協の産物」ではなく、「技術が追いついた結果」として生まれた車です。

    M3ツーリングが意味するもの

    G81の存在は、M3という車の定義を静かに、しかし確実に書き換えました。M3はもはや「サーキットを目指すセダン」だけではない。家族を乗せて高速道路を走り、週末にはワインディングを楽しみ、必要なら大きな荷物も運べる。そういう車にもなれる、ということを証明したのがG81です。

    しかも、それを「M3の名前を借りただけの別物」ではなく、セダンと同等の走行性能を維持したまま実現している。ここにBMW Mの意地と技術力が凝縮されています。

    さらにCS Touringの追加は、「ワゴンだから少しマイルドに」という発想を完全に否定しました。ワゴンでもCSを名乗れる。ワゴンでも走りの純度を追求できる。G81とそのCS版は、M3の系譜において「初めてのツーリング」であると同時に、「ワゴンボディの可能性を証明した実験」でもあります。

    30年越しの答えは、待った甲斐のある仕上がりでした。