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  • アバルト 595 – 31214T【フィアットの小さな箱に毒を盛った、現代アバルトの原点】

    アバルト 595 – 31214T【フィアットの小さな箱に毒を盛った、現代アバルトの原点】

    「アバルト」という名前を聞いて、サソリのエンブレムを思い浮かべる人は多いと思います。

    ただ、その実体がどういうブランドなのかを正確に説明できる人は、意外と少ないかもしれません。

    かつてはフィアット車をベースにしたチューニングメーカーであり、レースの世界で数え切れないほどのタイトルを獲った伝説的な存在。

    しかし1971年にフィアットに吸収されて以降、長い沈黙の時代がありました。その沈黙を破って現代に蘇ったブランドの、最も象徴的なモデルが「595」です。

    アバルト復活と「新500」という舞台装置

    アバルトが独立ブランドとして再始動したのは2007年のことです。

    フィアットグループがアバルトの名を冠した専門部門「アバルト&C.」を設立し、再び市販車を送り出す体制を整えました。そしてその最初の主役に選ばれたのが、同年デビューしたばかりの新型フィアット500でした。

    この組み合わせには、明確な歴史的文脈があります。1960年代、カルロ・アバルトが最も得意としたのは、フィアット600やフィアット500といった小さな大衆車をベースにした高性能モデルの製作でした。つまり「小さなフィアットにアバルトが手を入れる」という構図そのものが、ブランドのDNAそのものだったわけです。

    新型フィアット500は、レトロモダンなデザインで大きな話題を呼んでいました。ここにアバルトの毒を注ぐというのは、マーケティング的にも商品企画的にも、これ以上ないほど筋の通った判断だったと言えます。

    31214T型の成り立ち

    アバルト 595の型式「31214T」は、ベースとなるフィアット500(型式312)の派生であることを示しています。最初に登場したのは「アバルト500」という名称で、2008年に発売されました。その後、2012年のマイナーチェンジを機に車名が「595」へと変更されます。

    なぜ「595」なのか。これも歴史への接続です。1963年に登場した「フィアット・アバルト595」は、初代フィアット500のエンジンを排気量アップしてチューンした伝説的なモデルでした。その名前をそのまま復活させたのは、単なるノスタルジーではなく、「小さなフィアットを速くする」というアバルトの存在意義を改めて宣言する意味があったはずです。

    エンジンは1.4リッター直4ターボ、いわゆるフィアットのMultiAirユニットがベースです。標準の595で135馬力、595 ツーリズモで160馬力前後、そしてトップグレードの595 コンペティツィオーネでは最終的に180馬力にまで引き上げられました。車両重量はおよそ1,100kg台ですから、パワーウェイトレシオで考えれば十分に「速い」部類に入ります。

    数字では伝わらない刺激の正体

    ただ、アバルト595の本質はスペックシートの数字だけでは語れません。135馬力や180馬力という数字は、現代のホットハッチとしては控えめに見えるかもしれない。実際、同時代のルノー・メガーヌRSやフォルクスワーゲン・ゴルフGTIと比べれば、絶対的な性能では明らかに劣ります。

    しかし、この車の「速さの体感」は数字以上のものがあります。全長3.7m以下、ホイールベースは2.3m。この極端に短いボディに、ターボで過給されたエンジンが前輪を蹴り飛ばすように回す。レコードモンツァと呼ばれる専用排気系が、街中でも遠慮なく吠える。ステアリングはクイックで、サスペンションは硬い。

    要するに、すべてが近いのです。ドライバーとクルマの間に距離がない。

    この「近さ」こそが、アバルト595が多くのファンを掴んだ最大の理由でしょう。大排気量の高性能車が持つ余裕とは対極にある、ギリギリの刺激。それは1960年代のオリジナル595が持っていた魅力と、本質的に同じものです。

    グレード展開という巧みな商品設計

    アバルト595のもうひとつの特徴は、グレード展開の巧みさです。標準の「595」、快適性を少し加えた「ツーリズモ」、そして走りに振り切った「コンペティツィオーネ」。この三段構えは、2012年の595化以降、モデルライフを通じて基本的に維持されました。

    コンペティツィオーネにはメカニカルLSD(機械式リミテッドスリップデフ)やブレンボ製ブレーキが奢られ、サスペンションもコニ製のFSD(周波数感応型ダンパー)が採用されています。これは「見た目だけのスポーツモデル」ではなく、ちゃんと足回りとブレーキにコストをかけた本気の仕様です。

    一方でツーリズモは、レザーシートや少し穏やかなセッティングで「毎日乗れるアバルト」を提案しました。この棲み分けがうまく機能したからこそ、595は一部のマニア向けではなく、幅広い層に受け入れられたのだと思います。

    さらに言えば、限定モデルの多さも595の特徴です。695ビポスト、695リヴァーレ、695セッタンタ・アニヴェルサーリオなど、数え切れないほどの特別仕様車が次々と投入されました。ベースが同じでも、味付けを変えることでコレクター心をくすぐる。これはアバルトというブランドの商売上手な一面でもあり、同時に小さなクルマだからこそ成立する戦略でもありました。

    長寿モデルの功罪

    31214T型のアバルト595は、2008年の登場から2023年の生産終了まで、実に15年以上にわたって販売されました。これは現代の自動車としては異例の長寿です。その間、エンジン出力の段階的な引き上げ、インフォテインメント系のアップデート、安全装備の追加など、細かな改良は重ねられましたが、基本設計は最後まで変わっていません。

    この長寿には良い面と難しい面の両方があります。良い面は、熟成が進んだこと。年を追うごとにセッティングが洗練され、後期型ほど完成度が高いという評価は多くのオーナーから聞かれます。

    難しい面は、やはり安全基準や環境規制への対応です。ベースのフィアット500自体が2007年設計のプラットフォームですから、最新の衝突安全基準に対しては構造的な限界がありました。Euro NCAPの評価も、登場時と末期では求められる水準がまるで違います。最終的に生産終了となった背景には、欧州の排ガス規制強化も大きく影響しています。

    電動化時代に残した意味

    2023年、アバルト595は生産を終了し、後継として電気自動車の「アバルト500e」が登場しました。内燃機関のアバルトは、ここでひとつの区切りを迎えたことになります。

    500eは0-100km/h加速7秒を謳い、専用のサウンドジェネレーターで「アバルトらしさ」を演出しようとしています。ただ、595が持っていたあの生々しい刺激——エンジンの鼓動、排気音の暴力性、トルクステアとの格闘——を電動モデルがそのまま引き継げるかと言えば、それは別の話です。

    だからこそ、31214T型の595には特別な意味があります。「小さなフィアットにサソリの毒を盛る」という、カルロ・アバルトが始めた遊びを、内燃機関で最後までやり切ったモデルだからです。

    現代のクルマとしては荒削りで、快適とは言いがたい部分もある。でも、そういう「足りなさ」が逆にドライバーを夢中にさせる。595が15年間も売れ続けた理由は、結局そこに尽きるのだと思います。

    小さくて、うるさくて、少し不便で、でもたまらなく楽しい。それがアバルト595という車の正体です。

  • フィアット・アバルト 595 SS – 110D/110F/110F/L【小さなサソリが刺した、最も有名な毒】

    フィアット・アバルト 595 SS – 110D/110F/110F/L【小さなサソリが刺した、最も有名な毒】

    「アバルト」と聞いて、多くの人が最初に思い浮かべるクルマがあるとすれば、おそらくこれでしょう。フィアット・アバルト 595 SS。

    フィアット500という、あの愛らしい小さなクルマをベースに、カルロ・アバルトが毒を仕込んだ一台です。

    排気量はわずか600cc足らず。それでも「SS」——Super Sportの名を冠したこのクルマは、1960年代のヨーロッパで、小排気量チューニングカーという文化そのものを作り上げました。

    カルロ・アバルトとフィアット500の出会い

    アバルト 595 SSの話をするには、まずカルロ・アバルトという人物とフィアットの関係を押さえておく必要があります。

    オーストリア生まれのカルロ・アバルト(Karl Abarth)は、戦後イタリアに渡り、1949年にトリノでアバルト社を設立しました。最初はレーシングカーやエキゾーストシステムの製造が中心でしたが、やがてフィアットの市販車をベースにした高性能バージョンの開発へと軸足を移していきます。

    その最大の転機が、1957年に登場したフィアット・ヌオーヴァ500でした。リアにわずか479ccの空冷2気筒エンジンを積んだ、全長わずか3m足らずの超小型車です。イタリアの国民車として爆発的に普及したこのクルマを、アバルトは「素材」として見ていました。

    安価で、どこにでもあって、構造がシンプル。つまり、手を入れやすい。アバルトにとって、フィアット500は理想的なベース車両だったわけです。

    595という数字の意味

    アバルト 595の「595」は、排気量を示しています。フィアット500の479ccエンジン(後に499.5ccに拡大)を、593.7ccまでボアアップしたことに由来します。この排気量の拡大自体は、数字だけ見れば地味に思えるかもしれません。しかし当時のレースレギュレーションでは排気量クラスが細かく区切られており、600cc以下というクラスに収めることには明確な競技上の意味がありました。

    つまり595という数字は、単なるチューニングの結果ではなく、レースで勝つために逆算された排気量だったのです。ここにカルロ・アバルトの思想が凝縮されています。速くするだけではなく、どのクラスで、どう勝つかまで設計に織り込む。エンジニアであると同時に、レース屋の頭で考えていたということです。

    110D、110F、110F/Lの進化

    アバルト 595 SSには、型式の異なる複数のバリエーションが存在します。110Dは初期型にあたり、1963年頃から生産が始まりました。フィアット500Dをベースとし、排気量を593.7ccに拡大、圧縮比を上げ、専用のアバルト製エキゾーストを組み合わせることで、約27馬力を発揮しました。

    ベースとなったフィアット500Dの出力が約18馬力ですから、約5割増しです。たかが27馬力と思うかもしれませんが、車重が約470kg程度しかないことを考えれば、パワーウェイトレシオは相当なものです。実際、最高速度は130km/hに達したとされています。500ccクラスの小さなクルマが高速道路を流れに乗って走れる——当時としてはかなりのインパクトでした。

    続く110Fは、ベースがフィアット500Fに移行したモデルです。500F自体は1965年に登場しており、ドアが前ヒンジに変更されるなど、実用面での改良が加えられていました。アバルトはこの新しいベースに対しても同様のチューニングを施し、595 SSとしての性格を維持しています。

    さらに110F/Lは、フィアット500Lベースの後期型です。500Lは内装の質感が向上したモデルで、いわば「ちょっと上質な500」でした。これをベースにした595 SSは、走りの鋭さはそのままに、日常の快適性がわずかに底上げされた仕様と言えます。

    ただし、110D→110F→110F/Lという変遷は、アバルト側が大きく設計を変えたというよりも、ベース車両であるフィアット500の進化に追従した結果という側面が強いです。アバルトのチューニング内容そのものに劇的な変化があったわけではありません。むしろ、一貫した手法でベースの世代交代に対応し続けたことが、595 SSというモデルの安定した評価につながっています。

    何が「SS」たらしめたのか

    595 SSのチューニング内容を具体的に見ると、その手法は極めて正攻法です。ボアアップによる排気量拡大、圧縮比の引き上げ、吸排気系の最適化、専用キャブレターの装着、そしてアバルトの代名詞とも言える専用エキゾーストシステム。派手な飛び道具があるわけではなく、基本に忠実なチューニングの積み重ねで性能を引き出しています。

    しかし、595 SSの本当の価値は、スペックシートの数字だけでは測れません。このクルマが特別だったのは、「完成品として売られたチューニングカー」だったという点です。アバルトはフィアットの正規ディーラー網を通じて595 SSを販売しました。つまり、ユーザーが自分でパーツを買って組むのではなく、最初からアバルトの手が入った状態で、保証付きで買えたのです。

    これは現代で言うところの「コンプリートカー」の先駆けと言ってよいでしょう。メーカーとチューナーの協業による量産チューニングカーという商品形態を、アバルトは1960年代にすでに確立していました。

    外観上の変更点は控えめです。アバルトのサソリのエンブレム、リアのバッジ、そして独特の排気音を奏でるエキゾーストの出口。それだけで、街中のフィアット500とは明確に異なる存在感を放ちました。見た目はほぼ同じなのに、走り出すとまるで違う。この「羊の皮を被った狼」的な性格が、595 SSの魅力の核心です。

    レースでの実績と文化的な影響

    595 SSは、ヒルクライムやツーリングカーレースで活躍しました。600cc以下のクラスでは圧倒的な強さを見せ、アバルトの名声を高める重要な武器となっています。カルロ・アバルト自身が「レースで勝つことが最大の広告である」と信じていた人物ですから、595 SSはまさにその哲学を体現した存在でした。

    しかし、595 SSの影響はレースの世界にとどまりません。このクルマは、「小さなクルマでも速く走れる」「チューニングは特別な人だけのものではない」という考え方を、広くヨーロッパの一般ドライバーに浸透させました。イタリアの若者たちにとって、595 SSは手の届く範囲にあるスポーツカーだったのです。

    この文化的な遺産は、後のホットハッチ文化にもつながっていきます。小さなベース車両にメーカーが手を入れて、手頃な価格でスポーティなクルマを提供する——この構図は、ゴルフGTIやプジョー205 GTIが登場するはるか前に、アバルト 595 SSが示していたものです。

    サソリの刻印が意味するもの

    2007年にアバルトブランドがフィアットグループ内で復活し、現代の「アバルト 595」が登場したとき、その名前が60年代の595 SSから直接引用されたことは象徴的です。フィアット500の現代版をベースに、アバルトがチューニングを施して販売する——構図はまったく同じです。

    つまり、110D/110F/110F/Lという型式で呼ばれるオリジナルの595 SSは、単なるヴィンテージカーではなく、アバルトというブランドのDNAそのものを定義した車種だと言えます。小さなクルマを速くする。レースで証明する。そしてそれを、普通の人が買える形で届ける。この三位一体の思想は、カルロ・アバルトが595 SSで確立したものです。

    600ccに満たないエンジン、500kgに届かない車重、27馬力という数字。どれも現代の基準では微笑ましいほど小さな数字です。しかし、そこに込められた思想の密度は、排気量や馬力では測れません。アバルト 595 SSは、小ささの中にこそ本気がある、ということを証明した一台でした。

  • フィアット・アバルト 595 – 110D/110F【小さな巨人の原点にして到達点】

    フィアット・アバルト 595 – 110D/110F【小さな巨人の原点にして到達点】

    「たった600ccに満たないエンジンで、なぜこれほど人を熱狂させたのか」──

    フィアット・アバルト 595という車を語るとき、どうしてもこの問いに行き着きます。

    1960年代、カルロ・アバルトが手がけた一連の小排気量スポーツモデルの中でも、595は特別な存在でした。

    ベースはあの愛らしいフィアット500。

    それを「速い車」に変えてしまった手腕と、その結果として生まれた110D/110Fという型式は、アバルトの哲学そのものを体現しています。

    フィアット500を「競技車両」にするという発想

    1960年代初頭、イタリアの道にはフィアット500があふれていました。

    全長わずか3メートル弱、リアに搭載された空冷2気筒エンジンの排気量は479cc。庶民の足として愛された、まさに国民車です。

    カルロ・アバルトはこの車に目をつけました。ただし「かわいい車をもう少し速くしよう」という程度の話ではありません。アバルトの狙いは、小排気量クラスのレースで勝つことでした。当時のツーリングカーレースやヒルクライムには排気量別のクラスがあり、600cc以下というカテゴリーが存在していたのです。

    つまり595とは、「フィアット500のチューニング版」という以上に、「600cc以下クラスを制圧するために設計されたホモロゲーションモデル」という側面を持っていました。公道を走れる市販車として一定数を生産し、レースへの参加資格を得る。アバルトが繰り返し使った手法です。

    110Dと110F──593ccに込めた技術の密度

    アバルト 595の心臓部は、フィアット500の479cc空冷直列2気筒をベースに排気量を593ccまで拡大したエンジンです。ボアアップとストローク変更によって排気量を引き上げつつ、クラス上限の600ccを超えないよう慎重に設計されています。レースレギュレーションとの整合が、このエンジンの排気量を決めたわけです。

    型式110Dは595の標準的なモデルで、出力は約27馬力。ノーマルの500が13馬力程度だったことを考えると、ほぼ倍増です。わずか593ccから27馬力というのは現代の感覚では控えめに聞こえますが、車両重量が500kg前後しかないことを思い出してください。パワーウェイトレシオで考えれば、十分に「速い車」でした。

    一方の110Fは、さらにチューニングが進んだ上位仕様です。圧縮比の引き上げ、カムプロファイルの変更、吸排気系の最適化などによって、同じ593ccから約32馬力を絞り出しています。たった5馬力の差と思うかもしれませんが、ベースが27馬力ですから約2割増。これは体感として明確に違うレベルです。

    どちらのモデルにも共通するのは、アバルト独自の排気システムです。あの特徴的なタコ足マフラーは、単なるドレスアップではなく、2気筒エンジンの排気脈動を最適化するための設計でした。アバルトのサソリのエンブレムと並んで、この排気管こそがアバルト車のアイデンティティだったと言っても過言ではありません。

    レースが証明した「小さな巨人」の実力

    595の真価が発揮されたのは、やはりレースの現場です。1960年代のヨーロッパ各地で行われたツーリングカーレースやヒルクライムで、アバルト 595は600cc以下クラスを席巻しました。モンツァ、ニュルブルクリンク、そしてイタリア各地のヒルクライムで、この小さな車は大排気量車を相手に総合でも上位に食い込むことがありました。

    ここで重要なのは、595が「クラス優勝を量産した」という事実です。単発の勝利ではなく、安定して勝ち続けた。これはエンジンだけでなく、車体の軽さ、重心の低さ、リアエンジン・リアドライブによるトラクション性能など、パッケージ全体の完成度が高かったことを意味しています。

    カルロ・アバルト自身が「馬力ではなく、馬力あたりの重量で勝負する」という趣旨の発言を残しています。595はまさにその思想の結晶でした。大きなエンジンを積むのではなく、小さなエンジンの効率を極限まで高め、軽い車体に載せる。この方法論は、後のアバルト全車種に通底する設計哲学となります。

    公道での存在感と、オーナーたちの熱狂

    レースでの活躍は、そのまま公道での人気に直結しました。595は「買えるレーシングカー」として、イタリアの若者やモータースポーツ愛好家に熱烈に支持されます。ノーマルのフィアット500とほぼ同じ外観でありながら、エンジンルームを開ければアバルトの手が入っていることが一目でわかる。この「羊の皮を被った狼」的な魅力が、595の大きな訴求力でした。

    実際の乗り味は、現代の基準で言えば相当にスパルタンだったはずです。500kgの車体に強化されたエンジン、限られたサスペンションストローク、そして決して広くはない室内空間。快適性を求める車ではありません。

    ただ、それが欠点だったかというと、当時のオーナーたちはむしろそこに惹かれていました。自分の腕で車を操っている感覚が濃密に伝わってくる。エンジンの回転を自分で管理し、ブレーキングポイントを自分で判断し、コーナーの立ち上がりでアクセルを踏み込む。排気量が小さいからこそ、エンジンを「使い切る」快感がありました。

    アバルトの方法論が凝縮された一台

    フィアット・アバルト 595の110D/110Fが示したのは、「既存の量産車をベースに、最小限の変更で最大限の性能を引き出す」というアバルトの方法論そのものです。エンジンを一から設計するのではなく、フィアットの量産エンジンを素材として使う。車体も基本構造はフィアット500のまま。しかし、そこに注がれる技術の密度が尋常ではなかった。

    この手法は、後のアバルト 695(同じく500ベースで排気量をさらに拡大したモデル)や、フィアット850ベースのアバルト OTなど、一連のアバルトロードカーに引き継がれていきます。さらに時代を飛び越えて言えば、2000年代以降にフィアットがアバルトブランドを復活させた際、最初に手がけたのがやはり「フィアット500ベースのアバルト」だったことは、決して偶然ではないでしょう。

    595という車は、カルロ・アバルトが生涯をかけて追求した「小排気量の可能性」の、もっとも純粋な表現でした。大きくすることで速くするのではなく、小さいまま速くする。その思想が593ccという排気量の中に、ぎっしりと詰まっています。

    593ccが語りかけるもの

    現代のアバルトオーナーが595という数字を見るとき、それは単なる排気量の表記ではなく、ブランドの原点を指し示す記号です。110D/110Fという型式は、カタログの片隅に記された管理番号のように見えるかもしれません。しかしその裏には、レギュレーションとの駆け引き、エンジニアリングの工夫、そしてレースで勝つという明確な意志がありました。

    フィアット・アバルト 595は、小さいことが弱さではないと証明した車です。排気量が小さいからこそ磨き上げる余地があり、車体が軽いからこそ活かせる性能がある。その逆転の発想こそが、アバルトというブランドの核心であり、595はその核心がもっとも鮮やかに表れた一台でした。

  • アバルト 500 – 312141【フィアット500を蠍が刺した、小さな劇薬】

    アバルト 500 – 312141【フィアット500を蠍が刺した、小さな劇薬】

    全長3.7m未満のシティカーに、蠍のエンブレムを貼って売る。

    冷静に考えれば、かなり無茶な企画です。

    でもアバルト 500(312141)は、その無茶をちゃんと成立させてしまった。

    しかも一過性のお祭りモデルではなく、ブランド復活の起点になったという点で、このクルマの意味はかなり大きいのです。

    蠍の復活には、500が必要だった

    アバルトというブランドは、長い間「過去の名前」でした。カルロ・アバルトが1949年に立ち上げ、フィアットの小型車をベースにしたレーシングマシンで数々の記録を打ち立てた伝説のチューナー。

    しかし1971年にフィアットに吸収されて以降、アバルトの名前はグループ内で断続的に使われるだけの状態が続いていました。

    転機になったのは、2007年に登場した3代目フィアット500(チンクエチェント)です。

    ヌオーヴァ500のデザインモチーフを現代に蘇らせたこのクルマは、欧州で爆発的にヒットしました。フィアットグループはこのタイミングで、アバルトを独立ブランドとして再始動させます。2008年のことです。

    つまり、アバルトの復活は500の成功があって初めて成り立った企画でした。逆に言えば、500というアイコンがなければ、蠍はまだ眠ったままだった可能性が高い。

    ブランドとベース車の関係が、ここまで運命的に噛み合った例はそう多くありません。

    1.4ターボが小さな箱を変えた

    アバルト 500の心臓部は、1.4リッター直列4気筒ターボエンジンです。型式で言えば312A1型をベースとしたもので、初期モデルでは135ps、後に日本仕様でも最終的に180psまで引き上げられたバージョンも登場しています。車両重量はおよそ1,110kg前後。パワーウェイトレシオで見れば、相当に元気な数字です。

    ただ、このクルマの面白さは馬力の数字だけでは語れません。重要なのは、ベースとなるフィアット500のプラットフォームがもともと非常にコンパクトだったということです。ホイールベースは2,300mmしかありません。この短い箱にターボエンジンを押し込み、足回りを締め上げ、排気系を専用設計にしている。

    結果として生まれたのは、速さというより「濃さ」です。エンジンを回せばレコードモンツァ製のマフラーが盛大に吠え、ステアリングはクイックに反応し、乗り心地は正直かなり硬い。快適なクルマかと聞かれれば、まったくそうではない。でも、運転していて退屈かと聞かれれば、絶対にそうではない。そういう方向に全振りしたクルマです。

    「チューニングカー」ではなく「ブランドカー」という設計

    アバルト 500を語るうえで見落とされがちなのが、このクルマが単なるフィアット500の高性能版ではないという点です。フィアットグループは、アバルトをフィアットの一グレードではなく、独立したブランドとして展開することを明確に選びました。

    ディーラー網もフィアットとは別系統で整備され、カタログもウェブサイトも独立しています。これはルノー・スポールがルノーの一部門として機能していたのとは、構造が異なります。アバルトは「フィアットのスポーツグレード」ではなく、「アバルトというメーカーが作ったクルマ」として市場に出されたわけです。

    この戦略は、商品の味付けにも反映されています。内外装の専用パーツ、蠍のバッジ、独特の排気音、そしてエッセエッセキットに代表されるオプションのチューニングパッケージ。どれも「フィアット500をちょっと速くしました」という発想ではなく、「アバルトの世界観に浸れるクルマを作る」という意図で設計されています。

    まあ、ベースがフィアット500であることは隠しようがないのですが、それでも乗り込んだ瞬間の雰囲気はかなり違う。ブーストメーター、フラットボトムのステアリング、専用シート。こうした要素の積み重ねが、ブランドとしての説得力を作っていました。

    弱点は明確、でもそれが個性になった

    公平に言えば、アバルト 500には弱点もあります。

    まず、トルクステアがかなり強い。FFで1.4ターボを全開にすれば当然そうなるのですが、フル加速時にステアリングが暴れる感覚は好みが分かれるところです。

    乗り心地も、日常使いにはかなり厳しい部類に入ります。ショートホイールベースに硬い足回りという組み合わせは、路面の荒れをダイレクトに拾います。後席の居住性もお世辞にも広いとは言えません。実用性を求めて買うクルマではない、というのは最初から明らかです。

    ただ、面白いのは、こうした弱点がこのクルマの場合はあまりネガティブに受け取られなかったことです。「そういうクルマだから」という了解が、オーナーとブランドの間に最初から成立していた。むしろ荒々しさや不便さが、蠍の毒としてポジティブに消費されていた面があります。これはブランディングの勝利と言ってもいいでしょう。

    日本市場での存在感

    日本ではフィアット/アバルト正規ディーラーを通じて販売され、右ハンドル仕様も導入されました。日本の道路環境に対して、全幅1,625mm・全長3,655mmというサイズは大きなアドバンテージです。都市部の狭い道でもまったく苦にならない。

    日本仕様では5速MTとATが選択可能で、MTの設定があること自体が、このクルマの性格をよく表しています。日本市場において、輸入車の小型ホットハッチというジャンルはニッチですが、アバルト 500はそのニッチの中で確固たるポジションを築きました。

    競合として意識されたのは、ルノー・トゥインゴ ゴルディーニやMINIクーパーSあたりでしょう。ただ、MINIとは価格帯もサイズ感もやや異なりますし、トゥインゴは日本での流通量が限られていました。結果として、「小さくて速くてキャラが立っている輸入車」というポジションでは、アバルト 500はほぼ独壇場だったと言えます。

    蠍が残したもの

    アバルト 500(312141)は、長いモデルライフの中でいくつかの派生モデルを生みました。595、695といったサブネームを持つ上位モデルが追加され、出力やシャシーの仕上げを段階的に引き上げていく戦略が取られています。695ビポスト、695リヴァーレ、695セッタンタ・アニヴェルサーリオなど、限定モデルの多さも特徴的です。

    こうした展開ができたのは、ベースとなるフィアット500のプラットフォームに一定の拡張性があったことと、アバルトというブランドに「特別なものを少量作る」という文法がもともと備わっていたからです。量産車ベースのチューニングカーでありながら、コレクターズアイテム的な売り方ができた。これはアバルトならではの芸当でした。

    2024年以降、フィアット500は電動化の道へ進み、アバルトも500eベースの電動モデルへと移行しています。内燃機関のアバルト 500は、ひとつの時代の終わりを象徴する存在になりつつあります。

    振り返ってみれば、312141型アバルト 500がやったことは明快です。小さなシティカーに蠍の毒を注ぎ、それをブランドの再生装置として機能させた。速さだけなら上はいくらでもいます。

    でも、あのサイズ、あの音、あの荒々しさを、あの価格で、あのデザインで提供できたクルマは他にありませんでした。

    それが、このクルマの存在意義です。

  • フィアット・アバルト 695/695 SS – 110F/110F/L【小さなサソリが本気を出した到達点】

    フィアット・アバルト 695/695 SS – 110F/110F/L【小さなサソリが本気を出した到達点】

    排気量689cc。今の軽自動車ほどの小さなエンジンから、レースで勝てるだけの性能を引き出す。それを本気でやったのがカルロ・アバルトという人で、その執念が形になったのがフィアット・アバルト695、そして695 SSです。

    型式名は110F、および110F/L。フィアット600という大衆車のプラットフォームを使いながら、エンジンも足回りもブレーキも、およそ「量産ベース」とは思えない水準まで手が入っています。この車は単なるチューンドカーではありません。アバルトという会社が何者だったのかを、もっとも端的に示す存在です。

    フィアット600という「素材」

    話の出発点はフィアット600です。1955年に登場したこの小型車は、リアエンジン・リアドライブの2ドアセダンで、イタリアの戦後モータリゼーションを支えた国民車でした。排気量は633cc、出力は21.5馬力。性能を語るような車ではありません。

    ただ、アバルトの目にはこれが「素材」として映りました。軽量なモノコックボディ、リアに積まれた水冷直列4気筒エンジン、そしてなにより小さくて軽いこと。カルロ・アバルトは、この車をベースにした高性能バージョンの開発に着手します。

    アバルトがフィアット車をベースに選んだのは偶然ではありません。フィアットとアバルトの間には、1950年代初頭から協力関係がありました。フィアットにとっては自社の量産車にスポーツイメージを付加できるメリットがあり、アバルトにとっては安定した供給ベースを確保できる。この関係が、600ベースのチューニングカーを次々と生み出す土壌になりました。

    695と695 SS──排気量拡大の果てに

    アバルトは600をベースに、まず排気量を拡大した750シリーズ(747cc)を展開し、ツーリングカーレースで大きな成功を収めます。しかしクラス区分の関係上、700ccクラスで戦える車も必要でした。そこで生まれたのが、排気量を689ccに設定した695です。

    なぜ689ccなのか。これはFIA(国際自動車連盟)のクラス区分に合わせた数字です。当時のツーリングカーレースでは排気量別にクラスが細かく分かれており、700cc以下のクラスで最大限の排気量を確保するために、ギリギリの689ccとしたわけです。レースレギュレーションから逆算して排気量を決める。これがアバルト流のクルマづくりでした。

    695の型式は110F。フィアット600の型式「100」系に対して、アバルトが独自に付与した番号です。エンジンはフィアット製の水冷直列4気筒OHVをベースに、圧縮比の引き上げ、専用カムシャフト、ソレックス製キャブレターへの換装などが施されました。ノーマルの600が21.5馬力だったのに対し、695では約38馬力を発生します。

    さらにその上位版として登場したのが695 SS(セミスポルト、あるいはスーパースポルトとも)で、型式は110F/L。こちらはさらにチューニングが進み、約40馬力にまで出力が引き上げられています。わずか2馬力の差に見えますが、689ccという排気量を考えれば、この2馬力を絞り出すのがどれほど大変かは想像に難くありません。

    小さなボディに詰め込まれた本気

    695/695 SSの凄みは、エンジンだけではありません。むしろアバルトの真骨頂は、車両全体をトータルでレース仕様に仕上げるところにあります。

    まずブレーキ。ノーマルの600はドラムブレーキですが、695 SSではより放熱性の高い仕様に変更されています。足回りもスプリングレートやダンパーが見直され、車高はやや下げられました。外観上の違いとしては、リアのエンジンフードに追加された冷却用のルーバーが特徴的です。リアエンジン車にとって冷却は常に課題であり、この処理はレースでの信頼性に直結するものでした。

    車両重量は約580〜600kg程度。ここに38〜40馬力ですから、パワーウェイトレシオとしては決して悪くありません。最高速度は約150km/h前後とされており、689ccの車としては驚異的な数字です。

    そしてなにより、このサイズと排気量だからこそ活きる軽さと俊敏さが最大の武器でした。ヒルクライムやサーキットの小さなクラスで、695は圧倒的な戦績を残しています。絶対的な速さではなく、クラスの中で誰にも負けない速さ。それがアバルトの戦い方でした。

    「ジャイアントキラー」の方法論

    アバルトという会社を語るとき、「ジャイアントキラー」という言葉がよく使われます。大排気量車に小排気量車で挑んで勝つ、という意味ですが、実態はもう少し戦略的です。

    カルロ・アバルトが狙ったのは、あくまでクラス優勝です。総合優勝ではなく、自分が勝てるクラスで確実に勝つ。そのために排気量をレギュレーションに合わせて精密に設定し、車両全体を最適化する。695の689ccという排気量は、まさにその思想の結晶です。

    この方法論は、結果としてアバルトに膨大な数のクラス優勝をもたらしました。1960年代を通じて、アバルトはFIA公認の記録や優勝回数でとんでもない数字を積み上げていきます。695/695 SSはその中核を担ったモデルのひとつです。

    同時に、これらのモデルはホモロゲーション(競技参加のための公認)を取得するために一定数が市販されました。つまり、公道を走れるナンバー付きの車として販売されていたわけです。ただし生産台数は限られており、現在では極めて高い希少価値を持つコレクターズアイテムとなっています。

    アバルト695が残したもの

    695/695 SSの系譜は、その後のアバルト・ブランドの方向性を決定づけました。小さな車を速くする。量産車ベースでレースに勝つ。この路線はフィアット850ベースの1000シリーズへと引き継がれ、アバルトの黄金期を形成していきます。

    もうひとつ重要なのは、「アバルト=サソリの紋章=小排気量の猛毒」というブランドイメージが、この時代に確立されたことです。695は、そのイメージの原点にもっとも近いモデルのひとつと言えます。

    現代のアバルト 695(フィアット500ベース)が同じ「695」の名前を冠しているのは、もちろん偶然ではありません。小さな車に不釣り合いなほどの情熱を注ぎ込む。その精神の源流が、110F/110F/Lという型式番号の中にあります。

    689ccで40馬力。数字だけ見れば、現代の基準ではどうということはありません。

    しかしこの車が証明したのは、速さとは排気量の大きさではなく、どれだけ真剣に向き合ったかの総量だということです。

    カルロ・アバルトが小さなフィアットに注いだ執念は、半世紀以上を経た今も、サソリの紋章の中に生きています。

  • アバルト 695 – 31214T【「500の頂点」を名乗り続けた小さな劇薬】

    アバルト 695 – 31214T【「500の頂点」を名乗り続けた小さな劇薬】

    アバルトの695と聞いて、すぐに「ああ、あれね」と言える人は、かなりのアバルト好きだと思います。

    595なら知っている。でも695は何が違うのか。

    端的に言えば、595のさらに上、フィアット500ベースのアバルトにおける「最上位」を意味する名前です。

    ただ、その成り立ちはちょっと独特で、常設のカタログモデルというより、限定仕様や特別仕様の器として使われてきた名前でした。

    型式31214Tで括られるアバルト695は、第3世代フィアット500(312型)をベースとするアバルトシリーズの頂点に位置します。この「695」という数字が何を意味するのか、そしてなぜアバルトはわざわざ595と695を分けたのか。そこには、小さなクルマに大きな物語を載せるという、このブランド特有の戦略がありました。

    695という名前の由来と重み

    そもそもアバルト695という名前は、1960年代にまで遡ります。

    カルロ・アバルトが初代フィアット500をベースにチューニングした「695 SS」や「695 エッセエッセ」が原点です。

    当時の排気量が695ccだったことに由来するこの名前は、アバルトにとって単なる数字ではなく、「500を極限まで仕立てた仕様」を意味する記号でした。

    現代のアバルト695も、その文脈をそのまま引き継いでいます。つまり、フィアット500ベースのアバルトにおいて「これ以上はない」という位置づけ。595が常設のスポーツグレードだとすれば、695はその上に被せる特別な冠です。

    ただし、ここがややこしいところで、695は単一の固定仕様ではありません。「695 ビポスト」「695 リヴァーレ」「695 トリビュート・フェラーリ」「695 セッタンタ・アニヴェルサリオ」など、時期によって異なるテーマの限定モデルとして登場してきました。695という名前は、いわば「特別仕様のプラットフォーム名」のように機能していたわけです。

    595との差は、数字以上に大きい

    では、595と695は具体的に何が違うのか。エンジンは同じ1.4リッター直4ターボ(312A3型系)ですが、695ではチューニングの度合いが一段上がります。595のトップグレードであるコンペティツィオーネが180馬力だったのに対し、695の多くの仕様では180馬力、あるいはそれ以上のスペックが与えられました。

    ただ、馬力の差だけで語ると本質を見誤ります。695が595と決定的に違うのは、足回りとブレーキ、そして演出の密度です。たとえば695ビポストでは、Koni製のFSD(周波数感応型)ダンパー、ブレンボ製の大径ブレーキ、機械式LSD、さらにはレコードモンツァ製の専用エキゾーストが標準装備されていました。

    要するに、エンジン単体の出力差よりも、「その出力をどう使わせるか」の部分で大きく差をつけていたということです。595が「速い500」だとすれば、695は「走りの質を本気で詰めた500」でした。

    限定モデルという戦略の巧みさ

    アバルトが695を限定仕様として展開し続けたことには、明確な商品戦略がありました。ひとつは希少性の演出。695は発売のたびに台数が限られ、日本市場でも数十台〜数百台規模の導入がほとんどでした。これが「手に入らないかもしれない」という飢餓感を生み、ブランドの求心力を維持する装置として機能していました。

    もうひとつは、テーマ性による差別化です。695リヴァーレはヨットブランドのリーバとのコラボレーション、695トリビュート・フェラーリはフェラーリとの歴史的関係へのオマージュ、695セッタンタ・アニヴェルサリオはアバルト創立70周年記念。つまり、同じ695という枠の中で、毎回違う「物語」を載せて売っていたわけです。

    これは小さなメーカーが大きなブランド力を維持するための、かなり賢いやり方です。ベースのメカニズムは共通でも、ストーリーと仕立てを変えることで、コレクター心理を刺激し続けることができる。実際、695の限定モデルは中古市場でもプレミアムが付くケースが多く、この戦略は結果としてうまく機能していました。

    走りの実力——小ささが武器になる領域

    695の走りについて語るとき、避けて通れないのが「車重の軽さ」です。695ビポストで約1,110kg、通常の695系でも1,100〜1,200kg台。この車重に180馬力が組み合わさるわけですから、パワーウェイトレシオとしてはかなり優秀です。

    ただ、数字だけでは伝わらない部分があります。695の真骨頂は、ホイールベースの短さとトレッドの狭さから来る、独特の身体感覚的な速さです。コーナーでのノーズの入り方、ステアリングを切った瞬間のレスポンス、そしてレコードモンツァのエキゾーストが吠える音。すべてが「小さいからこそ濃い」という体験に収束します。

    一方で、FF(前輪駆動)であることの限界は当然あります。180馬力を前輪だけで処理するため、トルクステアは避けられません。高速域での直進安定性も、ホイールベースの短さが裏目に出る場面があります。695はサーキットで速いクルマというより、峠道やワインディングで「体感速度が異常に高い」クルマです。その割り切りを楽しめるかどうかが、このクルマとの相性を決めます。

    312型時代の終焉と695の意味

    2024年、フィアット500は電動化へと舵を切り、312型ベースの内燃機関モデルは生産終了を迎えました。これに伴い、アバルト595/695も姿を消すことになります。後継のアバルト500eは完全な電気自動車であり、1.4ターボのあの音も振動も、もう新車では味わえません。

    この文脈で見ると、695の最終限定モデルたちは、単なる商品企画以上の意味を持っていたことがわかります。内燃機関のアバルトとして、フィアット500ベースのホットハッチとして、「これが最後」という区切りの記念碑だったわけです。

    695は、冷静に見れば「フィアット500のチューニングカー」です。ベースはあくまで実用コンパクトカーであり、プラットフォームに特別な素性があるわけではありません。でも、だからこそ面白い。限られた素材をどこまで磨き上げられるか、どこまで「特別」に仕立てられるか。その問いに対するアバルトの回答が、695という存在でした。

    小さな器に、大きすぎる自意識を

    アバルト695は、スペックシートだけ見れば「ちょっと速い小型車」です。しかし実際に触れると、そこにはスペック以上の密度があります。エキゾーストの音、シートの座面、ステアリングの革の巻き方、ダッシュボードに刻まれたシリアルナンバー。すべてが「これは普通の500ではない」と主張しています。

    それは、カルロ・アバルトが1960年代にやっていたことと本質的に同じです。ありふれた大衆車をベースに、走りと演出を極限まで盛り込んで、まったく別の乗り物に変えてしまう。695という名前は、その精神の継承を意味していました。

    内燃機関の時代が終わりつつある今、31214Tという型式は「最後のアナログなアバルト」として記憶されることになるでしょう。

    小さなボディに過剰なほどの情熱を詰め込んだこのクルマは、合理性だけでは測れない価値を、最後まで体現し続けていました。

  • アバルト 124スパイダー – NF2EK【30年越しにサソリが選んだのは「マツダ」だった】

    アバルト 124スパイダー – NF2EK【30年越しにサソリが選んだのは「マツダ」だった】

    マツダが作ったシャシーに、フィアットがエンジンを載せて、アバルトが味付けをする。

    文字にするとまるで冗談みたいな成り立ちですが、これは実在した市販車の話です。

    しかもこの車、ただの寄せ集めではなく、きちんと「アバルトらしさ」を持っていた。

    そこが面白いところです。

    30年越しの124スパイダー

    先代124スパイダーの記事を読んだ方はもう知っていると思いますが、アバルトは「素性の良い小さいクルマをチューニングする」ということをやってきました。

    それが大昔はフィアット500であり、過去の124スパイダーだったわけです。

    そして今、30年越しの復活で選ばれたクルマが「NDロードスター」となります。

    このクルマが選ばれたということは、NDロードスターが「次期124スパイダーの名を受け継がせるのに足る土台だった」とアバルトが認めたということを示しています。

    昔のフィアット/アバルトが担っていた「小さくて軽いFRオープンを遊び倒す文化」を、現代ではロードスターが一番まともに保存していたのです。

    なぜマツダとフィアットが手を組んだのか

    さて、アバルト 124スパイダー(NF2EK)の話をするには、まずその前提となるフィアットとマツダの提携関係から始める必要があります。

    2012年、フィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)とマツダは、次世代ロードスター(ND型)のプラットフォームを共用する合意を発表しました。

    背景にあったのは、双方の事情です。マツダ側は、ロードスターの開発コストを分散したかった。世界的に見ても2シーターオープンスポーツの市場は縮小傾向にあり、単独で採算を取り続けるのは年々厳しくなっていました。

    一方のFCA側には、フィアット 124スパイダーという伝説的な車名を復活させたいという長年の構想がありました。ただし、ゼロからライトウェイトスポーツのプラットフォームを起こす体力も時間もない。そこに、世界で最も成熟した2シーターオープンの設計を持つマツダがいた。利害が一致したわけです。

    ロードスターとの違いは「似て非なる」どころではない

    よく「124スパイダーはロードスターのバッジ替え」と言われます。

    たしかにプラットフォーム、基本骨格、ソフトトップの機構、さらにはインテリアの多くのパーツまでND型ロードスターと共有しています。生産もマツダの広島・防府工場で行われていました。

    しかし、エンジンがまったく違います。ロードスターのSKYACTIV-G 1.5L/2.0L自然吸気に対して、124スパイダーにはフィアット製の1.4Lマルチエア ターボが搭載されました。排気量は小さいのにターボで過給する、いかにもヨーロッパ的な発想のユニットです。

    この選択が、走りの性格を根本から変えています。ロードスターが自然吸気の気持ちよさ——つまり回転数に比例してリニアに伸びるフィーリング——を大切にしているのに対して、124スパイダーは中回転域からのトルクの押し出しで走るキャラクターになりました。

    外装デザインもまったく別物です。ロードスターの丸みを帯びた造形に対し、124スパイダーはノーズが長く、ボンネットにパワーバルジを持ち、リアのデザインも独自。ホイールベースは同じですが、全長は124スパイダーのほうが約140mm長い。顔つきも佇まいも、並べれば別の車です。

    アバルト版は「さらにもう一段」踏み込んだ存在

    ここからが本題です。フィアット 124スパイダーには、最初からアバルト仕様が用意されていました。日本市場に正規導入されたのは、このアバルト版のほうです。型式はNF2EK。つまり日本で「124スパイダー」といえば、実質的にアバルトを指します。

    アバルト版では、同じ1.4Lマルチエアターボのチューニングが引き上げられ、最高出力170ps、最大トルク250Nmを発揮します。フィアット版の140psから30psの上乗せ。数字だけ見ると控えめに聞こえるかもしれませんが、車重が約1,130kgしかないことを思い出してください。パワーウェイトレシオで見れば、十分に速い部類です。

    足回りにも手が入っています。ビルシュタイン製ダンパー、専用スプリング、フロントにブレンボ製ブレーキ。さらにレコードモンツァ製の排気系が標準装備で、アイドリングから独特の低音を響かせます。このあたりの「音の演出」は、アバルトというブランドが昔から大事にしてきた部分です。

    機械式LSD(リミテッド・スリップ・デファレンシャル)も標準で装備されました。これはコーナー立ち上がりでのトラクションを確保するための装備で、スポーツ走行を前提にしていることがよくわかります。

    マツダの骨格がもたらした恩恵と、微妙なズレ

    ND型ロードスターのプラットフォームは、軽量化に徹底的にこだわった設計です。フロントダブルウィッシュボーン、リアはマルチリンク。前後重量配分はほぼ50:50。この基本骨格の完成度が、124スパイダーの走りの土台を支えています。

    ただし、ターボエンジンの搭載によって、ロードスターとは微妙に重量バランスが変わっています。フィアット製1.4Lターボはマツダ製自然吸気よりやや重く、補機類のレイアウトも異なるため、フロントの重量感が少し増しています。

    この違いを「劣化」と見るか「味の違い」と見るかは、乗り手の価値観によります。ロードスター的な「ヒラヒラ感」を求める人には少し鼻先が重く感じるかもしれません。一方で、ターボのトルクを活かしてグイグイ加速する楽しさは、ロードスターにはないものです。

    要するに、同じ骨格を使いながら、運転の快楽の質が違う。これは優劣ではなく方向性の違いであり、むしろ共用プラットフォームの可能性を証明した好例ともいえます。

    市場での立ち位置と、短くも濃い生涯

    日本市場では2016年に導入が始まり、価格帯は約388万円から。同時期のND型ロードスターが約250〜320万円程度だったことを考えると、明確に上の価格帯に位置していました。

    ライバルは誰だったのか。価格帯で言えばBMW Z4やポルシェ ボクスターの中古が視野に入ってくる領域で、新車としてはやや割高に見えたのも事実です。ただ、「イタリアンブランドの2シーターオープン」「アバルトのエンブレム」「ターボの刺激」という要素に価値を感じる層には、代替の利かない一台でした。

    販売台数は決して多くありませんでした。そもそもニッチ中のニッチです。しかし、FCAとマツダの提携という産業構造上の面白さ、日伊のエンジニアリングが一台に同居するという稀有な成り立ち、そしてアバルトらしい「小さくて速くて楽しい」という哲学が凝縮されている点で、記憶に残る車であることは間違いありません。

    2019年頃を境に、欧州の排ガス規制強化の影響もあって生産は縮小に向かい、日本市場でも2020年前後にカタログ落ちしています。FCAがステランティスへと再編される中で、このモデルの後継は生まれていません。

    サソリの刻印が意味したもの

    アバルトというブランドは、もともとカルロ・アバルトが小さなフィアット車をチューニングして速くすることで名を上げた存在です。排気量の小さなエンジンから最大限の性能を引き出す。その精神は、1.4Lターボで170psを絞り出すこの124スパイダーにも確かに受け継がれています。

    マツダが磨き上げたライトウェイトスポーツの骨格に、イタリアの小排気量ターボ文化を接ぎ木する。冷静に考えれば異質な組み合わせですが、結果として「どちらでもない、でもどちらの良さも持っている」という不思議な一台が生まれました。

    この車は、純血主義の対極にあります。でも、だからこそ面白い。自動車の歴史において、異なる文化の掛け合わせが新しい価値を生んだ例は少なくありません。アバルト 124スパイダーは、その現代版として、小さいけれど確かな足跡を残した一台です。

  • フィアット・アバルト 124 Rally – CSA【ラリーの現場が磨いた市販車の形】

    フィアット・アバルト 124 Rally – CSA【ラリーの現場が磨いた市販車の形】

    ラリーで勝つために市販車を作る。

    順序が逆に聞こえるかもしれませんが、1960年代後半から70年代のヨーロッパでは、これがごく普通のやり方でした。

    フィアット・アバルト 124 Rally、通称CSAもまた、その論理から生まれた一台です。

    124スパイダーが出発点だった理由

    話の始まりは、1966年に登場したフィアット 124スパイダーです。ピニンファリーナがデザインした端正なオープン2シーターで、ヨーロッパだけでなく北米市場でも好調に売れていました。ただ、フィアットがこの車をラリーに投入しようと考えたのは、見た目の華やかさとは別の理由があります。

    当時のフィアットは、モータースポーツ活動の多くをアバルトに委ねていました。カルロ・アバルトが率いるこの小さな会社は、フィアットのベース車両を競技仕様に仕立てるプロフェッショナル集団です。そしてFIA(国際自動車連盟)のグループ4規定でラリーに出るには、一定数の市販車を生産してホモロゲーション——つまり公認——を取得する必要がありました。

    124スパイダーは後輪駆動で、エンジンはフロントに縦置き。ラリーカーとしての素性は悪くありません。ここにアバルトの手が入ることで、競技に耐えうるマシンと、その公認を取るための市販モデルが同時に生まれることになります。それがフィアット・アバルト 124 Rallyです。

    CSAという型式が意味するもの

    CSAという呼称は、フィアットの社内型式コードに由来します。124 Rallyにはいくつかのバリエーションが存在しますが、CSAは1972年頃から生産された後期型にあたり、排気量を1.8リッターに拡大したモデルです。

    エンジンはフィアット製の直列4気筒DOHCをベースに、アバルトが手を入れたもの。ツインカムヘッドの採用はフィアット 124系の大きな特徴で、当時の量産車としてはかなり先進的でした。CSAではこれを1,756ccまで拡大し、約128馬力を発生させています。数字だけ見ると控えめに思えるかもしれませんが、車重が1トンを切る軽量ボディと組み合わさることで、ラリーステージでは十分以上の戦闘力を持ちました。

    足回りも当然ながら強化されています。フロントはダブルウィッシュボーン、リアはリジッドアクスルにコイルスプリングという構成。リジッドアクスルというと古く聞こえるかもしれませんが、ラリーの荒れた路面では頑丈さと整備性が何より重要です。この選択は、サーキットではなくラリーで勝つための判断でした。

    アバルトが手を入れた箇所、入れなかった箇所

    面白いのは、アバルトの改良が「全部変える」ではなく「勝つために必要なところだけ変える」という思想で貫かれていた点です。エンジンの排気量拡大、吸排気系の最適化、ハードトップの装着による剛性確保。これらはすべてラリーの現場から逆算された変更です。

    一方で、基本的なボディ構造やシャシーレイアウトは124スパイダーのままです。量産車ベースのホモロゲーションモデルである以上、根本から作り替えるわけにはいきません。むしろ、ベース車の素性の良さがあったからこそ、最小限の変更で競技に通用するマシンが成立したとも言えます。

    外観上の特徴としては、ハードトップの装着に加えて、フロントグリルの意匠変更やオーバーフェンダーの追加があります。ただし、これらも見た目の演出というよりは、冷却効率の確保やワイドタイヤの収容といった実用上の要請から来ています。飾りではなく、理由がある造形です。

    ラリーでの実績と、その意味

    フィアット・アバルト 124 Rallyは、1970年代前半のヨーロッパラリー選手権を中心に数多くの実戦に投入されました。モンテカルロ・ラリーやサンレモ・ラリーといった名門イベントで上位に食い込み、特にターマック(舗装路)ラリーでの速さには定評がありました。

    この時代のラリーシーンは、ランチア・フルヴィアやアルピーヌ A110といった強力なライバルがひしめいていました。その中でフィアット・アバルト 124 Rallyが戦えたのは、エンジンパワーだけでなく、車体バランスの良さとドライバビリティの高さによるところが大きいとされています。

    ラリーでの成功は、フィアットのモータースポーツ戦略にとっても重要な意味を持ちました。この経験が、後のフィアット 131アバルト・ラリーへとつながっていきます。131アバルトは1977年から1980年にかけてWRC(世界ラリー選手権)のマニュファクチャラーズタイトルを3度獲得する名車となりますが、その土台にはフィアット・アバルト 124 Rallyで蓄積された知見があったわけです。

    ホモロゲーションモデルという存在の面白さ

    フィアット・アバルト 124 Rally CSAの生産台数は、正確な数字に諸説ありますが、おおよそ1,000台前後と言われています。ホモロゲーション取得に必要な最低限の台数を確保するための生産であり、大量に出回る車ではありませんでした。

    この「競技のために作られた市販車」という存在は、現代の感覚からするとやや不思議に映るかもしれません。しかし当時のラリーでは、これが勝つための正攻法でした。メーカーは市販車を売るためにラリーに出るのではなく、ラリーに出るために市販車を作る。その倒錯した論理が、結果として非常に魅力的なロードカーを生み出していたのです。

    CSAもまさにそうした一台です。日常的に使える快適性は124スパイダー譲り。しかしエンジンを回せばアバルトの血が騒ぐ。この二面性こそが、ホモロゲーションモデルならではの味わいです。

    系譜の中での位置づけ

    フィアット・アバルト 124 Rally CSAは、フィアットとアバルトの協業がもっとも実り多かった時代の産物です。1971年にフィアットがアバルトを完全子会社化したことで、両社の関係はさらに密接になりました。124 Rallyはその過渡期に生まれたモデルであり、独立した職人集団としてのアバルトと、大メーカーとしてのフィアットの力が、もっとも良いバランスで噛み合った結果とも言えます。

    その後、アバルトの名はフィアットのスポーツブランドとして存続し、2007年には独立ブランドとして復活を遂げます。

    2016年に登場した現代のアバルト 124スパイダーは、マツダ・ロードスターをベースにしたまったく別の車ですが、「小さなスポーツカーにアバルトの手が入る」という構図だけは、半世紀前と変わっていません。

    フィアット・アバルト 124 Rally CSAは、ラリーという過酷な現場が市販車の形を決めた時代の証人です。スペックシートの数字以上に、なぜその仕様になったのかという理由の一つひとつに物語がある。

    それが、この車を今なお特別な存在にしている理由ではないでしょうか。

  • フィアット 124 スポーツスパイダー – AS【ピニンファリーナが描き、アバルトが鍛えた一台】

    フィアット 124 スポーツスパイダー – AS【ピニンファリーナが描き、アバルトが鍛えた一台】

    フィアットが作ったセダンに、ピニンファリーナがボディを架せ、アバルトがエンジンを磨いた。

    こう書くと夢のようなコラボレーションですが、これは限定モデルでも記念車でもありません。

    1966年から約20年にわたって量産された、れっきとしたカタログモデルの話です。

    フィアット 124 スポーツスパイダー。型式で言えばAS型。イタリアの大衆車メーカーが、なぜこんな贅沢な座組でオープンスポーツを作り続けることができたのか。その背景には、1960年代のイタリア自動車産業が持っていた独特の構造がありました。

    大衆セダンから始まった企画

    話の出発点は、1966年に登場したフィアット 124です。これはヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した堅実なファミリーセダンで、後にソ連でライセンス生産されてラーダ(VAZ-2101)になったことでも知られています。つまり、根っこは完全に実用車です。

    ただ、当時のフィアットには「ベースモデルからスポーツ派生を作る」という確立された手法がありました。124にも最初からクーペとスパイダーの派生が計画されていて、クーペはフィアット社内でデザインされた一方、スパイダーのボディデザインはピニンファリーナに委託されています。

    ここがまず面白いところです。同じ124ベースなのに、クーペとスパイダーで設計の担い手が違う。しかもスパイダーの方は、デザインだけでなく生産自体もピニンファリーナのグルリアスコ工場で行われました。フィアットのバッジが付いていながら、実質的にはピニンファリーナが作ったクルマだったわけです。

    アバルトの手が入ったDOHCエンジン

    124スポーツスパイダーを語るうえで外せないのが、エンジンの出自です。ベースの124セダンに載っていたのはOHVの1.2リッター。実用車としては十分でも、スポーツカーに積むには物足りない。そこで白羽の矢が立ったのがアバルトでした。

    アバルトは124セダン用のOHVエンジンをベースに、ツインカム(DOHC)ヘッドを新設計しています。排気量は1,438ccに拡大され、初期型で90馬力前後を発生しました。数字だけ見れば控えめに思えるかもしれませんが、重要なのはその回り方です。高回転まで気持ちよく伸びるDOHCの特性は、当時の同クラスのオープンカーとは明らかに一線を画していました。

    このDOHCユニットはアバルトが開発を主導したもので、後に排気量を1.6リッター、1.8リッター、最終的には2.0リッターまで拡大されていきます。つまり124スポーツスパイダーのエンジンは、フィアット製というよりアバルト製と呼ぶ方が正確です。AS型の「A」がアバルトを指すとも言われるのは、こうした経緯があるからです。

    ラリーでの実績が裏付けた実力

    124スポーツスパイダーがただの洒落たオープンカーで終わらなかった理由のひとつが、モータースポーツでの活躍です。アバルトが手がけたラリー仕様の124は、1970年代前半のヨーロッパラリー選手権やWRC(世界ラリー選手権)で本格的に戦っています。

    ラリー仕様は「アバルト 124 ラリー」として知られ、市販車とはかなり異なるチューニングが施されていました。ただ、ベースとなるシャシーやエンジンの基本設計が市販の124スポーツスパイダーと共有されていたことは重要です。量産オープンカーの骨格がラリーで通用したという事実が、このクルマの設計の筋の良さを物語っています。

    1972年のヨーロッパラリー選手権ではマニュファクチャラーズタイトルを獲得。ランチア・ストラトスやフィアット131アバルトといった後継のラリーマシンに道を譲るまで、フィアット=アバルト陣営の主力として機能しました。

    アメリカ市場が支えた長寿命

    124スポーツスパイダーの生産期間は異例の長さです。1966年のデビューから、最終的には1985年まで生産が続きました。約20年。同時代のイタリア製スポーツカーとしては飛び抜けた長寿モデルです。

    この長寿を支えたのは、間違いなくアメリカ市場でした。手頃な価格のイタリアンオープンスポーツとして北米で根強い人気があり、排ガス規制や安全基準の変更に対応しながら販売が継続されたのです。バンパーが大型化し、エンジンにインジェクションが導入され、見た目も中身も初期型とはかなり変わっていきましたが、基本骨格は最後まで124ベースのままでした。

    末期にはフィアットのバッジが外れ、「ピニンファリーナ・スパイダー」や「ピニンファリーナ・アズーラ」という名前で販売されています。フィアットが自社ブランドでの販売をやめた後も、ピニンファリーナが自社名義で売り続けたという事実は、このクルマがいかにピニンファリーナにとっても重要な製品だったかを示しています。

    三社の役割分担が生んだ特異な存在

    改めて整理すると、124スポーツスパイダーの成り立ちはかなり特殊です。プラットフォームとセダンのエンジンブロックはフィアット。DOHCヘッドの設計とチューニングはアバルト。ボディデザインと生産はピニンファリーナ。三社がそれぞれの得意領域を持ち寄って一台のクルマを成立させていました。

    これは当時のイタリア自動車産業の構造だからこそ可能だったやり方です。カロッツェリア(車体製造を請け負うデザインハウス)が独立した産業として存在し、チューナーであるアバルトもフィアットと密接な関係を保ちながら独自の技術力を持っていた。こうしたエコシステムがなければ、大衆車メーカーのフィアットがこれほど魅力的なスポーツカーを量産し続けることは難しかったでしょう。

    系譜の中での意味

    124スポーツスパイダーは、後継車という意味では直接的な後釜を持ちません。フィアットのオープンスポーツという系譜で見れば、その後バルケッタやフィアット版のマツダ ロードスター(現行の124スパイダー)に至りますが、いずれも124スポーツスパイダーの直系というよりは、精神的な後継と呼ぶべき存在です。

    ただ、このクルマが残したものは大きい。アバルトが量産車のエンジンを本格的にスポーツチューンするという手法は、後の131アバルトやリトモ・アバルトにも引き継がれました。ピニンファリーナにとっても、フェラーリ以外で最も長く手がけた量産スポーツカーのひとつであり、同社の生産能力を支える重要な柱でした。

    フィアット 124 スポーツスパイダーとは、イタリアの自動車産業が持っていた分業と協業の文化が、一台のクルマの中にそのまま結晶化した存在です。大衆車の骨格に、一流のデザインと一流のエンジニアリングを載せる。その仕組みが20年間も機能し続けたこと自体が、このクルマの最大の価値だったのかもしれません。