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  • チェロキー – KL【フィアットの血で蘇った、らしくないチェロキー】

    チェロキー – KL【フィアットの血で蘇った、らしくないチェロキー】

    チェロキーという名前を聞いて、多くの人が思い浮かべるのは四角くて武骨なXJか、あるいはそのイメージの延長線にある何かでしょう。

    ところが2014年に登場したKL型は、その期待をまるごとひっくり返すような顔をしていました。細く裂けたようなヘッドライト、流れるようなボディライン。

    「これがチェロキー?」という反応は、むしろメーカーの狙い通りだったのかもしれません。

    チェロキー不在の時代と、復活の背景

    KL型を語るには、まずその前に「チェロキーが存在しなかった時代」を押さえる必要があります。

    先代にあたるKJ型リバティ(北米ではリバティ、海外市場ではチェロキーの名も使用)が2012年に生産終了して以降、ジープのラインナップからチェロキーの名は一時的に消えていました。

    その間にクライスラーを取り巻く環境は激変しています。2009年の経営破綻、そしてフィアットによる段階的な買収。2014年にはフィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)として正式に統合されます。KL型チェロキーは、まさにこの再編のさなかに企画・開発された車です。

    つまりKLは、単なるモデルチェンジではありません。フィアット傘下で「ジープ」というブランドをどう再構築するか、その回答の一つとして生まれた車です。ジープにとってのグランドチェロキーが上位、レネゲードが入門編だとすれば、チェロキーはその中間を埋める「ど真ん中」の存在として位置づけられました。

    9速ATという野心と、その現実

    KL型チェロキーの技術的な目玉は、ZF製の9速オートマチックトランスミッション(9HP)でした。当時、乗用車ベースのSUVに9速ATを載せること自体がかなり先進的で、世界初の量産搭載例のひとつです。

    狙いは明確で、多段化によって高速巡航時のエンジン回転数を下げ、燃費を改善すること。2010年代前半のアメリカ市場では、CAFE規制(企業平均燃費基準)の強化が迫っており、SUVといえども燃費性能を無視できない時代に入っていました。9速ATはその回答として合理的だったわけです。

    ただし、デビュー直後の評価は手放しで褒められるものではありませんでした。変速ロジックのぎこちなさ、低速域でのシフトハンティングなど、ソフトウェアの熟成不足を指摘する声は少なくなかった。後にアップデートで改善されていきますが、「新しい技術を最初に載せる車」が背負うリスクを、KLはそのまま引き受けた格好です。

    あのデザインは、なぜああなったのか

    KL型チェロキーの最大の話題は、やはりあのフロントフェイスでしょう。ヘッドライトを上下に分割し、細いデイタイムランニングライトを上段に、メインのプロジェクターランプを下段に配置するという、当時としてはかなり攻めたデザインでした。

    このデザインを手がけたのは、FCA傘下でジープブランドのデザインを統括していたマーク・アレン氏です。彼の意図は「ジープらしさを残しつつ、都市型SUVとしてのモダンさを打ち出す」こと。7スロットグリルというジープのアイコンは残しつつ、それ以外の要素で従来のジープ像を意図的に崩しにかかっています。

    賛否は当然ありました。というより、否のほうが目立ったと言ってもいいかもしれません。「チェロキーらしくない」「ジープに見えない」という声は根強かった。ただ、これはKLが担っていた役割を考えれば理解できます。

    KLが狙っていたのは、トヨタ・RAV4やホンダ・CR-V、フォード・エスケープといったミドルサイズSUVの顧客層です。つまり、従来のジープファンだけでなく、都市部でSUVを日常の足として使う層にリーチする必要があった。そのためには「武骨で男臭い」だけでは足りない、という判断があったのでしょう。

    プラットフォームと走りの実力

    KL型のプラットフォームは、フィアット由来のCUSWプラットフォームをベースにしています。これはダッジ・ダートやクライスラー200とも共有する、FCA再編の産物です。ジープ専用設計ではなく、グループ内での共用プラットフォーム戦略の一環でした。

    ただし、ジープとして仕立てるにあたって手は抜いていません。4WDシステムには「Jeep Active Drive」および「Jeep Active Drive Lock」を用意し、後者にはリアデフロックも備えています。上位グレードのTrailhawkでは、さらにオフロード性能を引き上げた専用セッティングが施されました。

    Trailhawkというグレードの存在は重要です。これは「都市型SUVだけど、ジープである以上オフロードも走れます」という宣言であり、KLがただのクロスオーバーではないことを示すためのアンカーでした。実際、Trailhawk仕様はJeepの「Trail Rated」バッジを取得しており、一定のオフロード性能が公式に保証されています。

    エンジンは2.4L直4のタイガーシャークと、3.2L V6のペンタスターの2本立て。日本市場には当初2.4Lが導入され、後に3.2Lも追加されました。2.4Lは日常使いには十分ですが、車重約1,700kgに対してはやや非力という評もあり、3.2L V6のほうが車格に見合ったゆとりがあると感じる人が多かったようです。

    マイナーチェンジで「普通」に近づいた後期型

    2018年のマイナーチェンジで、KL型チェロキーは大きくフェイスリフトされます。あの上下分割ヘッドライトは廃止され、より一般的な一体型のヘッドライトデザインに変更されました。フロントマスクは一気に「普通のSUV」に近づいた印象です。

    これをどう見るかは、立場によって分かれます。「ようやくまともになった」という声もあれば、「結局あのデザインは失敗だったと認めたのか」という見方もある。ただ、メーカーとしてはマーケットの反応を受けて軌道修正したという、ごく合理的な判断だったのでしょう。

    後期型ではエンジンラインナップにも変更があり、北米市場では2.0Lターボ直4が追加されました。これもFCAグループ内で展開されていたGMEエンジンで、ダウンサイジングターボの流れに沿ったものです。時代の要請に応じてパワートレインを刷新できたのは、グループ経営の恩恵と言えます。

    KLチェロキーが系譜に残したもの

    KL型チェロキーは2023年に生産を終了しました。後継モデルは明確にはアナウンスされておらず、ジープのラインナップ再編の中でチェロキーの名前がどうなるかは不透明なままです。

    振り返ると、KLは「ジープがグローバルブランドとして生き残るための実験台」だったように見えます。フィアットの技術とプラットフォームを使い、都市型SUV市場に本格参入し、デザインでも大胆に冒険した。その結果、成功も失敗も両方経験した車です。

    ただ、KLが切り開いた道は確実にあります。ジープが「ラングラーとグランドチェロキーだけのブランド」から脱却し、レネゲードやコンパスといった都市型モデルを展開する流れの中で、KLチェロキーはその先陣を切った存在でした。

    「らしくない」と言われたチェロキー。

    でも、その「らしくなさ」こそが、ジープというブランドの生存戦略そのものだったのです。好き嫌いは別として、KLがなければ今のジープのポートフォリオは成立していなかった。

    そう考えると、この車の存在意義は見た目以上に大きいものがあります。

  • チェロキー – SJ【SUVという言葉が生まれる前の本格派】

    チェロキー – SJ【SUVという言葉が生まれる前の本格派】

    SUVという言葉が世の中に定着するのは、1990年代に入ってからのことです。

    では、その前史にあたる時代に「本格的な四輪駆動車を、もう少しスタイリッシュに、もう少し日常的に乗れるようにしよう」と考えたメーカーはどこだったのか。

    答えは、ジープブランドを擁していたAMC(アメリカン・モーターズ・コーポレーション)でした。

    1974年に登場したチェロキーSJは、その試みの最初の一手です。

    ワゴニアの弟として生まれた2ドア

    チェロキーSJの出自を理解するには、まずフルサイズ・ワゴニアの存在を知る必要があります。1963年に登場したワゴニアは、「高級な4WDワゴン」という当時としては異例のコンセプトを持つクルマでした。ウッドパネルの外装、エアコン、オートマチックトランスミッション。それまで作業車・軍用車のイメージが強かった四駆の世界に、初めて「快適さ」を持ち込んだモデルです。

    ただ、ワゴニアはいかんせん大きかった。全長5メートル超、4ドアのフルサイズボディは堂々たるものでしたが、もう少し身軽に、もう少しスポーティに4WDを楽しみたいという層には重すぎたわけです。

    そこで1974年、ワゴニアのプラットフォームをベースに2ドア化して登場したのがチェロキーSJです。基本的なシャシーやドライブトレインはワゴニアと共有しつつ、ドアを2枚にしてホイールベースはそのまま。見た目の印象はかなりスポーティになりました。ワゴニアが「紳士の4WD」なら、チェロキーは「少しやんちゃな弟」という位置づけです。

    AMCという会社の事情

    チェロキーSJが生まれた背景には、AMCの経営的な苦しさも無関係ではありません。1970年代のAMCは、ビッグ3(GM、フォード、クライスラー)に対して乗用車市場で劣勢を強いられていました。規模の経済で勝てない以上、ニッチを攻めるしかない。その最大の武器が、1970年にカイザー・ジープ社から買収したジープブランドだったのです。

    つまりAMCにとって、ジープ系のラインナップを広げることは生存戦略そのものでした。ワゴニアという成功モデルがある以上、そこから派生車種を作って市場を広げるのは合理的な判断です。チェロキーSJは、いわば「持てるカードで最大限の手を打つ」という発想から生まれたクルマでもあります。

    中身はまぎれもない本格派

    2ドアでスポーティな見た目とはいえ、チェロキーSJの中身はまぎれもないフルフレーム構造の本格4WDです。ラダーフレームにリーフスプリングのリジッドアクスル、パートタイム4WDのトランスファーケース。このあたりの基本構成は、当時のジープ車に共通するものでした。

    エンジンは時代とともに変遷しますが、初期にはAMC製の直列6気筒やV8が搭載されています。特にAMC製の360cu.in.(5.9リッター)V8は、トルクフルで悪路走破性を支える心臓部として信頼を集めました。高速道路でもそれなりに走れて、ダートでもしっかり仕事をする。そのバランスが、チェロキーSJの持ち味だったと言えます。

    足まわりは決して洗練されたものではありません。リーフスプリングのリジッドアクスルですから、舗装路での乗り心地は現代の基準で言えばかなり硬い。ただ、それは当時の四駆としてはごく標準的な仕様であり、むしろオフロードでの耐久性と整備性を優先した結果です。

    「SUV以前」の時代が求めたもの

    1974年という登場年は、ちょうど第一次オイルショックの直後にあたります。ガソリン価格が高騰し、燃費の悪い大型車には逆風が吹いていた時代です。フルサイズのV8を積んだ4WDなど、本来なら売りにくいはずでした。

    しかしチェロキーSJは、そこそこ堅調に売れ続けます。理由はシンプルで、このクルマを必要としていた層は「燃費で選ぶ人たち」ではなかったからです。農場や牧場のオーナー、雪深い地域の住民、アウトドア愛好家。彼らにとって4WDは趣味ではなく実用であり、代替手段がそもそも少なかった。

    加えて、チェロキーSJには「ワゴニアほど高くない」という価格面のメリットもありました。ワゴニアが高級路線に振っていた分、チェロキーはもう少し手の届きやすい存在だったのです。本格4WDの走破性は欲しいけれど、ウッドパネルやフル装備までは要らない。そういう実直な需要に応えたモデルでした。

    長寿モデルとしてのSJ世代

    チェロキーSJは、1974年の登場から1983年まで、約10年にわたって生産されました。途中で4ドアモデルが追加されたり、エンジンラインナップが整理されたり、細かなフェイスリフトは受けていますが、基本設計は大きく変わっていません。

    この「長く作り続けた」という事実自体が、SJ世代の性格をよく表しています。革新的な技術で世代交代を繰り返すタイプのクルマではなく、堅実な基本設計を時代に合わせて微調整しながら使い続ける。ジープというブランドが持つ「道具としての信頼性」が、そのまま商品寿命の長さにつながったわけです。

    ただし、1980年代に入ると状況は変わります。燃費規制の強化、ダウンサイジングの潮流、そして何より消費者の嗜好の変化。フルフレームのフルサイズ4WDは、さすがに時代遅れになりつつありました。

    XJへの橋渡し、そして系譜の意味

    1984年、チェロキーはXJ型へとフルモデルチェンジします。このXJこそが、ユニボディ構造を採用した画期的なコンパクトSUVとして歴史に名を残すモデルです。ラダーフレームを捨て、車体を一回り以上小さくし、乗用車的な乗り味を実現した。まさに「SUVの原型」と呼ばれるにふさわしい一台でした。

    では、SJ世代は単なる「古い前任者」だったのかというと、そうではありません。SJが証明したのは、「本格4WDにも、もっと幅広い顧客がいる」という市場の存在です。ワゴニアの高級路線とは別に、もう少しカジュアルに、もう少し手軽に四駆を楽しみたい層がいる。その仮説を実証したのがSJ世代のチェロキーでした。

    XJが大胆な設計革新に踏み切れたのは、SJが「四駆=作業車」というイメージを少しずつ崩し、一般ユーザーへの間口を広げていたからです。いきなりユニボディの四駆を出しても、市場が受け入れる土壌がなければ意味がない。SJは、その土壌を耕した世代だったと言えます。

    初代チェロキーSJは、派手な革新者ではありません。しかし、SUVという巨大な市場が生まれる前夜に、「四駆をもっと身近に」という方向性を静かに、しかし確実に示した一台です。

    その地味な功績は、もう少し語られてもいいのではないでしょうか。

  • チェロキー – XJ【SUVの常識を壊したモノコックの異端児】

    チェロキー – XJ【SUVの常識を壊したモノコックの異端児】

    SUVにモノコックボディを持ち込んだのは、トヨタでもメルセデスでもありません。

    1984年、ジープ・チェロキーXJがそれをやりました。ラダーフレームにボディを載せるのが当たり前だった時代に、ボディそのものを構造体にするという発想。

    これがどれほど異端だったか、当時のオフロード業界の空気を知るほどに驚かされます。

    ラダーフレームが正義だった時代

    1980年代初頭、四輪駆動車といえばラダーフレーム構造が大前提でした。頑丈なはしご型フレームの上にボディを載せる。悪路走破性と耐久性を最優先にした設計で、ジープもランドクルーザーもランドローバーも、基本的にはこの思想の上にありました。

    ただ、この構造には明確な弱点があります。重いのです。フレームとボディが別体なぶん車両重量はかさみ、重心も高くなる。舗装路での乗り心地やハンドリングは犠牲になりがちで、燃費も悪い。オフロードでの信頼性と引き換えに、日常の使い勝手を差し出していたわけです。

    1970年代のオイルショックを経て、アメリカ市場でも燃費への関心は確実に高まっていました。大排気量・大重量のトラックベースSUVは、時代の風向きと少しずつずれ始めていた。その空気の中で、AMC(アメリカン・モーターズ)が仕掛けたのがチェロキーXJでした。

    AMCとルノーが生んだ異端の設計

    チェロキーXJの開発背景を語るには、AMCという会社の立ち位置を知る必要があります。ビッグスリー(GM、フォード、クライスラー)に次ぐ第四のメーカーでありながら、経営は常に苦しかった。1970年代末にはフランスのルノーと資本提携し、技術と資金の両面で支援を受けていました。

    XJの設計にはこのルノーの影響が色濃く出ています。開発を主導したのはAMCのエンジニアたちですが、モノコック構造の採用という判断には、乗用車設計に長けたルノーの知見が背景にあったとされています。当時のAMC単独では、ここまで大胆な構造転換に踏み切れたかどうか。

    デザインを手がけたのは、後にクライスラーでも活躍するAMCのチーフデザイナーたち。特筆すべきはそのプロポーションです。従来のSUVより明らかに車高が低く、全幅もコンパクト。見た目からして「これはトラックではない」と主張していました。

    モノコックが変えたもの

    XJが採用したユニボディ(モノコック)構造は、フレームとボディを一体化させたものです。乗用車では当たり前の手法ですが、本格的な四輪駆動車に使うのは当時としては極めて異例でした。

    この構造がもたらした最大の恩恵は軽量化です。ラダーフレームを廃したことで、同クラスのSUVと比べて数百ポンド(100kg以上)軽くなりました。軽いということは、加速がいい。燃費がいい。ブレーキが効く。舗装路でのハンドリングが素直になる。つまり、日常の道で普通に気持ちよく走れるSUVになったということです。

    しかも、オフロード性能を大きく犠牲にしたわけではありません。ジープの伝統であるパートタイム4WDシステム(コマンドトラック)を搭載し、悪路での走破性もしっかり確保していました。後に追加されたフルタイム4WDの「セレクトラック」も含め、用途に応じた駆動系の選択肢が用意されていたのも見逃せません。

    要するにXJは、「オフロード車だから舗装路はガマンしてください」という従来の常識を拒否した車です。両方やる、という宣言でした。

    直6・4.0Lという心臓

    XJの長い生産期間を通じて、最も重要なパワートレインはAMC製の直列6気筒4.0Lエンジンです。初期には2.5L直4や2.8L V6(GM製)も設定されていましたが、1987年に登場した4.0L直6こそがXJの本質を定義したエンジンでした。

    190馬力前後の出力は、数字だけ見れば控えめに映るかもしれません。しかしこのエンジンの真価はトルク特性にあります。低回転域から太いトルクが立ち上がり、街中でも山道でも扱いやすい。直列6気筒ならではの振動の少なさと滑らかさも相まって、日常使いの快適さに大きく貢献していました。

    このエンジンは驚くほど頑丈だったことでも知られています。20万マイル(約32万km)を超えても平気で走る個体が珍しくなく、整備性の良さも含めて北米のジープファンからは伝説的な評価を受けています。AMCがクライスラーに吸収された後も、この4.0Lはしばらく生産が続きました。それ自体が、このエンジンの完成度を物語っています。

    17年間という異例の長寿

    XJは1984年に登場し、2001年まで生産されました。17年間です。途中でフェイスリフトは受けていますが、基本骨格は最後まで変わっていません。これは自動車の世界では異例の長さです。

    なぜこれほど長く作られたのか。理由はいくつかあります。まず、設計の基本が優れていたこと。モノコック+直6+コンパクトなボディという組み合わせは、年月を経ても古びにくいパッケージでした。

    もうひとつは、後継車の開発が難航したことです。1993年にグランドチェロキー(ZJ)が登場しましたが、これはXJの上位モデルという位置づけであり、XJの直接的な後継ではありませんでした。XJのポジションを正式に引き継ぐリバティ(KJ)が出たのは2002年。つまり、後を継ぐ車がなかなか現れなかったのです。

    結果として、XJは1990年代のSUVブーム全体をその身で駆け抜けることになりました。RAV4やCR-Vといった乗用車ベースのSUV(いわゆるクロスオーバー)が台頭する時代まで、第一線にいたわけです。

    SUVの地殻変動はここから始まった

    XJチェロキーの歴史的な意義は、「SUVを日常の乗り物にした」という一点に集約されます。それまでSUVは、悪路を走る人のための道具でした。XJはそこに「普通の道を普通に走る快適さ」を持ち込んだ。

    この発想は、後のSUV市場全体を方向づけています。トヨタ・ハリアー(1997年)が「高級クロスオーバー」という概念を打ち出したとき、あるいはポルシェ・カイエン(2002年)がスポーツカーメーカーのSUVとして登場したとき、その根底にあるのは「SUVは舗装路でも快適であるべきだ」という思想です。XJがその最初の大きな一歩だったと言っていいでしょう。

    もちろん、XJひとりで世界が変わったわけではありません。しかし、ラダーフレームの呪縛を最初に断ち切り、「SUVとはこういうものだ」という固定観念に風穴を開けたのは、まぎれもなくこの車です。

    モノコックのジープ。それは1984年には異端でした。しかし今、世界中のSUVの大半がモノコック構造を採用しています。

    異端は、いつの間にか標準になっていた。それを切り拓いた一台なのです。

  • チェロキー – KJ【XJの後継が背負った「モダン」という十字架】

    チェロキー – KJ【XJの後継が背負った「モダン」という十字架】

    「チェロキー」と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、おそらく四角くて武骨なXJ型のほうでしょう。

    1984年から2001年まで、基本設計を大きく変えずに売り続けられたあのモデルは、コンパクトSUVというジャンルそのものを作った存在でした。

    では、その後を継いだKJ型とは何だったのか。

    答えを先に言えば、「正しくアップデートしようとしたのに、正しさゆえに愛されにくかった車」です。

    XJという巨大な影

    KJ型チェロキーを語るには、まず先代XJの存在感を理解しておく必要があります。XJチェロキーは17年間という異例の長寿モデルでした。モノコックボディにストレート6を積み、フルタイム4WDを備えたコンパクトSUVとして、北米でも日本でも圧倒的な支持を得ていました。

    しかし2001年、さすがに設計の古さは限界に達していました。衝突安全基準の強化、排ガス規制の厳格化、そして乗用車的な快適性を求める市場の変化。XJをそのまま延命させる選択肢は、もう残っていなかったのです。

    ただ、後継車を作る側にとってこれは厄介な状況でした。XJは「古いからこそ良い」と愛されていた車です。モダンにすればするほど、XJファンからは「これじゃない」と言われるリスクがある。KJ型の開発は、最初からこのジレンマを抱えていました。

    ダイムラー・クライスラーが描いた新設計

    KJ型の開発が進んだのは、1998年のダイムラー・ベンツとクライスラーの合併直後の時期です。当時のクライスラー側には、ジープブランドを「もっとグローバルに、もっと洗練された方向へ持っていく」という意志がありました。KJ型はその方針を体現する最初の一台だったと言えます。

    プラットフォームは完全新設計です。XJのようなストレート6ではなく、3.7L V6エンジンを新たに搭載しました。このパワーユニットはクライスラーの「パワーテック」系列で、210馬力前後を発生します。直6の滑らかさとは異なるキャラクターですが、出力と搭載性のバランスを考えた現実的な選択でした。

    足回りも大きく変わりました。フロントにダブルウィッシュボーン、リアにマルチリンクという、SUVとしてはかなり乗用車寄りのサスペンション構成です。XJのリーフスプリングとは完全に決別し、オンロードでの乗り心地と操縦安定性を大幅に改善しています。

    4WD システムには「セレクトラック」と呼ばれるパートタイム/フルタイム切り替え式を採用しました。2WD、フルタイム4WD、パートタイム4WD、4WD Lowの4モードを選べる仕組みで、日常使いからオフロードまでカバーする設計です。ジープとしての本分は、ここでしっかり守られていました。

    北米では「リバティ」、世界では「チェロキー」

    ここでややこしいのが車名の問題です。KJ型は北米市場では「ジープ・リバティ」として販売されました。「チェロキー」の名称は、ネイティブ・アメリカンの部族名を商品名に使うことへの配慮から、北米では一時的に使用を控えたのです。

    一方、日本を含む北米以外の市場では従来どおり「チェロキー」の名前が継続されました。つまり同じ車が地域によって別の名前で売られていたわけです。この車名の分裂は、KJ型のアイデンティティをやや曖昧にした面があります。

    日本市場には2001年末から導入が始まりました。当時の日本ではSUVブームがまだ続いており、ハリアーやCR-Vといった都市型SUVが台頭していた時期です。KJ型チェロキーは、そうした日本車の都市型SUVとガチのオフローダーの中間に位置する、やや独特なポジションでした。

    モダンになった代償

    KJ型の乗り味は、XJと比べると明らかに洗練されていました。高速道路での安定感、段差を越えたときの収まりの良さ、室内の静粛性。どれをとっても世代が違うことがはっきりわかります。

    ボディサイズもXJとほぼ同等に収めながら、室内空間はやや拡大されました。全長約4,500mm、全幅約1,840mmというサイズ感は、日本の都市部でもギリギリ扱える範囲です。この「大きすぎない」というのは、グランドチェロキーとの棲み分けとしても重要なポイントでした。

    ただ、ここからが難しいところです。XJチェロキーが持っていた「道具感」「無骨さ」「飾らなさ」は、KJ型では明らかに薄まりました。丸みを帯びたデザイン、整ったインテリア、静かになったエンジン音。どれも進化なのですが、XJに惚れ込んでいた層にとっては「ジープらしさが減った」と映ったのです。

    これは設計の失敗というより、時代の要請と既存ファンの期待が真正面からぶつかった結果です。2000年代初頭のSUV市場は、快適性と安全性を求める方向に急速に動いていました。KJ型はその流れに正しく対応した車でしたが、「正しい」ことと「愛される」ことは必ずしも一致しません。

    品質と信頼性という課題

    KJ型にはもうひとつ、避けて通れない話題があります。信頼性です。ダイムラー・クライスラー時代のジープ全般に言えることですが、電装系のトラブルやオイル漏れ、ウィンドウレギュレーターの故障など、細かい不具合の報告が少なくありませんでした。

    3.7L V6エンジン自体は頑丈な設計でしたが、補機類やセンサー周りの耐久性には課題がありました。これは当時のクライスラー全体のコスト管理の問題とも関係しており、KJ型だけの話ではありません。ただ、XJの「壊れても直しやすい」というシンプルさと比べると、KJ型の電子制御の多さは整備のハードルを上げた面があります。

    2005年のマイナーチェンジでは内外装のリフレッシュとともに、こうした品質面の改善も図られました。後期型は初期型に比べて安定しているという評価が多く、中古で選ぶなら後期型を勧める声が今でも根強くあります。

    KJ型が系譜に残したもの

    KJ型チェロキーの生産は2007年に終了し、後継はKK型リバティ(北米外ではチェロキーの名称が途絶え、後にKL型で復活)に引き継がれました。KJ型は一代限りのプラットフォームとなり、直接的な後継設計には発展していません。

    しかしKJ型が果たした役割は、単なる「つなぎ」ではありませんでした。XJという偉大な先代から、現代的なSUVへとジープのコンパクトモデルを移行させる橋渡し役です。乗用車的な快適性とジープとしてのオフロード性能を両立させようとした試みは、後のKL型チェロキー(2014年〜)にも確実に受け継がれています。

    KJ型を「名車か」と問われれば、正直なところ即答は難しいです。XJのような伝説にはなりませんでしたし、KL型のような商業的成功も収めていません。ただ、「古典から現代へ」という最も難しい世代交代を引き受けた車であったことは間違いありません。

    時代が求めた「モダン」を誠実に追い求め、その結果として先代の影に隠れがちになった。KJ型チェロキーとは、そういう車です。正しかったけれど、派手ではなかった。でもこの車がなければ、ジープのコンパクトSUVは次の時代に進めなかった。

    系譜の中で、そういう存在こそが実は一番大事だったりするのです。