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  • アバルト 124スパイダー – NF2EK【30年越しにサソリが選んだのは「マツダ」だった】

    アバルト 124スパイダー – NF2EK【30年越しにサソリが選んだのは「マツダ」だった】

    マツダが作ったシャシーに、フィアットがエンジンを載せて、アバルトが味付けをする。

    文字にするとまるで冗談みたいな成り立ちですが、これは実在した市販車の話です。

    しかもこの車、ただの寄せ集めではなく、きちんと「アバルトらしさ」を持っていた。

    そこが面白いところです。

    30年越しの124スパイダー

    先代124スパイダーの記事を読んだ方はもう知っていると思いますが、アバルトは「素性の良い小さいクルマをチューニングする」ということをやってきました。

    それが大昔はフィアット500であり、過去の124スパイダーだったわけです。

    そして今、30年越しの復活で選ばれたクルマが「NDロードスター」となります。

    このクルマが選ばれたということは、NDロードスターが「次期124スパイダーの名を受け継がせるのに足る土台だった」とアバルトが認めたということを示しています。

    昔のフィアット/アバルトが担っていた「小さくて軽いFRオープンを遊び倒す文化」を、現代ではロードスターが一番まともに保存していたのです。

    なぜマツダとフィアットが手を組んだのか

    さて、アバルト 124スパイダー(NF2EK)の話をするには、まずその前提となるフィアットとマツダの提携関係から始める必要があります。

    2012年、フィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)とマツダは、次世代ロードスター(ND型)のプラットフォームを共用する合意を発表しました。

    背景にあったのは、双方の事情です。マツダ側は、ロードスターの開発コストを分散したかった。世界的に見ても2シーターオープンスポーツの市場は縮小傾向にあり、単独で採算を取り続けるのは年々厳しくなっていました。

    一方のFCA側には、フィアット 124スパイダーという伝説的な車名を復活させたいという長年の構想がありました。ただし、ゼロからライトウェイトスポーツのプラットフォームを起こす体力も時間もない。そこに、世界で最も成熟した2シーターオープンの設計を持つマツダがいた。利害が一致したわけです。

    ロードスターとの違いは「似て非なる」どころではない

    よく「124スパイダーはロードスターのバッジ替え」と言われます。

    たしかにプラットフォーム、基本骨格、ソフトトップの機構、さらにはインテリアの多くのパーツまでND型ロードスターと共有しています。生産もマツダの広島・防府工場で行われていました。

    しかし、エンジンがまったく違います。ロードスターのSKYACTIV-G 1.5L/2.0L自然吸気に対して、124スパイダーにはフィアット製の1.4Lマルチエア ターボが搭載されました。排気量は小さいのにターボで過給する、いかにもヨーロッパ的な発想のユニットです。

    この選択が、走りの性格を根本から変えています。ロードスターが自然吸気の気持ちよさ——つまり回転数に比例してリニアに伸びるフィーリング——を大切にしているのに対して、124スパイダーは中回転域からのトルクの押し出しで走るキャラクターになりました。

    外装デザインもまったく別物です。ロードスターの丸みを帯びた造形に対し、124スパイダーはノーズが長く、ボンネットにパワーバルジを持ち、リアのデザインも独自。ホイールベースは同じですが、全長は124スパイダーのほうが約140mm長い。顔つきも佇まいも、並べれば別の車です。

    アバルト版は「さらにもう一段」踏み込んだ存在

    ここからが本題です。フィアット 124スパイダーには、最初からアバルト仕様が用意されていました。日本市場に正規導入されたのは、このアバルト版のほうです。型式はNF2EK。つまり日本で「124スパイダー」といえば、実質的にアバルトを指します。

    アバルト版では、同じ1.4Lマルチエアターボのチューニングが引き上げられ、最高出力170ps、最大トルク250Nmを発揮します。フィアット版の140psから30psの上乗せ。数字だけ見ると控えめに聞こえるかもしれませんが、車重が約1,130kgしかないことを思い出してください。パワーウェイトレシオで見れば、十分に速い部類です。

    足回りにも手が入っています。ビルシュタイン製ダンパー、専用スプリング、フロントにブレンボ製ブレーキ。さらにレコードモンツァ製の排気系が標準装備で、アイドリングから独特の低音を響かせます。このあたりの「音の演出」は、アバルトというブランドが昔から大事にしてきた部分です。

    機械式LSD(リミテッド・スリップ・デファレンシャル)も標準で装備されました。これはコーナー立ち上がりでのトラクションを確保するための装備で、スポーツ走行を前提にしていることがよくわかります。

    マツダの骨格がもたらした恩恵と、微妙なズレ

    ND型ロードスターのプラットフォームは、軽量化に徹底的にこだわった設計です。フロントダブルウィッシュボーン、リアはマルチリンク。前後重量配分はほぼ50:50。この基本骨格の完成度が、124スパイダーの走りの土台を支えています。

    ただし、ターボエンジンの搭載によって、ロードスターとは微妙に重量バランスが変わっています。フィアット製1.4Lターボはマツダ製自然吸気よりやや重く、補機類のレイアウトも異なるため、フロントの重量感が少し増しています。

    この違いを「劣化」と見るか「味の違い」と見るかは、乗り手の価値観によります。ロードスター的な「ヒラヒラ感」を求める人には少し鼻先が重く感じるかもしれません。一方で、ターボのトルクを活かしてグイグイ加速する楽しさは、ロードスターにはないものです。

    要するに、同じ骨格を使いながら、運転の快楽の質が違う。これは優劣ではなく方向性の違いであり、むしろ共用プラットフォームの可能性を証明した好例ともいえます。

    市場での立ち位置と、短くも濃い生涯

    日本市場では2016年に導入が始まり、価格帯は約388万円から。同時期のND型ロードスターが約250〜320万円程度だったことを考えると、明確に上の価格帯に位置していました。

    ライバルは誰だったのか。価格帯で言えばBMW Z4やポルシェ ボクスターの中古が視野に入ってくる領域で、新車としてはやや割高に見えたのも事実です。ただ、「イタリアンブランドの2シーターオープン」「アバルトのエンブレム」「ターボの刺激」という要素に価値を感じる層には、代替の利かない一台でした。

    販売台数は決して多くありませんでした。そもそもニッチ中のニッチです。しかし、FCAとマツダの提携という産業構造上の面白さ、日伊のエンジニアリングが一台に同居するという稀有な成り立ち、そしてアバルトらしい「小さくて速くて楽しい」という哲学が凝縮されている点で、記憶に残る車であることは間違いありません。

    2019年頃を境に、欧州の排ガス規制強化の影響もあって生産は縮小に向かい、日本市場でも2020年前後にカタログ落ちしています。FCAがステランティスへと再編される中で、このモデルの後継は生まれていません。

    サソリの刻印が意味したもの

    アバルトというブランドは、もともとカルロ・アバルトが小さなフィアット車をチューニングして速くすることで名を上げた存在です。排気量の小さなエンジンから最大限の性能を引き出す。その精神は、1.4Lターボで170psを絞り出すこの124スパイダーにも確かに受け継がれています。

    マツダが磨き上げたライトウェイトスポーツの骨格に、イタリアの小排気量ターボ文化を接ぎ木する。冷静に考えれば異質な組み合わせですが、結果として「どちらでもない、でもどちらの良さも持っている」という不思議な一台が生まれました。

    この車は、純血主義の対極にあります。でも、だからこそ面白い。自動車の歴史において、異なる文化の掛け合わせが新しい価値を生んだ例は少なくありません。アバルト 124スパイダーは、その現代版として、小さいけれど確かな足跡を残した一台です。

  • フィアット・アバルト 124 Rally – CSA【ラリーの現場が磨いた市販車の形】

    フィアット・アバルト 124 Rally – CSA【ラリーの現場が磨いた市販車の形】

    ラリーで勝つために市販車を作る。

    順序が逆に聞こえるかもしれませんが、1960年代後半から70年代のヨーロッパでは、これがごく普通のやり方でした。

    フィアット・アバルト 124 Rally、通称CSAもまた、その論理から生まれた一台です。

    124スパイダーが出発点だった理由

    話の始まりは、1966年に登場したフィアット 124スパイダーです。ピニンファリーナがデザインした端正なオープン2シーターで、ヨーロッパだけでなく北米市場でも好調に売れていました。ただ、フィアットがこの車をラリーに投入しようと考えたのは、見た目の華やかさとは別の理由があります。

    当時のフィアットは、モータースポーツ活動の多くをアバルトに委ねていました。カルロ・アバルトが率いるこの小さな会社は、フィアットのベース車両を競技仕様に仕立てるプロフェッショナル集団です。そしてFIA(国際自動車連盟)のグループ4規定でラリーに出るには、一定数の市販車を生産してホモロゲーション——つまり公認——を取得する必要がありました。

    124スパイダーは後輪駆動で、エンジンはフロントに縦置き。ラリーカーとしての素性は悪くありません。ここにアバルトの手が入ることで、競技に耐えうるマシンと、その公認を取るための市販モデルが同時に生まれることになります。それがフィアット・アバルト 124 Rallyです。

    CSAという型式が意味するもの

    CSAという呼称は、フィアットの社内型式コードに由来します。124 Rallyにはいくつかのバリエーションが存在しますが、CSAは1972年頃から生産された後期型にあたり、排気量を1.8リッターに拡大したモデルです。

    エンジンはフィアット製の直列4気筒DOHCをベースに、アバルトが手を入れたもの。ツインカムヘッドの採用はフィアット 124系の大きな特徴で、当時の量産車としてはかなり先進的でした。CSAではこれを1,756ccまで拡大し、約128馬力を発生させています。数字だけ見ると控えめに思えるかもしれませんが、車重が1トンを切る軽量ボディと組み合わさることで、ラリーステージでは十分以上の戦闘力を持ちました。

    足回りも当然ながら強化されています。フロントはダブルウィッシュボーン、リアはリジッドアクスルにコイルスプリングという構成。リジッドアクスルというと古く聞こえるかもしれませんが、ラリーの荒れた路面では頑丈さと整備性が何より重要です。この選択は、サーキットではなくラリーで勝つための判断でした。

    アバルトが手を入れた箇所、入れなかった箇所

    面白いのは、アバルトの改良が「全部変える」ではなく「勝つために必要なところだけ変える」という思想で貫かれていた点です。エンジンの排気量拡大、吸排気系の最適化、ハードトップの装着による剛性確保。これらはすべてラリーの現場から逆算された変更です。

    一方で、基本的なボディ構造やシャシーレイアウトは124スパイダーのままです。量産車ベースのホモロゲーションモデルである以上、根本から作り替えるわけにはいきません。むしろ、ベース車の素性の良さがあったからこそ、最小限の変更で競技に通用するマシンが成立したとも言えます。

    外観上の特徴としては、ハードトップの装着に加えて、フロントグリルの意匠変更やオーバーフェンダーの追加があります。ただし、これらも見た目の演出というよりは、冷却効率の確保やワイドタイヤの収容といった実用上の要請から来ています。飾りではなく、理由がある造形です。

    ラリーでの実績と、その意味

    フィアット・アバルト 124 Rallyは、1970年代前半のヨーロッパラリー選手権を中心に数多くの実戦に投入されました。モンテカルロ・ラリーやサンレモ・ラリーといった名門イベントで上位に食い込み、特にターマック(舗装路)ラリーでの速さには定評がありました。

    この時代のラリーシーンは、ランチア・フルヴィアやアルピーヌ A110といった強力なライバルがひしめいていました。その中でフィアット・アバルト 124 Rallyが戦えたのは、エンジンパワーだけでなく、車体バランスの良さとドライバビリティの高さによるところが大きいとされています。

    ラリーでの成功は、フィアットのモータースポーツ戦略にとっても重要な意味を持ちました。この経験が、後のフィアット 131アバルト・ラリーへとつながっていきます。131アバルトは1977年から1980年にかけてWRC(世界ラリー選手権)のマニュファクチャラーズタイトルを3度獲得する名車となりますが、その土台にはフィアット・アバルト 124 Rallyで蓄積された知見があったわけです。

    ホモロゲーションモデルという存在の面白さ

    フィアット・アバルト 124 Rally CSAの生産台数は、正確な数字に諸説ありますが、おおよそ1,000台前後と言われています。ホモロゲーション取得に必要な最低限の台数を確保するための生産であり、大量に出回る車ではありませんでした。

    この「競技のために作られた市販車」という存在は、現代の感覚からするとやや不思議に映るかもしれません。しかし当時のラリーでは、これが勝つための正攻法でした。メーカーは市販車を売るためにラリーに出るのではなく、ラリーに出るために市販車を作る。その倒錯した論理が、結果として非常に魅力的なロードカーを生み出していたのです。

    CSAもまさにそうした一台です。日常的に使える快適性は124スパイダー譲り。しかしエンジンを回せばアバルトの血が騒ぐ。この二面性こそが、ホモロゲーションモデルならではの味わいです。

    系譜の中での位置づけ

    フィアット・アバルト 124 Rally CSAは、フィアットとアバルトの協業がもっとも実り多かった時代の産物です。1971年にフィアットがアバルトを完全子会社化したことで、両社の関係はさらに密接になりました。124 Rallyはその過渡期に生まれたモデルであり、独立した職人集団としてのアバルトと、大メーカーとしてのフィアットの力が、もっとも良いバランスで噛み合った結果とも言えます。

    その後、アバルトの名はフィアットのスポーツブランドとして存続し、2007年には独立ブランドとして復活を遂げます。

    2016年に登場した現代のアバルト 124スパイダーは、マツダ・ロードスターをベースにしたまったく別の車ですが、「小さなスポーツカーにアバルトの手が入る」という構図だけは、半世紀前と変わっていません。

    フィアット・アバルト 124 Rally CSAは、ラリーという過酷な現場が市販車の形を決めた時代の証人です。スペックシートの数字以上に、なぜその仕様になったのかという理由の一つひとつに物語がある。

    それが、この車を今なお特別な存在にしている理由ではないでしょうか。

  • フィアット 124 スポーツスパイダー – AS【ピニンファリーナが描き、アバルトが鍛えた一台】

    フィアット 124 スポーツスパイダー – AS【ピニンファリーナが描き、アバルトが鍛えた一台】

    フィアットが作ったセダンに、ピニンファリーナがボディを架せ、アバルトがエンジンを磨いた。

    こう書くと夢のようなコラボレーションですが、これは限定モデルでも記念車でもありません。

    1966年から約20年にわたって量産された、れっきとしたカタログモデルの話です。

    フィアット 124 スポーツスパイダー。型式で言えばAS型。イタリアの大衆車メーカーが、なぜこんな贅沢な座組でオープンスポーツを作り続けることができたのか。その背景には、1960年代のイタリア自動車産業が持っていた独特の構造がありました。

    大衆セダンから始まった企画

    話の出発点は、1966年に登場したフィアット 124です。これはヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した堅実なファミリーセダンで、後にソ連でライセンス生産されてラーダ(VAZ-2101)になったことでも知られています。つまり、根っこは完全に実用車です。

    ただ、当時のフィアットには「ベースモデルからスポーツ派生を作る」という確立された手法がありました。124にも最初からクーペとスパイダーの派生が計画されていて、クーペはフィアット社内でデザインされた一方、スパイダーのボディデザインはピニンファリーナに委託されています。

    ここがまず面白いところです。同じ124ベースなのに、クーペとスパイダーで設計の担い手が違う。しかもスパイダーの方は、デザインだけでなく生産自体もピニンファリーナのグルリアスコ工場で行われました。フィアットのバッジが付いていながら、実質的にはピニンファリーナが作ったクルマだったわけです。

    アバルトの手が入ったDOHCエンジン

    124スポーツスパイダーを語るうえで外せないのが、エンジンの出自です。ベースの124セダンに載っていたのはOHVの1.2リッター。実用車としては十分でも、スポーツカーに積むには物足りない。そこで白羽の矢が立ったのがアバルトでした。

    アバルトは124セダン用のOHVエンジンをベースに、ツインカム(DOHC)ヘッドを新設計しています。排気量は1,438ccに拡大され、初期型で90馬力前後を発生しました。数字だけ見れば控えめに思えるかもしれませんが、重要なのはその回り方です。高回転まで気持ちよく伸びるDOHCの特性は、当時の同クラスのオープンカーとは明らかに一線を画していました。

    このDOHCユニットはアバルトが開発を主導したもので、後に排気量を1.6リッター、1.8リッター、最終的には2.0リッターまで拡大されていきます。つまり124スポーツスパイダーのエンジンは、フィアット製というよりアバルト製と呼ぶ方が正確です。AS型の「A」がアバルトを指すとも言われるのは、こうした経緯があるからです。

    ラリーでの実績が裏付けた実力

    124スポーツスパイダーがただの洒落たオープンカーで終わらなかった理由のひとつが、モータースポーツでの活躍です。アバルトが手がけたラリー仕様の124は、1970年代前半のヨーロッパラリー選手権やWRC(世界ラリー選手権)で本格的に戦っています。

    ラリー仕様は「アバルト 124 ラリー」として知られ、市販車とはかなり異なるチューニングが施されていました。ただ、ベースとなるシャシーやエンジンの基本設計が市販の124スポーツスパイダーと共有されていたことは重要です。量産オープンカーの骨格がラリーで通用したという事実が、このクルマの設計の筋の良さを物語っています。

    1972年のヨーロッパラリー選手権ではマニュファクチャラーズタイトルを獲得。ランチア・ストラトスやフィアット131アバルトといった後継のラリーマシンに道を譲るまで、フィアット=アバルト陣営の主力として機能しました。

    アメリカ市場が支えた長寿命

    124スポーツスパイダーの生産期間は異例の長さです。1966年のデビューから、最終的には1985年まで生産が続きました。約20年。同時代のイタリア製スポーツカーとしては飛び抜けた長寿モデルです。

    この長寿を支えたのは、間違いなくアメリカ市場でした。手頃な価格のイタリアンオープンスポーツとして北米で根強い人気があり、排ガス規制や安全基準の変更に対応しながら販売が継続されたのです。バンパーが大型化し、エンジンにインジェクションが導入され、見た目も中身も初期型とはかなり変わっていきましたが、基本骨格は最後まで124ベースのままでした。

    末期にはフィアットのバッジが外れ、「ピニンファリーナ・スパイダー」や「ピニンファリーナ・アズーラ」という名前で販売されています。フィアットが自社ブランドでの販売をやめた後も、ピニンファリーナが自社名義で売り続けたという事実は、このクルマがいかにピニンファリーナにとっても重要な製品だったかを示しています。

    三社の役割分担が生んだ特異な存在

    改めて整理すると、124スポーツスパイダーの成り立ちはかなり特殊です。プラットフォームとセダンのエンジンブロックはフィアット。DOHCヘッドの設計とチューニングはアバルト。ボディデザインと生産はピニンファリーナ。三社がそれぞれの得意領域を持ち寄って一台のクルマを成立させていました。

    これは当時のイタリア自動車産業の構造だからこそ可能だったやり方です。カロッツェリア(車体製造を請け負うデザインハウス)が独立した産業として存在し、チューナーであるアバルトもフィアットと密接な関係を保ちながら独自の技術力を持っていた。こうしたエコシステムがなければ、大衆車メーカーのフィアットがこれほど魅力的なスポーツカーを量産し続けることは難しかったでしょう。

    系譜の中での意味

    124スポーツスパイダーは、後継車という意味では直接的な後釜を持ちません。フィアットのオープンスポーツという系譜で見れば、その後バルケッタやフィアット版のマツダ ロードスター(現行の124スパイダー)に至りますが、いずれも124スポーツスパイダーの直系というよりは、精神的な後継と呼ぶべき存在です。

    ただ、このクルマが残したものは大きい。アバルトが量産車のエンジンを本格的にスポーツチューンするという手法は、後の131アバルトやリトモ・アバルトにも引き継がれました。ピニンファリーナにとっても、フェラーリ以外で最も長く手がけた量産スポーツカーのひとつであり、同社の生産能力を支える重要な柱でした。

    フィアット 124 スポーツスパイダーとは、イタリアの自動車産業が持っていた分業と協業の文化が、一台のクルマの中にそのまま結晶化した存在です。大衆車の骨格に、一流のデザインと一流のエンジニアリングを載せる。その仕組みが20年間も機能し続けたこと自体が、このクルマの最大の価値だったのかもしれません。